2歳児の保育「三つ子の魂デシデシドン15」

15,三つ子の魂いつまでも

2月下旬

「たまだくん!リレーするから、わっかください!」

麦と太郎が3,4,5歳児前のテラスの物干しざおに引っかかっている直径20センチほどのわっかを取りに来た。

「なにいろにする?」

赤、白、青、茶、黄の五つがあった。

「むーちゃん、あお!」

「たろちゃん、あか!」

僕は物干しざおから青と赤のわっかを取って、それぞれに渡しながら

「たろちゃん、はしったらおともだちにわたすんだよ。」

と言ったら太郎は

「わかったー。」

と答えた。

 

きんもくせいの香りがそこかしこでにおいたつ秋ごろ、その香りに誘われて運動会ごっこをしようということになり、リレーを子どもたちとやることにした。コースはやかんに水を汲んで、園庭に1周50メートルぐらいの楕円形を描いた。いざ始めてみると、太郎と義樹が渡されたわっかのバトンをお友だちに渡さずグルぐるぐると走ってリレーにならなかった。もう一度やると達彦も同じこと真似した。リーちゃん、ルーシーが噛んで含めるように説明したが3度目も同じことをを繰り返すのでこりゃだめだということで太郎と義樹をアンカーに、とりあえず達彦を太郎の前にした。案の定、達彦は太郎に渡さず、太郎は怒って達彦を追いかけ、義樹も加えぐるぐる園庭を回り始めた。他の子どもたちは、そんなの見ていてもつまらないのでどこかに行ってしまったが、義樹と達彦は満面の笑みを浮かべてぐるぐる回っていた。ただ太郎は途中で座り込んでべそをかき、リーちゃんが別のわっかを渡してあげると、さっきまで泣いていた子がもう笑っている状態でいつまでもぐるぐるぐるぐる回っていた。

 

 0,1歳児クラスの前のベンチには太郎と麦のほかに達彦、瞳、朝美、薫、康江、あきがいた。リーちゃんが例によってやかんで線を引き、その様子を子どもたちはうきうきしたような姿で見ていた。線をひき終わると、リーちゃんは子どもたちを適当に2つに分けた。

「一番目はむーちゃんとあさちゃんね。他の人は並んで待っててね。じゃ、はじめるよ。むーちゃん、あさちゃんいい?いちについて」

麦と朝美がいっちょ前に腕を前後にして構えている。

「よーい、どん!」

二人が一斉に走り始めた。コースがコースなので麦が思いっきり線の内側に入ったり、次は朝美が入ったり、抜きつ抜かれつの大接戦で麦は薫に、朝美は康江にバトンを渡した。二人とも前走者を真正面に向かって待ち、バトンを両手で受け取り、走り始めた。皆3歳になっているのだが、わずか3年でそこそこ走れるようになる。生まれたての馬が立ち上がることに比べれば、のんびりはしているけれど、それでも子どもの成長はすごいなと思える場面だ。薫と康江が戻ってきて渡したのは太郎と達彦だ。リーちゃんは以前のような配慮はしていないようだ。二人も前みたいに笑いながら走ってはいない。真剣だ。さて今日はちゃんとバトンを渡してくれるか。瞳もあきも両手をあげている。太郎は瞳に、達彦はあきにしっかりとわっかを渡していた。さすがにいつまでも「こども」じゃありません。逆に瞳とあきはにっこにっこしながら走りゴールを駆け抜けていった。

 

2歳児ともなると何となく遊びを通して仲の良いというか、いつも遊ぶ子ができてくる。はじめはそれぞれが隣で同じことをしているだけだったりただ走っているだけだったりしていたのが、お互い話し合いながら遊びを発展させていく。

今は2歳児クラスの友だちとだけ遊んでいるが、違った年齢の子どもたちと遊ぶこともある。直接遊ぶことはなくても同じ場にいろいろな年齢の子ども、様々な障害を抱える子ども、いろいろな出自を持つ子どもなど様々な環境の子どもたちが共に育つことは、それぞれの子どもたちの育ちに大きな助けになる。そしてこの少子化の現代に乳児からいろいろなお友だちと過ごせる保育園はとても貴重な場だ。

このクラスの子どもたちもそれぞれに様々な大人や友だちと関わりながら「自立」し「自律」していく。言うまでもないがその成長具合はこどもたち一人ひとり違っており、僕たち保育士はそれを忘れてはいけないと思っている。

 

知香と千穂が土管の上に座っていた。二人ともじっと前を見ている。今日は2月とはいえ日が差して風もなく良い日和だ。二人はジャンパーを羽織っているのでそれほど寒くはないだろう。二人が何かお話しをしているようには見えない。そもそもこの二人がふたりでいるところをあまり見ない。お部屋でも園庭でも。唯一、土管の上だけだ。土管の上にはほかにも武士や友子なども登れるが、彼らは土管の上でとどまることはなく、通過していく。土管の上にとどまり、ましてやのんびりしているのは知香と千穂だけだ。土管の上のコラボ。「土管の上でたたずむ」実行委員会。

 

秋ごろに土管の前で知香が大泣きをしていた。クラスの前で園庭を見ていた僕は近づいて行って

「どうしたの?」

と知香に聞くと、知香が土管の上を指さした。土管の上には千穂が座って少し心配そうに知香を見ていた。

「ちほちゃんがどうかした。」

「のぼれない。」

知香は泣くのを少し止めてそう言った後、また泣き始めた。

「そっか、これはじぶんでのぼるのがきまりだから、たまだくんはおてつだいできないんだ。じぶんでのぼるれんしゅうしないと。それはたまだくん、てつだうことはできるから、やってみる?ちほちゃん、ちほちゃんもれんしゅうしてのぼれるようになったんだもんね。」

千穂にそう尋ねると千穂は首を縦に振って

「うん」

と答えた。

土管は1mほどの高さがある。自分で登れなければ遊べないということだ。仮に大人が手を貸して登らせたとしても、登ったところでけがをする可能性が高くなる。あくまで自分で登ることができて初めてその場で自分の身体をコントロールすることができ、けがなく遊ぶことができる。

「ちほちゃん、ちょっとのぼってみて。ちかちゃんにのぼるところをみせてあげて。」

千穂が返事もせずに降りてきた。

「ちかちゃん、ちほちゃんがのぼるところをみせてくれるから、なくのやめようね。」

そう言うと知香はようやく泣き止んだ。千穂が両手を土管にかけ僕を見た。

「いいよ。」

と千穂に言うと千穂はジャンプし、手と足を同時に土管にかけ片足ずつ靴のすべり止めを利用してよじ登り、手を頂にかけ登った。見事だった。そういえばクラスのテーブルにどや顔で登っていたっけ。改めて登るのを見てみるとすごいなと感嘆する。

「ちかちゃん、やってみな」

と知香に声を掛けると知香も千穂ができたんだから自分もできると思ったのか土管に手をかけジャンプしてみるが足をかけるほどジャンプできず惨敗に終わった。

「ちほちゃん、もういっかい、いい?」

上で知香の様子を見ていた千穂がするするっと降りてきてもう一度登って見せた。

それを見た知香は自分から練習を始めた。僕は少し土管から離れ見守ることにした。何回かジャンプしたあと、上で様子を見ていた千穂が下りてきて

「おしてあげる」

と言って、少し疲れたのかただ土管にへばりついていた知香のおしりを押し始めた。少し押したが上に上がるはずもなく、千穂は諦めたのか砂場のほうに走っていき、休憩を終えた知香も同じ方向に走って行った。僕の傍らに少し葉っぱが赤くなってきたハナミズキが立っていた。二人の姿を見ながら

「しーりをーおしあげてー」

と口ずさんでしまい、不謹慎かなと少し反省した。

 

それから、たまに練習を目にしたが相変わらず知香は登れずにはいた。ただそこには多くの場合、千穂も見かけた。

 

年の暮れも迫ったある日、3,4,5歳児クラスの前で、僕は2歳児たちの遊びを見ていた。土管では例によって千穂が上でたたずんでいるところで、知香がジャンプしているのが見えた。僕のほうから見ると土管の後ろから登っており、結構な頻度で知香の胸が土管の頂のところに見えた。

(もうすこしじゃん。)

そう思った瞬間、知香の顔が勢いよく土管の頂に見えたと思ったら体も見え土管の頂を通り越して手前側に頭から落ちた。僕は(わっ)と思い、走って土管にむかった。知香は体を土管と平行して倒れていた。

「ちかちゃんだいじょうぶ?」

知香は両手をついて起き上がった。泣きもせず、少し驚いたのか放心した様子だった。下にゴム製のマットは敷いてあったがほっぺのところを擦ったようで少しだけ赤くなっていたが出血はなかった。

「いたくない?」

そう聞いても大して返事もせず、起き上がって、反対側に回ろうとするので

「ちかちゃん、おかお、すこしよごれてるからきれいにしてからにしよ。」

と言って外流しに連れて行きそこにあったティッシュをぬらして知香の顔をふいた。千穂がついてきて心配そうにそれを見ていた。

「ちかちゃん、のぼれたじゃん。」

僕がそう言うと、知香はようやく笑顔を見せ

「ちかちゃん、のぼれた?」

と聞くので

「のぼれた、のぼれた。」

と二度言うと

また、笑顔をみせた。顔をふき終わると知香は土管のほうに走っていき、千穂もそれに続いた。僕はまた落ちたらシャレにならないなと思って土管に急いで行き落ちてもいいように反対側に立った。1,2度失敗した後、見事にのぼり、落下は取り越し苦労となった。知香が登った後、千穂も登り、二人ともなんだかうれしそうに足を延ばして座っていた。それからだ。いつもいつもというわけではない管上のコラボが始まったのは。

 

近隣の保育園の理念を見てみると保育士がどのような子どもに育ってほしいか垣間見ることができる。僕たちの園もだいたい同じような感じだ。

「健康で明るい子ども」

「自分で考えて行動する意欲的な子ども」

「豊かな心を持ち表現する子ども」

「思いやりのある子ども」

 何よりも僕たち保育士は子どもたちがいつでも、いかなる時でも明るく元気でいることを願っている。様々な困難にぶつかってそれどころじゃないよと言うかもしれないけど、ただただそれを願っている。

 「その上で子どもたちには自分の人生を勇気をもって主体的に生きて欲しい。」「自分で考えて意欲的に、前向きに行動してほしい。」

「周りの人、物、自然に何かを感じて自ら表現して欲しい。」

「そして、人は一人では生きていけないことを知り、他の人に思いをはせ、他の人と共にあってほしい。」

 保育園で働く者たちは子どもたちがそのように自分の人生を生き、幸せになることを願っている。また幸せを目指す中でいろいろな困難に直面することだろう。その時、それらのことを忘れずに行っていけば乗り越えていけると思う。

これはまた大人の問題でもある。じゃあ、自分たちはどうなんだと、問われると「うーん」と考える人もいるだろう。今からでも遅くない、僕たちも「主体的に生き」「意欲的に行動し」「自ら表現をし」「他の人ともに」幸せになるよう努力しよう。

 

先日のお集まりの時、リーちゃんが子どもたちにインタビューをした。お題は「好きな人、好きなもの、好きな遊び」。リーちゃんから見て左、トイレ側のテーブルから聞いていった。

 隆二はライダー、瞳は粘土、渡はママ、武士はルーシー、太郎はパズル、幸夫が波、薫はかけっこ 朝美はリーちゃん、友子はパズル、麦もママ、千穂はサクランボ、善は薫、あきは友子、達彦はママ、波は飼い猫の「がるー」、義樹は知香、知香もママ、康江は、リーちゃん、ルーシー、たまだくん

 昼にルーシーのメモを見て、僕はリーちゃんに言った。

「いやー、リーちゃん、ナイスクエスチョンだったね。」

「ホント、ホント、思わずメモっちゃった。」

とルーシー。

「ホントは、友だちの誰が好きなのかな、と思ったんだけど、人気投票みたいになるのも嫌だし、それは個別に聞けばいいと思って。今、みんな何が好きで何に興味があるのか言えるのかな、と思ってざっくり聞いたんだけど。どうしても、前の人に言ったことを真似しちゃうね。」

実際、「粘土」とか「パズル」とか、「ママ」とか言う子どもが多かったんだけど

そこはリーちゃんが、「他にある?」とか聞き、公平性を期すため、最初に「ねんど」や「パズル」と答えた瞳や友子にはわざわざ聞き直した。瞳や、友子はもう一回聞いても「ねんど」に「パズル」だった。「ママ」についてはこれはもう聞き返すことはなかった。

 

「ゆきちゃんが『なみちゃん』と言った時は、なみちゃん、全然リアクション、なかったね。」

僕。

「驚いたんじゃない。でもこの間、ゆきちゃん、なみちゃんに砂場で『すこっぷいる?』とか言ってなんかすごく優しかった。なみちゃんも素直に「うん」とか言ってなんかなんかだったよ。」

とルーシー。幸夫と波も0歳児クラスから一緒で、小柄な波を幸夫がかわいいと思ったのかどうなのか。波に完全に尻に敷かれた状態になっている僕としては波がおとなしめで幸夫に対応しているのが意外な感じがした。

「よっちゃんは、なに?」

義樹が全くと言っていいほど接点のない知香の名前を挙げたので僕は不思議に思っていた。

「あれはね、知香ちゃんが目に入ったからだと思う。」

リーちゃん。

「そうね、なにを言うか迷ってたら、順番が来て、あわてて目の前にいる知香ちゃんの名前を言った。っていう感じ。よしくんらしくてかわいいよね。」

とルーシー。というか「なに?」という感じで戸惑っていた知香が少し気の毒だった。

「あきちゃんはともちゃんが大好きなんだね。」

とルーシー。

「ともちゃんはあんまりそんなことは気にしてないみたいだけどね。」

とリーちゃん。友子は我が道を基本的に行くがあきには面倒見がいい。声もでかいし、元気だ。おとなしいあきにはそこに憧れがあるのかもしれない。何よりまだ保育園に慣れていない頃にパズルを教えてくれたり、遊びに誘ってくれたこともあるかもしれない。友子とあきのコンビは凸凹感があって何となく和ませてくれる。

「ぜんちゃんが『かおちゃん』と言ったときに薫が「うそ!わたし?」という感じでちょっと驚いた後にめっちゃにっこりしてたよね。さすがにかおちゃんは『ぜんちゃん』って言わなかったけどね。」

とルーシー。

「なんかちょっと『じょし』を感じたね。」

リーちゃん

「でも、ぜんちゃん、かおちゃんの事好きだったんだね。」

「やっぱり、あの時のことが大きいんじゃない。」

とルーシー。お集まりの時、善がままごとコーナーで一人ぽつんといたときに、薫が何か話しかけてお集まりに連れてきたときのことだ。

「落ち込んでいる時に、やさしい言葉をかけられると、2歳児でも好意をもつんだねー。」

と感心したようにリーちゃんが言った。

「たけちゃんがルーシーで、あさちゃんがリーちゃんって言ってたね。ちょっとびっくりしたけど、たけちゃんやあさちゃんもあきちゃんと同じなのかな。」

僕がそう言うと二人ともにっこりした。武士も朝美も今年から新入園児なのだが入ったばかりの頃、毎日が不安だったときに結構な頻度でそばにいたのが武士にはルーシーで朝美にはリーちゃんだった。

「ちょっと義理人情に厚くない?」

僕がそう言うと

「少し違うとは思うけど。」

とリーちゃんが苦笑いしながら言った。

「あさちゃんは最初のひと月はリーちゃんにべったりだったけど、たけちゃんはそこまででもなかったと思うよ。だた給食が食べられないとか、着替えができないとか言ってぐずることがあってその時たまたま私がそばにいることが多かったけど。」

とルーシーは少し照れながら言った。

子どもたちはあんなにちっちゃくても、いや、ちっちゃいからこそ、自分が悲しかったり、寂しかったり、せつなかったりした時に受けたやさしさやいたわりやはげましを心に刻み込むんだということを知った。

 

子どもたちが言葉で自分の意見を言えたことについては喜ばしいことだ。子どもの話をしっかり聞いてあげることは当然のこととして、言葉で表すことが苦手な子や、言葉ではない別の方法で自分の気持ちを表す子ども、さらには僕たちの理解できない方法で気持ちを伝えようとする子ども、いろいろな子どもたちがいることを踏まえ、いついかなる時もその子どもたちの気持ちを大切にするということが僕たち保育士には求められる。

 

 砂場には幸夫と波と義樹が山を作っているようだった。ルーシーは少し砂場のふちに座ってそれを見ていた。

この間、ルーシーが薫と武士と山を作っているところを偶然見た。ルーシーは

「おおきなやまつくろ!」

と言って、山のふもとの部分を広く、大きく作ろうとしていた。薫と武士がそのふもとの上に土を乗せて、早く高くしようとするのを

「まだまだ」「まだまだ」

と言って、二人が盛り上げた土を手のひらで円を描くようにして撫でながらつぶして、さらにふもとの部分を広げようとしていた。それを何度か繰り返すうちに薫と武士は飽きてしまい、結局ルーシーだけが残り、ルーシーは園庭の子どもの様子を見守りながら、なおも山づくりに励んでいた。

 土台を広く大きく。僕らが子どもたちに常々、いろいろなことを経験させてあげようと思っていることと通じるような気がした。何も今、急いで高くすることはない。ゆっくりゆっくり、土台を広く大きく。

 

幸夫と波と義樹はスコップで砂を上からかけて高くし、だれに習ったか、手で周りをペタペタペタと固めている。誰かが砂をかけるとほかの二人がぺたぺたし、次の誰かがまた砂をかけてということを繰り返していた。3人の息の合った作業が餅つきのように見え、感心するばかりだった。

 

相変わらず子どもたちはそれぞれの遊びに夢中になっている。遊ぶことによって生きる力をどんどん身につけているに違いない。僕はそれを見ているだけでも彼らが身につける生きる力のおこぼれをもらっているような気がする。

さまざな人がいるごちゃまぜの中で、持ちつ持たれつ、過ごせるところが保育園だ。仮に家庭でいろいろなことがあったとしても、保育園で楽しく過ごし、願わくば将来幸せになるための土台を身につけてくれればと思う。お友だちといること、遊ぶこと、話すこと、けんかすること、笑うこと、いろいろな局面を通して自分とは違う存在を知り、自分だけで生きてはいないこと、生きる、生活する、活動することは人とともにあることを肌で身に着けていくことになる。今の世のなか、人ともにあることが逆に厳しいことを強いられることもたくさんあるようだ。時には一人でいることも必要であろう。しかし本来は他人ともにあることは楽しいし安らかなものなのだ。自分一人だけではで生きることができず、他人と生きなければならないのであればそれは苦しいものであってはならない。

 

僕から見て園庭の左奥、砂場と土管の間あたりで、鬼ごっこらしきものをして居る一団があった。武士、友子、隆二、渡、善だ。さっきなんだかわさわさと砂場のルーシーのところに行っていた。なにかあったのだろうか。ルーシーが子どもたちの頭を順番に触っていた。たぶんわらべ歌で鬼決めをしたのだろうと思う。僕は「ずいずいずっころばし」を鬼決めに使っているけど、ルーシーは何を使ってたっけ。

 子どもたちが散らばって行った。鬼はどうやら友子になったらしい。武士と隆二がジャンバーのチャックを閉めずに走っている。

「たけちゃん、りゅうちゃん、まえしめて!。」

僕は二人に聞こえるように少し声を張った。危ないというよりもあれでは全力で走れない、目いっぱいおにごっこができない。武士と隆二は友子が気になって閉めようと立ち止まるのだがまた友子から逃げようとする。

「ともちゃーん、たけちゃんとりゅうちゃん、チャックしめるから、ちょっとまって。」

友子にそう言うと、友子は止まった。僕の声と友子の動きを見て二人は急いでチャックを閉めた。閉め終わった二人は再び逃げ始め、鬼ごっこは再開した。

ごっこもはじめは子どもたちが走り回って、ふつうの鬼ごっこに見えたけど少し経つと、自分が鬼になりたくて武士や隆二は鬼の前にわざわざ近寄っている。他の3人は普通にやっているのだけれどだんだん、動きがなくなってきた。そしてとうとう渡が座り込んでしまった。ちゃんとやりたいと思っている渡がぐずったのだろうか。ちょっとここからではわからないが、友子と善がかがみこんで渡を慰めているようにも見える。そばで隆二と武士が立っている。どうするか。ルーシーも気が付いたようで様子を窺っている。

 

 保育園という乳幼児の社会を見ていると、人はもともと自分で考え、行動し、その集団はどの人にも寛容で多様なものじゃないのかと思える。僕たちは子どもたちのそんなところが大きく育つように願っている。そのために何をしたらいいのか、具体的な答えを持ち合わせているわけではないが・・・。

 

「保育するときに、なにに気を付けてるの?」

何となく二人に聞いたことがあった。

「とりあえず、えがお!」

とルーシーは即答し、リーちゃんは、少し考えた後、

「できるだけやさしくしてあげることかな。」

と言った。

「たまだくんは?」

とルーシーに聞かれ

「よくわかんないから二人に聞いたんだけど・・・。あんまり怒んないということは心掛けている。子育てしてるときはいい思い出をできるだけ作れるようにとは思ってた。」

答は人それぞれだ。ただその人なりに子どもと共に歩む気もちがあれば、あとは子どものほうでうまくやってくれると思う。僕たちが思う以上に子どもには柔軟性があるし、修正力もある。

 

何回かリレーを繰り返した後、リーちゃんが子どもたちを集めて何か話をしていた。話を聞き終わった子どもたちが手分けして、ほかで遊んでいる友だちのところに走って行く。砂場には達彦と薫と瞳が行った。幸夫と波と義樹が3人を見上げて話を聞いたようでルーシーも加わってスコップや型抜きやバケツを片付け始めた。

渡は相変わらず座り込み善と友子に加え隆二と武士も加わり4人で渡を囲んで何か言っていた。そこに太郎と麦と康江が近寄って何か言うと、武士と隆二が渡の両腕をそれぞれ抱え、立たそうとしていた。渡はしぶしぶ立っているように見え、おしりを友子が、パンパンとはたき、善と呼びに来た3人と一緒にリーちゃんの待つベンチのほうに向かって行った。

土管には朝美とあきが行き、土管の上にいる千穂と知香に朝美がリーちゃんのほうを指差しながら誘っているようだった。千穂と知香は土管の上から滑り落ちるようにして降りて4人でリーちゃんのほうに向かった。途中、あきが朝美を呼び止め何か言った後、僕のほうに向かってきた。二人は僕と目が合うとニコッとして、朝美のほうが

「たまだくーん、リーレーしよっ!」

と誘ってくれた。朝美は毎週、土曜保育も利用しているのだが、実は毎週、欠かさずに土曜に登園するのは朝美しかいない。なので土曜日に2歳児クラスは担任1人と朝美の2人ということがしばしばある。2歳児は土曜日の場合は3,4,5歳児と一緒にいることが多いので、朝美も心細いのだと思う。「たまだくん、あそぼ!」「たまだくん、はしろ!」とよく誘ってくれる。と言うか「(おままごとで)パパやって。」「(寝るとき)トントンして」と体よく使われている感じも無きにしも非ず。でもちょっとうれしい。

 朝美の横であきもニコニコしている。

 

「にしてもたまだくん、やっちゃんに気を遣わせて。」

とルーシーがリーちゃんと顔を見合わせて笑いながら僕に言った。

「いやー、びっくりしたし、やっぱうれしいもんだね。」

康江がリーちゃんの質問に答えて、リーちゃんルーシーに続けて「たまだくん」と言ってくれたことだ。

「でもやっちゃん、3人の名前を言うなんて、ホントに気をつかってるよね。」

ルーシーが言うとリーちゃんが

「やっちゃんの中で3人でひとつとか。」

「いやー、それは申し訳ない。」

うら若き乙女の中におっさん一人、恐縮するばかり。

「大丈夫。やっちゃんの顔を立てて仲間に入れてあげる。」

とルーシーが微笑みながら言ってくれた。康江が僕たち3人が仲良くして、楽しく子どもたちと過ごしていることを感じているのであればそれは本当にうれしいことだ。康江が好意を持って僕たちのことを見てくれているのなら、他の子どもたちも少しはそう思ってくれているように思えた。

 

朝美が僕に向かって手を差し出し、続いてあきも手を出した。僕は僕の両手の人差指をそれぞれの手に預けたが、以前に比べると朝美とあきの手のひらは明らかに大きくなっていた。僕は自分の人差指を抜いて改めて人差指と中指を彼女たちの手に預けた。朝美とあきはおかしな動きをする僕を見上げて怪訝そうな顔をした。僕は構わずにっこりして、ゆっくり半歩踏み出すと、それを感じた朝美がスタートを切り、あきもスタートを切った。二人の腕が抜けるかもと思い、二人に

「ちょっとまって、ゆっくりいって」

と声を掛けるとスピードを下げ、歩いてくれた。前方のベンチ前には子どもたちが集まりリーちゃんと、ルーシーを取り囲んでいる。渡は相変わらず隆二と武士に両腕を支えられ下を向いている。渡の顔を見上げるように友子と善が何かを話すとようやく渡が顔をあげていた。ルーシーが笑顔でいる。リーちゃんが子どもたちにやさしくお話をしている。それを見て朝美の歩調が速くなり、僕は少し腕を引っ張られた。あきは大丈夫かな、とあきを見るとにっこりしてくれた。

 そうだね、リーレーしようね。バトン渡すの、楽しいよね。みんなでやって、いい思い出ができるといいね。

 

おっしっまい!

 

2歳児の保育「三つ子の魂デシデシドン14」

14,学びて時にこれを習う、また、よろこばしからずや

ある日の昼休み、モコさんが2歳児室にきて唐突に

「たまだ君、今度の研修の時、指針についてやりたいからさ、資料、作ってきて。もし時間欲しいなら私、保育に入るからさ。」

保育所保育指針ですか?それはペーペーの保育士じゃなくて主任さんの仕事でしょう。」

「私もいろいろ忙しいのよ。それに若い人にやってもらったほうがいいのよ。」

「どこが若いんですか。僕、おっさんですよ。」

「保育歴がよ。私みたいに酢いも甘いもわかるようになると細かいところを見逃してしまうのよ。たまだ君だったら、いろいろ疑問もあると思うし、その辺をほんとに若い人の気持ちになって書いてもらえるような気がする。それに指針書いている人、たぶんおじさん、おばさんばかりだからたまだ君のほうが文章も理解できると思う。」

「はぁ、どんな感じがいいんですかね。」

「ズバリ、わからんところはわからないと言っていいから解説してあげて。」

「解説ですか、うーん、それはなかなか難しい。」

「何書いてんだよーって言ってもいいから。それにたまだ君、結構あんたにゃ、貸してるよね。」

「えーっ、そこまで借りてないと思いますけど。まぁ、モコさんの頼みだったらとりあえずやってみますけど。あと見せますから、直してくださいね。」

「ありがとうー。助かるわ。代わってほしい時言ってね。」

モコさんはそう言い残すと行ってしまった。

 

ルーシーが

「確かにあれは難しい。」

と言えば リーちゃんは

「学校で読まされたぐらいかな。」

と言う。まぁそんなもんだ。憲法だっていつから読んでないだろう。憲法ほどではないが日常生活で「指針」に目を通すことはない。ただ、その道の専門家が書いてあるのだから、いいことも書いてあるんだろう。そういうわけで研修向けの「指針」についての資料を僕が作ることになった。後日、出来上がってからモコさんに見せに行ったが、「大丈夫、大丈夫、」と言って見もしなかった。リーちゃん、ルーシーにそのことを言ったら二人とも「大丈夫、大丈夫。」他人事だと思って適当だなと思い、不安を感じつつ、研修をすることになってしまった。

保育所保育指針

第1章 総則

ア 保育を必要とする子どもの保育を行い、その健全な心身の発達を図ることを目的とする児童福祉施設であり、入所する子どもの最善の利益を考慮し、その福祉を積極的に増進することに最もふさわしい生活の場でなければならない。

 

用語について

「子どもの最善の利益を考慮」とは子どもに関することが決められ、行われる時は、『その子どもにとって最もよいことは何か』を第一に考えるということ。

保護者を含む大人の利益が子どもの利益よりも優先されないように、子どもの人権を尊重することの重要性を表している。

児童福祉法では第1条に

「全て児童は、児童の権利に関する条約の精神にのっとり、

適切に養育されること

その生活を保障されること、

愛され、保護されること、

その心身の健やかな成長及び発達並びにその自立が図られること

その他の福祉を等しく保障される権利を有する。

と定められた。

 

因みに国連で採択され日本の児童福祉に最も影響のある「子どもの権利条約」には4つの原則として

・生命、生存及び発達に対する権利(命を守られ成長できること)

・子どもの最善の利益(子どもにとって最もよいこと)

・子どもの意見の尊重(意見を表明し参加できること)

・差別の禁止(差別のないこと)

をあげている。

 

「福祉」とは「しあわせ」や「ゆたかさ」を意味する言葉であり、すべての市民に最低限の幸福社会的援助を提供するという理念を表す。

 

「健全な心身の発達」と言う語についてはそのままとれば何の問題もないように思えるが、以前よりこの言葉で傷つく人がたくさんいたし、今もいる。僕の知人の障害者は「何が健全だ、健全ってなんだ」と憤っていた。さらに「発達」という言葉に対しても「発達しなきゃ人間じゃないのか」という人もいた。子どもが発達することは素晴らしい。うれしいことでもある。でもそうでなくても子どもは、人はいとおしいし、尊厳を尊重されるべきものだと思う。一概にその言葉自体を否定するというわけではないが子どもたちの「命」と「心」を育む保育所ならば十分にこういうところも配慮して欲しい。

 

まとめれば保育所についての一般論なのだが

保育所は子どもが成長と発達を遂げる場である。保育所においては子どもにとって何が最も良いことなのかを最優先で考えられ、社会の中で家庭とともに子どもの幸せを得るのに、最も良い生活の場所でなければならない。」

となる。

 

 

保育所は、その目的を達成するために、保育に関する専門性を有する職員が、家庭との緊密な連携の下に、子どもの状況や発達過程を踏まえ、保育所における環境を通して、養護及び教育を一体的に行うことを特性としている。

 

「保育に関する専門性を有する職員」

子どものためにも保育所として最も大切なもの。保育士、栄養士が一般的であるが他に看護師や調理員も配置されているところがある。「ただ子どもを預かっているだけではない。専門的に見ている。」と言うことだがそれだったら待遇を・・・と言いたくなるところでもある。

 

「発達過程」と言う言葉に込められた意味は、ある年齢や月齢で何かが「できる、できない」と いったことで発達を見ようとする捉え方ではなく、それぞれの子どもの育ちゆく過程の全体を大切にしようとする考え方を反映している。子どもの発達はゆっくりであったり、行きつ戻りつであったりして決して決まりきった道をたどるものではない。標準的な物差しに当てはめるのではなく子ども一人ひとりの過去から今につながる成長の軌跡を踏まえることが大切なことになる。

 

「環境を通して、養護及び教育を一体的に行うことを特性としている。」

まず「環境を通して」だが具体的な「環境」と言うのは大まかに言えば「人」「もの」「場所」などが考えられる。人から話しかけられたり、興味深いおもちゃだったり、周りの自然の色だったり、音だったり様々な刺激を受ける。その刺激に反応して、おもちゃで遊んだり、自然に近寄ったり、自ら働きかけることを繰り返しながら、好奇心であったり、意欲であったり、さらには主体性を身につけていく。このことが「環境を通して(行う保育)」ということになる。

 保育所保育の対比として学校教育を考えると学校は「教室で教科書を使って」という部分が大きい。そういう意味で「環境を通して行う」ということは保育所保育の特性といえる。

 

「養護」とは子どもたちの生命を保持し、その情緒の安定を図るための保育士等による細やかな配慮の下での援助や関わりの総称である。

「生命の保持」とは「快適に生活をする。」「健康で安全に過ごせる」「生理的欲求が十分に満たされる。」「健康増進が積極的に図られる。」こと。

「情緒の安定」とは「安定感を持って過ごせる」「自分の気持ちを安心して表すことができる。」「周囲から主体として受け止められ、主体として育ち、自分を肯定する気持ちが育まれるようにする」「くつろいで共に過ごし、心身の疲れが癒されるようにする」こと

「教育」とは、「子どもが現在をもっともよく生き、望ましい未来をつくり出す力の基礎」という「生きる知恵」を子どもが得るための保育士等による援助である。

 

つまり「環境を通して、養護及び教育を一体的に行うことを特性としている。」というのは 「保育所の人、もの、場所の中で生活することを通して、保育士等が子どもを一人の人間として尊重し、その命を守り、情緒の安定を図ることによって子どもは保育士等、ひいては人間への信頼を獲得し、その安定した気持ちの中で、生きる知恵を身につけられるような経験を得る。そのような営みを特性としている。」ということ。

 

まとめれば

保育所は保育を必要とする子どもの保育を行い、その健全な心身の発達を図るという目的を達成するため、保育士や栄養士などの専門的な職員が、家庭とコミュニケーションをとりながら、子どもの今の状況や成長の軌跡を踏まえ保育所の人、もの、場所の中で生活することを通して、子どもを一人の人間として尊重し、その命を守り、情緒の安定を図ることによって子どもは保育士等、ひいては人間への信頼を獲得し、その安定した気持ちの中で、生きる知恵を身につけられるような経験を得る。そのような営みを特性としている。」

 

 

 

保育所は、入所する子どもを保育するとともに、家庭や地域の様々な社会資源との連携を図りながら、入所する子どもの保護者に対する支援及び地域の子育て家庭に対する支援等を行う役割を担うものである。

 

「社会資源」とは、利用者がニーズを充足した り、問題解決するために活用される各種の 制度・施設・機関・設備・資金・物質・法律・情報・集団・個人の有する知識や技術等を総称していう。

 

都会を中心に親との別居による核家族化やご近所付き合いの減少による子育て家庭の孤立化が進んでいる。保育所子育て支援の役割がますます重要になってきている。

 

保育所は入所する子どもの保護者や地域の子育て家庭の支援を行う。」

 

 

保育所における保育士は、児童福祉法第18条の4の規定を踏まえ、保育所の役割及び機能が適切に発揮されるように、倫理観に裏付けられた専門的知識、技術及び判断をもって、子どもを保育するとともに、子どもの保護者に対する保育に関する指導を行うものであり、その職責を遂行するための専門性の向上に絶えず努めなければならない。

 

児童福祉法第 18 条の4」は保育士について「保育士の名称を用いて、専門的知識及び技術をもつて、児童の保育及び児童の保護者に対する保育に関する指導を行うことを業とする者をいう。」となっている。保育指針全体が「支援」「援助」という言葉であふれかえっているのにここだけ「指導」となっているのは児童福祉法第18条で「指導」となっているから。若い保育士が多くいる現場で「指導」はなかなか難しい。児童福祉法を変えてしまえばいいのにと思うがどうなんだろう。

 

「保育士の倫理観」としては児童福祉法子どもの権利条約書かれている子どもに対する尊厳を最大限尊重することが求められる。

児童福祉法第1条

「全て児童は、児童の権利に関する条約の精神にのっとり、適切に養育されること、その生活を保障されること、愛され、保護されること、その心身の健やかな成長及び発達並びにその自立が図られることその他の福祉を等しく保障される権利を有する。」

子どもの権利条約には4つの原則として

・生命、生存及び発達に対する権利(命を守られ成長できること)

・子どもの最善の利益(子どもにとって最もよいこと)

・子どもの意見の尊重(意見を表明し参加できること)

・差別の禁止(差別のないこと)

 

「専門的知識、技術及び判断」とある。「知識」「技術」を身につけることは方法の蓄積はあると思うが「判断」を身につけるのはそれらに比べればさらに経験が必要になる。人から教わるというより「自ら」「自分で」「主体的に」身につけることになるからだ。園長、主任、各リーダーに「若いもんを育てる」という意識も必要になる。

 

専門的知識、技術とは

  • 子どもの発達をよく知る
  • 生活面、つまり日常生活習慣技術
  • 環境構成
  • 遊び
  • 人間関係構築
  • 保護者への相談援助

 

これらを身につけるのは大変だ。だがちょっとの研修で身につくわけでもない。時間的な余裕があるわけでもない。研修は導入に過ぎない。日ごろから同僚に教わるとか、まねるとかする必要がある。お互いそれらのことについて話をするとしっかりと身についてくる。また、それらの知識、技術を使って子どもが楽しんだり、できなかったことができたりして喜んでくれることも多々あり、そんなときはますますやる気になる。

 

 

(2) 保育の目標

保育所は、子どもが生涯にわたる人間形成にとって極めて重要な時期に、その生活時間の大半を過ごす場である。このため、保育所の保育は、子どもが現在を最も良く生き、望ましい未来をつくり出す力の基礎を培うために、次の目標を目指して行わなければならない。

 

(ア) 十分に養護の行き届いた環境の下に、くつろいだ雰囲気の中で子どもの様々な欲求を満たし、生命の保持及び情緒の安定を図ること。

 

(イ) 健康、安全など生活に必要な基本的な習慣や態度を養い、心身の健康の基礎を培うこと。

 

(ウ) 人との関わりの中で、人に対する愛情と信頼感、そして人権を大切にする心を育てるとともに、自主、自立及び協調の態度を養い、道徳性の芽生えを培うこと。

(

エ) 生命、自然及び社会の事象についての興味や関心を育て、それらに対する豊かな心情や思考力の芽生えを培うこと。

 

(オ) 生活の中で、言葉への興味や関心を育て、話したり、聞いたり、相手の話を理解しようと するなど、言葉の豊かさを養うこと。

 

(カ) 様々な体験を通して、豊かな感性や表現力を育み、創造性の芽生えを培うこと。

 

「子どもが現在を最も良く生き、望ましい未来をつくり出す力」という文は少しわかりづらい。「今日も明日も幸せに生きるために身につけるもの」と言うことになると思う。

そのために(ア)~(カ)の「養護」「健康」「人間関係」「環境」「言葉」「表現」という5つの目標を掲げている。

「養護」については上述したが、子どもたちが物事を身につけるには心と体が安らかである必要がある。

僕たちは現場の人間なので抽象的なことよりは具体的なことのほうがわかりやすい。第1章の「総則」で「保育の目標」が掲げられたあと、第2章「保育の内容」でさらに具体的に「ねらいと内容」が示されている。「保育の内容」は「乳児保育」「1歳以上3歳未満児」「3歳以上児」に分けられているので一番、範囲の広い「3歳以上児」の項を見ながら「保育の目標」を見直してみる。

 

 まず「ねらい」を記述し、それに対応する「内容」を記述する。

「ねらい」は「保育の目標」をより具体化し、わかりやすくしたもの

「内容」は、「ねらい」を達成するために、「養護」については保育士等が適切に行う事項、他の「目標」については保育士等が援助して子どもが環境に関わって経験する事項を示したものである。

「健康」を例にとると「目標」は

「健康、安全など生活に必要な基本的な習慣や態度を養い、心身の健康の基礎を培うこと。」

「育みたい力」は

「健康な心と体を育て、自ら健康で安全な生活をつくり出す力を養う。」

 

「目標」を具体的に表した「ねらい」は

① 明るく伸び伸びと行動し、充実感を味わう。

② 自分の体を十分に動かし、進んで運動しようとする。

③ 健康、安全な生活に必要な習慣や態度を身に付け、見通しをもって行動する。

 

「ねらい」を達成するための「内容」は

「① 明るく伸び伸びと行動し、充実感を味わう。」ために

・保育士等や友達と触れ合い、安定感をもって行動する。

 

「② 自分の体を十分に動かし、進んで運動しようとする。」ために

・いろいろな遊びの中で十分に体を動かす。

・進んで戸外で遊ぶ。

・様々な活動に親しみ、楽しんで取り組む。

 

「③ 健康、安全な生活に必要な習慣や態度を身に付け、見通しをもって行動する。」ために

・保育士等や友達と食べることを楽しみ、食べ物への興味や関心をもつ。

・健康な生活のリズムを身に付ける。

・身の回りを清潔にし、衣服の着脱、食事、排泄 などの生活に必要な活動を自分でする。 

保育所における生活の仕方を知り、自分たちで生活の場を整えながら見通しをもって行動する。

・自分の健康に関心をもち、病気の予防などに必要な活動を進んで行う。

 

ということになる。

 

※健康

健康、安全など生活に必要な基本的な習慣や態度を養い、心身の健康の基礎を培うこと。(目標)

 

健康な心と体を育て、自ら健康で安全な生活をつくり出す力を養う。 (育みたい力)

 

明るく伸び伸びと行動し、充実感を味わう。(ねらい)

・保育士等や友達と触れ合い、安定感をもって行動する。(内容)

 

自分の体を十分に動かし、進んで運動しようとする。

・いろいろな遊びの中で十分に体を動かす。

・進んで戸外で遊ぶ。

・様々な活動に親しみ、楽しんで取り組む。

 

健康、安全な生活に必要な習慣や態度を身に付け、見通しをもって行動する。

・保育士等や友達と食べることを楽しみ、食べ物への興味や関心をもつ。

・健康な生活のリズムを身に付ける。

・身の回りを清潔にし、衣服の着脱、食事、排泄 などの生活に必要な活動を自分でする。 

保育所における生活の仕方を知り、自分たちで生活の場を整えながら見通しをもって行動する。

・自分の健康に関心をもち、病気の予防などに必要な活動を進んで行う。

・危険な場所、危険な遊び方、災害時などの行動の仕方が分かり、安全に気を付けて行動する。

 

※「人間関係」

人との関わりの中で、人に対する愛情と信頼感、そして人権を大切にする心を育てるとともに、自主、自立及び協調の態度を養い、道徳性の芽生えを培うこと。

 

他の人々と親しみ、支え合って生活するために、自立心を育て、人と関わる力を養う。

 

保育所の生活を楽しみ、自分の力で行動することの充実感を味わう。

  • 保育士等や友達と共に過ごすことの喜びを味わう。

・ 自分で考え、自分で行動する。

・ 自分でできることは自分でする。

・ いろいろな遊びを楽しみながら物事をやり遂げようとする気持ちをもつ。

 

身近な人と親しみ、関わりを深め、工夫したり、協力したりして一緒に活動する楽しさを味わい、愛情や信頼感をもつ。

・ 友達と積極的に関わりながら喜びや悲しみを共感し合う。

・ 自分の思ったことを相手に伝え、相手の思っていることに気付く。

・ 友達のよさに気付き、一緒に活動する楽しさを味わう。

・ 友達と楽しく活動する中で、共通の目的を見いだし、工夫したり、協力したりなどする。

 

社会生活における望ましい習慣や態度を身に付ける。

・ よいことや悪いことがあることに気付き、考えながら行動する。

・ 友達との関わりを深め、思いやりをもつ。

・ 友達と楽しく生活する中できまりの大切さに気付き、守ろうとする。

・ 共同の遊具や用具を大切にし、皆で使う。

・ 高齢者をはじめ地域の人々などの自分の生活に関係の深いいろいろな人に親しみをもつ。

 

※「環境」

生命、自然及び社会の事象についての興味や関心を育て、それらに対する豊かな心情や思考力の芽生えを培うこと。

 

周囲の様々な環境に好奇心や探究心をもって関わり、それらを生活に取り入れていこうとする力を養う。 

 

身近な環境に親しみ、自然と触れ合う中で様々な事象に興味や関心をもつ。

・ 自然に触れて生活し、その大きさ、美しさ、不思議さなどに気付く。

・ 生活の中で、様々な物に触れ、その性質や仕組みに興味や関心をもつ。

・ 季節により自然や人間の生活に変化のあることに気付く。

 

身近な環境に自分から関わり、発見を楽しんだり、考えたりし、それを生活に取り入れ ようとする。

・ 自然などの身近な事象に関心をもち、取り入れて遊ぶ。

・ 身近な動植物に親しみをもって接し、生命の尊さに気付き、いたわったり、大切にしたりする。

・ 日常生活の中で、我が国や地域社会における様々な文化や伝統に親しむ。

・ 身近な物を大切にする。

・ 身近な物や遊具に興味をもって関わり、自分なりに比べたり、関連付けたりしながら考えたり、試したりして工夫して遊ぶ。

 

身近な事象を見たり、考えたり、扱ったりする中で、物の性質や数量、文字などに対する感覚を豊かにする。

・ 日常生活の中で数量や図形などに関心をもつ。

・ 日常生活の中で簡単な標識や文字などに関心をもつ。

・ 生活に関係の深い情報や施設などに興味や関心をもつ。

保育所内外の行事において国旗に親しむ。

 

※「言葉」

生活の中で、言葉への興味や関心を育て、話したり、聞いたり、相手の話を理解しようと するなど、言葉の豊かさを養うこと。

 

経験したことや考えたことなどを自分なりの言葉で表現し、相手の話す言葉を聞こうとする意欲や態度を育て、言葉に対する感覚や言葉で表現する力を養う。

 

自分の気持ちを言葉で表現する楽しさを味わう。

・ 保育士等や友達の言葉や話に興味や関心をもち、親しみをもって聞いたり、話したりする。

・ したり、見たり、聞いたり、感じたり、考えたりなどしたことを自分なりに言葉で表現する。

・ したいこと、してほしいことを言葉で表現したり、分からないことを尋ねたりする。

 

人の言葉や話などをよく聞き、自分の経験したことや考えたことを話し、伝え合う喜びを味わう。

・ 人の話を注意して聞き、相手に分かるように話す。

・ 生活の中で必要な言葉が分かり、使う。

 

日常生活に必要な言葉が分かるようになるとともに、絵本や物語などに親しみ、言葉に対する感覚を豊かにし、保育士等や友達と心を通わせる。 

・ 親しみをもって日常の挨拶をする。

・ 生活の中で言葉の楽しさや美しさに気付く。

・ いろいろな体験を通じてイメージや言葉を豊かにする。

・ 絵本や物語などに親しみ、興味をもって聞き、想像をする楽しさを味わう。

  • 日常生活の中で、文字などで伝える楽しさを味わう。

 

※「表現」

様々な体験を通して、豊かな感性や表現力を育み、創造性の芽生えを培うこと。

 

感じたことや考えたことを自分なりに表現することを通して、豊かな感性や表現する力を養い、創造性を豊かにする。 

 

いろいろなものの美しさなどに対する豊かな感性をもつ。

・ 生活の中で様々な音、形、色、手触り、動きなどに気付いたり、感じたりするなどして 楽しむ。

・ 生活の中で美しいものや心を動かす出来事に触れ、イメージを豊かにする。

 

感じたことや考えたことを自分なりに表現して楽しむ。

・ 様々な出来事の中で、感動したことを伝え合う楽しさを味わう。

・ 感じたこと、考えたことなどを音や動きなどで表現したり、自由にかいたり、つくったりなどする。

・ いろいろな素材に親しみ、工夫して遊ぶ。

 

生活の中でイメージを豊かにし、様々な表現を楽しむ。

・ 音楽に親しみ、歌を歌ったり、簡単なリズム楽器を使ったりなどする楽しさを味わう。

・ かいたり、つくったりすることを楽しみ、遊びに使ったり、飾ったりなどする。

・ 自分のイメージを動きや言葉などで表現したり、演じて遊んだりするなどの楽しさを味わう。

 

「内容」はかなり具体的に子どもたちに経験させたいことなどが書いてある。僕たちはそれらを参考に保育の計画を立てていくが、その目的は「ねらい」や「目標」だということを頭の隅に置いておくと、またいろいろと工夫ができると思う。

 

 

保育所は、入所する子どもの保護者に対し、その意向を受け止め、子どもと保護者の安定した関係に配慮し、保育所の特性や保育士等の専門性を生かして、その援助に当たらなければならない。

 

「その」という指示代名詞になれない人は「保護者」に置き換えれば多少はわかりやすくなる。「援助に当たる」ことが「目標」に読めるが、援助をしたのち、保護者との関係が豊かになり、子どもにとってよりよい育ちに結び付くことまでの意味を含む。

 

(3)保育の方法

保育の目標を達成するために、保育士等は、次の事項に留意して保育しなければならない。

 

・僕らの考える「方法」というのは、結構具体的で、電気をつける方法は「スイッチを入れる。」だし、花壇を作る方法は「土を耕し草花を植える」だ。それよりはもう少し、大きく抽象的ではある。

・(1)保育の役割の「ア」の目的を達成するための「方法」が「イ」になっている。

ア 保育を必要とする子どもの保育を行い、その健全な心身の発達を図ることを目的とする児童福祉施設であり、入所する子どもの最善の利益を考慮し、その福祉を積極的に増進することに最もふさわしい生活の場でなければならない。

 

イ 保育所は、その目的を達成するために、保育に関する専門性を有する職員が、家庭との緊密な連携の下に、子どもの状況や発達過程を踏まえ、保育所における環境を通して、養護及び教育を一体的に行う。

 

・太字の部分を具体的に示したものが(3)保育の方法になっている。

「家庭との緊密な連携の下に、子どもの状況」を踏まえ

ア 一人一人の子どもの状況や家庭及び地域社会での生活の実態を把握するとともに、子どもが 安心感と信頼感をもって活動できるよう、子どもの主体としての思いや願いを受け止めること。

イ 子どもの生活のリズムを大切にし、健康、安全で情緒の安定した生活ができる環境や、自己を十分に発揮できる環境を整えること。

 

「発達過程」を踏まえ

ウ 子どもの発達について理解し、一人一人の発達過程に応じて保育すること。その際、子ども の個人差に十分配慮すること。

 

保育所における環境」を通して

エ 子ども相互の関係づくりや互いに尊重する心を大切にし、集団における活動を効果あるものにするよう援助すること。

 

オ 子どもが自発的・意欲的に関われるような環境を構成し、子どもの主体的な活動や子ども相互の関わりを大切にすること。特に、乳幼児期にふさわしい体験が得られるように、生活や遊びを通して総合的に保育すること。

 

子育て支援について「目標」と「方法」の記述があまり違わないのはどうしたもんだろうか。

 

「目標」

保育所は、入所する子どもの保護者に対し、その意向を受け止め、子どもと保護者の安定した関係に配慮し、保育所の特性や保育士等の専門性を生かして、その援助に当たらなければならない。

 

「方法」

カ 一人一人の保護者の状況やその意向を理解、受容し、それぞれの親子関係や家庭生活等に配慮しながら、様々な機会をとらえ、適切に援助すること。

 

(4)保育の環境

保育の環境には、保育士等や子どもなどの人的環境、施設や遊具などの物的環境、更には自然や社会の事象などがある。保育所は、こうした人、物、場などの環境が相互に関連し合い、子どもの生活が豊かなものとなるよう、次の事項に留意しつつ、計画的に環境を構成し、工夫して保育しなければならない。

 

・「保育所における環境を通して、養護及び教育を一体的に行う。」ことは保育所保育の特性でありその点についてさらに詳しく記されている。

 

ア 子ども自らが環境に関わり、自発的に活動し、様々な経験を積んでいくことができるよう配慮すること。

・人的環境としては「子ども」「保育士」をはじめ「栄養士」「調理員」「技師」「看護師」「保育補助員」などの職員がいる。子どもたちは基本的に自分たちから人に関わろうとするので、対する大人は笑顔でやさしく接するようにすることが大切だ。そうすれば子どもはまた関わろうとするし、関わりの中で学ぶことも多いだろう。更には保護者や、地域の人たち、学生など、幅広く子どもたちと関りを持ってもらうような働きかけが必要になる。また子どもたちも異年齢での活動やクラス分けをすることで同年齢の友だちに偏りがちな人間関係に幅を持たせることができる。

 物的環境としては遊具や施設ななどがあるが、遊具においては子どもたちの発達に合った遊具を自由に使えることが大切に思える。自由に使えてこそ、工夫が生まれる。施設面では子どもの使いやすさが大切だ。ロッカーや流し、トイレなど子どもの大きさにあったものであればこそ意欲的に活動しようと思う。

 場など空間的な環境としては遊びのコーナー、お着換えや諸々の準備のコーナー、食事スペースなどを用意し、子どもが自分で主体的に生活を進めて行けるようにする。またその場では人との関わりも出てくるので空間の環境整備はより大切になってくる。

 

イ 子どもの活動が豊かに展開されるよう、保育所の設備や環境を整え、保育所の保健的環境や 安全の確保などに努めること。

・子どもたちが「あそこあぶないからちかづかんとこ。」とか「あんまりきれいじゃないから行かんとこ」とかいうことのないようにする。

 

ウ 保育室は、温かな親しみとくつろぎの場となるとともに、生き生きと活動できる場となるように配慮すること。

・遊びたいときに遊べる場所やちょっと休みたいときに休める場所や視覚的に癒される色合いや、触って心地よいものなどがあったりすると、メリハリが感じられ、生活にリズムが出てくる。なによりも、ここに自分はいていいんだと思えるような雰囲気が大切に思える。

 

エ 子どもが人と関わる力を育てていくため、子ども自らが周囲の子どもや大人と関わっていくことができる環境を整えること。

・例えば遊びのコーナーを設ける、異年齢クラス、異年齢活動や選択できる活動を行うことで、同年齢の子どもや異年齢の子ども、他クラスの担任とかかわることができる。

 

(5)保育所の社会的責任

保育所は、子どもの人権に十分配慮するとともに、子ども一人一人の人格を尊重して保育を行わなければならない。

保育所は、地域社会との交流や連携を図り、保護者や地域社会に、当該保育所が行う保育の 内容を適切に説明するよう努めなければならない。

保育所は、入所する子ども等の個人情報を適切に取り扱うとともに、保護者の苦情などに対し、その解決を図るよう努めなければならない。

 

・地域で一番身近な「準公的」な福祉施設としてのルール。

ア 「人権の尊重」

イ 「地域交流」「情報公開」

ウ 「守秘義務」「苦情解決」

 

「第1章総則 1,保育所の基本原則」だけを見ていったが、「自主、自ら、自分、主体的、自発的、意欲的」といった言葉が並ぶように「指針」はいかに主体的、自発的、意欲的な子どもを育てるかということが課題の中心になっている。子どもはというか人間は本来主体的なものだと思う。子どもが主体的にふるまったときに、大人はそのまま待てるのか、見守れるのか。その一方で子どもが生まれながらにして人間としてのふるまいを身につけているわけではない。一人ひとりの子どもに対してそれぞれに適切なところで大人が援助できるのか。更には大人自身も主体的な人生を歩んでいるのか。主体的な考えや行動を子どもが身につけることは、大人自身の課題でもある。子どもと共に生きることで、関わることで、大人も子どもとともに育っていく必要がある。

 そして、人と関わるときの大原則は言うまでもなく、相手の尊厳を尊重することだ。「尊厳を尊重」と言われると何か難しく感じる。でもその入り口は、人の悪口を言わない、とか自分がされて嫌なことは人にはしないとかの割と日常的なモラルを忘れないことだと思う。

 

以上

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「たまだくん、おつかれ!つづき、やろうね。」

終わった後、モコさんが声を掛けてくれた。

「またやるんすか?」

金曜の夜、7時から8時まで。この時間に座学のみの研修は厳しい。

「あたりまえでしょ、まだ途中じゃない。」

 結局半分もできなかった。

「そうすけど、モコさん、寝てたでしょ。」

僕の隣にいたのに思いっきり、船をこいでいた。

「何言ってるの、たまだくんの研修、寝るわけないでしょ。」

モコさんは断固として言った。図々しいにもほどがあるが、そうでなければ「講師」の横で居眠りなどできない。

「やりますけど、少人数で昼にやるとか、みんなの負担にならないように考えてくださいね。」

「アイアイサー!」

モコさんは僕に敬礼をして言った。「アイアイサー?」小さいころに聞いたような・・・。

 

「指針」の研修は難しい。そもそも「指針」自体簡単ではない。さほど多くない量のものにたくさんのことが入っている。それは「解説書」の厚みを見ればわかる。座学のみの研修は退屈だ。しかし「指針」は「読む」ところから始まるのでどうしても最初は座学になってしまう。素晴らしいことが書いてあるし、保育士だけではなく子育て家庭の保護者にも十分に役立つので、みんなが理解できればよいのだが。その方法も「指針」にのっけていただければと思う。

 

 

2歳児の保育「三つ子の魂デシデシドン13」

13,友よ

1月下旬

時計は9時30分を指していた。

「あー、あおいろはーとだ、あおいろはーとだよ。」

パズルコーナーで遊んでいた麦がさけんだ。壁にかかっている時計の数字の横には折り紙で作ったハートマークがセロテープで貼られている。「6」は青。ちなみに「12」は赤。「3」は緑「9」は黄色。

「おかたづけだよ。」

パズルコーナーで遊んでいた麦が達彦、千穂、康江、波に声を掛けた。

「もうちょっと」

と千穂は言い、達彦は黙って続けていた。康江と波はまだ途中であったがチャック付きのビニール袋にパズルをしまい棚に置いてトイレに向かった。

僕はままごとコーナーに、ルーシーは絵本コーナーにいて少し子どもたちの様子を見ていた。今日のリーダーのリーちゃんが押入れの棚から今日読む紙芝居や絵本を探しているとブロックで遊んでいた武士がリーちゃんのところに来て

「やまんば、よむ?」

とリーちゃんに聞いた。武士が言ったのは「たべられたやまんば」だ。民話を題材にした紙芝居だが、話も結構長いし、少し漫画チックな絵とはいえ、恐ろしげな鬼の仲間のやまんばが出てくるので、はじめはどうかとは思ったが、大きいクラスで大うけというので一度読んでみた。予想通り薫やら波やら、あきやらがそろりそろりと保育士の陰に隠れつつも最後まで見ていた。それから何度か読み、怖いもの見たさで今では、子どもたちみんな大好きな絵本になった。僕たち三人も「やまんば」を見るときの子どもたちが、内心ハラハラドキドキしながら真剣に見る姿が好きで、何かの折には読んでいた。今日のこのタイミングで武士がなぜ「やまんば」と言ったかわからないが、何かで思いついたのかもしれない。理由はおそらくある。あーなるほどね、という理由が。子どもたちの持つこういった理由を知ることができれば楽しいのだけれどそれはなかなか思うに任せない。

「あさからやまんば、よんでだいじょうぶ?」

「うん」

武士も何が大丈夫で、何が大丈夫ではないのかわからないだろうけど。

「じゃ、よむ?」

「うん!」

と嬉しそうに返事をした後、友だちのほうに振り向いて、大声で

「やまんばだよー!」

とクラスのみんなに叫んだ。「やまんば」というフレーズに一斉に子どもたちは反応し、武士のほうを向き、そのあとおもちゃやら絵本やらを片付け始めた。

 

 歳の暮あたりからトイレへ行くようにと全体的に声は掛けていない。暮れにはほぼ全員がオムツが外れたからだ。もちろんおもらしする子どもはいたし、逆に着替えや床の掃除など一時的に僕たちの仕事は増えたが、保護者と保育士と何よりも本人がパンツで行くと決めたということは、自分でトイレに行くという判断も含めてのことだ。だから活動の合間などにその都度「トイレに行け。」とは言わない。だけど、全く声を掛けないわけでもなく、遊びに熱が入っていたりしていくのを忘れているんじゃないかと思うような子どもには、それとなく声は掛けている。

 おかたづけの終わった、麦、康江、波、それに絵本を読んでいた瞳がトイレに来た。麦と瞳はそのままトイレに入り、波と康江はトイレの入り口でズボンとパンツを脱いでトイレに入って行った。二人のズボンとパンツが落ちている姿がまるでセミの抜け殻みたいに見える。麦はあっという間に出てきてそのままテーブルに向かった。ほどなくして瞳、続いて康江が出てきた。

「二人とも、て、あらった?」

と聞くと

「うん」

「うん」

と瞳は手を見せながら答え、康江はトイレにある自分のケースからおしり敷きを出しながら答えた。

「やっちゃん、こんどはひーちゃんみたいにズボンとパンツぜんぶぬがないでおしっこしてみたら。」

「えー」

おしり敷きを敷いて座って、パンツに足を入れ、立ってパンツをあげながら答え、僕のほうに顔を向けてにやっと笑った。あの笑い、なんだろう。やろうと思えばやれるんだけどね・・・、みたいな感じなのかな。康江はまた座ってズボンに足を入れ、立ってズボンをあげた。おしりが一度引っかかったので少し膝を曲げながらズボンをあげるとおしりをうまくかわしてはくことができた。

(どうやっておぼえたんだろう。)

少し感心した。康江はおしり敷きをまるめてケースに片づけるとテーブルの方に行った。

(あれっ、なみちゃんは。)

と思ってトイレを見ると波がボーっとして座っている。相変わらずだ。

「なみちゃん、うんち?」

と聞くと

「うううん。」

と首を横に振った。波も口ほどに体が動けばよいのだがやはり天は二物を与えないらしい。

「なみちゃん、おしっこおわったらでてくるんだよ。」

ととりあえず一言は声を掛けた。そのうち何かのきっかけで出てくるだろう。

絵本コーナーにいた知香や朝美はやってきたが、太郎と友子は図鑑のような本を二人で頭をぶつけるようにしてのぞき込んでいた。武士は義樹とブロックを焦り気味にバタバタと片付けていたが、緑は緑、赤は赤と色別にはしっかりと分けていた。

 

ままごとコーナーは相変わらず「ざ、散乱」状態であり、足の踏み場もない。僕が子どもの頃はそういった様を「豚小屋みたい」と言ったが、「豚に失礼でしょ、そもそも豚はきれい好き」という人がいてそういった表現もなくなった。リーちゃんがどこに何を入れるのかわかるようにかわいいイラストを描いてくれたのでずいぶんお片付けが上手になったのだが、今日はいつもに比べて今一つ進まない。そんな日もある。遊んでいたのは隆二、渡、薫、あき、善、幸夫だ。

「ままごとチーム、おかたづけはうまくいってる?」

僕は何となく声を掛けた。声を掛けて気が付いた。さっきまで遊んでいたはずの隆二と渡がいない。なぜか絵本コーナーにいる。おいおいそれはないでしょと二人に声を掛けた。

「りゅうちゃん、わたるくん、おかたづけ、まだおわってないじゃん、みんなやってるよ。」

「えっ、おわったよ。つかったおさら、かたづけたよ。」

と隆二。また二人で絵本を見始めた。

 隆二と、渡は自分で遊んだものは片付けたからまだよいが、みんなが片付けている時にまさしく「とんづら」とか「ずらかる」とか「ばっくれる」という表現がぴったりなことをする子どもがいる。「おかたづけの時間だからみんなで片付けようね」とか「みんながやっているから一緒に片づけようね。」とか声を掛けるが、明らかに遊んだにもかかわらず「じぶんはあそんでいないのでかたづけない」とか片付けていないのに「かたづけた。」とか言って頑として協力しない子がいたりもする。自分の意見が言える、言えたということを認めつつ、また彼女、彼らなりの理由なり事情はあるのだろうけれど、遊んだのであれば片付けて欲しいし、友だちがその子の分まで片付けているようであればなおのことやってほしい。

先日の町内の役員会で町内会費をなかなか納めない人や町内清掃になかなか参加してくれない人に対してどうすればいいか僕たち役員が話し合っている時に顧問のご老人が

「君たち、そんなの構うことはないから、そのままでいいから。そういう人間は黙っていても天罰、くだるから。」

と言った。会長が

「いや、事情のある人もおありでしょうから。」

とたしなめていた。さすがにこの程度で二、三歳の子どもに天罰がくだることはないとは思うが、万が一そんなことになるといけないので、僕は何とか説得を試みるが、うまく説明できず「やだー」「やんなーい」と言って立ち去ろうとする。僕たちはそういう子に対して「遊んだでしょ、片付けて!」「お友だちがやってるのにやんないの!」とか言いがちだけど、そう言ったところでやるとは限らないし、言ったほうの徒労感もけっこうある。リーちゃんとルーシーで話をして、一生懸命片付けている子もいるし、天罰がくだってほしくもないので、丁寧にお話はする。ただ基本は自分で気づいて欲しいので僕たちがモデルとして子どもたちと一緒に片づける姿を見せようということになった。

 僕と隆二と渡のやり取りを聞いてリーちゃんがすでにテーブルに座っている子どもたちに声を掛けた。

「まだ、おままごとコーナー、おかたづけおわってないみたいだね。」

と言うと

「ちかちゃん、おてつだいしてあげる。」

と言って知香が席を立った。

「むーちゃんもー」

と言って麦も立ち、つられて朝美も黙って席を立ちおままごとコーナーに向かった。

「ちかちゃん、むーちゃん、あさちゃん、ありがとう。」

リーちゃんが3人に声を掛けた後、僕は隆二と渡にそれ以上は言葉を掛けず知香と麦と朝美について行った。ままごとコーナーは物と人であふれかえっていたが、3人が応援に入っててきぱき片付け始めると薫やあき、善、幸夫も動きがよくなった。僕らが地道にモデルになったから3人が動いてくれたのかどうかはわからない。でも僕らがモデルになるよりは友だちがモデルになる方がはるかに影響が大きい。こうして友だち同士が影響し合ってよりよい生活をしていってもらえればと思う。

 

 僕たち保育士か、もしかしたらおねえさん、おにいさんがモデルになっているのかもということは時折、突然姿を現すことがある。

「タマダくーん、みにかーであそぶー。」

幸夫がミニカーで遊びたいと僕にリクエストがあった。金属製の部品が細かく、たまに取れたりするので、使わないときは、お着換えが入っているのと同じピンクのプラスティックの箱に入れて、押入れにしまっていた。ブロックコーナーの絵本コーナーよりには「うわさ」を聞きつけた隆二、武士、善もいた。幸夫が言ったのだろう。

「ケンカしないであそぶんだよ。」

と僕が彼らの真ん中あたりに箱を置いたとたん、餌に群がるピラニアばりにバシャバシャと箱に手が伸びあっという間に車の囲い込みが始まった。とりあえずそれぞれの取り分は確定し、遊びが始まった。この時点ですでに争いの火種があったことに気づかないわけではなかったが、何とかうまいことやってくれるのではないか、と言う希望的観測があった。

 僕はトイレ前にいて全体の遊びを見ていた。ルーシーは絵本を子どもたちに読み、リーちゃんは製作、パズルコーナーで折り紙を折っていた。各所を注意してみていたわけではないが、かといってぼんやり見ていたわけでもない。だが「事件」が起こった時すぐには動けなかった。(あれっ)と思い少し見てしまった。

まず、目に飛び込んできたのは背中を向けた隆二が武士の顔をはたいた。ぱちんと。すぐに鬼の形相とまではいかないが小鬼の形相の武士が隆二の顔あたりをはたき返した。ここで僕はそちら方向に動いた。ただ目の前で波と康江がブロックをしていたので、急ぎつつも注意しながら寄って行った。その間、隆二と武士がつかみ合いになり、隆二が両手で武士の胸を押した。武士がそのままひっくりかえったところに幸夫がいて、武士の手か腕か幸夫の顔に当たった。幸夫は怒って手に持っていたミニカーで武士のおでこの上あたりをポカリ、武士が痛さとショックで寝転んだまま大泣きし、同時に隆二も泣き始め、幸夫は武士をにらみつけるという状態だった。こういう時、ちょっとサイズの大きい動きの鈍いおっさんは役には立たない。波と康江をよけるのに時間がかかり、すぐそこの現場に到着したときはすべてが終わっていた。絵本コーナーのルーシーも同じくらいの距離だったがルーシーはあいにく座って子どもたちに本を読んでいたんで全くスタートできなかった。

 とりあえず隆二と武士の間に入って

「たけちゃん、だいじょうぶ?」

と言って武士を起こし、泣いている武士に

「頭見せてね。」

と言って髪をかき分けて見てみると若干赤くなっている程度だった。ミニカーで叩いたけれど手で握っていたのでまともにミニカーが当たっていなかったかもしれない。内心ほっとした。

「たけちゃん、いたい?ちょっとタオルでひやすからね。ルーシー、園のハンドタオル、ぬらしてもらってもいい?」

「はーい。」

「りゅうちゃんもびっくりしたね。だいじょうぶだから。」

左手で武士を右手で隆二の背中をさすった。最初は武士は叩かれたという驚き、隆二は武士が大泣きしたという驚きがあったので二人とも大きな声で泣き始めたが徐々に泣き声は収まってきた。ルーシーが手洗い場のかごに入っている園のハンドタオルを一つ取り出して水で濡らし持って来てくれた。

「ありがとう。たけちゃん、あたまひやすからね。」

武士も隆二もまだしゃくりあげていたので先に幸夫に話をすることにした。

「ゆきちゃん、いたかったねー。どこいたかった?」

「ここ」

と幸夫は顔を右の人差指で指した。

「かお、いたかったんだ。びっくりしたよね。」

と言うと幸夫はうなずいた。

「で、たたいちゃったんだ?」

幸夫、うなずく。

「ほら、たけちゃん、みてごらん。たけちゃんもいたかったんだって。」

「どうしてだとおもう。」

「ゆきちゃんがたたいたから。」

「そうだよね。」

もう一歩、踏み込むか。いけるか。

「どうしたらいいと思う。」

「・・・」

そんなに都合よくはいかない。

「いやなことあったら、『いやだ。やめて』っておくちでいおうね。」

ミニカーでたたいたことについてはこの際不問にする。反射的に手を出したらたまたま手にミニカーがあったということだと思う。あれもこれも言うと訳が分からなくなるかもしれない。今は『いやだ』『やめて』をおくちでいうことが心に残ればよい。

 僕と幸夫のやり取りを隆二と武士は聞いていた。すっかり泣き止んでいる。

「さて、りゅうちゃん、たけちゃん。どうしたの?」

「・・・」

「・・・」

二人は答えない。

「あのねー、りゅうちゃんがつかってたミニカーをたけちゃんがとっちゃった。」

僕の後ろから声がしたので振り返ると波だった。波はいろんなことをよく教えてくれる。よく見てるなーと感心させられることがしばしばだ。

「ちがうよ、つかってなかったよ。」

武士が即座に反論。

「つかってたー」

隆二、武士をにらんで発言。

「りゅうちゃん、かえしてって、たたくまえにおくちでいわなくちゃ。」

「りゅうちゃん、いってたよ。」

波の証言。

「りゅうちゃん、ちゃんとおくちでいえたんだ。たけちゃんはなんていったの。」

「たけちゃんはいやだって。」

武士に聞いたが答えたのは波。

「いやだったんだ。」

と武士に言うと武士はうなずいた。

「どのくるま?」

と聞くと武士が持っていたオレンジ色のスポーツカーをみせた。

「これかー」

何となくもめる予感はあった。目立つし、かっこよくも見える。ちょっと見通しが甘かったと後悔した。その時ままごとコーナーにいたはずの麦が僕の横に立って

「つかいたかったんだよね。ふたりとも。かっこいいもんねー。じゃんけんしたらー、じゃんけん。」

と言った。僕も武士も隆二も幸夫も少し驚いて麦の顔を見た。麦はパンダナで赤ずきんちゃん巻きをし、白いエプロンを腰につけ、手には鍋を持っていた。近所のおばちゃんが「ちょっと、ちょっとあんたたち」と言いながら仲裁に入った風だった。最初に反応したのは別にじゃんけんに参加しなくてもいい幸夫だった。

「じゃんけんぽん。」

と幸夫がパーを出すと遅れて武士も隆二もパーを出した。今度は3人で

「じゃんけんぽん」

と言ったが出すのはばらばらだった。再び

「じゃんけんぽん」

3人で笑いながらじゃんけん遊びが始まった。麦は満足そうにままごとコーナーに戻った。それにしても麦の「つかいたかったんだよねー。」がリーちゃんルーシーの真似だというのはわかる。彼女たちは子どもたちが友だちともめたり、失敗したりすると、まずその子どもの気持ちに寄り添うように『つかいたかったよね。』『やりたかったよね』『行きたかったよね』と言うことを繰り返していた。しかし、「じゃんけん」での解決はこのクラスではまだのはずだ。じゃんけんは知っていても多分ルールはよくは知らない。ままごとコーナーに戻った麦に

「むーちゃん、じゃんけんしってるの?」

と聞くと

「じゅんちゃんが言ってた。」

5歳児の純子が言っているのを聞いたらしい。麦は18時以降の延長保育で大きい子と一緒になる。純子もいつも延長だ。面倒見のいい純子は小さい子の世話をよく焼いてくれた。大きい子と一緒に遊んでいるうちに麦は学んだのだろう。すごいなー、大したもんだなーと感心して3人組を見るとまだじゃんけんをやっていた。もはやミニカー争奪戦はうやむやのうちに終了していた。

 

 トイレには武士と義樹と千穂がいて、波がようやく出てきてパンツをはいていた。ルーシーが手洗い場でおしぼりを絞りながら絵本コーナーの友子と太郎を見ていた。自分たちで気づくことを願ってまだ声は掛けていないようだ。あれっ、例の二人組、隆二と渡はどこ行った、と思ったらかたづけが終わりそうなままごとコーナーで発見。友だちが片づけがようやく終わったという達成感を感じている中にちゃっかりと自分たちも浸っている。ちょっとはこちらの言うことも心に響いたか。ま、結果オーライとしますか。

 テーブルには準備が終わった面々が続々と座る中、達彦はうんうん言いながらアンパンマンのパズルをまだやっていた。武士がそばに来て

「ここだよ。」

と言いながら次々に指をさすものだから、ついに達彦も怒って

「たっちゃんがやる。」

と武士の手を押していた。前に座っていたリーちゃんが

「たけちゃん、たっちゃんが自分でするからね。」

と言ってたしなめるとその場を離れリーちゃんのすぐ近くの席についた。

 

ようやく、達彦もパズルを終わらせトイレに向かった。怪獣図鑑で盛り上がっていた、太郎と友子も読み終わったのか、周りの雰囲気を察したのか、しびれを切らしてルーシーが声を掛ける前にこちらにやってきた。たぶん二人の脳内はヒトからティラノザウルスに変換されている。のっしのっしと歩き、二人の両手はティラノの手にそっくりだった。じょうずだなーと感心して見とれるほどだった。薫がパンツをはき終わり幸夫が用を足していた。

善がトイレを済ませた後、またおままごとコーナーに舞い戻り、ソファに座ってまったりしていた。

「ぜんちゃん、どうしたの?」

と声を掛けてみたが反応がない。

善は最近、妹が生まれ、お兄ちゃんになった。ママが産休が明けて育休に入ったあたりに久しぶりに当園したときに、リーちゃんに言ったところでは、家ではママに甘えて、ママが大変だったらしい。赤ちゃん返りだ。「園でもわがままを言うかもしれないがよろしくお願いします。」とのことだった。春先は、いろいろなことができなくて「くつがはけない、きがえができない」と言ってはべそをかいていたが、その後はそんなこともなく割と元気に友だちと遊んでいたと思う。が、久しぶりに当園して以降、おあつまりの時や、おやつ、給食、午睡、など活動が変わるときに切り替えができず、遊び続けたり、いったん片付けたのにまたおもちゃや絵本を出して遊び始めたりしていた。

ある日のおやつ前、トイレから出てきた善は扉のほうをじっと見た後、やおら「ふりちん」姿で扉に走り寄った。

「ぜんちゃん!」

排泄の手伝いをしていたルーシーの声を振り切り、善は扉を開け、部屋を出て玄関のほうに走って行った。流しでおしぼりを絞っていた僕は

「ぜんちゃん!」

と言って部屋を出た。2歳児室の先はホール、3、4,5歳児室、そして玄関、そのわきは図書コーナーと事務室なので、さほど危険な場所もないし、大人の僕が全力で走るとやはり危ない。僕は少し急いでるぐらいの感じで歩いて善のあとを追った。善は玄関の一段下がったコンクリートには降りずに玄関の正面に立って外を見ていた。

「ぜんちゃん、どうしたの?」

善は僕のほうを見て

「あれー」

と言って外を指さした。玄関は二枚の引き戸になっていて、そのわきはガラスになっており外が見える。善の指先を見たが何もない。

「なにかあるの?」

善はもう一度

「あれー」

と言って外を指さすばかりだ。仕方ないから僕は膝立ちになって善と視線の高さを同じにして外を見てみたがやはり何も見えない。そのまま二人で外を見ていたら、事務室からモコさんが出てきて

「あらら、ぜんちゃん、おちんちんだしてどうしたの?」

と声を掛けた。僕だけではなく、善も我に返った風でモコさんのほうを見た。

「何かに呼ばれたみたいです。」

「あっ、そうなんだ。でもパンツははいたほうがいいんじゃない、ねっ、ぜんちゃん。」

そう言われた善はモコさんのほうをじっと見たあと、無言で頷いた。

「ぜんちゃん、おへや、もどろうか。」

と手を差し伸べると、善は素直に僕の手を握ってくれた。

 

その日の昼に僕たち3人で善のことについて少し話をした。

ルーシー

「今日のぜんちゃん、ちょっとびっくりしたね。」

リーちゃん

「突然、パンツもはかないで、でていったもんね。」

「玄関で外を指差してじっと見てた。」

ルーシー

「ママの声でも聞こえた?」

リーちゃん

「姿も見えたとか。」

「モコさんに声を掛けられ、少し我に返ったかも。」

ルーシー

「ぜんちゃん、切り替えもなかなかできないね。」

リーちゃん

「そうだね、大好きなママが取られるかもしれないと思って、気が気でないのかもね。」

「そんなの意識してる?」

リーちゃん

「意識しなくても無意識のうちにそう思っているでしょ。少し様子を見ながら声を掛けて言ったほうがいいのかな。」

ルーシー

「たまだくん、ぜんちゃんがボーっとしてるからって、うっかり、あーしろ、こうしろって言わないでね。今は、前みたいに言っていないから大丈夫だとは思うけど。」

「言わない、言わない。」

僕は少し、しどろもどろに答えた。子どもの主体性を尊重すると言いつつ、長年の癖がなかなか抜けない。気をつけなきゃという心の内をルーシーに見透かされていた。

リーちゃん

「クラス内での様子を見てだけど、遊びにも付き合ってあげたほうがいいかもね。」

 そんな話をした次の日、リーちゃんが善についてくれた。着替えやトイレ、さらにパズルや、レールなどの遊びにもそれとなく寄り添い、所々で声をかけたりすると、善も素直に応じることが多かった。やっぱり、どの子も局面によっては、1対1の対応が必要な時もあるんだなと思った。

 

体調の確認はしようと思って、ソファに座っている善に近づいて

「ぜんちゃん、ちょっとごめんね。」

と言いながら、おでこに手を当てたが熱はないようだった。

「おあつまり、はじまるよ。」

と声を掛けたが、やはり反応がない。ママの事でも考えているのかなと思い、いつもいつもは付き合えないことを申し訳なく思いつつ、とりあえず僕はまたトイレ前に戻った。

 

 用をたしている友子、太郎、達彦、そして善以外は席についていた。

「わたるくん、わらべうた、やる?」

リーちゃんが渡に言うと渡は嬉しそうに

「うん」

とうなずいて前に出てきた。リーちゃんが渡に振ったのには訳がある。渡はわらべ歌が好きで一人でよく歌っていたし、時折、保育士の真似をしてともだちの前で歌ったりもしていたからだ。渡が前に出るのを見ていた麦が

「むーちゃんもー」

と渡に続いて麦が出てくると、僕も私もとなり結局、渡、麦のほかに知香、朝美、武士、隆二、千穂、康江、波、薫、幸夫が前に出てきた。子どもたちはリーちゃんとテーブルの前に横一列になって並んだ。瞳はリーちゃんの前の席に座り、微動だにせず前に並ぶともだちを見、義樹は周りがみんな前に行ったので、少しびっくりしたような顔をし、あきがなぜか恥ずかしそうに身をくねらせながら座っていた。ルーシーは廊下側のテーブルの後ろに座って

「みんなでちゃったら、みるひといなくなるよ」

と言い、僕はトイレチームを見ながら(そこまで出んでも)と思い、リーちゃんもおやおやというという顔を一瞬見せるには見せたが、今さら席に着くように促したところですんなりと戻るとも思えなかったのだろう。わざと大げさに

「いっぱいだねー。」

と驚いて見せた。

「わたるくん、なにをする?」

リーちゃんが聞くと渡は少し考えて

「いちべぇさん」

と言った。

「いちべぇさん?みんな、いちべぇさんだって、できる?」

『いちべぇさん』は言葉も難しいし、ふりもある。さすがに渡だ。しかし他の面々はかなりあやしい。

「みんな、じゅんびはいい?それじゃぁ、はじめるよ。せーの」

「せっせっせ」

「いちべぇさんがいもきって」(切るしぐさ)

「にいべぇさんがにてたべて」(両手をくちもとへ)

「さんべぇさんがさけのんで」(飲むしぐさ)

「よんべぇさんがよっぱらって」(体を左右にゆらす)

このあたりから渡以外の面々は周りをきょろきょろしだした。歌も歌っているのか歌っていないのか、ふりもなんだかワンテンポ、ツーテンポ遅れている。

「ごうべぇさんがごぼほって」(両膝をたたきながら怒るしぐさ)

「ろくべぇさんはろくでなし」(肘を張り、こぶしを握る)

ところが周りキョロキョロ、ふりも歌もぐだぐだから、キョロキョロがなくなり、歌は今一つだがふりが持ち直してきた。持ち直したのは廊下側の角に座っていたルーシーが子どもたちの正面に移動し、歌いながらふりを始めたからだ。ルーシー師匠の真似ではあるが子どもたちは調子を取り戻し、楽しそうに「いちべぇさん」を続けた。

「しちべぇさんがしばられて」(両手を後ろへ)

「はちべぇさんがはちにさされて」(顔を指でつつく)

「きゅうべぇさんがくすりをぬって」(顔を手のひらでなでる)

「じゅうべぇさんがじゅうばこしょって」(荷物を担ぐしぐさ)

「あわわのあわわの、あぷっ!」

と言って頬を膨らました。にらめっこだ。前に並んでいる面々は一応に頬を膨らませた。テーブル組の瞳も頬を膨らませ受けて立ったが、義樹とあきは前の大勢の友だちの迫力に圧倒されただ見ているだけだった。トイレチームの友子と善と達彦はいちべぇさんが始まった段階で素早くパンツをはいてふりをし始めていた。さすがにおしり丸出しではなかった。

あきと義樹の口が少しあいているのを武士は見逃さず、

「あー、よっちゃん、あきちゃん、わらったー。」

武士の勢いにあきと義樹は少しドキドキしたようで、目が泳いでいるような感じだった。リーちゃんがころ合いとみたか、

「よっちゃんもあきちゃんも、すこしびっくりしたんだよね。わたるくんもさいごまでうたえたね。みんなもじょうずだったね。ありがとう。みんな、せきにすわってー。」

子どもたちは笑いながら席に戻っていく。部屋の中がさらに和やかさで包まれていく。

「ともちゃん、たろちゃん、たっちゃん、といれおわった?」

リーちゃんが近くの棚に置いてある「やまんば」を持ちながら「いちべぇさん」が終わるとまたもたもたしている3人に言った。リーちゃんの様子を見た友子が

「まってー。」

と言いながら慌ててズボンをはいてクイックイッと膝を折りながらおしりをかわしてずぼんのゴムを腰まで上げた。太郎も友子に負けじとズボンをはいた。達彦はようやくパンツをはいたところだった。

「たっちゃん、みてごらん。リーちゃん、なにもってるかわかる?やまんばだよ。

たっちゃん、やまんばみたい?」

そう尋ねると達彦はこっくりと首を縦に振った。

「ほんじゃ、がんばって、ずぼんはいてみよっか。」

と達彦に注意を促すために達彦の前に履きやすいように置いておいたズボンをもう一度敷き直した。が、そんな気遣いは無用だったようで、達彦はズボンに足を通し、立ち上がってズボンのゴムを腰まで上げて、さっさと行ってしまった。おしり敷きがそこに残されていたが、まあいいかと思って畳んで達彦のロッカーにしまった。やっとここは終わりだ。

 

さて善はどうした、と思ってままごとコーナーを振り返ると「お迎え」が来ていた。薫だ。薫は善の隣に座って、何事かささやいていた。何を言ったかはちょっと聞き取れない。何か言った後、薫は善の手を取って立ち上がった。すると善も素直に立ち上がって一緒に皆のほうへ向かって行った。二人がテーブルに向かっていくのを目で追いかけていくと別の視線とぶつかった。ルーシーだ。ルーシーもその様子を微笑みながら見ていた。ふと横を見るとリーちゃんも微笑んでいた。薫はそこまで、おせっかいを焼くタイプでもない。でも、「こんなにちっちゃい」のに友だちのことをいろいろ考えているんだなと思った。

 

全員集まったところでリーちゃんが

「さー『やまんば』の始まり始まり」

と言って子どもたちお待ちかねのお話を始めた。何せ自称「舞台女優」だ。いつの間にか髪の毛をまとめていたシュシュを外し、二の腕にかかるセミロングの髪を前側に垂らして紙芝居を読んでいる。(そりゃ、お岩でしょ)と僕なんかは思うがこどもたちにとっては、ただでさえ怖い話がますます怖くなり、それでも食い入るように見ている。声音を変え、やまんばと小僧のやり取りを演じ、子どもに恐怖心をあおりながらも、小僧の貼り付けたお札が、「まだまだ」という場面では子どもたちにも

「みんなも、『まだまだ』といってあげて!」

と呼びかけ、それに応じて子どもたちも

「まだまだ、まだまだ」

と紙芝居に参加していた。話が進み、最後の最後で和尚さんがやまんばが化けた豆粒をぽいと口にほり込むと、一応にほっとした顔をするのだが、中には別の気持ちになっているような子もいて、前にそういう子どもにどんな感想を持ったのか聞いてみたが今一つ答えることができなかった。これは全くの僕の推測だけれど、例えば「食べられてしまいやまんばがかわいそう」だとか「おなかの中に入ったやまんばはどうなったんだろう」とかいろいろな想像をしているのだろうと思う。子どもは本当にそれぞれ、いろいろなことに興味や関心を持つのだと改めて思った。

 

うちの園では3歳児になると生活空間が大きく変わる。まず3、4,5歳児の異年齢クラスになる。部屋も広くなるし、人数も多くなる。その年によって変動があるが概ね、各20人ずつ60人ほどだ。給食もホールでみんなで食べる。1テーブル6人掛けで、いろいろな年齢のお友だちと食べることになる。配膳は前方の配膳台におかずやごはん、おつゆが並べられ、給食係のお兄さんやお姉さん、保育士、栄養士に量を自ら申告してよそってもらう。それはいろいろな人とコミュニケーションをとることや、自分で量を決めたら残さず食べるという、言ったことは守るということを身につけるなどの機会を設けようというもので、これも甲園長の保育園のやり方を参考にさせてもらっていた。2歳児クラスでも10月頃から配膳台に来てもらい、多いものと普通と少ないものを並べ、子どもたちに

「どれにする?」

と聞いて、選んだものをトレイで運ぶ練習から始めていた。年が明けて、こんどは自分でどのくらい食べるのか言う練習を始めた。

「どのくらい食べる?いっぱい、ふつう、ちょっと?」

と尋ねると友子やあきは元気よく

「いっぱいください!」

と言う。彼女たちは日ごろから何でもモリモリ食べるので、あらよっ、みたいな感じで大もりでよそう。だがその他の子どもたちはあまり得意そうだないものがありそうだと、声も小さくなり

「ちょっと」

と遠慮がちに言う。少し盛り

「これぐらいたべられる?」

と聞くとまた遠慮がちに頷くが、それでも残すことはままある。まだ「もっとへらして」とか「もうちょっとはたべれる」といった加減は難しい。

うーん、どうしたもんかなと思うのは一部の子どもの

「いっぱい」「いっぱい」「いっぱい」だ。

この間も武士に

「おかずはどのぐらい?」

「いっぱい!」

「ごはんは?」

「いっぱい!」

「おつゆは?」

「いっぱい!」

「だいじょうぶ?たべられる?ほんとにだいじょうぶ?」

と僕も自分でしつこいなと思うくらい念を押すが

「うん!」

と満面の笑みで答えた。武士にとっては「いっぱい」はいいことで「ちょっと」はあんまりいいことではないようだ。食べるときもあれば食べない時もあるが、今回は武士は食べられなかった。念を押されたにもかかわらず「たべれる」と言ったものだから、そこは遠慮があるのか「のこす」と堂々と言えず、念を押した僕は避けてリーちゃんを呼んだ。

「どうしたの?」

「・・・」

となんだか小声でつぶやき

「えっ、なに?」

と聞き返すともじもじして

「たべれなーい」

と甘えた声を出した。ごはんが少しと、切干大根と、鮭のみそ焼きが少しずつ残っていた。おつゆはなくなっていた。

「さっき、たまだくんにいわれてたでしょ。たべれる?って。おうえんしてあげるから、もう少したべてみよ。」

とリーちゃん。3、4,5歳児クラスでは自分で言った量は食べるというルールがあるので、2歳児にもまずは「たべてみよう。」と伝えるがやはり無理に食べさせることもできない。まずは多い、普通、少ないの量と自分が食べられる量の相関を知ることから始めなければならない。それは配膳の時に声を掛け、量の多い少ないを確認しながらその子が申告通り食べることができればほめてあげることによって身について行くだろう。それは単に自分が食べられる量を知るだけではなく、他の人と話をしながら自分で試行錯誤して自分なりの結論を得る、そのプロセスを学ぶことにもなる。

 武はリーちゃんが

「もう少しだけたべてみよ。」

と言われ、少し身をよじらせながら、ごはんをぱくっ

「すごいねー、たけちゃん!つぎはおさかなさん。」

ぱくっ

「あとはだいこんさんだけだよ」

ぱくっ。

「すごいじゃん、おさらぴかぴかだよ。」

とリーちゃんに褒められ、胸を張って少し照れながらのどや顔をした。(なんだ、たべれんじゃん。)と思ったが、まだまだ2歳児、やさしい保育士さんに食べさせてもらい時も確かにある。

 

量の多い少ないなどを知ったり、自分の食べる量を言ったりする練習のほかに場所に慣れてもらうこともする。

 給食前、子どもたちがトイレや手を洗ったりして給食の準備をしている時に、ガラッと戸を開けたのは5歳児のお当番さんの耕一と静と良太だった。

「おむかえにきましたー。」

耕一と良太が声をそろえて元気に言った。無口な静はドキドキしているのか眼をきょろきょろさせてクラス内を見ている。

「ごくろうさまー」

とリーちゃんが応えた。

「たっちゃん、たろうくん、なみちゃん、おむかえがきたよー。」

とリーちゃんが3人に声を掛けた。毎日3.4人ずつ順番で3,4,5歳児クラスが給食を食べているホールに行くため5歳児にお迎えに来てもらっていた。この3人、準備がいつものんびりしているので結局、最後の順番になってしまっていた。今日、順番が回ってくるとわかっていたので朝のおあつまりの時に3人には、早めに準備を終わらせるように言っていた。波はともかく達彦と太郎は実際は行きたくてしょうがなかった。他の友だちが早々に準備を終え、5歳児がお迎えに来て、「いってきまーす。」と言って行ってしまうと

「たろちゃんもいきたかったー。」

「たっちゃんもいきたかったー。」

とひとしきりぐずることが常だった。

リーちゃんやルーシーが

「いきたかったよね、あしたはがんばってじゅんびしようね。」

と慰めていた。それが2,3日続き、漸く自分たちの順番が来た。リーちゃんが3人に張り付き

「ホールだよ、きょうはホールだよ。」

とささやき、つぶやき、準備が少し進めば

「できてる、できてる!」

と気分に乗せると達彦と太郎はトイレも手洗いも早々に済ませ、テーブルで待つことができた。

「やればできるじゃん。」

「すごいね、がんばったね。」

とリーちゃん、ルーシーに褒められるとどや顔になっていた。

 一方で動じることのない波は相変わらずのマイペースで、リーちゃん、ルーシーに

「なみちゃん、いそいで!」

と言われると

「わかったー。」

と元気よく返事はするものの、近づいてくる「敵」に

「ちょっと、なみちゃんのずぼん、ふまないでー。」

と威嚇したり、脳内で誰かとセッションしているのか、鼻歌を歌ったり、首を振りつつリズムを取っていた。それでもリーちゃんが多少はお手伝いをして何とか準備を終えたところに3人が入ってきた。

 ホールに付き添う僕が達彦、太郎、波の3人を5歳児の前に連れて行き

「こうちゃんはたっちゃん、りょうちゃんはたろちゃん、しずちゃんはなみちゃんをおねがいします。」

と言って一人ずつ名前を紹介しながらそれぞれの5歳児の前に順番に2歳児を割り振った。5歳児もさすがに2歳児クラスの子どもたちの名前は知らないはずだ。

「じゃ、2さいじさんのてをつないでもらってもいい?。」

そう言うと5歳児はそれぞれ2歳児の手をつないだ。

「いってきまーす。」

と僕が部屋の中に向かって言うと、テーブルの前の丸椅子に座っているルーシーと、配膳の準備をしているリーちゃんが

「はーい、いってらっしゃい。」

と笑顔で答えてくれた。そのあとから、既に準備を終えて、テーブルに座っていた、隆二や渡、武士、朝美らが

「ばいばーい。」

と言って手を振ってくれた。

 ホールに行くと5歳児担任のトムが

「たっちゃん、たろちゃん、なみちゃん、ようこそー」

と言って笑顔で出迎えてくれた。ホールのテーブルは6人掛けで普段は2歳児クラスのテーブルよりは高いテーブルを使っているが2歳児のために少し低いものを3,4,5歳児クラスで用意してくれていた。場所は配膳台の反対側の隅、慣れていない2歳児のためにあまり人の行き交いのないところにしてくれている。

2歳児3人がおしぼりをテーブルに置いて、5歳児3人連れられて給食をもらいに前方の配膳台に向かった。3,4,5歳児はまだ並んでいない。トレイをもらって量を言ってというようなやり方についてはクラスで練習済みだが、普段は慣れている僕たちが配膳している。3,4,5歳児クラスの配膳は給食当番の5歳児と職員で行う。今日の給食係はフルーツは純子、副菜は光一郎、主菜は秀美、主食は調理員のとしこさん、汁物は4歳児担任のはた坊だ。たぶん2歳児3人は知らない人から声を掛けられることになる。果たしてうまくできるか。僕は子どもたちのわきについて見ていた。オレンジをそれぞれが純子から渡された。十二分の一カットの大きさで皆同じだ。その隣の副菜に三人が進んだ。

「いっぱいですか、ちょっとですか?」

副菜担当の光一郎がおかずを入れる皿を持ってぶっきらぼうに尋ねた。配膳台に置かれたトレイの中にはほうれん草のおひたしがあった。太郎は臆することなく、しかも元気に

「ちょっと!」

続いて達彦も同様に

「ちょっと!」

野菜ものだったので「ちょっと」と言うとは思ったが、ここまで元気に臆せず言うとは思わなかった。僕らの時には「ちょっと」はもじもじしながら言うのに。そんなに「好き嫌いはだめよ」圧力を与えてたかな、と少し反省をした。意外だったのは波のほうで普段はあれだけぺらぺらと喋っているのに、もじもじし、静に

「いっぱいがいい?、ちょっとがいい?」

と尋ねられても今一つはっきりしない。もう一度静が尋ねてもどちらにもうなずくので、静もしびれをきらして

「じゃ、いっぱいのほうね。」

と決めてしまい、結局小食の波がそこそこの量の給食をもらうことになってしまった。僕も少し口をはさむかどうか迷ったが最初でもあるし、ここは子ども同士のやり取りを優先した。さすがの波も人見知りをするときがあるんだ、人は見かけによらない、先入観で物事を判断してはいかんとまた教えられた気がした。

 3人とも主菜の赤魚のみぞれ煮、ご飯をもらい、おつゆは危ないので僕がプレートで運んだ。波も最初こそもじもじしていたが、主菜を渡してくれた秀美がやさしく聞いてくれたので波もいつもの調子を取り戻し、「ちょっとー!」「いっぱーい!」と元気よく言っていた。

 2歳児クラスと3,4,5歳児クラスの一番大きな違いは待ち時間の長さだと思う。3,4,5歳児クラスは基本全員で「いただきます。」をするので一番早い人は30分ほど待たなければならない。そんなに待てるの?と思うかもしれないが、待てる子どもは早くから用意をしてお友だちと話をしながら待っているし、待つのが苦手だなと思っている子どもは少し長く遊んで、時間調整をしている。

 2歳児は慣らし段階と言うことで先に食べさせてもらっている。僕も配膳台の後ろに職員が各々持参の皿に盛り付けてもらった給食を持って、テーブルに向かった。向かう途中、いろいろな子どもたちに

「たまだくーん、ここあいてるよ。」

と教えてもらったが

「ごめーん、きょうは2さいじさんといっしょにたべるから、またこんどねー。」

とペコペコしながら向かった。子どもたちは「お客さん」に優しい。

 僕を含めて7人が席に着いたので

「じゃ、5さいじさん、おねがいします。」

と言うと5歳児3人が声をそろえて

「おててをぱちん、いただきます。」

それぞれが黙々と食べ始めた。食べ始めてからしばらくすると僕から一番遠くの左に座っていた耕一が急に大きな声で僕を呼んだ。

「たまだくーん、このこ、ほうれんそう、すててるー。」

(あーやってしもたかー。)

体調がよくなかったり、便秘気味な時に達彦がやってしまうことだった。僕ら3人が「いらないなと思ったときは、お皿の端っこに置いといてね。」と言い続け最近はそれもなくなっていたのだが、やはり環境の変化はついつい昔の癖を思い出させたようだ。

「たっちゃん、いらないときはおさらのはしっこにおいてね。いい?」

と言うと、達彦はそうだったそうだったみたいな感じで僕をじっと見て頷いた。

「ごめんね、こうちゃん。たっちゃんもおなかがいたくなったりすると、たべものをしたにおとしちゃうんだよね。したにおとさないで、おさらのはしっこにおくように、おしえてあげてね」

「わかったー。」

と、とりあえず納得した様子で耕一は言った。

 ほうれん草が苦手なのは太郎も同じでほうれん草が残っているのに気付いた良太が太郎に

「ちょっとだけたべてみる。」

と言いながらスプーンに少し入れて食べさせようとしていた。2歳児ともなれば、そんな赤ちゃんみたいなことせんでも食べられるから大丈夫だよ、と伝えるかと思ったが、太郎がまた普段は僕たちを呼んで「たべれなーい。」とか言ってなんとか逃れようとするほうれん草なんかを、嬉しそうにパクパク食べるもんだから、とりあえずは見逃すことにした。久しぶりの赤ちゃんとして扱われることを喜んでいるようだし、いつもと違ってお兄さんがやさしくしてくれるのがうれしいようだった。あーそうですか、ルーシー、リーちゃんにいいつけたる!お兄さんの時は、ほうれん草、おいしそうに食べますよって!

 波担当の静も波の世話を焼こうとしていた。好き嫌いはあまりないがとにかくゆっくり食べる波にたいして、

「ほうれんそう、だいじょうぶ?」

「さかなたべられる?」

「てつだう?」

と波にしきりに話しかけるが、波のほうは首を横にフルばかりで静も手持無沙汰のようだった。

 それにしても、と思う。耕一と静は3歳からの途中入園だった。始めて親元を離れ保育園に預けられたから、当たり前と言えば当たり前だが、耕一は入園して1,2か月は保育室内を走り回ってばかりで、壁やロッカーにドン!とぶつかっては方向を変え、また走ってはぶつかるというようなことを繰り返していた。

だから生傷が絶えず、僕らもどうしたもんかと弱っていた。散歩に行くときも友だちとではなく職員がいつも手をつないで行っていたことを思い出す。静は全くの無口で何もしゃべらず、なにをどうしたいかも言わず、話しかけられても返事もせず、話しかけた人をじっと見ている子どもだった。良太は0歳の時から園にいるようだが、僕が初めて会った3歳の時も甘えっ子で何かにつけベソをかく子どもだった。そういうことを思い出すと感慨深い。彼ら彼女らの成長ぶりを見ていると誰が決めたのかわからないが小学校に入学する年齢が6歳というのは適齢だと思える。

 2歳児の3人が、5歳児にかいがいしく世話を焼いてもらっていることは個の自立、自律を目標とすることには逆行するが、お姉さん、お兄さんがやさしくしてくれたという記憶は、人と関わるというもう一つの目標につながる。やさしくされ、心地よい気持ちになればそれをまた別の人に与えようとするだろう。

 4月から3歳児になれば4歳児5歳児のお兄さん、お姉さんと過ごし人とのかかわりが大きく広がっていく。今まで横だけだった関係が縦にも広がる。大人の数もかなり増える。いろいろな人と接しいろいろな経験をして少しでも人としての土台をしっかりしたものになるよう、僕たちはそういう願いを込めて、3,4,5歳児の異年齢クラスを組み、子どもたちと僕たち保育士を含めた大人が同じ空間で生活を共にできるようにしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

2歳児の保育「三つ子の魂デシデシドン12」

12,小指の思い出

 10月下旬

ある日の夕方、お部屋遊びの時、Aがままごとコーナーのソファーのところごろんと横になって、何をするわけでもなくじっと天井を見ていた。ここにBがやってきて、彼も座りたかったのだろう、Aの足元に無理やり座ろうとおしりをベッドの端に乗せたが、Aが足でBのおしりを押した。チャレンジに失敗したBはAの身体に仕返しなのか覆いかぶさった。パズルコーナーのテーブルに座っていた僕はちょっと危ないかなと思い

「Bくん!」

と声を掛けるとBは覆いかぶさるのをやめ、あきらめたのかその場を離れ、ブロックのほうへ行った。僕は視線をCのパズルに移して、少し間があり

「うぇーん」

とAの泣き声が聞こえた。ロッカー前にいたリーちゃんが近づいてAに

「どうしたの?」

と聞くと何も答えずただ右目を抑えて、しゃくりあげていた。

「Aちゃん、だいじょうぶ?めをみせて。」

ルーシーも来て、Aに聞くがAは目をしっかり閉じてしゃくりあげるばかり。園では基本的に首から上のけが、特に目や頭はとりあえず保護者に連絡して病院に連れていくことになっている。

「事務室に行って、お母さん連絡してくるね。Aちゃん、事務室に行って目を見てもらおうね。」

ルーシーがそう言ってAの手を引いて出ていった。

Aは春先にはまだほとんど言葉も出ていなかったが、最近はすっかり言葉も出てきて、普通に会話をしていた。しかし、驚いてしまったのか、具体的に状況を説明できなかった。こんな時、保育士が見ていなかったというのはなかなか大きなことになる。一から十まで子どものことをすべて見ることはできない。でも、けがをして、保護者に説明をするときはいかにも苦しいものになる。保護者も自分の子育て経験から、実際はすべてを見ているということは無理だとわかっているけれど、一方でプロなんだからと考えている人もいるとは思う。直前までの行動は見ていて、肝心のところを見逃した僕は結構、後悔した。もうちょいちゃんと見ていれば・・・。

園の方針では保護者に対して説明責任を果たし、持っている情報は基本的には公開するようにということだった。もちろんほかの子どもや家庭の個人情報についてはその限りではないが、保身のために事実を捻じ曲げることがないようにということを園長、主任からは告げられていた。少しでも後ろ暗いところがあるとそれは態度に出て保護者の不信につながるということであった。誰がママに対応するにせよできるだけ誠実に対応しなければならない。

保護者も変わってきてなかなか大変だとよく言われる。けれど基本的にはこちらから胸を開いて相手に飛び込み、信頼関係を得、仮に信頼を得られなくても、「そんなに簡単にはいかないよね。」と気を取り直し、また飛び込んでいく、ある種の鈍感さやしぶとさは必要だと思う。それはいつも保育士が子どもに対して知らず知らずのうちに行っていることだ。保護者に対しても子どもに対すると同様に行なえば、なんとか保護者もこころを開いてくれる。仮に返ってこなくても日常的に挨拶をにこやかにかわすだけで少しぐらいは誠実さも伝わる。

 

「ママに電話したらお迎えに来て、病院に連れていてくれるって。」

事務室からAと戻ってきたルーシーが言った。Aは相変わらず目をぎゅっと閉じている。

「Aちゃんの眼は見れた?」

リーちゃんが聞くと

「ダメだった。だから様子がわかんない。」

 それからほどなくしてママがお迎えにやってきた。ママの姿が保育室の入り口に現われるや、Aはいつもより早くお迎えがきたのでとても喜び、乗っかっていたルーシーの膝から飛び降りて、ママのところに駆けていきそのまま足にしがみついた。更にママの顔を見上げてジャンプしながら両手をあげて抱っこをせがんだが、逆にママはしゃがんで

「ただいま、だいじょうぶ?」

と心配そうに右目をつぶったAの顔を覗き込んでいた。

リーちゃんが、Aがベッドに寝ていたこと、そこで何かがあったと思われること、などを伝え、しっかり見れていなかったことを謝罪した。Aの母親はAのことが心配であったのだろうと思う。話が終わったら早々にAを連れて病院に向かった。

 

「どうしたんだろうね。B君が覆いかぶさったんだよね。」

ルーシーが小首をかしげて言った。

「そう、でもその時は何でもなかった。それから少しして泣き声が聞こえてすぐに見たけど、B君はブロックコーナーに行ってて結構離れてた。」

コナンや古畑の応援をもらいたいところだけれど、見ていないことを推測することは戒めなければならない。自分の主張をまだまだできない子どもに対しては子どもの実際の行動を見たとしてもその解釈は子どもの気持ちから離れて、独りよがりなものになる可能性は多々ある。

 

その後ママより連絡があり、角膜が傷ついていること、様子を見るため明日はお休みをする旨の連絡が入った。

 

けがをした翌々日の朝、ママに連れられてAは登園した。ママが詳しい事情が知りたいということで夕方お迎えに来た時にお話しすることにした。その時、ママは保育室に行くとAがママから離れずゆっくりお話が聞けないかもしれないので事務室で待っていてもよいかと言われた。とにかくAはママが大好きなのでお迎えの時には関わってほしくてママに絡みついてくる。その相手をしていると肝心のお話が聞けないと思ったのかもしれない。その日Aは何事もなかったように普通に過ごしていた。右目もしっかり開けていた。だが確かに右目の瞳の外側が赤みを帯びていた。ルーシーが一度「おめめ、どうしたの?」と聞いたがその問いに反応しなかったらしい。

 夕方、5時ころ保育室にモコさんが呼びに来た。事務室に行くと一番奥の応接コーナーでママは待っていた。BがAに絡んでいるところから見ていたのは僕なので3人で話して対応は僕がすることになった。傍らには主任のモコさんがついた。

「この度は本当にご心配をおかけして申し訳ありませんでした。A君の具合はいかがですか。」

モコさんが話を始めてくれた。園長はけがをした当日にママとは話をし、謝罪もしてくれていた。

「普段の生活は大丈夫なような気もします。痛がったりもしていません。ただお医者さんは角膜が傷ついているのでしばらく様子は見る必要があると仰っていました。」

ママは静かに言った。普段からおとなしい印象がある。

「けがをしたときどのような状況だったのか、少し詳しいお話を聞きたいと思いお願いしました。Aに聞いてもまだ上手に説明ができないので。」

「わかりました。もちろん事情をお話しするつもりでしたので機会を設けるつもりでした。」

と僕は答え、Aがベッドに横になっていたこと、「友だち」が覆いかぶさったこと、そこまでは何事もなかったがちょっと目を離した間に何かが起こり、Aの泣き声で気づいたこと、を話した。

「本当に申し訳ないんですが、けがをした瞬間見ていなかったので原因などについてははっきり申し上げられません。すみません。一応子どもたちの活動中は室内にせよ園庭にせよ責任者を決めて死角のないようにしておりますが、今回は少し至りませんでした。すみませんでした。」

「Aももう少し説明できればいいんですが。先生方も大変だとは思いますができるだけ子どもたちのことを見ていただければと思います。」

「わかりました。こちらの至らぬ点ばかりで本当に申し訳ありませんでした。」

「どうもありがとうございました。」

 

ママはそう言った後、僕と事務室を出て保育室へ一緒に向かった。僕はママに今日は園庭で砂遊びを友だちとしていたこと、遊びが盛り上がり、なかなかお部屋に戻ってこなかったことなどを話した。ママが入り口に立つと案の定Aは遊んでいた人形を放り投げて、ママのところに飛びつかんばかりの勢いでやってきてママにしがみついた。

「おかえりなさい。」「おかえりなさい。」

とリーちゃん、ルーシーが笑顔で挨拶をし、ママも微笑みながら会釈をして応えていた。

 今回、内心では不信感もあったであろうママが冷静に対応してくれたのはもちろんママが温厚な人だったということが一番大きな理由ではある。更にこの4月から入園して遠慮があったかも知れない。また、リーちゃんとルーシーがお迎えの時にママによく話しかけてAの様子を伝えていたことも大きいかもしれない。Aは2歳で初めて保育園にやってきた。ママもAも不安であったに違いない。そこを丁寧にフォローしたのはリーちゃんルーシーだ。まだ言葉の出ない春先から、ともすれば初めてのことに戸惑っていたと思われるAの不可解な行動、例えば仲良く遊んでいる最中に友だちにかみつこうとしたり(これは一種の愛情表現であろう)、食事中に寝転んだり(便秘で気分がすぐれなかったんだと思う)したことに対して、Aの気持ちを確かめ、丁寧に寄り添っていた。当然Aは二人になつくし、それを見いていたママは少なくとも悪い印象は持っていなかったとは思うのだが・・・。もしかしたらおうちでAから何か聞いていたかもしれない。もしかしたらお友だちの誰かの名前が出たかもしれない。気を遣って僕たちに言わなかったかもしれない。

 とはいえやはりその瞬間を見ていなかったのはなかなか厳しい。見ていないというのはもはや理由にならない。Aのママが温厚な人だったから我々にエールを送ってくれたが、厳しい人も中には当然いる。今回の場合も見ていれば、けがをしないような何らかのアクションは起こせたかもしれない。いろいろな局面でというか、何ならすべての局面でその日のリーダーが全体を見、ほかの二人は死角のないように散らばることは3人の取り決めだし、園全体の取り決めでもあった。重大事故は概ね「目を離したすきに」起こっている。

いずれにしろ最も大切なことは重いけがや死に至る重大な事故にならないように環境を整えておくことだ。子どもが成長し、発達する過程でけがは避けられない。また集団生活は子どもの成長発達には欠かすことはできないが、そのためのけがもある。これらを100%なくすことは難しい。しかし重大事故をゼロにすることはできる。子どものいる場所に危険なものはないか、危険な場所はないか、その点検は欠かさないようにする。そして環境は刻々と変わるので、常にそのことを気に留めておくことが大切だ。また、子ども自身が危険を察知する力を身につけることも大切だ。そのための環境づくりもまた怠れない。災害は忘れたころにやってくる。

 

 などと反省をし、大きなけがもなく1か月が過ぎたときに今度はDが事故ってしまった。今度は頭部打撲だ。この時は僕の目の前で起き、一部始終見ていたことは見ていた。

 その日は大きい子どもたちが園庭いっぱいにダイナミックに動き回って遊びたいということで2歳児は部屋の前のテラスで大型積み木とかキッズブロックとか言われるもので遊んでいた。積み木とかブロックとか呼ばれるものなのでそれらを組み合わせて何か作って遊ぶのだが、子どもたちは乗りものなんかを作ってそれに乗ったりして遊ぶ子どもが多かった。そのうち長さ1メートル弱、高さ20センチ、幅30センチのものを二つつなげてそれに立ち始めた。最初に立ち始めたのはEでその隣にF、G、H、そしてDが立っていた。Fがふざけて前にいるEを押した。Eは

「しないで!」

と強く言ったのだがそれにもかかわらずFはまた押そうとしたので今度はEがFを押し返した。するとFが隣のGに当たり、GがよろけHに当たり、HがよろけてDに当たりDがブロックから転落、転倒しテラスの端のコンクリート部分に側頭部をぶつけた。平らな部分であったが当然Dは痛さと驚きの両方があったと思うが、泣きじゃくり、すぐに抱き起し、頭部を見てみると赤くなっていた。これらのことが一瞬に起こり、あっ、と思ったときにはDは転倒していた。事務室に連れていき園長、主任に確認してもらい、頭部ということで保護者に連絡の上、嘱託医に連れていくことになった。保冷剤で冷やしながら事務長の車で嘱託医のところに行き、視診をしてもらい、念のためレントゲンも取ってもらったが、異常はなく、少し様子を見てくださいとのことだった。

 今度はDのママに心配をかけることになってしまった。今回も事務室の応接コーナーで事の経緯を説明した。今回は見ることは見ていたので説明自体はできた。ただ見ていたのに事故を防ぐことができなかったということで我ながら歯切れが悪かった。

「ドミノ倒しみたいになってしまって。もう少し早く声を掛けていればよかったんですが。」

「うちの子どももまだまだでご迷惑をおかけします。」

などと言われるとこちらも恐縮するばかりであった。

 今回の問題は一つには2歳児に対する認識が甘かったことがある。台の上で押し合いをすれば危ないということを理解する子どもがまだまだ少ないということ。更に転倒したときに受け身を取れるなど身のこなしを身につけている子どももまだ少ないということ。僕自身、このぐらいの高さのものに乗ってもけがをしないだろうという根拠なき楽観があった。さらに言えば遊ぶ用途と違う遊び方をそのままにしてしまったということも言えるかもしれない。おしりで乗ることはあっても立って乗るものではなかった。仮に倒れてもけがをしない環境を作るということでいえば、コンクリート部分にクッション材を張ればよいのだろうけど、そこに貼り付けるのは形状材質の上でなかなか難しい。となればクッションになるようなもので覆い隠しておけばよかった。プールの時にプールサイドに敷くウレタン状のものがそれの代用品になりそうではある。もっとも、広々とした土の上であればおそらく、けがもなかったであろう。ダイナミックに、けがの心配もしないで遊べる園庭、ないし公園は子どもの遊びには大切な場所だと改めて思った。

事故けがに関しては記録を取って職員全員で共有している。基本的には人間によるミスがほとんどの原因だと考えられるとなるとみんなの経験を共有し、個人の経験を他人の経験も併せて膨らませておくことは大切なことだとは思う。

このようにくどくど考えていると自分が子どもの頃は本当に荒かった。さすがに2,3歳の頃は覚えていないが、幼稚園の頃は擦り傷は絶えず、カットバンなんてないからそのままにしていたら、黄色の膿が出てきてまたそのままにしておくとかさぶたができて、かゆくてかいたらかさぶたが取れてまた傷口がひりひり痛んでの繰り返し。消毒液や赤チンもあったけど、あまりつけた覚えはない。頭もコブだらけ傷だらけ。僕ではないが、いとこの中学校が坊主が校則で、坊主にすると頭の傷のあとがはげているのでそれを気にして中学入学時に、坊主にすることを皆、嫌がったと言っていた。そういえば僕の子育て時代、子どもが通っていた保育所はたんこぶに砂糖水をつけていたけれどあれは効いたのだろうか。保育士さんが髪の毛なんかに遠慮なしにたっぷりつけてくれるんだけど、乾くと頭に砂糖が残っていたりして、妙な感じだった。「浸透圧の関係で効くんだよ。」と教えてもらい、なんか保育所らしいなと思える治療法だった。今ならどうなんだろう。やはりはっきりとした科学的根拠を示さないと保護者には納得してもらえないかもしれない。

 

事故けがの中で2歳児クラスで外せないのがかみつきである。

6月のある日の昼、子どもたちが寝静まった後、いつもの図書コーナーのところで休憩しながら書き物をしていた。僕はお便り帳を書き、リーちゃんとルーシーは「事故けが報告書」を書いていた。

「今日も止められなかったね。」

ルーシーはため息をつきながら言った。

「うん、止められなかった。」

リーちゃんがすぐに同意した。かみつきはかんだほうもかまれたほうも傷がつく。保育士は双方傷つかないように、かみつきが実際に起こらないように注意したり、環境を整えたりするのだが、なかなか止められない。特に2歳児は普段は友だち同士仲良く遊んでいる最中に起こるのでなかなか止めきれない。これが1歳児だと子どもたちが密集したり、密接したりすると何となく「におい」がしてきて、人数を分けたり、物理的に離したりして危険な状況を回避するのだが、2歳児はなかなか見通しが立ちにくい。

今日は2件。IがJに、KがLにだ。リーちゃんが書いている件は午前のおやつ前の室内遊びの時、IがJをかんだ件。ちなみに僕は遅番でまだ保育室にはいなかった。

 

室内でIとJが向かい合ってパズルをしていた。Iはディズニ―のお姫様、Jはアンパンマンのものをやっていた。IもJもパズルが大好きでこの時も二人で一生懸命やっていた。リーちゃんがトイレの前で全体を見ていて、図書コーナーにルーシー、ままごとコーナーに渡辺さんがいた。

「あーん!」と当然泣き声がしたと思ったら、Jが左手を右手で押さえ泣き、向かい側でIがパズルのピースを持って、Jのことをにらんでいた。ルーシーがすぐにJのところに行ったら左手の手の甲にくっきりと歯型がついていた。

「いたかったね、だいじょうぶだからね。」

と言いながら流しに連れて行って手の甲をもみながら流水で冷やした。リーちゃんが渡辺さんに全体の様子をお願いしてIのところに行き

「どうしたの?」

と聞くと

「Jちゃん、Iちゃんのとった。」

とぽつりと言った。テーブルを見るとアンパンマンとお姫様が少し交ざった状態になっていた。直前までもめている様子はなかったのでおそらくJが間違えてお姫様をつかんでしまったのだろう。

「いやだったの?」

と聞くとIは

「うん」

と頷いた。

「Jちゃん、いたかったみたいだよ。Jちゃんもまちがえたのかもしれないよ。Iちゃん、おはなしじょうずだからいやだったら『やめて』とか『かえして』とかいえると、リーちゃんはうれしいな。」

そういうとIはまた「うん」と頷いた。

 Iは自分のものが取られると思ってとっさに噛んだのだろう。リーちゃんが言うようにお話はそこそこできるようになったが、まだ「口」が先に出てしまうこともある。言葉が出るからと言って噛みつきがすっかりなくなるわけでもない。行きつ戻りつ子どもは成長する。

 

ルーシーの書いているのは午前のおやつ後に室内でKがLをかんだ件。

 今日は小雨模様だったのでおやつ後、給食までお部屋で遊ぶことにした。Kはおままごとコーナーでお人形の「ぼぼちゃん」をベッドに寝せて、テーブルにお皿を並べてMやNとおままごとをしていた。そこにLがふらりとやってきてベッドに寝ているぼぼちゃんが可愛くなったのか持っていこうとした。それに気づいたKが「Kちゃんがつかってた。」と言って取り戻そうとしたらLはそれを振り切るように背中を向けたところをKが肩口にかみついた。ルーシーはその時、隣のパズルコーナーにいて目にはしていたが「あっ」と思った瞬間にはKがかみついていた。ちなみにリーちゃんはロッカー前で全体を、僕は絵本コーナーで絵本を読んでいた。ルーシーが行ったときにはすでにKはLを離しており、「あまがみ」で済まないかなと思ったが大泣きするLの肩を見るとしっかりと歯型がついていた。Kを見るとKもLのほうを見て泣いていた。Lの肩に流水を掛けるわけにもいかないのでお手拭きをぬらしてLを膝の上に置き、肩をお手拭きでもみながら冷やした。

リーちゃんがすぐに泣いているKに近づき座ってKを膝の上に乗せた。Kはリーちゃんの膝の上でずっと泣いていた。しばらくして泣き止んだ時、

「おくちでいえなかった?」

と尋ねたが何も言わなかったらしい。

 

Kは実は前の日も噛みついていた。

 午前中、KとOが砂場で遊んでいる時、Oが持っていたスコップでKの頭を叩いた。リーちゃんがそばにいてだいたいのことを把握していた。リーちゃんによれば原因はKがOの使っていた皿を使いたくなって、黙って取ってしまったからだ。Oは何枚か皿を並べそこに砂を持って料理かなんかを作っていた。その1枚をKは取って自分の手元に置いた。「かえして」とOが言ったがKはよく聞こえなかったのか、知らないふりをしたのか、そのままにしていた。それを見てOは怒って「Oちゃんのだよ」と言って持っていたスコップでKの脳天をぽかっとやったらしい。Kは大泣きし、OはKをにらんでいたという。リーちゃんがすぐに行ってKの頭を見たが髪の毛のおかげか目立った外傷はなかった。リーちゃんがKの頭を冷やすために外流しに連れて行ったあとルーシーはOを砂場の近くのベンチに連れていき、「いやだったよね」とOに寄り添いつつ、「Oちゃん、じょうずにおしゃべりできるんだから、いやだったらいやだとおくちでいおうね。おともだちたたいたりしたら、けがするかもしれないよ。スコップみたいなのでたたいたら、もっとおおきなけがするかもしれないよ。けがしたらOちゃんもかなしいでしょ。おくちでいってもおともだちがきいてくれなかったらルーシーやリーちゃん、たまだくんにいってね。」というようなことを他の子どもを見ながら言っていたのだろうと思う。

リーちゃんもKに話を聞いているはずだ。KがOが皿を使っていたのを知っていて取ってしまったのであればOの気持ちを伝えつつ「かして」と言えればよいことを話し、もしわからなかったのであれば、Oが『かえして』とお話したときに知らないふりをせず、おともだちのお話を聞いてあげるように伝え、いずれにしてもOがスコップで叩いてしまったけれど悲しかったんだ、というようなことを話していると思う。いずれにしても何かを決めつけ頭ごなしに言うのではなく子どもが自分のしたことを言葉の力を借りて振り返ることができるようにリーちゃんは話しているはずだ。

僕は砂場と反対側にいてほかの子どもたちの様子を見ていた。トラブルが起きたときに三人とも動いてしまうと「二次災害」が起ってしまうかもしれない。ルーシーもそう思ったからOと面と向かって話すよりはベンチに座り横並びになってほかの子どもも見られるような位置で話すことにしたのだと思う。

 その後、お部屋に入って給食の準備の時、Kが早々に席についていた。リーダーのリーちゃんが前に座って先に集まった子どもに手遊びをしていた。Kもその中の一人でリーちゃんの手の動きを見ながら自分の手を動かしていた。ルーシーはトイレ前にいて排泄の援助をしていた。僕は最後まで園庭に残っていたPとQと一緒に部屋に入った。ふとロッカーの前に帽子が落ちており名前を見るとKのだった。

「Kちゃん、ぼうしおちてるよ。」

テーブルに座っているKに言うとKがリーちゃんの手遊びを見ながら椅子から立ち上がって帽子を取りに来た。僕はKに帽子を手渡した。Kはそれを受け取りロッカーに入れようとしていた。僕はクラス全体の子どもを見るとはなしに見ながらPとQの手洗いも見ていた。トイレを終わったOがとことことテーブルに近づき、あろうことかKの座っていた椅子に座ってしまった。リーちゃんがOに

「そこ、Kちゃんすわっていたよ。」

と言ったがOはすぐにはどかなかった。ロッカー前でリーちゃんの手遊びを真似していたKはリーちゃんのOに対する声掛けを聞いてテーブルに戻ってOに

「Kちゃんのだよ」

と押したがOはKを押し返し、その左の二の腕にKが噛みついた。リーちゃんがすぐに引き離したが、Oは大泣き、KはOを睨んでいた。リーちゃんがOを流しにつれて行き、腕をもみながら流水で冷やした。ルーシーが今度はKの横についた。おそらくOに言ったことを今度はKにも言ったのだと思う。ルーシーの話が終わったのかKは急に立ち上がって流しでリーちゃんに冷やしてもらっていたOの前に行き、両手をぐっと握りしめ、口を突き出すようにして

「ごめんねー」

と大声で言った。リーちゃんが

「あやまれたね、すごいね。」

と言ったリーちゃんの声が少し涙声だった。砂場でOを止められず、こんどはKも止められなかったからだ。Kはそれだけ言うと今、取り合いになった席に戻った。ルーシーは戻ってきたKに

「あやまれたんだね。やさしくいってあげればOちゃんももっとうれしかったかもしれないね。」

と言ったが、今のKにはこれが精いっぱいだったと思う。

KがOに対して「恨みつらみ」を持っていたたかどうかはわからない。持ってたかもしれないし、Oが叩いたのとKが噛んだことはたまたま連続して起こった二つのことかもしれない。でも起こった後は友だちと今日はあんなことがあった、こんなことがあったとそれぞれの記憶に残り、後悔したり、恨んだり、謝ったり、謝られたり、そんなこんなで自分とは違う、パパママとも違う人へのいろいろな思いが育まれるのだろうと思う。

 

「Kちゃんもわかっているんだろうね。」

 昼にお茶を飲みながら手分けしてお便り帳を書いている時にKの話になった。

「そうね、口が思わず動くのかな。お話はできるのにね。」

と、リーちゃん。

「今日はKちゃんを見てて切なかったね。」

と、ルーシー。

「昨日の今日だからね。自分に悔しかったのかな。」

「そこまでも考えていないかもしれないけど、感情的にはね。」

とルーシー。

「考えていなくても感覚的に悔やんでいるのだとしたらそれはそれで素晴らしいじゃん。1歳児の時はどうだったの?」

ルーシーに聞いてみると

「かむというよりむしろかまれていたほうだと思う。わざとじゃやないと思うんだけどなんだか人が使っているのを取っちゃうんだよね。それでおともだちが怒ってかんだり、あと窓とか、散歩車とか狭いところに入ろうとするんだよね。そうするとかまれちゃう。」

かまれる側の子どもがあるときからかむ側に回ることは実際にはある。相手にダメージを与える最大の方法として学習したのかもしれない。自分の身に起こった不幸を相手にしてしまうことは悲しい。だから僕たちは子どもたちがかむ、かまれることのないように、例えばおもちゃの数を増やしたり、密集しないようにしたり、かまれたときも、かんだ当人も嫌な思い出にならないように気持ちに寄り添った言葉をかけるようにしている。まだ、言葉が身についていない子どもたちの「いたい」とか「かなしい」とか、もやもやっとした気持ちに沿った言葉を保育士が言ってあげて、子どもたちの気持ちに言葉という形を作ってあげると少しは落ち着くような気がするし、後々自分の気持ちを立て直すことに役立つと思う。

 

僕は事故けが報告書の去年の2歳児クラスのところを見てみた。

「かみつきの原因はやっぱり物の取り合い、場所の取り合いかな。トイレ前のベンチの取り合い、窓から園庭を見ていて押し合って、おもちゃの取り合い、粘土の取り合い、給食の時の椅子の取り合い、コップを取られたと思って、抱きつかれて怒って。」

「でも数はやっぱり1歳児じゃない。物の取り合いだけじゃなくて理由の分からないのも結構あるし。」

「えっ、なに?」

リーちゃんがルーシーに聞いた。

「何もなくてもそこに友だちの指とか腕とかが視界に入るとパクって、たべちゃう。おいしそうに見えるんじゃないの。」

かみつきはルーシーが言うように1歳児クラスが一番多い。1歳児クラスでも2歳児クラスでもかみつきの理由は物の取り合い、場所の取り合い主だった理由だ。1歳児クラスではさらに例えば目の前の友だちの指が邪魔だったんじゃないかとか、ぷにゅぷにゅした二の腕がおいしそうに見えたんじゃないかとか、言葉が十分でない分、推測しかできないが、瞬間的突発的な時もある。その点2歳児クラスになると子どもたち自身が「~がいやだった。」と言えたりして、だいたい状況は把握できる。言葉が拙いので「口」が出てしまうとよく言われる。子どもによってはそうかもしれない。春先、まだうまく言葉で表現できないTがよく一緒に遊んでいたUの腕をを噛んでしまったことがある。仲良くままごとをしている時だった。おいしそうに見えたのか、それとも親しみの表現か。僕が子どものころ「小指の思い出」という曲が流行ったのだが「あなたの噛んだ小指が痛い」というフレーズがあった。大ヒットした「さざんかの宿」という演歌にも「抜いた指輪の罪のあと かんでください 思い切り」というのがあった。ひとの指をかむなんて大人の行為としていかがなものかと思うが、親しみを表す表現として子どももそういう時があるのかもしれない。一方である程度言葉が出ている3歳以上児でも噛みつく子どもはいるし、大人でもボクシング選手やサッカー選手が試合中に相手の耳にかみついたことは有名な話だ。人はなぜ噛むのかというはっきりした理由はよくはわからないが少なくともボクシング選手や、サッカー選手が親しみを込めて相手を噛んだのではないと思う。

 

 僕が見た後、事故けが報告書のファイルを何気なく眺めていたリーちゃんが

「ねえ、Kちゃんだけどさ、噛みつくのって月の半ばの何日間か連続しているんだけど。」

と月別になっている報告書を4月、5月、6月とめくりながら言った。ルーシーと僕はファイルを覗き込むとリーちゃんは

「4月は16日、17日。5月は16日。6月は12日13日14日。」

ともう一度4月からページをめくり返しながら言った。

「ほんとだー。」

ルーシーが感心したように言った。

「たまたまでしょ。」

僕はそれほど意味があることとは思えなかった。むしろKの噛みつきは多いいな、と思っていたことを再確認したような心持ちだった。

「これさ、満月かなんかじゃない?」

とルーシー。

「狼男?」

と僕。

「違うよ、サイヤ人よ。」

とルーシー。

「そうじゃなくて。前からさ、少し思っていたんだけどKちゃんのママって、少し太ったと思わない?」

リーちゃんがルーシーに同意を求めた。

「そうかも、それに元気も少しないような感じがする。」

ルーシーが同意した。

「だよね。だから満月じゃなくてママの月のものが関係してるんじゃない。体調が悪くなるとか、もしかしたらおめでたになったとか。」

「おめでた?」

意外な単語に僕は思わず声が出た。

「わかんないけど、可能性はなくはない。」

「たまだ君、さりげなく聞いてよ。今日、遅番だよね。」

ルーシーが僕に言った。ママは今日は閉園間際のお迎えだった。

「Kちゃん、ここのところかみつき目立つからそのことを聞きながら、家ではどうですかという感じで聞けばいいの?」

「うーん、かみつきのことを出すのはどうかな。」

リーちゃんがうなった。

「なんで?」

「本当に体調悪かったら、あんまり心配かけたくないし・・・。」

「えー、それでも聞くの?君らではだめなの?」

「ちょっと、違ってたらきまずいし、何かヒントだけでもわかればまたKちゃんのことでママに相談する仕方も見つかるでしょ。そこは『年の功より亀の甲』で、何とかうまく聞いてよ。」

ルーシーが軽く言い放った。

「『亀の甲より年の功』です。年の功もあんまりないけど。僕だったら気まずくなってもいいんかい。」

「おじさんは深刻にならないと思う。たまだ君、ぼ―っとした感じだし。」

ルーシーが理由にならない理由を言った。かみつきもさることながら、散歩に行かないと言って行かなかったり(後ですごく後悔していた)、理由はわからないがへそを曲げて1時間以上お着換えせずいたり(危うく、おやつを食べ損ねるところであった)時折、いつになく聞き分けが悪くなることがあった。おめでたを確認することはともかく、ママの話を聞くことも悪くないと思い、ルーシーの無茶な依頼を承諾した。

 

かみつき、ひっかきが起こった時も当然保護者に経緯を説明しなければならない。ルーシーによれば毎年、1歳児クラスの春の懇談会の時に「成長発達の過程でけがは必ず起こる。集団生活は子どもの育ちにとても大切であり、集団生活であるがゆえに起こるけがもある。ひっかき、噛みつきもその一つである。十分に気を付けるが防げない時もあることを申し訳ないが了承して欲しい」旨の園の方針を伝えている。2歳児クラスの春の懇談会でも同じお願いをし、さらに

「かみつき、ひっかきについては責任は園側にあり子どもには責任はない。謝罪すべきは園である。という考えに基づいて、かまれた経緯などは具体的に噛まれた子どもの保護者の方へお話はするが、噛みついたほうの子どもの名前はださない。また、繰り返しかみつくなど、子どもの育ちのため保護者と情報を共有したほうがよい場合以外は謝罪の必要性など気を遣うことになるのでかみついたことについては、保護者にはその都度報告はしないということにしたいが、それでよいか。」ということを保護者に伝えた。それに対して

「子どもがかまれたときは別に構わないが、かんだとき、あまりにひどい時は、常識の範囲で謝罪もしたいし、子どもの様子も知りたいので教えて欲しい。実は、かまれたときは子どもが言うので概ねわかってしまう。」

と言う意見が出た。その場では少し担任同士で話し合って検討してみますということにした。

すぐに三人で話し合ったのだけれど、かんだ子ども、かまれた子ども双方の保護者に名前を告げることは結局、「謝罪」の問題が生じてくると思われた。それはまた「謝罪をした」「謝罪をしない」という新たな問題を含む。なんか問題が複雑になりそうで、結局原点に返り、責任は園にある。謝罪はあえてする必要はないだろう。ということでとりあえず現在の方針を維持しつつ、かまれた子ども、かんだ子どもどちらにしても子どものために良い方向に向かうのであれば名前を告げつつ解決を図ろうということになった。今のところ保護者の協力を得ることができ、大きなもめごとにはなっていない。ただかみつきが起こったときは噛まれた子の保護者には必ず状況を具体的に説明し、理解を得るように努力はしている。

 

6時以降の延長保育は3歳未満児は0,1歳児室で行っている。2歳児の保護者はお迎えに来ると先に2歳児室に行って荷物を取ってから0,1歳児室に子どもを迎えに来る。そろそろ来る頃かなと思い0,1歳児室を出たり入ったりしながらママを待っていた。ママは 6時45分ごろお迎えに来た。

「おかえんなさい。」

僕は2歳児室の中に入りながら言った。さも偶然を装って。

「ただいま。」

ママは送迎表のお迎えの時間を書きながらこちらを向いて微笑みながら言った。僕は今日、Kがままごとをして赤ちゃんをおんぶして遊んでいたことなどを言い、おうちではどんな様子か聞いてみたがそれほど気になることはないということで、話はそこで終わった。やはり何の脈絡もなくおめでたの話はできない。この手の話に年の功はない。

 

1か月ほどのちママから妊娠したとの報告がルーシーにあった。月のものや、体調の良しあしや、妊娠と、Kのかみつきとのはっきりした因果関係はわからないが、でもKには新しい兄弟ができることはわかっていたんじゃないか、大好きなママを取られてしまうんじゃないか、そんな不安をたくさん感じたように思えてならない。その不安とママの体調の変化とがリンクしたのかもしれない。幼児にはそんな巫女的な部分がある。おそるべし。

 

ひっかき、噛みつきは1歳児クラス、2歳児クラスでは一年中あるとはいえ8月9月を過ぎると数的にはぐっと減る傾向がある。今年もその傾向が出てきている。K自身も最近ではあまりかみつかなくなった。それを考えると子どもたちの環境が4月には激変するということは大きいと思う。部屋は変わるし、担任は変わる。担任も慣れているわけではないのでバタバタしている。ただでさえ子ども自身成長発達の真っ最中なので、心身ともに日々自分が自分でないみたいだ。それに加えて周りの環境がそれだけ変わればトラブルもふえるでしょ、という話だ。できることなら2月、3月あたりから新担任や新しい部屋に徐々に慣れることができればよいし4月以降落ち着くまでは主任やフリーの応援があればなおよいと思う。更に遊びの環境が大切であることは言うまでもない。一概には言えないけれど熱中して遊んでいれば人のことを気にしなくなる。まだまだ譲り合いができないようであれば物は少し多めに用意する。

事故をとめるには事前に環境を整えることが大切だ。その上でその場での子どもたちへの注意深いまなざしが必要になる。「段取り七分に技三分」物事は準備に70パーセントかけてその場での技術が30パーセント。前職の同僚のしげさんの教えである。

2歳児の保育「三つ子の魂デシデシドン11」

11,トイレの皆さま

7月初め

 子どもたちが寝静まったのが1時半、ほぼいつも通りだった。僕は太郎を「とんとん」し終えてロッカーにもたれて子どもたちの様子をぼんやり眺めていた。いつものことなのだがまだ武士がもぞもぞしている。今日園庭であれだけ活発に動いても簡単には寝付けない、基本的な体力は十分なのだろう。ルーシーが添い寝をしている。武士が天井を見ながらリズミカルに首を縦に振りながら何か口ずさみ始めたのでルーシーが

「たけちゃん、みんなねてるからね。」

と一言。武士はすぐに黙り、目をぎゅっと必要以上に固く閉じ、くるっとルーシーのほうに寝返りを打った。

 

僕は図書コーナーで事務作業をするため机を用意しているリーちゃんに向かって

「トイレ掃除、入るね。」

と小声で言った。

「お願いします。」

と同じトーンで帰ってきた。普通にしゃべったところで寝入っている子どもたちが起きるということはないのだが、そこはリーちゃんの気遣いだった。

 トイレの壁に据え付けてある二段の棚の上の段の箱からほうき、ちりとり、バケツを取って同じところにある使い捨ての手袋をはめた。箱は棚にしっかりとビスで止められている。掃除用具などを入れておけるロッカーはこのトイレにはないので棚に置くしかなかった。そうは言っても掃除用具などを無造作に棚に置くと地震などが起こったときに危ない。というわけで棚にそれらが入るくらいの箱を固定した。バケツには3枚の雑巾がかかっておりそれぞれに「たな」「ゆか」「ベンキ」とマジック大きく書かれている。「ベンキ」だけがカタカナである理由はわからない。ルーシーかリーちゃんのその時の気分だろう。バケツに水を汲んで同じ棚の、洗剤ばかり入っている別の箱から塩素系の消毒剤を取って、キャップに半分の量をバケツに入れる。バケツには3リットルのところに線が引いてあり普段掃除のときには0.02%の濃度の希釈液を作る。子どもの生活の範囲で消毒剤を使うこと自体あまり好ましいと思っていないが、感染症対策ということで行政の指導もある。殺菌、殺菌というのもどうかと思っている。というのも感染性胃腸炎が流行った時、僕と同世代以上の職員はほとんどかからなかった。証拠がはっきりあるわけではないが、僕ら以上の世代は細菌やウイルスの宝庫「ぽったん便所」で用を足すのが普通だったし、まわりがそこまで綺麗というわけでもなかった。細菌やウイルスとともに成長したので多少抵抗力がついたんじゃないかと思っている。

消毒液を作ったらまずは床の掃き掃除から。毎日掃いているのだけれど人が出入りすればゴミも出る。どこにたまっているのかほこりも落ちるし、よくわからんゴミも落ちている。土、これは確実に子どもたちが持ち込んだもの。髪の毛、どこにでも必ずあるごみ。誰のだろう。掃き掃除が終われば拭き掃除。基本は汚れの少ないところから。「たな」と書かれている雑巾を使って蛇口、トイレのレバー、紙巻き器など人の手が触れるところ、便座の表側のおしりがつくところ、一回すすいで手洗い場のシンク回り、窓の額縁、棚、最後に便器のタンク。これを便器ごとに繰り返す。

手前から水色、桃色、水色、桃色と便器の色が交互になっている。設計者の意図をはっきり聞いたわけではない。「男は青、女は赤」みたいな価値観で育てられた昭和の人である僕から見ると、男子と女子が好む色が半々ずつかな、と想像ができ、あまり違和感はない。でも今の若い人は「なにこれー。」と思っているだろう。僕らの頃はそうだったが今はそういう時代でもない。

 

昨日の午後「うんち。」と言ってトイレに入ったあきが手前から二番目の桃色のトイレで頑張っていた。

「あきちゃん、どうしたの?」

あきが便器に座って前のめりになってしくしく泣いていた。

「いたい。」

「どこいたいの?」

僕は勝手におなかじゃないかと思いあきの横にしゃがんで顔を覗き込んだ。

「おしり。」

「おしり?」

僕はおしりのほうを覗き込んでみたが上からではよくわからない。

「ルーシー、あきちゃん、お尻痛いって言ってるけどわかる。」

「なんだろうね。」

と言いながらルーシーがトイレに来てあきに尋ねた。

「おしり、いたいの?」

「いたい。」

「おしりのどこいたいの?」

それには答えない。確かにおしり全体は何となくわかるだろうけど「どて」だか「ほね」だか「おしりのあな」だかなんてまだわからない。「ここー」と言って触れる体勢でもない。

「うんちでそう?」

「うん。」

べそをかきながら絞り出すようにあきは言った。

「少し様子見てる?」

とルーシーは僕のほうに向きなおって言った。

「それしかないか。」

べそをかいている2歳児に申し訳なさがあったが実際今はそれしかない。僕はあきの隣にしゃがんで背中をさするぐらいしかできなかった。その間もあきはしゃくりあげていた。

「いたいよなー。いたいよなあー。」

と繰り返す僕にしゃくりあげながら「うん、うん」と答えるあき。そんなことを幾度か繰り返すうちに

「でた。」

力のない声であきが言った。やっとやっとという感じが伝わってきた。

「よかったね、おしりはいたくない?」

それには何も答えなかった。ただもうべそはかいていなかった。多少痛みも緩んだのだろう。

「あきちゃん、おしりふこうか。」

「うん。」

このクラスでおしりの処理まで自分でできる子はまだいない。

「おうまさんになって。」

あきは床に手をついておしりをあげた。こういうことがあるので床もしっかり消毒はしている。おしりをふいたときにペーパーに少し血がついていた。「えっ」と思い、あきのおしりを確認すると少し切れている。便器を覗くと大人と同じくらいのものがあった。これじゃぁ痛いわけだ。でもどうしてこんな大きなものがこんな小さな体内で作られるんだろう。

「あきちゃん、おしり痛くない?」

もう一度聞いてみると

「うん」

と股の間を通して、少し元気のある声。いつものあきに戻りつつある。

「あきちゃん、もういいよ。おててあらってね。」

律儀に姿勢を保っていたあきは起き上がって流しの蛇口をひねって手を水にさらした。

「あきちゃん、ちゃんとて、あらおうね。ゆかにてをついたからね。」

消毒はしているが床は床だ。僕はそう言ってあきの両手に自分の手をそえてあきの右手と左手を2,3度こすった。

「はい、オーケー」

そう言うとあきは水を止め、棚にあるハンドペーパーを一枚取り出して手をふき、少しまるめて、ゴミ箱にぽいと入れてトイレから出ていった。

 僕は便器を覗き込みながら改めてその大きさに驚いた。彼女は食欲旺盛で何でもよく食べるけど、だからと言って出口でこの試練はないだろう。そう思いながらタンクのレバーをあげると、すぐには流れずびくともしなかった。「うそっ」とまたまた驚き、どうしたもんかと思っていたらゆっくりと少し斜めになりながら名残惜しそうにながれていった。

 あきはというと全く元気を取り戻し、パズルを始めていた。あれだけの不必要なものを体外に排出したのだ。身も心もすっきりとはこのことだよねとあきを見ながらそう思った。

 

棚などをふいた後は「かべ」の雑巾をすすいで各便器の間に立っている高さ90センチほどのパーテーションを含め壁を拭いて行く。周りの壁は腰の高さまでは普通の壁紙ではなく樹脂系の壁になっている。腰壁というものだ。この園はトイレに限らず廊下やホールも腰壁になっている。腰の高さまでは建物はなんだかんだ傷みやすいからその補強ということが大きな理由だが、材質を変えたり色を変えたりすることで内装のアクセントにもなる。

次に床をふく。床も壁とは別の樹脂系の材質になっている。ここの便器はおまるの親分のような形態で、2歳児の身体に比べると少し大きめだ。男の子も女の子も座ってするので、おしっこで便器の外を汚すことは少ないと思う。トイレが臭うのは床にこぼれたものや、立ってしたときに飛び散る小便だ。これらを適切に拭き取らず放置しておくと、そのうち何とも言えないにおいを発散することになる。トイレはもともと臭うものではない。家庭のトイレでそのうち何とかなく臭ってくるのは、男子がたってする小便の飛び散りを、そのままにしていることが一番の理由のような気がする。以前、僕も立ってしていた。恥ずかしながらそのころはトイレ掃除は連れあいにまかせっきりであった。連れあいは何も言わず一生懸命掃除をしてくれていた。ある時テレビの科学番組で立ってする小便の飛び散り実験をやっていた。じょうろをおちんちんに見立てて青い色のついた水を便器に落とすと壁と言わず床と言わず飛び散り、衝撃的だった。そのテレビの結論は「座ってするのが周りを汚さない一番の方法」というものだった。以降僕はトイレでは座ってするようにし、トイレ掃除も遅ればせながらしようと思った。

「あんた、なにしたの?」

トイレ掃除をすることを申し入れたときに明らかに、何かやらかしたなこいつ感、を出して聞いてきた連れあいに、おしっこの飛び散り具合について正直に話したら、少し怒気の含んだ声で

「今まであんたの不始末を私がしてたってことだよね。じゃあこれからずっと頼むから。(ぷい)」

てな感じだった。実際、立ってしているところなど見ていないので、今までは飛び散っているなんて想像もしなかったのだろう。しょうがない、今までお世話になってきたことだし罪を償わしてもらいます。ということで我が家ではトイレ掃除は僕の仕事になった。はずだったが、僕の仕事はプロの彼女から見て、全く不十分だったので、僕がしないわけではなかったが、やはり彼女が主力であることは変わらなかった。

 

想像に及ばないことは子どもに対してはよくある。

「たまだくーん、うんちでたー。」

このあいだ、太郎がパズルをやめて彼の専属うんち係の僕のところに来た。

「ええー、ほんとー?」

子どもの言っていることを、さも嘘を言っているような言葉遣いは慎まなければいけないのだけれど、これで3回目の「でたー」だった。1回目の「出たー」も2回目の「でたー」も出ていなかった。3回目の「でたー」も何もないだろうと思いつつパンツを見てみると、平べったいもちのようなものがペタッとおしりとパンツの間に挟まっていた。

「でとるやないかい。」

と独り言を言いつつ、まるっきり太郎のことを信用しなかった自分を恥じた。子どもの言うことと、子どもが思っていること、感じていることが必ずしもイコールでつながっているわけではない。太郎は「うんちー」と言って出ていないことがままあった。これは推測だが便意を催したり、おならが出たりした時も太郎は「うんち―」と言うようであった。出ていなくてもあながち嘘ではない。ついつい「でてないじゃん、うそいって」と言ってしまいそうだが、子どもは根拠のないことは言わない。大人の感覚では正確ではないことでも子どもの言葉の発達状況を考えるとストライクゾーンはできるだけ広くとってあげたほうがよい。

最近、太郎が

「たまだくーん、のんだー。」

と言ってきたときに

「なにのんだの。」

と聞くと

「これー」

と言って僕に見せたのは20センチぐらいにつながったチェーンリングだった。ままごとコーナーで食材か何かに見立てて使ってもらおうと思って置いたものだ。バラバラにすれば食べられなくもないが、基本的にここに置いてあるものはばらせないし、壊れた形跡もない。

「あーんしてごらん。」

というと素直に

「あーん」

と大きく口を開けたが見えるはずもない。

「たろちゃん、おなかとか、いたくない?」

「いたくなーい。」

と言うので、お迎えの時にママに話をして様子を見て欲しいと言った時

「すみません、また、変なことを言って。」

と笑いながら答えた。次の日、早番のリーちゃんがママに確認したところ、うんちにも混じってなかったようだと言っていたということを聞いた。太郎はいったい何を飲んだのか、別の何かを言いたかったのか、ストライクゾーンからかなり外れてボールはどこに行ったのかもわからないぐらい真相は闇の中だけど、幼児の想像力は大人の常識をはるかに超えていく。

 

「たろちゃん、ごめん、うんち出てたね、オムツ、かえようか。」

「うん」

太郎もいきなり謝られても何のことかわからないだろうが、とりあえずトイレの入り口のオムツ換えスペースに二人で向かった。

 

床が終わったら最後は便器だ。柄付きブラシと中性洗剤を棚から取り出し洗剤を便器の中にかけ、柄付きたわしでごしごしこする。便器のふちの裏の水が出てくるところも汚れるのでそこも忘れずこすり、タンクの水を流す。最後に「ベンキ」と書かれた雑巾で便器の外側を最初に拭き、そのあと便器のふちの上側から内側をふく。家でやるときはここは水で流せる掃除ペーパーでやる。雑巾でふいてそれを丹念に洗ってというよりは拭いた後、即廃棄できるほうが衛生的にいいような気がするが、園では経費の面で・・・ということだろう。最後に水洗いした「たな」用雑巾で蛇口やらタンクのハンドルなど金属部分をふく。次亜塩素系で消毒した場合、錆びる可能性があるからだが「えーい面倒だ」と思ってはしょることもないわけではない。

 次亜塩素酸を使ったトイレの消毒、おむつ替えが終わった後のマットや床の消毒、なにより、おむつ替えの場所を限定したり、手袋を着用したりと、日常的な活動で衛生を保ちながらおむつ替えを行っているが、時として保育園のトイレでは「衛生をたもちながら」などと悠長なことを言っていられないような「嵐」がやってくることもある。

 

先日の午後、部屋で過ごしている時、薫がパズルコーナーの後ろの壁にもたれてじっとしていた。彼女が暗い顔をしてじっとしていたり、わけもなくぐずぐずしているときは概ね便秘の時だ。おなかが苦しいとか痛いとかそんな感じになっているのだろう

「かおちゃん、だいじょうぶ?」

声を掛けてみたらこちらを見てかすかに頷いた。愚問だった。大丈夫なわけはない。

「おなかさすろうか。」

またかすかに頷いた。この間の散歩のときも帰る途中にしくしく泣き始め「どうしたの」と何度聞いても泣くばかり。しょうがないので抱っこして連れて帰り、ごろんと横になっているうちにウンチをして機嫌が直り、「あー便秘だったんだ。」とリーちゃんルーシーと納得した。

「ごろんして。」

薫に言うと薫はゆっくりとその場に寝転んだ。僕は薫のおなかをゆっくり丸を描くようにさすった。これを「手当て」というらしい。けがをしたときの「手当」のもともとの意味のようだ。以前持病の腰痛でつらかった時に息子の友だちのマッサージ師にさすってもらったことがある。手のひらを押し当てながらゆっくり円を描くようにさすってもらうと、腰がほんのり温かくなり、痛みも楽になった。おそらく血行が良くなったのだろう。腰とおなかと違うかもしれないが少しでも血行が良くなれば腸の動きも活発になるかもしれない。薫はじっと天井を見ていた。

「かおちゃん、おなかはってるの?」

ロッカーの中央あたりに立って子どもたちの様子を見ていたリーちゃんが言った。早番のルーシーはすでにあがっている。

「そのようですな。」

おなかをさすりながら僕はそう答えた。

眼の前のパズルコーナーのテーブルでは友子と幸夫がドミノを並べていた。ドミノは3センチ×4センチ厚さ5ミリの薄い直方体、色は赤、紫、黄、白などなど。以前にリーちゃんが遊び方を教えていた。二歳児にとって等間隔に並べることはなかなか難しく、立てることができる間隔は広すぎてドミノは倒れず、いい感じの間隔で立てると手がぶつかりドミノは倒れ、倒れるたびに友子と幸夫は顔を見合わせ爆笑していた。

僕たちの右隣のままごとコーナーでは麦と知香が丸テーブルに座って紙の財布とお金で買い物ごっこをしていた。紙の財布とお金は以前にリーちゃんが広告紙で折ったもので、お金はその財布に入るぐらいの大きさに広告を折ったものだ。白地のところにはいくつかの〇と縦棒が書かれていた。丸テーブルには果物や、野菜、肉などの食材、コップ、皿、布やひもが所狭しと並べられていた。二人とも手提げバッグを持ち、既にカバンの中には何か入っているようだった。二人は丸テーブルの開いたところで自分たちの財布の中身を出して見せあっていた。いったい何を比べているのか頭を寄せ合い財布やお金を見ながら何か小声で話をしていた。

 ままごとコーナーの奥の押し入れのところでは康江と波と渡がお医者さんごっこをしていた。医師の康江がタオル地の布でできた注射器で、パズルコーナーから持ってきた椅子に座っている患者の波の左腕に注射をしていた。その後ろに渡が同じように椅子に座って順番を待っていた。

「はい、おわり、なかなかったね、えらいね。」」

康江先生は注射のお終わった波に向かってそうほめたたえた。注射の終えた波は立ち上がり次の渡に席を譲り、康江先生のわきに立った。

「わたるくん、おなかだして。」

康江先生が渡にそう言うと渡は素直にシャツをめくっておなかを出した。康江先生は患者の話を聞かなくても何かお見通しらしい。床に転がっていたやはり同じタオル地の聴診器を首にかけ、おなかをポンポンと聴診器を当てて音を聞いていた。

「だいじょうぶ、おくすりだしますね。はい、つぎ。」

康江先生は交代を促していた。

「なみちゃんもやりたいー。」

「いいよ。」

康江先生は手に持っていた聴診器を新任の波先生に渡していた。

 絵本コーナーでは千穂と善が二人で寿限無の本を見ながら

「じゅげむ、じゅげむ、ごぼうの」

と唱えていた。テレビの教育番組を見て覚えたんだろうが字も書けないのに、意味も分からないのに音だけで覚えてしまう。言葉の覚え始めってすごい力を持っているんだなと思う。うちの子どもも1歳か2歳の時に母親が寝るときに歌った富山民謡の「こきりこ」をばあちゃんの前で披露し、ばあちゃんが

「この子は、天才ちゃうか。」

と言って大喜びしていた。

千穂と善は二人で声を合わせて唱えるのが楽しいのか、間違ったら最初からとか、途中からとか、とにかく楽しそうに何度も唱えていた。

 

 子どもたちが友だちと楽しく遊んでいる姿を見ると僕らも心が和むことを感じずにはいられない。

 などとほんわりした気分に浸っていると、かすかにほんわりとは違う、もやっとしたにおいが漂った。

「あれっ、かおちゃん、うんちでた?」

と聞いたが、僕のほうを見るばかりで答えない。(いまいち、出た感覚、まだわかんないかな)と思いながら

「かおちゃん、ちょっとごめんね」

小なりともレディーなので本人に断ったうえで僕は顔を薫のおしりに近づけた。

におった。間違いない。

「かおちゃん、うんちでたみたいだから、おむつかえよっか。」

「うん。」

返事はしたものの立ち上がるのもしんどそうだったので

「だっこする?」

と聞くと

「うん。」

と答えたので寝転んでいる薫を、僕の腕が薫のおしりを圧迫しないように立て抱っこして、トイレの入り口の前に薫をおろした。

「でたの?」

リーちゃんがこちらを向いて、さもよかったという風に僕に聞いた。

「そのようです。」

と僕は答えた。たぶん少し口元は緩んだと思う。薫のロッカーからおしり敷きとおしりナップ、パンツ型のオムツを出し、ビニール袋と手袋を準備した。入り口の壁に立てかけているバスマットを敷きその上に薫のおしり敷きを敷いて

「かおちゃん、ごろんして」

というと薫はゆっくりおしり敷きの上に寝転がった。ビニール手袋を右手にかけ、茶色のズボンを脱がしてパンツ型のオムツを破って広げてみるとコロンと丸いうんちが出てきた。

(あんまりオムツよごれてないな、かたいうんちだからかな)

と思いながら左手で両足を持ち、右手におしりナップを持ってふいていると「ゴロゴロ」とおなかが少しなったような気がした。

(あれっ、なんだろう)

と思った瞬間、茶褐色のドラゴンがうねるように突然現れた。ドラゴンは孤を描くように宙を舞った。僕は慌てて右手で受け止めようと思ったが、あっという間に手のひらから零れ落ちてバスマットの上にどさっと落ちた。ロッカーの前のリーちゃんに

「リーちゃん、リーちゃん!」

と呼びかけると、僕のトーンに異変を感じた友子と幸夫が、リーちゃんよりも先に「どうしたの、どうしたの」と寄ってきた。幸い夕方だったので子どもの数もずいぶん減ってはいたが普段、あまり聞かないおっさんの悲鳴にも似た声を聞き、ニオイもすればそりゃ「どうしたの」となる。残りの子どもたちも次々に現場に群がってきた。その後ろからリーちゃんがやってきて子どもたちの前にいったん出た後

「はいはい、みんな、ちょーっとうしろさがってねー。」

と言いながらまるで、ゴール前のフリーキックの時のレフリーのように、手を広げゆっくりと進みながら子どもたちを後ろに下げていった。

「はい、ここから前に出ないでね。」

と床に線をひくように足を動かした。幸夫がそれでも前に行こうとしたら

「ピピー、ゆきちゃん、でないでー。イエローカードだよー」

と即座に警告を発した。幸夫は慌てて規制線の後ろに下がった。

「リーちゃん、応援呼んできて、ちょっとこの状態では動けない。」

薫の足を離すわけにもいかず、離せばモノの上に足が落下してしまうだろうし、右手はモノまみれ、そんな姿をリーちゃんは見て、結構複雑な顔をしつつ

「了解いたした。」

と軽く言って子どもたちに

「これからみんなでじむしつにたすけをよびにいきまーす。おさんぽのときみたいにおともだちとてをつないでー。」

と言うと、子どもたちはあわてて近くのお友だちの手をつなぎ始めた。一人余った渡がきょろきょろしていると

「わたるくん、リーちゃんとつなご。」

と声を掛けると、渡は先頭に行き、リーちゃんと手をつないだ。

「しゅっぱーつ!あーる―こー、あーるーこー、わたしはげんきー!」

リーちゃんはいきなり「さんぽ」を歌い始めたが、いつものことなので子どもたちもすぐに反応して歌い始めていた。僕自身は、「わたしはーげんきー」という気分ではなく、モノに慣れている僕も、これほどのモノを手に抱えたこともなく、よくもこんなにとモノを見ながら、ただただモノとにらめっこをするばかりだった。

薫はというと周りが騒がしかったので少し戸惑いつつも明らかにさっきまでの暗い顔はなくなり、むしろ出すものを出してすっきりという顔つきだった。

「かおちゃん、ちょっとまっててね、おなかだいじょうぶ?」

と聞くと

「うん」

と答えが返ってきた。

すぐにフリー保育士のトッキーを連れてみんなが戻ってきた。

「早かったね。」

とリーちゃんに言うと

「ラッキーなことに途中でトッキーにあえたよ。」

とリーちゃんが答えた。トッキーに子どもたちを見てもらい、リーちゃんがかおちゃんのおしりをふいた。トッキーは去年の1歳児担任なのでこのクラスの多くの子どもたちと1年を一緒に過ごしている。リーちゃんが薫のおしりがかなり広範囲に汚れていたのであらかたふき取ったけれど、すっかりは取れなかったようで

「沐浴室に行ってお湯でふかせてもらうから。」

と言って薫の下半身に園のタオルを巻いて抱っこして連れて行った。僕は悲惨な状況になっている現場を片付けにかっかた。まず右手の手袋を裏返しにして外し、ビニール袋に入れ、横に置いてあったオムツや、おしりナップも入れて口を縛った。おしり敷きは私物なので大量の「ブツ」をできるだけ便器に振り落として二重にしたビニール袋を用意してそのまま入れた。これは事情を言って保護者に返す。保育士1年目の時、3歳児がおもらしをしたパンツを大して「ブツ」を振り落とさずにそのまま何も言わず返したら次の日「あのー、どういうことでしょうか」と聞かれた。控えめなお母さんだったからよかったようなものの、きつく抗議されても仕方なかった。すでにおっさんだったけど「若気の至り」だった。水洗いをして返してあげたいところだが、便を洗う際に何らかのウイルスが飛び散り、感染症がひろがる可能性があるので洗わずに返している。おしりに敷いていたバスマットはビニール袋に入れてそのままゴミ箱へ直行する。幸い床に「ブツ」はついていないが念のため雑巾で水拭きした後、次亜塩素酸で消毒をした。

 たぶん小ぶりのバナナ3本分ぐらいはあったと思う。「衛生に十分気を付けて排便の援助を行う」など吹っ飛ぶような事態だった。あきといい薫といい、このぐらいおなかに抱えていればそりゃ苦しいだろう。あらかた片付いた頃、薫がリーちゃんにだっこされた戻ってきた。

「たまだ君、かおちゃん、シャワー浴びながらなんか歌、歌っててめっちゃご機嫌だったよ。」

と言った。そりゃそうでしょ、あれだけたまっていたストレスがドラゴンに形を変えて消えたんだもの、天にも昇る気持ちで歌でも歌いたくなるでしょ。

めでたし、めでたし。

 

 

 

2歳児の保育「三つ子の魂デシデシドン10」

10,テクマクマヤコン

5月末

「なみちゃん、むーちゃん、まだー。」

しびれを切らしたルーシーがパジャマを着替えていない波と麦に声を掛けた。他の子どもたちの多くは午後のおやつを食べ終わろうとしていた。

「はーい」

と返事をしたのは波。麦はぼっーとしつつもしきりにおなかをぼりぼりかいていた。波は「見えない敵」と戦っていて「なみちゃんのだよ。」とか「もうほんとに※○☆♨なんだから」とか言っている。いい加減遅かった義樹のおトイレとおむつ替えが終わり、義樹がテーブルに向かったので僕は二人の間に座った。

「むーちゃん、なみちゃん、おきがえやってる。」

とりあえず声は掛けたものの二人の動きが早くなったというわけでもない。2歳児クラスは服の着脱、つまりお着換えもそろそろできる年齢に当たる。いっぺんにボタンのついたものは難しいので、できるだけボタンの少ない、かぶるだけで着脱できる服を着てくるとか、パジャマを持ってきてもらうように保護者にはお願いをしていた。

 麦のパジャマは上は白地に腕の部分がピンクのツートン。下はピンク。上着の中央で「美少女戦士」がポーズをとっている。波は茶色のクマのパジャマ。二人の目の前にはリーちゃんが着替えを並べておいてくれていた。上着は前が来るほうが裏にして置いてある。パジャマを脱げばそのまま服を着てズボンをはける、そういったリーちゃんの配慮なんだけど、子どもたちにしてみればそんなことはわからないようで、わざわざ服を取り上げ裏返しにして着ようとしたりする子どもも結構いたりする。

「むーちゃん、なみちゃん、おきがえしよ。」

もう一度声を掛ける。波は今、声を掛けられたのに気付いたという風に僕のほうを見て頷き、パジャマの上着を脱いだ。麦は相変わらず、ぼりぼりと体をかいている。乾燥体質なのだ。少しアトピーがあるのかもしれない。そもそも麦が午睡から目を覚ますこと、覚醒することはとても時間がかかる。起床時間になると人が多くなるロッカー側にあらかじめ布団を敷いておき、人より早く声を掛ける。以前にかけ布団をはいだら「ダメーーー!」と大声を出して、かけ布団を僕の手から取り戻したかと思ったらそのまま布団に抱きついて寝てしまった。一度では起きないので、何度か「むーちゃん、むーちゃん、おきるよ。」と声を掛け、さらに起きてきた子どもがかわるがわる声を掛けてくれて、ようやく起きる。起きた後もしばらく布団の上に座り、「むーちゃん、布団片付けるからちょっとよけて。」と言われてのろのろとよけるか、「ちょっとごめんね」と抱っこされ布団の横に置かれるか。だいたいそこが自分のロッカーの近くなので、そこで体をかきながら徐々に覚醒していく。はじめは夜更かしなのかと単純に思っていた。それとなくリーちゃんがお迎えの時ママに聞いてみた。

「むーちゃん、午睡の時に起きれないみたいなんですけれど夜はどんな感じですか。」

「朝もほんとに起きれなくて、夜は9時には寝てるんですけどね。」

そう言った麦ママは少しあきれたような顔をしていたようだ。ふとんをはいでいるとか、『ぱっぱらぱっぱパー、朝ですよー、起きろー』と叫ぶキャラクターの目覚ましを使っているとか、そんな話題でひとしきり盛り上がって話は終わったらしい。夜9時就寝はとりたてて遅いわけでもない。逆に9時に寝せるのはなかなか大変だ。お迎えが5時だとすれば家に帰るのが5時半前後。それからご飯作ります、食べます、風呂入りますとなればあっという間に9時に近づく。ましてや6時迎え、7時迎えとなればさらに大変なことになってくる。子どもの健康に明らかに差しさわりのある場合はともかく、各家庭の大変な事情にお構いなく「お母さん、もっと早く寝てください。」などとは言えない。そもそもこれは個々の家庭の事情というよりは社会全体の働き方や、家事分担の問題だ。

 そんなわけで麦についてはもうしばらく様子を見ることになったが、打つ手がないということが本当のところだった。ただ時間というものは有限でいつまでもそのままにしておくことはできないので、地道に次の行動の声がけはしていた。そのうちに徐々にではあるが覚醒するまでの時間は短くなってくると思う。たぶん、おそらく、そうなるはず・・・。

「むーちゃん、今日のおやつは、なんと、じゃじゃじゃーん、ドーナツです。あけちゃんたちが作ってくれたドーナツだよ、おいしいよ。おきがえしてたべにいこうよ。」

給食室の栄養士さんの名前を言ったりして話自体にアクセントをつけてみたが未だ覚醒には至らない。

 

かたや波はいまだに「見えない敵」との戦いは続行しているらしい。

「ちょっとこれなみちゃんのなんだからー。」

「なみちゃん、どうしたの?」

「ピンクいかみにするやつ、とられるー」

リボンか、髪どめか、カチューシャか。とにかく話を合わせて何とかおやつの方向へと気を向かせようという考えが芽生えてしまう。

「だれにとられちゃうの?」

「かえる」

どこのかえるだ、生きてるのか、ぬいぐるみか。こちらも想像が膨らむ。

「かえるもかみにするやつ、つかいたくなったんじゃない。」

「かみ、ないじゃん。」

仰る通り。

「なみちゃん、なみちゃんのドーナツ、かえるさんがたべちゃうかもよ。」

あっ、ちょっと脅かしてしまった。

「だめー。むしだよ、かえるたべるの」

あれ、カエルって、虫食べたっけか、カメレオンじゃないのか。自分の知識のあいまいさが時折子どもの発言で思い知らされる。

「おきがえして、たべにいこ。」

「タマダー、どう?」

波は時折、僕を呼び捨てにする。この間も午睡の時に

「タマダー、とんとん!」

と大声で叫んだ。僕は達彦のトイレに付き合っていたのだが、あわてて人差指を口に当て

「なみちゃん、しーだよ。ねるじかんだからね。あとでいくから、ちょっとまっててね。」

と答えた。もう血気盛んな若者でもないので、年少の子どもから呼び捨てされたからと言って逆上するようなことはない。むしろ何となくうれしい。仲間にしてもらえたようで。なんだか不思議だなと思うのは周りのみんなが「たまだくん」と言っているのに「タマダ」と言うことだ。呼び捨てが失礼なことだとわかっているはずはないし、「名前」と「くん」の「境目」がわかっているとも思えない。お友だちのことも「むーちゃん」「さおちゃん」だし、「リーちゃん」だし。「ルーシー」は、まあ全員が呼び捨てだけど。実はその他で呼び捨てを聞いたことがある。波の家で飼っているねこだ。ネコの名前を「ガルー」というらしい。波はよく「ガルーが、ガルーが」と言っている。ネコのガルー≒ヒトのタマダかもしれない。しかしそれを「姉御たち」はそのままにしておかない。

「なみちゃん、たまだくんはなみちゃんのかれしじゃないんだから、ちゃんと『たまだくん』ってよんでね。」

子どもたちと一緒におやつを食べていたルーシーが波のほうを振り返って言った。ルーシーもまた結構適当なことをいう。2歳児に「かれし」はどうなのよ。

波はルーシーのほうを向いてうなずいた後

「たまだくん、どう?」

と言いながら、せっかく着やすいようにリーちゃんが並べていたものを片手でつかんで僕に渡した。僕はもう一度リーちゃんが置いたように置いて

「このままきればきれるよ。」

と言いながら両裾を持ち、少し持ち上げて頭をくぐす格好をした。

波はそれで察したようで自分で白と紺のボーダー柄のTシャツを首にくぐらしたがそのあと首をくねくねし始めた。今度はだれかと踊っているらしい。

「なみちゃん」

と言った後「おやつなくなるけどいいの。」という言葉を飲み込んだ。

子どもによっては危機感を煽ると「いやだー」とか子どもが言って、こちらの言うことを聞くと「しめしめ」なんて思ってしまう。こっちもついつい煽りがちだが、はじめは何とか煽れば動いたのが、そのうち慣れて煽っても動かなくなり、さらに煽ってと際限がなくなり、結局脅すようなことになり、それでも言うことを聞かず大人が理性を失うということが繰り返される。自分自身振り返っても、とりわけ第一子ができて子育てというか子どもそのものが理解できず、大人の意のままに「ちゃんと」させようとしてやたら怒鳴っていたような気がする。ヒトとして新米の子どもと子育てが新米の親が向かい合う。そういう意味では第一子と親は特別な関係かもしれない。二番目の子どもからは親も余裕はできるだろうし、子どもも上の子の存在で違うだろう。

2歳児には要求が過大かもしれないけれど「腑に落ちて」「自分で納得して」「主体的に」行動する芽生えみたいなものはつかんで欲しい。だから保育士や親も含めた大人は「ちゃんとさせる」ことを優先して、やたら煽ったり、脅したり、さらには怒鳴ったりするべきではない。ましてや手を出すなんてことは論外である。これは僕自身の戒めでもある。

 

「むぎちゃん、びしょうじょせんしって、どうやってへんしんするの?」

麦のパジャマでポーズをとっている女の子を見ながら、僕は次の一手を繰り出した。それまでぼやーっとしていた麦が急に反応してたちあがった。麦が立ち上がったのにつられて波も慌てて続いた。

「どのこ?」

麦、覚醒。やる気満々で麦が尋ねた。

「どのこ?たくさんいるの?」

「いるよ」

当たり前じゃん、といった感じで波。確かに麦のパジャマには何人かいる。

「じゃ、このこ。」

と麦のパジャマで一番大きく描かれている子を指さした。

「☆×Ёね。わかった。」

麦がポーズをとりながら

「※Ё×☆〝♨―――!」

と僕には意味が取れない言葉を唱え、体をくねくねしながらポーズをとった。波はそんな麦を見ながらというか、真似をしてワンテンポ遅れてポーズを取った。

「へー、そうなんだ。じゃ、びしょうじょみたいにむーちゃんも、なみちゃんもへんしんしなくちゃ。」

ヨシ、結構いい手じゃないか、どうだ、と思ったが敵もさるもの、

「つぎは◎◆△※ね。」

と言いながらまた別の呪文をとなえた。

「むーちゃんはへんしんしないの?」

「ちょっとまって、つぎは₭₮♨◎ね。」

結局5人の変身をやり遂げた。横文字が多くおじさんにはさっぱりだ。昭和の変身呪文は単純だ。アッコちゃんは「テクマクマヤコン テクマクマヤコン」とコンパクトに言えば何にでも変身できた。実に効率が良い。ライダーは変身ベルトをつけてポーズを取りながら「へんしん!」と言えば変身できた。シンプルでわかりやすい。ウルトラマンやセブンに至ってはカプセルを空に掲げたり、メガネのようなものを目に装着して「ジョワ」というだけでよい。実はアッコちゃん、元通りになる呪文も持っている。「ラミパスラミパスルルルルル。」

これは美少女戦士の少女たちやライダー、ウルトラマン、セブンにはない。アッコちゃんは「変身状態」から日常に丁寧に戻っていく。それだけ日常を大切にしているように思える。

麦は午睡からなかなか起きられず、登園時、保育士に一番抱っこを求める甘えっ子ではあるけれど、普段はおしゃべりも上手な活発な子どもだ。ひとたび覚醒し始めるとどんどん活動的になる。更に今日は麦の好きなドーナツがおやつだった。そのことに気が付くと、さっさとトイレに向かい排泄を済ませてきた。麦は二歳児クラスに上がる段階ですでにオムツは外れていた。パジャマを脱ぐときも、白地にピンクのねこちゃんの絵柄の入った薄手のシャツを着るときも、紺地におしりのところが灰色の生地が縫われているズボンをはくときも、麦の目は友だちのぱくついているドーナツをしっかりとフォーカスしつつ、的確に手を動かして着替えた。敵を正確にとらえつつ手際のよい変身だった。パジャマを彼女なりに畳んで信玄袋風のパジャマ入れに入れ、パジャマ入れのかごにほり込み、手洗い場に向かった。手洗い場でも首は真後ろテーブルの方を向いていた。

「むーちゃん、ちゃんとおてて、あらうんだよ。」

後片付けをしていたリーちゃんに声を掛けられ、麦は向きなおって手を洗った。テーブルについた麦にルーシーがドーナツが乗っかっている皿と牛乳が入っているカップを置きながら

「むーちゃん、やっときたね。」

と声を掛けた。ドーナツを見ながら

「うん」

と言って、一瞬手を合わせて、あっという間にドーナツを食べ始めた。「いただきますは」とおそらくは言いたかったのであろうルーシーはリーちゃんと目を合わせて少し苦笑いをしていた。

 

波の戦いは終盤に差し掛かり、波も戦いにつかれてきたのだろう。漸くTシャツの袖を通し、立ち上がってパジャマのズボンを脱ぎ、ズボンを二つ折りに、上もさっと折ったようなおらないような状態でパジャマ袋に入れてかごに入れた。「お手伝いするから、たたんでみようか。」と声を掛けることもできたが、時間も時間なのでまた今度ということにした。毎日、毎日、「また今度」ではあるけれど。波は割と素早くオムツを脱いだ。蒸れていてかゆくなったのか、お尻を触りながらトイレに行った。僕は波が脱いだオムツを丸めてトイレのごみ箱にすてた。波はトイレに座ってじっと前を見ている。

「なみちゃん、でる?」

それには答えない。膀胱と戦っているのか。

 

きゃしゃで少しやせている波は脱ぐのは容易だ。ところが少し肉付きの良い武士や、達彦はうまく脱げない。腕を器用に畳んだり伸ばしたりすることが身についていないことに加え、余裕のある服を着ているわけでもない。子どもの成長は早い。気が付いたときに小さくなっていることもしばしばだ。それに加え子どもの服は高いので次々と買い替えるわけにもいかない。かくして成長が早く体格の良い子は着替えがしづらいことになる。

ある日、午睡前のお着換えの時、武士がやはり「できない―」と言ってべそをかいていた。べそをかいているということは悔しいのではあると思う。

「だいじょうぶ、だいじょうぶ、てつだうから。こっちのてをあげてごらん。」

僕はそう言って左手で武士の右の手首を持って上にあげた。そのまま右手で武士のトレーナーの裾をつまんで僕の左手を離すと武士の右手がするりと落ちた。

「ほら、ぬげた。はい、こんどはこっち」

反対も同じようにして脱いだ。

「首はぬげる?」

一応聞いてみる。腕が手伝ってもらったとはいえ割と簡単にできたのでその勢いで

「うん」

と少し自信なさげに答えて両腕で服を引っ張り上げると、なんとか脱げた。服が脱げた一瞬、少しこすったのだろう、しかめっ面をしたがその痛さには我慢できたようだ。これが真夏の汗をかいた時のTシャツだと体に張り付いていてチャレンジしたもののやはり「できない―」と言ってまたべそをかくことになる。そんなことを何回か繰り返すうちに体全体はもちろん、指先にも力がつき、体の使い方も覚え、一人でお着換えができるようになる。着替えに限らず排泄や、手洗いなどの基本的生活習慣の習得などは子どものそれぞれの発達度合いを見て、言葉のやり取りをお互い楽しみながら、自分でできそうなところは自分で、保育士が手をかけたほうがよいところは手をかけて、ゆるゆると行うようにしていた。こういった日常的なことを子どもと大人で共に行うことで一種の連帯感は生まれるだろうし、いろいろなルールや、危険なことに際しての注意喚起など、大人が子どもに伝えなければならないときに子どもは大人の話に少しは耳を傾けるのだろうと思う。

 

波はトイレの入り口にある棚から自分のおしり敷きとおむつを持ってきてオムツをはき、おしり敷きを片付けた後、自分のロッカー前に広げてある茶色のズボンの前に座った。おやつを食べ終わった子どもたちは図書コーナーで絵本を読んでいた。ルーシーが真ん中にいて数人の子どもたちに絵本を読んであげていた。テーブルには太郎と千穂と麦、そしていまだ着替えていない波。リーちゃんは皿やコップを片付けテーブルをふいていた。図書コーナーには12人の子どもがおり、ルーシーが絵本を読み終わったところで

「おそとにいくからみんな、くつしたはいてぼうしをかぶってじゅんびをしよっか。」

と声を掛けた。子どもたちは本をバタバタとかたづけ、中には無理に本を押し込みそれぞれのロッカーに向かった。子どもたちが去った後の図書コーナーは少し残念な感じで本があっちこっちに向いており、ルーシーが本の向きなどを直していた。たぶん、もっと工夫して声を掛けりゃあ良かったとか思っているに違いない。この時のルーシーに限らず僕たちは毎日そんな感じだ。あーすればよかった、こうすればよかった。そう思いながら内心で自分自身の行為に舌打ちしながら仕事をしている。

 一転にわかに波の周りが騒がしくなった。波はここまで来てもゆっくりとズボンをはいた。ようやく変身が完了した。もし誰か意図しなくても邪魔になるようなことになれば波は「ちょっと、しないでー!」と言うだろう。実際に手を出したりする子ではないが言葉は反射的に出る。今度は見える敵に戦いを挑むかもしれない。ちょっとこれ以上遅くなるのも何だなーと思い、僕は波の気をひくために声を掛けた。

「なみちゃん、ピンクの髪留めかわいいね。」

と言うと波はしかめっ面をして

「タマダにもかさないよ。」

波はそう言って手を洗いに行った。ネコとカエルとタマダは同類らしい。

 ようやく全員のお着換えは終わった。一仕事終わったので僕も日常に戻ります。

「ラミパスラミパスルルルルル」

「タマダー!タマダはへんしんしてないでしょ!」

あれっ、・・・なみちゃんは手洗いだし、・・・空耳か?

 

2歳児の保育「三つ子の魂デシデシドン9」

9,保育士、2歳児に人の倫(みち)を説く

7月末

午前中、お部屋で遊んでいる時、ロッカーの前で友子と波がもめていた。

「それ、ともちゃんがつかってた!」

友子が、波が腕にぶら下げているチェック柄の手提げ袋を引っ張って言った。

「ともちゃん、ぶろっくでしょ。」

波も取られまいとして友子を押しながら言った。押された友子は手提げ袋を余計に引っ張る。小柄な波が力負けをして手提げ袋をするりと腕から取られてしまい

「なみちゃんのだよー。」

といいながらべそをかき始めた。トイレの前にいたルーシーがすぐにそばに行き友子に

「ともちゃん、ままごとのときにかばん、つかっていたけどかたづけないでそのままにしてぶろっく、つくりはじめたでしょ。ほら、なみちゃん、みてごらん。ないてるよ。」

と言ったが、友子はカバンを持って波をにらんだままだった。

「ともちゃん、ルーシーのほうをみて。」

友子はルーシーにそう言われてルーシーのほうを向いた。

「なみちゃん、ともちゃんがきっとかえしてくれるから、それまであっちであそんでよ。」

絵本コーナーにいたリーちゃんが波の手を引いて絵本コーナーのほうに行った。

「すわって。」

ルーシーは友子にその場に座るように言った。友子は素直に従った。かばんは依然として友子に握りしめられている。

「なみちゃん、ないてたよね。なんでないてたとおもう。」

ルーシーは友子に自分でしたことを理解し、自分から波にかばんを渡してもらうべく世の習い、人として守るべき道、さらには人生の何たるかをを語り始める。

 実は、ルーシーがすぐに友子に寄って行かなければ僕が現場に急行し、友子から力ずくでカバンを取り上げ、波に与えていたかもしれなかった。少なくともその衝動にはかられた。子どもが小さかった頃、上の子が下の子が使っていたおもちゃを無理に取ったように見え、問答無用で上の子からおもちゃを取り返し泣いている下の子に渡したことがあった。その時、上の子が僕に向かってきて「使っていたのはわたしだ、わたしだ」と言って泣きじゃくりながらどんどんと胸を叩かれたのを思い出した。彼女にも相応の言い分があったのだろう。僕は何も言えず、連れ合いに仲を取り持ってもらい、上の子の気持ちをおさめてもらったが、その時以来、自分では明らかに非は片方にあるように思えるときでも言い分は聞くように心がけていた。もしかしたら自分の思い込みで「罪」をでっちあげるかもしれない。しかし、悲しいかな、非が明らかだと思える時はやはり冷静になれずに、大人の強大な権力を使いたくなってしまう。

そういえば子どもに注意をしたら、泣きながら叩かれたことがこのクラスでも2度あった。一度目は康江。ままごとコーナーで遊んだものを出しっぱなしにして別のコーナーに行こうとしたので、軽く

「だしたものはかたづけてね。」

と言うと

「いやっ。」

と返答され、ここが僕の未熟なところで2歳児にカチンときて

「だってやっちゃんがだしたものでしょ。」

と言ったところ康江が「ううーん」と半泣きになりながら平手で座っている僕の肩あたりをベシッ。

「ちょっと、ちょっと、やめてくださいー、いたいですー。」

と言ったらもう一回ベシッ。

「えー、いたいですー。」

と更に言うと完全にふてくされ、不思議なことにふてくされつつ皿やコップをしまい始めた。ちょっと扱いが乱暴なので注意するかとは思ったが、半泣きの康江を見てから少し冷静になった僕は隣で一緒に片づけた。かたづけが終わった時

「きれいになったね、はじめからそうすればよかったのにね。」

とまた余計なことを言ったもんだから康江も何も言わずブロックコーナーに行ってしまった。

 二度目は瞳。お集まりの時に隣の善の身体や足に人差指でつんつんして、善が「やめて」と言っているのに止めず、リーダーのリーちゃんが

「ひーちゃん、ぜんちゃんがやめてっていってるよ。」

と前から言うとその時は止めるがすぐにまたやるので、僕は

「ひーちゃん。」

と言いながら後ろから肩をとんとんとした。瞳が振り向いたので

「ちょっとこっちにおいで。」

と言うとその声掛けには素直に応じた。トイレの前に一緒に来て

「そこにすわって。」

と瞳に言いつつぼくも正座をした。

「ぜんちゃん、いやがってたよ。どうしてあんなことするの。リーちゃんもやめてねっていってたでしょ。」

と言ったとたん瞳にベシッと胸あたりを叩かれた。叩かれて以前に康江に不用意なことを言ったことや、娘を一方的に怒ったことを思い出し、まずは瞳の言い分を聞かねばと気が付いた。

「いやなことあった?」

瞳に聞くと瞳はじっと僕のことを見るだけだった。言葉では表せない、いやなことがあったのだろう。それを無理に言葉にして聞き出そうとしても難しいかなと思った。

「いやなことがあったらたまだくんにいってね。おともだちをおしたりするとおともだちもかわいそうだからね。」

瞳はまだ僕のことを無表情で見ている。少し頷いたようにも見えたがそれは気のせいかもしれない。

「席に戻っていいよ。リーちゃんがえほんよんでるから。」

そう言うと自分の席に戻っていった。

 康江や瞳が僕を叩いた直接の理由は娘と同じで、頭ごなしに悪いと決めつけられたからだと思う。康江も瞳も僕が見た限りでは明らかに二人に非があるように見える。でも二人にはそれでも納得できないものがあったのだろう。遊んだものを片付けないとか、人が嫌がるのにちょっかいを出すとか注意されても仕方のないことだけれど、2歳児にとってそれを受け入れる以上に気持ち的に不快なものがあったのかもしれない。社会の道理をすんなり受け取るには少なくとも自分の気持ちを言葉で表せるくらいにならないと難しい。2歳児ぐらいの子どもに必要なのは、はたから見ても明らかに非がある場合でも、何かがあると思い、先入観をできるだけ排除して子どもの話を聞くことだと思う。人の行動にはすべて理由がある。それがたとえ見えづらくても、ないように見えても、確かに理由はある。それをすることで後々、子どもたちが社会の道理を、親やほかの大人や、もしかしたら友だちから受け取る回路になるような気がする。頭ごなし

に「ダメでしょ」はその回路を閉ざしてしまう。

その理由を汲んであげれればと思いつつ、わかんなかったなーとため息を心でつきながら瞳の後ろ姿を見た。もともとお集まりの時の手遊びや絵本、紙芝居が大好きな瞳はリーちゃんの読んでいる「ノンタン」の絵本を一生懸命見ている。ほんとになんだったんだろう。こういう時は切にドラえもんの道具に頼って子どもの気持ちを聞かせてもらいたくなる。

 

誕生してからたかだか、2,3年しかたっていない子どもに対して勤めて冷静であろうとするんだけれど時として感情が高まるときもある。

麦、知香、波たちがきれいに丸テーブルの上にお皿を並べ、野菜だったり、魚だったり、ケーキなどのごちそうをたくさん並べみんなで「いただきまーす」と言って食べ始めたときに波が間違って皿を一枚落としてしまった。

「ガッシャ―ン」

その音が号砲になったのかどうかはわからない。隣にいた麦がわざと皿を落とした。それからはテーブルの上にあったすべての皿を3人で次々に落としていた。

「ちょっとちょっときみたち、たべものをそまつにするのはやめてください。たまだくんもてつだうからもとにもどそうね。」

理由はある。そう思いつつもちょっと思い浮かばず、食べ物を粗末にしない、というメッセージも多分うまく伝わっていないよな。などと考えた。3人とも素直に落とした皿を元に戻しその上に食べ物をおいた。

「お皿や食べ物を落とさないでね。」

というと

「うん、わかった。」

と麦が言い

「ちかちゃん、なみちゃん、だいじょうぶ?」

と問うと

「うん」

と二人とも返事をした。

それほど時を置かずまた「ガシャーン」という音がした。いつものトイレの入り口わきのところで子どもたちの遊びを見ていた僕は音がした瞬間、感情が揺れた。

「きみたち!それはないんじゃない!?さっきたまだくんとおはなししたこと、おぼえる?おもちゃこわれちゃうよ。あそべなくなっちゃうよ。とにかくいちどかたづけて!おさらとかたべものとか、おかたづけしてください!」

麦、知香、静はほんとにどうしたのというぐらい無表情だった。逆にこっちがおかしなことを言ってるのかなというぐらいだった。三人はノロノロと片付け始めたが、ままごとコーナーでよく遊んでいるのでかたづけの要領はわかっており、徐々にスピードアップしきれいに片付けた。

「おわった?」

「うん」

麦が代表して答えた。

「おわったらそこにすわってください。」

丸テーブルに3人は座り、僕も座った。

「さて、きみたち、たまだくんはさっき、なんていいましたっけ。」

「しないでって」

と麦。

「なみちゃん、なにをしないでだっけ?」

「ガーンとやるの。」

「そうだよね。ちかちゃん、おぼえてる?」

「うん」

「きみたちがいうように、さっきたまだくんはいいました、しないでねって。なんでだっけ?」

3人ともだんまり。

「どうしてだっけ?」

「・・・」

「どうして」とか「なんで」とか、わかっているのかわかっていないか、別の言い方は何だろう。

「おもちゃ、どうなるっていったっけ?」

「こわれる」

波が言った。

「そうだよね、ガーンってしたにおとしたらこわれるかもしれないよね。こわれちゃったらきみたちどう?」

「・・・」

うーん、どうだろう、もっと具体的でないとだめかもしれない。泣くか、いやいやわざとらしい。子どもたちと喋っているうちになんとか冷静さを取り戻してきた。

「たまだくんならないちゃうなー。なんかかなしくなって。きみたちもかなしくない?おもちゃがこわれたら。」

「・・・」

「むぎちゃん、どう?」

「かなしい」

あー言わしてしまった、ちょっと誘導尋問ぽかったな。

「ほかのおともだちもかなしむとおもうなー。これ、みんなのだからね。」

「ていねいに」、むずかしい、「たいせつに」、まだまだ、「やさしく」、このへんか

「やさしく、つかうんだよ。」

一応神妙に、三人は頷いた。

「でもどうしてまたテーブルのうえのものぜんぶおとしたの?」

「うーん、わかんない。」

と麦。知香は下を向いて黙ってる。説明の上手な波も黙っていた。

「とにかくこのあそびはやめてね。おもちゃがこわれたら、みんながかなしくなるからね。」

何とかこどもたちが忘れないように同じ文句を繰り返した。

さて、なんでなのか。

 

「あのテーブルガッシャ―ン、なんでだと思う?」

昼休みにほかの二人に聞いてみた。

「やっぱり、一瞬にして物がなくなるのが気持ちよかったんじゃないの。」

ルーシー。

「音も結構刺激になっていると思うよ。」

リーちゃん。

テーブルのうえから一瞬で音を立てて物がなくなるのが快感だったのか。昔、映画の中でセーラー服姿のアイドルがマシンガンをぶっ放して「かいかーん!」と言うシーンがあった。学生だったぼくたちはそのシーンに喜んだものだけど、テーブルからおもちゃガッシャ―ン、かいかーん!はとても認める気にはならない。「ガッシャーン、かいかーん」が仮に必要だとしてどんな環境を用意すればよいんだろうか。

「視覚と聴覚両方かー。それは手ごわいな。やめさせる方法ある?」

「別の環境でしょ?積み木を高く積み上げるゲーム。いずれ倒れる。」

ルーシー。

「でもうちのクラスの積み木は昔ながらの積み木だから崩れたときに危ないかも。大きいクラスにある『カプラ』なら危なくないけど。」

リーちゃん。

「紙吹雪とかテーブルにいっぱい置いて一瞬でゴミ箱に入れる。」

「音ないし、一瞬で入れられるかあやしいし、ゴミだらけになる確率のほうが大きい。」

リーちゃんの突っ込み。

そこに主任のモコさんが入り口の扉を開けて入ってきた。

「急でごめん、今日2時から園庭整備やるから出れる人、出て。」

「モコさん、ちょっといいですか。」

と呼び止め、今日あったことを話し、

「なんかいい方法ないですか?」

と聞くと

「欲求不満なんでしょ、走らしたら、たくさん。そしたら発散するよ。じゃ、2時ね。お願いします。」

と言って出ていった。

「モコさん。この間も同じこと言ってなかった。」

とルーシーが声を潜めて言った。

「言った。3,4人なかなか寝ない子どもがいるんですけどどうしたらいいですか。って聞いたら園庭10週ぐらい走ったら寝んじゃない。って。」

リーちゃんがそれに答えた。さすがモコさん、バリバリの体育会系。

「走らせるのはともかく、体を動かすことぐらいしかおもいつかないね。」

諦め口調でルーシーが言った。これについては妙案は見つからなったが、幸いなことに彼女たちがガッシャ―ンとすることはなかった。別の「カイカーン!」をどこかで見つけたのかもしれない。ただ、その後、太郎、達彦、善の3人がせっかく完成させたパズルを2度、派手にぶちまけた。一度目はもう一回するためにひっくり返したのがちょっと派手になったのかと思ったが、2度目は明らかに派手にぶちまけたようだった。

「やさしくだよ。」

と声を掛けたら、その後はしなくなったのだが、派手な動きが楽しくなるのか、無意識の不安、不満、不安定がこうした動きになるのか。そうであれば僕もわからなくではない・・・。

 

ルーシーと友子の話はまだ続いていた。時折「どう思う?」とか「どうしたかったの?」という声が聞こえた。僕も子どもによくやったんだけれど子どもに「どうしてそんなことをするの?」と頭ごなしに叱り、「妹が泣いているでしょ。」と倫理的に攻め、「もうしないんだよ、わかった!」と確約を迫り、「はい」というまでねちねちと「わかった!」を繰り返し、なんとか「はい」と言わせ、とどめに「ごめんねは!」と強引に謝らせる。一件落着、フーとため息なんかついたくらいにして。一方で子どものほうは怒涛のような自分を非難する言葉の嵐に「そこまでいわなくても」的な納得のいかない不快感みたいんものを残していただろう。ルーシーは昔の僕と違って決着を急ぐことはなかった。保育中、子どもたちにどうしても話をしなければならないときはある。子どもの言い分もよく聞く必要もある。それには保育士にも時間的、精神的余裕がなければならない。僕たちは保育士一人が子どもに話をしなければならないときは他の二人が他の子どもたちをしっかり見ようということを事前に決めていた。自由遊びの時などは立ち位置を換えたり、少し子どもを集めて集団遊びを始めたりするようにしていた。僕はままごとコーナーからトイレのわきに立って全体を見ていた。すぐわきでルーシーが話しているのが聞こえる。リーちゃんも制作コーナーから離れ僕の対角線上の手洗い場付近に立った。

「ともちゃんがつかってた。」

相変わらず友子はこれ一点張りだ。

「そうなんだ、つかってたんだよね。でもなみちゃんもつかいたかったんだとおもうよ。ともちゃんはなんでこのかばんがすきなの」

「かわいいから」

「あかいから?それともお花がかわいいから?」

「おはな」

友子がもっていて離そうとしないカバンは赤系統のチェック柄で手縫いのチューリップのアップリケがついていた。今時こんな、という感じの古めかしい手提げかばんだ。誰かのおさがりだろうけど確かに温かみがある。

「そう、ルーシーも好きだな、このおはな。きっとなみちゃんもすきだとおもうな。なみちゃんにかしてくれたら、なみちゃん、よろこぶとおもうな。」

友子はそのかばんを手放してブロックコーナーに行ったわけではなく、また戻って使うつもりだったのだろう。そう思っている子どもにこれは保育園のものでみんなで使うんだ、ということを言ってもまだ理解できないかもしれない。ルールって何?という感じだろうか。だが今、他の子どもたちや、大人が困っているのであればそのことは伝えなくてはならない。たしなめ、さとし,道理を伝えなければならない。その子の言い分も聞きながらこちらの言い分も丁寧に話すことが大切だ。言葉の表現にも理解にも未成熟な子どもの気持ちを、保育士が言葉にしてあげることで、その子の気持ちも整理され、普段、ともに生活している保育士や友だちがそう言うならと、納得することがあるかもしれない。保育士は結論を急がずいろいろな話をお互いしながら「お友だちが使っているおもちゃを強引に取らない」ということが理解できるように、ゆるゆるとやっていくほかない。いずれにしろ目指すべきはいろいろな局面で、自分と他人との折り合いを会話を通じてつけていく、その土台をつくることなので無理をして形ばかりの解決を目指すことは必ずしも必要ではない。ただ本人が謝ります、返しますと自分から言う分にはそれはそれで、いっぱいほめてあげればよいと思うし「ごめんね」「いいよ」の決まり文句も子ども同士が自ら折り合いをつける分には役に立つこともある。

 

などと今でこそ言っているが僕の子どもたちは僕に対して「あんたがそれを言う?」と思っているに違いない。仰る通り子どもたちが小さい頃は結構怒る父親だった。

上の娘が3歳、下の娘が1歳の誕生日前だったと思う。姉の遊びや食べ物、姉そのものに興味のある妹がハイハイで姉のところにいつも近寄っていた。ある日、姉が人形を並べておかあさんごっこをしているところに妹がハイハイでやってきて、人形を手に取ろうとした。姉は妹を両足を引っ張って遠ざける。妹はまた近づく。人形に手を出す。姉怒って妹の頭をはたく。妹泣く。

「はたかないよ」

しばらくすると妹も泣き止みまた近づいて座って人形に手を出す。姉、こかす。妹ごろんとあおむけになりしばらく天井を見てる。

「こかしたらあぶないよ!」

妹、起き上がりまた人形に手を出す。姉、またこかす。妹、近くにあったラジオの角で頭をぶつける。妹、号泣!

「やめろといったでしょ!」

「わたしじゃない!」

「おまえだろ!」

と言って姉の頭をぽかりとはたいた。当然姉も号泣、その場は修羅場と化し、妹を抱っこして泣き止まさせ、姉のほうは子どもが泣くのを聞きつけ台所から

「どうしたの?」

と心配して部屋に入ってきた連れ合いに託すしかなかった。

 今から考えれば一人遊びを十分に楽しみたい姉にはその空間を作ってあげるべきだし、妹には別に興味のひきそうなおもちゃをあげるべきだったし、僕が二人をほっておいて本なんか読まず一緒に遊んでもよかったと思う。姉も「わたしじゃない」と言ったのは「わたしが悪いんじゃない」と言いたかったのかもしれず、「やったのはわたしじゃない」と一方的に僕が思い込んでしまったのかもしれない。さぞかし大人の理不尽さに納得できなかったことだろう。これだけにとどまらず、両肘をついてごはんを食べている妹に「そのたべ方は何だと」口元にあったごはん茶碗を押したら歯に当たったとか、一番下の弟が道路で調子に乗ってスピードを出して自転車に乗っているときに危うく車とぶつかりかけ、「気をつけろ」と自転車を蹴りながら怒鳴ったり、極めつけは会社でミスをして叱責を受け帰宅し、寝るときに子どもたちが何回言ってもふざけて寝ようとしなかったので怒りを爆発させ、二段ベッドの柵をこわしたことがあった。完全な八つ当たりである。子どもたちには怖い思いをさせた。今から思い返すとそこまでしなくてもよかったのにと本当に申し訳ない気持ちになる。他の親もおそらく過去の失敗を悔いている人は多くいると思う。時がたてば忘れる、なんてことはない。年を取ればとるほど事情なんか忘れて、したことしか覚えていない。「加害者」ですらこんなんだ。ましてや被害を受けたものの心情たるや想像を超えてしまう。考えただけでも申し訳なさでいっぱいになる。

 いいわけがましいがあの頃は僕も30歳前でとりあえず就職はしたがこのままこの仕事で行くかどうか、迷いや不安、そして30歳近くで子どもが3人いるのに何も決まっていない焦りみたいなものがあった。それが時として子どもたちに向かってしまった。僕の親はどちらかと言うと温厚で暴力的な対応はほとんどされた覚えはない。そんな僕さえ子どもに対して時には暴力的に対応してしまうことがあった。虐待は連鎖するという。大人のケアも必要な時もあるだろう。大人も大人自身の育ちや今の生活状況が大変な人も多いように感じる。

 

 僕自身は子どもたちが通っていた保育所の保育士さんや保護者のみなさんに助けてもらったという思いはすごく強い。子どもが通っていた保育園は子どもが20人ぐらい、保育士5人の小さな保育所だった。保育所があまりない中で保育士と保護者が共同して、自分たちで納得のいく保育をしたい、やろうということで立ち上げた、いわゆる無認可園とか認可外園とか言われるものだ。認可園は国が定めた基準をクリアした園を言う。今働いている園は認可園だ。この園のように普通の家でこじんまりと運営する園に、建物の事や園庭などの条件をクリアして認可を得るハードルは高い。だが主体的に運営している分、個性的で魅力的だ。保護者も保育所の行事や諸々のこと、さらには自分の子どもに限らず保育所の全ての子どもたちを気にかけ、みんなで作り上げていく。異年齢保育、園外保育中心、無農薬野菜などを使った手作り給食、モットーは人にやさしく環境にやさしく。大人も子どもも保育士も保護者も園児もごちゃごちゃいる中でそれぞれが居心地の良い場所を作っていこうという考えだった。みんなが上下のない関係であることを表現するために、お互いを、呼んで欲しい名前やニックネームで呼び合っていた。実はうちの園も設立者がそういうコンセプトでニックネームなどにしたと聞いている。

僕は第1子が生まれて、お世話になり始めたのが、まだ20代前半の若輩者だった。そんな僕を保育士さんや保護者の皆さんが励ましてくれたり、ぼやきを聞いてくれたりした。言葉を覚えたての2歳児に僕ら保育士がするように、子育てや将来に対する不安についての言葉を僕に与え、考える方向を示してくれた。2歳児クラスのママやパパに対して、僕もその人たちのような保育士や保護者の先輩でありたいと思っている。今でもその人たちとはお付き合いがある。子育てを共にした人とは、一生のお付き合いになることはよく聞く話だ。

 

子育て家庭が地域から孤立する傾向が強いと言われる中、保育園の果たす役割は大きい。在園児の子どものケアはもちろん保護者へのケアをし得る存在だと思う。「地域で最も身近な福祉施設」と言われる所以である。今でもいくつかの保育園は子育て支援センターとして活動しているが、どちらかというと来園してもらうことが前提だ。児童相談所の忙しさを考えれば各保育園に人と予算を投入し、地域の子育て員として積極的に地域に出ていくアウトリーチ型の支援を行えればよいのだが。何とかして不幸な虐待の連鎖をみんなで知恵を絞って止めて行ければいいのにと思う。

 

そうとは言えクラスの子どもたちを前にして言うことを聞いてくれないとついつい悪い癖が出る。

この間も、午睡の時に武士をリーちゃんがとんとんしていたんだけれどあまりに寝なくて、

「寝なくていいから、ごろごろしててね。」

と言って事務仕事をするために離れた。その直後から、布団をばさばさやったり、独り言を言ったり。僕が何回か

「たけちゃん、みんなねてるから、しずかにしてね。」

と言ってもできず、相変わらず布団ばさばさ、ひとりごとぼそぼそだったので

「ねないひとは、おおきいクラスにいってください。」

と言った。武士はしばらく静かにしていたが、また同じようにばさばさ、ぼそぼそし始め、あろうことかうろうろし始めた。

「たけちゃん、たまだくん、さっきいったよ。どうしてあるいてるの。」

と言いながら近づき、

「ちょっとおいで」

と言って部屋の外に出た。

「いまは、なんのじかん?」

「おひるね」

「どうしたらいいとおもう?」

「ごろごろしてる」

「そうだよね。おともだち、ねてるからね。しずかにしてください。できないひとはおおきいこのへやにいってください。それともちいさいこのへやいく?」

僕は『ついつい』言ってしまった。

「いやだ。」

武士は少し半泣きで僕に言った。

「じゃ、しずかにねてください。できる?だいじょうぶ?」

武士はうなずいた。扉を開き武士を中に入れ、続いてはいろうとしたら

「たまだ君」

後ろからモコさんに呼び止められた。

「ちょっとさ、眠れない子もいると思うよ。体力ついてさ。だからちょっと離れたところで本を預けるとかしてさ、無理に寝させなくてもいいんじゃない。ちょっと聞こえたんだけど、あんまり脅すのもどうかな。」

自分も気にはしていたので『脅す』と言う言葉はストレートに心に刺さった。大阪のおばちゃん的な性格のモコさんだけど、普段、言葉には気を付けている。そのモコさんが放った言葉なので余計に効いた。

「そうですね。」

モコさんの視線を避けうつむきながら僕は応えた。

「たまだ君」

モコさんに呼びかけられたので視線をあげた。モコさんは左手で右の二の腕をポンポンと叩いて0,1歳児室のほうに行った。

(腕で何とかしろと言ってもなー。)

と思いながらクラスに入った。絵本コーナーで事務作業をしていたルーシーに

「モコさん、なんて?」

と聞かれたので、僕は座りながら

「体力ついて眠れない子もいるから無理に寝せなくてもいいって。あと脅すなって言われた。」

「あー。」

ルーシーは少し声をあげた。

「でもそうなっちゃうときはあるよね。『おやつないよー』とか『あかちゃんクラスいってください』とか『ふとんもらいますよー』とか。」

リーちゃんがそう言うと、ルーシーも

「『おににたべられる』とか『ようかいにさらわれる』とか。そんなに落ち込まないで。ぐっとコーヒーでも飲んで。」

(酒と違うんだから)と思いながら、冷えたコーヒーをすすった。ヘマをしたときにやさしい娘たちが口々に慰めてくれる。彼女たちのおかげで何とか大失敗せずにやっていける。子育て中に怒りっぽかった僕がまだまだとはいえ多少はおとなしくなったのはリーちゃんやルーシー、モコさんをはじめ保育士さんが子どもたちに優しく接している姿を見ているからであり、それにこたえている子どもたちの姿があるからだ。更に僕の場合は年を取ったせいもあると思う。多少は温厚になったような気もするし、年を取ることは悪いことばかりではない。少しばかり長く生きれば、素敵な保育士さんなどいろいろな人と巡り合う機会にも恵まれる。肉は腐りかけがおいしいというし、ドライフラワーは生花とはまた違う趣がある。

 

保育士がついつい子どもを脅してしまうことについては個人の資質だけではない問題もあると思う。例えば3歳児は15人に1人の保育士にすれば補助はされるが、基本的には20人の子どもを1人の保育士が見なければならないし、4,5歳児は30人に1人だ。個性あふれる子どもたち多数を一人で見ることは大変なことだ。ましてや保護者の要望もあって「安全」ということが大事にされている現在の保育状況でそりゃ大声もでますよ、怒りもしますよ。更に大きい子だけではない。保育士の数と子どもの数のミスマッチが一番大きいのが1歳児と言われている。実際、自治体の裁量で国基準で6人に1人のところを5人に1人とか、4人に1人にしているところもあるぐらいだ。子どもたちに年齢に応じた十分な活動を保証するためには保育士の精神的、肉体的余裕が必要であると思う。それがどのような人数なのかよく考えてもらいたい。かつてこの基準が決まったときに「子守なんぞはだれでもできる、子どもでもできる」みたいな考えがあったのではないか。それが人数だけではなく給与水準にも関係しているのではないか。過酷な労働条件の中、保育士の多くはそれでも何とか笑顔で明るく子どもたちに接したいと努力を続けている。僕自身、自分の子育ては連れ合いにおんぶにだっこの昭和のおっさんだがここはあえて反省も込めて、リーちゃん、ルーシーやその他の保育士のみんなに成り代わり、諸々の基準を決めている人たちに物申す。

「やれるもんならやってみろ!」

 

ルーシーと友子に気を掛けながら子どもたちの遊びを見ていたら絵本コーナーのテーブルに千穂が立つのが見えた。

「たまだくーん、みてー」

満面の笑みを浮かべている。

「あー、ちほちゃん」

すごいねーとはさすがに言えない。

「ちほちゃん、そこはみんなでごほんをよむところだからおりてー。えんていであそぶときに、タイヤでおやまつくってあげるからそこをのぼるところをみせてもらうから。」

 千穂は高いところが好きなのか、とふと思ったりもした。僕に結構抱っこをせがんでくる。両手をあげて、ジャンプしながら「だっこー。」というところがかわいらしくて膝、腰に爆弾を抱えていることを忘れてつい抱っこをしてしまうのだが抱っこした後さらに肩に登ろうとする。

「ちほちゃん、かたはあぶないからだっこまでにしておいて。」

ということがしばしばだった。

2歳児は体を動かすことも大好きというか、だんだん動かせるようになり、体を動かしたい盛りではある。だから高いところを登ったところを「ドヤ顔」で見せたくてしょうがない。常に動きたくてしょうがないから部屋の中でも走り回ったり登ったりしたがる。そのたびに声を掛けられることもしばしばだ。ほんとは運動できるスペースを作ってあげればよいのだけれど、いかんせん部屋が狭く2歳児がダイナミックに動けるほどのスペースは作れない。室内の活動などで運動する機会を持つ、廊下とかホールとかに運動コーナーを作るなどリーちゃん、ルーシーと話はしているがいまだ実現には至っていない。

しょうがないという風情でテーブルを降り千穂はパズルコーナーに向かった。パズルができたらまた「たまだくーん、みてー」と呼ばれるとは思う。

 

 立ちっぱなしで少し腰が痛くなったので制作、パズルコーナーの椅子を一つ拝借してその場に座った。ほどなく朝美がやってきて膝の上に黙って乗っかった。

「あさちゃん、なにしてあそんでいるの?」

「うーん、わかんない。」

何して遊ぶか、周りの様子を見ながら考えているようなのでそれ以上声を掛けずにいたら

「おままごとしよ。」

と言って立ち去った。次にやってきたのは知香で、持っていたカバンの中からバンダナを取り出し僕の頭にバンダナをかぶせ、そのあと知香は

「たまだくん、ちかのことすき?」

と聞いてきた。突然そんなことを聞かれると小なりとも女子だからか、少しどぎまぎして

「う、うん」

と答えるのが精いっぱいだったが知香は曖昧な答えを許さなかった。

「すき?」

もう一度尋ねた。今度は多少、落ち着きを取り戻していた。

「すきだよ。」

と言うと、嬉しそうににっこり笑った。

(まっ、あたりまえよね)という表情にも見えた。そのくせ知香はいっぱい持ってるからいいや、という感じで、僕があげたはずの「好き」という言葉を彼女が受け取ったように見えなかった。自分で言った「すき」という言葉にくっついていた「恥ずかしい」という余韻がそこらへんに漂い、言った僕が恥ずかしくなり、再びどぎまぎした。そもそも昭和のおっさんが、「好き」という言葉をあまり公然と人前で言わない。と思う。僕は連れ合いにも言ったことはないし(自慢にはならないけれど)、自分の子どもにも記憶にない。さらに言えば若かりし頃の告白で言ったこともない。そのことで一つ思い出した。

 これは僕の高校時代の友だちの山田君の話なのだが、彼は陽気で世話好き、女子とも仲がいいということで、よく別の友だちの好きな女の子に気持ちを聞いてくれと頼まれることが多かった。山田君も気軽に引き受け、当の女の子に「○○の事、どう思ってるの?すき?」と直接聞いてもなかなか教えてくれないらしい。そこで一計を案じ、ラジオでやっていたエピソードを真似して「好きだったら、人参、そうでもなかったらなすび、いやだったらかぼちゃって言って。」と頼むとたいていはすんなりと人参とかなすびとか言ってくれたという。山田君が言うには

「女子には人前で『好き』と自分から言うことはおろか、『好き』と聞かれて答えることすらハードルは高い。」

ということだった。僕らの若い頃は男女を問わずそうなのだ。

先日、外部講師を招いての園内研修をホールで行った。コミュニケーションについての研修だったが、講師がお手本をしてもらうというので主任のモコさんを指名した。講師がモコさんにもう一人相方を選んでくださいと言ったら、モコさんは僕を指名した。若い人に比べれば何でもやるだろうという判断だとは思う。無難な人選だと僕も思う。講師が

「それでは男の先生、お名前は?あ、玉田先生?玉田先生、主任さんを1分間ほめて最後に『大好き』と言ってあげてください。」

と言われ、その段階で軽いパニックに陥り、モコさんのことは日ごろから個性的で素晴らしいなとは思っているが具体的な言葉にすると

「竹を割ったような、さっぱりしている、運動部系、段取り上手で腕のいい職人みたい、短い髪がボーイッシュで素敵、女性なのに男前」

と言っているうちにモコさんの表情もうっすら笑っている程度でほめられている割には芳しくない。

「えーっと、えーっと、車がかっこいい、ズボン姿がかっこいい。」

なんだか本人をほめているのか物をほめているのかわからん状態になり、講師が

「はい、時間です。じゃー締めの言葉を。」

と言われ、最大の難関が襲ってきた。モコさんはさぁ来いと言わんばかりにニヤニヤしながらこっちを見ている。モコさんとは実際は2メートルほど離れているのだが、モコさんの圧力がすごくて、すぐそばにいるような感じがした。だから僕はそっと、品よく

「だいすきです。」

と言ったのだが、照れた分、さらに小さな声になった。モコさんはすぐに

「よく聞こえないな。もう一回言ってみて。」

とやはりニヤニヤしながら言った。

僕はしょうがないと思い少し声を張った。少しだ。ところがモコさんは

「あっ、やけになった。相手の自己肯定感を高めなくちゃなんないのに。」

と、冗談めかして言った。そのあとは講師が間に入ってくれて

「ありがとうございます、主任さんと玉田先生に拍手!」

で事は終わった。

そんな、何でもかんでも直接的な表現をしなくちゃならないのかね。秘めたる思いとか、淡い気持ちとか、はかない想いとか現代ではどこかに行ったらしい。

 この間も休憩室でトッキーが嬉しそうに

「私、この間、前に合コンした相手にこくられたんですー。」

と報告を受けた。何もこんなおっさんに言わなくてもいいのにと思いつつ

「よかったじゃん。なんて言われたの?」

と聞くと

「付き合ってほしいって。でもなんか物足りなくて、『なんで?』って聞いちゃった。」

「えっ。それ以上に何を望の?」

「たしかなもの。」

「なにそれ。彼はなんて言ったの。」

「何も言わないから、『なんでなのかはっきり言って』って言ったら。」

「『好きだから』って言ってくれました。」

彼氏が気の毒なような、彼氏も納得しているのかもしれないような、これも時代ですかね。おふたりさん、お幸せに!

 

知香はせっかくあげた「すき」という言葉を置き去りにして行ってしまった。(お地蔵さん?)と思いつつバンダナはそのままにしていた。近くのブロックコーナーにいた善がブロックで作った飛行機と思しき物体を「ブーン」と言いながら近づいてきた。

「たまだくーん、あのさ、えっとさ、うんとさ、あれ、なんだっけ?あれ?」

言葉を覚えたての2、3歳児にはありがちなことだった。自分の思いと言葉が直接結びつかないもどかしさ。思い出したら言ってください。

「ぜんくん、なにつくったの?」

とこちらから聞いたら

「しんかんせん。」

と元気に答えた。(しんかんせん?とんどったやないかい!)と思いつつも新幹線が飛んで何が悪いと思いなおし、常識にとらわれすぎる自分を少し恥じた。 背中に気配を感じると康江が立っていた。

「これなーに?」

と頭に載っているバンダナをつまんで康江が僕に聞いた。

「ちかちゃんがのっけていった。なんだろうね。」

「ふーん。」

そういった後、何となく僕の肩に手をかけて善と武士のブロック遊びを眺めていた。やがて自分でも何か作りたくなったのか善と武士の隣に座ってブロックで何かを作り始めた。

 善が何か思い出したのかその場から立ち上がって

「たまだくーん、あのやつのこのやつ、どこ?」

「えっ、あのやつの、このやつ?なに?」

「いいや」

と言って、また座って、ブロックで遊び始めた。2歳児のことばのなぞ解きは難しい。

今はルーシーは取り込み中なので子どもたちは近づかないが、リーちゃんのところにも時折子どもたちは立ち寄っている。ちょっとした気分転換でもあるだろうし、なんとなく不安になった時のより所かもしれないし、楽しい気分を共有したいのかもしれない。いずれにしろ子どもたちが主体的に生活する中で僕たちはちょっとしたオアシスのような存在であればよいと思う。ちょっとした喜怒哀楽を少し発してまた生活に戻っていくような、そんな感じで子どもたちを見守る。

 

 ルーシーと友子の話はまだ続いていた。なかなか納得しない友子にルーシーも少し熱を帯びてきている。僕は二人から視線を離した瞬間、少し例の香りを感じた。キョロキョロと室内を見回すがそれらしい子どもはいない。リーちゃんと目が合った。リーちゃんも感じたらしい。

(だれだろ。)

リーちゃんの目がそう言った。

僕は首を横に振った。

(わからない。)

突然だけど穏やかにリーちゃんが言った。

「だれかおトイレにいきたいなーとおもっているひといませんかー。」

すると手を挙げた子どもがいた。顔をまっすぐにルーシーのほうに向け右手をぴんと伸ばして手をあげている友子の姿が目に入った。

「えっ、おといれ!?」

ルーシーが少し驚いて聞くと友子は手を挙げたまま頷いた。

「ごめんねー、気づかなくて、いく?」

行きたいので手を挙げたのだから、再度聞くのは愚問だけれど、ルーシーもかなり慌てていたから仕方がない。

「いくー。」

と言いながら友子は立ち上がりルーシーと一緒にトイレに向かった。

 突然ではあるがルーシーと友子の話し合いは終わった。概ね「道理に合わないことをした」時の保育士さんの話は長い。ルーシーもここで話さねばいつ話すぐらいの熱量で話をしていた。後半はもしかしたら友子はおトイレに行きたくて話半分になっていたかもしれないが、その情熱はおそらく伝わっていると思う。たぶん尿意や便意を感じるたびにルーシーの真剣な顔を思い出す。ルーシーにとってはありがたくないかもしれないけど。友子にあれほどしっかり握りしめられていたチューリップのアップリケのついた赤系統のチェック柄の手提げカバンは床におきっぱになっている。片付けようと思って拾い上げると中になにか入っている。おもちゃのお芋さんだ。友子の大好きなサツマイモ。確証はない。確証はないけれど友子の執着はアップリケより赤いカバンよりむしろこっちだったんじゃないかとちょっと思った。

 友子は意外に早くトイレから出てきて新しいパンツをはいている。新しいパンツ?トイレの前ではルーシーが拭き掃除をしている。

「どうしたの?」

と聞くと

「ともちゃん、もうでちゃってたみたいで、パンツ下げたときにポロンとうんちが床に少し転がっちゃった。」

とルーシーは床を見ながら言った後、少しため息をついたように見えた。何か声を掛けたほうがいいかなと思いつつ、子どものほうに目線をやるとその友子がさっきルーシーと話をしていた付近できょろきょろしている。

何となく察して

「ともちゃん、かばん?」

と聞くと

「うん。」

とあたりを見ながら答えた。

「おかたづけしたよ。」

と言うと、友子はままごとコーナーに行き、箱に入っているカバンを見つけて小走りに走って、それを絵本コーナーにいる波に持って行った。

一心に消毒しているルーシーに

「ルーシー」

と呼びかけると

「なに」

と顔をあげたルーシーの顔がどんよりとしていた。やはりおもらしさせてしまったことを悔いている。

「絵本コーナー、見てみ。」

友子が差し出しているカバンを波がじっと見ている。たぶん波はカバンに対する興味をなくしているのだろう。何をいまさら、と言うことでもあるのだろう。それをリーちゃんがとりなしていた。

「かしてくれるの、ありがとう。」

とリーちゃんが言った。

ルーシーのほうを見るとルーシーも僕のほうを見て

「わかればいいのよ。」

と明らかにルンルン調で言ったあと、ランラン調で消毒作業を再開した。