2歳児の保育「三つ子の魂デシデシドン9」

9,保育士、2歳児に人の倫(みち)を説く

7月末

午前中、お部屋で遊んでいる時、ロッカーの前で友子と波がもめていた。

「それ、ともちゃんがつかってた!」

友子が、波が腕にぶら下げているチェック柄の手提げ袋を引っ張って言った。

「ともちゃん、ぶろっくでしょ。」

波も取られまいとして友子を押しながら言った。押された友子は手提げ袋を余計に引っ張る。小柄な波が力負けをして手提げ袋をするりと腕から取られてしまい

「なみちゃんのだよー。」

といいながらべそをかき始めた。トイレの前にいたルーシーがすぐにそばに行き友子に

「ともちゃん、ままごとのときにかばん、つかっていたけどかたづけないでそのままにしてぶろっく、つくりはじめたでしょ。ほら、なみちゃん、みてごらん。ないてるよ。」

と言ったが、友子はカバンを持って波をにらんだままだった。

「ともちゃん、ルーシーのほうをみて。」

友子はルーシーにそう言われてルーシーのほうを向いた。

「なみちゃん、ともちゃんがきっとかえしてくれるから、それまであっちであそんでよ。」

絵本コーナーにいたリーちゃんが波の手を引いて絵本コーナーのほうに行った。

「すわって。」

ルーシーは友子にその場に座るように言った。友子は素直に従った。かばんは依然として友子に握りしめられている。

「なみちゃん、ないてたよね。なんでないてたとおもう。」

ルーシーは友子に自分でしたことを理解し、自分から波にかばんを渡してもらうべく世の習い、人として守るべき道、さらには人生の何たるかをを語り始める。

 実は、ルーシーがすぐに友子に寄って行かなければ僕が現場に急行し、友子から力ずくでカバンを取り上げ、波に与えていたかもしれなかった。少なくともその衝動にはかられた。子どもが小さかった頃、上の子が下の子が使っていたおもちゃを無理に取ったように見え、問答無用で上の子からおもちゃを取り返し泣いている下の子に渡したことがあった。その時、上の子が僕に向かってきて「使っていたのはわたしだ、わたしだ」と言って泣きじゃくりながらどんどんと胸を叩かれたのを思い出した。彼女にも相応の言い分があったのだろう。僕は何も言えず、連れ合いに仲を取り持ってもらい、上の子の気持ちをおさめてもらったが、その時以来、自分では明らかに非は片方にあるように思えるときでも言い分は聞くように心がけていた。もしかしたら自分の思い込みで「罪」をでっちあげるかもしれない。しかし、悲しいかな、非が明らかだと思える時はやはり冷静になれずに、大人の強大な権力を使いたくなってしまう。

そういえば子どもに注意をしたら、泣きながら叩かれたことがこのクラスでも2度あった。一度目は康江。ままごとコーナーで遊んだものを出しっぱなしにして別のコーナーに行こうとしたので、軽く

「だしたものはかたづけてね。」

と言うと

「いやっ。」

と返答され、ここが僕の未熟なところで2歳児にカチンときて

「だってやっちゃんがだしたものでしょ。」

と言ったところ康江が「ううーん」と半泣きになりながら平手で座っている僕の肩あたりをベシッ。

「ちょっと、ちょっと、やめてくださいー、いたいですー。」

と言ったらもう一回ベシッ。

「えー、いたいですー。」

と更に言うと完全にふてくされ、不思議なことにふてくされつつ皿やコップをしまい始めた。ちょっと扱いが乱暴なので注意するかとは思ったが、半泣きの康江を見てから少し冷静になった僕は隣で一緒に片づけた。かたづけが終わった時

「きれいになったね、はじめからそうすればよかったのにね。」

とまた余計なことを言ったもんだから康江も何も言わずブロックコーナーに行ってしまった。

 二度目は瞳。お集まりの時に隣の善の身体や足に人差指でつんつんして、善が「やめて」と言っているのに止めず、リーダーのリーちゃんが

「ひーちゃん、ぜんちゃんがやめてっていってるよ。」

と前から言うとその時は止めるがすぐにまたやるので、僕は

「ひーちゃん。」

と言いながら後ろから肩をとんとんとした。瞳が振り向いたので

「ちょっとこっちにおいで。」

と言うとその声掛けには素直に応じた。トイレの前に一緒に来て

「そこにすわって。」

と瞳に言いつつぼくも正座をした。

「ぜんちゃん、いやがってたよ。どうしてあんなことするの。リーちゃんもやめてねっていってたでしょ。」

と言ったとたん瞳にベシッと胸あたりを叩かれた。叩かれて以前に康江に不用意なことを言ったことや、娘を一方的に怒ったことを思い出し、まずは瞳の言い分を聞かねばと気が付いた。

「いやなことあった?」

瞳に聞くと瞳はじっと僕のことを見るだけだった。言葉では表せない、いやなことがあったのだろう。それを無理に言葉にして聞き出そうとしても難しいかなと思った。

「いやなことがあったらたまだくんにいってね。おともだちをおしたりするとおともだちもかわいそうだからね。」

瞳はまだ僕のことを無表情で見ている。少し頷いたようにも見えたがそれは気のせいかもしれない。

「席に戻っていいよ。リーちゃんがえほんよんでるから。」

そう言うと自分の席に戻っていった。

 康江や瞳が僕を叩いた直接の理由は娘と同じで、頭ごなしに悪いと決めつけられたからだと思う。康江も瞳も僕が見た限りでは明らかに二人に非があるように見える。でも二人にはそれでも納得できないものがあったのだろう。遊んだものを片付けないとか、人が嫌がるのにちょっかいを出すとか注意されても仕方のないことだけれど、2歳児にとってそれを受け入れる以上に気持ち的に不快なものがあったのかもしれない。社会の道理をすんなり受け取るには少なくとも自分の気持ちを言葉で表せるくらいにならないと難しい。2歳児ぐらいの子どもに必要なのは、はたから見ても明らかに非がある場合でも、何かがあると思い、先入観をできるだけ排除して子どもの話を聞くことだと思う。人の行動にはすべて理由がある。それがたとえ見えづらくても、ないように見えても、確かに理由はある。それをすることで後々、子どもたちが社会の道理を、親やほかの大人や、もしかしたら友だちから受け取る回路になるような気がする。頭ごなし

に「ダメでしょ」はその回路を閉ざしてしまう。

その理由を汲んであげれればと思いつつ、わかんなかったなーとため息を心でつきながら瞳の後ろ姿を見た。もともとお集まりの時の手遊びや絵本、紙芝居が大好きな瞳はリーちゃんの読んでいる「ノンタン」の絵本を一生懸命見ている。ほんとになんだったんだろう。こういう時は切にドラえもんの道具に頼って子どもの気持ちを聞かせてもらいたくなる。

 

誕生してからたかだか、2,3年しかたっていない子どもに対して勤めて冷静であろうとするんだけれど時として感情が高まるときもある。

麦、知香、波たちがきれいに丸テーブルの上にお皿を並べ、野菜だったり、魚だったり、ケーキなどのごちそうをたくさん並べみんなで「いただきまーす」と言って食べ始めたときに波が間違って皿を一枚落としてしまった。

「ガッシャ―ン」

その音が号砲になったのかどうかはわからない。隣にいた麦がわざと皿を落とした。それからはテーブルの上にあったすべての皿を3人で次々に落としていた。

「ちょっとちょっときみたち、たべものをそまつにするのはやめてください。たまだくんもてつだうからもとにもどそうね。」

理由はある。そう思いつつもちょっと思い浮かばず、食べ物を粗末にしない、というメッセージも多分うまく伝わっていないよな。などと考えた。3人とも素直に落とした皿を元に戻しその上に食べ物をおいた。

「お皿や食べ物を落とさないでね。」

というと

「うん、わかった。」

と麦が言い

「ちかちゃん、なみちゃん、だいじょうぶ?」

と問うと

「うん」

と二人とも返事をした。

それほど時を置かずまた「ガシャーン」という音がした。いつものトイレの入り口わきのところで子どもたちの遊びを見ていた僕は音がした瞬間、感情が揺れた。

「きみたち!それはないんじゃない!?さっきたまだくんとおはなししたこと、おぼえる?おもちゃこわれちゃうよ。あそべなくなっちゃうよ。とにかくいちどかたづけて!おさらとかたべものとか、おかたづけしてください!」

麦、知香、静はほんとにどうしたのというぐらい無表情だった。逆にこっちがおかしなことを言ってるのかなというぐらいだった。三人はノロノロと片付け始めたが、ままごとコーナーでよく遊んでいるのでかたづけの要領はわかっており、徐々にスピードアップしきれいに片付けた。

「おわった?」

「うん」

麦が代表して答えた。

「おわったらそこにすわってください。」

丸テーブルに3人は座り、僕も座った。

「さて、きみたち、たまだくんはさっき、なんていいましたっけ。」

「しないでって」

と麦。

「なみちゃん、なにをしないでだっけ?」

「ガーンとやるの。」

「そうだよね。ちかちゃん、おぼえてる?」

「うん」

「きみたちがいうように、さっきたまだくんはいいました、しないでねって。なんでだっけ?」

3人ともだんまり。

「どうしてだっけ?」

「・・・」

「どうして」とか「なんで」とか、わかっているのかわかっていないか、別の言い方は何だろう。

「おもちゃ、どうなるっていったっけ?」

「こわれる」

波が言った。

「そうだよね、ガーンってしたにおとしたらこわれるかもしれないよね。こわれちゃったらきみたちどう?」

「・・・」

うーん、どうだろう、もっと具体的でないとだめかもしれない。泣くか、いやいやわざとらしい。子どもたちと喋っているうちになんとか冷静さを取り戻してきた。

「たまだくんならないちゃうなー。なんかかなしくなって。きみたちもかなしくない?おもちゃがこわれたら。」

「・・・」

「むぎちゃん、どう?」

「かなしい」

あー言わしてしまった、ちょっと誘導尋問ぽかったな。

「ほかのおともだちもかなしむとおもうなー。これ、みんなのだからね。」

「ていねいに」、むずかしい、「たいせつに」、まだまだ、「やさしく」、このへんか

「やさしく、つかうんだよ。」

一応神妙に、三人は頷いた。

「でもどうしてまたテーブルのうえのものぜんぶおとしたの?」

「うーん、わかんない。」

と麦。知香は下を向いて黙ってる。説明の上手な波も黙っていた。

「とにかくこのあそびはやめてね。おもちゃがこわれたら、みんながかなしくなるからね。」

何とかこどもたちが忘れないように同じ文句を繰り返した。

さて、なんでなのか。

 

「あのテーブルガッシャ―ン、なんでだと思う?」

昼休みにほかの二人に聞いてみた。

「やっぱり、一瞬にして物がなくなるのが気持ちよかったんじゃないの。」

ルーシー。

「音も結構刺激になっていると思うよ。」

リーちゃん。

テーブルのうえから一瞬で音を立てて物がなくなるのが快感だったのか。昔、映画の中でセーラー服姿のアイドルがマシンガンをぶっ放して「かいかーん!」と言うシーンがあった。学生だったぼくたちはそのシーンに喜んだものだけど、テーブルからおもちゃガッシャ―ン、かいかーん!はとても認める気にはならない。「ガッシャーン、かいかーん」が仮に必要だとしてどんな環境を用意すればよいんだろうか。

「視覚と聴覚両方かー。それは手ごわいな。やめさせる方法ある?」

「別の環境でしょ?積み木を高く積み上げるゲーム。いずれ倒れる。」

ルーシー。

「でもうちのクラスの積み木は昔ながらの積み木だから崩れたときに危ないかも。大きいクラスにある『カプラ』なら危なくないけど。」

リーちゃん。

「紙吹雪とかテーブルにいっぱい置いて一瞬でゴミ箱に入れる。」

「音ないし、一瞬で入れられるかあやしいし、ゴミだらけになる確率のほうが大きい。」

リーちゃんの突っ込み。

そこに主任のモコさんが入り口の扉を開けて入ってきた。

「急でごめん、今日2時から園庭整備やるから出れる人、出て。」

「モコさん、ちょっといいですか。」

と呼び止め、今日あったことを話し、

「なんかいい方法ないですか?」

と聞くと

「欲求不満なんでしょ、走らしたら、たくさん。そしたら発散するよ。じゃ、2時ね。お願いします。」

と言って出ていった。

「モコさん。この間も同じこと言ってなかった。」

とルーシーが声を潜めて言った。

「言った。3,4人なかなか寝ない子どもがいるんですけどどうしたらいいですか。って聞いたら園庭10週ぐらい走ったら寝んじゃない。って。」

リーちゃんがそれに答えた。さすがモコさん、バリバリの体育会系。

「走らせるのはともかく、体を動かすことぐらいしかおもいつかないね。」

諦め口調でルーシーが言った。これについては妙案は見つからなったが、幸いなことに彼女たちがガッシャ―ンとすることはなかった。別の「カイカーン!」をどこかで見つけたのかもしれない。ただ、その後、太郎、達彦、善の3人がせっかく完成させたパズルを2度、派手にぶちまけた。一度目はもう一回するためにひっくり返したのがちょっと派手になったのかと思ったが、2度目は明らかに派手にぶちまけたようだった。

「やさしくだよ。」

と声を掛けたら、その後はしなくなったのだが、派手な動きが楽しくなるのか、無意識の不安、不満、不安定がこうした動きになるのか。そうであれば僕もわからなくではない・・・。

 

ルーシーと友子の話はまだ続いていた。時折「どう思う?」とか「どうしたかったの?」という声が聞こえた。僕も子どもによくやったんだけれど子どもに「どうしてそんなことをするの?」と頭ごなしに叱り、「妹が泣いているでしょ。」と倫理的に攻め、「もうしないんだよ、わかった!」と確約を迫り、「はい」というまでねちねちと「わかった!」を繰り返し、なんとか「はい」と言わせ、とどめに「ごめんねは!」と強引に謝らせる。一件落着、フーとため息なんかついたくらいにして。一方で子どものほうは怒涛のような自分を非難する言葉の嵐に「そこまでいわなくても」的な納得のいかない不快感みたいんものを残していただろう。ルーシーは昔の僕と違って決着を急ぐことはなかった。保育中、子どもたちにどうしても話をしなければならないときはある。子どもの言い分もよく聞く必要もある。それには保育士にも時間的、精神的余裕がなければならない。僕たちは保育士一人が子どもに話をしなければならないときは他の二人が他の子どもたちをしっかり見ようということを事前に決めていた。自由遊びの時などは立ち位置を換えたり、少し子どもを集めて集団遊びを始めたりするようにしていた。僕はままごとコーナーからトイレのわきに立って全体を見ていた。すぐわきでルーシーが話しているのが聞こえる。リーちゃんも制作コーナーから離れ僕の対角線上の手洗い場付近に立った。

「ともちゃんがつかってた。」

相変わらず友子はこれ一点張りだ。

「そうなんだ、つかってたんだよね。でもなみちゃんもつかいたかったんだとおもうよ。ともちゃんはなんでこのかばんがすきなの」

「かわいいから」

「あかいから?それともお花がかわいいから?」

「おはな」

友子がもっていて離そうとしないカバンは赤系統のチェック柄で手縫いのチューリップのアップリケがついていた。今時こんな、という感じの古めかしい手提げかばんだ。誰かのおさがりだろうけど確かに温かみがある。

「そう、ルーシーも好きだな、このおはな。きっとなみちゃんもすきだとおもうな。なみちゃんにかしてくれたら、なみちゃん、よろこぶとおもうな。」

友子はそのかばんを手放してブロックコーナーに行ったわけではなく、また戻って使うつもりだったのだろう。そう思っている子どもにこれは保育園のものでみんなで使うんだ、ということを言ってもまだ理解できないかもしれない。ルールって何?という感じだろうか。だが今、他の子どもたちや、大人が困っているのであればそのことは伝えなくてはならない。たしなめ、さとし,道理を伝えなければならない。その子の言い分も聞きながらこちらの言い分も丁寧に話すことが大切だ。言葉の表現にも理解にも未成熟な子どもの気持ちを、保育士が言葉にしてあげることで、その子の気持ちも整理され、普段、ともに生活している保育士や友だちがそう言うならと、納得することがあるかもしれない。保育士は結論を急がずいろいろな話をお互いしながら「お友だちが使っているおもちゃを強引に取らない」ということが理解できるように、ゆるゆるとやっていくほかない。いずれにしろ目指すべきはいろいろな局面で、自分と他人との折り合いを会話を通じてつけていく、その土台をつくることなので無理をして形ばかりの解決を目指すことは必ずしも必要ではない。ただ本人が謝ります、返しますと自分から言う分にはそれはそれで、いっぱいほめてあげればよいと思うし「ごめんね」「いいよ」の決まり文句も子ども同士が自ら折り合いをつける分には役に立つこともある。

 

などと今でこそ言っているが僕の子どもたちは僕に対して「あんたがそれを言う?」と思っているに違いない。仰る通り子どもたちが小さい頃は結構怒る父親だった。

上の娘が3歳、下の娘が1歳の誕生日前だったと思う。姉の遊びや食べ物、姉そのものに興味のある妹がハイハイで姉のところにいつも近寄っていた。ある日、姉が人形を並べておかあさんごっこをしているところに妹がハイハイでやってきて、人形を手に取ろうとした。姉は妹を両足を引っ張って遠ざける。妹はまた近づく。人形に手を出す。姉怒って妹の頭をはたく。妹泣く。

「はたかないよ」

しばらくすると妹も泣き止みまた近づいて座って人形に手を出す。姉、こかす。妹ごろんとあおむけになりしばらく天井を見てる。

「こかしたらあぶないよ!」

妹、起き上がりまた人形に手を出す。姉、またこかす。妹、近くにあったラジオの角で頭をぶつける。妹、号泣!

「やめろといったでしょ!」

「わたしじゃない!」

「おまえだろ!」

と言って姉の頭をぽかりとはたいた。当然姉も号泣、その場は修羅場と化し、妹を抱っこして泣き止まさせ、姉のほうは子どもが泣くのを聞きつけ台所から

「どうしたの?」

と心配して部屋に入ってきた連れ合いに託すしかなかった。

 今から考えれば一人遊びを十分に楽しみたい姉にはその空間を作ってあげるべきだし、妹には別に興味のひきそうなおもちゃをあげるべきだったし、僕が二人をほっておいて本なんか読まず一緒に遊んでもよかったと思う。姉も「わたしじゃない」と言ったのは「わたしが悪いんじゃない」と言いたかったのかもしれず、「やったのはわたしじゃない」と一方的に僕が思い込んでしまったのかもしれない。さぞかし大人の理不尽さに納得できなかったことだろう。これだけにとどまらず、両肘をついてごはんを食べている妹に「そのたべ方は何だと」口元にあったごはん茶碗を押したら歯に当たったとか、一番下の弟が道路で調子に乗ってスピードを出して自転車に乗っているときに危うく車とぶつかりかけ、「気をつけろ」と自転車を蹴りながら怒鳴ったり、極めつけは会社でミスをして叱責を受け帰宅し、寝るときに子どもたちが何回言ってもふざけて寝ようとしなかったので怒りを爆発させ、二段ベッドの柵をこわしたことがあった。完全な八つ当たりである。子どもたちには怖い思いをさせた。今から思い返すとそこまでしなくてもよかったのにと本当に申し訳ない気持ちになる。他の親もおそらく過去の失敗を悔いている人は多くいると思う。時がたてば忘れる、なんてことはない。年を取ればとるほど事情なんか忘れて、したことしか覚えていない。「加害者」ですらこんなんだ。ましてや被害を受けたものの心情たるや想像を超えてしまう。考えただけでも申し訳なさでいっぱいになる。

 いいわけがましいがあの頃は僕も30歳前でとりあえず就職はしたがこのままこの仕事で行くかどうか、迷いや不安、そして30歳近くで子どもが3人いるのに何も決まっていない焦りみたいなものがあった。それが時として子どもたちに向かってしまった。僕の親はどちらかと言うと温厚で暴力的な対応はほとんどされた覚えはない。そんな僕さえ子どもに対して時には暴力的に対応してしまうことがあった。虐待は連鎖するという。大人のケアも必要な時もあるだろう。大人も大人自身の育ちや今の生活状況が大変な人も多いように感じる。

 

 僕自身は子どもたちが通っていた保育所の保育士さんや保護者のみなさんに助けてもらったという思いはすごく強い。子どもが通っていた保育園は子どもが20人ぐらい、保育士5人の小さな保育所だった。保育所があまりない中で保育士と保護者が共同して、自分たちで納得のいく保育をしたい、やろうということで立ち上げた、いわゆる無認可園とか認可外園とか言われるものだ。認可園は国が定めた基準をクリアした園を言う。今働いている園は認可園だ。この園のように普通の家でこじんまりと運営する園に、建物の事や園庭などの条件をクリアして認可を得るハードルは高い。だが主体的に運営している分、個性的で魅力的だ。保護者も保育所の行事や諸々のこと、さらには自分の子どもに限らず保育所の全ての子どもたちを気にかけ、みんなで作り上げていく。異年齢保育、園外保育中心、無農薬野菜などを使った手作り給食、モットーは人にやさしく環境にやさしく。大人も子どもも保育士も保護者も園児もごちゃごちゃいる中でそれぞれが居心地の良い場所を作っていこうという考えだった。みんなが上下のない関係であることを表現するために、お互いを、呼んで欲しい名前やニックネームで呼び合っていた。実はうちの園も設立者がそういうコンセプトでニックネームなどにしたと聞いている。

僕は第1子が生まれて、お世話になり始めたのが、まだ20代前半の若輩者だった。そんな僕を保育士さんや保護者の皆さんが励ましてくれたり、ぼやきを聞いてくれたりした。言葉を覚えたての2歳児に僕ら保育士がするように、子育てや将来に対する不安についての言葉を僕に与え、考える方向を示してくれた。2歳児クラスのママやパパに対して、僕もその人たちのような保育士や保護者の先輩でありたいと思っている。今でもその人たちとはお付き合いがある。子育てを共にした人とは、一生のお付き合いになることはよく聞く話だ。

 

子育て家庭が地域から孤立する傾向が強いと言われる中、保育園の果たす役割は大きい。在園児の子どものケアはもちろん保護者へのケアをし得る存在だと思う。「地域で最も身近な福祉施設」と言われる所以である。今でもいくつかの保育園は子育て支援センターとして活動しているが、どちらかというと来園してもらうことが前提だ。児童相談所の忙しさを考えれば各保育園に人と予算を投入し、地域の子育て員として積極的に地域に出ていくアウトリーチ型の支援を行えればよいのだが。何とかして不幸な虐待の連鎖をみんなで知恵を絞って止めて行ければいいのにと思う。

 

そうとは言えクラスの子どもたちを前にして言うことを聞いてくれないとついつい悪い癖が出る。

この間も、午睡の時に武士をリーちゃんがとんとんしていたんだけれどあまりに寝なくて、

「寝なくていいから、ごろごろしててね。」

と言って事務仕事をするために離れた。その直後から、布団をばさばさやったり、独り言を言ったり。僕が何回か

「たけちゃん、みんなねてるから、しずかにしてね。」

と言ってもできず、相変わらず布団ばさばさ、ひとりごとぼそぼそだったので

「ねないひとは、おおきいクラスにいってください。」

と言った。武士はしばらく静かにしていたが、また同じようにばさばさ、ぼそぼそし始め、あろうことかうろうろし始めた。

「たけちゃん、たまだくん、さっきいったよ。どうしてあるいてるの。」

と言いながら近づき、

「ちょっとおいで」

と言って部屋の外に出た。

「いまは、なんのじかん?」

「おひるね」

「どうしたらいいとおもう?」

「ごろごろしてる」

「そうだよね。おともだち、ねてるからね。しずかにしてください。できないひとはおおきいこのへやにいってください。それともちいさいこのへやいく?」

僕は『ついつい』言ってしまった。

「いやだ。」

武士は少し半泣きで僕に言った。

「じゃ、しずかにねてください。できる?だいじょうぶ?」

武士はうなずいた。扉を開き武士を中に入れ、続いてはいろうとしたら

「たまだ君」

後ろからモコさんに呼び止められた。

「ちょっとさ、眠れない子もいると思うよ。体力ついてさ。だからちょっと離れたところで本を預けるとかしてさ、無理に寝させなくてもいいんじゃない。ちょっと聞こえたんだけど、あんまり脅すのもどうかな。」

自分も気にはしていたので『脅す』と言う言葉はストレートに心に刺さった。大阪のおばちゃん的な性格のモコさんだけど、普段、言葉には気を付けている。そのモコさんが放った言葉なので余計に効いた。

「そうですね。」

モコさんの視線を避けうつむきながら僕は応えた。

「たまだ君」

モコさんに呼びかけられたので視線をあげた。モコさんは左手で右の二の腕をポンポンと叩いて0,1歳児室のほうに行った。

(腕で何とかしろと言ってもなー。)

と思いながらクラスに入った。絵本コーナーで事務作業をしていたルーシーに

「モコさん、なんて?」

と聞かれたので、僕は座りながら

「体力ついて眠れない子もいるから無理に寝せなくてもいいって。あと脅すなって言われた。」

「あー。」

ルーシーは少し声をあげた。

「でもそうなっちゃうときはあるよね。『おやつないよー』とか『あかちゃんクラスいってください』とか『ふとんもらいますよー』とか。」

リーちゃんがそう言うと、ルーシーも

「『おににたべられる』とか『ようかいにさらわれる』とか。そんなに落ち込まないで。ぐっとコーヒーでも飲んで。」

(酒と違うんだから)と思いながら、冷えたコーヒーをすすった。ヘマをしたときにやさしい娘たちが口々に慰めてくれる。彼女たちのおかげで何とか大失敗せずにやっていける。子育て中に怒りっぽかった僕がまだまだとはいえ多少はおとなしくなったのはリーちゃんやルーシー、モコさんをはじめ保育士さんが子どもたちに優しく接している姿を見ているからであり、それにこたえている子どもたちの姿があるからだ。更に僕の場合は年を取ったせいもあると思う。多少は温厚になったような気もするし、年を取ることは悪いことばかりではない。少しばかり長く生きれば、素敵な保育士さんなどいろいろな人と巡り合う機会にも恵まれる。肉は腐りかけがおいしいというし、ドライフラワーは生花とはまた違う趣がある。

 

保育士がついつい子どもを脅してしまうことについては個人の資質だけではない問題もあると思う。例えば3歳児は15人に1人の保育士にすれば補助はされるが、基本的には20人の子どもを1人の保育士が見なければならないし、4,5歳児は30人に1人だ。個性あふれる子どもたち多数を一人で見ることは大変なことだ。ましてや保護者の要望もあって「安全」ということが大事にされている現在の保育状況でそりゃ大声もでますよ、怒りもしますよ。更に大きい子だけではない。保育士の数と子どもの数のミスマッチが一番大きいのが1歳児と言われている。実際、自治体の裁量で国基準で6人に1人のところを5人に1人とか、4人に1人にしているところもあるぐらいだ。子どもたちに年齢に応じた十分な活動を保証するためには保育士の精神的、肉体的余裕が必要であると思う。それがどのような人数なのかよく考えてもらいたい。かつてこの基準が決まったときに「子守なんぞはだれでもできる、子どもでもできる」みたいな考えがあったのではないか。それが人数だけではなく給与水準にも関係しているのではないか。過酷な労働条件の中、保育士の多くはそれでも何とか笑顔で明るく子どもたちに接したいと努力を続けている。僕自身、自分の子育ては連れ合いにおんぶにだっこの昭和のおっさんだがここはあえて反省も込めて、リーちゃん、ルーシーやその他の保育士のみんなに成り代わり、諸々の基準を決めている人たちに物申す。

「やれるもんならやってみろ!」

 

ルーシーと友子に気を掛けながら子どもたちの遊びを見ていたら絵本コーナーのテーブルに千穂が立つのが見えた。

「たまだくーん、みてー」

満面の笑みを浮かべている。

「あー、ちほちゃん」

すごいねーとはさすがに言えない。

「ちほちゃん、そこはみんなでごほんをよむところだからおりてー。えんていであそぶときに、タイヤでおやまつくってあげるからそこをのぼるところをみせてもらうから。」

 千穂は高いところが好きなのか、とふと思ったりもした。僕に結構抱っこをせがんでくる。両手をあげて、ジャンプしながら「だっこー。」というところがかわいらしくて膝、腰に爆弾を抱えていることを忘れてつい抱っこをしてしまうのだが抱っこした後さらに肩に登ろうとする。

「ちほちゃん、かたはあぶないからだっこまでにしておいて。」

ということがしばしばだった。

2歳児は体を動かすことも大好きというか、だんだん動かせるようになり、体を動かしたい盛りではある。だから高いところを登ったところを「ドヤ顔」で見せたくてしょうがない。常に動きたくてしょうがないから部屋の中でも走り回ったり登ったりしたがる。そのたびに声を掛けられることもしばしばだ。ほんとは運動できるスペースを作ってあげればよいのだけれど、いかんせん部屋が狭く2歳児がダイナミックに動けるほどのスペースは作れない。室内の活動などで運動する機会を持つ、廊下とかホールとかに運動コーナーを作るなどリーちゃん、ルーシーと話はしているがいまだ実現には至っていない。

しょうがないという風情でテーブルを降り千穂はパズルコーナーに向かった。パズルができたらまた「たまだくーん、みてー」と呼ばれるとは思う。

 

 立ちっぱなしで少し腰が痛くなったので制作、パズルコーナーの椅子を一つ拝借してその場に座った。ほどなく朝美がやってきて膝の上に黙って乗っかった。

「あさちゃん、なにしてあそんでいるの?」

「うーん、わかんない。」

何して遊ぶか、周りの様子を見ながら考えているようなのでそれ以上声を掛けずにいたら

「おままごとしよ。」

と言って立ち去った。次にやってきたのは知香で、持っていたカバンの中からバンダナを取り出し僕の頭にバンダナをかぶせ、そのあと知香は

「たまだくん、ちかのことすき?」

と聞いてきた。突然そんなことを聞かれると小なりとも女子だからか、少しどぎまぎして

「う、うん」

と答えるのが精いっぱいだったが知香は曖昧な答えを許さなかった。

「すき?」

もう一度尋ねた。今度は多少、落ち着きを取り戻していた。

「すきだよ。」

と言うと、嬉しそうににっこり笑った。

(まっ、あたりまえよね)という表情にも見えた。そのくせ知香はいっぱい持ってるからいいや、という感じで、僕があげたはずの「好き」という言葉を彼女が受け取ったように見えなかった。自分で言った「すき」という言葉にくっついていた「恥ずかしい」という余韻がそこらへんに漂い、言った僕が恥ずかしくなり、再びどぎまぎした。そもそも昭和のおっさんが、「好き」という言葉をあまり公然と人前で言わない。と思う。僕は連れ合いにも言ったことはないし(自慢にはならないけれど)、自分の子どもにも記憶にない。さらに言えば若かりし頃の告白で言ったこともない。そのことで一つ思い出した。

 これは僕の高校時代の友だちの山田君の話なのだが、彼は陽気で世話好き、女子とも仲がいいということで、よく別の友だちの好きな女の子に気持ちを聞いてくれと頼まれることが多かった。山田君も気軽に引き受け、当の女の子に「○○の事、どう思ってるの?すき?」と直接聞いてもなかなか教えてくれないらしい。そこで一計を案じ、ラジオでやっていたエピソードを真似して「好きだったら、人参、そうでもなかったらなすび、いやだったらかぼちゃって言って。」と頼むとたいていはすんなりと人参とかなすびとか言ってくれたという。山田君が言うには

「女子には人前で『好き』と自分から言うことはおろか、『好き』と聞かれて答えることすらハードルは高い。」

ということだった。僕らの若い頃は男女を問わずそうなのだ。

先日、外部講師を招いての園内研修をホールで行った。コミュニケーションについての研修だったが、講師がお手本をしてもらうというので主任のモコさんを指名した。講師がモコさんにもう一人相方を選んでくださいと言ったら、モコさんは僕を指名した。若い人に比べれば何でもやるだろうという判断だとは思う。無難な人選だと僕も思う。講師が

「それでは男の先生、お名前は?あ、玉田先生?玉田先生、主任さんを1分間ほめて最後に『大好き』と言ってあげてください。」

と言われ、その段階で軽いパニックに陥り、モコさんのことは日ごろから個性的で素晴らしいなとは思っているが具体的な言葉にすると

「竹を割ったような、さっぱりしている、運動部系、段取り上手で腕のいい職人みたい、短い髪がボーイッシュで素敵、女性なのに男前」

と言っているうちにモコさんの表情もうっすら笑っている程度でほめられている割には芳しくない。

「えーっと、えーっと、車がかっこいい、ズボン姿がかっこいい。」

なんだか本人をほめているのか物をほめているのかわからん状態になり、講師が

「はい、時間です。じゃー締めの言葉を。」

と言われ、最大の難関が襲ってきた。モコさんはさぁ来いと言わんばかりにニヤニヤしながらこっちを見ている。モコさんとは実際は2メートルほど離れているのだが、モコさんの圧力がすごくて、すぐそばにいるような感じがした。だから僕はそっと、品よく

「だいすきです。」

と言ったのだが、照れた分、さらに小さな声になった。モコさんはすぐに

「よく聞こえないな。もう一回言ってみて。」

とやはりニヤニヤしながら言った。

僕はしょうがないと思い少し声を張った。少しだ。ところがモコさんは

「あっ、やけになった。相手の自己肯定感を高めなくちゃなんないのに。」

と、冗談めかして言った。そのあとは講師が間に入ってくれて

「ありがとうございます、主任さんと玉田先生に拍手!」

で事は終わった。

そんな、何でもかんでも直接的な表現をしなくちゃならないのかね。秘めたる思いとか、淡い気持ちとか、はかない想いとか現代ではどこかに行ったらしい。

 この間も休憩室でトッキーが嬉しそうに

「私、この間、前に合コンした相手にこくられたんですー。」

と報告を受けた。何もこんなおっさんに言わなくてもいいのにと思いつつ

「よかったじゃん。なんて言われたの?」

と聞くと

「付き合ってほしいって。でもなんか物足りなくて、『なんで?』って聞いちゃった。」

「えっ。それ以上に何を望の?」

「たしかなもの。」

「なにそれ。彼はなんて言ったの。」

「何も言わないから、『なんでなのかはっきり言って』って言ったら。」

「『好きだから』って言ってくれました。」

彼氏が気の毒なような、彼氏も納得しているのかもしれないような、これも時代ですかね。おふたりさん、お幸せに!

 

知香はせっかくあげた「すき」という言葉を置き去りにして行ってしまった。(お地蔵さん?)と思いつつバンダナはそのままにしていた。近くのブロックコーナーにいた善がブロックで作った飛行機と思しき物体を「ブーン」と言いながら近づいてきた。

「たまだくーん、あのさ、えっとさ、うんとさ、あれ、なんだっけ?あれ?」

言葉を覚えたての2、3歳児にはありがちなことだった。自分の思いと言葉が直接結びつかないもどかしさ。思い出したら言ってください。

「ぜんくん、なにつくったの?」

とこちらから聞いたら

「しんかんせん。」

と元気に答えた。(しんかんせん?とんどったやないかい!)と思いつつも新幹線が飛んで何が悪いと思いなおし、常識にとらわれすぎる自分を少し恥じた。 背中に気配を感じると康江が立っていた。

「これなーに?」

と頭に載っているバンダナをつまんで康江が僕に聞いた。

「ちかちゃんがのっけていった。なんだろうね。」

「ふーん。」

そういった後、何となく僕の肩に手をかけて善と武士のブロック遊びを眺めていた。やがて自分でも何か作りたくなったのか善と武士の隣に座ってブロックで何かを作り始めた。

 善が何か思い出したのかその場から立ち上がって

「たまだくーん、あのやつのこのやつ、どこ?」

「えっ、あのやつの、このやつ?なに?」

「いいや」

と言って、また座って、ブロックで遊び始めた。2歳児のことばのなぞ解きは難しい。

今はルーシーは取り込み中なので子どもたちは近づかないが、リーちゃんのところにも時折子どもたちは立ち寄っている。ちょっとした気分転換でもあるだろうし、なんとなく不安になった時のより所かもしれないし、楽しい気分を共有したいのかもしれない。いずれにしろ子どもたちが主体的に生活する中で僕たちはちょっとしたオアシスのような存在であればよいと思う。ちょっとした喜怒哀楽を少し発してまた生活に戻っていくような、そんな感じで子どもたちを見守る。

 

 ルーシーと友子の話はまだ続いていた。なかなか納得しない友子にルーシーも少し熱を帯びてきている。僕は二人から視線を離した瞬間、少し例の香りを感じた。キョロキョロと室内を見回すがそれらしい子どもはいない。リーちゃんと目が合った。リーちゃんも感じたらしい。

(だれだろ。)

リーちゃんの目がそう言った。

僕は首を横に振った。

(わからない。)

突然だけど穏やかにリーちゃんが言った。

「だれかおトイレにいきたいなーとおもっているひといませんかー。」

すると手を挙げた子どもがいた。顔をまっすぐにルーシーのほうに向け右手をぴんと伸ばして手をあげている友子の姿が目に入った。

「えっ、おといれ!?」

ルーシーが少し驚いて聞くと友子は手を挙げたまま頷いた。

「ごめんねー、気づかなくて、いく?」

行きたいので手を挙げたのだから、再度聞くのは愚問だけれど、ルーシーもかなり慌てていたから仕方がない。

「いくー。」

と言いながら友子は立ち上がりルーシーと一緒にトイレに向かった。

 突然ではあるがルーシーと友子の話し合いは終わった。概ね「道理に合わないことをした」時の保育士さんの話は長い。ルーシーもここで話さねばいつ話すぐらいの熱量で話をしていた。後半はもしかしたら友子はおトイレに行きたくて話半分になっていたかもしれないが、その情熱はおそらく伝わっていると思う。たぶん尿意や便意を感じるたびにルーシーの真剣な顔を思い出す。ルーシーにとってはありがたくないかもしれないけど。友子にあれほどしっかり握りしめられていたチューリップのアップリケのついた赤系統のチェック柄の手提げカバンは床におきっぱになっている。片付けようと思って拾い上げると中になにか入っている。おもちゃのお芋さんだ。友子の大好きなサツマイモ。確証はない。確証はないけれど友子の執着はアップリケより赤いカバンよりむしろこっちだったんじゃないかとちょっと思った。

 友子は意外に早くトイレから出てきて新しいパンツをはいている。新しいパンツ?トイレの前ではルーシーが拭き掃除をしている。

「どうしたの?」

と聞くと

「ともちゃん、もうでちゃってたみたいで、パンツ下げたときにポロンとうんちが床に少し転がっちゃった。」

とルーシーは床を見ながら言った後、少しため息をついたように見えた。何か声を掛けたほうがいいかなと思いつつ、子どものほうに目線をやるとその友子がさっきルーシーと話をしていた付近できょろきょろしている。

何となく察して

「ともちゃん、かばん?」

と聞くと

「うん。」

とあたりを見ながら答えた。

「おかたづけしたよ。」

と言うと、友子はままごとコーナーに行き、箱に入っているカバンを見つけて小走りに走って、それを絵本コーナーにいる波に持って行った。

一心に消毒しているルーシーに

「ルーシー」

と呼びかけると

「なに」

と顔をあげたルーシーの顔がどんよりとしていた。やはりおもらしさせてしまったことを悔いている。

「絵本コーナー、見てみ。」

友子が差し出しているカバンを波がじっと見ている。たぶん波はカバンに対する興味をなくしているのだろう。何をいまさら、と言うことでもあるのだろう。それをリーちゃんがとりなしていた。

「かしてくれるの、ありがとう。」

とリーちゃんが言った。

ルーシーのほうを見るとルーシーも僕のほうを見て

「わかればいいのよ。」

と明らかにルンルン調で言ったあと、ランラン調で消毒作業を再開した。