2歳児の保育「三つ子の魂デシデシドン2」
2、待つわ
6月初め
いつものことだった。誰もいなくなった園庭で麦と波が砂場の横のテーブルでおままごとを続けていた。僕は少し離れた部屋の入口の前のテラスにある、下駄箱横のベンチに座ってそれを見ていた。
さっきまで2歳児クラスの子どもたちは園庭で遊んでいた。今日は大きいクラスは室内で制作活動をしていた。子どもの仕事は遊びだとよく言われる。遊びは子どもにとってしなければならないこと、する必要のあることという意味だと思う。子どもはいろいろなことを遊びで身につける。まずは自分で考える、自分で想像し、創造する。手先の小さな動きから体全体の大きな動きまで試行錯誤の上、身につける。仲間とともに考え、動き、また考える。本当なら木や水や草や土の豊富にあるところが一番なのだろうけど、都会の保育園では園内はもとより、周りにもそういう環境を用意することができない。代わりというわけではないが、おかみは保育園に子ども一人当たり一定の広さを持つ園庭を原則的には用意するように定めた。たいていの保育園はそこにブランコ、ジャングルジム、雲梯(うんてい)、砂場などを用意していた。自然の森に比べれば貧相というしかないが、それでも小さい子どもであれば砂場でままごとやら砂遊びやらをし、大きな子どもであれば基地を作ったり、自分たちでルールを作って遊んでいた。それこそが子どもたちにとって最上の学習活動であった。何より多少のことをしても、大人たちになんだかんだ言われることは室内よりはるかに少ない。お互いに気持ちにゆとりができる。それでも同じところにいれば飽きも来る。そんな時は僕たちは本当の自然、ささやかなものであるが園の外に散歩に出かけることもあった。
11時15分頃になってルーシーが「おへやにはいりたいひとー」と言いながら子どもたちの周りをまわっていくと遊びに飽きたり、おなかが何となくすいたり、また、それらのお友だちにまねっこをした子どもなどがルーシーの周りに集まってきた。
「みんな使ったおもちゃはかたづけた?」
と声をかけると砂場のほうから
「あさちゃん、おかたづけだよー!」
と武士の声が聞こえてきた。
名前を呼ばれた朝美がルーシーの顔を少し見上げた。ルーシーが少し頷くと朝美は走って戻っていって、おもちゃの入っているかごに自分が使っていたスコップを入れ、武士と一緒に走って戻ってきた。ルーシーは武士、朝美、瞳、あき、隆二を連れ部屋に入っていた。ルーシーと子どもたちはまずトイレに行って手を洗って給食の準備をするはずだ。園庭には11人の子どもたちが残っていた。先頭集団が部屋に入るとそれを見ていた薫、知香も部屋に入ろうとおもちゃを片付け始め、義樹は部屋の入口に行こうとしていた。今日は友子と太郎が欠席だった。リーちゃんが部屋に入ろうとしている子どもたちの他に3,4人連れて入るつもりなのだろう、誰とはなしに
「そろそろご飯だけど入りたい人いる?」
と声をかけていた。
「リーちゃーん、お部屋入っていい?」
薫が下駄箱の前で叫んでいた。
「おくつぬいでまっててー。」
とリーちゃんが叫び返した。
薫、知香、義樹が靴箱の横のベンチに並んで座って何やらお話をしながらくつをはきかえていた。リーちゃんはエプロンのポッケから赤やら青、緑、赤などのスズランテープで編んだロープで作った「電車」を取り出し園庭に座り込んで指で絵を描いていた渡に声を掛けた。
「リーちゃんでんしゃにのりませんかー。ごはんですよー。おへやはいりませんかー。」
渡が立ち上がり
「のるー。」
と言って、リーちゃんの持っているロープの輪の中に自分の身体をくぐらせて「電車に乗った。」なんだかうれしそうに笑っている。リーちゃんと渡は土管に向かいその中にいた康江と千穂にも声をかけた。
「どかんまえーどかんまえー、リーちゃんでんしゃにのりませんかー」
コンクリートでできているので正式名称はヒューム管という。土管は陶器のものをいうがドラえもんの影響で管状のものはみんな「どかん」と呼んでいる。康江と千穂はお互い顔をお見合わせて土管から一緒に出てきて
「のるー」「のるー」
と口々に叫んでリーちゃん電車に乗り込んだ。部屋のほうに行きかけていた善もわざわざ戻ってきて電車に乗り込んだ。
「しゅっしゅっぽっぽ、しゅっしゅっぽっぽ」
リーちゃんが軽快に声を出すとこどもたちもそれに合わせて
「しゅっしゅっぽっぽ、しゅっしゅっぽっぽ」
と言いながら入り口のほうに向かっていった。
「後、お願いしまーす。」
砂場に座っていた僕のほうに向かってそう言うと、リーちゃんは入っていった。
園庭にはあと4人子どもが残っていた。砂場のわきのテーブルで麦と波が型抜きを使ってお団子をたくさん並べて「パーティ」をやっていた。砂場では幸夫と達彦がブルトーザーとダンプで土木工事をしていた。
子どもたちは砂場での土木工事が大好きだ。あれだけ好きなのにだんだん興味を失っていくようだ。将来の夢で「ブルトーザーやショベルカーのオペレーター」や「ダンプの運転手」なんて言うのは聞かない。業界でも若い人が集まらず苦労していた。僕が駆け出しのころからすでに人手不足が始まっており有名な「3K(きつい、汚い、危険)」と言われ始めていた。更には「5LDK(きつい、汚い、危険、給料安い、休日ない、乱暴で怒鳴る)」などと言う人もいたが僕に対して乱暴で怒鳴る人はいなかった。そのころ僕に仕事を教えてくれた人に「しげさん」という50から60歳ぐらいの職人さんがいた。いつもねじり鉢巻きをして、顏は赤銅色に日焼けをし、前歯はすっかり抜け、左の二の腕に自分で彫ったであろうと思しき「一心太助」という文字の刺青があった。しげさんに
「なんで『一心太助』なんですか?」
と聞いたがにっこり笑うばかりで教えてくれなかった。しげさんは
「いっぺんやってみろー、やんねえとわかんねぇべ」
と、新米の僕によく言った。
「いいんですか?」
と遠慮しながら聞くと
「いいからやってみろー、やってみっとわがっから。」
そう言って、背中を押してくれた。そのおかげで早めに一人前の「ふり」ができ、仕事も少しは楽しくなったんだと思う。僕も子どもたちに、いろいろなことをさせてあげているだろうか。危ないからとか、できないからと言ってやる気をそいでいないだろうか。
「おら、穴いっぺい掘ったど。地球の裏側まで掘ったど」
ともよく言っていた。しげさんに子どもたちの前で「ほんまもんの」穴掘りを披露してもらうのも面白いかもしれない。もっともこんな狭い砂場の砂なんぞ全部掘りあげてしまうだろうけど。
僕は砂場を形作っている丸太に座って少し様子を見ていた。さて、時間も時間だし、どちらから声を掛けるか。
僕は近いほうの幸夫と達彦に声を掛けた。
「たっちゃん、ゆきちゃん、みてごらん、みんなおへやにはいったよ。ごはんのじかんだよ。きょうのごはんはなんだろうね。」
「ごはん、なに」
応じたのは幸夫だった。
「おにくだよ。ゆきちゃんはすき?」
「うーん、わかんない。」
「おいしいよ、あけちゃんやとしこさんががいっしょうけんめいつくってくれるからね。」
幸夫は少し頷いてしょうがない、まあ行くかという風情で手にしたスコップとブルトーザー、ダンプを箱に片づけた。
「たっちゃんもいこっ、ゆきちゃん、いくって。」
幸夫が行くとわかって達彦も同じようにおもちゃを箱に入れた。
「じゃ、よーいどんんしよっか」
「うん、するー」
と幸夫。
僕は足で線を引いた。
「はい、ならんでならんで。いい?いちについてーーよーーいどん!」
幸夫がフライング気味というよりは完全なフライングで飛び出し、達彦もあとに続いた。僕は後ろから追いかけながら幸夫が下駄箱前あたりについたタイミングで
「ゴール!」
と言った。
「いっとー!」
幸夫が自慢げに口にした。達彦は順位よりは走り切ったという満足感があるようで穏やかな顔で幸夫を見ていた。二人は早速テラスに上がって靴を脱ぎ、部屋に入ろうとしていた。幸夫は脱いだ靴をしまっていたが、達彦はそのままだった。
「たっちゃん、くつしまって。わすれているよ。」
と声を掛けたが後の祭り、さっさと部屋に入ってしまった。
部屋の入口に向かってもう一度
「たっちゃーん、くつー!」
と声を掛けたが戻ってこなかった。園庭に子どもがいなければそのまま部屋に入って声もかけることができるが麦と波が残っているのに目を離すわけにもいかない。
毎度順調にいかないのがまだ園庭に残っている二人だった。幸夫や達彦に比べるとなかなか一筋縄ではいかない。口が達者なのだ。彼女たちのほうを見ながら達彦の靴を下駄箱にしまった。僕は下駄箱横のベンチに座って彼女たちを見ていた。声を掛けたところで容易に部屋には入ってこない。誰もいなくなったことをいつ気が付くのか、気が付いて部屋に入ってくるのか。いつもそんなことを思って彼女たちのことを見ていた。気が付いて慌てて入ることもあればいつまでも遊んでいることもある。今日はどっちだろう。
かつては時間になったら「ごはんですよーおかたづけだよー」と保育士が声をかけ、「おかたづけーおかたづけ―」と歌いながら片づけをみんなでして部屋に一斉に入っていた。当然まだまだ遊びが盛り上がっていて、部屋に入るのをしぶる子もいた。その子どもたちには言葉は悪いが「脅しすかし」みたいなこともして何とか部屋に入るよう説得を試みた。部屋の中ではさして広くもないところで手洗いやら着換えやらトイレやら、まだまだ2歳児、基本的生活習慣を習得の真っ最中、とても6人に1人の保育士の割合では追いつかない。フリー保育士や主任に助けを求めることになる。そこまでして一斉に部屋に入れる必要があるのか。まだ遊びたい子もいるだろうし、脅し、すかして、丸め込んで、保育士も気持ちは後ろ向き、子どもも納得いかず、いいことなしじゃないのか。これは何も園庭から部屋に入る時だけではない。室内で遊んでいるときもそうだ。保育士の号令の下、一斉に片づけをして準備をする。保育士はイライラ、子どもはオロオロ、そんなの全然楽しくないじゃないか。僕たちが思い描いたのは十分に遊んだという満足感を得て、自分から次の行動に移ってもらうことだった。どうしたらいいんだろうねという話を園長やモコさんと話をしていたときに園長が子どもの主体性の話をしてくれた。
今、主体的に活動できる子どもが減っているという危機感がいろいろな人にある。それは子どもの周りの環境が変わってきたからだという。人の面では、少子化によって子どもの数が減り、子どもの周りの大人が多くなっている。だから子どもが大人に何かにつけ意見をされることが多くなっている。物の面では、子どもが接する娯楽がテレビやゲームなど、子どもが「受け身」になるものの影響が大きくなっている。場所の面では、空き地など子どもが大人の眼を離れて遊ぶ場所もほとんどなくなってしまった。これでは子どもが自由に考え、行動できる機会がない。だから保育所保育指針や学習指導要領でも子どもたちの主体的な活動を保証するよう強調されているという。更に「子どもの主体性」についての研修で聞いた話をしてくれた。
その話をしてくれたある園の甲園長は「保育士が命ずるままに子どもを動かしたり、やってあげたりしてそこに子どもの主体性は生まれるのか、自発的な活動は芽生えるのか、子どもの身につくことになるのか。人は生まれながらにして能動的な生き物である。生き物であるから当然、主体的である。子どもは何もできないわけではない。保育者の役割は何もできないと大人が勝手に思い込んでいる子どもに教えたり与えたりするのではなく、子どもが本来持っている力を信じて引き出しそれを育むこと。」ではないのかと。
園長の話を聞いて僕たちのクラスで最初にやったことは、子どもたち全員に声を掛け、一斉に同じことをすることをやめることだった。子どもたちは言うまでもなくそれぞれ違う。それぞれにペースがある。できる範囲でそれらを尊重したい。このクラスは18人の定員で3人の保育士がいる。うまくすれば3グループには分けられる。その都度それぞれのペースに一番近いグループで行動できれば保育士からうるさく言われなくても子どもたちが自分で行動できるのではないか。こうして基本的な生活は概ね3グループの小集団に分け、行動することにした。
子どもたちが主体的に動くためには大人の時間ではなく子どもの時間に合わせることが必要になる。大人の時間に比べれば子どもの時間はゆったり流れる。だから大人は「待つ」ということがとても大事になってくる。お集まり、排せつ、着脱、手洗い、片付け、給食やおやつの準備、などなど、全てのことについて、声がけを最低限にして煽ることのないように、時間の許す限り子どもたちが自分で行えるよう「待つ」ようにした。ただ2歳児は2歳児、生まれてから2年と数か月しかたっていない。保育園内の時間割という社会的な制度を理解し、主体的に動くことなどは当然にも無理なことではある。きりのいいところまでは遊ばせてもあげたい。でも時間もある。ぎりぎりまで待ってこれ以上はちょっとという時は、とりあえず無理強いしないように説得を試みる。これがなかなか大変ではあるのだけれど。
待つことは何も大人が待つだけではない。むしろ子どものほうが待つことは多い。そして2歳児クラスは待てることが「自律」というもののひとつの指標となる場合がある。
春先、クラスの環境を作る過程で行ったことのひとつが、流しの前に足形の紙を貼り付けることだった。流しに蛇口が3つあるのだが、1歳児クラスだと保育士が少しずつ流しに誘導していかないと、我先に流しに殺到し、場所の取り合いから噛みつきというパターンがとても多い。2歳児クラスでは最初こそ密集しないように人数を押さえながら誘導していくが基本的には自分で並ぶ。その際、列に並ぶ目印として床に貼られた足形を使う。子どもたちは興味津々で自分の足を足形に乗せ「待つ」ことを形から覚える。
既に待てる子どもたちもいた。給食やおやつの時、隆二、渡、瞳、武士、朝美、あき達は手洗いなどの準備を終え、いつも早くから座って待っている。待つのが苦にはならない。逆にいつまでも遊んで、準備の遅い子は待つのがあまり好きではないと自分で感じているのかもしれない。
「おもちゃかーして。」
朝のお部屋遊びの時、友子の声がした。ロッカーの前で友子が隆二に声を掛けていた。僕は図書コーナーで善と康江と千穂に「ゾウさんの雨降りさんぽ」を読んでいた。リーちゃんはトイレの前で全体を、ルーシーは波と達彦にパズルを教えていた。すると隆二が
「まっててね。」
と返した。隆二の手にはライダーのフィギュアが握られていた。それは隆二の私物だった。4月になると1歳児室から2歳児室に変わり担当保育士も変わる。3月末には新担任も発表し、新担任と一緒に過ごしたり、変わる先の部屋にも遊びに行くのだが、そうとは言ってもなかなか一朝一夕に慣れるものでもない。隆二は0歳児から保育園に通っているが、新しい担任や保育室に抵抗し、朝、保育園に行きたがらなかったらしい。そこで困り果てた隆二ママが隆二のお気に入りのライダーのフィギュアを心の支えとして同行させることにした。隆二に限らず、心の支えを持っている子どもは多い。薫の支えはアンパンマンの絵がついたポシェットだし、康江のそれはなんていうことのない赤系のチェックのハンドタオルだ。僕らの世代ではスヌーピーの友だちのライナスの毛布が有名だ。
隆二ママの話を聞いたのはリーちゃんだった。
「りゅうちゃんが朝ぐずってしょうがなかったらしくて、ライダーを持たしたら今度は離さなくなったんだって。持ったまま登園して、ママも持って帰ろうとしたんだけど、りゅうちゃんはやっぱり離さなくて。しょうがないからおともだちにも貸してあげてね、ということで持たすことにしたんだけど、いい?」
「ああーいいんじゃない、友だちと遊んでいるうちそっちのほうがよくなるだろうから。」
とルーシー。
結局、ルーシーの言った通り、すぐにその辺に置きっ放しになり、渡とブロックで遊んでいた。リーちゃんが拾って
「りゅうちゃん、ライダー、おたよりポケットから、りゅうちゃんのことみてるからね。」
と言うと、半分上の空で
「うん。」
と返事をした後、見向きもしなかった。そんなことが2,3日続いた後に、たぶん、触ってみたかったのだろう、隆二がライダーを手に持っている時に友子が声を掛けたのだ。隆二が
「まっててね。」
と言い終わるか終わらないうちに友子が手を腰に当てて、膝を折りながらリズムを取って
「いち にの さんぼの しいたけ でっこん ぼっこん ちゅうちゅ かまぼこ ですこん ぱっ。かーしーて。」
と言ったら、また隆二は
「まっててね」
すぐに友子もまた
「いち にの」
とリズムを取りながら数えだすと麦と薫が友子の後ろで真似をしだし、一緒に腰に手を当ててリズムを膝で取りながら
「さんぼの しいたけ でっこん ぼっこん ちゅうちゅう かまぼこ ですこん ぱっ かーしーて」
隆二も少し驚いたようで今度は小声で
「まっててね」
と言った。リーちゃんに言い含められているとはいえ、隆二にとっては心の支えだ。簡単に貸す気にもならなかったのだろう。すぐにそこらへんにおきっぱにする割には人に貸して、と言われると話は別らしい。友子は三度目を数え始めた。もちろん麦と薫も一緒だ。更に図書コーナーにいた康江と千穂が加わった。この二人、おとなしめの子どもだがどうやらダンスは好きらしい。
「いち にの さんぼの しいたけ でっこん ぼっこん ちゅうちゅ かまぼこ ですこん ぱっ。かーしーて。」
5人が同時に元気よく言えば大合唱になる。かくして『隆二、陥落』。心なしか涙目のような気がした。そばにいたリーちゃんもそれに気づいたのだろう。隆二に
「りゅうちゃん、かしてくれるんだ。たいせつなものありがとう。ともちゃんたち、ライダー、りゅうちゃんのたいせつなおともだちだから、なかよくね。あそびおわったら、りゅうちゃんにかえしてあげてね。」
多分、よく見たかっただけの友子はライダーを麦と、薫と三人でしげしげと見た後すぐに隆二に
「かえす」
と言ってすぐに返した。隆二は戸惑いながら
「ありがと」
と言って受け取った。たぶん、クラスで一番上手に「ありがとう」が言える。隆二にしてみたら軽く「まっててね」と言ったのに、大ごとになりびっくりしたのが本当のところだろう。友子にしてもバックダンサーがつくとは思ってなかったと思う。
そもそもこの『待ち方』は4月に入り、部屋や担任などの環境が変わって子どもたちが落ち着かず、ブロックや、ぬいぐるみ、ままごとなど人が使っているおもちゃを無理に取ること続いたことがあった。そこで寸劇でもやって無理に取らず、ちゃんと「かして」と言えるようにしよう。言われたほうもまだ使いたいのであれば「だめ」とか「いや」とかじゃなくて「まっててね」と言うことを伝えることにした。ただ、ただ単に「まとうね」と言ったところですぐに待てるかどうかわからない。そこで数を数えて、踊りながら待つことにした。数をわらべ歌で数えることをルーシーが提案し、踊り方はリーちゃんが腰に手をやって膝の屈伸をする踊りを考えた。これが子どもたちに受けた。リーちゃん、ルーシーが普段から子どもたちに笑顔で接して、丁寧に話を聞いてあげて、できることは見守り、できないことは手伝ってあげるというように親切にしてあげたからこそ子どもたちも寸劇の中身を理解し、踊って待つことができたのだろう。
「たまだ君、どうしたの?」
通りがかったモコさんが廊下からテラスに顔を出して言った。モコさんを正面から見るたびにそのベリーショートな髪形が若いころのキョンキョンだよなと思ってしまう。モコさんに「キョンキョンみたいで素敵ですね。」と言ってあげたい気もするが「しってるー。」とか「よくいわれるー。」とか言いながらどや顔を見せることがほぼ確定しているので、その際どのような顔をして、どのように返答すればよいのかわからないので言うことをためらっている。モコさんはほとんどの保育士がつけるエプロンをしない。
「エプロンしないんですか?」
と聞くと
「たまだ君もしてないじゃん。なんで?」
と逆に問われた。
「動きにくいし・・・。」
と答えると
「おんなじー。」
と答えた。服装はいつも水色や藤色、若草色などの淡い単色のポロシャツにストレートのブルージーンズ。確かに動きやすそうだ。
モコさんはたまたま通りがかったというわけではなく、例えば遊びから給食準備に移るときとか、活動と活動の合間にどうしても人手が必要になるときがある。それを見越して主任さんは動く。
「園庭の二人、もう少し見ているので、クラスの方、ちょっと見ててもらっていいですか?」
「うん、またあの二人?」
「そうそう」
「おとうさん、がんばって!」
「ありがとうございます。」
麦と波は園庭に誰もいないのにまだ遊んでいる。大人の世界ではすでに「待てない」「待たない」社会になっている。「無駄」ということが悪者扱いされ「時間」を「無駄」にすることが罪になってしまった。本当は「無駄」が「遊び」として必要な時もあるんだけれど。その象徴は携帯電話かもしれない。今の携帯電話は何でもすぐに解決してくれる。検索すれば答えはすぐに出る。連絡しようとすれば誰とでもすぐにつながる。恋しい人ともだ。連絡が取れないとすぐにイライラしてしまう。
学生時代、学生寮に住んでいた。手紙が届くと事務室に詰めている当番が寮内放送をしてくれるのだが、女性から届くと「手紙」の前にわざわざ「お」をつけて「○○君にただいま『お手紙』が届きました。」と言ってくれる。そうすると寮生が猛ダッシュで事務室に駆け込み、その『お手紙』を満面の笑みで受け取るのだ。僕も学生時代、地元に彼女を残してきたくちだ。こちらから手紙を出した次の日から返事を待って、待ち焦がれて、待ちくたびれた頃、漸く『お手紙』が届くのだ。僕は幸いにもなかったが寮生の何人かはそんな宝物の『お手紙』の封をニコニコしながら切って、読み始めた瞬間、茫然自失となったり、涙ぐんだり、さらには急に走り出した者もいた。期待が莫大なだけに落胆の衝撃はさらに大きい。
えらく待たせたこともある。休みに入って地元に帰るとき、地元の駅まで彼女が迎えに来てくれるという話になった。しかし運悪く、台風で電車が大幅に遅れてしまい約束の時間を3時間も遅れてしまった。さすがに待っていないだろうと思いつつ電車を降りて小走りに改札口を出て周囲を見渡すと、壁にもたれてうつむいている彼女が見えた。近づいて名前を呼ぶと彼女は少し疲れたような顔をしつつも微笑んでくれた。携帯電話のある今では考えられない話だ。
「わたしまーつーわ。」
そのころ街のいたるところで流れていた歌だ。
「わたしまーつーわ、いつまでもまーつーわ。」
と口ずさんだところで我に返った。時計を見るともうすぐ12時になろうとしている。
(うーん、いつまでも待てないなー。)
僕は二人に声をかけるため下駄箱の前から砂場のほうにゆっくりと向かっていった。園全体が給食に向かって動いていた。0,1歳クラスはすでに保育士がエプロンにマスク姿で動いている姿が見える。もうとっくに食べ始めているのだろう。大きいクラスでは窓越しに手洗いをしている子どもたちが見えた。何となくかすかな給食のにおいが漂い始めていた。
「むぎちゃん、なみちゃん、何をつくってるの。」
「ケーキとね、プリン。パーティやるんだ。」
麦が答えた。砂場の横にある円形のテーブルの上に砂で作ったプリンとケーキが結構な数、あった。プリンはコップに砂を詰めてひっくり返したもの、作り方は本物と一緒だ。ケーキは皿の上の砂山だ。波はまだまだ足りないという風に砂場の砂をコップに詰めてプリンを量産している。
僕は丸テーブルの椅子に座った。
「いつ、パーティははじまるの。」
「うーん、わかんない。」
そう言いつつ麦はケーキを食べていた。
「ひとつちょーうだい。」
「いいよ。」
僕は皿をもってプリンを一つ食べた。
「おいしいね。」
そういうと麦はにっこり笑った。波は相変わらず砂場に座ってコップに砂を詰め、立ち上がってテーブルの上に直接プリンを作っていた。もはや皿が足らなくなっていた。
「むーちゃん、なみちゃん、みんなごはんたべにいっちゃったよ、そろそろおへやにはいらない。」
「いやっ!」
波は目を合わせず、手も止めずそう言った。波がとりあえず「いやっ」というのはいつものことだった。麦はちらっと園庭のほうに目を向けた。麦の目からはだれもいない園庭が広がっているはずだ。
「あとでたべるからたまだくん、まもってて。」
「いいよ、まもってるから。」
僕らはよく子どもたちから、「まもってて」と頼まれる。子どもたちが、そのあと残したもので遊ぶことは少なく、「いいよ、いいよ」と適当に返事をして、放置し、いつの間にかなくなることも結構ある。でもたまにちゃんと覚えている子どももいたりして、「あれはどこ?」なんて聞かれて、あればよいが、なくなっていると、返答に困り、「どこにいったんだろうね。」と適当に返事することになってしまう。子どもの少し残念そうな顔を見ると、適当なことはせず、ちゃんと守ってあげようとその時は思うのだが・・・。
麦は自分の持っていたスコップをおもちゃのかごに入れ、部屋の方向に行こうとした。ようやく状況を理解したらしい。それはそれで素晴らしい。
「むーちゃん、なみちゃんをまってあげて。なみちゃん、むぎちゃんいくって。プリン、たまだくんがまもっててあげるからスコップおかたづけしていこっ」
「いやっ」
やれやれ。
「いいにおいするじゃん、きょうのきゅうしょく、にくだよ。」
応答なし。麦は暇つぶしにせっかく作って、僕が守るはずのプリンを崩し始めていた。打つ手がなくなると悪魔の囁きがすぐにやってくる。
「お部屋にはいんないと給食なくなるよ。」
「お部屋に入んない人は赤ちゃんクラスに行ってください。」
これが結構効き目がある。
「やだー」
「じゃーはいりましょ。」
なかなかやめられない。でも自分で考えて行動できる人になりましょ、そういう子どもを育てましょということからするとやっぱり違う。
「なみちゃん、よーいどんしよ。」
プリン崩しに飽きた麦が何となく波を誘うと
「いいよ」
とあっさり答え、スコップをかごにいれ
「たまだくん、よーどんして。」
とあっけらかんとして言った。次の一手を考えていた僕は
「あっ、えっ、あっ、いいよ。」
と答えにならない返答をし、とりあえず左足で線をかいた。麦と波が線に並び、いっちょ前に片手片足を前に後ろにしてスタートのポーズを取った。
「よーーーい、どん!」
僕も彼女たちの顔を見ながら並走した。麦も波もにっこにっこしながら、前髪をなびかせながら、おでこをすっかりさらしながら走っていた。たぶんおなかはぺっこぺっこなんだろうけど、なんだか元気だな。変な感心をしながらもこっちも元気になったような気分になって3人で園庭を走り抜けた。
「いっとー!」
麦が元気にいった。
(なにいってんの、どんじりだよ。)
と思ったがもちろん口には出さなかった。