2歳児の保育「三つ子の魂デシデシドン12」

12,小指の思い出

 10月下旬

ある日の夕方、お部屋遊びの時、Aがままごとコーナーのソファーのところごろんと横になって、何をするわけでもなくじっと天井を見ていた。ここにBがやってきて、彼も座りたかったのだろう、Aの足元に無理やり座ろうとおしりをベッドの端に乗せたが、Aが足でBのおしりを押した。チャレンジに失敗したBはAの身体に仕返しなのか覆いかぶさった。パズルコーナーのテーブルに座っていた僕はちょっと危ないかなと思い

「Bくん!」

と声を掛けるとBは覆いかぶさるのをやめ、あきらめたのかその場を離れ、ブロックのほうへ行った。僕は視線をCのパズルに移して、少し間があり

「うぇーん」

とAの泣き声が聞こえた。ロッカー前にいたリーちゃんが近づいてAに

「どうしたの?」

と聞くと何も答えずただ右目を抑えて、しゃくりあげていた。

「Aちゃん、だいじょうぶ?めをみせて。」

ルーシーも来て、Aに聞くがAは目をしっかり閉じてしゃくりあげるばかり。園では基本的に首から上のけが、特に目や頭はとりあえず保護者に連絡して病院に連れていくことになっている。

「事務室に行って、お母さん連絡してくるね。Aちゃん、事務室に行って目を見てもらおうね。」

ルーシーがそう言ってAの手を引いて出ていった。

Aは春先にはまだほとんど言葉も出ていなかったが、最近はすっかり言葉も出てきて、普通に会話をしていた。しかし、驚いてしまったのか、具体的に状況を説明できなかった。こんな時、保育士が見ていなかったというのはなかなか大きなことになる。一から十まで子どものことをすべて見ることはできない。でも、けがをして、保護者に説明をするときはいかにも苦しいものになる。保護者も自分の子育て経験から、実際はすべてを見ているということは無理だとわかっているけれど、一方でプロなんだからと考えている人もいるとは思う。直前までの行動は見ていて、肝心のところを見逃した僕は結構、後悔した。もうちょいちゃんと見ていれば・・・。

園の方針では保護者に対して説明責任を果たし、持っている情報は基本的には公開するようにということだった。もちろんほかの子どもや家庭の個人情報についてはその限りではないが、保身のために事実を捻じ曲げることがないようにということを園長、主任からは告げられていた。少しでも後ろ暗いところがあるとそれは態度に出て保護者の不信につながるということであった。誰がママに対応するにせよできるだけ誠実に対応しなければならない。

保護者も変わってきてなかなか大変だとよく言われる。けれど基本的にはこちらから胸を開いて相手に飛び込み、信頼関係を得、仮に信頼を得られなくても、「そんなに簡単にはいかないよね。」と気を取り直し、また飛び込んでいく、ある種の鈍感さやしぶとさは必要だと思う。それはいつも保育士が子どもに対して知らず知らずのうちに行っていることだ。保護者に対しても子どもに対すると同様に行なえば、なんとか保護者もこころを開いてくれる。仮に返ってこなくても日常的に挨拶をにこやかにかわすだけで少しぐらいは誠実さも伝わる。

 

「ママに電話したらお迎えに来て、病院に連れていてくれるって。」

事務室からAと戻ってきたルーシーが言った。Aは相変わらず目をぎゅっと閉じている。

「Aちゃんの眼は見れた?」

リーちゃんが聞くと

「ダメだった。だから様子がわかんない。」

 それからほどなくしてママがお迎えにやってきた。ママの姿が保育室の入り口に現われるや、Aはいつもより早くお迎えがきたのでとても喜び、乗っかっていたルーシーの膝から飛び降りて、ママのところに駆けていきそのまま足にしがみついた。更にママの顔を見上げてジャンプしながら両手をあげて抱っこをせがんだが、逆にママはしゃがんで

「ただいま、だいじょうぶ?」

と心配そうに右目をつぶったAの顔を覗き込んでいた。

リーちゃんが、Aがベッドに寝ていたこと、そこで何かがあったと思われること、などを伝え、しっかり見れていなかったことを謝罪した。Aの母親はAのことが心配であったのだろうと思う。話が終わったら早々にAを連れて病院に向かった。

 

「どうしたんだろうね。B君が覆いかぶさったんだよね。」

ルーシーが小首をかしげて言った。

「そう、でもその時は何でもなかった。それから少しして泣き声が聞こえてすぐに見たけど、B君はブロックコーナーに行ってて結構離れてた。」

コナンや古畑の応援をもらいたいところだけれど、見ていないことを推測することは戒めなければならない。自分の主張をまだまだできない子どもに対しては子どもの実際の行動を見たとしてもその解釈は子どもの気持ちから離れて、独りよがりなものになる可能性は多々ある。

 

その後ママより連絡があり、角膜が傷ついていること、様子を見るため明日はお休みをする旨の連絡が入った。

 

けがをした翌々日の朝、ママに連れられてAは登園した。ママが詳しい事情が知りたいということで夕方お迎えに来た時にお話しすることにした。その時、ママは保育室に行くとAがママから離れずゆっくりお話が聞けないかもしれないので事務室で待っていてもよいかと言われた。とにかくAはママが大好きなのでお迎えの時には関わってほしくてママに絡みついてくる。その相手をしていると肝心のお話が聞けないと思ったのかもしれない。その日Aは何事もなかったように普通に過ごしていた。右目もしっかり開けていた。だが確かに右目の瞳の外側が赤みを帯びていた。ルーシーが一度「おめめ、どうしたの?」と聞いたがその問いに反応しなかったらしい。

 夕方、5時ころ保育室にモコさんが呼びに来た。事務室に行くと一番奥の応接コーナーでママは待っていた。BがAに絡んでいるところから見ていたのは僕なので3人で話して対応は僕がすることになった。傍らには主任のモコさんがついた。

「この度は本当にご心配をおかけして申し訳ありませんでした。A君の具合はいかがですか。」

モコさんが話を始めてくれた。園長はけがをした当日にママとは話をし、謝罪もしてくれていた。

「普段の生活は大丈夫なような気もします。痛がったりもしていません。ただお医者さんは角膜が傷ついているのでしばらく様子は見る必要があると仰っていました。」

ママは静かに言った。普段からおとなしい印象がある。

「けがをしたときどのような状況だったのか、少し詳しいお話を聞きたいと思いお願いしました。Aに聞いてもまだ上手に説明ができないので。」

「わかりました。もちろん事情をお話しするつもりでしたので機会を設けるつもりでした。」

と僕は答え、Aがベッドに横になっていたこと、「友だち」が覆いかぶさったこと、そこまでは何事もなかったがちょっと目を離した間に何かが起こり、Aの泣き声で気づいたこと、を話した。

「本当に申し訳ないんですが、けがをした瞬間見ていなかったので原因などについてははっきり申し上げられません。すみません。一応子どもたちの活動中は室内にせよ園庭にせよ責任者を決めて死角のないようにしておりますが、今回は少し至りませんでした。すみませんでした。」

「Aももう少し説明できればいいんですが。先生方も大変だとは思いますができるだけ子どもたちのことを見ていただければと思います。」

「わかりました。こちらの至らぬ点ばかりで本当に申し訳ありませんでした。」

「どうもありがとうございました。」

 

ママはそう言った後、僕と事務室を出て保育室へ一緒に向かった。僕はママに今日は園庭で砂遊びを友だちとしていたこと、遊びが盛り上がり、なかなかお部屋に戻ってこなかったことなどを話した。ママが入り口に立つと案の定Aは遊んでいた人形を放り投げて、ママのところに飛びつかんばかりの勢いでやってきてママにしがみついた。

「おかえりなさい。」「おかえりなさい。」

とリーちゃん、ルーシーが笑顔で挨拶をし、ママも微笑みながら会釈をして応えていた。

 今回、内心では不信感もあったであろうママが冷静に対応してくれたのはもちろんママが温厚な人だったということが一番大きな理由ではある。更にこの4月から入園して遠慮があったかも知れない。また、リーちゃんとルーシーがお迎えの時にママによく話しかけてAの様子を伝えていたことも大きいかもしれない。Aは2歳で初めて保育園にやってきた。ママもAも不安であったに違いない。そこを丁寧にフォローしたのはリーちゃんルーシーだ。まだ言葉の出ない春先から、ともすれば初めてのことに戸惑っていたと思われるAの不可解な行動、例えば仲良く遊んでいる最中に友だちにかみつこうとしたり(これは一種の愛情表現であろう)、食事中に寝転んだり(便秘で気分がすぐれなかったんだと思う)したことに対して、Aの気持ちを確かめ、丁寧に寄り添っていた。当然Aは二人になつくし、それを見いていたママは少なくとも悪い印象は持っていなかったとは思うのだが・・・。もしかしたらおうちでAから何か聞いていたかもしれない。もしかしたらお友だちの誰かの名前が出たかもしれない。気を遣って僕たちに言わなかったかもしれない。

 とはいえやはりその瞬間を見ていなかったのはなかなか厳しい。見ていないというのはもはや理由にならない。Aのママが温厚な人だったから我々にエールを送ってくれたが、厳しい人も中には当然いる。今回の場合も見ていれば、けがをしないような何らかのアクションは起こせたかもしれない。いろいろな局面でというか、何ならすべての局面でその日のリーダーが全体を見、ほかの二人は死角のないように散らばることは3人の取り決めだし、園全体の取り決めでもあった。重大事故は概ね「目を離したすきに」起こっている。

いずれにしろ最も大切なことは重いけがや死に至る重大な事故にならないように環境を整えておくことだ。子どもが成長し、発達する過程でけがは避けられない。また集団生活は子どもの成長発達には欠かすことはできないが、そのためのけがもある。これらを100%なくすことは難しい。しかし重大事故をゼロにすることはできる。子どものいる場所に危険なものはないか、危険な場所はないか、その点検は欠かさないようにする。そして環境は刻々と変わるので、常にそのことを気に留めておくことが大切だ。また、子ども自身が危険を察知する力を身につけることも大切だ。そのための環境づくりもまた怠れない。災害は忘れたころにやってくる。

 

 などと反省をし、大きなけがもなく1か月が過ぎたときに今度はDが事故ってしまった。今度は頭部打撲だ。この時は僕の目の前で起き、一部始終見ていたことは見ていた。

 その日は大きい子どもたちが園庭いっぱいにダイナミックに動き回って遊びたいということで2歳児は部屋の前のテラスで大型積み木とかキッズブロックとか言われるもので遊んでいた。積み木とかブロックとか呼ばれるものなのでそれらを組み合わせて何か作って遊ぶのだが、子どもたちは乗りものなんかを作ってそれに乗ったりして遊ぶ子どもが多かった。そのうち長さ1メートル弱、高さ20センチ、幅30センチのものを二つつなげてそれに立ち始めた。最初に立ち始めたのはEでその隣にF、G、H、そしてDが立っていた。Fがふざけて前にいるEを押した。Eは

「しないで!」

と強く言ったのだがそれにもかかわらずFはまた押そうとしたので今度はEがFを押し返した。するとFが隣のGに当たり、GがよろけHに当たり、HがよろけてDに当たりDがブロックから転落、転倒しテラスの端のコンクリート部分に側頭部をぶつけた。平らな部分であったが当然Dは痛さと驚きの両方があったと思うが、泣きじゃくり、すぐに抱き起し、頭部を見てみると赤くなっていた。これらのことが一瞬に起こり、あっ、と思ったときにはDは転倒していた。事務室に連れていき園長、主任に確認してもらい、頭部ということで保護者に連絡の上、嘱託医に連れていくことになった。保冷剤で冷やしながら事務長の車で嘱託医のところに行き、視診をしてもらい、念のためレントゲンも取ってもらったが、異常はなく、少し様子を見てくださいとのことだった。

 今度はDのママに心配をかけることになってしまった。今回も事務室の応接コーナーで事の経緯を説明した。今回は見ることは見ていたので説明自体はできた。ただ見ていたのに事故を防ぐことができなかったということで我ながら歯切れが悪かった。

「ドミノ倒しみたいになってしまって。もう少し早く声を掛けていればよかったんですが。」

「うちの子どももまだまだでご迷惑をおかけします。」

などと言われるとこちらも恐縮するばかりであった。

 今回の問題は一つには2歳児に対する認識が甘かったことがある。台の上で押し合いをすれば危ないということを理解する子どもがまだまだ少ないということ。更に転倒したときに受け身を取れるなど身のこなしを身につけている子どももまだ少ないということ。僕自身、このぐらいの高さのものに乗ってもけがをしないだろうという根拠なき楽観があった。さらに言えば遊ぶ用途と違う遊び方をそのままにしてしまったということも言えるかもしれない。おしりで乗ることはあっても立って乗るものではなかった。仮に倒れてもけがをしない環境を作るということでいえば、コンクリート部分にクッション材を張ればよいのだろうけど、そこに貼り付けるのは形状材質の上でなかなか難しい。となればクッションになるようなもので覆い隠しておけばよかった。プールの時にプールサイドに敷くウレタン状のものがそれの代用品になりそうではある。もっとも、広々とした土の上であればおそらく、けがもなかったであろう。ダイナミックに、けがの心配もしないで遊べる園庭、ないし公園は子どもの遊びには大切な場所だと改めて思った。

事故けがに関しては記録を取って職員全員で共有している。基本的には人間によるミスがほとんどの原因だと考えられるとなるとみんなの経験を共有し、個人の経験を他人の経験も併せて膨らませておくことは大切なことだとは思う。

このようにくどくど考えていると自分が子どもの頃は本当に荒かった。さすがに2,3歳の頃は覚えていないが、幼稚園の頃は擦り傷は絶えず、カットバンなんてないからそのままにしていたら、黄色の膿が出てきてまたそのままにしておくとかさぶたができて、かゆくてかいたらかさぶたが取れてまた傷口がひりひり痛んでの繰り返し。消毒液や赤チンもあったけど、あまりつけた覚えはない。頭もコブだらけ傷だらけ。僕ではないが、いとこの中学校が坊主が校則で、坊主にすると頭の傷のあとがはげているのでそれを気にして中学入学時に、坊主にすることを皆、嫌がったと言っていた。そういえば僕の子育て時代、子どもが通っていた保育所はたんこぶに砂糖水をつけていたけれどあれは効いたのだろうか。保育士さんが髪の毛なんかに遠慮なしにたっぷりつけてくれるんだけど、乾くと頭に砂糖が残っていたりして、妙な感じだった。「浸透圧の関係で効くんだよ。」と教えてもらい、なんか保育所らしいなと思える治療法だった。今ならどうなんだろう。やはりはっきりとした科学的根拠を示さないと保護者には納得してもらえないかもしれない。

 

事故けがの中で2歳児クラスで外せないのがかみつきである。

6月のある日の昼、子どもたちが寝静まった後、いつもの図書コーナーのところで休憩しながら書き物をしていた。僕はお便り帳を書き、リーちゃんとルーシーは「事故けが報告書」を書いていた。

「今日も止められなかったね。」

ルーシーはため息をつきながら言った。

「うん、止められなかった。」

リーちゃんがすぐに同意した。かみつきはかんだほうもかまれたほうも傷がつく。保育士は双方傷つかないように、かみつきが実際に起こらないように注意したり、環境を整えたりするのだが、なかなか止められない。特に2歳児は普段は友だち同士仲良く遊んでいる最中に起こるのでなかなか止めきれない。これが1歳児だと子どもたちが密集したり、密接したりすると何となく「におい」がしてきて、人数を分けたり、物理的に離したりして危険な状況を回避するのだが、2歳児はなかなか見通しが立ちにくい。

今日は2件。IがJに、KがLにだ。リーちゃんが書いている件は午前のおやつ前の室内遊びの時、IがJをかんだ件。ちなみに僕は遅番でまだ保育室にはいなかった。

 

室内でIとJが向かい合ってパズルをしていた。Iはディズニ―のお姫様、Jはアンパンマンのものをやっていた。IもJもパズルが大好きでこの時も二人で一生懸命やっていた。リーちゃんがトイレの前で全体を見ていて、図書コーナーにルーシー、ままごとコーナーに渡辺さんがいた。

「あーん!」と当然泣き声がしたと思ったら、Jが左手を右手で押さえ泣き、向かい側でIがパズルのピースを持って、Jのことをにらんでいた。ルーシーがすぐにJのところに行ったら左手の手の甲にくっきりと歯型がついていた。

「いたかったね、だいじょうぶだからね。」

と言いながら流しに連れて行って手の甲をもみながら流水で冷やした。リーちゃんが渡辺さんに全体の様子をお願いしてIのところに行き

「どうしたの?」

と聞くと

「Jちゃん、Iちゃんのとった。」

とぽつりと言った。テーブルを見るとアンパンマンとお姫様が少し交ざった状態になっていた。直前までもめている様子はなかったのでおそらくJが間違えてお姫様をつかんでしまったのだろう。

「いやだったの?」

と聞くとIは

「うん」

と頷いた。

「Jちゃん、いたかったみたいだよ。Jちゃんもまちがえたのかもしれないよ。Iちゃん、おはなしじょうずだからいやだったら『やめて』とか『かえして』とかいえると、リーちゃんはうれしいな。」

そういうとIはまた「うん」と頷いた。

 Iは自分のものが取られると思ってとっさに噛んだのだろう。リーちゃんが言うようにお話はそこそこできるようになったが、まだ「口」が先に出てしまうこともある。言葉が出るからと言って噛みつきがすっかりなくなるわけでもない。行きつ戻りつ子どもは成長する。

 

ルーシーの書いているのは午前のおやつ後に室内でKがLをかんだ件。

 今日は小雨模様だったのでおやつ後、給食までお部屋で遊ぶことにした。Kはおままごとコーナーでお人形の「ぼぼちゃん」をベッドに寝せて、テーブルにお皿を並べてMやNとおままごとをしていた。そこにLがふらりとやってきてベッドに寝ているぼぼちゃんが可愛くなったのか持っていこうとした。それに気づいたKが「Kちゃんがつかってた。」と言って取り戻そうとしたらLはそれを振り切るように背中を向けたところをKが肩口にかみついた。ルーシーはその時、隣のパズルコーナーにいて目にはしていたが「あっ」と思った瞬間にはKがかみついていた。ちなみにリーちゃんはロッカー前で全体を、僕は絵本コーナーで絵本を読んでいた。ルーシーが行ったときにはすでにKはLを離しており、「あまがみ」で済まないかなと思ったが大泣きするLの肩を見るとしっかりと歯型がついていた。Kを見るとKもLのほうを見て泣いていた。Lの肩に流水を掛けるわけにもいかないのでお手拭きをぬらしてLを膝の上に置き、肩をお手拭きでもみながら冷やした。

リーちゃんがすぐに泣いているKに近づき座ってKを膝の上に乗せた。Kはリーちゃんの膝の上でずっと泣いていた。しばらくして泣き止んだ時、

「おくちでいえなかった?」

と尋ねたが何も言わなかったらしい。

 

Kは実は前の日も噛みついていた。

 午前中、KとOが砂場で遊んでいる時、Oが持っていたスコップでKの頭を叩いた。リーちゃんがそばにいてだいたいのことを把握していた。リーちゃんによれば原因はKがOの使っていた皿を使いたくなって、黙って取ってしまったからだ。Oは何枚か皿を並べそこに砂を持って料理かなんかを作っていた。その1枚をKは取って自分の手元に置いた。「かえして」とOが言ったがKはよく聞こえなかったのか、知らないふりをしたのか、そのままにしていた。それを見てOは怒って「Oちゃんのだよ」と言って持っていたスコップでKの脳天をぽかっとやったらしい。Kは大泣きし、OはKをにらんでいたという。リーちゃんがすぐに行ってKの頭を見たが髪の毛のおかげか目立った外傷はなかった。リーちゃんがKの頭を冷やすために外流しに連れて行ったあとルーシーはOを砂場の近くのベンチに連れていき、「いやだったよね」とOに寄り添いつつ、「Oちゃん、じょうずにおしゃべりできるんだから、いやだったらいやだとおくちでいおうね。おともだちたたいたりしたら、けがするかもしれないよ。スコップみたいなのでたたいたら、もっとおおきなけがするかもしれないよ。けがしたらOちゃんもかなしいでしょ。おくちでいってもおともだちがきいてくれなかったらルーシーやリーちゃん、たまだくんにいってね。」というようなことを他の子どもを見ながら言っていたのだろうと思う。

リーちゃんもKに話を聞いているはずだ。KがOが皿を使っていたのを知っていて取ってしまったのであればOの気持ちを伝えつつ「かして」と言えればよいことを話し、もしわからなかったのであれば、Oが『かえして』とお話したときに知らないふりをせず、おともだちのお話を聞いてあげるように伝え、いずれにしてもOがスコップで叩いてしまったけれど悲しかったんだ、というようなことを話していると思う。いずれにしても何かを決めつけ頭ごなしに言うのではなく子どもが自分のしたことを言葉の力を借りて振り返ることができるようにリーちゃんは話しているはずだ。

僕は砂場と反対側にいてほかの子どもたちの様子を見ていた。トラブルが起きたときに三人とも動いてしまうと「二次災害」が起ってしまうかもしれない。ルーシーもそう思ったからOと面と向かって話すよりはベンチに座り横並びになってほかの子どもも見られるような位置で話すことにしたのだと思う。

 その後、お部屋に入って給食の準備の時、Kが早々に席についていた。リーダーのリーちゃんが前に座って先に集まった子どもに手遊びをしていた。Kもその中の一人でリーちゃんの手の動きを見ながら自分の手を動かしていた。ルーシーはトイレ前にいて排泄の援助をしていた。僕は最後まで園庭に残っていたPとQと一緒に部屋に入った。ふとロッカーの前に帽子が落ちており名前を見るとKのだった。

「Kちゃん、ぼうしおちてるよ。」

テーブルに座っているKに言うとKがリーちゃんの手遊びを見ながら椅子から立ち上がって帽子を取りに来た。僕はKに帽子を手渡した。Kはそれを受け取りロッカーに入れようとしていた。僕はクラス全体の子どもを見るとはなしに見ながらPとQの手洗いも見ていた。トイレを終わったOがとことことテーブルに近づき、あろうことかKの座っていた椅子に座ってしまった。リーちゃんがOに

「そこ、Kちゃんすわっていたよ。」

と言ったがOはすぐにはどかなかった。ロッカー前でリーちゃんの手遊びを真似していたKはリーちゃんのOに対する声掛けを聞いてテーブルに戻ってOに

「Kちゃんのだよ」

と押したがOはKを押し返し、その左の二の腕にKが噛みついた。リーちゃんがすぐに引き離したが、Oは大泣き、KはOを睨んでいた。リーちゃんがOを流しにつれて行き、腕をもみながら流水で冷やした。ルーシーが今度はKの横についた。おそらくOに言ったことを今度はKにも言ったのだと思う。ルーシーの話が終わったのかKは急に立ち上がって流しでリーちゃんに冷やしてもらっていたOの前に行き、両手をぐっと握りしめ、口を突き出すようにして

「ごめんねー」

と大声で言った。リーちゃんが

「あやまれたね、すごいね。」

と言ったリーちゃんの声が少し涙声だった。砂場でOを止められず、こんどはKも止められなかったからだ。Kはそれだけ言うと今、取り合いになった席に戻った。ルーシーは戻ってきたKに

「あやまれたんだね。やさしくいってあげればOちゃんももっとうれしかったかもしれないね。」

と言ったが、今のKにはこれが精いっぱいだったと思う。

KがOに対して「恨みつらみ」を持っていたたかどうかはわからない。持ってたかもしれないし、Oが叩いたのとKが噛んだことはたまたま連続して起こった二つのことかもしれない。でも起こった後は友だちと今日はあんなことがあった、こんなことがあったとそれぞれの記憶に残り、後悔したり、恨んだり、謝ったり、謝られたり、そんなこんなで自分とは違う、パパママとも違う人へのいろいろな思いが育まれるのだろうと思う。

 

「Kちゃんもわかっているんだろうね。」

 昼にお茶を飲みながら手分けしてお便り帳を書いている時にKの話になった。

「そうね、口が思わず動くのかな。お話はできるのにね。」

と、リーちゃん。

「今日はKちゃんを見てて切なかったね。」

と、ルーシー。

「昨日の今日だからね。自分に悔しかったのかな。」

「そこまでも考えていないかもしれないけど、感情的にはね。」

とルーシー。

「考えていなくても感覚的に悔やんでいるのだとしたらそれはそれで素晴らしいじゃん。1歳児の時はどうだったの?」

ルーシーに聞いてみると

「かむというよりむしろかまれていたほうだと思う。わざとじゃやないと思うんだけどなんだか人が使っているのを取っちゃうんだよね。それでおともだちが怒ってかんだり、あと窓とか、散歩車とか狭いところに入ろうとするんだよね。そうするとかまれちゃう。」

かまれる側の子どもがあるときからかむ側に回ることは実際にはある。相手にダメージを与える最大の方法として学習したのかもしれない。自分の身に起こった不幸を相手にしてしまうことは悲しい。だから僕たちは子どもたちがかむ、かまれることのないように、例えばおもちゃの数を増やしたり、密集しないようにしたり、かまれたときも、かんだ当人も嫌な思い出にならないように気持ちに寄り添った言葉をかけるようにしている。まだ、言葉が身についていない子どもたちの「いたい」とか「かなしい」とか、もやもやっとした気持ちに沿った言葉を保育士が言ってあげて、子どもたちの気持ちに言葉という形を作ってあげると少しは落ち着くような気がするし、後々自分の気持ちを立て直すことに役立つと思う。

 

僕は事故けが報告書の去年の2歳児クラスのところを見てみた。

「かみつきの原因はやっぱり物の取り合い、場所の取り合いかな。トイレ前のベンチの取り合い、窓から園庭を見ていて押し合って、おもちゃの取り合い、粘土の取り合い、給食の時の椅子の取り合い、コップを取られたと思って、抱きつかれて怒って。」

「でも数はやっぱり1歳児じゃない。物の取り合いだけじゃなくて理由の分からないのも結構あるし。」

「えっ、なに?」

リーちゃんがルーシーに聞いた。

「何もなくてもそこに友だちの指とか腕とかが視界に入るとパクって、たべちゃう。おいしそうに見えるんじゃないの。」

かみつきはルーシーが言うように1歳児クラスが一番多い。1歳児クラスでも2歳児クラスでもかみつきの理由は物の取り合い、場所の取り合い主だった理由だ。1歳児クラスではさらに例えば目の前の友だちの指が邪魔だったんじゃないかとか、ぷにゅぷにゅした二の腕がおいしそうに見えたんじゃないかとか、言葉が十分でない分、推測しかできないが、瞬間的突発的な時もある。その点2歳児クラスになると子どもたち自身が「~がいやだった。」と言えたりして、だいたい状況は把握できる。言葉が拙いので「口」が出てしまうとよく言われる。子どもによってはそうかもしれない。春先、まだうまく言葉で表現できないTがよく一緒に遊んでいたUの腕をを噛んでしまったことがある。仲良くままごとをしている時だった。おいしそうに見えたのか、それとも親しみの表現か。僕が子どものころ「小指の思い出」という曲が流行ったのだが「あなたの噛んだ小指が痛い」というフレーズがあった。大ヒットした「さざんかの宿」という演歌にも「抜いた指輪の罪のあと かんでください 思い切り」というのがあった。ひとの指をかむなんて大人の行為としていかがなものかと思うが、親しみを表す表現として子どももそういう時があるのかもしれない。一方である程度言葉が出ている3歳以上児でも噛みつく子どもはいるし、大人でもボクシング選手やサッカー選手が試合中に相手の耳にかみついたことは有名な話だ。人はなぜ噛むのかというはっきりした理由はよくはわからないが少なくともボクシング選手や、サッカー選手が親しみを込めて相手を噛んだのではないと思う。

 

 僕が見た後、事故けが報告書のファイルを何気なく眺めていたリーちゃんが

「ねえ、Kちゃんだけどさ、噛みつくのって月の半ばの何日間か連続しているんだけど。」

と月別になっている報告書を4月、5月、6月とめくりながら言った。ルーシーと僕はファイルを覗き込むとリーちゃんは

「4月は16日、17日。5月は16日。6月は12日13日14日。」

ともう一度4月からページをめくり返しながら言った。

「ほんとだー。」

ルーシーが感心したように言った。

「たまたまでしょ。」

僕はそれほど意味があることとは思えなかった。むしろKの噛みつきは多いいな、と思っていたことを再確認したような心持ちだった。

「これさ、満月かなんかじゃない?」

とルーシー。

「狼男?」

と僕。

「違うよ、サイヤ人よ。」

とルーシー。

「そうじゃなくて。前からさ、少し思っていたんだけどKちゃんのママって、少し太ったと思わない?」

リーちゃんがルーシーに同意を求めた。

「そうかも、それに元気も少しないような感じがする。」

ルーシーが同意した。

「だよね。だから満月じゃなくてママの月のものが関係してるんじゃない。体調が悪くなるとか、もしかしたらおめでたになったとか。」

「おめでた?」

意外な単語に僕は思わず声が出た。

「わかんないけど、可能性はなくはない。」

「たまだ君、さりげなく聞いてよ。今日、遅番だよね。」

ルーシーが僕に言った。ママは今日は閉園間際のお迎えだった。

「Kちゃん、ここのところかみつき目立つからそのことを聞きながら、家ではどうですかという感じで聞けばいいの?」

「うーん、かみつきのことを出すのはどうかな。」

リーちゃんがうなった。

「なんで?」

「本当に体調悪かったら、あんまり心配かけたくないし・・・。」

「えー、それでも聞くの?君らではだめなの?」

「ちょっと、違ってたらきまずいし、何かヒントだけでもわかればまたKちゃんのことでママに相談する仕方も見つかるでしょ。そこは『年の功より亀の甲』で、何とかうまく聞いてよ。」

ルーシーが軽く言い放った。

「『亀の甲より年の功』です。年の功もあんまりないけど。僕だったら気まずくなってもいいんかい。」

「おじさんは深刻にならないと思う。たまだ君、ぼ―っとした感じだし。」

ルーシーが理由にならない理由を言った。かみつきもさることながら、散歩に行かないと言って行かなかったり(後ですごく後悔していた)、理由はわからないがへそを曲げて1時間以上お着換えせずいたり(危うく、おやつを食べ損ねるところであった)時折、いつになく聞き分けが悪くなることがあった。おめでたを確認することはともかく、ママの話を聞くことも悪くないと思い、ルーシーの無茶な依頼を承諾した。

 

かみつき、ひっかきが起こった時も当然保護者に経緯を説明しなければならない。ルーシーによれば毎年、1歳児クラスの春の懇談会の時に「成長発達の過程でけがは必ず起こる。集団生活は子どもの育ちにとても大切であり、集団生活であるがゆえに起こるけがもある。ひっかき、噛みつきもその一つである。十分に気を付けるが防げない時もあることを申し訳ないが了承して欲しい」旨の園の方針を伝えている。2歳児クラスの春の懇談会でも同じお願いをし、さらに

「かみつき、ひっかきについては責任は園側にあり子どもには責任はない。謝罪すべきは園である。という考えに基づいて、かまれた経緯などは具体的に噛まれた子どもの保護者の方へお話はするが、噛みついたほうの子どもの名前はださない。また、繰り返しかみつくなど、子どもの育ちのため保護者と情報を共有したほうがよい場合以外は謝罪の必要性など気を遣うことになるのでかみついたことについては、保護者にはその都度報告はしないということにしたいが、それでよいか。」ということを保護者に伝えた。それに対して

「子どもがかまれたときは別に構わないが、かんだとき、あまりにひどい時は、常識の範囲で謝罪もしたいし、子どもの様子も知りたいので教えて欲しい。実は、かまれたときは子どもが言うので概ねわかってしまう。」

と言う意見が出た。その場では少し担任同士で話し合って検討してみますということにした。

すぐに三人で話し合ったのだけれど、かんだ子ども、かまれた子ども双方の保護者に名前を告げることは結局、「謝罪」の問題が生じてくると思われた。それはまた「謝罪をした」「謝罪をしない」という新たな問題を含む。なんか問題が複雑になりそうで、結局原点に返り、責任は園にある。謝罪はあえてする必要はないだろう。ということでとりあえず現在の方針を維持しつつ、かまれた子ども、かんだ子どもどちらにしても子どものために良い方向に向かうのであれば名前を告げつつ解決を図ろうということになった。今のところ保護者の協力を得ることができ、大きなもめごとにはなっていない。ただかみつきが起こったときは噛まれた子の保護者には必ず状況を具体的に説明し、理解を得るように努力はしている。

 

6時以降の延長保育は3歳未満児は0,1歳児室で行っている。2歳児の保護者はお迎えに来ると先に2歳児室に行って荷物を取ってから0,1歳児室に子どもを迎えに来る。そろそろ来る頃かなと思い0,1歳児室を出たり入ったりしながらママを待っていた。ママは 6時45分ごろお迎えに来た。

「おかえんなさい。」

僕は2歳児室の中に入りながら言った。さも偶然を装って。

「ただいま。」

ママは送迎表のお迎えの時間を書きながらこちらを向いて微笑みながら言った。僕は今日、Kがままごとをして赤ちゃんをおんぶして遊んでいたことなどを言い、おうちではどんな様子か聞いてみたがそれほど気になることはないということで、話はそこで終わった。やはり何の脈絡もなくおめでたの話はできない。この手の話に年の功はない。

 

1か月ほどのちママから妊娠したとの報告がルーシーにあった。月のものや、体調の良しあしや、妊娠と、Kのかみつきとのはっきりした因果関係はわからないが、でもKには新しい兄弟ができることはわかっていたんじゃないか、大好きなママを取られてしまうんじゃないか、そんな不安をたくさん感じたように思えてならない。その不安とママの体調の変化とがリンクしたのかもしれない。幼児にはそんな巫女的な部分がある。おそるべし。

 

ひっかき、噛みつきは1歳児クラス、2歳児クラスでは一年中あるとはいえ8月9月を過ぎると数的にはぐっと減る傾向がある。今年もその傾向が出てきている。K自身も最近ではあまりかみつかなくなった。それを考えると子どもたちの環境が4月には激変するということは大きいと思う。部屋は変わるし、担任は変わる。担任も慣れているわけではないのでバタバタしている。ただでさえ子ども自身成長発達の真っ最中なので、心身ともに日々自分が自分でないみたいだ。それに加えて周りの環境がそれだけ変わればトラブルもふえるでしょ、という話だ。できることなら2月、3月あたりから新担任や新しい部屋に徐々に慣れることができればよいし4月以降落ち着くまでは主任やフリーの応援があればなおよいと思う。更に遊びの環境が大切であることは言うまでもない。一概には言えないけれど熱中して遊んでいれば人のことを気にしなくなる。まだまだ譲り合いができないようであれば物は少し多めに用意する。

事故をとめるには事前に環境を整えることが大切だ。その上でその場での子どもたちへの注意深いまなざしが必要になる。「段取り七分に技三分」物事は準備に70パーセントかけてその場での技術が30パーセント。前職の同僚のしげさんの教えである。