2歳児の保育「三つ子の魂デシデシドン6」

6,いってらっシャインマスカット、おかえりなさい銭箱

7月中頃

 保育園は概ね7時半から8時半ころ、登園のピークを迎える。うちの園では7時開園だが、近隣の保育園の中には7時15分開園の所もある。子どもが一定数を超えるまでは0,1歳児室で合同保育をしている。2歳以上の子どもたちには遊ぶものは十分とは言えず、絵本とブロック、塗り絵で我慢してもらっているのが現状だ。逆に2歳以上の幼児の部屋で行うと、0,1歳児の子どもたちにとって、慣れない場所なのでそれだけ負担も大きい。遊ぶものは確かに不十分かもしれないが、普段あまり交流のない0,1歳児と触れ合う機会は貴重だ。大きい子は喜んで小さい子の面倒をみたりもしている。だいたい8時頃までには子どもに対する職員の数もそろい、それぞれの部屋に移っていく。大きい子どもたちがいなくなると一時的には部屋も閑散とした感じになるが、0,1歳児が続々と登園するのですぐににぎやかになる。

 2歳児はこの時間にはだいたい知香、瞳、幸夫、渡、康江、あき、麦、善、達彦らが登園している。まずは2歳児室に行ってママ、パパらと準備をしてから0,1歳児室にやってくる。早く登園してくる家庭は、朝はてんやわんやだろうということは容易に想像がつく。おそらくは車の中でパンやおにぎりを与えられたのだろう、口の周りにジャムやら、ご飯粒などをつけてくる子どもも少なくはない。朝は時間の制約がものすごくきついので、子ども自らが「行く」という気持ちを多少なりとも持ってもらわないとママ、パパがめいっぱい煽ることになるし、それが毎日の事なので、大人も子どもも消耗は激しい。ましてや子どもが「いきたくない」と言った日にはママ、パパも途方に暮れてしまう。僕たちも各家庭に出張して登園のお手伝いでもできればいいのだがそうもいかない。保育園はもしかしたら、ディズニーランドよりもUSJよりも楽しいところ、と思ってもらう努力をするぐらいだ。

 子どもたちとママの別れ際はそれぞれだ。幸夫、渡、善はママが

「○○ちゃん、いってくるね。」

と言うとバイバイか、ママとタッチをしてすぐに友だちの輪に入っていく。達彦はお迎えの時はママが来るとおもちゃを放り投げて、ダッシュで来るが、登園時はあっさりしている。瞳はあっさりしすぎて、逆にママのほうがいつまでも離れがたいように見える。あき、康江は「行ってらっしゃい」と素直に言うが、ママが部屋を出て行くのを見送ってから遊びに入る。寝起きのあまり芳しくない麦はママにだっこされママの胸にぐったりともたれかかって登園してくる。口元には車で食べたであろうブルーベリーやらいちごのジャムを口元につけている。以前は寝てくることもあったが、「朝ごはんはしっかり食べたほうが・・・。」と話をするとママも頑張って、今は朝ごはんはとりあえず食べているようだ。

 

「おはようございます。むーちゃん、おはよう。」

と声を掛けても無反応で、ママが

「すみません、おねがいします。」

と言いながら麦を僕の方によこした。

「かわりないですか?」

と聞くと

「ないですー。」

と言いながら

「むーちゃん、いってくるからね。」

と麦の腕をゆすりながら言うのだが、返事をしているのかしていないのかわからない状態で、でも視線はママに向けている。

「じゃ、いってきます。」

と申し訳なさそうに、僕に言って、出て行った。麦のお迎えは基本的にはジイジ、バアバなのだが、たまにママがお迎えだと、まさに狂喜乱舞し、「キャー」と言いながら部屋の中を走り回っている。やっぱりママのおお迎えは格別なんだなと思える。

 2歳児は8時までには担任が一人は出勤している。フリーのトッキーかパートの渡辺さんと一緒に0,1歳児室から自分たちの部屋に移っていく。今日はトッキーだ。部屋に入るなり、子どもたちはままごと、ブロック、絵本、パズルなどのコーナーに分かれていく。僕はロッカーの前に立ち、トッキーはテーブルのパズルコーナーに座った。

 子どもたちはひっきりなしに登園してくる。

 朝の準備は、検温して検温表に体温を書くこと、オムツや着替えの準備、汚れ物入れのかごにビニールをかけること、朝のおやつ用、給食用、午後のおやつ用と3枚のおしぼりをカウンターの上にあるそれぞれのかごに入れること、そして送迎表に登園時間とお迎え予定時間を書くことだ。できるだけママ、パパと朝の準備を一緒にするようにお願いしているので、子どもたちはママ、パパに「おむつ、いれてきて。」とか「おしぼり、おねがい。」とか頼まれ、お手伝いをした後、ママ、パパの膝の上で検温する。ママ、パパが、検温表と送迎表に数字を書いた後、バイバイして両手とか片手でタッチをした後か、ママ、パパが僕たちに「お願いします。」「行ってらっしゃい」と言い終わった後、遊びに入っていく。

部屋のドアを勢いよく開け、

「おはようー!」

と元気よく武士が入ってきた。いつも武士は部屋に入るなり遊びに入る。今日もブロックで遊んでいる善と幸夫の輪の中にすぐに入った。ママも僕たちも何度か「ママと一緒に準備だよ。」と言うのだが、友だちが気になるのかそちらの方に行ってしまう。ママはあきらめ気味にさっさと準備を終え

「たけちゃん、ママいくからね。」

と声を掛けるが

「うん」

とママのほうを見ずにブロックをいじりながら生返事。

「たけちゃん、ママにごあいさつ、しよっか。」

と声を掛けると、今度はママに猛ダッシュで近づき、片手を振り上げ全力でママにタッチし、また急いで戻って行った。ママはやれやれと言う顔をして、僕らを見て、

「おねがいします。げんきでーす。」

と言って出勤していった。

千穂は登園はいつもママにだっこされてくる。

「おはようございます!」

元気よく千穂ママが挨拶をしながら部屋に入ってきた。いつものように千穂は抱っこされている。

「おはようございます。おはよう、ちほちゃん。」

僕が両手を差し出すのと同時にママも千穂の身体を僕に近づけた。千穂は小声で

「おはよう。」

と言いながら、ママの首に回していた手を、僕の首にまわしてするりと僕の両腕に自分の身体を収めた。身軽さは子ザルのようだ。

「ちほちゃん、どうですか?」

「変わりありません、げんきでーす。」

ママはカウンターに立てかけている体温計を千穂の脇にはさみながら言った。

「ちほちゃん、ママといっしょにじゅんびをしたら。」

と言ったが、首を横に振って、さらに両手の力を強めて僕の首にしがみついた。

千穂は決して聞き分けの悪い子ではないが朝の抱っこは譲らない。おろしたとしても、「だっこ、だっこ」と言って、両手をあげてジャンプしながら僕に言う。ちょっとかわいい、いや、かなりかわいい。ついついまた抱っこをしてしまう。これはルーシー、リーちゃんの時も同じらしく三人とも意見は一致する。

「かわいいよねー。」と。ママもしょうがないわね、すみませんと言った風情で準備をすすめる。僕は千穂を抱っこし、抱っこしたときの癖で、体温計に注意しながら、少し千穂を左右に揺らして様子を見ていた。ママはバタバタとじゅんびを済ませ、体温計を千穂から取って、

「6度5分です。」

と言いながら検温表に数字を書き込み、送迎表に記入して

「じゃ、おねがいしましまーす。じゃ、ちほ、いってくるからね。」

と言いながら千穂とタッチをし、足早に出て行った。

「ちほちゃん、なにしてあそぶの?」

と聞くと、パズルのほうを指差し、そちらの方に下ろすと素直に降りて遊びに入って行った。

 子どもたちにとってママやパパと一時的に離れることは、いつまでたっても不安なことではあると思う。毎朝、まずはその不安を乗り越えて一日の生活が始まる。僕たち保育士はいくらかでもその不安を感じないように、できれば家と同等もしくはそれ以上に心地よさを感じてもらえるように努力している。

 

 子どもたちが不安に思った一番の出来事は何と言っても、入園したての時だと思う。

瞳、あき、朝美、達彦、それに義樹と武士は今年度、保育園に入園した。「子どもは適応力があるから大丈夫ですよ。」と僕たちがいくら言っても親子がはじめて離れ離れになる不安はとても大きなものだっただろう。だけれども、こうして子どもが多少なりとも保育園になじんでいる姿を保護者が見慣れてしまうと、あの時の不安など一切忘れてしまっているかもしれない。

 2歳児に限らずどのクラスも新入園児は徐々に保育時間を長くするように保護者にはお願いする。子どもたちにとって初めてママ、パパと離れ離れになるのである。大事件である。短いながらも人生初の出来事である。不安で不安で仕方ないはずである。僕たち保育園側からの提案は

1,午前のおやつまで 2,おやつを食べて給食前まで 3,給食を食べるまで 4,午睡して、おやつを食べるまで の概ね4段階を時間をかけて慣れてから次に移るというものだ。3月ごろに行う入園説明会で説明をし、4月1日、最初に保育園に当園したときに担任を交えて話し合う。主に勤務先の都合などで長く慣らし保育の時間をとれる人もいれば即、フルタイム勤務で全く取れない、という人もいる。2歳児の6人は概ね1~2週間で慣らし保育を終わった。終わったというよりは不安がありつつも仕方がないから終わらせるという感じが多い。だから慣らし保育が終わってもさほど慣れていない子どももいた。

 新入園児はいろいろな場面で泣くことも多いのだが、あきは最初は泣くこともなく、おとなしくリーちゃんやルーシーに言われるままに動き、10日を過ぎたころには達彦に「あそぼ」と言って、砂場で遊んだりなんかした。2週間目ぐらいの時に、友だちに「ままごとを片付けて」、と言われ泣いてしまったことがあった。それから少し、めそめそすることが多くなり、午前中なんだか沈んだ様子だったけど、午後は機嫌を直し、別の日は一日泣き通し、また別の日はごきげんというようなことが繰り返され、今日は、あきはどうだったかというのが昼の3人の大きな話題のひとつでもあった。6月に入ったころから機嫌がいい日が続くようになり、幸夫の頭を冗談ぽくはたいたことがあった。

「あのあきちゃんが男の子の頭をはたくなんてね。」

と言ったらリーちゃんが

「お兄ちゃんがいるから男の子には遠慮がないんじゃない。」

と言っていた。あきには小学生の兄がいた。確かに最初にあきが「あそぼッ」と声を掛けたのは達彦だった。そうとは言え、園庭では一人でベンチに座っていたり、なにをするわけでもなくうろうろしていることが多く、ルーシーが6月の中頃に

「まだ保育園に心を許していないから、遊びに心が向かわないかも。」

と言って心配をしていた。

 そんなあきの心を遊びに向かわせたのは友子だった。きっかけはあるとき、あきがパズルがしたいと目にいっぱい涙をためて僕に言った。

(いかん、あきが沈んでいる。何とかせねば。)

とあいているパズルを探したが、あいにく、皆使用中だった。そこで一番近くにいた友子に

「おわったらあきちゃんにかしてあげてね。」

と頼むと

「いいよー!」

と元気よく返事をしてくれた。

「あきちゃん、ともちゃんがかしてくれるって。となりにすわってまってて。」

と言うとあきは友子の隣に座って友子を見ていた。友子はすぐにあきに貸してくれて、パズルの指導までしてくれた。それから2人がちょくちょく遊んでいる姿をみかけるようになった。活発な友子が、いろいろな遊びにあきを誘ってくれた。友子は わが道をいく!タイプなので年がら年中、一緒にいるわけでもないが、何かの折には二人で遊んでいた。友子と、あき。タイプの違う二人が一緒にいると凹凸感があって何となく微笑ましい。ある日の給食で友子がいつものように

「おにくのおかわりください!」

と声をあげると、すかさずあきが

「おにく、ください!」

と続いた。満面の笑みだった。みたことのない笑顔。どうしたんだろう。何があったのかわからないけれど、少しは僕たちや、他の友だちに心を許してくれたのかなと思った瞬間だった。

 

 慣らし保育自体に一番時間がかかったのが朝美だった。まず初日、パパと来たのだが、号泣してパパから離れず、パパも僕たちに遠慮して「今日は連れて帰ります。」ということで帰った。次の日はママときて、ママも一大決心をしたのであろう、号泣する朝美をリーちゃんに託していった。もちろん2時間後には迎えに来るのだが、その間泣き通しで、リーちゃんが抱っこしたり、遊びに誘ったりしていた。そういうことが2,3日続き、まだ慣れていないが、ママ、パパの仕事の関係もあり、次のステップへ、さらには次へといかざるを得なかった。こまごまと気を使っていたリーちゃんには唯一慣れ、離れることはなかった。家で使っているアンパンマンの人形を心のよりどころに何とか過ごしているような感じであった。リーちゃんがままごととか砂場遊びとかに誘うのだけれど、ボーッと何か考え事をしている風で今一つ遊べず、食欲もあまりなく、午睡時には僕たちが仕事をしているわきに布団を敷いてリーちゃんがとんとんしていたが寝ることはなかった。2歳児がこの時期に午睡をしないということはよほどのことなので、3人でかなり心配はした。このことをモコさんに相談すると

「多少は時間はかかるけど、今まで慣れなかった子はいなかったかな。子どもは大人よりは順応性は高いよ。保育士の気持ちがその子に向かっていればいずれは慣れるよ。要はここよここ。」

と言ってモコさんは握りこぶしを右手で作って自分の胸の中央をドンと叩いた。

 フルタイムの保育になって2日目、入園から2週間ちょいのところで午睡時に朝美をとんとんしようと朝美の布団の横に座った。とんとんするときは1対1だ。交流を深める一つの手段になる。

「あさちゃん、とんとんしていい?」

「ママがいい。ママは?」

と言うので、

「ママはおしごとに行ってるよ。だからたまだくんでがまんしてね。」

と言うと何も言わず横になっていた。少し肩が震えているような気もした。僕は座ってとんとんしながら、こっくりこっくりして、いかんいかん、とぐるりと周りの子どもの様子を見まわして、またとんとんしながらこっくりこっくり、いかんいかん、ぐるりぐるりを何度かした後、朝美を見ると寝息を立てて寝入っていた。

 次の日、午睡時に、また朝美をとんとんしようと布団に近づいていくと朝美のほうから

「たまだくん、とんとん。」

と,呼んでくれた。

「たまだくんでいい?」

半ば強引にとんとんするつもりで近寄ったのに、少し照れ臭くなり、遠慮して聞いてみた。朝美は天井をまっすぐ見て、こちらを見ずに

「たまだくん、とんとん。」

ともう一度言った。僕はあおむけに寝ている朝美のおなかあたりをとんとんしていたのだが、昨日と同様、こっくりこっくりしてしまい手の動きが止まってしまった。すると朝美が天井を見たまま、「何寝てるの!」と言わんばかりに、おなかを上にうごかした。

「あーごめんごめん。」

と僕はまたとんとんをはじめ、またこっくりこっくり、おなかが動いて

「ごめんごめん」

と二度繰り返し、いつの間にか朝美は寝入った。

子どもがおっさんをいきなり受け入れてくれるのは、ひとえに子どもの心の広さなのだが、おっさんはおっさんでそういう子どもに対する信頼はある。こちらから善意を持って近づけば、いやいや、そこまで行かずとも悪意がなければ、いやいや、悪意があったとしても、子どもはまずは受け入れる。そして悪意を溶かしていく。昔から子どもは、げに恐ろしき妖怪、怪獣、魑魅魍魎と仲良くしてきた歴史がある。おっさんの一人や二人ぐらいなんていうことはない。子どもはそもそも寛容で多様性を受け入れる。大人はそんな子どもにつけこむようなことは決してしてはならないことは言うまでもない。

朝美はその時点ではまだまだ保育園に慣れたとは言えなかったが、光は見えた気がした。

 

 瞳は慣らし保育の期間中から、登園時にママと離れるときも泣きもせず、ママが拍子抜けするほどあっさりとバイバイをし、逆にママのほうから瞳に両手の手のひらをこちらに向けてタッチを求めるほどだった。しかしママが行った後、瞳は僕たちから離れなかった。早朝の受け入れは0,1歳児クラスで行う。入園してから慣らし保育が終わり、あまり日にちも立っていない時、僕は早朝のシフトだった。瞳はクラスで一番に当園した。ママが

「ひーちゃん、それじゃあね、ばいばい。」

というと、瞳はあまり表情を変えずにバイバイをした。

「ひーちゃん、おもちゃであそんでいいからね。」

と言ったが、瞳はその場で立ったままだった。次々に子どもたちが登園するので僕はその対応に当たっていた。ふと瞳を見ると、まだおもちゃのある所には行かずさっきよりも僕に近づき、立っていた。それから徐々に距離を詰め、黙って僕の左手の親指を握った。僕は急に親指を握られたので少し驚いて、瞳を見ると瞳はじっと前を見ていた。その後、幸夫、渡、康江、あき、善たち2歳児クラスのお友だちが次々に登園し、漸く指を離しておもちゃで遊ぶようになった。次の日はママが部屋を出て行くとすぐに僕に近づき、いきなり両手を広げた。

「だっこ?」

と聞くと

「うん」

と言いうので抱っこをしてあげた。このほかに園庭に出たときに3,4,5歳児のおねえさん、おにいさんがいるとやはり僕にするすると近づいてきてそっと指を握った。思うにあまり人と会うこともなくママと二人で過ごしていたので人見知りだったんだろうなと思う。受け入れ時や園庭で知らない大きな子どもがいると、とりあえず大きな子どもより、さらに大きい大人に頼ったのだろう。

 

 武士、達彦、義樹は1日目、ママと離れるときに、不安そうにママを見て、少し涙ぐんだけど、リーちゃんやルーシーがやさしい言葉をかけて遊びに誘うと割とすんなり遊びに入った。武士は一番、慣れるのが早かったと思うが、午睡前に「ねたくない」と言ってぐずっていた。寝たことがなかったのだろう。達彦は急に何かを思い出したように泣き、義樹も土管で一人で泣いていたりした。達彦と義樹は月齢が低いこともあり、言葉が余り出ていなかったので泣くしか手段がなかったのかもしれない。そこまで回数が多かったわけではなかったが、そんな切ない姿を見ると、何とか笑わしてやろうと、変顔をしたり、「にゅーめんそうめんひやそうめん・・・こちょこちょこちょ」やら「あがりめ、さがりめ」などのわらべ歌を歌うのだが、全く効果はなく、だっこをしたり、ただただ手をつないであげるくらいしかできなかった。そんな二人ではあったけれど10日もすれば友だちと遊べるようになり、やれやれという感じではあった。

 

 いくら友だちがいて、保育士がいて、楽しく過ごしたとしても、ママやパパがお迎えに来ることは子どもたちにとって一日の大きな楽しみだ。達彦はママの姿が見えると、何もかも放り出して、ダッシュしてママのところに行く。麦は狂喜乱舞だ。二人のように誰彼、はばかることなく、体じゅうで喜びを爆発させる子どもがいる一方で、うれしいくせに素直に表現できない子どももいる。

 

 義樹はママがおうちで仕事をしているので早めの17時ころにお迎えが来る。園庭で遊んでいる時、ママたちが2歳児室の前のテラスに出てくると、子どものそばにいる保育士が子どもたちにお迎えが来たことを報せる。たいていの子どもはそれを聞くとおかたづけをして、走ってママのところに行くのだが義樹は決まって知らんぷりを決め込む。

「よっちゃん、おむかえだよ。おむかえがきたら、どうするんだっけ?」

等と説得を試みるがそれに応じず、砂遊びやら虫探しやらを継続している。そのうちママが園のサンダルをつっかけて、義樹に近寄ってくる。実は義樹はこれを待っている。僕は最初の頃は結構むきになって、説得していた。ある時、昼に

「よっちゃん、なかなか、帰らないね。」

とリーちゃん、ルーシーにぼやいたら

「ママに任せたら。」

とリーちゃんに言われた。

「なんか,わるくて。」

と言うと

「よっちゃん、それを待ってんだよ。」

とルーシー。続けて

「おじさんよりはママでしょ。」

ママもそれはわかっているようで、「うちに帰ってテレビ、見よ。」とか「おやつあるよ。」とかお話をし、義樹もすぐには応じずぐずぐず言いながらも、最終的にはママに手を引かれたり、だっこされたりしながら部屋に入っていく。たまに、あまりにも聞き分けがなく、ぐずぐずと「いやだ、かえんない。」と駄々をこね、さすがのママも堪忍袋の緒を切るかと、こちらはハラハラして見ているが、そこまでには至らずなんだかんだと言いながら帰っていく。帰っていく二人の姿を見ていると義樹の「寂しさ」と、ママの義樹に対する「申し訳なさ」を感じてしまい、義樹がもう少し園で楽しく過ごしていれば、多少は「寂しさ」もまぎれて、ママに駄々をこねることも減るのかなと思いつつ、二人にとっての特別な感情も行きかっているのだろうなと思う。

 

 降園時の悩み事として「暴走族」対策がある。

隆二、武士、太郎、幸夫、麦、友子、善、あたりはママやバアバ、ジイジが荷物を持っていることをいいことにお部屋から玄関までダッシュで行ってしまう。廊下なのでお迎えの保護者や子どもも行きかっており、非常に危険だ。ことあるごとに

「かえるときは、ママやパパとてをつないであるいてください。」

と子どもたちには話をし、保護者にもそう伝えているが、とにかく彼らはすばしっこい上にママパパも疲れているし、見た感じもあまりよくないのでがっちり手を取り、引きずるかのようにするのもどうかとママパパは思っているのだろう。それでも何とか頑張って、子どもたちに言い含め、手をつないで帰ってくれるようにはなった。しかし幸夫と麦のお迎えは基本的にはジイジとバアバなので子どもたちはやりたい放題、たまにジイジたちが「まてー」などと言う。「それはアカンやつだ。」と思ったら案の定、子どもたちは喜んじゃってますます勢いよく走ってしまう。すっかり子どもたちの術中にはまってしまっている。本当に危ないので、とにかくジイジとバアバというよりはおうちでママ、パパに言い含めてもらうとともに、僕たちもお話しをしたり、人に余裕があるときは玄関まで手をつないで一緒に行くこともしている。いずれはルールを理解してくれると思うがそれまでは地道な努力も必要だ。

 

 ママ、パパたちに急なお迎えをお願いすることがある。

 子どもが咳をしていたり、鼻水を出したり、下痢をしていたり、顏が赤かったり、青かったり、具体的な症状がなくても、ちょっと元気がないなと思った時にはすぐに検温をする。熱があるかないかの基準は、うちの園は37.5度にしている。子どもたちの平熱は大人よりは総じて高い。37度ぐらいの子どももいる。だから、ちょっとすれば37.5度にはなるといえばなる。た37,5度平熱という子どもはあまりいない。そう意味で言えば37.5度が「熱がある」と言っても間違いではないとは思う。ただもう少し様子を見て欲しいという保護者もいるし、園によっては38度にしているところもある。

「体温が37.5度であることが確認されたら保護者の方に連絡をしてご家庭で様子を見ていただくよう、お願いします。」

これは入園時に保護者の皆さんにお願いしている事である。子どもたちを検温し、37.5度以上あると担任が保護者に電話をしに行く。各家庭から提出してもらう「家庭調査票」には電話をかける順番が書いてあり、必ずつながるようにと職場の電話番号を基本にしているが、もちろん携帯のほうがつながりやすいというのであれば携帯でも構わない。一応、ママ、パパ、バアバという順番がクラスの中では一番多い。

 まずはママの職場に電話をする。応答の中身で多いのは

「わかりました。○○時頃迎えに行きます。」と即答か

「調整するのであとで電話します。」といったん切ってあとで「○○時にいきます。」「ばあちゃんが行きます。」「パパがいきます。」と連絡するパターン。

 ママにつながらないときは次の人に電話をする。次がパパの時は即答する人は少ない。いったんママになんとか連絡を取るようで

「わかりました。調整してまたお電話します。」

 バアバの時は園にお迎えに来慣れている人は即答するし、慣れていない人は一度、ママに連絡を入れる場合が多い。

 連絡がつくと、帰る支度をして事務室の病児コーナーのベッドに連れて行って、園長か、主任のモコさんにお願いする。2歳児くらいだとそうでもないが0,1歳児となると人見知りをして、大泣きをする子どもがいる。担任もクラスに戻らなければならないので園長、主任が抱っこで対応することになるが、モコさんがしばしば0,1歳児クラスにも応援に行っているので、子どもがモコさんに気付くと「なんだ、モコさんじゃん。」という感じで落ち着いてくれる。また、一時保育はいろいろと事情のある家庭が多く、なかなか迎えに来れず、結局事務室の病児コーナーで夕方のお迎えを待つ子どももいた。

 お迎えは直接、事務室に来てもらう。検温した経緯と、子どもの様子を園長かモコさんのほうからお話ししてもらう。

朝の検温でも37.5度以上だと

「ごめんなさい、今日はおうちで様子をみてもらってもいいですか。」

とお願いする。ほとんど

「わかりました。病院に行って来ます。」

「明日からのこともあるので、なにかわかりましたら、連絡いただいてもいいですか?」

感染症のこともあるので情報を提供してもらうととても助かる。

 ただ、中には

「申し訳ないんですけど、○○時頃に会社に連絡してもらっていいですか?そうすると休みやすいので。」

と頼まれることがある。もちろん承諾し、頃合いを見計らって電話をする。

 家庭によっては兄弟姉妹で通っているので一人休んで、また一人、さらに1人ということもよくある。このクラスには2人までだが園全体では3人兄弟姉妹のところが複数ある。保護者にしてみれば休むんなら一斉にと思わざるを得ないが、そんなに都合よくはいかない。もう、てんやわんやである。

 送迎で威力を発揮するのが祖父母、とりわけママのほうの祖父母だ。育児はママが主導しているし、そのママが頼みやすいのが自分の親だ。強力な助っ人になる。緊急の場合はなおさらだ。同居はなくとも比較的近くに祖父母がいるとママの肉体的、心理的負担は相当軽減される。しかし、そんなラッキーな家庭ばかりではない。ましてや大都市など、ほとんど祖父母は当てにできないだろう。緊急のお迎えに関してはパパの役割ということに社会の約束事にするとか、行けない人のためにあまりにも少ない病児保育を増やすとか、もはや各園に作ってしまうとか、そうしないとそこも子育ての負の要因になってると思う。

 

 うちの園は通常保育の時間が7時から18時まで。18時以降19時までは延長保育として別途に料金がかかる。園によっては20時とか21時とかの園もある。今年の2歳児クラスは他のクラスに比べると延長保育利用が多く、知香、康江、千穂、薫、友子、渡、幸夫、波が延長利用だ。18時になるとクラスで手を洗って0,1歳児室に移動する。0,1,2歳児は0,1歳児室で延長保育を行い、3,4,5歳児は自分たちの部屋で行う。まずはテーブルについて、延長時のおやつを食べる。おやつを食べている時にお迎えが来ることもしばしばだが、子どもたちが食べるのをやめることはまずない。幸夫などジイジ、バアバが来ているのにわざとゆっくり食べているんじゃないかと思うぐらいで、僕らが

「ゆきちゃん、じいちゃん、ばあちゃん、まってるよ。」

と言うのだが、

「いいからいいから、まってっから。」

とジイジは言ってくれる。以前にジイジが

「怖がられるよりは、なめられているほうがよほどましだから。」

と言っていた。丸ごと受容するという意味では親とはまた違うアプローチで子どもに接している。僕より一回りほど年長であるが年の功を感じる。2歳児の行動、言動に時としてカチン、カチンときて、必要以上に「ちょっと、あんた!」的な対応をしてしまう僕にとっては耳の痛い話だ。

 

 延長保育に入って、一人、また一人とお迎えが来て、今日も最後は渡だった。大抵最後は渡だ。渡は朝早くから夜遅くまでたぶん、クラスで一番長く保育園にいる。渡自身はお絵かきや絵本など一人で遊べるので暇をもてあまして走り回ったり、お迎えが遅いからと言ってぐずるでもない。今日は一所懸命、テーブルに正座をして、得意の恐竜の絵を使用済みコピー用紙の裏に鉛筆で描いていた。僕は渡の横で感心しながらそれを眺めていた。遅番の相棒の4歳児担任のハタ坊(秦さん)は部屋やトイレのごみを集めていた。19時少し前に

「ごめんねー、おそくなってー。」

と言ってママが部屋に入ってきた。その瞬間、部屋の入口に視線をやった渡の顔がパッと明るくなった。2歳児室で帰りの準備を終わらせたのだろう、ママがいつも持っているトートバッグが膨らんでいる。

「おかえんなさい。」

僕とハタ坊が同時に言った。最後は保育士も2人になって、部屋も少し寂しい感じがするので僕たちもめいっぱい明るい声を出した。当の渡は鉛筆を無言で僕に差し出した。僕がうなずきながらそれを受け取ると、渡は絵の描いた紙を持って、恐竜の絵をママに見せた。ママは

「なんのえをかいたの、チラノザウルスだっけ?」

と聞くと

「○○ザウルス」

と渡は僕の知らない名前を自慢げに答え、ママは

「じょうずだね。」

と頭をやさしくなでてあげた。

「わたる、かえりのごあいさつをして。」

と言うと渡は僕のほうを振り返って

「さようなら。」

と少し語尾を上げて言った。

「わたるくん、またあしたね。」

僕がそう言うと渡は

「うん」

と言い、ママが渡の手を取り、僕とハタ坊に会釈をして二人は部屋を出て行った。僕はハタ坊に

「部屋、見回ってくるから。」

と言って0,1歳児室を出た。廊下の先には渡親子が帰る姿が見えた。仲睦まじいその姿を見ると今日も無事に終わったなあと思える。でもママたちは家に帰ったら帰ったでさらに仕事が待っている。このクラスで送迎できるパパはいなくもないが、ママたちに比べれば圧倒的に少数だ。クラスのパパたちは皆、やさしくて子煩悩な印象はあるが、なかなか子育てに参加できないようだ。ママたちに概ね負わしている子育てと言う大切な仕事をパートナーをはじめとして社会全体で支えていかないと、いずれ担う人がいなくなるのではないかと、毎日のママたちの奮闘ぶりを見てそう思ってしまう。

 

 2歳児室に入ってあたりを見回すと、概ねお片付けは済んでいた。リーちゃんは早番だったから、中番のルーシーが上がるときに一通り片付けたのだろう。少し絵本がさかさまになったり、横に入ったりしていたので本コーナーに座って入れなおした。絵本も少し他のものと入れ替えをしたほうがよさそうだ。子どもたちの興味とか季節とかもう少し考慮しないと。でもおなかすいたな。今週は連れ合いが食事当番だ。何作ってんだろう。ここの所、カープは負け続けだ。今日はどうかな。

 「たまだくん、なにやってんの?今日の反省?しっかりやんだよ!」

部屋を見回っていたモコさんが入り口から顔を出して、それだけ言って、0、1歳児室のほうに行ってしまった。反省?あー、本棚として使っているカラーボックスに手をついて考え事をしていたからだろう。まったく、おさるさんではありません!とは思ったものの、おのずと気持ちが自分に向かう。

 昔のある人は「人の相談にのったときに誠意があったか?友だちと話していて嘘をつかなかったか?習ってもいないことを伝えなかったか?」この3つを毎日、何度も反省したという。甲園長の勧める反省は「子どもの存在を丸ごと信じただろうか。子どもに真心をもって、接しただろうか。子どもを見守ることができただろうか。」実に誠実だ。僕はそんなところまで到底及ばない。反省することはただ一つ、子どもたちの行動、言動に苛立ち、必要以上に怒らなかったか。と言うことだ。いつもこれだけでたくさん反省する。考えては、「はぁ」とため息をつく。終わった事はしょうがない。きりかえ、きりかえ、冬が終われば春が来る、明けない夜はない、明日はあしたの風が吹く。ドンマイ、ドンマイ。今日の任務は完了。明日も朝から元気よく「おはよう!」「いってらっしゃい!」が言えるよう、早く帰ってメシにしよっ!