2歳児の保育「三つ子の魂デシデシドン13」

13,友よ

1月下旬

時計は9時30分を指していた。

「あー、あおいろはーとだ、あおいろはーとだよ。」

パズルコーナーで遊んでいた麦がさけんだ。壁にかかっている時計の数字の横には折り紙で作ったハートマークがセロテープで貼られている。「6」は青。ちなみに「12」は赤。「3」は緑「9」は黄色。

「おかたづけだよ。」

パズルコーナーで遊んでいた麦が達彦、千穂、康江、波に声を掛けた。

「もうちょっと」

と千穂は言い、達彦は黙って続けていた。康江と波はまだ途中であったがチャック付きのビニール袋にパズルをしまい棚に置いてトイレに向かった。

僕はままごとコーナーに、ルーシーは絵本コーナーにいて少し子どもたちの様子を見ていた。今日のリーダーのリーちゃんが押入れの棚から今日読む紙芝居や絵本を探しているとブロックで遊んでいた武士がリーちゃんのところに来て

「やまんば、よむ?」

とリーちゃんに聞いた。武士が言ったのは「たべられたやまんば」だ。民話を題材にした紙芝居だが、話も結構長いし、少し漫画チックな絵とはいえ、恐ろしげな鬼の仲間のやまんばが出てくるので、はじめはどうかとは思ったが、大きいクラスで大うけというので一度読んでみた。予想通り薫やら波やら、あきやらがそろりそろりと保育士の陰に隠れつつも最後まで見ていた。それから何度か読み、怖いもの見たさで今では、子どもたちみんな大好きな絵本になった。僕たち三人も「やまんば」を見るときの子どもたちが、内心ハラハラドキドキしながら真剣に見る姿が好きで、何かの折には読んでいた。今日のこのタイミングで武士がなぜ「やまんば」と言ったかわからないが、何かで思いついたのかもしれない。理由はおそらくある。あーなるほどね、という理由が。子どもたちの持つこういった理由を知ることができれば楽しいのだけれどそれはなかなか思うに任せない。

「あさからやまんば、よんでだいじょうぶ?」

「うん」

武士も何が大丈夫で、何が大丈夫ではないのかわからないだろうけど。

「じゃ、よむ?」

「うん!」

と嬉しそうに返事をした後、友だちのほうに振り向いて、大声で

「やまんばだよー!」

とクラスのみんなに叫んだ。「やまんば」というフレーズに一斉に子どもたちは反応し、武士のほうを向き、そのあとおもちゃやら絵本やらを片付け始めた。

 

 歳の暮あたりからトイレへ行くようにと全体的に声は掛けていない。暮れにはほぼ全員がオムツが外れたからだ。もちろんおもらしする子どもはいたし、逆に着替えや床の掃除など一時的に僕たちの仕事は増えたが、保護者と保育士と何よりも本人がパンツで行くと決めたということは、自分でトイレに行くという判断も含めてのことだ。だから活動の合間などにその都度「トイレに行け。」とは言わない。だけど、全く声を掛けないわけでもなく、遊びに熱が入っていたりしていくのを忘れているんじゃないかと思うような子どもには、それとなく声は掛けている。

 おかたづけの終わった、麦、康江、波、それに絵本を読んでいた瞳がトイレに来た。麦と瞳はそのままトイレに入り、波と康江はトイレの入り口でズボンとパンツを脱いでトイレに入って行った。二人のズボンとパンツが落ちている姿がまるでセミの抜け殻みたいに見える。麦はあっという間に出てきてそのままテーブルに向かった。ほどなくして瞳、続いて康江が出てきた。

「二人とも、て、あらった?」

と聞くと

「うん」

「うん」

と瞳は手を見せながら答え、康江はトイレにある自分のケースからおしり敷きを出しながら答えた。

「やっちゃん、こんどはひーちゃんみたいにズボンとパンツぜんぶぬがないでおしっこしてみたら。」

「えー」

おしり敷きを敷いて座って、パンツに足を入れ、立ってパンツをあげながら答え、僕のほうに顔を向けてにやっと笑った。あの笑い、なんだろう。やろうと思えばやれるんだけどね・・・、みたいな感じなのかな。康江はまた座ってズボンに足を入れ、立ってズボンをあげた。おしりが一度引っかかったので少し膝を曲げながらズボンをあげるとおしりをうまくかわしてはくことができた。

(どうやっておぼえたんだろう。)

少し感心した。康江はおしり敷きをまるめてケースに片づけるとテーブルの方に行った。

(あれっ、なみちゃんは。)

と思ってトイレを見ると波がボーっとして座っている。相変わらずだ。

「なみちゃん、うんち?」

と聞くと

「うううん。」

と首を横に振った。波も口ほどに体が動けばよいのだがやはり天は二物を与えないらしい。

「なみちゃん、おしっこおわったらでてくるんだよ。」

ととりあえず一言は声を掛けた。そのうち何かのきっかけで出てくるだろう。

絵本コーナーにいた知香や朝美はやってきたが、太郎と友子は図鑑のような本を二人で頭をぶつけるようにしてのぞき込んでいた。武士は義樹とブロックを焦り気味にバタバタと片付けていたが、緑は緑、赤は赤と色別にはしっかりと分けていた。

 

ままごとコーナーは相変わらず「ざ、散乱」状態であり、足の踏み場もない。僕が子どもの頃はそういった様を「豚小屋みたい」と言ったが、「豚に失礼でしょ、そもそも豚はきれい好き」という人がいてそういった表現もなくなった。リーちゃんがどこに何を入れるのかわかるようにかわいいイラストを描いてくれたのでずいぶんお片付けが上手になったのだが、今日はいつもに比べて今一つ進まない。そんな日もある。遊んでいたのは隆二、渡、薫、あき、善、幸夫だ。

「ままごとチーム、おかたづけはうまくいってる?」

僕は何となく声を掛けた。声を掛けて気が付いた。さっきまで遊んでいたはずの隆二と渡がいない。なぜか絵本コーナーにいる。おいおいそれはないでしょと二人に声を掛けた。

「りゅうちゃん、わたるくん、おかたづけ、まだおわってないじゃん、みんなやってるよ。」

「えっ、おわったよ。つかったおさら、かたづけたよ。」

と隆二。また二人で絵本を見始めた。

 隆二と、渡は自分で遊んだものは片付けたからまだよいが、みんなが片付けている時にまさしく「とんづら」とか「ずらかる」とか「ばっくれる」という表現がぴったりなことをする子どもがいる。「おかたづけの時間だからみんなで片付けようね」とか「みんながやっているから一緒に片づけようね。」とか声を掛けるが、明らかに遊んだにもかかわらず「じぶんはあそんでいないのでかたづけない」とか片付けていないのに「かたづけた。」とか言って頑として協力しない子がいたりもする。自分の意見が言える、言えたということを認めつつ、また彼女、彼らなりの理由なり事情はあるのだろうけれど、遊んだのであれば片付けて欲しいし、友だちがその子の分まで片付けているようであればなおのことやってほしい。

先日の町内の役員会で町内会費をなかなか納めない人や町内清掃になかなか参加してくれない人に対してどうすればいいか僕たち役員が話し合っている時に顧問のご老人が

「君たち、そんなの構うことはないから、そのままでいいから。そういう人間は黙っていても天罰、くだるから。」

と言った。会長が

「いや、事情のある人もおありでしょうから。」

とたしなめていた。さすがにこの程度で二、三歳の子どもに天罰がくだることはないとは思うが、万が一そんなことになるといけないので、僕は何とか説得を試みるが、うまく説明できず「やだー」「やんなーい」と言って立ち去ろうとする。僕たちはそういう子に対して「遊んだでしょ、片付けて!」「お友だちがやってるのにやんないの!」とか言いがちだけど、そう言ったところでやるとは限らないし、言ったほうの徒労感もけっこうある。リーちゃんとルーシーで話をして、一生懸命片付けている子もいるし、天罰がくだってほしくもないので、丁寧にお話はする。ただ基本は自分で気づいて欲しいので僕たちがモデルとして子どもたちと一緒に片づける姿を見せようということになった。

 僕と隆二と渡のやり取りを聞いてリーちゃんがすでにテーブルに座っている子どもたちに声を掛けた。

「まだ、おままごとコーナー、おかたづけおわってないみたいだね。」

と言うと

「ちかちゃん、おてつだいしてあげる。」

と言って知香が席を立った。

「むーちゃんもー」

と言って麦も立ち、つられて朝美も黙って席を立ちおままごとコーナーに向かった。

「ちかちゃん、むーちゃん、あさちゃん、ありがとう。」

リーちゃんが3人に声を掛けた後、僕は隆二と渡にそれ以上は言葉を掛けず知香と麦と朝美について行った。ままごとコーナーは物と人であふれかえっていたが、3人が応援に入っててきぱき片付け始めると薫やあき、善、幸夫も動きがよくなった。僕らが地道にモデルになったから3人が動いてくれたのかどうかはわからない。でも僕らがモデルになるよりは友だちがモデルになる方がはるかに影響が大きい。こうして友だち同士が影響し合ってよりよい生活をしていってもらえればと思う。

 

 僕たち保育士か、もしかしたらおねえさん、おにいさんがモデルになっているのかもということは時折、突然姿を現すことがある。

「タマダくーん、みにかーであそぶー。」

幸夫がミニカーで遊びたいと僕にリクエストがあった。金属製の部品が細かく、たまに取れたりするので、使わないときは、お着換えが入っているのと同じピンクのプラスティックの箱に入れて、押入れにしまっていた。ブロックコーナーの絵本コーナーよりには「うわさ」を聞きつけた隆二、武士、善もいた。幸夫が言ったのだろう。

「ケンカしないであそぶんだよ。」

と僕が彼らの真ん中あたりに箱を置いたとたん、餌に群がるピラニアばりにバシャバシャと箱に手が伸びあっという間に車の囲い込みが始まった。とりあえずそれぞれの取り分は確定し、遊びが始まった。この時点ですでに争いの火種があったことに気づかないわけではなかったが、何とかうまいことやってくれるのではないか、と言う希望的観測があった。

 僕はトイレ前にいて全体の遊びを見ていた。ルーシーは絵本を子どもたちに読み、リーちゃんは製作、パズルコーナーで折り紙を折っていた。各所を注意してみていたわけではないが、かといってぼんやり見ていたわけでもない。だが「事件」が起こった時すぐには動けなかった。(あれっ)と思い少し見てしまった。

まず、目に飛び込んできたのは背中を向けた隆二が武士の顔をはたいた。ぱちんと。すぐに鬼の形相とまではいかないが小鬼の形相の武士が隆二の顔あたりをはたき返した。ここで僕はそちら方向に動いた。ただ目の前で波と康江がブロックをしていたので、急ぎつつも注意しながら寄って行った。その間、隆二と武士がつかみ合いになり、隆二が両手で武士の胸を押した。武士がそのままひっくりかえったところに幸夫がいて、武士の手か腕か幸夫の顔に当たった。幸夫は怒って手に持っていたミニカーで武士のおでこの上あたりをポカリ、武士が痛さとショックで寝転んだまま大泣きし、同時に隆二も泣き始め、幸夫は武士をにらみつけるという状態だった。こういう時、ちょっとサイズの大きい動きの鈍いおっさんは役には立たない。波と康江をよけるのに時間がかかり、すぐそこの現場に到着したときはすべてが終わっていた。絵本コーナーのルーシーも同じくらいの距離だったがルーシーはあいにく座って子どもたちに本を読んでいたんで全くスタートできなかった。

 とりあえず隆二と武士の間に入って

「たけちゃん、だいじょうぶ?」

と言って武士を起こし、泣いている武士に

「頭見せてね。」

と言って髪をかき分けて見てみると若干赤くなっている程度だった。ミニカーで叩いたけれど手で握っていたのでまともにミニカーが当たっていなかったかもしれない。内心ほっとした。

「たけちゃん、いたい?ちょっとタオルでひやすからね。ルーシー、園のハンドタオル、ぬらしてもらってもいい?」

「はーい。」

「りゅうちゃんもびっくりしたね。だいじょうぶだから。」

左手で武士を右手で隆二の背中をさすった。最初は武士は叩かれたという驚き、隆二は武士が大泣きしたという驚きがあったので二人とも大きな声で泣き始めたが徐々に泣き声は収まってきた。ルーシーが手洗い場のかごに入っている園のハンドタオルを一つ取り出して水で濡らし持って来てくれた。

「ありがとう。たけちゃん、あたまひやすからね。」

武士も隆二もまだしゃくりあげていたので先に幸夫に話をすることにした。

「ゆきちゃん、いたかったねー。どこいたかった?」

「ここ」

と幸夫は顔を右の人差指で指した。

「かお、いたかったんだ。びっくりしたよね。」

と言うと幸夫はうなずいた。

「で、たたいちゃったんだ?」

幸夫、うなずく。

「ほら、たけちゃん、みてごらん。たけちゃんもいたかったんだって。」

「どうしてだとおもう。」

「ゆきちゃんがたたいたから。」

「そうだよね。」

もう一歩、踏み込むか。いけるか。

「どうしたらいいと思う。」

「・・・」

そんなに都合よくはいかない。

「いやなことあったら、『いやだ。やめて』っておくちでいおうね。」

ミニカーでたたいたことについてはこの際不問にする。反射的に手を出したらたまたま手にミニカーがあったということだと思う。あれもこれも言うと訳が分からなくなるかもしれない。今は『いやだ』『やめて』をおくちでいうことが心に残ればよい。

 僕と幸夫のやり取りを隆二と武士は聞いていた。すっかり泣き止んでいる。

「さて、りゅうちゃん、たけちゃん。どうしたの?」

「・・・」

「・・・」

二人は答えない。

「あのねー、りゅうちゃんがつかってたミニカーをたけちゃんがとっちゃった。」

僕の後ろから声がしたので振り返ると波だった。波はいろんなことをよく教えてくれる。よく見てるなーと感心させられることがしばしばだ。

「ちがうよ、つかってなかったよ。」

武士が即座に反論。

「つかってたー」

隆二、武士をにらんで発言。

「りゅうちゃん、かえしてって、たたくまえにおくちでいわなくちゃ。」

「りゅうちゃん、いってたよ。」

波の証言。

「りゅうちゃん、ちゃんとおくちでいえたんだ。たけちゃんはなんていったの。」

「たけちゃんはいやだって。」

武士に聞いたが答えたのは波。

「いやだったんだ。」

と武士に言うと武士はうなずいた。

「どのくるま?」

と聞くと武士が持っていたオレンジ色のスポーツカーをみせた。

「これかー」

何となくもめる予感はあった。目立つし、かっこよくも見える。ちょっと見通しが甘かったと後悔した。その時ままごとコーナーにいたはずの麦が僕の横に立って

「つかいたかったんだよね。ふたりとも。かっこいいもんねー。じゃんけんしたらー、じゃんけん。」

と言った。僕も武士も隆二も幸夫も少し驚いて麦の顔を見た。麦はパンダナで赤ずきんちゃん巻きをし、白いエプロンを腰につけ、手には鍋を持っていた。近所のおばちゃんが「ちょっと、ちょっとあんたたち」と言いながら仲裁に入った風だった。最初に反応したのは別にじゃんけんに参加しなくてもいい幸夫だった。

「じゃんけんぽん。」

と幸夫がパーを出すと遅れて武士も隆二もパーを出した。今度は3人で

「じゃんけんぽん」

と言ったが出すのはばらばらだった。再び

「じゃんけんぽん」

3人で笑いながらじゃんけん遊びが始まった。麦は満足そうにままごとコーナーに戻った。それにしても麦の「つかいたかったんだよねー。」がリーちゃんルーシーの真似だというのはわかる。彼女たちは子どもたちが友だちともめたり、失敗したりすると、まずその子どもの気持ちに寄り添うように『つかいたかったよね。』『やりたかったよね』『行きたかったよね』と言うことを繰り返していた。しかし、「じゃんけん」での解決はこのクラスではまだのはずだ。じゃんけんは知っていても多分ルールはよくは知らない。ままごとコーナーに戻った麦に

「むーちゃん、じゃんけんしってるの?」

と聞くと

「じゅんちゃんが言ってた。」

5歳児の純子が言っているのを聞いたらしい。麦は18時以降の延長保育で大きい子と一緒になる。純子もいつも延長だ。面倒見のいい純子は小さい子の世話をよく焼いてくれた。大きい子と一緒に遊んでいるうちに麦は学んだのだろう。すごいなー、大したもんだなーと感心して3人組を見るとまだじゃんけんをやっていた。もはやミニカー争奪戦はうやむやのうちに終了していた。

 

 トイレには武士と義樹と千穂がいて、波がようやく出てきてパンツをはいていた。ルーシーが手洗い場でおしぼりを絞りながら絵本コーナーの友子と太郎を見ていた。自分たちで気づくことを願ってまだ声は掛けていないようだ。あれっ、例の二人組、隆二と渡はどこ行った、と思ったらかたづけが終わりそうなままごとコーナーで発見。友だちが片づけがようやく終わったという達成感を感じている中にちゃっかりと自分たちも浸っている。ちょっとはこちらの言うことも心に響いたか。ま、結果オーライとしますか。

 テーブルには準備が終わった面々が続々と座る中、達彦はうんうん言いながらアンパンマンのパズルをまだやっていた。武士がそばに来て

「ここだよ。」

と言いながら次々に指をさすものだから、ついに達彦も怒って

「たっちゃんがやる。」

と武士の手を押していた。前に座っていたリーちゃんが

「たけちゃん、たっちゃんが自分でするからね。」

と言ってたしなめるとその場を離れリーちゃんのすぐ近くの席についた。

 

ようやく、達彦もパズルを終わらせトイレに向かった。怪獣図鑑で盛り上がっていた、太郎と友子も読み終わったのか、周りの雰囲気を察したのか、しびれを切らしてルーシーが声を掛ける前にこちらにやってきた。たぶん二人の脳内はヒトからティラノザウルスに変換されている。のっしのっしと歩き、二人の両手はティラノの手にそっくりだった。じょうずだなーと感心して見とれるほどだった。薫がパンツをはき終わり幸夫が用を足していた。

善がトイレを済ませた後、またおままごとコーナーに舞い戻り、ソファに座ってまったりしていた。

「ぜんちゃん、どうしたの?」

と声を掛けてみたが反応がない。

善は最近、妹が生まれ、お兄ちゃんになった。ママが産休が明けて育休に入ったあたりに久しぶりに当園したときに、リーちゃんに言ったところでは、家ではママに甘えて、ママが大変だったらしい。赤ちゃん返りだ。「園でもわがままを言うかもしれないがよろしくお願いします。」とのことだった。春先は、いろいろなことができなくて「くつがはけない、きがえができない」と言ってはべそをかいていたが、その後はそんなこともなく割と元気に友だちと遊んでいたと思う。が、久しぶりに当園して以降、おあつまりの時や、おやつ、給食、午睡、など活動が変わるときに切り替えができず、遊び続けたり、いったん片付けたのにまたおもちゃや絵本を出して遊び始めたりしていた。

ある日のおやつ前、トイレから出てきた善は扉のほうをじっと見た後、やおら「ふりちん」姿で扉に走り寄った。

「ぜんちゃん!」

排泄の手伝いをしていたルーシーの声を振り切り、善は扉を開け、部屋を出て玄関のほうに走って行った。流しでおしぼりを絞っていた僕は

「ぜんちゃん!」

と言って部屋を出た。2歳児室の先はホール、3、4,5歳児室、そして玄関、そのわきは図書コーナーと事務室なので、さほど危険な場所もないし、大人の僕が全力で走るとやはり危ない。僕は少し急いでるぐらいの感じで歩いて善のあとを追った。善は玄関の一段下がったコンクリートには降りずに玄関の正面に立って外を見ていた。

「ぜんちゃん、どうしたの?」

善は僕のほうを見て

「あれー」

と言って外を指さした。玄関は二枚の引き戸になっていて、そのわきはガラスになっており外が見える。善の指先を見たが何もない。

「なにかあるの?」

善はもう一度

「あれー」

と言って外を指さすばかりだ。仕方ないから僕は膝立ちになって善と視線の高さを同じにして外を見てみたがやはり何も見えない。そのまま二人で外を見ていたら、事務室からモコさんが出てきて

「あらら、ぜんちゃん、おちんちんだしてどうしたの?」

と声を掛けた。僕だけではなく、善も我に返った風でモコさんのほうを見た。

「何かに呼ばれたみたいです。」

「あっ、そうなんだ。でもパンツははいたほうがいいんじゃない、ねっ、ぜんちゃん。」

そう言われた善はモコさんのほうをじっと見たあと、無言で頷いた。

「ぜんちゃん、おへや、もどろうか。」

と手を差し伸べると、善は素直に僕の手を握ってくれた。

 

その日の昼に僕たち3人で善のことについて少し話をした。

ルーシー

「今日のぜんちゃん、ちょっとびっくりしたね。」

リーちゃん

「突然、パンツもはかないで、でていったもんね。」

「玄関で外を指差してじっと見てた。」

ルーシー

「ママの声でも聞こえた?」

リーちゃん

「姿も見えたとか。」

「モコさんに声を掛けられ、少し我に返ったかも。」

ルーシー

「ぜんちゃん、切り替えもなかなかできないね。」

リーちゃん

「そうだね、大好きなママが取られるかもしれないと思って、気が気でないのかもね。」

「そんなの意識してる?」

リーちゃん

「意識しなくても無意識のうちにそう思っているでしょ。少し様子を見ながら声を掛けて言ったほうがいいのかな。」

ルーシー

「たまだくん、ぜんちゃんがボーっとしてるからって、うっかり、あーしろ、こうしろって言わないでね。今は、前みたいに言っていないから大丈夫だとは思うけど。」

「言わない、言わない。」

僕は少し、しどろもどろに答えた。子どもの主体性を尊重すると言いつつ、長年の癖がなかなか抜けない。気をつけなきゃという心の内をルーシーに見透かされていた。

リーちゃん

「クラス内での様子を見てだけど、遊びにも付き合ってあげたほうがいいかもね。」

 そんな話をした次の日、リーちゃんが善についてくれた。着替えやトイレ、さらにパズルや、レールなどの遊びにもそれとなく寄り添い、所々で声をかけたりすると、善も素直に応じることが多かった。やっぱり、どの子も局面によっては、1対1の対応が必要な時もあるんだなと思った。

 

体調の確認はしようと思って、ソファに座っている善に近づいて

「ぜんちゃん、ちょっとごめんね。」

と言いながら、おでこに手を当てたが熱はないようだった。

「おあつまり、はじまるよ。」

と声を掛けたが、やはり反応がない。ママの事でも考えているのかなと思い、いつもいつもは付き合えないことを申し訳なく思いつつ、とりあえず僕はまたトイレ前に戻った。

 

 用をたしている友子、太郎、達彦、そして善以外は席についていた。

「わたるくん、わらべうた、やる?」

リーちゃんが渡に言うと渡は嬉しそうに

「うん」

とうなずいて前に出てきた。リーちゃんが渡に振ったのには訳がある。渡はわらべ歌が好きで一人でよく歌っていたし、時折、保育士の真似をしてともだちの前で歌ったりもしていたからだ。渡が前に出るのを見ていた麦が

「むーちゃんもー」

と渡に続いて麦が出てくると、僕も私もとなり結局、渡、麦のほかに知香、朝美、武士、隆二、千穂、康江、波、薫、幸夫が前に出てきた。子どもたちはリーちゃんとテーブルの前に横一列になって並んだ。瞳はリーちゃんの前の席に座り、微動だにせず前に並ぶともだちを見、義樹は周りがみんな前に行ったので、少しびっくりしたような顔をし、あきがなぜか恥ずかしそうに身をくねらせながら座っていた。ルーシーは廊下側のテーブルの後ろに座って

「みんなでちゃったら、みるひといなくなるよ」

と言い、僕はトイレチームを見ながら(そこまで出んでも)と思い、リーちゃんもおやおやというという顔を一瞬見せるには見せたが、今さら席に着くように促したところですんなりと戻るとも思えなかったのだろう。わざと大げさに

「いっぱいだねー。」

と驚いて見せた。

「わたるくん、なにをする?」

リーちゃんが聞くと渡は少し考えて

「いちべぇさん」

と言った。

「いちべぇさん?みんな、いちべぇさんだって、できる?」

『いちべぇさん』は言葉も難しいし、ふりもある。さすがに渡だ。しかし他の面々はかなりあやしい。

「みんな、じゅんびはいい?それじゃぁ、はじめるよ。せーの」

「せっせっせ」

「いちべぇさんがいもきって」(切るしぐさ)

「にいべぇさんがにてたべて」(両手をくちもとへ)

「さんべぇさんがさけのんで」(飲むしぐさ)

「よんべぇさんがよっぱらって」(体を左右にゆらす)

このあたりから渡以外の面々は周りをきょろきょろしだした。歌も歌っているのか歌っていないのか、ふりもなんだかワンテンポ、ツーテンポ遅れている。

「ごうべぇさんがごぼほって」(両膝をたたきながら怒るしぐさ)

「ろくべぇさんはろくでなし」(肘を張り、こぶしを握る)

ところが周りキョロキョロ、ふりも歌もぐだぐだから、キョロキョロがなくなり、歌は今一つだがふりが持ち直してきた。持ち直したのは廊下側の角に座っていたルーシーが子どもたちの正面に移動し、歌いながらふりを始めたからだ。ルーシー師匠の真似ではあるが子どもたちは調子を取り戻し、楽しそうに「いちべぇさん」を続けた。

「しちべぇさんがしばられて」(両手を後ろへ)

「はちべぇさんがはちにさされて」(顔を指でつつく)

「きゅうべぇさんがくすりをぬって」(顔を手のひらでなでる)

「じゅうべぇさんがじゅうばこしょって」(荷物を担ぐしぐさ)

「あわわのあわわの、あぷっ!」

と言って頬を膨らました。にらめっこだ。前に並んでいる面々は一応に頬を膨らませた。テーブル組の瞳も頬を膨らませ受けて立ったが、義樹とあきは前の大勢の友だちの迫力に圧倒されただ見ているだけだった。トイレチームの友子と善と達彦はいちべぇさんが始まった段階で素早くパンツをはいてふりをし始めていた。さすがにおしり丸出しではなかった。

あきと義樹の口が少しあいているのを武士は見逃さず、

「あー、よっちゃん、あきちゃん、わらったー。」

武士の勢いにあきと義樹は少しドキドキしたようで、目が泳いでいるような感じだった。リーちゃんがころ合いとみたか、

「よっちゃんもあきちゃんも、すこしびっくりしたんだよね。わたるくんもさいごまでうたえたね。みんなもじょうずだったね。ありがとう。みんな、せきにすわってー。」

子どもたちは笑いながら席に戻っていく。部屋の中がさらに和やかさで包まれていく。

「ともちゃん、たろちゃん、たっちゃん、といれおわった?」

リーちゃんが近くの棚に置いてある「やまんば」を持ちながら「いちべぇさん」が終わるとまたもたもたしている3人に言った。リーちゃんの様子を見た友子が

「まってー。」

と言いながら慌ててズボンをはいてクイックイッと膝を折りながらおしりをかわしてずぼんのゴムを腰まで上げた。太郎も友子に負けじとズボンをはいた。達彦はようやくパンツをはいたところだった。

「たっちゃん、みてごらん。リーちゃん、なにもってるかわかる?やまんばだよ。

たっちゃん、やまんばみたい?」

そう尋ねると達彦はこっくりと首を縦に振った。

「ほんじゃ、がんばって、ずぼんはいてみよっか。」

と達彦に注意を促すために達彦の前に履きやすいように置いておいたズボンをもう一度敷き直した。が、そんな気遣いは無用だったようで、達彦はズボンに足を通し、立ち上がってズボンのゴムを腰まで上げて、さっさと行ってしまった。おしり敷きがそこに残されていたが、まあいいかと思って畳んで達彦のロッカーにしまった。やっとここは終わりだ。

 

さて善はどうした、と思ってままごとコーナーを振り返ると「お迎え」が来ていた。薫だ。薫は善の隣に座って、何事かささやいていた。何を言ったかはちょっと聞き取れない。何か言った後、薫は善の手を取って立ち上がった。すると善も素直に立ち上がって一緒に皆のほうへ向かって行った。二人がテーブルに向かっていくのを目で追いかけていくと別の視線とぶつかった。ルーシーだ。ルーシーもその様子を微笑みながら見ていた。ふと横を見るとリーちゃんも微笑んでいた。薫はそこまで、おせっかいを焼くタイプでもない。でも、「こんなにちっちゃい」のに友だちのことをいろいろ考えているんだなと思った。

 

全員集まったところでリーちゃんが

「さー『やまんば』の始まり始まり」

と言って子どもたちお待ちかねのお話を始めた。何せ自称「舞台女優」だ。いつの間にか髪の毛をまとめていたシュシュを外し、二の腕にかかるセミロングの髪を前側に垂らして紙芝居を読んでいる。(そりゃ、お岩でしょ)と僕なんかは思うがこどもたちにとっては、ただでさえ怖い話がますます怖くなり、それでも食い入るように見ている。声音を変え、やまんばと小僧のやり取りを演じ、子どもに恐怖心をあおりながらも、小僧の貼り付けたお札が、「まだまだ」という場面では子どもたちにも

「みんなも、『まだまだ』といってあげて!」

と呼びかけ、それに応じて子どもたちも

「まだまだ、まだまだ」

と紙芝居に参加していた。話が進み、最後の最後で和尚さんがやまんばが化けた豆粒をぽいと口にほり込むと、一応にほっとした顔をするのだが、中には別の気持ちになっているような子もいて、前にそういう子どもにどんな感想を持ったのか聞いてみたが今一つ答えることができなかった。これは全くの僕の推測だけれど、例えば「食べられてしまいやまんばがかわいそう」だとか「おなかの中に入ったやまんばはどうなったんだろう」とかいろいろな想像をしているのだろうと思う。子どもは本当にそれぞれ、いろいろなことに興味や関心を持つのだと改めて思った。

 

うちの園では3歳児になると生活空間が大きく変わる。まず3、4,5歳児の異年齢クラスになる。部屋も広くなるし、人数も多くなる。その年によって変動があるが概ね、各20人ずつ60人ほどだ。給食もホールでみんなで食べる。1テーブル6人掛けで、いろいろな年齢のお友だちと食べることになる。配膳は前方の配膳台におかずやごはん、おつゆが並べられ、給食係のお兄さんやお姉さん、保育士、栄養士に量を自ら申告してよそってもらう。それはいろいろな人とコミュニケーションをとることや、自分で量を決めたら残さず食べるという、言ったことは守るということを身につけるなどの機会を設けようというもので、これも甲園長の保育園のやり方を参考にさせてもらっていた。2歳児クラスでも10月頃から配膳台に来てもらい、多いものと普通と少ないものを並べ、子どもたちに

「どれにする?」

と聞いて、選んだものをトレイで運ぶ練習から始めていた。年が明けて、こんどは自分でどのくらい食べるのか言う練習を始めた。

「どのくらい食べる?いっぱい、ふつう、ちょっと?」

と尋ねると友子やあきは元気よく

「いっぱいください!」

と言う。彼女たちは日ごろから何でもモリモリ食べるので、あらよっ、みたいな感じで大もりでよそう。だがその他の子どもたちはあまり得意そうだないものがありそうだと、声も小さくなり

「ちょっと」

と遠慮がちに言う。少し盛り

「これぐらいたべられる?」

と聞くとまた遠慮がちに頷くが、それでも残すことはままある。まだ「もっとへらして」とか「もうちょっとはたべれる」といった加減は難しい。

うーん、どうしたもんかなと思うのは一部の子どもの

「いっぱい」「いっぱい」「いっぱい」だ。

この間も武士に

「おかずはどのぐらい?」

「いっぱい!」

「ごはんは?」

「いっぱい!」

「おつゆは?」

「いっぱい!」

「だいじょうぶ?たべられる?ほんとにだいじょうぶ?」

と僕も自分でしつこいなと思うくらい念を押すが

「うん!」

と満面の笑みで答えた。武士にとっては「いっぱい」はいいことで「ちょっと」はあんまりいいことではないようだ。食べるときもあれば食べない時もあるが、今回は武士は食べられなかった。念を押されたにもかかわらず「たべれる」と言ったものだから、そこは遠慮があるのか「のこす」と堂々と言えず、念を押した僕は避けてリーちゃんを呼んだ。

「どうしたの?」

「・・・」

となんだか小声でつぶやき

「えっ、なに?」

と聞き返すともじもじして

「たべれなーい」

と甘えた声を出した。ごはんが少しと、切干大根と、鮭のみそ焼きが少しずつ残っていた。おつゆはなくなっていた。

「さっき、たまだくんにいわれてたでしょ。たべれる?って。おうえんしてあげるから、もう少したべてみよ。」

とリーちゃん。3、4,5歳児クラスでは自分で言った量は食べるというルールがあるので、2歳児にもまずは「たべてみよう。」と伝えるがやはり無理に食べさせることもできない。まずは多い、普通、少ないの量と自分が食べられる量の相関を知ることから始めなければならない。それは配膳の時に声を掛け、量の多い少ないを確認しながらその子が申告通り食べることができればほめてあげることによって身について行くだろう。それは単に自分が食べられる量を知るだけではなく、他の人と話をしながら自分で試行錯誤して自分なりの結論を得る、そのプロセスを学ぶことにもなる。

 武はリーちゃんが

「もう少しだけたべてみよ。」

と言われ、少し身をよじらせながら、ごはんをぱくっ

「すごいねー、たけちゃん!つぎはおさかなさん。」

ぱくっ

「あとはだいこんさんだけだよ」

ぱくっ。

「すごいじゃん、おさらぴかぴかだよ。」

とリーちゃんに褒められ、胸を張って少し照れながらのどや顔をした。(なんだ、たべれんじゃん。)と思ったが、まだまだ2歳児、やさしい保育士さんに食べさせてもらい時も確かにある。

 

量の多い少ないなどを知ったり、自分の食べる量を言ったりする練習のほかに場所に慣れてもらうこともする。

 給食前、子どもたちがトイレや手を洗ったりして給食の準備をしている時に、ガラッと戸を開けたのは5歳児のお当番さんの耕一と静と良太だった。

「おむかえにきましたー。」

耕一と良太が声をそろえて元気に言った。無口な静はドキドキしているのか眼をきょろきょろさせてクラス内を見ている。

「ごくろうさまー」

とリーちゃんが応えた。

「たっちゃん、たろうくん、なみちゃん、おむかえがきたよー。」

とリーちゃんが3人に声を掛けた。毎日3.4人ずつ順番で3,4,5歳児クラスが給食を食べているホールに行くため5歳児にお迎えに来てもらっていた。この3人、準備がいつものんびりしているので結局、最後の順番になってしまっていた。今日、順番が回ってくるとわかっていたので朝のおあつまりの時に3人には、早めに準備を終わらせるように言っていた。波はともかく達彦と太郎は実際は行きたくてしょうがなかった。他の友だちが早々に準備を終え、5歳児がお迎えに来て、「いってきまーす。」と言って行ってしまうと

「たろちゃんもいきたかったー。」

「たっちゃんもいきたかったー。」

とひとしきりぐずることが常だった。

リーちゃんやルーシーが

「いきたかったよね、あしたはがんばってじゅんびしようね。」

と慰めていた。それが2,3日続き、漸く自分たちの順番が来た。リーちゃんが3人に張り付き

「ホールだよ、きょうはホールだよ。」

とささやき、つぶやき、準備が少し進めば

「できてる、できてる!」

と気分に乗せると達彦と太郎はトイレも手洗いも早々に済ませ、テーブルで待つことができた。

「やればできるじゃん。」

「すごいね、がんばったね。」

とリーちゃん、ルーシーに褒められるとどや顔になっていた。

 一方で動じることのない波は相変わらずのマイペースで、リーちゃん、ルーシーに

「なみちゃん、いそいで!」

と言われると

「わかったー。」

と元気よく返事はするものの、近づいてくる「敵」に

「ちょっと、なみちゃんのずぼん、ふまないでー。」

と威嚇したり、脳内で誰かとセッションしているのか、鼻歌を歌ったり、首を振りつつリズムを取っていた。それでもリーちゃんが多少はお手伝いをして何とか準備を終えたところに3人が入ってきた。

 ホールに付き添う僕が達彦、太郎、波の3人を5歳児の前に連れて行き

「こうちゃんはたっちゃん、りょうちゃんはたろちゃん、しずちゃんはなみちゃんをおねがいします。」

と言って一人ずつ名前を紹介しながらそれぞれの5歳児の前に順番に2歳児を割り振った。5歳児もさすがに2歳児クラスの子どもたちの名前は知らないはずだ。

「じゃ、2さいじさんのてをつないでもらってもいい?。」

そう言うと5歳児はそれぞれ2歳児の手をつないだ。

「いってきまーす。」

と僕が部屋の中に向かって言うと、テーブルの前の丸椅子に座っているルーシーと、配膳の準備をしているリーちゃんが

「はーい、いってらっしゃい。」

と笑顔で答えてくれた。そのあとから、既に準備を終えて、テーブルに座っていた、隆二や渡、武士、朝美らが

「ばいばーい。」

と言って手を振ってくれた。

 ホールに行くと5歳児担任のトムが

「たっちゃん、たろちゃん、なみちゃん、ようこそー」

と言って笑顔で出迎えてくれた。ホールのテーブルは6人掛けで普段は2歳児クラスのテーブルよりは高いテーブルを使っているが2歳児のために少し低いものを3,4,5歳児クラスで用意してくれていた。場所は配膳台の反対側の隅、慣れていない2歳児のためにあまり人の行き交いのないところにしてくれている。

2歳児3人がおしぼりをテーブルに置いて、5歳児3人連れられて給食をもらいに前方の配膳台に向かった。3,4,5歳児はまだ並んでいない。トレイをもらって量を言ってというようなやり方についてはクラスで練習済みだが、普段は慣れている僕たちが配膳している。3,4,5歳児クラスの配膳は給食当番の5歳児と職員で行う。今日の給食係はフルーツは純子、副菜は光一郎、主菜は秀美、主食は調理員のとしこさん、汁物は4歳児担任のはた坊だ。たぶん2歳児3人は知らない人から声を掛けられることになる。果たしてうまくできるか。僕は子どもたちのわきについて見ていた。オレンジをそれぞれが純子から渡された。十二分の一カットの大きさで皆同じだ。その隣の副菜に三人が進んだ。

「いっぱいですか、ちょっとですか?」

副菜担当の光一郎がおかずを入れる皿を持ってぶっきらぼうに尋ねた。配膳台に置かれたトレイの中にはほうれん草のおひたしがあった。太郎は臆することなく、しかも元気に

「ちょっと!」

続いて達彦も同様に

「ちょっと!」

野菜ものだったので「ちょっと」と言うとは思ったが、ここまで元気に臆せず言うとは思わなかった。僕らの時には「ちょっと」はもじもじしながら言うのに。そんなに「好き嫌いはだめよ」圧力を与えてたかな、と少し反省をした。意外だったのは波のほうで普段はあれだけぺらぺらと喋っているのに、もじもじし、静に

「いっぱいがいい?、ちょっとがいい?」

と尋ねられても今一つはっきりしない。もう一度静が尋ねてもどちらにもうなずくので、静もしびれをきらして

「じゃ、いっぱいのほうね。」

と決めてしまい、結局小食の波がそこそこの量の給食をもらうことになってしまった。僕も少し口をはさむかどうか迷ったが最初でもあるし、ここは子ども同士のやり取りを優先した。さすがの波も人見知りをするときがあるんだ、人は見かけによらない、先入観で物事を判断してはいかんとまた教えられた気がした。

 3人とも主菜の赤魚のみぞれ煮、ご飯をもらい、おつゆは危ないので僕がプレートで運んだ。波も最初こそもじもじしていたが、主菜を渡してくれた秀美がやさしく聞いてくれたので波もいつもの調子を取り戻し、「ちょっとー!」「いっぱーい!」と元気よく言っていた。

 2歳児クラスと3,4,5歳児クラスの一番大きな違いは待ち時間の長さだと思う。3,4,5歳児クラスは基本全員で「いただきます。」をするので一番早い人は30分ほど待たなければならない。そんなに待てるの?と思うかもしれないが、待てる子どもは早くから用意をしてお友だちと話をしながら待っているし、待つのが苦手だなと思っている子どもは少し長く遊んで、時間調整をしている。

 2歳児は慣らし段階と言うことで先に食べさせてもらっている。僕も配膳台の後ろに職員が各々持参の皿に盛り付けてもらった給食を持って、テーブルに向かった。向かう途中、いろいろな子どもたちに

「たまだくーん、ここあいてるよ。」

と教えてもらったが

「ごめーん、きょうは2さいじさんといっしょにたべるから、またこんどねー。」

とペコペコしながら向かった。子どもたちは「お客さん」に優しい。

 僕を含めて7人が席に着いたので

「じゃ、5さいじさん、おねがいします。」

と言うと5歳児3人が声をそろえて

「おててをぱちん、いただきます。」

それぞれが黙々と食べ始めた。食べ始めてからしばらくすると僕から一番遠くの左に座っていた耕一が急に大きな声で僕を呼んだ。

「たまだくーん、このこ、ほうれんそう、すててるー。」

(あーやってしもたかー。)

体調がよくなかったり、便秘気味な時に達彦がやってしまうことだった。僕ら3人が「いらないなと思ったときは、お皿の端っこに置いといてね。」と言い続け最近はそれもなくなっていたのだが、やはり環境の変化はついつい昔の癖を思い出させたようだ。

「たっちゃん、いらないときはおさらのはしっこにおいてね。いい?」

と言うと、達彦はそうだったそうだったみたいな感じで僕をじっと見て頷いた。

「ごめんね、こうちゃん。たっちゃんもおなかがいたくなったりすると、たべものをしたにおとしちゃうんだよね。したにおとさないで、おさらのはしっこにおくように、おしえてあげてね」

「わかったー。」

と、とりあえず納得した様子で耕一は言った。

 ほうれん草が苦手なのは太郎も同じでほうれん草が残っているのに気付いた良太が太郎に

「ちょっとだけたべてみる。」

と言いながらスプーンに少し入れて食べさせようとしていた。2歳児ともなれば、そんな赤ちゃんみたいなことせんでも食べられるから大丈夫だよ、と伝えるかと思ったが、太郎がまた普段は僕たちを呼んで「たべれなーい。」とか言ってなんとか逃れようとするほうれん草なんかを、嬉しそうにパクパク食べるもんだから、とりあえずは見逃すことにした。久しぶりの赤ちゃんとして扱われることを喜んでいるようだし、いつもと違ってお兄さんがやさしくしてくれるのがうれしいようだった。あーそうですか、ルーシー、リーちゃんにいいつけたる!お兄さんの時は、ほうれん草、おいしそうに食べますよって!

 波担当の静も波の世話を焼こうとしていた。好き嫌いはあまりないがとにかくゆっくり食べる波にたいして、

「ほうれんそう、だいじょうぶ?」

「さかなたべられる?」

「てつだう?」

と波にしきりに話しかけるが、波のほうは首を横にフルばかりで静も手持無沙汰のようだった。

 それにしても、と思う。耕一と静は3歳からの途中入園だった。始めて親元を離れ保育園に預けられたから、当たり前と言えば当たり前だが、耕一は入園して1,2か月は保育室内を走り回ってばかりで、壁やロッカーにドン!とぶつかっては方向を変え、また走ってはぶつかるというようなことを繰り返していた。

だから生傷が絶えず、僕らもどうしたもんかと弱っていた。散歩に行くときも友だちとではなく職員がいつも手をつないで行っていたことを思い出す。静は全くの無口で何もしゃべらず、なにをどうしたいかも言わず、話しかけられても返事もせず、話しかけた人をじっと見ている子どもだった。良太は0歳の時から園にいるようだが、僕が初めて会った3歳の時も甘えっ子で何かにつけベソをかく子どもだった。そういうことを思い出すと感慨深い。彼ら彼女らの成長ぶりを見ていると誰が決めたのかわからないが小学校に入学する年齢が6歳というのは適齢だと思える。

 2歳児の3人が、5歳児にかいがいしく世話を焼いてもらっていることは個の自立、自律を目標とすることには逆行するが、お姉さん、お兄さんがやさしくしてくれたという記憶は、人と関わるというもう一つの目標につながる。やさしくされ、心地よい気持ちになればそれをまた別の人に与えようとするだろう。

 4月から3歳児になれば4歳児5歳児のお兄さん、お姉さんと過ごし人とのかかわりが大きく広がっていく。今まで横だけだった関係が縦にも広がる。大人の数もかなり増える。いろいろな人と接しいろいろな経験をして少しでも人としての土台をしっかりしたものになるよう、僕たちはそういう願いを込めて、3,4,5歳児の異年齢クラスを組み、子どもたちと僕たち保育士を含めた大人が同じ空間で生活を共にできるようにしている。