2歳児の保育「三つ子の魂デシデシドン3」

3,友だちとの遊びの始まりとコーナープレイランド

6月中旬

 今日は朝から天候が思わしくない。しとしとと小雨が降っている。僕は朝のお集まりを一通り終え、活動に移るときにリーちゃんとルーシーに

「今日はお部屋だね?」

と尋ねた。

「そうだね。」

「天気がこれじゃーね。」

リーちゃん、ルーシーがそう言うと僕は子どもたちのほうに向きなおって

「みんなおそとのほう、みて。どうなってる?」

子どもたちはいっせいにに外を見る。立って見る子もいる。

「あめふってる。」

麦が元気に答えた。

「そうだね、あめふってるね。だからおへやであそぼうね。」

子どもたちは僕の顔をじっと見ている。「はーい」と打てば響くような返事はなぜかなかった。少しだけど僕と子どもたちの間で沈黙の間があった。こんな時、僕の話す「昭和のおっさん語」と子どもたちの話す言葉は違うのかなと思ったりする。

「じゃ、あそんでいいよ」

と言うと子どもたちはぱらぱらっと椅子から立ち上がってそれぞれがやりたい遊びのコーナーに散っていた。

 

 部屋はキャスターのついている棚や、カラーボックス、さらにはホームセンターで売っているラティスなどを置いてスペースを区切り、おもちゃなどを置いて遊びのコーナーを常設している。

 僕たちも以前は棚や押入れにおもちゃをしまっておいて、遊ぶ段になるとさあこれで遊べ、と子どもにおもちゃを与えるみたいな感じであったが、それではどうも子どもたちが集中して遊んでいるようでもない。すぐに飽きて走り回ったり、物の取り合いをしたりトラブルが多かった。僕たちも芸のないことに「はしらないで!」「しずかにして!」「ひとのものとらないで!」「たたかないで!」

と大声を出して注意し、さらに室内が落ち着かないという悪循環に落ちていった。それは僕らだけのクラスの問題ではなく園全体が共有する問題でもあった。そこで以前に園長が研修で学んできた甲園長の保育園の保育の方法をみんなでやってみることにした。その方法のひとつが「コーナー保育」だった。子どもたちはそれぞれ遊びたいものがあると思う。保育園にきて自分で遊びたいものを選べればより楽しく、より集中して遊べるだろうう。それが好奇心や意欲につながり、主体的に生きることにつながっていく。そのための環境として部屋をいくつかに区切って、子どもたちに比較的人気のある「ままごと」「ブロック、積み木」「絵本」「パズル、粘土」などをそれぞれのスペースにあらかじめ置くようにした。

 

 保育室の入口を入ってすぐ左側には絵本コーナーがある。普通の本棚ではなく、図書館によく置いているような表紙が見えるように並べて置ける幼児用の本棚とよくあるカラーボックスを横において本棚のかわりにしている。この本だな、足を掛けやすいようで本棚としては見られず、子どもたちが登って遊んでいた。僕たちが何度も「やーめーて」と言いながら下ろしているうちに何とか本棚として認められるようになった。

 絵本コーナーの奥の壁沿いに子どもたちのロッカーがあり部屋の中央に棚が二つ背中合わせにおいてある。ロッカー側にはレゴブロック、反対側にはパズルや粘土の入っている。パズルの棚の前に6人掛けの長テーブルが三つ、いつもはここで、ごはんやおやつを食べている。その後ろの壁にリーちゃんがダンボールを使って作った「木」を貼っていた。ダンボール紙はだいたい三重の構造になっている。一枚目をはがすと凹凸の部分が出てくる。それを樹皮に見立てる。30cmの幅の幹に左右に太さ10cmの枝が40,50cm伸びている。全体の大きさは畳一枚に収まるぐらい、つまり縦1,8m、横1mぐらい。春は桜が満開で初夏は緑の葉っぱが茂っていた。今はなぜかアジサイが満開だ。そこはリーちゃんの腕でうまくアジサイの花を配置して、それらしく見えている。

 正面つき当りがトイレ、その右横に押入れと倉庫、そのわきがままごとコーナーになっている。ままごとコーナーにはおもちゃの流しや食器棚、直径70cmほどの円卓などがある。食器棚には皿、コップ、スプーン。壁際には長さ150cmほどのソファ、隅にはぬいぐるみが並べられておいてあるダンボール箱とエプロンや手提げが入れてあるダンボール箱がある。今時、円卓などある家はないけれど子どもたちが遊ぶにはちょうどいい。どこに座っても友達の姿は見やすいし角もないから安全だ。昭和の人である僕はこれを見ると「星一徹ちゃぶ台返し」を思い出す。もはやリーちゃん、ルーシーには何の話が分からないだろうけど。

 つまり部屋は大きくは「絵本」「ままごと」「ブロック、積み木」「パズル、粘土、製作」の4つのコーナーに分かれている。僕たちは子どもたちに遊びを伝えたり、友だちとの仲立ちをしたりしたいと思っているので、その日の子どもたちの別れ具合を見て、どこのコーナーに入っていくかを決める。子どもたちに直接「これよんで」とか「これどうするの」とか言われて、そのまま絵本コーナーで本を読むこともあれば、パズルコーナーでパズルを一緒にすることもある。

 リーダーは全体を見渡す役目をする。保育士3人が全員がコーナーに入って、子どもたちと遊んでいるとそのコーナーにいる子どもにしか注意は行き届かない。一人は全体を見渡して、多くの子どもの姿を見ておく必要がある。それは喧嘩をしたり危ないことをしてけがをしていないかという安全上の理由もあるし、子どもたちの遊ぶ姿を見て発達上の課題や、その子の遊びの課題を見つけたりもする。更には端的に言ってしまえば保護者へのお便りのネタを見つけるということもある。お便り帳に書かれているわが子の様子を楽しみにしている保護者も少なくない。

 

 リーダーの僕はトイレの前、中央のブロックコーナーのあたりに立った。この辺だとだいたいのところは見渡せる。近くで、武士、善、義樹がレゴブロックで何やら作っている。ブロックと言われるものにはいろいろと形状があるのだけれど、クラスにあるのは本当に昔からあるものだ。シンプルな直方体を組み合わせていく。

「何作っているの?」

僕はというか僕に限らず保育士は子どもたちによくそう尋ねる。

「ひこうき」

「くるま」

「いえ」

子どもたちは口々にそう答える。そうは見えなくても子どもたちがそうだと言えばそうなる。つもりが大切だ。心のイメージを形にして楽しんでいる。そういう意味で、昔からのシンプルな形のこのブロックは、手先が多少拙くても形を作れるから今もなおブロックの王道をいっているのだと思う。ただなぜか15センチぐらいの長いものを取り合うことがよくある。なぜかわからない。子どもたちの眼から見て迫力があるのか、どうなのか。一度、争いに辟易した僕が、リーちゃんとルーシーに長いブロックなくそうかと相談したが、

「やってもいいけど、友だちと折り合うこともそろそろ必要かもよ」

と言われ結局それはしないことになった。似たようなことに子どもは棒も好きだ。大きい子どものことだけれど、散歩に行ったりするとその辺に落ちてる20センチから3,40センチの棒があれば必ず拾う。この理由はどこかで読んだことがある。曰く「縄文人から受け継いだDNA。」だと。獲物を捕るためか、敵の襲来に備えるためか、縄文人が棒を持っているさし絵なんかを見た覚えが確かにある。子どもたちはそれを持ち帰ろうとするが片方の手は友だちと手をつないでいる。持って帰ってもいいと言いたいところだが、子どもが安全に歩くという確信が持てず、子どもを説得することになる。気持ちはわかる。なんせDNAだ。しかしこちらの言うこともわかってもらわなければならない。

「棒さんもおうちがあるんだよ。保育園に連れて行ったら棒さんおうちに帰れないって泣いちゃうよ。おうちに帰れるようにここに置いて行ってあげようね。」

だましちゃいかんと思いつつ、何とか許されるのではないかという線で話をする。かくして優しい子どもはこっくりとうなずいて棒を置いて行ってくれる。大概は。何とかならない時もとにかく説得をする。そのうち保育士の熱意に折れてくれるのか置いて行ってくれる、大概は。そうならないごくまれな場合は「鬼」だの「帰れない」だの「脅して」しまう。そして保育士は自分の「腕のなさ」を嘆き、激しい自己嫌悪に落ち込むことになる。

 ブロックもDNAかもしれないが数が限られている上に早い者勝ちの様相があるのでなかなか調停は難しい。2歳児も人に貸すことがすっかり身についているわけではない。豊富にものがあれば十分に遊びを保証してあげられるのかもしれないが、そんな大金持ちでもあるまいし、豊富な運営費をおかみから頂いているわけでもないので、どうしても少ないものをめぐって争いになることもある。貴重な資源をめぐって争う大人と一緒である。なかなか譲らず泥仕合になる大人と違うのは「かーしーて」と言ってすぐに貸してくれる子どもが何人かでもいるということだ。もちろん「まっててね」と目を合わさずに言う子どもや、全く無反応の子どももいるにはいるし、黙って持って行ってしまう子どももいるが、それはある意味しょうがないことである。「自分のもの」という人や物への執着が後々、深い愛情に変わることもあれば、最初から貸してくれる気持ちをずっと持ってくれる子どももいる。必要な社会のルールをこれから保育士と一緒になって身につけていくことになるが、単に貸してくれる、くれないで今の子どもの現状を決めつけることなく子どもの話を丁寧に聞くということが大切になる。そうすることで保育士は子どもの気持ちに寄り添い、子どもは保育士の気持ちに応え、子どもは自ら成長しようとする。そうとは言え、貸してもらえずに悲しんでいる子どもにとりあえず付き合って

「貸してくれるまで少し待っていようね」

と言いつつ遊びに付き合う。そうすると友だちが貸してくれたりすることもあって、

「○○ちゃん、よかったね。○○ちゃんありがとう。かせるなんてすごいね。」とそれぞれの行為や気持ちを言葉にするとその場が和やかになっていくのがわかる。保育士も常に子どもに対して「強制」しようとする誘惑に耐え、子どもたちに「共生」することを伝えることができてほっとする。

 

 子どもたちはそれぞれがお気に入りのものを一生懸命作っている。それぞれがそれぞれのものを勝手に作っているように見えるが実はお互い意識的にしろ無意識的にしろマネをしている。子どもたちは一人遊びから始まって友だちと一緒に遊ぶようになる。2歳児クラスはまさにその過渡期だ。このブロックコーナーだと作ったもので一緒に遊んだり、一つのものを一緒に作ったりすれば少し先に進んだかなと言えると思う。そうなるように保育士が仲立ちをするときもある。ただ今はとにかく熱心に作っているので余計な口出しはしないでおこう。

 

 ままごとコーナーでは波と麦が丸テーブルにありったけのお皿に食べ物を盛って並べていた。このごっこ遊びにはまだ役割分担もなくそこに行くまではまだ遠いようだった。とにかくありったけのものを出して並べてそれで満足している。食べ物を並べ、それを少し口にした後、今度は箱の中に畳んであった布をままごとコーナーの壁際のソファで寝転んでゆったりとしていた達彦にどんどんかけ始めた。

「くまちゃん、さむい?」

麦がなぜか達彦をクマに見立て声を掛け、

「なみちゃん、クマちゃんさむいみたいだからかけてあげよっ。」

「うん」

そう言いながら二人はどんどん布をかけていた。達彦にクマの役割はあるらしい。あとかたづけ大変になるなー、と後のことを懸念したが「ちゃんと片付けるんだよ」などと野暮なことを言うのはかろうじてこらえた。彼女らには何か考えがあるはず、と思いたかったが実際はそこまで考えてはいないだろう。出すことが楽しいのだろう。布を掛けられたクマちゃんこと達彦は嫌がりもせずむしろ布の心地よさを感じているようでそのまま寝転んでいた。天井からはレースの布が天蓋のごとくつるされていた。幼児は天井が高いよりは低いほうが落ち着くと甲園長が言っていた。

 ありったけと言えば友子だった。チャックのついた手提げかばんの中に食べ物や布、ブロック、その他その辺にあるものをガンガン詰め込んで腕に下げ、部屋の中をお散歩していた。

「たまだくん、これちゅけて。」

と言って赤ちゃんの人形の「ぼぼちゃん」とおんぶひもを持ってきた。おんぶひもは古くなったものを子どもの遊び用にしていたが、普通の大きさのものなので2歳児には大きく、ひもの部分は二重に腰に巻いてもなお余った。ちょうちょう結びではすぐほどけてしまうので団子結びを2回して余ったひもをまた前に回してさらに団子結びにした。ひもは要注意だ。あまりプラプラはさせたくはない。首に巻きついたらどうしようとつい思ってしまう。自分が子育てしているころハイハイしている赤ちゃんの首に電気のコードが巻き付いて死亡したというケースがあった。

「これも」

と言って赤いバンダナを差し出した。

「これどうするの?」

「あたまに」

どうやら赤ずきんちゃん的な感じらしい。バンダナを頭にかぶせて顎をやはり団子できゅっと結んで

「これでいい?」

と聞くと黙ってうなずいて絵本コーナーのほうに行ってしまった。そこで絵本をカバンの中に入れようとして、これはさすがにそこにいたルーシーにたしなめられていた。

「ともちゃん、おともだち、読めなくなるからね。おかいものはべつのものにしようね。」

友子はルーシーの顔をじっと見てこちらに戻ってきた。

「たまだくん、これとって。」

と言ってバンダナの顎にある結び目を触った。

「えー、もうとっちゃうの。」

「うん。」

「なんで?」

「きつい。」

「そう、ちょっときつくしばりすぎたかな。ゆるくむすんであげる?」

「いい。」

「いいんだ。」

 僕は結び目をほどいてあげてバンダナを友子に渡した。バンダナをカバンに押し込み、ままごとコーナーに立ち去った。

 友子のようにカバンにありったけのものを入れて歩き回る子どもは実は1歳児クラスでも多くみられる。更に3歳以上児クラスでも見受けられる。一度リーちゃんルーシーに昼休みに聞いてみたことがある。

「カバンに物を詰めてあるきまわる子どもいるじゃん、あれってなんなん?やめてって言ったほうがいいの?」

「どうして?」

お便り帳を書いている手を止めて顔をあげてルーシーが言った。

「ままごとの皿とか、食べ物とか、ひもとか布とか、用途に合った使い方して欲しいじゃん。歩き回るのもなんか落ち着かないし。」

「でも子どもにすりゃ買い物の途中かもよ。お引越しかもしれないし。ほかの子どもたちが遊べなくなるほど持って行っちゃうのはどうかとは思うけどそこまででもないし。第一、私もやってたよ。なんでだか忘れたけど、手提げかばんにおもちゃ詰め込んで、なんだか服をたくさん着込んでカチューシャしてさらに帽子かぶって、写真が残ってんだよね。親も変な格好と思ったんじゃない。」

と言った。リーちゃんと僕は少し目が合った。ルーシーのちょっと個性的な服装が頭をよぎったからだと思う。

「誰もが通る道なんかな。」

自分が手に入れたいものをすべてカバンに詰めて満ち足りた気分で闊歩する。発達上必要なことかもしれないがよくはわからない。わかっているのは子どもたちがカバンをパンパンにすると「どや顔」になるということだ。

 

 テーブルが三つ並んでいるところはパズルや、ひも通し、制作コーナーになっている。今日はリーちゃんがついていて、瞳とあきが粘土をし、康江と千穂と太郎がパズルをしていた。

 クラスにあるパズルは木で作った動物のパズルで6から10ピースのものが5種類。クマ、ウサギ、サル、ゾウ、カエル。同じく木製で乗り物の6から10ピースのものが、5種類。機関車、バス、トラック、飛行機、船。30ピースの一般的な紙製のアンパンマンとディズニ―のものがあった。康江はクマのパズル、千穂は機関車のパズルをやっていた。そしてパズルの得意な太郎はアンパンマンのパズルをやっていた。

 子どもたちはパズルという遊びを絵柄だったり形だったりにひかれてやりたがる。1歳児クラスのパズルは一つのものをはめるものが多くあまり全体的に素敵な絵柄のものはなかった。目新しい、少し柄の派手なこれはなに?ということで興味、関心を呼び起こし近寄って手に取る。最初はやっぱりできない。できないから保育士を呼ぶことになる。

「できない!」

まだ、言葉も拙いので「どうするの?」「どこにやるの?」なんて気の利いた言葉は出ないでひたすら保育士を呼んで「できない」を連発する。世話好きの保育士もさすがに一から十までやってあげることはしない。最初のひとつを何とか納めさせようとする人から、とりあえず一通りやって見せて、さあやってみろという人まで、それぞれが程度の差はあれ悪戦苦闘しながら教えることになる。でも説明はなかなか難しい。そこで僕たちは完成したものを写真に撮ってプリントアウトしてラッピングをしてパズルといっしょに置くことにした。

「リーちゃん、これどこ?」

康江が木製のクマのパズルのひとつのピースをリーちゃんに見せて言った。リーちゃんは完成したクマちゃんの写真を見せて

「これと同じやつってどこだと思う。」

とまさにその部分を指で指しながら言った。

「ここー。」

リーちゃんの思惑通りのところに康江はピースを置いた。

僕はリーちゃんの指さしになるほどなと思った。康江はそこそこ喋っているように思えるけれど実際どこまでリーちゃんの言っていることをわかっているかはわからない。言葉を発すること、発した言葉の意味への理解、受け取った言葉の理解はそれぞれに違いがあると思う。大人ですらあやしい。「そういう意味じゃなくて」「聞いたことに答えてないじゃん」などは僕が連れ合いによく言われる。ましてやしゃべり始めの2歳児はなおさらだ。そこでリーちゃんは確実に康江にわかるようなサインを送った。そのサインを康江は受け取ったわけだけれど100パーセント自分の力だと思わないかもしれないが、結構な割合いで自分でできたと思っただろう。そこが大切だと思う。この後、康江は一つ一つリーちゃんに聞いて行き、最後だけはリーちゃんに聞かずにピースを置こうとした。そこしか開いていないのだからわかりやすい。それでもきれいに置かれているわけでもないのでうまくははまらない。康江は力任せに二、三度ぐりぐりと押し込むとすぽっと入った。

「あっ、はいった。」

康江のこころの中の声が聞こえたような気がした。少しクマちゃんを見てそのあとリーちゃんに見せた自慢げな顔。ザ、どや顔。

僕だったらたぶんやってあげてただろうなと思う。康江の「わからない」という今の不快感を解消するために。でも、それではただはまった、という事実しか残らない。それこそその場しのぎになってしまい、全く彼女のためにならない。自分で考えてやらないと身につかない。それが楽しいことなんだということを伝えなくちゃならない。

 その横で千穂がトラックのパズルに悪戦苦闘していた。なかなかうまく収まらない。同じピースをひっくり返したり別のところに置いたり。なんとか自分でやろうと悪戦苦闘していた。

(がんばれ、ちほちゃん!いつか、すぽっとはまるから。)

 

 本コーナーではルーシーが薫と朝美の求めに応じて本を読んでいた。薫が持ってきてルーシーに読んでとねだっているのは食べ物の本だった。

「これなーに」

「かれー」「かれー」

と二人が答える。

「これは?」

「らーめん」「つるつる」

「ラーメンだね。これは?」

「うろん」「つるつる」

「うどんね。かおちゃんはみんなつるつるだね。両方ともおいしいよね。」

ルーシーがそういうと薫ばかりか朝美もなぜか身をよじらせて笑った。

「これは?」

「おすし、これとこれはかおちゃんの。」

と薫が卵とマグロを手で押さえた。

「あーん、あさちゃんもたまご!」

と薫の手を両手でどかそうとした。

「あさちゃんもたべたい。」

朝美がルーシーに訴えかけた。

「そうだよね。たべたいよね。」

ルーシーは一度、朝美の話を受けて、すかさず言った。

「だいじょうぶ、だいじょうぶ、2こあるから。たべたいひとー!」

「はーい」

二人同時に絵本の手を放して元気よく手を挙げた。手をあげる必要がないのに条件反射で子どもは手をあげる。ごめん、保育士がいらん要求をするばっかりに余計な反射をつけさしてしまった。ルーシーは右手のエアー玉子を薫に、左手のものを朝美の口元に持っていって

「はい、あーん」

薫も朝美もその寿司をパクっと食べた。たぶん朝美は自分で「ぱくっ」と言ったと思う。

「おいしい?」

ルーシーが二人に聞くと

「うん」

二人とも頷きながら言った。

 実際食べ物の写真があるだけだから読むところはないのでけれど、こういった本は子どもたちとの会話が楽しめる。言葉がまだ拙い子には言葉を伝えることもできるし会話を楽しむツールにもなる。ルーシーは終始それとなく子どもたちの言葉の足りないところや拙いところを補いながら話を進めていた。

 

 視線をパズルコーナーに戻すと千穂はまだ格闘していた。保育士に助けも求めずひたすら格闘している千穂と、それを眺めているリーちゃんを見ていると、僕もずいぶん子どもの遊びにしゃしゃり出て余計なことをしたかもしれないなと思ってしまう。できるできないという結果はともかく、子どもが自分ですることが大切だし、子どもが結果はどうあれ納得することが大切だ。もちろん適切に出ていくタイミングはあるだろうし、その最たるときは子どもが助けを求めたときだ。そのためにも保育士はいついかなる時とまではなかなか言えないけれど、できるだけ子どもの活動からは目は離せない。

 リーちゃんは康江と千穂を見ながら瞳とあきの粘土遊びに付き合っていた。瞳は粘土の塊を取り出して、ひたすらちぎって、手のひらで丸めて、丁寧に並べている。

「ひーちゃん、なにつくってるの。」

リーちゃんが聞くと粘土をちぎりながら、リーちゃんのほうを見もせずに

「いしころ」

と言った。確かにそれっぽい。あきは粘土をちぎって両手で転がして「へび」のようなものを作ってそれを一つ一つ並べていた。

「あきちゃんは何?」

リーちゃんが聞くと

「すぱげてい」

あきはリーちゃんを見て少し力んで言った。力を入れて作っていたのだろう。粘土は指先の力が必要だ。指先の運動はこのクラスには大切で、指先の力をつけることで日常生活習慣を身につけ、排せつ、着脱、清潔なんかの自立を果たす。他にも指先の力をつけることができるひも通しや洗濯ばさみを使った遊具がクラスにある。

 

 渡が隆二に向かって「はらぺこあおむし」を読んでいた。

「すいようび、リンゴを食べました。それでもおなかはぺこぺこ。すいようび、なしをたべました。それでもおなかはぺこぺこ。すいようび、すももをたべました。それでもおなかはぺこぺこ。」

渡はもちろん文字は読めない。だが「すいようび」ばかりだからと言って適当というわけではない。

「チョコレートケーキ、アイスクリーム、ピクルス、チーズ、サラミ、ぺろぺろキャンディー、さくらんぼパイ、ソーセージ、カップケーキ、すいか。」

ここは完璧。隆二は渡が読むたびにその部分を手で取って口に運びもぐもぐさせていた。

子どもたちは気に入った絵本を繰り返し読んでと保育士に持ってくる。「大好き」であろう保育士、もちろんママ、パパをはじめ、ジイジ、バアバ等親族の皆さんの心地よいリズミカルな声を繰り返し楽しんでいる。そしてすっかり覚えてしまう。

「でっかい芋虫、でっかいさなぎ」

はらぺこあおむし」は2歳児にはいささか長いと言えば長い。

だんだん飽きてきて端折る部分が多くなる。しかし締めは忘れない。

「きれいなちょうちょうになりました。おしまい。」

すかさず隆二が人差指をたてて

「もういっかい。」

と渡に頼んでいた。

「えー」

と言っているわりにはまんざらでもないという表情に僕には見えた。

 

 突然

「ぎゃー」

という声が聞こえたので声のするほうを見るとブロックコーナーの端で善が友子を指さしながら泣いている。かたや友子は善を睨み返しておりその手には例の長くて赤いブロックが一つ握られていた。

「どうしたの?」

僕が善に尋ねると

「とった。」

と友子を指さしたまま言った。

「ともちゃん、げんくんが取ったって言ってるけど?何か知ってる?」

「だってお買い物に行くんだもん。」

僕のほうをまっすぐに見て少し「切れ」気味に言った。

善は泣いているし、手には「物証」があるし、「自供」はしたし、あとは

謝罪して返却すればことは丸く収まるがそこは簡単にいかない。

「お買い物行くのにそれいるの?」

「だってともちゃんのおさいふだもの。」

「今は、ぜんくんがつかってたんじゃないの?」

「おさいふないとおかいものできないもの。」

たまたま、善が、脇に置いていたのをさっと、友子が持っていったようだ。おそらく以前にそれをお財布代わりにしていたらしい。以前はそうでも今は違うということはどうやら通用しない。どうしよう。とりあえず良心に訴える。

「ほら、見てごらん、ぜんくん泣いてるよ。」

じっと見る友子。脈はある。ないとさっさと行ってしまう。そうなると実は厄介。引き留めるとすれば声も大きくなるし、それでも止まらないときは「実力」を行使しなければならない。「実力」を行使するとなると「強制」的に止め、「強制」的に謝らせることにもなりかねない。それはできるだけ子どもの主体性を尊重するという僕たちの方針にも反する。だが、とどまっている。なおもじっと善を見る。善は少ししゃくりあげながら友子に言った。

「ぜんちゃん、つかってたんだよ。」

するとどこからともなく「パッカパッカパッカ」と「マントを翻した少年」がやってきて自分が使っていた赤いブロックを善に差し出した。善は意表を突かれたようで反射的に手を出して受け取った。

「よしくん、ぜんくんにあげるの。」

一番月齢の低い義樹だった。義樹はこっくりと頷いた。義樹は飛行機のようなものを作っていたのだがどこかの部分を外して持ってきてくれた。まだ、ことばもままならないが、誰かの行為を見て身につけたに違いない。

「ぜんくん、よしくんにお礼をいったら。」

「ありがとう。」

善は少しはにかみながら言った。これは「強制」ではなくアドバイス。「人のみち」は人生の先輩として伝えねばならない。

「よしくん、ありがとう、たまだくんからもおれいをいわせもらうわ。」

それを見ていた友子が善のほうにつかつかと寄ってきて

「はい。」

と善にさしだした。しかし、義樹にもらって満足したのか善は手を出さず、困惑したように友子を見続けていた。こういう時はできるならどうなるか見ておきたい。でも善にもらうことを促し、友子にお礼を言ってもらい、友子も満足してこの場を丸く収めたいという衝動もかなりある。もう少し大きいクラスであればほぼ見ているのだけれど2歳児クラスは迷ってしまう。と、もたもた考えているうちに善が

「ありがと」

と言って受け取ってくれた。

「ぜんくん、じょうずにいえたね。ともちゃんもぜんくんにあげたんだね、えらいね、ふたりとも。」

「えらいね」という言葉に多少引っ掛かりを持ちつつ、2歳児にしてはやっぱり偉いよなとか思いながら僕は言った。友子はどや顔でこっくり頷いた。友子も義樹がほめられるのを見て、ほめられたくなったのだろうか。この際、無理やり取ってしまったことは不問にする。行った行為は非難されるものより称賛されるもののほうが心に残るはずだとの願いをこめて。

 

 このことが起こる前から知香が僕の前を行ったり来たりしていた。

「ちかちゃん、何して遊んでいるの?」

「わかんない。」

そう言って絵本コーナーに向かって行った。

「ちかちゃん、何か読んであげる?」

ルーシーが知香に声を掛けた。

知香がさっきから今一つ落ち着いて遊べていないことに気が付いたようだった。

「ううん、いい。」

と言ってまたどこかに行こうとしたのでルーシーが

「ちかちゃん、なにしてあそぶか、じぶんできめてごらん。」

と言うと、知香は少し部屋を見渡した。パンパンのカバンを持った友子が目に入ったのだろう。

「かばんであそぶー。」

と言ってままごとコーナーにカバンを取りに行った。

 遊びのコーナーに置く遊具はは子どもたちの興味、関心と発達の程度を考慮して保育士が配置している、はず。だけどいまいち置いてある遊具に向かわず落ち着いて遊べない子どもはいる。子どもの内面の問題であったりもするが部屋の環境が子どもにあっていないことも考えられる。よくあるのは同じ環境を続けてしまうことだ。ついつい、だとか忙しさにかまけてそのままにしてしまう。そりゃ子どもも飽きるでしょということだ。部屋のレイアウトや遊具の種類を変え、子どもたちの興味関心に合わせる工夫は常時必要だ。

 

 時計の針は11時30分を指していた。

「リーちゃん、そろそろいい?」

僕はリーちゃんに声を掛けた。

「はーい」

リーちゃんはそう言うと立ち上がってロッカーの上にある電子オルガンをひきながら歌い始めた。

「おかたづけーおかたづけー、さあーさ、みんなでおかたづけー」

「さてさてみなさん、とけいをみてごらん。ながいはりがあおいはーとまーくになりました。きゅうしょくのじゅんびをはじめるからね。」

全員が全員、僕の声に反応するわけでもなくほんの数人でも気が付いてくれればよいというスタンスで話しているのでもはや独り言に近いものがある。というのも以前はは大きな声で子どもたちに話をし、一斉に片付けてごはんの準備をさせようとしたのだけれど、そもそも手洗いやトイレに入れる人数は決まっており、仮に一斉にトイレや手洗いに来られても「対応いたしかねます」ということだった。また、時間がきたから「はいそれまでよ」と言ってすんなり遊びをやめることができない子どもも当然いる。それに対してやいのやいのと保育士がせかしたところでお互い疲れてしまうだけだ。だから時間を長くとってそれぞれのペースで遊びを切り上げてもらい、給食の準備をしたほうが仮に時間がかかったとしても主体的に行動するという意味が十分にあった。理想を言えば、自分で時間に気づき次の行動に移ることができればよいのだが、まだまだそこまでは望めなかった。

 

 リーちゃんは制作コーナーに戻った。

「そろそろご飯の用意をするけど。」

と言うとあきが

「ままにすぱげてたべさせたい―。」

と言った。

「そうだね、たべさせたいよね、おいしそうだもんね。そんじゃ、ロッカーの

うえにおいておむかえがきたらたべてもらう?」

そう聞くとあきは

「うん!」

と元気よく返事をしてスパゲテが一本ずつ並んだ粘土板を両手で持ってロッカーの上に置いた。

「ここでいい?」

あきがリーちゃんのほうを向いて尋ねるとリーちゃんは

「うん、いいよ」

と答えた。あきはすぐにトイレに向かった。

「ひーちゃんはどうするの?」

とリーちゃんは聞いたが瞳は首を横に振りながら箱に石ころをほり込んで片付けていた。作ることが大切で石ころ自体に執着はないようだった。

「パズルチームはどお?終わりそう?」

リーちゃんが、康江、千穂、太郎に聞くと

康江が

「もう少し」

と言い、千穂と太郎は

「まだー」

と答えた。

「終わったら片付けて、トイレいってね。」

リーちゃんがそういうと康江だけは

「わかったー。」

と答えたが、ほかの二人はもはや一心不乱にパズルに打ち込んでいた。そもそも遊びを途中で打ち切ることは子どもには難しい。ましてや終わってなんぼのパズルだ。その一所懸命ぶりを見るといきなり打ち切らせるわけにもいかない。リーちゃんもそう思ったのだろう。リーちゃんはそう言ってトイレに向かった。

 

 僕の目の前のブロックコーナーにいる面々はおかたづけの合図などどこ吹く風の馬耳東風で遊びを続けていた。武士はブロックの構造物を手に持ち、空中に漂わせながらおそらくは操縦桿を握っているし、幸夫は自分の作った車のチューンナップに余念がなかった。善と義樹は木製のレール上でそれぞれ連結したやはり木製の列車を動かしていた。善の赤いブロックはもはやどこに言ったのかもわからない。遊びが短時間で変わることはよくあることでもある。二人とも5,6両、ありったけの客車や貨車をつないで黙って列車を動かしている。本来は先頭につながれているはずの機関車に模したものが真ん中で走っている。2,3歳のころ僕は何をして遊んでいたか記憶はないが4,5歳のころは列車が好きだった。でもその頃はプラレールなどは高級品で買ってもらえるはずもなく、図鑑を見ながら絵を描いてそれをハサミで切ってひもでつなげて列車ごっこをやっていた。ある時、家に遊びに来た友だちに

「列車ごっこをしよう。」

と言って押入れの紙袋からそれらを出して並べたとき、

「なんだ、紙か。」

と馬鹿にされ、紙のどこがダメなのか困惑したことを覚えている。そのことを父親か母親に言ったのだろうと思う。それは覚えていないがその後、レールにちゃんとした新幹線が走るおもちゃをサンタさんからもらった。その時の感動は今でも忘れない。そういえばあの新幹線はどこに行ったんだろう。

と物思いにふけっていると突然

「ガシャーン」

という音が鳴り、武士が立ち上がってトイレに行こうとした。武士がブロックを片付ける箱に作ったものを投げ入れたのだ。ブロックの箱は子どもたちが赤、青、緑、黄色と色別に片付けることができるように、絵の得意なリーちゃんがイラストを書いてかごに貼っていた。にもかかわらず赤のブロックを片付けるべき箱にばらさず、丸ごと入れたのだ。

「たけちゃん、それはないでしょ。ブロックが泣いてるよ。やさしくかたづけて。」

武士はこちらを見て、少し頷いたがそのまま立っていた。

確かに「やさしくかたづけて」ではよくはわからない。僕は立ち上がってブロックの箱に近づき、武士の作ったものを手にして武士に聞いた。

「これはかたづけていいの?」

武士はまた頷いた。僕はブロックを1つばらした。青だ。子どもが作ったものをばらしてしまうのはやはり気が引ける。せっかく作ったのにばらすのもなんだかなと思う。子どもが遺しておきたいと言えば一日ぐらいはロッカーの上に置いておくことも可能だ。なのでとりあえずばらしていいかどうかは聞いている。

「片づけるときはこうやってばらしてね。あおだったらあお、あかだっらあかのかごにしまおうね。つぎにあそぶときにあそびやすいからね。はこにいれるときはゆっくりね。たまだくんもてつだってあげるからたけちゃんもやって。」

僕は一つずつブロックを外して色別にかごにしまった。武士の作った「飛行機」を半分ぐらいにして武士に渡した。

「うん。」

武士は今度は声に出して返事をして「飛行機」の半分を受け取りばらし始めた。

それを見ていた幸夫も真似してばらし始めた。子どもは友だちの真似をよくする。いいにつけ悪しきにつけ。二人ともバラすことに調子が出てきて黙々とばらしている。調子が出るとばらすスピードが上がる。そうするとブロックを軽く投げ始める。

「ブロック、やさしくおいてあげてね。」

二人に向かって少したしなめた。武士はこちらを見ずに軽くうなずき、逆に幸夫はじっと僕を見て頷いた。残り二つ、三つのブロックを二人はやさしく置いて片付け終わった。

「じょうずにかたづけられたね。トイレにいってごはんにしようか。」

そう言うと武士はレールでまだ遊んでいる善と良樹に向かって

「おかたづけなんだよ。」

と言った。自分たちは片付けたもんだから態度はいつも以上にでかい。そう言われた善がいきなりつながっているレールを持ち上げた。その拍子に「ぜん号」も「よしき号」も脱線転覆し、義樹がそれをあーあという感じで見つめていた。なんだか怪獣ゼンゼン大暴れみたいな感じだった。

「ぜんちゃん、やさしくだよ。きしゃさんががないてるよ。」

と声を掛けた。善もたぶん初めてのことではないはずなのだが、そこまで凄惨な転覆現場になるとは思っていなかったのか、横倒しになっているぜん号とよしき号を呆然と見ていた。

「レール、ばらして、はこにいれよっか。」

僕がそう声を掛けると、善も義樹も我に返って事故現場を片付け始めた。総じておもちゃの扱いは荒い。たぶん加減がわからないんだとは思う。僕らは2歳児の筋肉が発達段階で微細運動や粗大運動が成長過程にある、なんて考慮することなく、ちょっと乱暴に扱う場面に遭遇すると「ちょっと、あんた!」と思わず声を掛けてしまう。おかたづけ修行中、もしくはやさしく扱うことを練習中の者に対してはお手本を見せてあげるのがよいと思う。

 

 ルーシーは絵本のコーナーからままごとのコーナーに移っていた。絵本は子どもに任しとけばなんとかかんとか片付くだろうという判断で、最もかたづけに時間がかかるままごとコーナーに移っていったんだと思う。大人の眼から見ればままごとコーナーは常に惨状を極めている。流しは調理の途中、テーブルは食べっぱなし、何なら皿やコップや料理は床に散乱し、犬やらネコのペットたちはその上にあおむけで寝そべっている。買い物バッグ、ままごと用おんぶひもなどもそこかしこに散らばっていた。そんななか、床に座って麦は「ぼぼちゃん」とは別の「ばぶちゃん」に食べ物を食べさせていた。その隣には波が座ってそれを見ていた。ソファには達彦が胸にネコを抱っこしてまだ寝転んでいた。今日の達彦は見ればずっと寝転んでいる。達彦は便秘体質で様子がおかしい時はたいていおなかが張るときだ。給食の時食べている最中に床に寝転んだり、あまり得意でない食材を床に落としたりする。少し注意して見てみよう。

「ばぶちゃん、もっとたべりゅ?」

麦がばぶちゃんに尋ねると

「たべる」

と赤ちゃんなのにはっきりした返答をした。

「あかちゃん、しゃべらないよ」

と波が言うと

「いいの。」

と少し怒ったように麦が答えた。

ルーシーは二人の様子を見ながら部屋を見渡し、買い物遠征中の友子と知香を探した。二人はこれ以上は入らないぐらいパンパンになったカバンにさらに本を詰めようとしていた。詰めるものがなくなったのでまた本を詰めるつもりらしい。ルーシーは二人に近づき

「おきゃくさま、ごめんなさい、ほんやさんはじかんになったのでおわりなんです。ほんはおいといてもらっていいですか。」

そう言うと二人とも本を本棚に戻した。間髪入れずにルーシーは

「おきゃくさま、きゅうしょくのじかんですが、ごはんはたべますか。」

と尋ねると

「たべるー」

と友子がまず答え、

「ちかちゃんは?」

とルーシーが尋ねると

「ちかちゃんも食べる。」

と知香もお答えた。

「じゃ、手伝ってあげるから、おかたづけしよ。」

と誘うと

二人とも素直に

「うん」

と返答してままごとコーナーに戻っていった。

 

 僕はブロックコーナーの片づけが終わった後、ロッカーの上にある給食で使うおしぼりの入ったかごを持って、入り口わきの流しにおしぼりを絞りに行った。テーブルにはあと数ピースだけを残す太郎と、すでにトイレを終えた瞳が座って両手を膝に置いてまっすぐ前を見て待っている。僕の立っている場所から正面にいるのだがおそらくは外の景色でも眺めているのだろう。おしぼりを絞った後、台ふきを水にぬらして絞った。

「ひーちゃん、いちばんだね。もうすこしおともだちがきたら、えほんよむからすこしまっていて。」

瞳の前を拭きながらそう言うと瞳はうなずいた。

 ママごとコーナーではおかたづけが続いていた。ものが散乱しすぎるとさすがに子どもたちだけの力では片付けにくい。ただ単に箱に突っ込めというわけにはいかない。かたづけは次の人が使いやすいようにいつもの場所に物を戻しておくことでもある。だから保育士が用意するかたづけのための環境は、子どもが片付けやすいようにしておく必要がある。他の園の見学などを通して、子どもにわかりやすいイラストや写真を棚や箱に貼り付けることを学び、それを実際に行うことにした。今や写真もデジカメの時代、バシャバシャとってもフィルムがなくなるわけでもなく、パソコンで大きさや枚数も簡単に作成できる。更にラッピングも手軽にできてちょっとした写真やイラストのカードができてしまう。そうしてできたカードをおもちゃの入っている箱や棚に貼り付けておくと子ども自身でかたづけができたり、保育士が子どもに伝えることも簡単になる。

 ルーシーを中心に麦、波、友子、知香、達彦が片付けているのだが、動きの色合いがはっきり違っている。ルーシーからものを受け取って行ったり来たりしているのが麦、少しおっとり独り言を言いながらも、片付けているのが波、達彦は相変わらずベンチに寝そべり、友子は落ちているぬいぐるみに気を取られ片付けるわけでもなく拾い上げてはしげしげを見つめている。そんな中、コマネズミのように動き回っているのが知香である。指示されるわけでもなく自分でどんどん片付けている。だいたいは片付ける場所はわかっており、時折表示を見て、確認して片付けている。実際こういう子がいないとうまく片付かない。ひとところでなかなか集中して遊べないことも多いのだが、ことかたづけに関してはエース格だ。

「ちかちゃん、上手だね。」

ルーシーがほめると知香はそれに応えず片づけを続けている。むしろ麦が反応し、

「むーちゃんは?」

とルーシーに聞いた。

「むーちゃんもじょうずだよ。」

と麦にコップをわたしながら言うと麦も満足そうに微笑んでコップを受け取った。そしてそれを小耳にはさんだ友子が

「ともちゃんは?」

とルーシーに尋ねたところ、すかさず波が

「ともちゃんはなにもしてないでしょ。」

とすぱっと言った。波は早生まれで月齢は低いが本当に口がたつ。子どもの成長は千差万別だとこんな時に思う。

「じゃ、ともちゃんはこれおねがい。」

ルーシーがかたづけの容易な皿を一枚、友子に渡すと、友子はそれを食器棚に持っていき

「ここ?」

とルーシーに尋ねた。

「しゃしん、みて。どう?」

ルーシーが逆に尋ねると

「うん、ここ。」

「そう、ありがとう。」

「ともちゃんじょうず?」

再び友子はルーシーに聞いた。

「すごくじょうず。」

それを聞いた友子、満足そうな表情を見せてトイレのほうに行こうとした。

「ともちゃん、まだあるよ。」

ぴしゃっと波に言われ、「あっ、そうか」的な感じで踵をかえし、ルーシーから皿を受け取っていた。

 

 トイレに行きついでに手洗いも済ませた子どもがぼちぼちとテーブルに座り始めた。ままごとコーナーではおかたづけが続き、トイレの前では一人でパンツを着脱したり、リーちゃんに手伝ってもらってパンツをはいている子どもたちがいた。僕は三つ並んでいるテーブルの前にある粘土やらパズルが入っている棚を動かして空いたスペースに丸椅子を置いてそこに座った。テーブルには瞳のほかに渡、隆二、朝美、あき、武士がトイレと手洗いを済ませて座っていた。僕はそろそろ手遊びを始めようと思っていた。面白そうなことをしていれば保育士が声を掛けずとも子どもたちは自分自身で準備を早めてテーブルに座るだろう。さて、今日は何をしよう。天気は雨なので「雨のしょぼしょぼ」でもするか。

 僕は立ち上がって職員用のロッカーにある茶色のカラー軍手で作ったタヌ公のぬいぐるみを取り、席に戻ってタヌ公を子どもたちの前に差し出した。子どもたちの顔がほころぶのが見えた。手遊びの大好きな渡はもはや笑っている。「よーまってました!」の声が聞こえたような気がした。一息吸ってタヌ公を揺らしながら僕は歌い始めた。

「あめのしょぼしょぼふるばんに、タヌこうがとっくりさげ、さけかいに、」

唄い始めたと同時に子どもたちがタヌ公に合わせて一斉に頭を横に揺らしてリズムを取っている。ふと横を見るとトイレ前で「ふりちん」になっている幸夫、善、義樹も頭を横に揺らしている。おいおい、早くパンツぐらいはけば、と思ったが、リーちゃんは声を掛けることもなく笑ってる。

「さかやのかどっこで、さけいっしょうこぼし、うちにかえって、しからーれた、しからーれた。『おとーちゃん、おとーちゃん、さけこぼしてしもた!』『もういっかいかってこい!』」

親に叱られしょぼくれているタヌ公を見て子どもたちは笑った。トイレ前の面々も笑ってるし、ままごとコーナーの波、麦、知香、友子、達彦まで笑ってる。手洗いをしている薫、康江、千穂はわざわざ、振り向いて笑っている。あー手の石鹸、おちるよ!パズルを両手に持ってしまおうとしていた太郎はそのままでニヤニヤしている。準備のための片づけやトイレのスピードアップをはかるためが逆に手を止めてしまった。まあまあこんなこともあるさ、と思いつつタヌ公をもう一度お使いにやった。

「あめのしょぼしょぼふるばんに、たぬこうがとっくりさげ、さけかいに」

再びクラスの子どもたちの頭が左右に揺れ、ふりちん三人組に至っては振らなくてもいいのに腰まで振っている。

あらら、動かすのは腰じゃないよ、手だよ手!手を動かして!