2歳児の保育「三つ子の魂デシデシドン8」

8,2歳児の夢は昼ひらく

5月下旬

 子どもたちは給食を食べ終わるとロッカーにおしぼりをしまいに行き、そこでパジャマに着替えながら排泄を済ませたり、オムツを変えたりする。

 着替えの自立も2歳児クラスの大きな目標なので、できるだけ自分たちでできるように援助する。ただ一概に援助すると言っても子どもたちそれぞれできる度合いが違うので、ある子にはズボンや上着を着やすいように置いたり、なかなかうまくいかない子どもには声を掛けながら少し手を貸したりする。着るよりは脱ぐほうが難しい場合は多い。着脱しやすい大きめの服を用意してもらうように各家庭にお願いしているが、なかなか用意できないのが現状だ。子どもの成長に必ずしも服の大きさが追い付かない。多少小さくとも保護者がまぁいいか、というのはどこの家庭にもあることだ。子どもの成長は早い。着脱しやすい服を用意できないのは大人の都合ではある。

 日に何度か排泄をしてオムツを換える場面はあるが、午睡前の排泄は比較的スムーズに運ぶ場合が多い。おそらくお気に入りの柄のパジャマを着ることができるからかもしれない。人の意欲はちょっとしたことで進むのだと思う。とはいえ最大18人の着替えのお手伝いを3人の担任で行うことは大変であることに違いない。

「てつだう?」

「だいじょうぶ、だいじょうぶ。そこでいっぷくしてて。」

なんて子どもたちに言われるのはまだ先の事だろう。

 

 今日のリーダーの僕は子どもたちに先立ってごちそうさまをして、食器を流しで洗ってロッカーにしまった後、子どもたちのロッカーの前に座った。子どもたちは次々とごちそうさまをして、おしぼりをロッカーにしまいにきた。リーちゃんやルーシーが

「お口、ちゃんと拭いてね。」

そう声を掛けていた。子どもたちはその声にすぐに反応し、口を拭く。すでに席から立ちあがった子どもも歩きながら口を拭いていた。

 こちらにやってくるあきの胸元が濡れていた。その手にはパジャマの入った巾着袋を持っていた。パジャマ入れは朝、専用のかごに保護者に入れてもらうことになっていた。

「ぬぐの、てつだう?」

Tシャツの胸元が濡れていると脱ぎづらいだろうと思い、あきに尋ねると

「うん。」

と答えた。本当は子どもから「てつだって」と言ってくるのを待つほうがよいのだけれど、この時間は次々と子どもたちがごちそうさまをしてくるので、少し気がせいてしまい、ついつい声をこちらからかけてしまう。右袖を上に持ち上げてあげるとあきはするりと腕を抜き、左も同様に抜いた。そのあとは体をもぞもぞさせて自分の首を抜いて一人で長袖のTシャツを脱いだ。

「シャツもぬれているから、きがえたほうがいいね。」

とあきに言うとあきは少し頷いて、半そでの下着を脱ぎ、ズボンをずらし足踏みをするようにしてズボンを脱ぎ、巾着袋からパジャマを出した。

「あきちゃん、さきにしたぎ、もっておいで。」

というと、あきは何も言わずに、自分のロッカーから下着を持って来て、僕に差し出した。

「てつだうの?」

と聞くと、あきは頷いたので

「てつだってって、いってもらうといいな。」

と言うと、小さな声で

「てつだって」

と言った。僕は

「いいよ。」

と言いながら、下着を受け取り、下着の前面を床面に接するように置いた。あきは、上手に下着を着た。次にパジャマの上下を着やすいように床に並べるとパジャマの上着を持ち上げ、スポッとかぶるようにして、自分でパジャマの上も着ることができた。

「おっ、じょうずだね。」

僕はそう言ったが、ほぼ見向きもせずパンツをずり下ろし、脱ぎっぱなしにしてトイレに急いで向かった。あきはすでにオムツを卒業している。トイレの入り口にある棚に子どもたちのおしり敷きタオルがあるので、パンツはトイレ前で脱いで、はくように子どもたちに話していたが、たぶん余裕がなかったのだろう。そろそろ、プライベートゾーンについても意識してもよいように思う。そういう意味でもロッカー前で脱ぐよりはより「出したまま」の距離の少ないトイレ前で着脱する必要がある。

「あきちゃん、パンツ、ここにおいとくよ。」

僕はあきが自分のロッカー前に脱ぎ捨ててあるパンツをトイレの前に置いて、中にいるあきに声を掛けた。さっき広げたあきのパジャマの横には脱いだズボンを二つ折りにして置いた。あきがパジャマをはいた後で巾着袋に入れるだろう。その一方でそのままになっていたTシャツと下着は僕があきの汚れ物に入れた。あれもこれもではなく、とりあえずひとつずつ確実にと思ったので。

 

 次々に子どもたちがやってきた。リーちゃんも着替えの手伝いを始めていた。トイレで排泄を済ませ、パジャマに着替える。着替えが終わった子どもは絵本コーナーに行き好きな絵本を見ている。給食前に一度トイレに行っているのでオムツが濡れていない子もいれば多少濡れている子もいる。濡れている子はもちろん換える。あまり安くもない代物だけれど濡れているものをそのまま履かすことはできない、と僕たちは思っている。何リットルまでは大丈夫ですよとメーカーの人は言うかもしれない。しかし排尿したものをそのままにしておくわけにはいかない。ルーシーが前に、少し濡れているオムツの外側を触りながら

「これって1,2回、おしっこしたほうがごわごわ感がなくなって気持ちいいかも。」

と言ったことがあった。だからと言ってそのままにはしておけない。「おしっこでよごれたパンツ、そのままはきますか」と問われて「はい」はない。

「ぬれているからあたらしいのをはこうね。」

と子どもに声を掛けつつ、ちらっと保護者の顔を思い出しつつ、ちょいと心で、悪いけど使わしてもらいます、と言いながらオムツを換える。

 ごはん前に行ってそのあと寝る前に行く。間隔は確かに短い。でも自分のことを考えるとやっぱり行くかなとは思う。ご飯の途中にトイレに行くと小さい時は親には行儀が悪いと言われた。寝る前は食べる前よりも母親に声を掛けられた。「おねしょしないでね。」と言われながら。

 5,6人が着替えを済ませて絵本コーナーに行ったので子どもたちの着替えはリーちゃんに任せて絵本コーナーに座った。

「これ読んで。」

朝美が絵本を一つ持ってきた。「バムケロ」だ。

「いいよ」

そう答えると朝美が僕の膝に座ろうとした。

「あさちゃん、こっちにすわってもらっていい?」

僕に正対して座るように頼むと

「いいよ」

と言って僕の向かい側に座った。僕が窓側に座って絵本を広げて読み始めると案の定、朝美の周りに友子、隆二、渡、武士、たちが集まってきた。膝に黙って座ろうとする子どもは可愛い。でもそれではほかの子どもたちが絵本を見ることができない。1対1で絵本を読む局面も確かにあるが今はそうではなかった。

 テーブルのほうではルーシーがまだ食べ終わっていない波、千穂、達彦に食の進み具合を見ながら、「いっぱい食べたね。」「もう少しでピカピカだね。」と声を掛けていた。その間にも着替えの終わった瞳、あき、善が絵本コーナーにやってきた。子どもたちがみな食べ終わるとルーシーが使い終わった食器をワゴンに載せいったん廊下に出す。そうすると0,1歳児担当の保育士が一緒に給食室に持って行ってくれることになっている。ルーシーもお着換えと排泄の手伝いをリーちゃんと二人で行っていた。遅く食べ終わった波、千穂、達彦に太郎と4人が残ったところでリーちゃんが図書コーナーにきて

「廊下に作る?」

と聞いたので

「そうだね。」

と同意した。子どもたちの人数が13人になっていた。今日は義樹が休みだった。絵本コーナーに子どもたちが集まってきて狭くなると、廊下に敷物を敷いてそこにも絵本を置いてスペースを作った。前は最大18人の子どもたちが絵本のおいてあるスペースに集まっていたが、全くの手狭だ。ごちゃごちゃして子どもたちも落ち着かないし、本の取り合いだったり、場所の取り合いだったり、とかくトラブルは起きやすい。分けようという話になり、食べ終わった子どもを何人か連れて玄関わきの園の図書コーナーに連れていくことにしたが、行きたい子どもが急いで給食を食べたり、間に合わなかった子どもが大泣きしたりするなど別の問題も出てきたので、結局廊下を使おうということになった。ただ廊下は空調が効かないので暑い、寒いの時はまた別の方策を考えなければならない。

最後の波が図書コーナーに行くとルーシーはテーブルを片付け、子どもたちの布団を敷いていった。機械的に敷いているように見えてルーシーなりにいろいろ考えている。寝るまでどうしても周りが気になって、もぞもぞしたり立ってしまう子どもはいる。そういう子どもはロッカーの陰や少し離れたところに布団を敷いて気が散らないようにしたり、なんだかまたトイレに行ったりする子どもはトイレの近くに敷いたりしていた。

ルーシーがふとんを敷き終わり

「しけたよ」

と子どもたちに声を掛けた。廊下にいたリーちゃんが子どもたちに

「すきなほんをいっさつとって、じぶんのふとんでよんでいいよ。」

と言いながら布団のほうに子どもたちを誘った。僕は「はじめてのおつかい」を読んでいた。朝美、あき、波、千穂、善が熱心に見ている。目や鼻や、頬っぺたの具合など、みんな主人公の『あさえ』のようだ。善までそう見えてくる。

 他の子どもたちは絵本を持って自分の布団に行きゴロゴロしだした。本を読む子どももいれば、胸のところに抱えている子どももいる。保育園はほぼ共用スペースで満たされている。自分の場所と言えるところがない。唯一のマイスペースが自分の布団なのだ。自分のロッカー前というのもあるにはあるのだが、この保育園は一列に並んでいる棚を上下で分けて使っているので全く自分の場所ではない。友だちと分け合わなくてはならない。その点、布団の上は他人に邪魔されることはない、はずなのだが時折、他人の土地に侵入してくる無頼の輩がいてトラブルになる。

 

「ルーシー、ルーシー!りゅうちゃんがちかちゃんのふとんにはいってくる!」

見ると隆二が、にやにやしながら知香の布団で寝そべっている。その顔がいかにも悪さをしてますよという顔だった。その横で知香は今にも泣きだしそうな顔をしている。

「あーあ、りゅうちゃん、ちかちゃんこまってるよ。」

そんな事はお構いなしに寝そべっている。

「あれ、ここにふとんがおちてる、もらっていっちゃおうかな。」

つかつかと隆二の布団にルーシーが近づくと

「ダメ―」

と言って隆二はあっさり知香の布団から離れた。他愛もないと言えば他愛もない。もう少し大きくなれば保育士が直接乗り出すのではなく友だちに仲介してもらうのだけれど、まだそこまではいかない。

 絵本コーナーで僕が「はじめてのおつかい」を読み終わると12時50分になっていた。

「ながいはりが赤ハートになったらお休みするから、それまで自分の布団で好きな本を読んでていいよ。」

「はじめてのおつかい」を見ていた5人の子どもにそう言うと、それぞれが絵本を持って自分の布団に行った。

 善がぐしゃぐしゃと遠慮なく、人の布団を踏んでいくので

「ぜんちゃん、ひとのふとん、ふまないよ!『あぜみち』とおって、『あぜみち』!」

僕がそう言うと、とりあえず踏むのはやめたが止まっている。

「たまだくん、『あぜみち』なんてわかるわけないじゃん。」

子どもたちの布団をかけなおしていたルーシーが笑いながら言った。ルーシーは実家で田んぼを持っている。

「確かに。」

僕は善に近づき、善が踏んでいるあきの布団と隣の幸夫の布団の10センチほどの隙間をさして

「ぜんちゃん、あしをここにのっけて。」

というと善は足をあきのふとんからその隙間に移した。

「ふとんとふとんのあいだをあるいて。たまだくんあとをついてきて。」

僕がさきになって子どもたちのふとんのあいだをうねうねと善の布団まで行った。

「お友だちのふとん、ふむと、おともだち、いやなきもちになるかもしれないからね。ふとんのあいだのみち、とおってね。」

善は僕を見てうなずき、乗り物の絵本をもって、ころがった。

 

 時計には数字のわきに色とりどりのハートマークがついていた。赤は「12」青は「6」といった具合だ。まだ数字が読めない子どもたちのためにつけている。研修でほかの保育園が行っていたのを真似させてもらった。各園各園本当に工夫していて他の園を見学させてもらうことは勉強になる。

 子どもたちはそれぞれの布団に入りゴロゴロしている。

「とんとんしてー」

康江がそばを通ったリーちゃんに声を掛けた。

「いいよ。」

リーちゃんはよこになって康江をとんとんし始めた。康江は4月当初は人見知りが強く0歳児の時の担任だったルーシーの後追いをしていた。ルーシーが休んだ時は「ルーシー、ルーシー」と言ってしくしくしていることも多かった。ある日の午睡の時、僕は少しでも関りを持とうと思って康江をとんとんしようとすると

「ルーシーがいい。」

と言って康江は布団をかぶってしまった。

「ルーシー、いませ~ん。」

と言ってトントンを続けた。なおも

「ルーシー」

と言いながらぐずっていたが静かにトントンしているといつの間にか寝てしまった。それからは拒まれることはなくなったように思う。僕はおっさんだからか慣れないうちはいろいろな子どもたちに何となく拒まれることはそれまでもあったし、自分の子育てでもそうだった。

「おかあさんがいい」「おかあさんは?」

一番上の子どもの口癖だったけど共働きだったのでどうしても僕しかいない局面はやってきて、彼女にとっては否応なく父親に頼らざるを得なかった。結局子どもにしてみれば絶対に母親でなければならない理由はなく、母親がいなければ、女性でなければならないということもない。性差に関係なく日ごろどの程度関わってくれるかの問題だ。もし子どもに拒まれるのであれば日ごろの行いが悪いと思って反省し、地道に関わっていけば子どももそれに必ず応えてくれると思う。

 誰が誰をとんとんするのかというきまりはないが、なかなか寝つけない子どもはいて、布団から立ち歩いたり隣の子どもにちょっかいを出したりする子どももいる。担任のうちの誰かは何人かいるそういった子どもについて添い寝をしてあげる。添い寝やトントンをしなくても寝られる子どもにはあまりつくことはない。すぐに入眠することが多いからだ。それでもあまり同じ子にばかりということのないように保育士は気をつけてはいる。

 

 ルーシーは太郎をとんとんしていた。

「かりかりしてー。」

太郎はあおむけになったままルーシーに言った。

「てでいい。」

「うん」

ルーシーは手と言ったが正確には肘の上、右の二の腕のところを肌着の上から指で掻き始めた。これは太郎の寝るときのルーティンであった。子どもによっては寝るときのルーティンがある子どももいて「みみさわってー」と言われ耳全体を触ると「そこじゃない」と言われ、結局耳たぶを触ってあげるとすぐにおとなしくなったり、足の指であったり、逆に保育士の耳を触って寝る子どもがいたり、変わったところでは保育士の指と爪の間に自分の爪をぐりぐりと入れる子どももいた。それを知らずにその子どもをとんとんしようとしていきなりそうされ、少し驚いたパートさんもいた。

 

 僕はロッカーにもたれかかって麦をとんとんしていた。麦は親指をおいしそうにおしゃぶりしながらもはや夢心地に入ろうとしていた。指しゃぶりに関しては悩んでいる保護者も多く、「歯並びが悪くなるのでは」などと相談もよくされるが僕が関わった子どもで言えばいずれはしなくなるし、歯並びが悪くなったという話も聞いたことはない。無理に辞めさせる方法も理由もあまりないので、いずれはしなくなるということで様子を見てもいいように思う。それにしてもどんな味がしているのだろう。指のだしの利いたうっすらとした塩味だろうか。自分の指をなめてみても全く味気もそっけもなくその良さはわからなかった。

 

「ともちゃん」

僕はなぜか寝床から立ち上がってトイレのほうを凝視している友子に声を掛けた。

「どうしたの?」

友子は僕のほうをちらっと見てごろんと布団に転がった。少しすると彼女は急に立ち上がりトイレのほうに行こうとした。

「ともちゃん」

もう一度声を掛けた。

「といれになにかあった?」

友子は歩みは止めたが問に答えず、またトイレのほうを見ている。

「とんとんしてあげようか」

「ううん、いい。」

そう言って自分の布団に戻りまたごろんと布団に転がった。

これまでも何が気になるのか、友子はよく立ち上がり時折、友だちを踏んづけあらぬ方向に行こうとする。そのたびに僕たちの誰かが声を掛ける。あまりにも回数が多いと、保育士も友子のそばに友だちが寝ているのだから邪魔してはいけない、今は体を横にして休む時間なのだ、ということを言い聞かせるのだけれど一向に効果はなかった。周りの何かが気になるのではないかということをリーちゃんとルーシーが思い当たり、おもちゃの入っている棚を使って周りの視界を遮るような友子のお昼寝場所を作った。その後は立ち上がることはあったが、柵を超えて立ち歩くことはなくなり、ゴロゴロごろごろしているうちに1時半ごろには寝るようになった。しかし、今日みたいにどうしても何かが気になるときはある。一回ですべて解決!とはなかなかならない。

 

「たまだくーん、たまだくーん」

太郎が布団の中から大きな声で僕を呼んだ。

「たまだ君、今日もお呼びだね。」

リーちゃんがにっこりしながら言った。毎日「うんち―」と言って僕のことを呼ぶのが太郎のもう一つのルーティンであった。

「ルーシーでもいいんじゃないの」

太郎の隣にいるルーシーに言った。

「ご指名だもの、ねぇっ、たろちゃん。」

ルーシーは起き上がりながら言った。

僕はゆっくりと立ちあがった。麦はほぼ寝入ったようだ。

太郎は布団の上に座っていた。

「でたの?」

「うんち」

「ごめんね、ちょっとパンツみせてね。」

オムツのゴムを広げると確かにコロコロうんちがあった。

太郎は午睡前に結構な頻度でうんちをする。健康的と言えば健康的。その時必ずと言っていいほど僕の名前を呼ぶ。みんなが布団でごろごろしている時、すくっと立って僕を探し、見つけると

「たまだくーん、うんちー。」

と言う。リーちゃん、ルーシーはそのたびにくすくす笑い、時折、太郎が立ち上がって何も言わないでいると

「たろちゃん、うんち?」

とわざわざ聞き

「だれにかえてもらうの、たまだくん?」

またまた、わざわざ僕の名前を出す。

「たまだくーん」

と太郎が答えると、

「たまだ君、ご指名だよ。」

(じゃねーよ)と内心思いつつ、

「はーい。」

といいお返事。姉たちにはなかなか逆らえぬおっさんの姿をした末っ子男子。

「なんで、うんちはたまだくんなの?」

と聞いてみるものの、太郎は無言。フィーリングですか、フィーリング。

実はその太郎のフィーリング、鋭いと言えば鋭い。僕の前職は主に下水管を埋める仕事していた土木屋さん。たくさんのおうちのトイレを『ぽったんトイレ』から水洗トイレに替えてきた。工事はそれこそ「便」との格闘だった。更に自分の子どもが赤ちゃんだったときには、帰れば毎日、保育園から持ち帰った布オムツを手洗いして洗濯し、傘の骨を反対にしたようなオムツ干しにオムツを何枚も干したものだ。だからトイレそのものはおろか、尿、便にほとんど「偏見」がない。それを感じるとは、おそるべし、太郎のフィーリング。

 

 僕は太郎のオムツを換え、ルーシーに代わって太郎をかりかりしていた。友子も時折起き上がり、布団に座っている。他に武士と朝美もねつきがあまりよくない。朝美はじっとしているが武士のほうはバスタオルをバサバサやって敷き直す。何度言っても同じことを繰り返す。友子と太郎は周りの視界を遮る環境を、武士はちょっと友達とは離して布団を敷いている。なかなか寝付けない子どもに布団でじっとしていることは確かに難しい。おそらく体が自然に動いてしまう。最初はそれがわからなかった。

「ねなさい!」(寝たくても寝られないんだよ。)

「ほかの友だちに迷惑でしょ!」(迷惑かけようと思ってるわけじゃない。)

「ちっちゃいクラスにいくよ!」(勘弁してよ、こっちなりに努力してんだから。)

正直に言えば保育士側の都合もある。子どもの午睡時間が保育士の休憩時間に重なっているのでできるだけ早く寝てもらえれば、寝なくても静かにしていてくれればそれだけ早く休憩には入ることができる。1時に寝始めて遅くても1時30分ぐらいには寝てしまうので、そこまで言うこともないのだが、ついついガミガミと言ってしまう。おせっかいな保育士の悪い習性だ。

いずれ後期になれば寝なくても大丈夫な体力がついてくるかもしれない。実際、3歳以上のクラスでは家庭と相談の上、2時ころまで布団で体を休めたうえで寝ている友だちの邪魔にならないように静かに本を読んでいる子どももいる。2歳児クラスではまだ午睡は必要だと思うが、なんでも一律にするというのではなくそれぞれの子どもに応じて環境を変えてあげられれば良いのだが・・・。。

 

子どもたちは概ね1時半前後にはほぼ全員が寝てしまう。その前から添い寝し終わった人が図書コーナーにテーブルを用意し、休憩室に飲み物を取りに行ってくれる。今日はルーシーが準備をしていた。

「リーちゃん、なにがいい?」

ルーシーが小声で聞いた。

日本茶でいいかな。」

「たまだ君は?」

「ロイヤルミティー。」

ないとは知りつつおしゃれに言ってみた。

「そんなのないよ、なににするの?コーヒー?」

「はい、それでいいです。」

 

 子どもたちが午睡しているときにここで保護者へのお便り帳やら計画案やら諸々の書き物をする。実質これが「昼休み」の過ごし方なのだが「昼休み」とはいえない。普通「昼休み」は仕事をしない時間のことだ。子どもの様子を見ているという点では立派な労働時間だ。保育士の労働条件が余りよろしくないと言われることのひとつに「昼休み」が実質取れないことがある。その一番大きな理由は、人手不足のため保育中には連絡帳であったり保育計画案などの事務の仕事や話し合い、打ち合わせができないということだ。人手があれば時間の融通もきき、交代で事務仕事を行ったり、休憩したりということもできるだろうけど、どこもほぼぎりぎりの人数でやっている。そんな余裕はないということになる。国が決める保育園に配置される人数が足りないというのが根本的な理由だ。人の配置を厚くしてそれに伴う費用の手当てもぜひ行ってほしい。土木労働者をしている時にはお弁当を食べ、「どれ、時間までねるか。」と言って昼寝をがっちり取ったことが懐かしい。

 

「たまだ君、来週の金曜日、また遅番、代わってもらってもいい?」

ルーシーが言った。

「いいよ。また『決戦』?」

「そう。」

「どことの戦い?」

「市役所か県庁か、公務員かな。」

ルーシーはここのところ戦い続きだ。年度終わりから、年度始まりのバタバタ感もゴールデンウイークが明けてからこのころまでにはどの職場も落ち着きを取り戻し、それぞれの若者が自分の事を考え始めるのだろうか。

「ルーシーはどの辺をねらってるの?」

「ねらってる?失礼なこと、言わないでよ。運命の人を探して旅をしているの、コンパと言う森をね。でも、みんなは消防士がいいって言うかな。」

「なんでなん?」

「夜勤明けとかあって家事や育児をやってもらいやすいんだって。」

リーちゃんがかわりに説明してくれた。これまでも何回となくルーシーが遅番の時は代わってあげていた。コンパはやはり金曜日が都合がいいらしい。保育園は土曜も開園しているがだいたいの勤め人は土日が休みだ。土曜にやるとなると出席率が落ちるらしい。流通や車、住宅関係は土日出勤の平日休みだが、それは仕方ないとなるらしい。結果、金曜日に設定することが多いという。だから『決戦は金曜日』になる。

一度、金曜日に決戦に出かけるルーシーがちょうど玄関にいるところに遭遇したことがあった。ばっちりメイクをして、いつもは一つに束ねている髪をほどき、少し短めのスカートをはいていた。もちろん若い人が多い保育園なので、週末は少しおしゃれをして園舎を出る保育士さんもいなくはないが、昼間のすっぴん、エプロン姿を見てからのこれだと「オー、気合入っとるな。」という感じになる。その時、たまたま武士のママが入ってきた。ママは気さくな性格でいつも明るく声を僕たち保育士にかけてくれる。

「あら、ルーシー、おでかけ?」

ルーシーは照れ臭そうに

「そうなんですよ。」

と言った。

「決戦らしいですよ。」

僕が言うと

「あー、じゃーアドバイスを一言。ここ一番が来たら押しよ。」

ママはきっぱりと言った。「決戦」だけでわかるのは世代なんだろうか。

「了解でーす。いってきまーす。」

ルーシーは髪を翻して旅へと出て行った。

 

あれから決戦を何度か行っているがいまだ成果はない。

先日の昼に

「今日、ままごとコーナーで、よしくんがぼぼちゃんおんぶして、手提げかばん持って、『いってきまーす』って言ったんだよね。『よしくん、どこいくの?』って聞いたら『かいしゃー』っていうの。『ぼぼちゃん、つれていくの?』って聞いたら『うん、かわいいからー』だって。これよ、これ。子育ても仕事と同じぐらいやる人。あーあ、あと20年まってようかなー。」

と言っていた。リーちゃんは「あはは」と笑っていた。僕も多分笑顔だったとは思うが『守備範囲、広げすぎだろう』とか『よしくんの意志もあるだろう』とかもひそかに思っていた。旅の果てにルーシーの理想の彼氏、チャーリーと結ばれるときには、ルーシーが望むような家事育児が共同でできる世の中になっていればいいのだが。

 

「あーあ、私も一人で生きていくことになるのかな。」

「何言ってんの、まだまだ若いじゃん。」

リーちゃんが励ます。

「まだ、24じゃない。」

「リーちゃんはどうなの?」

「わたし?そりゃ、縁があればおことわりはしないよ。」

「縁はないの?」

「いまのところはね。」

十八番の「天城越え」を聞くと勝手にどろどろの恋愛沙汰からまだ覚めていないんじゃないかという妄想が働く。

「いまの世の中、一人なら一人で何とかなる。」

僕がそう言うと二人は何となくうなずいた。三人ともたぶん同じことを考えている。リーちゃんが

「モコさん、この間、泣いてたね。」

と言った。

「うん、いつもはうるうる程度なんだけどね。」

ルーシーが答えた。

 

 先日、園内研修のあと、20代後半の職員呼びかけで、有志で呑みに行くことになった。リーちゃん、ルーシーに誘われ僕も行ったのだが、それが終わり、二次会にカラオケに行くという。さすがにそれは若い人だけでと思い、遠慮して

「んじゃっ。」

と言って帰ろうとしたら、決して若いと言えない人から声がかかった。

「たまだ君、いくよっ。」

モコさんだ。元体育会系の精神の残りかすを持っている僕は

「えっ、はいっ!」

と元気よく返事をしてしまった。

 何となくモコさんについて行ったので店での席も隣り合わせだった。若い人は慣れていて飲み物を頼むと同時に、なんだかピッピッと操作して、歌い始めていた。ルーシーに飲み物を頼んだ後、僕はモコさんにお礼を言った。

「モコさん、ひーちゃんママが、モコさんに話を聞いてもらってよかったと言ってました。ありがとうございました。」

「ううん、話、聞いただけだから。」

モコさんは前を向いたまま答えた。お迎えの時、瞳がなかなか帰ろうとしなかったり、時折泣いたりしてママを結構てこずらせていた。瞳ははた目から見ても、ママの前では性格が変わったのかというぐらいわがままを言いたい放題だった。ママも瞳が人目もはばからず甘えているのだということはわかってはいるが、それでも誰かに話を聞いてほしかったのだろう。ある日のお迎えの時、ママがぼやいている時に、一度主任に話を聞いてもらったらどうかと提案すると、それじゃあお願いしますということになった。

「ママたちの話がたまにきつくなる時がある。」

ぼそっとモコさんは言った。そういうトーンで話されたことがなかったので少しドギマギした。

「私、子どもいないじゃん。だから、ママたちに子育てのことを話している時に、フッと、自分で今、話していることは現実味があるのかとか、ママたちが現実味のある話として聞いてくれてるのかとか、不安になるときがあるんだよね。」

「それは大丈夫ですよ。モコさんはママたちにも信頼されていると思います。誰に対しても親切で、平等に接しているところがいいんだと思います。」

「ほんと?」

「ほんとです。」

おっさんでありながら保育士としては若輩者で青二才の僕をかばってくれたり支えてくれたのはモコさんだ。時折剛速球が胸元に飛び込んできて、捕り損ね、痛い想いもするが、基本、励まし続けてくれている。日ごろお世話になっているお礼も兼ねて、気の利いた言葉のひとつもかけてあげたいのだが何も浮かばない。モコさんの好きな韓国ドラマの定番台詞「ファイティン!」でも言うかと思ったがちょっと恥ずかしい。

「モコさん、保育はここですよ。」

と言って胸の中央を右のこぶしでどんどんと叩いた。

「何よそれ、私のまねじゃない。」

と言ってモコさんは笑った。いつも僕が、いや僕に限らず、迷える保育士に向かってモコさんは

「保育はここよ!」

と言って胸をこぶしで叩いた。その力強さに僕らは力をもらう。実際そうだ。理屈よりも相手を思う、子どもを思う気持ちが大切だ。保育園は別に子育て経験のある人ばかりがいるわけではない。いろいろな年代、職種、立場の人が子どもの育ちに思いをはせ、関わっている。そうやっていろいろな人が子育てに参加することで子どもたちの生きるための土台が大きくなっていく。むしろモコさんのような存在こそが必要なのだ。そしてそれは保育園に限らない。社会の中の子どもの育ちにかかわるすべての場所で言いうることなのだ。

 

「あの時のリーちゃんのドリカム、やばくなかった?」

ルーシーが僕に言った。

「いやー、素晴らしかった。リーちゃんの歌は心にしみることが多いけどあれは特に胸に来た。題名なんだっけ?」

「『未来予想図』と『やさしいキスをして』」

リーちゃんが微笑みながら言った。

「あれでたぶんモコさんの涙腺崩壊の引き金、引いたね。」

ルーシーが訳知り顔で言った。

「いやー、そんなもんでないかもよ。ダイナマイト敷設完了レベルじゃない?」

僕が話をかぶせた。

「『幸せな今』を歌ってる歌詞だものね。」

とリーちゃん。その何曲か後でモコさんが竹内まりやの『駅』を涙ながら歌った。モコさんはこの歌を歌う時はいつもは目を潤ませる。だがこの時は涙をぽろぽろ流しながらの熱唱だった。リーちゃんのドリカムが涙腺崩壊のきっかけになったのは間違いない。

「それにしてもすかさず『元気を出して』を歌います?よく考えるよね。」

ルーシーがリーちゃんのほうを向いて、感心して言った。

「その場の雰囲気がマイナスオーラで、なんかしないとと思って。」

リーちゃんの言い訳。

「いやっ、結果大正解。さすが演出家。」

僕はリーちゃんに向かって拍手を送った。モコさんの次のトッキーがアップテンポな曲を歌いづらそうで、モコさんもしきりに謝っていた。何曲か後にリーちゃんがあからさまにモコさんに向かって同じ竹内まりやの『元気を出して』を歌い、みんなに大うけして何とか場を持ち直した。

「リーちゃん、ほんとにお疲れ!」

ルーシーもリーちゃんに拍手を送りながらそう言った。

 モコさんに何があったのか聞くのは野暮というものだが、いろいろあったことは容易に想像がつく。いつも励まし支えてもらっている分、必要と在れば、僕たちはモコさんを励まし、支える。老若男女、いろいろな事情でおひとりさまが増えていると聞く。寂しさを感じている人がいるなら、周りが支えることができるような関係がそこら中にあればいいなと思う。もっともモコさんがこのままおひとりさまでいくかどうかはわからないけれど。

 

「でもさ、一人で生きていくにはお給料、なんとかならないのかなー。たまだくーん、なんとかならないの。」

「そういわれてもなー。」

給料が低いのはよくわかる。僕自身、さすがに20代の頃の初任給よりは高いが、それでも30代の頃の土木労働者の給料と比べると40代半ばの保育士の今ははるかに安い。

「だいたいさー、子どもたちが学校に行って座って勉強できるのはだれのおかげ。保育士が子どもたちにいろいろと言ってるからでしょ。なかよくできるのもルールを守れるのも、だれのおかげよ。」

「そうだよね、せめて学校の先生ぐらいにはならないかしらね。」

リーちゃんも同調する。もはやその通り。おかみのほうで何とかしてほしい。だが二人には言っていないが、ある非正規労働者のお父さんには

「なんだかんだ言っても国から間違いないお金が来るからいいよね。」

と言われたことがある。労働者の平均賃金よりはるかに下の保育士をうらやむ労働者がいる。ほんとに何とかならないかー。

 

 3時ごろになるとぼちぼち布団の中でモゾモゾする子どもたちが増えてくる。

僕らも時計が3時を過ぎたのを見てテーブルのうえを片付ける。リーちゃんが

近くで起きていたあきに

「おきがえする?」

と聞くとあきがうなずいてもぞもぞと起きた。それに気づいて朝美や武士、千穂、瞳らが起きだした。ルーシーが起きた子どもの布団を畳んで押入れにしまい、僕は図書コーナーのテーブルのうえのコップを片付け、子どもたちのおしぼりが入ったかごをロッカーの上から持って来て手洗い場で濡らして絞り始めた。午睡あけのこの時間は寝起きの時のぼやーとした雰囲気と着替えやトイレに行かなければならないというバタバタ感がないまぜになった生活感の強い時間帯だ。ここから徐々に子どもたちは覚醒していき、おやつを食べ、午後の遊びに熱中し、大好きなパパやママを待つことになるのだ。

2歳児の保育「三つ子の魂デシデシドン7」

7,雨が空からふれば

7月初旬

 部屋の掃除はシフトの遅番が6時ころ、子どもたちが延長保育のために0,1歳児室に移動したら掃除機をかける。リーちゃん、ルーシー、僕の3人で掃除機の掛け方は違うのだろうけれど、僕は入り口に近い絵本コーナーからかける。あまり部屋の真ん中からかける人は少ないと思う。端にあるコーナーは絵本コーナーとままごとコーナーなのだが、ままごとコーナーは物がたくさんあり、いかにも掃除がしづらそうに見える。前職の同僚のしげさんも「仕事の先が見えたほうがやる気が出る。」と言っていた。つまりできるだけ早く何らかの成果が見えるとやる気が出るということだ。ままごとコーナーにかかりきりになってなかなか片付かないとそのうち疲れたり、飽きたりして、次の場所から手を抜いたりしてしまうかもしれない。絵本コーナーにはじゅうたんがあり、最近、買ってもらったままごとコーナーと同じ丸テーブルが置いてある。ホームセンターで売っていたコタツの下に敷くような茶系統の格子柄の3畳ほどのじゅうたんだ。僕は丸テーブルをよけ、じゅうたんをいったんブロックコーナー側において掃除機をかけた。「掃除機や雑巾がけは畳でも板でも『め』に沿ってかける」と言うことを母親だったか、しげさんだったか、連れ合いだったか、誰に教えられたのかは忘れてしまった。掃除機をかけた後、ゴミをはらうためにじゅうたんをテラスに持って行き、じゅうたんの真ん中あたりを両手で持って上下に振った。部屋に戻ってじゅうたんを敷き、丸テーブルを置いたときに本棚の「うたの絵本」の本が目に入った。見開いた両側のページにその歌をイメージした絵とともに詞が書かれている童謡の本だった。

 

 今日の午前中、善と千穂がその絵本を見ながら二人で順番に歌っていた。もちろん文字は読めないが絵を見れば何の歌だかわかる。普段は僕たちが絵を見せながら1ページずつ歌っていた。それで覚えたのだと思う。ところどころとばしながらだけれど、それでもよく覚えているなと感心する。

「ぶんぶんぶん はちがとぶ」

「ぶんぶんぶんぶんぶんぶ」

善が少し間違え二人の歌が一致しなかった瞬間、お互い顔を見合わせ大笑い。また歌い始め、また合わないと、またまた大笑い。次の「いぬのおまわりさん」は千穂だけ歌い、善はわからず、「かたつむり」は二人ともうまく歌い、歌い終わるとにっこり。全部で26曲あるので、そんなことを飽きずに繰り返していた。

 

 隣のブロックコーナーに移る。ここはブロックやひも通しを入れた棚があるだけで掃除はしやすい。棚の反対側の壁側にある子どもたちのロッカーの上には保護者が送迎時間を書く送迎表やその日のクラスでの出来事を書いたノートが置いてあり、その壁には横12X縦10cmのポケットが24個付いたビニール製のシートをつるしていた。それぞれのポケットに子どもの名前が印字されたシールが貼ってあり、連絡帳やお便りなどを入れ、保護者にもれなく渡せるようにしていた。送迎表の横にはよくカブトムシや鈴虫なんかを入れるような透明のケースがありその中にあじさいの葉っぱと一緒にカタツムリが1匹いた。雨上がりのある日、駅から保育園の道すがら、歩道わきの雑草の上にいた「彼」と知り合い、子どもたちに紹介しようと思って連れてきた。名をタナカ君という。何人かの子どもたちが毎朝、登園したときに挨拶をしてくれていた。ある日、義樹がじっとケースを見た後、僕に

「たまだくん、いないよ。」

と言った。

「なにがいないの?」

「タナカくん」

「えっ、ほんと?」

見てみると確かにいない。いったいどこに行ったのだろう。ふたが開いている様子もない。信じられないが自力で押し上げて逃げたのかもしれない。「自由への逃走」は基本的には支持するけれど、途中で生き倒れになってもよくないので保護者のみなさんにも呼び掛けて捜索をしようということになった。リーちゃんがイラスト付きでクラスノートに

『たまだ君のお友だちのタナカ君が行方不明になりました。心当たりの方は担任まで』

と書いて情報を呼びかけたが結局見つからなかった。カタツムリにケースは狭すぎたようだ。タナカ君は命がけで自由を獲得した。同時期に3,4,5歳児クラスの亀のシーザーも逃走した。亀とはいえカタツムリよりは足が速いにもかかわらず体の大きさゆえに早々に子どもたちに発見され、相棒のクレオパトラのもとに戻った。彼らも狭いところに入れられ、自由を制限されて申し訳ないが長くいる分、クラスになくてはならない存在になっている。彼らを見て落ち着く子どももいるのだ。ちなみに2匹はつがいでもなんでもなく、彼らがやってきたときの3歳児担任のトム(ニックネームの由来は不明、氏名共に関係はないらしい。現5歳児担任)がオスメス確認せずに1匹を亀にしては気品のある顔だという理由でクレオパトラと名付け、じゃあもう1匹はシーザーだと5歳児担任のろくさん(苗字が六山でろくさん、現一時保育担当)が名付けたらしい。

 

 制作、パズルコーナーはテーブルのうえに椅子をあげて掃除機をかける。あれっ、パズル。これは何のだ。未完成だと子どもたちも気づかないで片付けてしまう。こうやって確実に回収できればなくなることもないのだけれど、どこに行ったのかパズルが数片かけてしまうことがよくある。なぜだろう。あれっ、ひも通し。なんでここにあんだ。ブロックコーナーのほうにひも通しはあるんだけどな。あれっ、粘土。ほこりがついてるじゃん。これはもう使えない。あれっ、折り紙の切ったん。今日、午後のおやつのあとのお部屋遊びでリーちゃんがハサミを使わせてたな。

 

 ここのところ雨が続いていた。子どもたちはお部屋の遊びも何となく飽きてきてコーナーにとどまって集中して遊ぶことができず、ブロックコーナーでは家であろうが、飛行機であろうが作ったブロックを武器に戦いごっこが始まり、ブロック同士がぶつかりガシャーンとなって、壊れ、散乱し、それが楽しくなってしまい、作っては壊しを何度か繰り返し、子どもたちはブロックを回収することもなく友だちとじゃれ合ったり、ほかのコーナーに行こうとする。図書コーナーでも読んだ本を片付けずに、本を踏みながらまた、別の本を出す。一番すごいのはままごとコーナーで、ただでさえ、すぐに散らかってしまうのだが、床一面、いろいろなものが落ちている。子どもたちの落ち着きのなさのバロメーターは床にどれだけものが落ちているかだ。僕たちが「はしらないよー」「ふまないよー」「かたづけるよー」と声を大にして言うものだから狭い部屋でますます落ち着きのない空間となってしまった。そんな時、僕たちは何か「隠し玉みたいなもの」を出すときがある。

このあいだは、リーダーのリーちゃんが

「はさみするね。」

とルーシーと僕に声を掛けた。

「ハサミでなにするの?」

と僕が聞くと、

「ほら、この間折り紙で丸と三角、切る練習したじゃん。あれの続き。」

と言いながら押入れからハサミとノリと折り紙とコピー用紙を出してきた。折り紙の裏に〇や△がかいてあり、それを切ってコピー用紙にペタペタ貼る、そんな制作だ。

「チョキチョキするから、やりたい人はおかたづけしてテーブルにきて―」

と言うとやりたいと思う子は持っていたブロックや、本、パズルや粘土を片付けて席についた。本を読みたい子、ブロックで遊びたい子、ままごとをしたい子はその場に残ったが、その子たちはそれがしたいと思って残ったのでその場である程度集中して遊ぶ。いまいち集中していなかった子どもたちが新しい遊びに集まってくる。そうすると部屋の中が落ち着きを取り戻す。

 僕も『隠し玉』を探して「百金」に行き、(いいもんあった!)と思って大きめのビーズを調達し、ひも通しにでも使おうと思って、リーちゃんルーシーに見せたら即座に

「こんなにおいしそうに見えるもの、食べるでしょ!」

と即座に却下された。大きさがちょうど飴玉ぐらいで色もパステルっぽく、イチゴ、ブドウ、メロン、レモン、ハッカまである。二歳児のおもちゃについては誤飲のことは考えなくてはならないが忘れていた。ちなみに自腹を切る保育士さんは多く、「百金」はその保育士さんへの貢献が計り知れない。自腹なんぞ邪道ではありますが子どもが喜んでくれるかなと思うとついついやってしまう。

 

 簡単なぬりえや、のりペタペタ、などの制作のほかには園内散歩と称して他のクラスやホール、図書コーナーを回ることもある。

先日の雨の日、子どものものの取り合いがあったり、物を出しっぱなしでコーナーを移動したりする子が多くなり、なんとなく僕たちの「それ、あぶないよ」とか「あれれ、おもちゃ、ふまないで」などの声がけが増えてきたのでルーシーが

「さんぽにいくか!」

と言って

「さんぽにいきたいひとはおかたづけしていりぐちにきてー。」

と募集を掛けると多くの子どもたちが集まってきた。太郎と幸夫と義樹はミニカー遊びに夢中。達彦はパズルに熱心に取り組んでいた。

「おとなりのひととおててつないで。」

ルーシーがそう言うと子どもたちは、周りを見ながら手をつなぎ1列に並んだ。何度か園内散歩をしているのですぐに1列に並べたが最初はうまくはいかなかった。

 

 最初に園内散歩に行ったときはリーちゃんが声を掛けた。

「となりのひととおててつないでー。」

その時は園外への散歩のときのように二人ずつ手をつないでいた。

「えーッと、一列になってほしいんだけど、どうするかな。」

リーちゃんが僕のほうを向いて言った。何か意図があるようだった。僕は子どもたちの列の並びの横に立った。

「みんな、たまだくんのほうを見て。」

子どもたちは僕のほうを見た。見ただけだ。横を向いたとたん横一列、にはならない。むしろ手をつないだまま横を向いたのでつないでいる手がねじれたりして何にもならなかった。

「だめか。」

とつぶやいてリーちゃんのほうを向くと、今度はリーちゃんが

「みんな、いっかいてをはなして。」

リーちゃんがそう言うと子どもたちはばらばらと手を離し始めた。誰かが

「てはなして。」

と相手のお友だちに教えている子もいた。あらかた手を離したのを見てリーちゃんは

「ひーちゃんのうしろにちかちゃんならんで。」

瞳の後ろに知香がついた。

「ちかちゃんのうしろにたけちゃん。」

武士はリーちゃんを見ながら少し自信なさげに知香の後ろについた。薫は言われる前に武士の後ろにつき、友子、波も言われる前についた。そのあとは次々と友だちの真似をして後ろに並び、一列になった。そして、リーちゃんが列の横に立って

「みんなこっちをむいてー。」

と声を掛け、みんながリーちゃんのほうを向いた後

「おとなりのひとと、てをつないで。」

と言うと、子どもたちは隣の友だちと手をつなぎ、リーちゃんは(これでよしっ!)とばかりにうなずいた。言葉だけではなく、一つ一つの工程も丁寧に伝えることは時には必要だ。

 

 最初はうまく並べなくても、何度かすると子どもたちも慣れてくる。前後の友だちと手をつないで、きれいに1列になった子どもたちに

「みんなー、おっけー?」

とルーシーが声を掛けると

「いいよー」

と2,3人が口々に言った。

「じゃーしゅっぱーつ、でんでらりゅうば でてくるばってん でんでられんけん でーてこんけん こんこられんけん こられられんけん こーんこん」

長崎県のわらべ歌を歌いながら歩き始めた。最初にリーちゃんが子どもたちに一列になってもらったのは手つなぎ遊びをするためだった。

「じゃー、リーちゃん、行ってきます。」

「みんなー、いってらっしゃーい。」

と留守番部隊の様子を見ていたリーちゃんに声を掛け、僕は最後尾からついて行った。歌はテレビでもやっていたので子どもたちもよく知っており、みんなで歌いながらうねうねとうねりながら進んでいく。長崎のお祭りで大きな竜が出てくるがそれを考えるとぴったりの歌だと思える。うねうねとした竜のいつものコースは廊下を通ってホールにおいてあるピアノの前で歌を歌ったり、リズム遊びなどをする。更に3,4,5歳児室の前の廊下を通って玄関わきの図書コーナーで絵本を2,3冊読んで、テラスに出る。テラスで雨の時は「あめあめふれふれ」と『あめふり』を歌い、『てるてるぼうずてるぼうず』とお題目を唱えて明日からの良い天気をお願いする。歩くときの歌はほかに『さんぽ』やわらべうたの「かりかりわたれ ちいさなかりはさきに おおきなかりはあとに なかよくわたれ」などを歌う。戻ってくると気分転換になるのか、遊びも新鮮になるのか、また子どもたちそれぞれの遊びにふけることになる。たまに留守番部隊が「こんどはぼくが、わたしたちが」となるので第2弾が出発するときもある。

 

 ままごとコーナーの掃除は「ぴんきり」がある。ままごとコーナーには流し、食器棚、冷蔵庫、丸テーブル、ソファ、ぬいぐるみの入った箱、布や布団の入った箱、などがある。それらを全部動かして掃除機をかけるのが「ピン」すなわち最上級。それから動かすものの数によりランクが変わり何も動かさず掃除機をかけられるところだけかけるのが「キリ」、すなわち最下級である。ちなみにロボット掃除機はこのレベル。時間的に押していれば「キリ」になるし余裕があれば「ピン」に近づく。掃除係が回ってくるのはシフトによるので3週間に一度、1週間は掃除係だ。だから少なくとも1回は「ピン」でやることにはしている。今日は時間がなくはないので動かしやすい箱とソファを動かしてキッチンはそのままで掃除機をかけよう。

 あれっ、手裏剣。ルーシーが「落とさないでね」って言ってたんだけどな。

 

 午前中、お集まりが終わった後、テーブルに座っている子どもたちにリーちゃんが新聞紙をぐしゃっと丸めてガムテープで止めたものを見せて

「今日は新聞紙を丸めてボールを作ってみようね。これなんだけど。そのあとに投げて遊ぼうね。」

と声を掛けた。子どもたちは新聞紙をじっと見ている子もいれば隣の友だちとニコッと笑い合っている子どももいる。ルーシーと僕が手分けをして新聞紙を1ページ分、配った。

「じゃ、リーちゃんがやってみるから見ててね。」

と言うとリーちゃんは新聞紙1枚をぐしゃぐしゃっと丸めた。

「こうやってまるめてぎゅっぎゅっとおにぎりにぎるみたいにしてね。そしたら、あっ、タケちゃん、まだちょっとみてて、ひーちゃんもね。」

武士と瞳ががフライングをしてぐしゃっと丸めたところだった。

「いい、たけちゃん、ひーちゃんみててね。そしたらガムテープで1かいまいてそのあと2かいめもまく。」

リーちゃんの横にあるブロックがしまっている棚に貼り付けておいた10センチほどのガムテープを丸めた新聞紙に貼りながら言った。

「まるめおわったらルーシーかたまだくんにいえばガムテープくれるからね。じゃ、まるめてください。」

子どもたちが一斉に丸め始めた。ぐしゃっとするのは得意だが、それを丸めるとなると手の小さい2歳児は苦労をする。おにぎりなんか握ったことはないだろうけれど、2歳児なりに丸めようとしている。

「ガムテープ、くださいっ!」

「ひーちゃんも。」

早速、武士と瞳が声をあげた。武士のは所どころ角が立っている。瞳は製作が得意なだけあって、見事な出来栄え。

「たけちゃん、ここのところもぎゅっとして。」

僕はガムテープをちぎりながら言った。瞳にはルーシーがガムテープをあげた。

瞳はこれも器用にガムテープを十字にクロスするように2枚巻いた。

「じょうずにできたね。」

ルーシーが感心したように言った。

「いそがなくてもいいから、ぎゅっぎゅって、なんかいもやっていくうちにボールになるからね。」

とリーちゃん。

「できたらいってね。」

といいながら僕は子どもたちが丸める様子を見ていた。瞳は何とかガムテープを貼ることができたが武士は新聞紙のそこら中にくっついてしまい、うまく貼れず、でもそのままくしゃくしゃっと丸めて「ドヤ顔」で隣の隆二のボールを覗きこんだ。僕が隣にいるのに隆二も元気よく

「ガムテープください!」

「あいよっ!」

と言いながらガムテープをちぎって

「はいどうぞ」

と言ってあげると

隆二は

「ありがと」

と言って左手で受け取った先からガムテープに手に絡ませ、ボールを置いて右手で取ろうとしたが今度は右手に引っ付き、訳が分からんことになっていた。見かねて僕が

「りゅうちゃん、とってあげるから。」

と言ってガムテープを取ってあげたが、

取った瞬間

「いたっ」

と言って手を引っ込めた。取れたガムテープを持ちながら

「ごめんごめん、いたかった?」

と聞くと隆二は右手を左手で押さえて頷いた。

「ちょっと子どもたちでガムテープを貼るのは厳しいかも。」

とリーちゃん、ルーシーに言うと、ルーシーも同じような状況で

「そうだね、みんな、ルーシーと、たまだくんがはってくれるからね、ちょっとまっててね。」

とリーちゃんがすぐに子どもたちに言ってくれた。とりあえず隆二のボールを巻くと隣に座っていた知香やその向かいの義樹が

「ちかちゃんもー」

「よしくんもー」

と次々に声をあげた。

「はい、はい。」

と言いながら巻いている最中にも同じテーブルの友子が

「ともちゃん、じぶんでするー。」

と言ったので

「テープ、ともちゃんのまえにはっておくから。」

と言いながらテープをテーブルの端に貼った。手渡しだとさっきの隆二みたいに手とテープが絡んでしまうかもしれなかった。

「やっちゃんもじぶんでする?」

と聞くと康江は

「うううん」

と首を振ってボールを差し出した。

「はるの?」

と聞くと

「うん」

というので

「はってください!って、いってくれるとうれしいなあ。」

と僕が言うと

「はってください!」

と康江が声を張り気味に言った。ガムテープを貼って康江に渡すと

「ありがと!」

とまたまた声を張り気味に言った。

廊下側のテーブルから真ん中のテーブルに移ると幸夫がボールを丸めて待っていた。

「おまたせ、ゆきちゃん、じぶんではる?」

と聞くと幸夫は少し考えて

「うん」

と言ったので

「がんばってね」

と言って友子の時と同じようにテーブルにテープを貼った。

「わたるくんはどうするの?」

と聞くと隣の瞳のボールを見ながら悩んでいるようだった。すると瞳が

「する?」

と渡に言うと渡はちょっと考えて

「わたるくんがする。」

と答えた。

「ひーちゃんもありがと。わたるくんがわかんなかったらおしえてあげてね。」

と言ってガムテープをテーブルに貼り付けた。

 ほかの子どもたちはリーちゃんとルーシーが手分けして手伝っていた。

「みんなできたー?」

リーちゃんが前の席に戻って聞くと

「できたー」

と麦や武士の声が返ってきた。

「それじゃ、つくったボールをなげてあそぶからね。いまからたまだくんとルーシーにじゅんびしてもらうあいだ、ちょこっとかみしばいをよむから、えほんコーナーにきて。」

リーちゃんが声を掛けると子どもたちは椅子から立ち上がり、ぞろぞろ絵本コーナーに向かおうとした。何人かの子どもがボールをテーブルのうえに置きっぱなしにして行こうとしたのでルーシーが

「ボールもっていってね。」

と声を掛けてあげた。

 僕とルーシーはまず部屋の中央にあるブロックや、パズル、粘土なんかが入っている棚をロッカー側に寄せ、テーブルを畳んで押入れの前におき、椅子18脚を3脚ずつ重ねてままごとコーナーに置いた。そして壁に1メーター四方の段ボールに同心円を3つ描いた「マト」を、あじさいの花が枝に貼られた「リーちゃんの木」の両側に1つずつ、ガムテープで貼り付けた。更に「マト」から3メートルぐらい離れた床に赤いカラーテープをちょっと長めに貼った。準備を終えて子どもたちのほうを見るとちょうどリーちゃんが「ないたあかおに」の紙芝居を読み終えたところだった。

リーちゃんが紙芝居をしまいながら

「みんなみてー。タマダくんとルーシーがつけてくれたダンボールあるでしょ。あれにボールをあてるからね。」

子どもたちは壁にある「マト」を興味津々で見ている。

「全員で投げるとちょっと多いかな。」

リーちゃんが「マト」の前あたりにいる僕とルーシーに聞いた。

「そうね、半分ずつ投げる?」

ルーシーがそう返答した。

「じゃー、名前呼んだ子からにするね。」

リーちゃんがそう返して、集まっている子どもたちの後ろから、つまり「マト」側にいる子どもから名前を呼んだ。

「じゅんばんこでなげるから、なまえをよばれたおともだちはルーシーのところにいってならんでね。ちほちゃん、かおちゃん、たろちゃん、あさちゃん、たっちゃん、なみちゃん、あきちゃん、むーちゃん。あとのおともだちはまっててね。」

 名前を呼ばれたお友だちはぞろぞろとルーシーのところに言った。

「そこにあかいテープはってるでしょ。みんな、そこにならんで。」

とルーシーが言うと子どもたちは下を見ながら上手に一列に並んだ。

「それじゃ、まとにむかってみんなー、なげてー!」

ルーシーがそう言うとみんな一斉に投げた。バタバタ―と音がして「マト」に当たったものもあれば「マト」を外したものもあった。

「じゃー、じぶんのなげたボールひろってー。」

とルーシーが声を掛けると子どもたちは、自分のはどれだろうという感じで拾っていた。(あー名前を書いておけばよかったかな)と子どもたちの様子を見て思ったが、子どもたちは何となく自分のものと思えるものを拾っていた。それが正確かどうかはわからないが。

「いまなげたおともだちはロッカーのほうにすこしさがってて。」

ルーシーが言ったことをわかっていない子もいるようだった。

「こっちだよ。」

僕はロッカーの前に立って子どもたちを呼んだ。子どもたちも何となく理解してロッカー側に下がってきた。

「じゃー、のこりのおともだち、たってください。」

子どもたちの中にいきなり立つ子どもがいた。隆二と武士だ。完全に一番を狙っている。

「りゅうちゃん、たけちゃん、はしらなくていいからね。わかった?」

二人は見透かされていることに動揺したのか眼が泳いでいる。

「じゃ、きてください。」

すぐにルーシーが声を掛けたので、隆二も武士もスタートが遅れ、前にほかのお友だちがいたので走ることはできなかった。

「あかいてーぷにならんでね。いいー?はい、どうぞ。」

第二組も一斉に投げて、投げたボールを取りに行った。

「はーい、みんななげたね。さっきなげたおともだち、またまえにきて。こうたいねー。」

ルーシーが前で声を掛けた。リーちゃんが僕に近づき少し目配せをした。僕は子どもたちに気づかれないように部屋をそっとでた。

 室内から見て、入り口の右側が絵本コーナーで廊下側の壁は畳一枚ほどの窓になっている。僕はこっそりとその隅から中を窺っていた。子どもたちが何回かボールを投げ終わったあたりで、リーちゃんがこちらを向いて少し頷いた。僕は窓の前で首を自分の手で押さえ、苦しんでいるふりをしたり、後ろにひっくり返ったり、後ろに下がりながら誰かに引っ張られているような演技をした。

「たいへん、まどをみて!たまだくんがだれかにやられている!」

リーちゃんの声が聞こえた。僕は迫真の演技を繰り返した。部屋の中では「ぎゃー!」と大騒ぎになっている。皆、リーちゃんとルーシーに寄って泣き叫んでいた。僕は、あらら、やりすぎか、と思いつつ「さらわれた」先の図書コーナーに向かった。

 

 以下はあとでリーちゃんとルーシーに聞いた話。

大泣きは、友子、武士、麦。普段、声が大きくて元気な子が泣いているところでも目立っていた。他の子どもも泣いていたり、不安な表情を見せていた中、瞳、太郎、幸夫はほとんど動揺していなかった。

リーちゃんが

「このままじゃ,だめだ―。たまだくんをたすけにいこう!」

と言っても友子と武士は大声で

「いやー!こわいー!」

麦はルーシーが

「このままじゃ、たまだくん、たべられるかもしれない!」

と言うと

「たべちゃだめー!」

と泣きながら叫んだ。(あとでルーシーには「よかったね、たべていいと言われなくて。」と言われた。)

「ほかのみんなーどうするー?」

とルーシーが聞くと、怖がらない突撃3人組が

「いくー!」

と行く気満々でもはや扉を開けようとしていた。リーちゃんが

「ちょっと、まってて。そうだ、いま、みんなでつくったボールをもっていったらだいじょうぶかも。たまだくんをたすけられるんじゃない?ボールをもって、たまだくんをたすけにいこうー!」

瞳、太郎、幸夫の3人は「おー」と言い、ボールを持ってすでに扉の前にスタンバっている。他の子どもたちは全く乗り気ではないがリーちゃんルーシーも一緒だし、たまだも心配だし、怖いけれど行くか、と言う感じでノロノロと扉の前に来た。問題は友子、武士、麦だった。普段の勢いは君たちいったいどこに行ったの、と言うぐらいの号泣で

「いやだー!いきたくないー!」

と口々に3人さん。

「じゃー。おるすばんしてる?」

ルーシーがそう尋ねると

「いやだー、おおかみがとんとんとんとくるー。」

と武士。(子ヤギの話か、子ぶたの話かよく覚えていたなと感心したとルーシー。)

「ルーシーとリーちゃんがまもってあげるからいこっ!」

とルーシーが言うと友子がまず

「いぐー」

と泣きながら言い

「たけちゃん、むーちゃんはいける?」

と問うと、友子が行くならしょうがないという感じで二人とも泣きながら

「いぐー」

と言った。

「3にんとも、なくのがまんできる?ないてると、たまだくん、しんぱいするよ。だいじょうぶ?」

とルーシーが聞くと

友子が

「わかったー。」

としゃくりあげながら言い、麦もこっくり頷いて、泣くのを我慢し始めた。

「たけちゃんは?」

とまだぐずぐず泣いている武士にルーシーが聞くと、武士はなぜかほっぺを膨らませて我慢し始めた。(それはとてもかわいかったとリーちゃんが言っていた。)3人が一応、泣きやんだのを見てリーちゃんが

「それじゃやーいくぞー。」

とみんなのほうを見てこぶしをあげたが

「おー!」

と元気よく答えたのは突撃3人組だけだったらしい。

それから図書コーナーに行くまでの道中が大変だったみたいで、突撃三人組は早く、早くと先行して行こうとするのに、ほかの子どもたちはほとんどがリーちゃんとルーシーにまとわりつきエプロンの裾やらズボンの裾をつかもうとする。麦に至ってはルーシーの足にしがみついて、ルーシーがずるずると引きずって行った。更に号泣3人組は泣きやんだものの、口々に「こわい―」と叫びつづけ、ルーシーとリーちゃんが「だいじょうぶ、だいじょうぶ。」と言い続けていた。2歳児クラスからホールを通って3、4,5歳児クラスの前の廊下を通って玄関わきの図書コーナーまで行くのだが途中、3、4,5歳児クラスから3歳児担任のめぇぇーちゃん(苗字が「八木(やぎ)」なので「めぇぇーちゃん」)が顔を出し

「どうしたの?」

と声を掛けてくれた。ルーシーがみんなに

「これからたまだくんをたすけにいくんだよね。」

と同意を求めると、ほかの子どもたちは不安げにうなずく中、武士は

「いぐー!」

と半泣きで言った。めぇぇーちゃんは笑いながら

「がんばってね!」

と応援してくれた。

 なんとかかんとか、押しくらまんじゅう状態で図書コーナーに子どもたちがやってきた。

 

 昨日の昼休みに明日は雨模様だからお部屋で何して遊ぶかの相談をしている時、その日の園庭での出来事が話題になった。砂場で義樹が砂を投げて遊んでいた。本人はたぶん気づかなかったかもしれないが近くに1歳児も砂遊びをしていたのでリーちゃんが

「おともだちがいるからすなはなげないで。」

と注意をしたが、そのあとまた投げていた。そこでリーちゃんは

「これだったらなげていいから、すなはなげないで。」

と言ってドッジボールをあげた。しかし当然と言えば当然だがドッジボールを投げることはできず、かといって適当な大きさのボールもなくその場は結局義樹がサッカーをやりだして終わった。

「この間の散歩のときは、タケちゃんが石を投げてたね。」

砂利道を通っていたときに武士が落ちていた石を拾って下手でぽいと投げたことを僕は思い出した。先に車が止まっており危うく当たるところだった。この時もすぐにルーシーが

「いしはなげないで。」

と声を掛け、武士もやっちまった的な顔つきで神妙にしていたがルーシー曰く

「どこまでわかっているのやら。」

「物を投げたいのは投げたいんだよね。」

リーちゃん。

「ボールでも投げる?投げていいもののイメージができればこれはいいけどこれはだめってわかりやすくない?」

ルーシー。

「こっちも話しやすいしね、投げるのはボールにしてくださいって。」

リーちゃん。

「2歳児が投げられるボールはないでしょ。」

僕。

「作る?」

リーちゃん。

「どうやって?」

僕。

「紙、丸めて。」

リーちゃん。

「そっか、制作で新聞紙丸めてボールつくって投げて遊ぶ。」

ルーシー。

「マトでも作る?」

僕。

「マトだけだとすぐ飽きるかな。」

リーちゃん。

「鬼退治でもする。」

僕。

「そうね、たまだくん救出作戦でいく?たまだくんが連れ去られることにして、図書コーナーまで救出しに行く。」

リーちゃん。劇団女優にして舞台監督。

「あー、おばけかなんかの格好でもする?鬼でもいいけど。」

僕。

「あのさ、前々から思ってるんだけど、おばけとかさ、妖怪とか、鬼とかさ、簡単に悪者のくくりになっちゃうけど、そこまで悪くないじゃん。オバケのQ太郎とか、ゲゲゲの鬼太郎とか、泣いた赤鬼とかいいもんだし、やまんばですら腹すかしてるんだろうな、って同情しちゃうんだよね。」

とルーシー。

「たしかにねー。人間がいつも正しいかっていうとそういうわけでもないもんね。動物なんかからしたら、人間こそ恐ろしい相手だよね。」

リーちゃん。

「確かに。じゃ、誰にさらわれたことにする?誰もが認める悪者と言えば悪代官とか越後屋とか。」

「そんなの子どもたちがわかるわけないじゃん。」

良かった、リーちゃんが反応してくれて。

「イジワルしたけど本当は仲良くなりたかった、っていう筋書でいく?」

リーちゃんの提案。

「そうね、けんかする相手がいないと助けに行くっていうことにもならないしその気も薄れる。それにけんかをして、仲直りするっていうのが子どもたちにはしっくりくるね。」

ルーシーが提案を受け入れた。

「終わったときに勇者の証みたいなものをあげる?」

今度はルーシーの提案。

「いいね。なにかある。」

僕、同意。

「折り紙?」

リーちゃん。

なにが言い、かにがいいと話し合い、手裏剣にすることにした。この際、武器の贈与はいかがなものかと野暮なことは言わない。子どもたちはたぶん、喜ぶ。

 そうと決まれば、準備をスタート。この手のものを作ることにかけては保育士さんは仕事が早い。マトと手裏剣を瞬く間に準備し、リーちゃんが倉庫からお手頃の白いシーツを持ってきて

「たまだくん、ちょっとかぶって。」

と言われたので頭からかぶると

「目の位置、しるしをつけるからね。」

と言われ、棒状のもので片目ずつ、つつかれた。どうやらマジックだったらしい。シーツを脱ぐと、リーちゃんがハサミで目の部分をくりぬいてくれた。これで準備は万端。マトあての準備をしている時に「泣いた赤鬼」の紙芝居を読んで、相手をことさら悪く思わないようなお話もしておくことにした。

たまださらわれる。子どもたち、図書コーナーに助けに行く。シーツをかぶったたまだ、子どもたちを威嚇する。子どもたち、紙のボールで応戦。頃合いを見て「ともだちになりたかったんです。ごめんなさい。」ソファの陰でシーツを脱いでたまだ現れる。みんなに「ありがとう、お礼に勇者のしるしをあげる。」と言い、勇者のしるしを配っておしまい。というシナリオが出来上がった。

 

 僕は白いシーツをかぶって子どもたちを待っていた。子どもたちが大騒ぎでやってきた。僕は「ガオー」と言ってシーツの中から両手をあげた。体が大きく見えてビビるはずだと思ったが、子どもたちはそこまでビビっているようには見えなかった。事前の子どもたちの想像がすごすぎて、実際のおばけはしょぼすぎたようだ。リーちゃんが

「さーみんな、おばけさんにボールを投げてタマダくんを助けるのよ!」

一応、おばけにも敬意を表して「さん」づけ。待ってましたとばかりに突撃3人組がボールを投げ、ほかの子どもたちもリーちゃんやルーシーから離れ、ボールを投げつけた。友子も麦も武士も正体が「しょぼい」とわかった時点でケロッとして普段の姿に戻り、ボールを投げつけた。突撃3人組は投げたボールを取りに行き、ちょっと戻って投げつけまた投げてと繰り返し、他の子どももそれに習い始めたので、そろそろ潮時かもと思い、

「ごめんなさい、みんなとともだちになりたかったんだよー。」

と座り込んだ。

「みんな―、ストップ―。おばけさんもあやまっているからゆるしてあげようね。」

とリーちゃんが言うと、皆、素直に

「はーい。」

と言った。僕は図書コーナーの真ん中にあるソファの陰に隠れるようにして素早くシーツを取り

「みんな、ありがとう。」

と言って出ていった。リーちゃんが

「たまだくん、だいじょうぶ?」

と聞いたので

「だいじょうぶ。みんなのおかげでたすかりました。おばけさんもともだちがほしかったみたいです。おれいにおばけのおかあさんからゆうしゃのしるしのしゅりけんをわたしてもらいます。」

と言って、何事かと思って隣の事務室から出てきて様子をみていたモコさんに

「子どもたちに渡してあげてください。」

と手裏剣の入った箱を渡しながら、小声で言うと、モコさんは

「わたし?メイクもしてないのにこのまま、おばけのおかあさん?」

と不満そうな顔をしたが、僕は二、三度頷いてそのまま箱を渡した。僕がそのまま渡すよりはモコさんが渡したほうがただの手裏剣が特別な感じがしていいような気がした。モコさんはうまく話を合わせてくれた。

「おばけのおかあさんです。おばけさんとなかよくしてね。」

と言いながら、ひとりずつ手裏剣を渡してくれた。

「みんな、よかったねー。じゃーおへやかえろうか。ては、つなげないね。じゃ、そのままゆっくりかえろうね。」

片手にボール、片手に手裏剣を持っている子どもたちの様子を見てリーちゃんがそう言うと、

「そうだね、みんな、しゅりけんはおっことさないでねー。」

とルーシーが言った。モコさんは箱を僕に返しながら

「貸しとくから。ゴディバかな。」

と言って右手の甲で僕の左胸を軽くたたきながら言い、事務室に入っていった。ソファの陰に落ちているシーツを拾い、(ゴディバは高すぎでしょう。)と思いながら子どもたちのあとを追った。

 お部屋に帰ると麦が僕のところに来て

「たまだくん、たべられなかった?」

と聞いたので、

「こゆびをすこし。」

と言いながら右の小指の第二関節をまげて、右手の甲を見せた。

「えー、いたくなかった?」

と心配そうに聞かれたので

「ちょっとね。でも大丈夫。」

と言って僕は右手の甲に左手を重ね、

ちちんぷいぷい、もとどおりになーれ!」

と言った後、左手を右手から外すと、あれ不思議、右の小指は元通り!

「えっ、なおったの?」

と右手をしげしげと見ながら麦。

「なおったよ。だからだいじょうぶ。しんぱいしてくれてありがと。」

と言うと

「ふーん」

と言った感じでその時はあまり反応はなかった。

 いつもは麦はバアバのおむかえなのだが、今日は早めにママがお迎えだった。ママが部屋に入ってくるなり麦が何か興奮してママにお話をしていた。帰るときにママが僕に

「たまだくん、今日、おばけに指、食べられたんだって?むーちゃんがコーフンして言ってたよ。」

と言われた。結構雑なシナリオだったけど子どもたちの想像力はそれをはるかにしのぎ、子どもの頭の中で現実味がてんこ盛りになっていたようだった。

 

 後日、園で野球のボールぐらいのビニールのボールを買ってもらい、ホールでボール投げをしたりして遊んだ。武士をはじめとして子どもたちが石を投げたりすることはなかったが、義樹が砂を投げるのは時折見られた。それはどうやら砂を投げることよりも砂が舞ってきらきらするのを見たかったのではないかというのがリーちゃんの見立てだった。

 はじめから口から火を噴きながら砂を投げまくる怪獣ヨシゴンは困ったものだと決めつけていた。実際はきらきらと空に舞う小さな粒をいとおしそうに眺める義樹王子だった。先入観で何事も判断してはいかんということを教えてもらった。子どもの行動には理由があることも改めて学んだ。また、たとえヨシゴンであってもこのころの子どもにはありがちな元気な姿だし、義樹王子の大人が忘れてしまった感性も同時に兼ね備えるという子どもの多様性、可能性も教えてもらった。よしくん、諸々教えていただきありがとうございます。ちなみに迷子の手裏剣は子どもたちに聞いたところ、ちゃんと持ち主に戻りました。名誉のために名前は申し上げられませんが。以上。

 

 

 

 

 

 

2歳児の保育「三つ子の魂デシデシドン6」

6,いってらっシャインマスカット、おかえりなさい銭箱

7月中頃

 保育園は概ね7時半から8時半ころ、登園のピークを迎える。うちの園では7時開園だが、近隣の保育園の中には7時15分開園の所もある。子どもが一定数を超えるまでは0,1歳児室で合同保育をしている。2歳以上の子どもたちには遊ぶものは十分とは言えず、絵本とブロック、塗り絵で我慢してもらっているのが現状だ。逆に2歳以上の幼児の部屋で行うと、0,1歳児の子どもたちにとって、慣れない場所なのでそれだけ負担も大きい。遊ぶものは確かに不十分かもしれないが、普段あまり交流のない0,1歳児と触れ合う機会は貴重だ。大きい子は喜んで小さい子の面倒をみたりもしている。だいたい8時頃までには子どもに対する職員の数もそろい、それぞれの部屋に移っていく。大きい子どもたちがいなくなると一時的には部屋も閑散とした感じになるが、0,1歳児が続々と登園するのですぐににぎやかになる。

 2歳児はこの時間にはだいたい知香、瞳、幸夫、渡、康江、あき、麦、善、達彦らが登園している。まずは2歳児室に行ってママ、パパらと準備をしてから0,1歳児室にやってくる。早く登園してくる家庭は、朝はてんやわんやだろうということは容易に想像がつく。おそらくは車の中でパンやおにぎりを与えられたのだろう、口の周りにジャムやら、ご飯粒などをつけてくる子どもも少なくはない。朝は時間の制約がものすごくきついので、子ども自らが「行く」という気持ちを多少なりとも持ってもらわないとママ、パパがめいっぱい煽ることになるし、それが毎日の事なので、大人も子どもも消耗は激しい。ましてや子どもが「いきたくない」と言った日にはママ、パパも途方に暮れてしまう。僕たちも各家庭に出張して登園のお手伝いでもできればいいのだがそうもいかない。保育園はもしかしたら、ディズニーランドよりもUSJよりも楽しいところ、と思ってもらう努力をするぐらいだ。

 子どもたちとママの別れ際はそれぞれだ。幸夫、渡、善はママが

「○○ちゃん、いってくるね。」

と言うとバイバイか、ママとタッチをしてすぐに友だちの輪に入っていく。達彦はお迎えの時はママが来るとおもちゃを放り投げて、ダッシュで来るが、登園時はあっさりしている。瞳はあっさりしすぎて、逆にママのほうがいつまでも離れがたいように見える。あき、康江は「行ってらっしゃい」と素直に言うが、ママが部屋を出て行くのを見送ってから遊びに入る。寝起きのあまり芳しくない麦はママにだっこされママの胸にぐったりともたれかかって登園してくる。口元には車で食べたであろうブルーベリーやらいちごのジャムを口元につけている。以前は寝てくることもあったが、「朝ごはんはしっかり食べたほうが・・・。」と話をするとママも頑張って、今は朝ごはんはとりあえず食べているようだ。

 

「おはようございます。むーちゃん、おはよう。」

と声を掛けても無反応で、ママが

「すみません、おねがいします。」

と言いながら麦を僕の方によこした。

「かわりないですか?」

と聞くと

「ないですー。」

と言いながら

「むーちゃん、いってくるからね。」

と麦の腕をゆすりながら言うのだが、返事をしているのかしていないのかわからない状態で、でも視線はママに向けている。

「じゃ、いってきます。」

と申し訳なさそうに、僕に言って、出て行った。麦のお迎えは基本的にはジイジ、バアバなのだが、たまにママがお迎えだと、まさに狂喜乱舞し、「キャー」と言いながら部屋の中を走り回っている。やっぱりママのおお迎えは格別なんだなと思える。

 2歳児は8時までには担任が一人は出勤している。フリーのトッキーかパートの渡辺さんと一緒に0,1歳児室から自分たちの部屋に移っていく。今日はトッキーだ。部屋に入るなり、子どもたちはままごと、ブロック、絵本、パズルなどのコーナーに分かれていく。僕はロッカーの前に立ち、トッキーはテーブルのパズルコーナーに座った。

 子どもたちはひっきりなしに登園してくる。

 朝の準備は、検温して検温表に体温を書くこと、オムツや着替えの準備、汚れ物入れのかごにビニールをかけること、朝のおやつ用、給食用、午後のおやつ用と3枚のおしぼりをカウンターの上にあるそれぞれのかごに入れること、そして送迎表に登園時間とお迎え予定時間を書くことだ。できるだけママ、パパと朝の準備を一緒にするようにお願いしているので、子どもたちはママ、パパに「おむつ、いれてきて。」とか「おしぼり、おねがい。」とか頼まれ、お手伝いをした後、ママ、パパの膝の上で検温する。ママ、パパが、検温表と送迎表に数字を書いた後、バイバイして両手とか片手でタッチをした後か、ママ、パパが僕たちに「お願いします。」「行ってらっしゃい」と言い終わった後、遊びに入っていく。

部屋のドアを勢いよく開け、

「おはようー!」

と元気よく武士が入ってきた。いつも武士は部屋に入るなり遊びに入る。今日もブロックで遊んでいる善と幸夫の輪の中にすぐに入った。ママも僕たちも何度か「ママと一緒に準備だよ。」と言うのだが、友だちが気になるのかそちらの方に行ってしまう。ママはあきらめ気味にさっさと準備を終え

「たけちゃん、ママいくからね。」

と声を掛けるが

「うん」

とママのほうを見ずにブロックをいじりながら生返事。

「たけちゃん、ママにごあいさつ、しよっか。」

と声を掛けると、今度はママに猛ダッシュで近づき、片手を振り上げ全力でママにタッチし、また急いで戻って行った。ママはやれやれと言う顔をして、僕らを見て、

「おねがいします。げんきでーす。」

と言って出勤していった。

千穂は登園はいつもママにだっこされてくる。

「おはようございます!」

元気よく千穂ママが挨拶をしながら部屋に入ってきた。いつものように千穂は抱っこされている。

「おはようございます。おはよう、ちほちゃん。」

僕が両手を差し出すのと同時にママも千穂の身体を僕に近づけた。千穂は小声で

「おはよう。」

と言いながら、ママの首に回していた手を、僕の首にまわしてするりと僕の両腕に自分の身体を収めた。身軽さは子ザルのようだ。

「ちほちゃん、どうですか?」

「変わりありません、げんきでーす。」

ママはカウンターに立てかけている体温計を千穂の脇にはさみながら言った。

「ちほちゃん、ママといっしょにじゅんびをしたら。」

と言ったが、首を横に振って、さらに両手の力を強めて僕の首にしがみついた。

千穂は決して聞き分けの悪い子ではないが朝の抱っこは譲らない。おろしたとしても、「だっこ、だっこ」と言って、両手をあげてジャンプしながら僕に言う。ちょっとかわいい、いや、かなりかわいい。ついついまた抱っこをしてしまう。これはルーシー、リーちゃんの時も同じらしく三人とも意見は一致する。

「かわいいよねー。」と。ママもしょうがないわね、すみませんと言った風情で準備をすすめる。僕は千穂を抱っこし、抱っこしたときの癖で、体温計に注意しながら、少し千穂を左右に揺らして様子を見ていた。ママはバタバタとじゅんびを済ませ、体温計を千穂から取って、

「6度5分です。」

と言いながら検温表に数字を書き込み、送迎表に記入して

「じゃ、おねがいしましまーす。じゃ、ちほ、いってくるからね。」

と言いながら千穂とタッチをし、足早に出て行った。

「ちほちゃん、なにしてあそぶの?」

と聞くと、パズルのほうを指差し、そちらの方に下ろすと素直に降りて遊びに入って行った。

 子どもたちにとってママやパパと一時的に離れることは、いつまでたっても不安なことではあると思う。毎朝、まずはその不安を乗り越えて一日の生活が始まる。僕たち保育士はいくらかでもその不安を感じないように、できれば家と同等もしくはそれ以上に心地よさを感じてもらえるように努力している。

 

 子どもたちが不安に思った一番の出来事は何と言っても、入園したての時だと思う。

瞳、あき、朝美、達彦、それに義樹と武士は今年度、保育園に入園した。「子どもは適応力があるから大丈夫ですよ。」と僕たちがいくら言っても親子がはじめて離れ離れになる不安はとても大きなものだっただろう。だけれども、こうして子どもが多少なりとも保育園になじんでいる姿を保護者が見慣れてしまうと、あの時の不安など一切忘れてしまっているかもしれない。

 2歳児に限らずどのクラスも新入園児は徐々に保育時間を長くするように保護者にはお願いする。子どもたちにとって初めてママ、パパと離れ離れになるのである。大事件である。短いながらも人生初の出来事である。不安で不安で仕方ないはずである。僕たち保育園側からの提案は

1,午前のおやつまで 2,おやつを食べて給食前まで 3,給食を食べるまで 4,午睡して、おやつを食べるまで の概ね4段階を時間をかけて慣れてから次に移るというものだ。3月ごろに行う入園説明会で説明をし、4月1日、最初に保育園に当園したときに担任を交えて話し合う。主に勤務先の都合などで長く慣らし保育の時間をとれる人もいれば即、フルタイム勤務で全く取れない、という人もいる。2歳児の6人は概ね1~2週間で慣らし保育を終わった。終わったというよりは不安がありつつも仕方がないから終わらせるという感じが多い。だから慣らし保育が終わってもさほど慣れていない子どももいた。

 新入園児はいろいろな場面で泣くことも多いのだが、あきは最初は泣くこともなく、おとなしくリーちゃんやルーシーに言われるままに動き、10日を過ぎたころには達彦に「あそぼ」と言って、砂場で遊んだりなんかした。2週間目ぐらいの時に、友だちに「ままごとを片付けて」、と言われ泣いてしまったことがあった。それから少し、めそめそすることが多くなり、午前中なんだか沈んだ様子だったけど、午後は機嫌を直し、別の日は一日泣き通し、また別の日はごきげんというようなことが繰り返され、今日は、あきはどうだったかというのが昼の3人の大きな話題のひとつでもあった。6月に入ったころから機嫌がいい日が続くようになり、幸夫の頭を冗談ぽくはたいたことがあった。

「あのあきちゃんが男の子の頭をはたくなんてね。」

と言ったらリーちゃんが

「お兄ちゃんがいるから男の子には遠慮がないんじゃない。」

と言っていた。あきには小学生の兄がいた。確かに最初にあきが「あそぼッ」と声を掛けたのは達彦だった。そうとは言え、園庭では一人でベンチに座っていたり、なにをするわけでもなくうろうろしていることが多く、ルーシーが6月の中頃に

「まだ保育園に心を許していないから、遊びに心が向かわないかも。」

と言って心配をしていた。

 そんなあきの心を遊びに向かわせたのは友子だった。きっかけはあるとき、あきがパズルがしたいと目にいっぱい涙をためて僕に言った。

(いかん、あきが沈んでいる。何とかせねば。)

とあいているパズルを探したが、あいにく、皆使用中だった。そこで一番近くにいた友子に

「おわったらあきちゃんにかしてあげてね。」

と頼むと

「いいよー!」

と元気よく返事をしてくれた。

「あきちゃん、ともちゃんがかしてくれるって。となりにすわってまってて。」

と言うとあきは友子の隣に座って友子を見ていた。友子はすぐにあきに貸してくれて、パズルの指導までしてくれた。それから2人がちょくちょく遊んでいる姿をみかけるようになった。活発な友子が、いろいろな遊びにあきを誘ってくれた。友子は わが道をいく!タイプなので年がら年中、一緒にいるわけでもないが、何かの折には二人で遊んでいた。友子と、あき。タイプの違う二人が一緒にいると凹凸感があって何となく微笑ましい。ある日の給食で友子がいつものように

「おにくのおかわりください!」

と声をあげると、すかさずあきが

「おにく、ください!」

と続いた。満面の笑みだった。みたことのない笑顔。どうしたんだろう。何があったのかわからないけれど、少しは僕たちや、他の友だちに心を許してくれたのかなと思った瞬間だった。

 

 慣らし保育自体に一番時間がかかったのが朝美だった。まず初日、パパと来たのだが、号泣してパパから離れず、パパも僕たちに遠慮して「今日は連れて帰ります。」ということで帰った。次の日はママときて、ママも一大決心をしたのであろう、号泣する朝美をリーちゃんに託していった。もちろん2時間後には迎えに来るのだが、その間泣き通しで、リーちゃんが抱っこしたり、遊びに誘ったりしていた。そういうことが2,3日続き、まだ慣れていないが、ママ、パパの仕事の関係もあり、次のステップへ、さらには次へといかざるを得なかった。こまごまと気を使っていたリーちゃんには唯一慣れ、離れることはなかった。家で使っているアンパンマンの人形を心のよりどころに何とか過ごしているような感じであった。リーちゃんがままごととか砂場遊びとかに誘うのだけれど、ボーッと何か考え事をしている風で今一つ遊べず、食欲もあまりなく、午睡時には僕たちが仕事をしているわきに布団を敷いてリーちゃんがとんとんしていたが寝ることはなかった。2歳児がこの時期に午睡をしないということはよほどのことなので、3人でかなり心配はした。このことをモコさんに相談すると

「多少は時間はかかるけど、今まで慣れなかった子はいなかったかな。子どもは大人よりは順応性は高いよ。保育士の気持ちがその子に向かっていればいずれは慣れるよ。要はここよここ。」

と言ってモコさんは握りこぶしを右手で作って自分の胸の中央をドンと叩いた。

 フルタイムの保育になって2日目、入園から2週間ちょいのところで午睡時に朝美をとんとんしようと朝美の布団の横に座った。とんとんするときは1対1だ。交流を深める一つの手段になる。

「あさちゃん、とんとんしていい?」

「ママがいい。ママは?」

と言うので、

「ママはおしごとに行ってるよ。だからたまだくんでがまんしてね。」

と言うと何も言わず横になっていた。少し肩が震えているような気もした。僕は座ってとんとんしながら、こっくりこっくりして、いかんいかん、とぐるりと周りの子どもの様子を見まわして、またとんとんしながらこっくりこっくり、いかんいかん、ぐるりぐるりを何度かした後、朝美を見ると寝息を立てて寝入っていた。

 次の日、午睡時に、また朝美をとんとんしようと布団に近づいていくと朝美のほうから

「たまだくん、とんとん。」

と,呼んでくれた。

「たまだくんでいい?」

半ば強引にとんとんするつもりで近寄ったのに、少し照れ臭くなり、遠慮して聞いてみた。朝美は天井をまっすぐ見て、こちらを見ずに

「たまだくん、とんとん。」

ともう一度言った。僕はあおむけに寝ている朝美のおなかあたりをとんとんしていたのだが、昨日と同様、こっくりこっくりしてしまい手の動きが止まってしまった。すると朝美が天井を見たまま、「何寝てるの!」と言わんばかりに、おなかを上にうごかした。

「あーごめんごめん。」

と僕はまたとんとんをはじめ、またこっくりこっくり、おなかが動いて

「ごめんごめん」

と二度繰り返し、いつの間にか朝美は寝入った。

子どもがおっさんをいきなり受け入れてくれるのは、ひとえに子どもの心の広さなのだが、おっさんはおっさんでそういう子どもに対する信頼はある。こちらから善意を持って近づけば、いやいや、そこまで行かずとも悪意がなければ、いやいや、悪意があったとしても、子どもはまずは受け入れる。そして悪意を溶かしていく。昔から子どもは、げに恐ろしき妖怪、怪獣、魑魅魍魎と仲良くしてきた歴史がある。おっさんの一人や二人ぐらいなんていうことはない。子どもはそもそも寛容で多様性を受け入れる。大人はそんな子どもにつけこむようなことは決してしてはならないことは言うまでもない。

朝美はその時点ではまだまだ保育園に慣れたとは言えなかったが、光は見えた気がした。

 

 瞳は慣らし保育の期間中から、登園時にママと離れるときも泣きもせず、ママが拍子抜けするほどあっさりとバイバイをし、逆にママのほうから瞳に両手の手のひらをこちらに向けてタッチを求めるほどだった。しかしママが行った後、瞳は僕たちから離れなかった。早朝の受け入れは0,1歳児クラスで行う。入園してから慣らし保育が終わり、あまり日にちも立っていない時、僕は早朝のシフトだった。瞳はクラスで一番に当園した。ママが

「ひーちゃん、それじゃあね、ばいばい。」

というと、瞳はあまり表情を変えずにバイバイをした。

「ひーちゃん、おもちゃであそんでいいからね。」

と言ったが、瞳はその場で立ったままだった。次々に子どもたちが登園するので僕はその対応に当たっていた。ふと瞳を見ると、まだおもちゃのある所には行かずさっきよりも僕に近づき、立っていた。それから徐々に距離を詰め、黙って僕の左手の親指を握った。僕は急に親指を握られたので少し驚いて、瞳を見ると瞳はじっと前を見ていた。その後、幸夫、渡、康江、あき、善たち2歳児クラスのお友だちが次々に登園し、漸く指を離しておもちゃで遊ぶようになった。次の日はママが部屋を出て行くとすぐに僕に近づき、いきなり両手を広げた。

「だっこ?」

と聞くと

「うん」

と言いうので抱っこをしてあげた。このほかに園庭に出たときに3,4,5歳児のおねえさん、おにいさんがいるとやはり僕にするすると近づいてきてそっと指を握った。思うにあまり人と会うこともなくママと二人で過ごしていたので人見知りだったんだろうなと思う。受け入れ時や園庭で知らない大きな子どもがいると、とりあえず大きな子どもより、さらに大きい大人に頼ったのだろう。

 

 武士、達彦、義樹は1日目、ママと離れるときに、不安そうにママを見て、少し涙ぐんだけど、リーちゃんやルーシーがやさしい言葉をかけて遊びに誘うと割とすんなり遊びに入った。武士は一番、慣れるのが早かったと思うが、午睡前に「ねたくない」と言ってぐずっていた。寝たことがなかったのだろう。達彦は急に何かを思い出したように泣き、義樹も土管で一人で泣いていたりした。達彦と義樹は月齢が低いこともあり、言葉が余り出ていなかったので泣くしか手段がなかったのかもしれない。そこまで回数が多かったわけではなかったが、そんな切ない姿を見ると、何とか笑わしてやろうと、変顔をしたり、「にゅーめんそうめんひやそうめん・・・こちょこちょこちょ」やら「あがりめ、さがりめ」などのわらべ歌を歌うのだが、全く効果はなく、だっこをしたり、ただただ手をつないであげるくらいしかできなかった。そんな二人ではあったけれど10日もすれば友だちと遊べるようになり、やれやれという感じではあった。

 

 いくら友だちがいて、保育士がいて、楽しく過ごしたとしても、ママやパパがお迎えに来ることは子どもたちにとって一日の大きな楽しみだ。達彦はママの姿が見えると、何もかも放り出して、ダッシュしてママのところに行く。麦は狂喜乱舞だ。二人のように誰彼、はばかることなく、体じゅうで喜びを爆発させる子どもがいる一方で、うれしいくせに素直に表現できない子どももいる。

 

 義樹はママがおうちで仕事をしているので早めの17時ころにお迎えが来る。園庭で遊んでいる時、ママたちが2歳児室の前のテラスに出てくると、子どものそばにいる保育士が子どもたちにお迎えが来たことを報せる。たいていの子どもはそれを聞くとおかたづけをして、走ってママのところに行くのだが義樹は決まって知らんぷりを決め込む。

「よっちゃん、おむかえだよ。おむかえがきたら、どうするんだっけ?」

等と説得を試みるがそれに応じず、砂遊びやら虫探しやらを継続している。そのうちママが園のサンダルをつっかけて、義樹に近寄ってくる。実は義樹はこれを待っている。僕は最初の頃は結構むきになって、説得していた。ある時、昼に

「よっちゃん、なかなか、帰らないね。」

とリーちゃん、ルーシーにぼやいたら

「ママに任せたら。」

とリーちゃんに言われた。

「なんか,わるくて。」

と言うと

「よっちゃん、それを待ってんだよ。」

とルーシー。続けて

「おじさんよりはママでしょ。」

ママもそれはわかっているようで、「うちに帰ってテレビ、見よ。」とか「おやつあるよ。」とかお話をし、義樹もすぐには応じずぐずぐず言いながらも、最終的にはママに手を引かれたり、だっこされたりしながら部屋に入っていく。たまに、あまりにも聞き分けがなく、ぐずぐずと「いやだ、かえんない。」と駄々をこね、さすがのママも堪忍袋の緒を切るかと、こちらはハラハラして見ているが、そこまでには至らずなんだかんだと言いながら帰っていく。帰っていく二人の姿を見ていると義樹の「寂しさ」と、ママの義樹に対する「申し訳なさ」を感じてしまい、義樹がもう少し園で楽しく過ごしていれば、多少は「寂しさ」もまぎれて、ママに駄々をこねることも減るのかなと思いつつ、二人にとっての特別な感情も行きかっているのだろうなと思う。

 

 降園時の悩み事として「暴走族」対策がある。

隆二、武士、太郎、幸夫、麦、友子、善、あたりはママやバアバ、ジイジが荷物を持っていることをいいことにお部屋から玄関までダッシュで行ってしまう。廊下なのでお迎えの保護者や子どもも行きかっており、非常に危険だ。ことあるごとに

「かえるときは、ママやパパとてをつないであるいてください。」

と子どもたちには話をし、保護者にもそう伝えているが、とにかく彼らはすばしっこい上にママパパも疲れているし、見た感じもあまりよくないのでがっちり手を取り、引きずるかのようにするのもどうかとママパパは思っているのだろう。それでも何とか頑張って、子どもたちに言い含め、手をつないで帰ってくれるようにはなった。しかし幸夫と麦のお迎えは基本的にはジイジとバアバなので子どもたちはやりたい放題、たまにジイジたちが「まてー」などと言う。「それはアカンやつだ。」と思ったら案の定、子どもたちは喜んじゃってますます勢いよく走ってしまう。すっかり子どもたちの術中にはまってしまっている。本当に危ないので、とにかくジイジとバアバというよりはおうちでママ、パパに言い含めてもらうとともに、僕たちもお話しをしたり、人に余裕があるときは玄関まで手をつないで一緒に行くこともしている。いずれはルールを理解してくれると思うがそれまでは地道な努力も必要だ。

 

 ママ、パパたちに急なお迎えをお願いすることがある。

 子どもが咳をしていたり、鼻水を出したり、下痢をしていたり、顏が赤かったり、青かったり、具体的な症状がなくても、ちょっと元気がないなと思った時にはすぐに検温をする。熱があるかないかの基準は、うちの園は37.5度にしている。子どもたちの平熱は大人よりは総じて高い。37度ぐらいの子どももいる。だから、ちょっとすれば37.5度にはなるといえばなる。た37,5度平熱という子どもはあまりいない。そう意味で言えば37.5度が「熱がある」と言っても間違いではないとは思う。ただもう少し様子を見て欲しいという保護者もいるし、園によっては38度にしているところもある。

「体温が37.5度であることが確認されたら保護者の方に連絡をしてご家庭で様子を見ていただくよう、お願いします。」

これは入園時に保護者の皆さんにお願いしている事である。子どもたちを検温し、37.5度以上あると担任が保護者に電話をしに行く。各家庭から提出してもらう「家庭調査票」には電話をかける順番が書いてあり、必ずつながるようにと職場の電話番号を基本にしているが、もちろん携帯のほうがつながりやすいというのであれば携帯でも構わない。一応、ママ、パパ、バアバという順番がクラスの中では一番多い。

 まずはママの職場に電話をする。応答の中身で多いのは

「わかりました。○○時頃迎えに行きます。」と即答か

「調整するのであとで電話します。」といったん切ってあとで「○○時にいきます。」「ばあちゃんが行きます。」「パパがいきます。」と連絡するパターン。

 ママにつながらないときは次の人に電話をする。次がパパの時は即答する人は少ない。いったんママになんとか連絡を取るようで

「わかりました。調整してまたお電話します。」

 バアバの時は園にお迎えに来慣れている人は即答するし、慣れていない人は一度、ママに連絡を入れる場合が多い。

 連絡がつくと、帰る支度をして事務室の病児コーナーのベッドに連れて行って、園長か、主任のモコさんにお願いする。2歳児くらいだとそうでもないが0,1歳児となると人見知りをして、大泣きをする子どもがいる。担任もクラスに戻らなければならないので園長、主任が抱っこで対応することになるが、モコさんがしばしば0,1歳児クラスにも応援に行っているので、子どもがモコさんに気付くと「なんだ、モコさんじゃん。」という感じで落ち着いてくれる。また、一時保育はいろいろと事情のある家庭が多く、なかなか迎えに来れず、結局事務室の病児コーナーで夕方のお迎えを待つ子どももいた。

 お迎えは直接、事務室に来てもらう。検温した経緯と、子どもの様子を園長かモコさんのほうからお話ししてもらう。

朝の検温でも37.5度以上だと

「ごめんなさい、今日はおうちで様子をみてもらってもいいですか。」

とお願いする。ほとんど

「わかりました。病院に行って来ます。」

「明日からのこともあるので、なにかわかりましたら、連絡いただいてもいいですか?」

感染症のこともあるので情報を提供してもらうととても助かる。

 ただ、中には

「申し訳ないんですけど、○○時頃に会社に連絡してもらっていいですか?そうすると休みやすいので。」

と頼まれることがある。もちろん承諾し、頃合いを見計らって電話をする。

 家庭によっては兄弟姉妹で通っているので一人休んで、また一人、さらに1人ということもよくある。このクラスには2人までだが園全体では3人兄弟姉妹のところが複数ある。保護者にしてみれば休むんなら一斉にと思わざるを得ないが、そんなに都合よくはいかない。もう、てんやわんやである。

 送迎で威力を発揮するのが祖父母、とりわけママのほうの祖父母だ。育児はママが主導しているし、そのママが頼みやすいのが自分の親だ。強力な助っ人になる。緊急の場合はなおさらだ。同居はなくとも比較的近くに祖父母がいるとママの肉体的、心理的負担は相当軽減される。しかし、そんなラッキーな家庭ばかりではない。ましてや大都市など、ほとんど祖父母は当てにできないだろう。緊急のお迎えに関してはパパの役割ということに社会の約束事にするとか、行けない人のためにあまりにも少ない病児保育を増やすとか、もはや各園に作ってしまうとか、そうしないとそこも子育ての負の要因になってると思う。

 

 うちの園は通常保育の時間が7時から18時まで。18時以降19時までは延長保育として別途に料金がかかる。園によっては20時とか21時とかの園もある。今年の2歳児クラスは他のクラスに比べると延長保育利用が多く、知香、康江、千穂、薫、友子、渡、幸夫、波が延長利用だ。18時になるとクラスで手を洗って0,1歳児室に移動する。0,1,2歳児は0,1歳児室で延長保育を行い、3,4,5歳児は自分たちの部屋で行う。まずはテーブルについて、延長時のおやつを食べる。おやつを食べている時にお迎えが来ることもしばしばだが、子どもたちが食べるのをやめることはまずない。幸夫などジイジ、バアバが来ているのにわざとゆっくり食べているんじゃないかと思うぐらいで、僕らが

「ゆきちゃん、じいちゃん、ばあちゃん、まってるよ。」

と言うのだが、

「いいからいいから、まってっから。」

とジイジは言ってくれる。以前にジイジが

「怖がられるよりは、なめられているほうがよほどましだから。」

と言っていた。丸ごと受容するという意味では親とはまた違うアプローチで子どもに接している。僕より一回りほど年長であるが年の功を感じる。2歳児の行動、言動に時としてカチン、カチンときて、必要以上に「ちょっと、あんた!」的な対応をしてしまう僕にとっては耳の痛い話だ。

 

 延長保育に入って、一人、また一人とお迎えが来て、今日も最後は渡だった。大抵最後は渡だ。渡は朝早くから夜遅くまでたぶん、クラスで一番長く保育園にいる。渡自身はお絵かきや絵本など一人で遊べるので暇をもてあまして走り回ったり、お迎えが遅いからと言ってぐずるでもない。今日は一所懸命、テーブルに正座をして、得意の恐竜の絵を使用済みコピー用紙の裏に鉛筆で描いていた。僕は渡の横で感心しながらそれを眺めていた。遅番の相棒の4歳児担任のハタ坊(秦さん)は部屋やトイレのごみを集めていた。19時少し前に

「ごめんねー、おそくなってー。」

と言ってママが部屋に入ってきた。その瞬間、部屋の入口に視線をやった渡の顔がパッと明るくなった。2歳児室で帰りの準備を終わらせたのだろう、ママがいつも持っているトートバッグが膨らんでいる。

「おかえんなさい。」

僕とハタ坊が同時に言った。最後は保育士も2人になって、部屋も少し寂しい感じがするので僕たちもめいっぱい明るい声を出した。当の渡は鉛筆を無言で僕に差し出した。僕がうなずきながらそれを受け取ると、渡は絵の描いた紙を持って、恐竜の絵をママに見せた。ママは

「なんのえをかいたの、チラノザウルスだっけ?」

と聞くと

「○○ザウルス」

と渡は僕の知らない名前を自慢げに答え、ママは

「じょうずだね。」

と頭をやさしくなでてあげた。

「わたる、かえりのごあいさつをして。」

と言うと渡は僕のほうを振り返って

「さようなら。」

と少し語尾を上げて言った。

「わたるくん、またあしたね。」

僕がそう言うと渡は

「うん」

と言い、ママが渡の手を取り、僕とハタ坊に会釈をして二人は部屋を出て行った。僕はハタ坊に

「部屋、見回ってくるから。」

と言って0,1歳児室を出た。廊下の先には渡親子が帰る姿が見えた。仲睦まじいその姿を見ると今日も無事に終わったなあと思える。でもママたちは家に帰ったら帰ったでさらに仕事が待っている。このクラスで送迎できるパパはいなくもないが、ママたちに比べれば圧倒的に少数だ。クラスのパパたちは皆、やさしくて子煩悩な印象はあるが、なかなか子育てに参加できないようだ。ママたちに概ね負わしている子育てと言う大切な仕事をパートナーをはじめとして社会全体で支えていかないと、いずれ担う人がいなくなるのではないかと、毎日のママたちの奮闘ぶりを見てそう思ってしまう。

 

 2歳児室に入ってあたりを見回すと、概ねお片付けは済んでいた。リーちゃんは早番だったから、中番のルーシーが上がるときに一通り片付けたのだろう。少し絵本がさかさまになったり、横に入ったりしていたので本コーナーに座って入れなおした。絵本も少し他のものと入れ替えをしたほうがよさそうだ。子どもたちの興味とか季節とかもう少し考慮しないと。でもおなかすいたな。今週は連れ合いが食事当番だ。何作ってんだろう。ここの所、カープは負け続けだ。今日はどうかな。

 「たまだくん、なにやってんの?今日の反省?しっかりやんだよ!」

部屋を見回っていたモコさんが入り口から顔を出して、それだけ言って、0、1歳児室のほうに行ってしまった。反省?あー、本棚として使っているカラーボックスに手をついて考え事をしていたからだろう。まったく、おさるさんではありません!とは思ったものの、おのずと気持ちが自分に向かう。

 昔のある人は「人の相談にのったときに誠意があったか?友だちと話していて嘘をつかなかったか?習ってもいないことを伝えなかったか?」この3つを毎日、何度も反省したという。甲園長の勧める反省は「子どもの存在を丸ごと信じただろうか。子どもに真心をもって、接しただろうか。子どもを見守ることができただろうか。」実に誠実だ。僕はそんなところまで到底及ばない。反省することはただ一つ、子どもたちの行動、言動に苛立ち、必要以上に怒らなかったか。と言うことだ。いつもこれだけでたくさん反省する。考えては、「はぁ」とため息をつく。終わった事はしょうがない。きりかえ、きりかえ、冬が終われば春が来る、明けない夜はない、明日はあしたの風が吹く。ドンマイ、ドンマイ。今日の任務は完了。明日も朝から元気よく「おはよう!」「いってらっしゃい!」が言えるよう、早く帰ってメシにしよっ!

2歳児の保育「三つ子の魂デシデシドン5」

5,おててつないで

6月末

 朝のお集まりが始まる前にルーシーが

「今日、散歩でいいよね。」

と僕たち二人に確認を取った。

「いいよ、昨日のうちに田んぼで届け出してたもんね。」

僕がそう受けると

「うん、出したよ。」

とルーシー。散歩に行くときは前日までに「園外保育計画書」を出して園長、主任の許可を得ておかなければならない。計画書には目的地とそこに至るルート、出発時間と帰園時間、参加者人数、保育士の携帯番号などを書く。

 梅雨にはもうすでに入っているが今日はよく晴れている。毎週水曜日はここのところ園の周囲の散歩に出ている。理想の散歩は子どもたちが自然の中を思いのままに歩き、草や花、木や生き物に興味関心を持って接するような、そんな散歩であればよい。計画書など事前に出すことなく思い立ったら行けるに越したことはない。しかしそこそこの都会の住宅地の中にあるこの保育園の周りに、そのような自然はない。かろうじて残っている自然といえるものは、小学校の校庭の木や池、それにほんとにわずかに残っている田んぼぐらいだった。少し大きくなれば多少遠出をして、広かったり、樹木が多かったり、遊具があったりする見栄えの良い公園や、社会見学の一環として交番、消防署、駅などにも出かけるが、まだ歩き始めて2年たつかたたないかのメンバーでは行ける所も知れている。

 車道に併設されている歩道を歩くというのは危ないと言えば危ない。こちらがちゃんと歩道を歩き、交通ルールを守っても歩行者に突っ込んでくる車はいくらでもいる。車だけではない。どこかの都市では建築現場の足場が倒れ、その結果、尊い命が失われることもあった。そうであっても僕たちは子どもたちに散歩の経験を積ませてあげたかった。友だちと一緒に手をつないで歩くことは友だちの息遣いや歩調を感じながら、友だちに思いをはせながら体を動かさなければできないことだし、友だちと同じものを見て、感じて、話して、喜んだり笑ったり、時には怖がったりすることは何物にも代えがたい。友だちと一緒に散歩をすることは保育園でしか味わえない貴重な体験であると思うからだ。そのために事前に園庭で歩く練習をしたり、ルートの下見をしたり、散歩中は保育士同士、連携を取りながら最善の位置についたり、常に安全のことを考えるようにしている。もっとも2歳児クラスに関しては本当に保育園の周りをぐるりと回るか、近くの田んぼか、小学校、少し離れた児童公園ぐらいにしか行かないのだけれど。

 

 ルーシーが園庭の門のところに避難ロープを広げて置いた。乳幼児の緊急の避難のためのロープで、ロープの両側に輪投げ用のリングのようなものがついている。目指すべきは友だちと「おててつないで野道を行けば、みんなかわいい子鳥になって、歌を歌えば靴が鳴る」ではあるが、まだまだみんなでおててをつないで野道を行くことはむずかしかった。

 

 5月の末の昼休みにこのことについて三人で話し合った。

「散歩どうする。」

父親が散歩好きの影響で自分自身もそうなり、保育に散歩は欠かせないと思っていた僕はリーちゃんルーシーに聞いた。

「そろそろ行きたいよね。」

とルーシー。

「慣らし保育もおわったしね。」

とリーちゃん。

「この子たちって1歳児の時どこまでしてたんだろ?手をつないでいけるのかな。」

昨年、今年と同じ2歳児クラスを担当し、隣の1歳児クラスを見てたであろうルーシーに聞いた。

「多分、できないと思う。やってないし。」

「避難ロープは?」

と僕。

「さあ、そんなにやっていないんじゃない。歩ける子を2,3人担任が手をつないで、あとは散歩車っていうのは見たことがあるけど。」

「去年の1歳児担任、だれだっけ。」

元担任に聞けば手っ取り早いと思いルーシーに聞いてみた。

「トッキ―とふきちゃん。」

今はフリーのトッキ―27歳。ふきちゃんは0歳児担任。25歳。

「二人に聞いとくか。去年の2歳児はどうしてた。」

「散歩に行き始めたのは秋ごろだと思う。」

「手をつないで?」

「いや、最初は避難ロープで園の周りを一周。」

「やっぱそのへんからか。いずれは手をつないで行きたいよね。」

「それには少し練習がいるかもね。」

「園庭とか?」

「それに室内でも図書コーナーに行くときとか。」

「ところで、散歩ってどこに行くの?」

それまでルーシーと僕の話を聞いていたリーちゃんが聞いた。

「去年は園の周りから始まって、小学校の校庭や近くの田んぼかな。大きい子は中学校の近くの畑に行ったりするけど。」

ルーシーが答えた。

 

 この子たちが1歳の時の担任のトッキーに聞いてみたら避難ロープを使った散歩はできず、もっぱら散歩車に子どもを乗せ、歩ける子を2,3人保育士が手をつないで園の周りを1周していたとのことだった。試しに園庭で避難ロープを使って歩いてみた。先頭はリーちゃん、真ん中にルーシーがいて一番後ろは僕。周りに樹木や遊具があるにせよ一般的な土の園庭なのでただ黙って歩いても間が持たない。子どもたちはとりあえずロープについてる「わっか」に興味があるのか、「わっか」をつかんで歩いてはいたが、いかにも歩かされているようで、なんだかなーと思っていたらリーちゃんがトトロの「さんぽ」を歌い始めた。2歳児には少し言葉が難しいけれど、そこは耳で覚える保育園児、自然と口ずさんでいる子どももいる。心なしか歩く姿に元気が出てきた。続いてのBGMは「靴が鳴る」。けれど子どもたちは知らないのか一緒に歌う子どももいず、あっという間に終わってしまった。「さんぽ」をもう一度繰り返したところでリーちゃんが

「もういいかな。」

と言ったので

「いいんじゃない、歩けるみたいだし。」

とルーシーが受けた。

「はーい、みんなストップ。おててはなしてあそんでいいよ。」

と言うと子どもたちはそれぞれ思い思いの場所に散っていた。

 さしあたって避難ロープでみんなで歩けるようだけど思い描く散歩とは程遠いような感じがした。しかしまずは最初の一歩。安全第一で進むことにした。

それから2度ほど保育園の周りを避難ロープを使って歩いてみた。距離が短かったこともあり、手を離す子どももいず、まずは順調だった。これだったら少し距離を伸ばしましょうということで近所の田んぼまで行くことにした。

 

 僕は散歩用リュックを背負い、靴箱で子どもたちが靴を履くのを手伝っていた。リュックの中には替えのズボン、シャツ、おむつ、パンツ、ティッシュ、ビニール袋、ウエットティッシュ、そして水筒に紙コップなどが入っていた。靴を履き終わった子どもたちがルーシーめがけて走っていった。瞳、武士、朝美、といつも早い子がやっぱり今回も早く準備ができた。

「すきなところをもってすわってまってて。」

ルーシーはおそらくそう言ったのだろう。子どもたちはロープのわきで座っていた。部屋の中にはリーちゃんが、これまたいつものんびりと準備をしている波や達彦の準備を手伝っていた。遅いからと言ってまるっきり手伝うことはない。あくまで自分でできるところは自分でやってもらっていた。それでも散歩に行くときは子どもたちも散歩には行きたいので、準備もただ園庭で遊びますよ、お外に行く準備してください、よりははるかに意欲的に行う。やりたいことのために何をすればいいのかがはっきりしていれば準備もスムーズだ。次々に子どもたちが出てきて靴を履き、走ってルーシーのところに向かって行った。

「先に行ってるね。」

僕はリーちゃんに声を掛け、波と達彦以外で最後に外に出てきた千穂と義樹と一緒にルーシーのところに向かった。ほどなくしてルーシーをはじめ子どもたちや僕が待っているところに波と達彦が走ってきてそのあとからリーちゃんが小走りにやってきた。

「なみちゃん、たっちゃん、あいているわっかつかんで。」

とルーシーが言うと波は自分で探すことができたが達彦は依然としてきょろきょろし

「うーん」

と言ってべそをかきそうになった。

「だいじょうぶ、たっちゃん、あきちゃんのとなり、あいてるから。あきちゃん、おしえてあげて。」

僕がそう言うとあきは達彦に向かって手招きをした。あきは言葉は出ているがおとなしいし、ジェスチャーも小さめだ。達彦は半ばパニックになりかけているので、そんなあきの手招きなど眼には入らないようだ。

「たっちゃん、ほら、あきちゃんのとなりがあいているよ。」

僕が達彦の横についてあきのほうを指をさすがやはりわからない。しょうがないので手を引いてあきの隣に連れていき、わっかをもたせてあげた。達彦はすぐに機嫌を直し、少し微笑んでもいた。切り替えは早い。

「オッケー?」

とルーシーがリーちゃんに尋ねると

「うん、いいよ。」

と答えた。

園の事務室は園庭の門のわきにあった。ルーシーは事務室の窓をあけ、主任のモコさんに

「田んぼまで行ってきます。18人です。」

と元気よく言った。

「天気が良くてよかったね、気を付けてね。」

「そうですね、みんな、モコさんにごあいさつしてからいこうね。せーの、いってきまーす。」

子どもも何人かは挨拶しているのだが、ルーシーの声が元気良すぎてかき消されていた。モコさんはたぶんそれに気づいていたのだろう、苦笑して

「いってらっしゃい。」

と言いながら手を振った。子どもたちはそれに手を振ってこたえていた。門を出ると園のフェンスに沿って歩道を30メートルほど行く。園のフェンス前には花壇があって少し枯れかけのチューリップがあった。今はたまたま少し寂しいが、春先にはスイセンやチューリップ、パンジー、夏にはバラやアサガオアジサイ、秋にはポピーやコスモス、ヒガンバナが咲き、地域の皆さんの憩いにもなっていると思う。

 列の中央には僕がいて、一番最後にリーちゃんがいる。あまり自動車の通るところではないけれどやはり細心の注意は払わなければならない。30メートルほど行った先は四つ角になっている。横断歩道はない。ここを渡って更にまっすぐ行く。

「これから道路を渡るからね。」

ルーシーが子どもたちに一声かけた。僕は左右を確認して道路の真ん中に出た。前後を再度車がこないことを確認してルーシーに

「いいよ。」

とGOサインを出した。

「わたるよー。」

ルーシーが渡りはじめ子どもたちがぞろぞろとついて渡り始めた。もう少し慣れれば「おててあげて」とか「みぎひだりみて」とか声を掛けるのだが、まだロープを握っている事だけで子どもたちは精いっぱいだと思う。二つのことを同時にすることがまだ難しいことを考えると、まずは普通に歩いたほうが早く道路を渡ることができる。と、昨日のうちに打ち合わせ済みだ。幸いなことに車は来ずに全員無事にわたることができた。とにかく車が来ないことが一番危険度が低いので、遠くのほうに車の影が見えれば止まって端によって、車をやり過ごしてから渡るようにしようと話していた。道路を渡ってから7,80メーターは一戸建て住宅が続く。そのうちの一軒の門のところに茶色系の雑種の飼い犬が閉じられた格子の門扉の間から鼻先を出して「ハー、ハー」と声を出していた。

「ワンちゃんだー。」

誰かがそう言うと、達彦が近寄ろうとしたのでリーちゃんが

「たっちゃん、ワンちゃんびっくりさせると危ないからね。」

と言いながら達彦の胸に手を当てて前に行くのを止めた。

「ワンちゃんもおさんぽにいきたいのかもねー。」

ルーシーがそう言いながら進んでいき、子どもたちもわんわんにバイバイをしながらルーシーについて行った。犬は「ハーハ―」と言い、最後に「クーン」と言ったときには少し切なくなった。

 イヌやらネコやら動物に気軽に触れたいのはやまやまだ。ただ、あの有名な先生がライオンに指を食われたり、女優がライオンに襲われたりしたことが頭をよぎってしまう。その辺のイヌやらネコは確かに王ライオンと比べると穏やかではあるけれど、それでも「もしも」ということを考えてしまう。

 幅4メートルの道路だけれど車はめったに来ない。一応右端を歩いてはいるが子どもたちはともすればふらふらと中央に寄っていく。その都度僕は

「はしっこよってねー。」

と声を掛けるが反応がよくないので、子どもたちの横に立って手を広げて

「まんなかでないでー、はしだよー、はしー。」

と押し返すようなジェスチャーをとる。

 住宅を抜けるとちょっとした畑があった。一戸建て二軒分ぐらいの土地に野菜と思しきものが植わっている。ナスやキュウリ、ネギぐらいはわかるがあとはわからない。実がなっているときに来たいのだけど、たぶん夏野菜だろうから暑くて来るのは少し難しいかもしれない。道端には草が生えていて小さな花が咲いている。名もなき花や草を友だちと見るだけでも、子どもたちの気持ちは違うと思う。同じものに共感したり、同じ体験を共有したりして心を通わせる。今の子どもは意図して散歩などに出かけないと、道端のものや周りのものを見る機会は極端に減っているような気がする。基本的に移動は車だからだ。そういう意味でもお友だちと散歩をする意義はある。

 畑を過ぎると家と家の間に少し狭い道がありそこを抜けると急に田んぼが見えてくる。それほど広くはなく、周りを住宅で囲まれたまぎれもない街場の田んぼだ。田んぼと住宅の間に幅2メートル長さ10メートルほどの空き地がある。草が生えており、小さいが昔ながらの空き地だ。園の周囲を見渡してもこういった昔ながらの空き地はここしかない。とても貴重な場所だ。空き地に入ると僕が土地の一番奥に立った。入り口側にはリーちゃんが立っている。所定の場所に僕たちが立ったことを確認してからルーシーが

「たんぼにおっこちないようにしてね。それじゃあそんでいいよ。」

と言うと子どもたちが三々五々散っていった。そこは普通のあぜ道のようなものなので田んぼは一段下にある。仮に落ちたところで泥のクッションで大けがはないだろう。全く目を離さない限り安心して遊べる場所だ。その田んぼを見ていた朝美が

「あれ、なに」

と指をさして聞いた。

「あれはあめんぼ。」

そう答えたが朝美は指をさしたままじっと見ていた。確かによく見ると不思議だ。よく水面をすいすい泳げるもいのだ。

「たまだくん、むしとってー。」

と幸夫の声が突然した。

「どれ?」

と尋ねると

「あれ、あれ」

と指をさす。

「どれ?」

と指さす方向をかがんでよく見ると小さなしょうりょうバッタだ。ひょいッとつかんで幸夫にあげようとすると、なぜかビビって後ろずさり。

「てをだしてごらん、だいじょうぶだから。」

それでもビビり気味に腰が引けてる。

「なんだ。」

と草むらに放してやると

「えーっ、とってー。」

「こんどはじぶんでとってごらん。」

そう幸夫に言うと幸夫はしぶしぶ腰を落としたがなかなか手は出せない。草むらには急に子どもたちが現れたものだからバッタが右往左往ピョンピョン飛び跳ねている。更に緑色の小さなアマガエルもいた。

「カエルもいる―、たまだクーン、ほらーカエル!」

友子が大声で叫んでいる。

「そうだね、いたねー。」

子どもたちがバッタやらカエルを捕まえようとするが、たかだか生まれて2,3年の子どもにそうやすやすと捕まえられるわけがない。彼らはこれから過酷な生存競争を生き抜かなければならない。ここで捕まるようなどんくささでは先行きどうなるかわからない、と思っているに違いない。

 

 ひとしきり遊んだ後ルーシーが

「たまだ君、水分補給。」

と言ったので

「はーい。」

と返事をしてリュックから水筒と紙コップを出した。近年真夏でなくても熱中症の可能性を指摘されている。夏はもちろんのこと4月から秋口にかけての天気の良い日はこまめな水分補給は外せない。

「みんな―、たまだくんのところにいっておみずもらっておいでー。」

そう言うと子どもたちが寄ってきた。一人ひとりに紙コップを渡して水筒から水を半分ほど注ぐ。それを子どもたちはごくごくと呑んだ。少しはのどが渇いているらしい。遊びに夢中になっている子どもにはリーちゃんとルーシーが一人ずつ丁寧に声を掛けていた。子どもが水を飲みに来て、入り乱れている状況では誰が飲んだか飲まないかわからなくなる。そのため、チェック欄を伴った名簿を用意して、飲んだ子どもにはレ点を付けて行く。

「たまだくーん、全員飲んだ?」

ルーシーが言った。

名簿を確認して

「オッケー牧場」

と答えると

「なにそれ。」

とルーシーに言われたが詳しい説明はしなかった。僕の世代ならだれでも知っている西部劇なのだけれど。

 まだ11時前だったが少し日差しが強くなってきた。ルーシーが

「ちょっと日差しがきつくなってきたから少し早いけど帰らない?」

と言った。

「そうね、帰ってから少し園庭で過ごしてもいいし、そのまま部屋に入ってもいいし、そうしようか。」

とリーちゃんが受けた。ルーシーが

「みなさん、そろそろあつくなってきたので、ほいくえんにかえるよー。どこでもいいからわっかもってー。」

とロープを空き地の出口側に並べて言った。子どもたちは三々五々集まってわっかを握り始めた。何事にも切り替えの早い子どもはいつもだいたい同じでさっさと次の行動に移っていく。瞳、隆二、渡、武士、朝美、千穂、康江はすんなりわっかを持って座って待っていた。僕とリーちゃんがまだ虫を追いかけていた子どもたち一人ひとりに声を掛け、待っている友だちを指さしてわっかのところに行くように促していた。言葉だけではまだまだ気づけないが、目で見るとようやく理解できる子どもも結構いる。

 

「ここかおちゃんのわっかだよー。」

薫が達彦に抗議していた。来るときにつかんだわっかの位置を薫が覚えていたようだ。自分の持ち物や場所について強いこだわりを持つ、自分と他人との違いがはっきり分かってきた証拠だ。達彦は全く動じずまっすぐ前を見たままだ。薫はますます怒って達彦がつかんでいるわっかを左手でつかみ右手で達彦を押し始めた。達彦はそれでも手を離さない。どちらかというと小柄な薫に比べると達彦はがっしりしている。押されてもびくともしない。そのうち薫が諦めて泣き出してしまった。

「かおちゃんのわっかだよ。」

薫はもう一度言った。少し様子を見ていたルーシーは薫の隣にしゃがんで

「あそこのところもちたかったんだね。」

と背中をさすりながら言った。薫は涙目をルーシーにまっすぐにむけてうなずいていた。

「たっちゃんもここつかみたかったんだよね。」

と達彦に声をかけたあと

「たっちゃんにつかませてあげてもいい?」

と薫に尋ねた。「どこでもいい」と言った手前、達彦に落ち度はない。ルーシーはとりあえず薫に聞いてみようと思ったのだろう。思いがけず薫は頷いた。おそらくは納得してとかというのではないだろう。ただ、ルーシーに気持ちを受けてもらったので少しは冷静になったのか、逆にもはやパニックに近いものがあるので訳が分からんけど頷いているのか。

「じゃあ、かおちゃんはここをつかんでもらっていい?」

ルーシーが言うと薫はまた頷いた。

 このようなトラブルになると「ハイハイはい」と割って入り、「かおちゃん、どこでもいいってせんせいはいいました。かおちゃんはあとからきたでしょ、たっちゃんがさきでしょ。かおちゃんはここつかんで。」と言ってさっさと保育士が解決してしまう場合が多い。かくいう僕もそのタイプだが、子ども同士のトラブルはとても大きな体験でもある。自分の気持ちと相手の気持ちが直接ぶつかる場なので自分を知り、相手を知る絶好の機会になる。ルーシーはその経験の機会を少しでも増やそうと思ったのだと思う。もちろんすぐ手が出てしまう場合もあるのでそこはケガのないようにすぐに止めなければならない時もある。またきれいに解決しない時もままある。むしろそのほうが多い。そんなとき自分の気持ちに折り合いをつけることが大切になると思うが、保育士に気持ちを汲んでもらうことがその助けになる。保育士はそう意味でも「どこでもいいっていったでしょ。」みたいに非難するのではなくその子の気持ちを尊重してあげるような言葉がけをしたほうがよいと思う。ルーシーはそう考えたのだ。そもそも、「きたところとおなじところをもって」というのも「すきなところをもって」というのも同じようなトラブルは起ったに違いない。ルーシーはより自由度の高い、言いかえれば子どもたちの言葉の力に合わせて、よりわかりやすいほうを選んだ。薫も最後のほうは訳が分からなくなっていたけれど、とりあえず気持ちを汲み取ってもらい、やさしく声を掛けてもらったので心地よい感覚は残ったはずだ。その感覚が積み重なっていくことで人への信頼感が生まれるのだと思う。

 

 さて最後の大物はどこ吹く風で遊んでいる。彼らは彼らなりの理由はあるのだろうが時間的な制約というものが世の中には残念ながらあり、どうしても帰る時間というものは容赦なく迫ってくる。彼らにお話をして聞き入れてもらえないのは全く我々の不徳の致すところではあるが、とにかく一緒に帰ってもらわねばならない。

リーちゃんがバッタかカエルを追いかけていた太郎と麦に声を掛けた。

「たろちゃん、むーちゃん、みんなまってるよ。きょうはかえろ。」

太郎はちらっとリーちゃんを見たが依然くさむらをかき分けている。

「ねえ、もうすぐ給食だよ、今日のご飯はなにかな。」

しばらくリーちゃんが説得にあたっていたがなかなからちが明かない。

「バッタさんがね、おうちにかえれないから、むーちゃんがかえしてあげるの。」

「だいじょうぶだよ、ばったさんもかえるさんもじぶんで、ばったばったかえるから」

二歳児にはおそらくわからないダジャレを無意識に使って説得をしているリーちゃんがおかしくて少し笑ったら

「たまだ君、笑ってないでてつだって。」

とあきれ顔をして言われ

「ごもっともです、むーちゃん、たろちゃん、おいていくよ!」

と八つ当たり気味に脅かしてしまい、あーまたやっちまった、と即反省をしたはいいが結局太郎と麦は全く動こうとしない。すると

「むーちゃーん、たろちゃーん、かえろー」

と待っている子どもたちが二人に向かって声をかけた。その声に反応して麦だけではなく、太郎も顔をあげた。二人とも草むらから何かの声を聞きつけ周囲を見渡すウサギとかリスのようだった。

向こうでルーシーが

「せーの」

と言った後に

「むーちゃーん、たろちゃーん、かえろー」

と再び子どもたちの声が聞こえた。すかさずリーちゃんが

「どっちがはやく、みんなのところにいけるかなー。」

と言った瞬間、麦がダッシュし、それにつられて太郎も走って友だちのところにいった。やれやれと言った表情でリーちゃんは僕のほうを見て少し笑った。

「むーちゃん、たろちゃん、準備はいいですか。」

とルーシーが言うと二人はそれぞれこっくり頷いた。

「それじゃ、園に帰ろうね。しゅっぱーつ。あるこーあるこー」

ルーシーが元気よくトトロの「さんぽ」を歌い始めた。これから何度かこの田んぼに散歩に来て、今はまだ背の低い苗の成長を見ることができる。秋には黄金色の稲穂を子どもに見せてあげることもできるだろう。その時までには、いやそれを待たずしておそらくは友だちと「おててつないで、のみちを」行く散歩ができているだろう。楽しみなことです。

 

 

 

 

2歳児の保育「三つ子の魂デシデシドン4」

4,はらぺこ2歳児

5月末

「手洗い忘れないでね。手洗い終わったらトイレね。」

と入り口わきの流しで、手を洗いながら、僕は子どもたちに声を掛けた。園庭から給食準備のため、部屋に戻った子どもたちは次々と手を「軽く」洗って自分のロッカーに行き、帽子を脱いでロッカーに入れ、素早く座って靴下を脱ぎ、ロッカーにほり込んで、トイレに向かった。僕も手洗いを済ませ、トイレの入り口に座って子どもたちの様子を見て

と少ししつこいなと思いながら、石鹸で手洗いするように声を掛けた。これでも声掛けは減ったほうだ。以前は子どもたちは部屋に入ってきてからテーブルに着くまで厳密に言うと3回手を洗う機会があった。部屋に入った時、トイレを終わった時、そして食事をする前。

 

 ある日、子どもたちが寝静まって日誌をつけているとき、ルーシーが切り出した。

「外から部屋に入った後、3回も手洗いするのどう思う。」

「3回?」

僕が聞くと

「部屋に入って1回、トイレに行って1回、そのあと食事前だからまた手を洗う。」

リーちゃんが指を折りながら言った。続けて

「確かに、子どもらに全部促すのは大変。」

「でもどれも必要でしょ。習慣、身につけないと。」

「いちいち声掛けすると、ただでさえドタバタしてるのにもっとあおることにならない。」

とルーシー。

「どこかとばす?」

リーちゃんがルーシーと僕に目を向ける。

「とばせるとこあんの?」

「部屋から入ってきたら汚れてるし、ここはやっぱり必要かな。」

ルーシー。

「思いっきり砂遊びしてるし、草むしっとるし。」

「トイレもちょっとはずせない。」

リーちゃん。

「ま、昔は『吊り手水』いうて、軒からぶら下がった小さいタンクから水をちょっと出してぬらす程度だったけどね。水道もなかったし。」

「昔は、でしょ、だから感染症が流行ったんじゃないの?」

ルーシーが少しにらんで言った。

「仰る通りですが雑菌に強くなった。」

「トイレ行った後、また流しに行って手を洗うのをトイレで石鹸付けて、しっかり洗うことにする?」

とリーちゃん。

「そこしかないかな。」

ルーシー。

「じゃそこは、丁寧に見るということで。」

リーちゃん。

「了解」

と僕。

こうして3回の手洗いはトイレでしっかり洗うということで2回に決着したが、実際の子どもたちの手洗いはまだまだ不完全なことが多い。トイレ後、食事前の手洗いの習慣を身につけることと手洗いのスキルを上げることは別だ。手洗いの仕方まで丁寧に見ることはなかなか難しかった。しかし「清潔の自立」も2歳児クラスの目標だ。細かい手洗いの技術向上は日常の活動の中で時間を設けて行うことになった。

 

 最初にトイレを済ませた瞳がさっさと席についた。いつも一番の瞳は3個あるテーブルの真ん中の一番前、つまり保育士の椅子の真ん前に陣取る。隆二、渡、武士、朝美。概ねこのメンバーがすることをして席にさっさと座って待っている。僕はこのメンバーで唯一オムツの渡の脱いだものをゴミ箱に捨てながら子どもたちの様子を見た。隆二と渡は仲良しでいつも一緒に座る。男の子二人に近づいて武士がその横に、朝美がまたその向かいに座る。瞳はまっすぐ前を見てじっとしている。隆二と渡は

「きょうりゅう、いいね。」

「うんそうだね。」

「なんのきょうりゅうがすき?」

「きょうりゅう」

「きょうりゅうじゃなくて、・・・」

とお話をしながら、武士は隆二と渡の話を聞きながら、朝美はテーブルを指でなぞって何か書きながら待っていた。

 瞳たち第一グループの子どもたちが席についたところで、第二グループの子どもたちが園庭から室内にリーちゃんと入ってきた。千穂、康江、麦、善、知香、義樹だ。千穂と康江と善はすんなり帽子と靴下を片付けた後、トイレに向かったが、ほかの3人はロッカー前で座ったままボーっとしている。外遊びに疲れたか、何かが気になるのか。僕は流しのところで子どもの様子を見ながら、かごに入った子どもたちのおしぼりをぬらして一つずつ絞っていた。リーちゃんがロッカー前で座っている子どもたちに声を掛けた。

「みんな、だいじょうぶ?」

とりあえずその声に反応して、麦と知香は帽子をかぶったままのろのろと靴下を脱ぎ始めた。義樹はあい変わらず物思いにふけっている。リーちゃんは三人を見ながらトイレのほうに向かった。千穂はトイレから出てパンツをはこうとしていた。

「ちほちゃん、手、あわあわした?」

リーちゃんが聞くと、千穂ははっとしてパンツをあげながらトイレの手洗いに向かった。康江と善はトイレに座って用を足していた。リーちゃんはトイレの入り口のところに座り中の様子を窺っていた。

おしぼりをぬらし終わったところで園庭に残っていた子どもたちを見ていたルーシーの声が園庭に面したテラスにある下駄箱から聞こえてきた。

「ゆきちゃん、かおちゃん、いきまーす。」

ルーシーが言い終わらないうちに、幸夫と薫がどてどてと部屋に入ってきた。

「おててあらって、トイレにいっといで。おはなしはじめるよ。」

僕は濡れたおしぼりの入ったかごを持って、テーブルのほうに向かいながら二人に声を掛けた。二人とも園庭を走ってきたのか少し赤い顔をしていた。薫はこっくりとうなずき、幸夫は少し慌てたように靴下をぬいだ。

 先に準備を済ませた子どもたちは席について待っていた。待っていてもいいと自分で思った子どもが先に入ってくる。つまり待てるということだ。瞳は手をテーブルの下に入れ、相変わらずじっと前を見つめていた。隆二と渡は何やらふざけあっているし、武士と朝美はふたりでお話をしている。千穂と善も席につき、康江も自分の丸テーブルに着いた。

 僕はおしぼりの入ったかごを子どもたちに差し出した。おしぼりはそれぞれがよく見えるようにかごのふちにかけていた。子どもたちは一目で自分のものを取っていく。以前はおしぼりに書かれている名前をいちいち読んでいたが名前がついてないものもあり結構手間取った。リーちゃんやルーシーはそんな時においをかぐ。そしてあたりをつける。あたりをつけて本人に確認する。それはたいてい当たっていた。靴下もそうしていた。

「なんでわかるの」

あるとき聞いたら彼女たちは顔を見合わせ「へっ」ていう顔をした。そんな質問予想外という顔つきだった。

「柄とかで何となくあたりをつけて柔軟剤でおおよその見当はつくよ。」

「柔軟剤?」

それ以上は少し恥ずかしくて聞けなかったが・・・、そいつは知らなかった。存在さえ知らなかった。今はそんなものを使うんだ。うちは連れあいがエコ志向なので石鹸洗剤しか使わない。今は子どもたちに自分で取ってもらう。その方がはるかに早い。子どもたちがひととおり自分のおしぼりを取った後、かごをテーブル前のロッカーの上に置いた。次々に来るであろう子どもたちが取りやすいところのはずだ。

僕は中央のテーブルの前にある丸椅子に座った。瞳の目の前だ。瞳はようやく始まるかといった風情でまっすぐこちらに目を向ける。僕はポケットから小さなだるまを出して子どもたちに見せた。

「『おてぶし』するからね、よくみててね。」

わらべ歌を一節歌った後、モノがどちらの手にあるのかを当てる遊びだ。わらべ歌版「どーっちだ?」である。

「おてぶしてぶし、てぶしのなかに、へーびのなまやけ、かえるのさしみ、いっちょばこやるからまるめておくれ、いーや」

少しおどろおどろしい歌を歌い終わると同時に両こぶしを子どもたちにつきだした。反射的に「こっち、こっち」と指をさして言う子、きょろきょろ見比べる子ども、友だちにつられて指をさす子といろいろだが、さすがに「右」だの「左」と言う子はいなかった。左右はまだわからない。両腕を上下にしたり、両こぶしをグルグル回してちょっと間を取った後、手のひらを上に向けてこぶしを開くと右に載っていた。

「やったー」と叫ぶ子やら、ちょっと悔しそうにする子、左を差していたはずなのに喜んでいる子、様々だった。

「もういっかいやってー。」

のリクエストに応えもう一度歌いだした。

 こんな時、つまりおやつ前や給食前にちょっとした手遊びや絵本を読んだりすることが保育園では多いが、導入部には定番があったりもする。「トントントントンひげじいさん」やら「はじまるよ、はじまるよ」などだ。僕は歌えなくもないがやはりちょっと恥ずかしい。歌ったとしてもジェスチャーを大げさにして照れ隠しをしてしまう。それも結構受けたりもするのだが、やはりわらべ歌が僕にとっては年相応だ。「おてぶし」などもそうだが意味を完全にわかっているわけではないが、そこは歌自体が持っている伝統の力に頼っている。保育の現場でもわらべ歌の持つ力は十分に認められており、その研修も人気だ。園長がその力を十分に理解していて園内研修で講師を呼んで何回か実施したので少し身につけることができた。

 三回目のおてぶしをやっているときにルーシーがまだ園庭に残っていた友子、太郎、達彦を連れてお部屋に入ってきた。僕がおてぶしをし始めたところからお着換えが少しゆっくり目だった知香、麦、義樹はスピードが上がり、トイレを出てオムツやパンツをはいていた。その時、空いている部屋の入り口から

「給食、持ってきました。」

というフリー保育士のトッキー(時子さんでトッキー)の声がした。

「ありがとうございます。」

入り口の流しで手を洗っていたルーシーが応答した。

「次、なにする?」

僕は次のネタに移ろうとして子どもたちに聞いた。

「・・・」

反応がない。「わらべうたの手遊び」「えほん」「かみしばい」、皆が一番待ち望んでいるのはおそらく紙芝居なんだけれども今、準備している子どもたちも当然紙芝居は見たかった。ここで紙芝居なんぞに手を付けると大パニックになってしまう。

「『いちべえさん』でいいかな」

「いいよ」

と武士が元気な声で答え、ほかの子どもたちもうなずいてくれた。

「いちべえさんがいもほって、にいべえさんがにてたべて、さんべさんがさけのんで、よんべえさんがよっぱらって、ごうべえさんがごぼほって、ろくべいさんはろくでなし、しちべさんがしばられて、はちべえさんがはちにさされて、きゅうべさんがくすりをぬって、じゅうべえさんがじゅうばこしょって、あわわのあわわのあぷっ」

僕はこぶしを腰において威張ったように子どもたちをにらみつけた。にらめっこだ。子どもも同様に睨み返す。本来なら一対一で子どもとて妥協せず対決すべきもののようだが、相手が大勢ということもあり、歯を見せた子に

「わらっちゃまけだよ、わらわなかったひとのかちー」

と宣言した。

「じゃ、もう一回だよ。」

歌い始めたあたりでリーちゃんがトイレ前をルーシーに任せて、給食の準備を始めた。給食は二段のワゴンに乗せて給食室から運んでくる。ご飯の釜、おつゆのジャー、おかずの入ったトレイやボール、そしてごはん茶碗に汁椀、おかずを入れる皿と小皿そしてフォークとスプーン。これらをワゴンや遊ぶコーナーの間仕切りに使っている、横に置いたカラーボックスを台替わりにして取り分けていく。

 頬を膨らませたまま、目玉を動かしたり、目を大きくひらいたりして子どもらを挑発し、それでも笑わなかった子どもたちに勝利宣言をして「いちべさん」を終わらせた。

 トイレのほうに目をやると友子、太郎、達彦がまだ終わっていなかった。

僕はその子たちに向かって、

「絵本読んでるからね。」

と一声声を掛けた。見たかっただろうに、ちょっとごめん、先行ってるわ、というような感じでだ。

 絵本のチョイスは季節に合わせたものとかその時々のテーマに沿ってという建前はあるものの、毎日のことなので保育士が気に入ったものとか、子どもたちが読んで欲しいものとかいろいろではある。一日の保育の中で、絵本が占める比重はとても大きい。朝のおやつの時、給食の時、午後のおやつの時、最低3回、一回1~2冊、多い時で一日5~6冊読むときもある。今日は大型絵本を園の図書コーナーから借りてきていたのでそれを読もうと思っていた。僕の完全な好みではあるが長年親しまれている絵本でもある。「でんしゃでごう」オレンジとグリーンのツートンカラーの電車が海から山へと季節を廻りながら行き来する絵本だ。表からは「海」発「山」行き、裏からは「山」発「海」行きになっている。四季折々の風景も素敵だが何よりもオレンジとグリーンの電車が子どものころ鉄道マニアだった僕の心をわしづかみにする。その絵本の大型本を購入したというのでイの一番に借りてきた。大型本というだけで子どもの興味は津々だった。おまけに少し横からにはなるけれど遅れて排泄を済ませている3人にも見えるはずだ。「デデコーンデデコーン。」僕は子どものころから電車の擬音はこれなんだけど誰に教わったのだろう。僕の擬音を覚えてくれる子どもたちはどれぐらいいるだろう。忘れるだろうね、やっぱり。

 絵本を読み終わったところで友子が座り、リーちゃんのほうを見ると太郎と達彦はもう少し時間がかかりそうだった。

「たろうくん、たっちゃん、紙芝居始めるから早くおいで。」

とりわけ太郎のほうは紙芝居が大好きだ。紙芝居と聞いただけでスピードが倍になる

「まってー」

「少し待ってあげる?」

と子どもたちに聞くと

「いいよ」

と誰からということもなく声がかかった。

「ありがとう」

前の僕なら数を数えて煽ったかな、と思いながら待った。太郎は慌ててオムツをはきズボンをはいた。達彦も太郎がスピードアップしたのにつられてルーシーに手伝ってもらいながらズボンをはき終わった。太郎と達彦が座ったのを見てふたりに

「おともだちがまっててくれたよ、よかったね」

と声を掛けると太郎少しはにかんだが、達彦は無表情だった。 

 今日の紙芝居は「やさいなんかだいきらい」。ホールの紙芝居置き場からいくつか持ってきたうちのひとつだった。表紙の豪快に野菜をぶん投げている女の子の絵が気になって手に取ってしまった。絵本に比べると紙芝居は絵で見せるので、多少難しい内容でも子どもたちは一生懸命見ている。枚数もせいぜい20枚以下なので何とか飽きることもなく、少し難しいと思えば保育士が内容を補足し、子どもたちに質問しながら読み進めることもできる。テレビ的な姿かたちが馴染みやすいのかもしれない。娯楽のない昔、紙芝居を自転車に積んで水あめを売りながら子どもに紙芝居を見せる、子どもに大人気の商売があったと聞くが今もなお、保育園では「娯楽の王者」のひとつではあると思う。その中でもアンパンマンはこれはもう王者中の王者だ。ガチガチの鉄板ネタ。そして往々にして安易にこの鉄板に乗っかってしまう。困った時のアンパンマン。ちょっとは工夫しろよと自分ではつぶやきながらもついつい頼ってしまう。わかっちゃいるけどやめられないほど、子どもたちは熱心に見てくれる。一年目の全く腕のない時は頼り切っていた。

 今日の紙芝居を手に取ったときは何となくだったが、今、はたと気が付いた。まさに食べたくないものがあるとテーブルの下に落とす輩が2名ほどこのクラスにいた。何か感じてくれればとあまり期待をせずに読み始める。「野菜嫌い」「腹痛」「便秘」「浣腸」紙芝居に出てくるこれらの言葉はまだはっきりとはわからないだろうな。二人のうちの一人はまさしく便秘なんだけどな。

 

 紙芝居を読み終わって振り返ってみるとワゴンの上やロッカーの上にごはん、汁物、おかず、デザートそれぞれが載った皿が並べられていた。

「給食、いい?」

とリーちゃんとルーシー二人に聞くと

「いいよ。今日はね、アレルギー食はなし。」

とリーちゃんが答えた。アレルギー食についてはあってもなくても確認する。命に直結するからだ。

僕は立ち上がって空いているトレイにごはん、おつゆ、おかず、果物のおわんや皿を載せ子どもたちに見せた。

「今日の給食はごはん、おつゆ、焼いたお魚、サラダ、この緑の野菜、わかる?」

ブロッコリーを指してみんなに見えるように皿を傾けた。

「ぶろっこりん」

2,3人の子どもがバラバラに言った。

「せいかーい。こっちのきいろいのはサツマイモです。じゃあ、このみどりのくだものなーんだ。」

「きゅーい」

また数人の子どもたちが答えた。だれかは「きゅうり」という子もいた。

「きゅうりじゃないからね、きゅーいだよ。じゃ、くばるからね。」

リーちゃんとルーシーがそれぞれお盆にごはんやらおつゆをのせて子どもたちの前に置いて行った。子どもたちはそれぞれリーちゃんと、ルーシーの動きを眺めていたり、隣の友だちとキュウイを指して笑っていたり(「きゅうりきゅうり」と言っているのだろう)、ぶろっコリンをにらみつけたり(みどりはろくなもんじゃないと思っているに違いない)しながらみんなにすべてを配られるのを待っていた。

僕はトイレの入り口の横にある押入れの、わきにある物置に自分の弁当箱を取りに行った。弁当箱に白米しか入っていない。おかずは子どもたちと一緒のものを食べる。子どもたちの給食費は公費で賄われるが保育士は自己負担だ。お金を払って子どもたちの給食と一緒のものを作ってもらい、一緒のものを食べる。保育士も「同じ釜のめし」を食べる。

「みんな、給食あるかな。」

と子どもたちを見渡しながら聞いた。子どもたちは自分に配られたものを見るが返事はない。僕のあいまいな質問に戸惑っている。一つはある? 全部ある?テーブルの後ろに立っていたルーシーと配膳台の前に立っていたリーちゃんが同時に頷いた。

「ごめん、ごめん、わかりにくかったね。みんないったみたいだね。それじゃ食べようね。おへそをテーブルにくっつけて。せーの、おててをぱちっ、みんなでいっしょにいただきます。」

僕が手を合わせて 「お題目」を唱えるとそれに呼応して子どもたちも声を出した。

 「いただきまーす!」

 給食は保育園の一日の時間の流れの中で一番大きなイベントだ。午前中は給食の時間に向かって「登って」いき、午後はそこから午睡を経て「下って」いき、お迎えでゴールを迎える。一緒に「いただきます」を言うことはともかく、みんなで一緒にご飯を食べることは大切なことだと思う。体が満たされ、心が満たされ幸せな気持ちを共有する。同じ釜の飯を食べ、食べ物を分かち合うことによって人と人との気持ちがつながっていく。

 但し、そうなるには当然食べることが、もしくは食べることによって「幸せな気持ち」にならなければならない。ところが給食の時間が苦痛だという子が案外多くいる。これは本人たちに確認したわけではないが、本やらテレビやらでいろいろな人が言っているのを見聞きしたことがある。その原因はほとんど「残さずに食べる」ことを強要されることへの恐怖とも言っていい嫌悪感だ。よく聞くのは小学校の給食の時、嫌いなものが食べられず、飲めず、昼休みも一人でにらめっこしていたというエピソードだ。自分自身の経験からもそういう友だちはいた。牛乳をひと瓶飲めず、昼休みまでにらめっこということまではなかったと思うが辛そうではあった。

 僕自身も「完食」にこだわっていたことは否めない。出されたものは全部食べるということは戦中派の両親からたたき込まれた食のモラルだ。戦時中の話をされるとそれに抗うことは難しい。僕自身は鈍感だったのかスキキライはほとんどなかった。とんかつをかぶりついたときにいきなり襲ってくる脂身のぬるぬるした食感や、串カツの間にあるたっぷり油を吸った玉ねぎとか、カレーに入っていたでっかい人参の芯が煮えていないのとかを除けば。好き嫌いが理屈じゃないかもしれないと思った最初は自分の子どもがスイカとメロンが嫌いと言った時だ。にゅるっとした食感がいやらしい。よりによってスイカとメロンだ。子どもは大好きなはずだ、ありえない。まだ受け入れられず、自分の子育て中は子どもたちに完食を強要していた。その考えがまた少し変わったのは、保育園で働くようになり研修で味覚や口の中の触覚が敏感な子どもがいるということを聞いてからだ。好き嫌いは理屈ではないなと思えるようになった。とはいえ僕自身もまだまだ完食にこだわる考えを捨てきれないし、未だに保育園全般に完食を求める文化があることは否定はしない。そのことに困っている子どももたくさんいるだろう。

 2歳児クラスは栄養士が示した量を保育士が盛り付け、子どもたちに配っていた。与えられたものはどこかよそよそしい。それぞれの子どもの食欲に見合ったものではないのでどうしても残す子どもが多かった。何かが残っているとどうしても完食を目指させてしまうのが保育士の性、「おいしいよ」「元気になるよ」「がんばって」と励ましているうちはいいが「たべないとおおきくなれないよ」とだんだん脅かしたりしてしまう。そのうちに時間切れで「今度からちゃんと食べようね」となる。ある子どもは何となくばつが悪そうに椅子から立ち上がり「おくち、ふいてね」ととどめのお小言なんかをもらったりする。別の子はやれやれ、今日もしのいだぜ的な感じで勢いよく立ち上がって行こうとして「いす、ちゃんといれてね。」とこれまた一言。保育士もやり方はともかく子どものためと思って全力で対応してもうまくいかず、疲労感は残ってしまう。実は保育士、意外というか当然というか、結構食べ物のスキキライの激しい人も多い。子どもの気持ちもよくわかっているが職業的使命か「心をおににして」子どもたちに話をしているらしい。リーちゃんは魚が食べれないし、ルーシーはピーマンだのきゅうりだのねぎだの青系野菜は得意ではない。かたや、食べられない物は食べられない、こなた、それはわかってるけどとにかくたべて。これでは両方疲れるばかり、楽しいはずの給食が消耗戦になってしまう。 

 嫌いなものを下に落とすのは実は達彦や義樹だ。武士は「食べられない」と言ってべそをかく。太郎や幸夫は保育士を呼んで何とかしのごうとする。いずれも食べなければいけないという前提の行為だ。それは保育士にしろ親にしろ有形無形の圧力をかけたせいでもある。親にしてみたら出されたものは全部食べてよ、世の中には食べられない子どももたくさんいるのよ、みたいな理屈を大上段に振りおろしてくる。でも食べられないものは食べられない。理屈じゃないんだ、とおそらく子どもは言いたいに違いない。もしかしたら親に向かって「あなたにもらった資質だ。」と叫びたいかもしれない。甲先生の園では給食も主体性を身につける機会ととらえて、子どもたちが給食のお当番さんに自分で食べられる量をもらうという。それが確かに理屈に合っている。多い、少ないという量の概念がわかってからのことになるだろうがいずれはこのクラスでもそっちの方向に行けばと思う。

 

 配膳台のところでリーちゃんが、僕から見て左のテーブルの後ろのところ、麦と義樹の間でルーシーがご飯を食べていた。保育士も子どもたちと一緒に食べる。一応モデルとして食べる姿を見せるということが理由だが、そんなに意識することはない。やっぱりご飯はみんなで食べるほうがおいしい。「孤食」とかいう言葉があるが、なんて悲しいんだろうと思う。ずーっと昔から人は食べ物を分かちあい、共に食べることを生活の基本としていたはずだ。

 子どもたちにはスプーンとフォークが配られていた。ほとんどの子どもは、スプーンを使って食べている。義樹がスプーンに魚をなかなか載せられないのをルーシーが見て、義樹のフォークを使って

「おさかなはこうやってフォークでちっくんだよ。」

といいながらフォークで焼魚を刺してやっていた。武士はごはんを山盛り、スプーンですくい、落ちそうになったので慌てて手で押さえスプーンと手を使って口に運んでいた。薫と太郎は左ききだ。みんな上からスプーンやフォークを握って食べている。それはそれで子どもらしくてかわいいのだけれどいずれはお箸を持つことを見据えて、親指と人差し指の間にスプーンやフォークを載せて使えるように声を掛けることになる。

 

 「リーちゃーん。」

幸夫が前にいるリーちゃんの名前を呼んだ。

「たべれなーい。」

幸夫は近づいたリーちゃんにそう言った。皿には得意でない、不得意な、好きでない、嫌いな緑、ブロッコリンが残っていた。

「これだけじゃない、食べれるんじゃない。」

リーちゃんがそう言うと、幸夫は

「うーん」

と言いながら身をよじらせた。

「たべたら、かっこいいとリーちゃんはおもうなー。」

身をよじらせたままリーちゃんと、憎っきブロッコリンを交互に見ている。

「しょうがないね、じゃ、ちっちゃくちっちゃくしてあげるからなめるだけでもなめてみよっか。ももこちゃんもたべてたよ。」

リーちゃんはさっき読んだ紙芝居のももこちゃんの話をしながら、幸夫の返事も待たず幸夫のスプーンを使ってブロッコリンをスプーン半分の大きさに分けた。

スプーンを幸夫の目の前に持っていき

「どう、いける?」

と聞くと、幸夫は

「もっとちっちゃく。」

と答えた。リーちゃんはさらに半分にした。

「どう?いける?」

幸夫はそれには答えずペロッとなめてみた。

「・・・」

いつものいやな感じがなかったのかおかしいなというような表情に僕には見えた。そしてほんの少しだけどかじった。表情が少し明るくなり残りのブロッコリンを食べた。あまり期待をしていなかった分、リーちゃんは少し声を張り上げ

「すごいじゃない、ゆきちゃん、たべられたね。」

と言うと幸夫は少し誇らしげにリーちゃんに微笑み返して言った。。

「やさい、すなよりおいしい。」

リーちゃんはまさに絶句した。僕も驚いた。

 幸夫は何かにつけ砂を舐める癖があった。一度オムツを換えている時、うんちに砂が混じっていることがあった。

「すみません、うんちに砂が混じってました。もしかしたら保育園で砂を食べているのを止められなかったかもしれません。」

とママに報告すると

「赤ちゃんの頃から砂を口にしてて、なかなかやめてくれないんです。」

と言っていた。幸夫が砂を口にするところを見つけると

「あんまりおいしくないでしょ。」

と言いながら口に入った砂をティッシュで取ることがしばしばあった。小さい子どもは口で物を知ることは発達上、よく知られることだ。幸夫も口でもって砂の味や形、歯ごたえなどを知ろうとしていたのだろう。その幸夫が砂と野菜を比較検討した結果、野菜は砂よりおいしいという結論に至った。実際幸夫はブロッコリーを野菜と総称して言っただけだが、せっかくだから話を大きくしよう。今後、砂を食べる幸夫の後輩たちに自信を持って僕は言うことだろう。

「野菜は砂よりおいしい!だから砂を食べるのであれば野菜を食べよう。」と。

もっとも、砂を好んで食べる子どももあまりいないとは思うが。

 

「ごちそうさましていいよ。」

とリーちゃんは幸夫に言った。これ以上勧めて食べられないとせっかくの成功体験がなくなると思ったのかそれ以上は勧めなかった。幸夫も少し安心したように、そして少しどや顔になって隣の渡のトレイを覗き込んだ。

 幸夫がブロッコリーを食べられなかったのは単に緑色のせいで食べず嫌いになっていたのかもしれない。味が嫌だから食べられなかったわけではないようだ。その細部の要因まで保育士は正確にわかっているわけではない。ただどんな食材も完食はして欲しい。でも無理強いはできない。でも未知の味を知って「味の世界」を広げて欲しい。いろいろな葛藤の中で保育士は子どもたちに声を掛ける。子どもたちのためにする保育士の葛藤を一日の生活のなかで分かっているのは子どもたちだ。子どもたちはその姿を見て保育士を信頼し、例えば給食の場面で得意でない食材、未知の食材を食べるという壁を保育士とともにのりこえようとする姿がある。逆に言えば日常的に子どもたちにどれだけ寄り添っているかで子どもたちが保育士の言葉を受け入れようとする気持ちが変わる。大切なことは子どもたちが保育士の助けを借りながら自分たちでいろいろな壁を乗り越えるということだ。

 好き嫌いの原因は多くは味と見た目だと思う。味については緑野菜のえぐみがよく言われる。毒を見分けるためにご先祖様が身につけた力という人もいる。見た目に関しては見慣れないもの、知らないものに対する恐怖でこれも身を守るための力。どうしようもないのかというとそんなことはないと思う。一つには信頼する人、仲間が食べていれば安心して食べることができるはず。そのうえでスプーン一杯から始めるなど、少しずつ慣らしていけば食べられるようになると思う。保育園の給食はこの条件を満たしている。小さいクラスの時から友だちと一緒に食べ続け、自分の苦手なものを友だちが食べるのを何度も目撃することだろう。やさしい保育士さんがいろいろと声を掛けてくれるだろう。そして幼児クラスになると好き嫌いは減る傾向にあるのが実感だ。結局、「食べさせられる」のではなく「自ら食べる」ということでないと身にはつかない。

 紙芝居の「やさいなんかだいきらい」は嫌いなものを下に落とす達彦や義樹がターゲットだったが思いのほか幸夫に良い結果をもたらした。でもこれは本当にたまたまだ。ここに至るまでに保育士の地道な声がけがある。

 僕から見て右のテーブルでリーちゃんが幸夫に声を掛けていた一方で左のテーブルではルーシーが千穂に声を掛けていた。

千穂はブドウを最初に食べ、ごはんやおかずに手を付けずに

「ブドウ、ブドウ」

とお代わりを要求しているらしい。

「ブドウ、好きなんだ、うんうん、ごはんとおかずきれいにしたら持ってきてあげるから。」

ルーシーが千穂の気持ちを受けた。ここでわがままを許してしまえばこの子の将来は、としつけのことを考えてしまって有無を言わさず「食べなさい」とぴしゃっと言ってしまう大人も多い。

「いやっ、ブドウ」

千穂はどちらかというとおとなしい子だけれど、一度「いや」となると結構頑固なところがある。ルーシーはたぶんそれを見越してる。

「あらあら、いやいや虫がとんできちゃったね。少しだけでもいいからごはんやおかずを食べたほうがいいと思うよ。」

「いやっ」

もちろんブドウを先に食べたところでという考えもあるだろうけれど、デザートはあとなんじゃないかとか、先に好きなものだけを食べておなか一杯になってはどうなんだろうとか、特に若い保育士さんは子どもの気持ちを考えつつ、世の中の習慣も考えつつ、こんなところでもいろいろと葛藤を抱える。

 ルーシーはその頑固さにほとほと困ったという様子で立ち上がり、ワゴンにおいてあったお代わり用のブドウを一粒、皿にのせて持ってきた。

「ほら、ブドウあるから、少しはごはん、食べよ。ねっ」

千穂はブドウをちらりと見た後、コクッと頷いた。子どもたちにとって、とりわけまだことばが十分に発達していない子どもにとって聞くよりも見る、つまり耳からの情報よりも目からの情報のほうが理解しやすいということをルーシーはよく知っている。ものが目の前にあればもらえるという信頼が生まれる。

「ここに置いておくから、ごはんとおかず食べれるだけ食べてね。」

とルーシーはほっとしたように言った。「食べれるだけ食べてね」の意味をどこまで理解しているかわからないが千穂はごはんをスプーンで食べ始めた。基本的には食べる子なので、結局はごはんとおかずをあらかた食べ、満足そうにブドウを一つ口に頬張っていた。

 後から考えれば保育士にとって「あれは何だったんだ」ということはよくあることだ。でも子どもにしてみれば必ず何らかの理由がある。そのことを常に念頭に入れておかないと子どもとの距離がどんどん離れ、子どもの気持ちを見失ってしまうことになりかねない。

 

 保育士からすれば好き嫌いが多い子ども、食の細い子どもばかり気になってしまうが、もちろん給食大好きという子どもも当然いる。

「おかわりください!」

僕から見て右のテーブルに座っていた友子がサラダが入っていた皿を右手で指しだして大きな声で言った。配膳係のリーちゃんが

「サラダ?」

と聞くと友子は

「うん!」

と答えた。リーちゃんがサラダの入ったボールを持って友子のところに行き

「どのぐらい?」

と聞くと

「いーっぱい!」

と友子は嬉しそうに答え、リーちゃんも

「いーっぱいね。ブロッコリーは?」

と聞くと

「いるー!」

と元気に答えた。リーちゃんはトングで2,3度サラダを皿に入れ、最後に大きめのブロッコリー

「はい、どうぞ。」

とニコニコしながら入れた。

「ありがと。」

友子は視線はサラダに、手はスプーンをつかんでまさに食べる直前に軽くリーちゃんにお礼を言った。

 友子はほぼ毎日、主におかずのお代わりをする。だいたいの子どもはなにがしか残したままお代わりを申し出、僕たちに「もうすこしたべようね。」とか言われるが、友子はすべての皿をぴっかぴっかにしてから申し出る。一度栄養士のあけちゃんが子どもたちの食べ具合を見に来て、友子のパーフェクトな食べっぷりに感激し、「おかわり!」と言われるたびにおかずやら、ごはんやら、おつゆやらを山盛りに盛り付けていた。僕は内心、必要栄養量をはるかに超えてるんじゃないかと思ったが、あけちゃんはおかまいなしだった。どうやらこの時は栄養士ではなく子どもたちにおなか一杯食べさせることだけを考えているお母ちゃんだったようだ。食べ物に関しては「世界の子ども」のことを考えずにはいられないが、友子の食べっぷりの良さは周りの心をあっためてくれる。

 そのあけちゃんだが、普段はおっとりしていて気のいいお母さんなのだが、給食を作っている時はまた別の雰囲気がある。僕がフリー保育士の時に何度か給食室の応援に入ったのだが、ある時、グレープフルーツのカットを頼まれ、グレープフルーツを洗おうとシンクに持っていったら

「そこはだめっ!」

と鋭い声が飛んできた。いつもは聞かない鋭い声だったので驚いて声のした方向を見ると、あけちゃんが僕に鋭い視線を投げかけていた。目が合うと一気に穏やかになって言った。

「そこは肉を処理するところだから、野菜や果物は洗えないの。こっちで洗って。」

と別のシンクを指さした。栄養士にとって食中毒は絶対的なタブーだ。食中毒だけではない。アレルギーの問題もある。まさしく子どもたちの命を預かっている。栄養士はそれらに気をつけながら一人で数人のパートさんを見ながら仕事をしなければならない。その時のあけちゃんの鋭い声と視線の中に、栄養士さんの緊張感を思い知った。

 

 ご飯を食べ終わった子どもたちはおしぼりで口をふいて自分でロッカーの汚れ物の中におしぼりをしまい、パジャマに着替える。全員が全員とは言わないけれど多くの子どもが「くった、くった」という顔をして席を立っていく。何とかかんとか、やれやれという子どももいるにはいるけれど、いずれにしてもおなかを充たした子どもの姿を見ることは心が和む光景だ。そうか、そうか、よかったねと声を掛けたくなる。世界中の子どもたちが毎日このような気持ちになってほしいと願わずにはいられない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2歳児の保育「三つ子の魂デシデシドン3」

3,友だちとの遊びの始まりとコーナープレイランド

6月中旬

 今日は朝から天候が思わしくない。しとしとと小雨が降っている。僕は朝のお集まりを一通り終え、活動に移るときにリーちゃんとルーシーに

「今日はお部屋だね?」

と尋ねた。

「そうだね。」

「天気がこれじゃーね。」

リーちゃん、ルーシーがそう言うと僕は子どもたちのほうに向きなおって

「みんなおそとのほう、みて。どうなってる?」

子どもたちはいっせいにに外を見る。立って見る子もいる。

「あめふってる。」

麦が元気に答えた。

「そうだね、あめふってるね。だからおへやであそぼうね。」

子どもたちは僕の顔をじっと見ている。「はーい」と打てば響くような返事はなぜかなかった。少しだけど僕と子どもたちの間で沈黙の間があった。こんな時、僕の話す「昭和のおっさん語」と子どもたちの話す言葉は違うのかなと思ったりする。

「じゃ、あそんでいいよ」

と言うと子どもたちはぱらぱらっと椅子から立ち上がってそれぞれがやりたい遊びのコーナーに散っていた。

 

 部屋はキャスターのついている棚や、カラーボックス、さらにはホームセンターで売っているラティスなどを置いてスペースを区切り、おもちゃなどを置いて遊びのコーナーを常設している。

 僕たちも以前は棚や押入れにおもちゃをしまっておいて、遊ぶ段になるとさあこれで遊べ、と子どもにおもちゃを与えるみたいな感じであったが、それではどうも子どもたちが集中して遊んでいるようでもない。すぐに飽きて走り回ったり、物の取り合いをしたりトラブルが多かった。僕たちも芸のないことに「はしらないで!」「しずかにして!」「ひとのものとらないで!」「たたかないで!」

と大声を出して注意し、さらに室内が落ち着かないという悪循環に落ちていった。それは僕らだけのクラスの問題ではなく園全体が共有する問題でもあった。そこで以前に園長が研修で学んできた甲園長の保育園の保育の方法をみんなでやってみることにした。その方法のひとつが「コーナー保育」だった。子どもたちはそれぞれ遊びたいものがあると思う。保育園にきて自分で遊びたいものを選べればより楽しく、より集中して遊べるだろうう。それが好奇心や意欲につながり、主体的に生きることにつながっていく。そのための環境として部屋をいくつかに区切って、子どもたちに比較的人気のある「ままごと」「ブロック、積み木」「絵本」「パズル、粘土」などをそれぞれのスペースにあらかじめ置くようにした。

 

 保育室の入口を入ってすぐ左側には絵本コーナーがある。普通の本棚ではなく、図書館によく置いているような表紙が見えるように並べて置ける幼児用の本棚とよくあるカラーボックスを横において本棚のかわりにしている。この本だな、足を掛けやすいようで本棚としては見られず、子どもたちが登って遊んでいた。僕たちが何度も「やーめーて」と言いながら下ろしているうちに何とか本棚として認められるようになった。

 絵本コーナーの奥の壁沿いに子どもたちのロッカーがあり部屋の中央に棚が二つ背中合わせにおいてある。ロッカー側にはレゴブロック、反対側にはパズルや粘土の入っている。パズルの棚の前に6人掛けの長テーブルが三つ、いつもはここで、ごはんやおやつを食べている。その後ろの壁にリーちゃんがダンボールを使って作った「木」を貼っていた。ダンボール紙はだいたい三重の構造になっている。一枚目をはがすと凹凸の部分が出てくる。それを樹皮に見立てる。30cmの幅の幹に左右に太さ10cmの枝が40,50cm伸びている。全体の大きさは畳一枚に収まるぐらい、つまり縦1,8m、横1mぐらい。春は桜が満開で初夏は緑の葉っぱが茂っていた。今はなぜかアジサイが満開だ。そこはリーちゃんの腕でうまくアジサイの花を配置して、それらしく見えている。

 正面つき当りがトイレ、その右横に押入れと倉庫、そのわきがままごとコーナーになっている。ままごとコーナーにはおもちゃの流しや食器棚、直径70cmほどの円卓などがある。食器棚には皿、コップ、スプーン。壁際には長さ150cmほどのソファ、隅にはぬいぐるみが並べられておいてあるダンボール箱とエプロンや手提げが入れてあるダンボール箱がある。今時、円卓などある家はないけれど子どもたちが遊ぶにはちょうどいい。どこに座っても友達の姿は見やすいし角もないから安全だ。昭和の人である僕はこれを見ると「星一徹ちゃぶ台返し」を思い出す。もはやリーちゃん、ルーシーには何の話が分からないだろうけど。

 つまり部屋は大きくは「絵本」「ままごと」「ブロック、積み木」「パズル、粘土、製作」の4つのコーナーに分かれている。僕たちは子どもたちに遊びを伝えたり、友だちとの仲立ちをしたりしたいと思っているので、その日の子どもたちの別れ具合を見て、どこのコーナーに入っていくかを決める。子どもたちに直接「これよんで」とか「これどうするの」とか言われて、そのまま絵本コーナーで本を読むこともあれば、パズルコーナーでパズルを一緒にすることもある。

 リーダーは全体を見渡す役目をする。保育士3人が全員がコーナーに入って、子どもたちと遊んでいるとそのコーナーにいる子どもにしか注意は行き届かない。一人は全体を見渡して、多くの子どもの姿を見ておく必要がある。それは喧嘩をしたり危ないことをしてけがをしていないかという安全上の理由もあるし、子どもたちの遊ぶ姿を見て発達上の課題や、その子の遊びの課題を見つけたりもする。更には端的に言ってしまえば保護者へのお便りのネタを見つけるということもある。お便り帳に書かれているわが子の様子を楽しみにしている保護者も少なくない。

 

 リーダーの僕はトイレの前、中央のブロックコーナーのあたりに立った。この辺だとだいたいのところは見渡せる。近くで、武士、善、義樹がレゴブロックで何やら作っている。ブロックと言われるものにはいろいろと形状があるのだけれど、クラスにあるのは本当に昔からあるものだ。シンプルな直方体を組み合わせていく。

「何作っているの?」

僕はというか僕に限らず保育士は子どもたちによくそう尋ねる。

「ひこうき」

「くるま」

「いえ」

子どもたちは口々にそう答える。そうは見えなくても子どもたちがそうだと言えばそうなる。つもりが大切だ。心のイメージを形にして楽しんでいる。そういう意味で、昔からのシンプルな形のこのブロックは、手先が多少拙くても形を作れるから今もなおブロックの王道をいっているのだと思う。ただなぜか15センチぐらいの長いものを取り合うことがよくある。なぜかわからない。子どもたちの眼から見て迫力があるのか、どうなのか。一度、争いに辟易した僕が、リーちゃんとルーシーに長いブロックなくそうかと相談したが、

「やってもいいけど、友だちと折り合うこともそろそろ必要かもよ」

と言われ結局それはしないことになった。似たようなことに子どもは棒も好きだ。大きい子どものことだけれど、散歩に行ったりするとその辺に落ちてる20センチから3,40センチの棒があれば必ず拾う。この理由はどこかで読んだことがある。曰く「縄文人から受け継いだDNA。」だと。獲物を捕るためか、敵の襲来に備えるためか、縄文人が棒を持っているさし絵なんかを見た覚えが確かにある。子どもたちはそれを持ち帰ろうとするが片方の手は友だちと手をつないでいる。持って帰ってもいいと言いたいところだが、子どもが安全に歩くという確信が持てず、子どもを説得することになる。気持ちはわかる。なんせDNAだ。しかしこちらの言うこともわかってもらわなければならない。

「棒さんもおうちがあるんだよ。保育園に連れて行ったら棒さんおうちに帰れないって泣いちゃうよ。おうちに帰れるようにここに置いて行ってあげようね。」

だましちゃいかんと思いつつ、何とか許されるのではないかという線で話をする。かくして優しい子どもはこっくりとうなずいて棒を置いて行ってくれる。大概は。何とかならない時もとにかく説得をする。そのうち保育士の熱意に折れてくれるのか置いて行ってくれる、大概は。そうならないごくまれな場合は「鬼」だの「帰れない」だの「脅して」しまう。そして保育士は自分の「腕のなさ」を嘆き、激しい自己嫌悪に落ち込むことになる。

 ブロックもDNAかもしれないが数が限られている上に早い者勝ちの様相があるのでなかなか調停は難しい。2歳児も人に貸すことがすっかり身についているわけではない。豊富にものがあれば十分に遊びを保証してあげられるのかもしれないが、そんな大金持ちでもあるまいし、豊富な運営費をおかみから頂いているわけでもないので、どうしても少ないものをめぐって争いになることもある。貴重な資源をめぐって争う大人と一緒である。なかなか譲らず泥仕合になる大人と違うのは「かーしーて」と言ってすぐに貸してくれる子どもが何人かでもいるということだ。もちろん「まっててね」と目を合わさずに言う子どもや、全く無反応の子どももいるにはいるし、黙って持って行ってしまう子どももいるが、それはある意味しょうがないことである。「自分のもの」という人や物への執着が後々、深い愛情に変わることもあれば、最初から貸してくれる気持ちをずっと持ってくれる子どももいる。必要な社会のルールをこれから保育士と一緒になって身につけていくことになるが、単に貸してくれる、くれないで今の子どもの現状を決めつけることなく子どもの話を丁寧に聞くということが大切になる。そうすることで保育士は子どもの気持ちに寄り添い、子どもは保育士の気持ちに応え、子どもは自ら成長しようとする。そうとは言え、貸してもらえずに悲しんでいる子どもにとりあえず付き合って

「貸してくれるまで少し待っていようね」

と言いつつ遊びに付き合う。そうすると友だちが貸してくれたりすることもあって、

「○○ちゃん、よかったね。○○ちゃんありがとう。かせるなんてすごいね。」とそれぞれの行為や気持ちを言葉にするとその場が和やかになっていくのがわかる。保育士も常に子どもに対して「強制」しようとする誘惑に耐え、子どもたちに「共生」することを伝えることができてほっとする。

 

 子どもたちはそれぞれがお気に入りのものを一生懸命作っている。それぞれがそれぞれのものを勝手に作っているように見えるが実はお互い意識的にしろ無意識的にしろマネをしている。子どもたちは一人遊びから始まって友だちと一緒に遊ぶようになる。2歳児クラスはまさにその過渡期だ。このブロックコーナーだと作ったもので一緒に遊んだり、一つのものを一緒に作ったりすれば少し先に進んだかなと言えると思う。そうなるように保育士が仲立ちをするときもある。ただ今はとにかく熱心に作っているので余計な口出しはしないでおこう。

 

 ままごとコーナーでは波と麦が丸テーブルにありったけのお皿に食べ物を盛って並べていた。このごっこ遊びにはまだ役割分担もなくそこに行くまではまだ遠いようだった。とにかくありったけのものを出して並べてそれで満足している。食べ物を並べ、それを少し口にした後、今度は箱の中に畳んであった布をままごとコーナーの壁際のソファで寝転んでゆったりとしていた達彦にどんどんかけ始めた。

「くまちゃん、さむい?」

麦がなぜか達彦をクマに見立て声を掛け、

「なみちゃん、クマちゃんさむいみたいだからかけてあげよっ。」

「うん」

そう言いながら二人はどんどん布をかけていた。達彦にクマの役割はあるらしい。あとかたづけ大変になるなー、と後のことを懸念したが「ちゃんと片付けるんだよ」などと野暮なことを言うのはかろうじてこらえた。彼女らには何か考えがあるはず、と思いたかったが実際はそこまで考えてはいないだろう。出すことが楽しいのだろう。布を掛けられたクマちゃんこと達彦は嫌がりもせずむしろ布の心地よさを感じているようでそのまま寝転んでいた。天井からはレースの布が天蓋のごとくつるされていた。幼児は天井が高いよりは低いほうが落ち着くと甲園長が言っていた。

 ありったけと言えば友子だった。チャックのついた手提げかばんの中に食べ物や布、ブロック、その他その辺にあるものをガンガン詰め込んで腕に下げ、部屋の中をお散歩していた。

「たまだくん、これちゅけて。」

と言って赤ちゃんの人形の「ぼぼちゃん」とおんぶひもを持ってきた。おんぶひもは古くなったものを子どもの遊び用にしていたが、普通の大きさのものなので2歳児には大きく、ひもの部分は二重に腰に巻いてもなお余った。ちょうちょう結びではすぐほどけてしまうので団子結びを2回して余ったひもをまた前に回してさらに団子結びにした。ひもは要注意だ。あまりプラプラはさせたくはない。首に巻きついたらどうしようとつい思ってしまう。自分が子育てしているころハイハイしている赤ちゃんの首に電気のコードが巻き付いて死亡したというケースがあった。

「これも」

と言って赤いバンダナを差し出した。

「これどうするの?」

「あたまに」

どうやら赤ずきんちゃん的な感じらしい。バンダナを頭にかぶせて顎をやはり団子できゅっと結んで

「これでいい?」

と聞くと黙ってうなずいて絵本コーナーのほうに行ってしまった。そこで絵本をカバンの中に入れようとして、これはさすがにそこにいたルーシーにたしなめられていた。

「ともちゃん、おともだち、読めなくなるからね。おかいものはべつのものにしようね。」

友子はルーシーの顔をじっと見てこちらに戻ってきた。

「たまだくん、これとって。」

と言ってバンダナの顎にある結び目を触った。

「えー、もうとっちゃうの。」

「うん。」

「なんで?」

「きつい。」

「そう、ちょっときつくしばりすぎたかな。ゆるくむすんであげる?」

「いい。」

「いいんだ。」

 僕は結び目をほどいてあげてバンダナを友子に渡した。バンダナをカバンに押し込み、ままごとコーナーに立ち去った。

 友子のようにカバンにありったけのものを入れて歩き回る子どもは実は1歳児クラスでも多くみられる。更に3歳以上児クラスでも見受けられる。一度リーちゃんルーシーに昼休みに聞いてみたことがある。

「カバンに物を詰めてあるきまわる子どもいるじゃん、あれってなんなん?やめてって言ったほうがいいの?」

「どうして?」

お便り帳を書いている手を止めて顔をあげてルーシーが言った。

「ままごとの皿とか、食べ物とか、ひもとか布とか、用途に合った使い方して欲しいじゃん。歩き回るのもなんか落ち着かないし。」

「でも子どもにすりゃ買い物の途中かもよ。お引越しかもしれないし。ほかの子どもたちが遊べなくなるほど持って行っちゃうのはどうかとは思うけどそこまででもないし。第一、私もやってたよ。なんでだか忘れたけど、手提げかばんにおもちゃ詰め込んで、なんだか服をたくさん着込んでカチューシャしてさらに帽子かぶって、写真が残ってんだよね。親も変な格好と思ったんじゃない。」

と言った。リーちゃんと僕は少し目が合った。ルーシーのちょっと個性的な服装が頭をよぎったからだと思う。

「誰もが通る道なんかな。」

自分が手に入れたいものをすべてカバンに詰めて満ち足りた気分で闊歩する。発達上必要なことかもしれないがよくはわからない。わかっているのは子どもたちがカバンをパンパンにすると「どや顔」になるということだ。

 

 テーブルが三つ並んでいるところはパズルや、ひも通し、制作コーナーになっている。今日はリーちゃんがついていて、瞳とあきが粘土をし、康江と千穂と太郎がパズルをしていた。

 クラスにあるパズルは木で作った動物のパズルで6から10ピースのものが5種類。クマ、ウサギ、サル、ゾウ、カエル。同じく木製で乗り物の6から10ピースのものが、5種類。機関車、バス、トラック、飛行機、船。30ピースの一般的な紙製のアンパンマンとディズニ―のものがあった。康江はクマのパズル、千穂は機関車のパズルをやっていた。そしてパズルの得意な太郎はアンパンマンのパズルをやっていた。

 子どもたちはパズルという遊びを絵柄だったり形だったりにひかれてやりたがる。1歳児クラスのパズルは一つのものをはめるものが多くあまり全体的に素敵な絵柄のものはなかった。目新しい、少し柄の派手なこれはなに?ということで興味、関心を呼び起こし近寄って手に取る。最初はやっぱりできない。できないから保育士を呼ぶことになる。

「できない!」

まだ、言葉も拙いので「どうするの?」「どこにやるの?」なんて気の利いた言葉は出ないでひたすら保育士を呼んで「できない」を連発する。世話好きの保育士もさすがに一から十までやってあげることはしない。最初のひとつを何とか納めさせようとする人から、とりあえず一通りやって見せて、さあやってみろという人まで、それぞれが程度の差はあれ悪戦苦闘しながら教えることになる。でも説明はなかなか難しい。そこで僕たちは完成したものを写真に撮ってプリントアウトしてラッピングをしてパズルといっしょに置くことにした。

「リーちゃん、これどこ?」

康江が木製のクマのパズルのひとつのピースをリーちゃんに見せて言った。リーちゃんは完成したクマちゃんの写真を見せて

「これと同じやつってどこだと思う。」

とまさにその部分を指で指しながら言った。

「ここー。」

リーちゃんの思惑通りのところに康江はピースを置いた。

僕はリーちゃんの指さしになるほどなと思った。康江はそこそこ喋っているように思えるけれど実際どこまでリーちゃんの言っていることをわかっているかはわからない。言葉を発すること、発した言葉の意味への理解、受け取った言葉の理解はそれぞれに違いがあると思う。大人ですらあやしい。「そういう意味じゃなくて」「聞いたことに答えてないじゃん」などは僕が連れ合いによく言われる。ましてやしゃべり始めの2歳児はなおさらだ。そこでリーちゃんは確実に康江にわかるようなサインを送った。そのサインを康江は受け取ったわけだけれど100パーセント自分の力だと思わないかもしれないが、結構な割合いで自分でできたと思っただろう。そこが大切だと思う。この後、康江は一つ一つリーちゃんに聞いて行き、最後だけはリーちゃんに聞かずにピースを置こうとした。そこしか開いていないのだからわかりやすい。それでもきれいに置かれているわけでもないのでうまくははまらない。康江は力任せに二、三度ぐりぐりと押し込むとすぽっと入った。

「あっ、はいった。」

康江のこころの中の声が聞こえたような気がした。少しクマちゃんを見てそのあとリーちゃんに見せた自慢げな顔。ザ、どや顔。

僕だったらたぶんやってあげてただろうなと思う。康江の「わからない」という今の不快感を解消するために。でも、それではただはまった、という事実しか残らない。それこそその場しのぎになってしまい、全く彼女のためにならない。自分で考えてやらないと身につかない。それが楽しいことなんだということを伝えなくちゃならない。

 その横で千穂がトラックのパズルに悪戦苦闘していた。なかなかうまく収まらない。同じピースをひっくり返したり別のところに置いたり。なんとか自分でやろうと悪戦苦闘していた。

(がんばれ、ちほちゃん!いつか、すぽっとはまるから。)

 

 本コーナーではルーシーが薫と朝美の求めに応じて本を読んでいた。薫が持ってきてルーシーに読んでとねだっているのは食べ物の本だった。

「これなーに」

「かれー」「かれー」

と二人が答える。

「これは?」

「らーめん」「つるつる」

「ラーメンだね。これは?」

「うろん」「つるつる」

「うどんね。かおちゃんはみんなつるつるだね。両方ともおいしいよね。」

ルーシーがそういうと薫ばかりか朝美もなぜか身をよじらせて笑った。

「これは?」

「おすし、これとこれはかおちゃんの。」

と薫が卵とマグロを手で押さえた。

「あーん、あさちゃんもたまご!」

と薫の手を両手でどかそうとした。

「あさちゃんもたべたい。」

朝美がルーシーに訴えかけた。

「そうだよね。たべたいよね。」

ルーシーは一度、朝美の話を受けて、すかさず言った。

「だいじょうぶ、だいじょうぶ、2こあるから。たべたいひとー!」

「はーい」

二人同時に絵本の手を放して元気よく手を挙げた。手をあげる必要がないのに条件反射で子どもは手をあげる。ごめん、保育士がいらん要求をするばっかりに余計な反射をつけさしてしまった。ルーシーは右手のエアー玉子を薫に、左手のものを朝美の口元に持っていって

「はい、あーん」

薫も朝美もその寿司をパクっと食べた。たぶん朝美は自分で「ぱくっ」と言ったと思う。

「おいしい?」

ルーシーが二人に聞くと

「うん」

二人とも頷きながら言った。

 実際食べ物の写真があるだけだから読むところはないのでけれど、こういった本は子どもたちとの会話が楽しめる。言葉がまだ拙い子には言葉を伝えることもできるし会話を楽しむツールにもなる。ルーシーは終始それとなく子どもたちの言葉の足りないところや拙いところを補いながら話を進めていた。

 

 視線をパズルコーナーに戻すと千穂はまだ格闘していた。保育士に助けも求めずひたすら格闘している千穂と、それを眺めているリーちゃんを見ていると、僕もずいぶん子どもの遊びにしゃしゃり出て余計なことをしたかもしれないなと思ってしまう。できるできないという結果はともかく、子どもが自分ですることが大切だし、子どもが結果はどうあれ納得することが大切だ。もちろん適切に出ていくタイミングはあるだろうし、その最たるときは子どもが助けを求めたときだ。そのためにも保育士はいついかなる時とまではなかなか言えないけれど、できるだけ子どもの活動からは目は離せない。

 リーちゃんは康江と千穂を見ながら瞳とあきの粘土遊びに付き合っていた。瞳は粘土の塊を取り出して、ひたすらちぎって、手のひらで丸めて、丁寧に並べている。

「ひーちゃん、なにつくってるの。」

リーちゃんが聞くと粘土をちぎりながら、リーちゃんのほうを見もせずに

「いしころ」

と言った。確かにそれっぽい。あきは粘土をちぎって両手で転がして「へび」のようなものを作ってそれを一つ一つ並べていた。

「あきちゃんは何?」

リーちゃんが聞くと

「すぱげてい」

あきはリーちゃんを見て少し力んで言った。力を入れて作っていたのだろう。粘土は指先の力が必要だ。指先の運動はこのクラスには大切で、指先の力をつけることで日常生活習慣を身につけ、排せつ、着脱、清潔なんかの自立を果たす。他にも指先の力をつけることができるひも通しや洗濯ばさみを使った遊具がクラスにある。

 

 渡が隆二に向かって「はらぺこあおむし」を読んでいた。

「すいようび、リンゴを食べました。それでもおなかはぺこぺこ。すいようび、なしをたべました。それでもおなかはぺこぺこ。すいようび、すももをたべました。それでもおなかはぺこぺこ。」

渡はもちろん文字は読めない。だが「すいようび」ばかりだからと言って適当というわけではない。

「チョコレートケーキ、アイスクリーム、ピクルス、チーズ、サラミ、ぺろぺろキャンディー、さくらんぼパイ、ソーセージ、カップケーキ、すいか。」

ここは完璧。隆二は渡が読むたびにその部分を手で取って口に運びもぐもぐさせていた。

子どもたちは気に入った絵本を繰り返し読んでと保育士に持ってくる。「大好き」であろう保育士、もちろんママ、パパをはじめ、ジイジ、バアバ等親族の皆さんの心地よいリズミカルな声を繰り返し楽しんでいる。そしてすっかり覚えてしまう。

「でっかい芋虫、でっかいさなぎ」

はらぺこあおむし」は2歳児にはいささか長いと言えば長い。

だんだん飽きてきて端折る部分が多くなる。しかし締めは忘れない。

「きれいなちょうちょうになりました。おしまい。」

すかさず隆二が人差指をたてて

「もういっかい。」

と渡に頼んでいた。

「えー」

と言っているわりにはまんざらでもないという表情に僕には見えた。

 

 突然

「ぎゃー」

という声が聞こえたので声のするほうを見るとブロックコーナーの端で善が友子を指さしながら泣いている。かたや友子は善を睨み返しておりその手には例の長くて赤いブロックが一つ握られていた。

「どうしたの?」

僕が善に尋ねると

「とった。」

と友子を指さしたまま言った。

「ともちゃん、げんくんが取ったって言ってるけど?何か知ってる?」

「だってお買い物に行くんだもん。」

僕のほうをまっすぐに見て少し「切れ」気味に言った。

善は泣いているし、手には「物証」があるし、「自供」はしたし、あとは

謝罪して返却すればことは丸く収まるがそこは簡単にいかない。

「お買い物行くのにそれいるの?」

「だってともちゃんのおさいふだもの。」

「今は、ぜんくんがつかってたんじゃないの?」

「おさいふないとおかいものできないもの。」

たまたま、善が、脇に置いていたのをさっと、友子が持っていったようだ。おそらく以前にそれをお財布代わりにしていたらしい。以前はそうでも今は違うということはどうやら通用しない。どうしよう。とりあえず良心に訴える。

「ほら、見てごらん、ぜんくん泣いてるよ。」

じっと見る友子。脈はある。ないとさっさと行ってしまう。そうなると実は厄介。引き留めるとすれば声も大きくなるし、それでも止まらないときは「実力」を行使しなければならない。「実力」を行使するとなると「強制」的に止め、「強制」的に謝らせることにもなりかねない。それはできるだけ子どもの主体性を尊重するという僕たちの方針にも反する。だが、とどまっている。なおもじっと善を見る。善は少ししゃくりあげながら友子に言った。

「ぜんちゃん、つかってたんだよ。」

するとどこからともなく「パッカパッカパッカ」と「マントを翻した少年」がやってきて自分が使っていた赤いブロックを善に差し出した。善は意表を突かれたようで反射的に手を出して受け取った。

「よしくん、ぜんくんにあげるの。」

一番月齢の低い義樹だった。義樹はこっくりと頷いた。義樹は飛行機のようなものを作っていたのだがどこかの部分を外して持ってきてくれた。まだ、ことばもままならないが、誰かの行為を見て身につけたに違いない。

「ぜんくん、よしくんにお礼をいったら。」

「ありがとう。」

善は少しはにかみながら言った。これは「強制」ではなくアドバイス。「人のみち」は人生の先輩として伝えねばならない。

「よしくん、ありがとう、たまだくんからもおれいをいわせもらうわ。」

それを見ていた友子が善のほうにつかつかと寄ってきて

「はい。」

と善にさしだした。しかし、義樹にもらって満足したのか善は手を出さず、困惑したように友子を見続けていた。こういう時はできるならどうなるか見ておきたい。でも善にもらうことを促し、友子にお礼を言ってもらい、友子も満足してこの場を丸く収めたいという衝動もかなりある。もう少し大きいクラスであればほぼ見ているのだけれど2歳児クラスは迷ってしまう。と、もたもた考えているうちに善が

「ありがと」

と言って受け取ってくれた。

「ぜんくん、じょうずにいえたね。ともちゃんもぜんくんにあげたんだね、えらいね、ふたりとも。」

「えらいね」という言葉に多少引っ掛かりを持ちつつ、2歳児にしてはやっぱり偉いよなとか思いながら僕は言った。友子はどや顔でこっくり頷いた。友子も義樹がほめられるのを見て、ほめられたくなったのだろうか。この際、無理やり取ってしまったことは不問にする。行った行為は非難されるものより称賛されるもののほうが心に残るはずだとの願いをこめて。

 

 このことが起こる前から知香が僕の前を行ったり来たりしていた。

「ちかちゃん、何して遊んでいるの?」

「わかんない。」

そう言って絵本コーナーに向かって行った。

「ちかちゃん、何か読んであげる?」

ルーシーが知香に声を掛けた。

知香がさっきから今一つ落ち着いて遊べていないことに気が付いたようだった。

「ううん、いい。」

と言ってまたどこかに行こうとしたのでルーシーが

「ちかちゃん、なにしてあそぶか、じぶんできめてごらん。」

と言うと、知香は少し部屋を見渡した。パンパンのカバンを持った友子が目に入ったのだろう。

「かばんであそぶー。」

と言ってままごとコーナーにカバンを取りに行った。

 遊びのコーナーに置く遊具はは子どもたちの興味、関心と発達の程度を考慮して保育士が配置している、はず。だけどいまいち置いてある遊具に向かわず落ち着いて遊べない子どもはいる。子どもの内面の問題であったりもするが部屋の環境が子どもにあっていないことも考えられる。よくあるのは同じ環境を続けてしまうことだ。ついつい、だとか忙しさにかまけてそのままにしてしまう。そりゃ子どもも飽きるでしょということだ。部屋のレイアウトや遊具の種類を変え、子どもたちの興味関心に合わせる工夫は常時必要だ。

 

 時計の針は11時30分を指していた。

「リーちゃん、そろそろいい?」

僕はリーちゃんに声を掛けた。

「はーい」

リーちゃんはそう言うと立ち上がってロッカーの上にある電子オルガンをひきながら歌い始めた。

「おかたづけーおかたづけー、さあーさ、みんなでおかたづけー」

「さてさてみなさん、とけいをみてごらん。ながいはりがあおいはーとまーくになりました。きゅうしょくのじゅんびをはじめるからね。」

全員が全員、僕の声に反応するわけでもなくほんの数人でも気が付いてくれればよいというスタンスで話しているのでもはや独り言に近いものがある。というのも以前はは大きな声で子どもたちに話をし、一斉に片付けてごはんの準備をさせようとしたのだけれど、そもそも手洗いやトイレに入れる人数は決まっており、仮に一斉にトイレや手洗いに来られても「対応いたしかねます」ということだった。また、時間がきたから「はいそれまでよ」と言ってすんなり遊びをやめることができない子どもも当然いる。それに対してやいのやいのと保育士がせかしたところでお互い疲れてしまうだけだ。だから時間を長くとってそれぞれのペースで遊びを切り上げてもらい、給食の準備をしたほうが仮に時間がかかったとしても主体的に行動するという意味が十分にあった。理想を言えば、自分で時間に気づき次の行動に移ることができればよいのだが、まだまだそこまでは望めなかった。

 

 リーちゃんは制作コーナーに戻った。

「そろそろご飯の用意をするけど。」

と言うとあきが

「ままにすぱげてたべさせたい―。」

と言った。

「そうだね、たべさせたいよね、おいしそうだもんね。そんじゃ、ロッカーの

うえにおいておむかえがきたらたべてもらう?」

そう聞くとあきは

「うん!」

と元気よく返事をしてスパゲテが一本ずつ並んだ粘土板を両手で持ってロッカーの上に置いた。

「ここでいい?」

あきがリーちゃんのほうを向いて尋ねるとリーちゃんは

「うん、いいよ」

と答えた。あきはすぐにトイレに向かった。

「ひーちゃんはどうするの?」

とリーちゃんは聞いたが瞳は首を横に振りながら箱に石ころをほり込んで片付けていた。作ることが大切で石ころ自体に執着はないようだった。

「パズルチームはどお?終わりそう?」

リーちゃんが、康江、千穂、太郎に聞くと

康江が

「もう少し」

と言い、千穂と太郎は

「まだー」

と答えた。

「終わったら片付けて、トイレいってね。」

リーちゃんがそういうと康江だけは

「わかったー。」

と答えたが、ほかの二人はもはや一心不乱にパズルに打ち込んでいた。そもそも遊びを途中で打ち切ることは子どもには難しい。ましてや終わってなんぼのパズルだ。その一所懸命ぶりを見るといきなり打ち切らせるわけにもいかない。リーちゃんもそう思ったのだろう。リーちゃんはそう言ってトイレに向かった。

 

 僕の目の前のブロックコーナーにいる面々はおかたづけの合図などどこ吹く風の馬耳東風で遊びを続けていた。武士はブロックの構造物を手に持ち、空中に漂わせながらおそらくは操縦桿を握っているし、幸夫は自分の作った車のチューンナップに余念がなかった。善と義樹は木製のレール上でそれぞれ連結したやはり木製の列車を動かしていた。善の赤いブロックはもはやどこに言ったのかもわからない。遊びが短時間で変わることはよくあることでもある。二人とも5,6両、ありったけの客車や貨車をつないで黙って列車を動かしている。本来は先頭につながれているはずの機関車に模したものが真ん中で走っている。2,3歳のころ僕は何をして遊んでいたか記憶はないが4,5歳のころは列車が好きだった。でもその頃はプラレールなどは高級品で買ってもらえるはずもなく、図鑑を見ながら絵を描いてそれをハサミで切ってひもでつなげて列車ごっこをやっていた。ある時、家に遊びに来た友だちに

「列車ごっこをしよう。」

と言って押入れの紙袋からそれらを出して並べたとき、

「なんだ、紙か。」

と馬鹿にされ、紙のどこがダメなのか困惑したことを覚えている。そのことを父親か母親に言ったのだろうと思う。それは覚えていないがその後、レールにちゃんとした新幹線が走るおもちゃをサンタさんからもらった。その時の感動は今でも忘れない。そういえばあの新幹線はどこに行ったんだろう。

と物思いにふけっていると突然

「ガシャーン」

という音が鳴り、武士が立ち上がってトイレに行こうとした。武士がブロックを片付ける箱に作ったものを投げ入れたのだ。ブロックの箱は子どもたちが赤、青、緑、黄色と色別に片付けることができるように、絵の得意なリーちゃんがイラストを書いてかごに貼っていた。にもかかわらず赤のブロックを片付けるべき箱にばらさず、丸ごと入れたのだ。

「たけちゃん、それはないでしょ。ブロックが泣いてるよ。やさしくかたづけて。」

武士はこちらを見て、少し頷いたがそのまま立っていた。

確かに「やさしくかたづけて」ではよくはわからない。僕は立ち上がってブロックの箱に近づき、武士の作ったものを手にして武士に聞いた。

「これはかたづけていいの?」

武士はまた頷いた。僕はブロックを1つばらした。青だ。子どもが作ったものをばらしてしまうのはやはり気が引ける。せっかく作ったのにばらすのもなんだかなと思う。子どもが遺しておきたいと言えば一日ぐらいはロッカーの上に置いておくことも可能だ。なのでとりあえずばらしていいかどうかは聞いている。

「片づけるときはこうやってばらしてね。あおだったらあお、あかだっらあかのかごにしまおうね。つぎにあそぶときにあそびやすいからね。はこにいれるときはゆっくりね。たまだくんもてつだってあげるからたけちゃんもやって。」

僕は一つずつブロックを外して色別にかごにしまった。武士の作った「飛行機」を半分ぐらいにして武士に渡した。

「うん。」

武士は今度は声に出して返事をして「飛行機」の半分を受け取りばらし始めた。

それを見ていた幸夫も真似してばらし始めた。子どもは友だちの真似をよくする。いいにつけ悪しきにつけ。二人ともバラすことに調子が出てきて黙々とばらしている。調子が出るとばらすスピードが上がる。そうするとブロックを軽く投げ始める。

「ブロック、やさしくおいてあげてね。」

二人に向かって少したしなめた。武士はこちらを見ずに軽くうなずき、逆に幸夫はじっと僕を見て頷いた。残り二つ、三つのブロックを二人はやさしく置いて片付け終わった。

「じょうずにかたづけられたね。トイレにいってごはんにしようか。」

そう言うと武士はレールでまだ遊んでいる善と良樹に向かって

「おかたづけなんだよ。」

と言った。自分たちは片付けたもんだから態度はいつも以上にでかい。そう言われた善がいきなりつながっているレールを持ち上げた。その拍子に「ぜん号」も「よしき号」も脱線転覆し、義樹がそれをあーあという感じで見つめていた。なんだか怪獣ゼンゼン大暴れみたいな感じだった。

「ぜんちゃん、やさしくだよ。きしゃさんががないてるよ。」

と声を掛けた。善もたぶん初めてのことではないはずなのだが、そこまで凄惨な転覆現場になるとは思っていなかったのか、横倒しになっているぜん号とよしき号を呆然と見ていた。

「レール、ばらして、はこにいれよっか。」

僕がそう声を掛けると、善も義樹も我に返って事故現場を片付け始めた。総じておもちゃの扱いは荒い。たぶん加減がわからないんだとは思う。僕らは2歳児の筋肉が発達段階で微細運動や粗大運動が成長過程にある、なんて考慮することなく、ちょっと乱暴に扱う場面に遭遇すると「ちょっと、あんた!」と思わず声を掛けてしまう。おかたづけ修行中、もしくはやさしく扱うことを練習中の者に対してはお手本を見せてあげるのがよいと思う。

 

 ルーシーは絵本のコーナーからままごとのコーナーに移っていた。絵本は子どもに任しとけばなんとかかんとか片付くだろうという判断で、最もかたづけに時間がかかるままごとコーナーに移っていったんだと思う。大人の眼から見ればままごとコーナーは常に惨状を極めている。流しは調理の途中、テーブルは食べっぱなし、何なら皿やコップや料理は床に散乱し、犬やらネコのペットたちはその上にあおむけで寝そべっている。買い物バッグ、ままごと用おんぶひもなどもそこかしこに散らばっていた。そんななか、床に座って麦は「ぼぼちゃん」とは別の「ばぶちゃん」に食べ物を食べさせていた。その隣には波が座ってそれを見ていた。ソファには達彦が胸にネコを抱っこしてまだ寝転んでいた。今日の達彦は見ればずっと寝転んでいる。達彦は便秘体質で様子がおかしい時はたいていおなかが張るときだ。給食の時食べている最中に床に寝転んだり、あまり得意でない食材を床に落としたりする。少し注意して見てみよう。

「ばぶちゃん、もっとたべりゅ?」

麦がばぶちゃんに尋ねると

「たべる」

と赤ちゃんなのにはっきりした返答をした。

「あかちゃん、しゃべらないよ」

と波が言うと

「いいの。」

と少し怒ったように麦が答えた。

ルーシーは二人の様子を見ながら部屋を見渡し、買い物遠征中の友子と知香を探した。二人はこれ以上は入らないぐらいパンパンになったカバンにさらに本を詰めようとしていた。詰めるものがなくなったのでまた本を詰めるつもりらしい。ルーシーは二人に近づき

「おきゃくさま、ごめんなさい、ほんやさんはじかんになったのでおわりなんです。ほんはおいといてもらっていいですか。」

そう言うと二人とも本を本棚に戻した。間髪入れずにルーシーは

「おきゃくさま、きゅうしょくのじかんですが、ごはんはたべますか。」

と尋ねると

「たべるー」

と友子がまず答え、

「ちかちゃんは?」

とルーシーが尋ねると

「ちかちゃんも食べる。」

と知香もお答えた。

「じゃ、手伝ってあげるから、おかたづけしよ。」

と誘うと

二人とも素直に

「うん」

と返答してままごとコーナーに戻っていった。

 

 僕はブロックコーナーの片づけが終わった後、ロッカーの上にある給食で使うおしぼりの入ったかごを持って、入り口わきの流しにおしぼりを絞りに行った。テーブルにはあと数ピースだけを残す太郎と、すでにトイレを終えた瞳が座って両手を膝に置いてまっすぐ前を見て待っている。僕の立っている場所から正面にいるのだがおそらくは外の景色でも眺めているのだろう。おしぼりを絞った後、台ふきを水にぬらして絞った。

「ひーちゃん、いちばんだね。もうすこしおともだちがきたら、えほんよむからすこしまっていて。」

瞳の前を拭きながらそう言うと瞳はうなずいた。

 ママごとコーナーではおかたづけが続いていた。ものが散乱しすぎるとさすがに子どもたちだけの力では片付けにくい。ただ単に箱に突っ込めというわけにはいかない。かたづけは次の人が使いやすいようにいつもの場所に物を戻しておくことでもある。だから保育士が用意するかたづけのための環境は、子どもが片付けやすいようにしておく必要がある。他の園の見学などを通して、子どもにわかりやすいイラストや写真を棚や箱に貼り付けることを学び、それを実際に行うことにした。今や写真もデジカメの時代、バシャバシャとってもフィルムがなくなるわけでもなく、パソコンで大きさや枚数も簡単に作成できる。更にラッピングも手軽にできてちょっとした写真やイラストのカードができてしまう。そうしてできたカードをおもちゃの入っている箱や棚に貼り付けておくと子ども自身でかたづけができたり、保育士が子どもに伝えることも簡単になる。

 ルーシーを中心に麦、波、友子、知香、達彦が片付けているのだが、動きの色合いがはっきり違っている。ルーシーからものを受け取って行ったり来たりしているのが麦、少しおっとり独り言を言いながらも、片付けているのが波、達彦は相変わらずベンチに寝そべり、友子は落ちているぬいぐるみに気を取られ片付けるわけでもなく拾い上げてはしげしげを見つめている。そんな中、コマネズミのように動き回っているのが知香である。指示されるわけでもなく自分でどんどん片付けている。だいたいは片付ける場所はわかっており、時折表示を見て、確認して片付けている。実際こういう子がいないとうまく片付かない。ひとところでなかなか集中して遊べないことも多いのだが、ことかたづけに関してはエース格だ。

「ちかちゃん、上手だね。」

ルーシーがほめると知香はそれに応えず片づけを続けている。むしろ麦が反応し、

「むーちゃんは?」

とルーシーに聞いた。

「むーちゃんもじょうずだよ。」

と麦にコップをわたしながら言うと麦も満足そうに微笑んでコップを受け取った。そしてそれを小耳にはさんだ友子が

「ともちゃんは?」

とルーシーに尋ねたところ、すかさず波が

「ともちゃんはなにもしてないでしょ。」

とすぱっと言った。波は早生まれで月齢は低いが本当に口がたつ。子どもの成長は千差万別だとこんな時に思う。

「じゃ、ともちゃんはこれおねがい。」

ルーシーがかたづけの容易な皿を一枚、友子に渡すと、友子はそれを食器棚に持っていき

「ここ?」

とルーシーに尋ねた。

「しゃしん、みて。どう?」

ルーシーが逆に尋ねると

「うん、ここ。」

「そう、ありがとう。」

「ともちゃんじょうず?」

再び友子はルーシーに聞いた。

「すごくじょうず。」

それを聞いた友子、満足そうな表情を見せてトイレのほうに行こうとした。

「ともちゃん、まだあるよ。」

ぴしゃっと波に言われ、「あっ、そうか」的な感じで踵をかえし、ルーシーから皿を受け取っていた。

 

 トイレに行きついでに手洗いも済ませた子どもがぼちぼちとテーブルに座り始めた。ままごとコーナーではおかたづけが続き、トイレの前では一人でパンツを着脱したり、リーちゃんに手伝ってもらってパンツをはいている子どもたちがいた。僕は三つ並んでいるテーブルの前にある粘土やらパズルが入っている棚を動かして空いたスペースに丸椅子を置いてそこに座った。テーブルには瞳のほかに渡、隆二、朝美、あき、武士がトイレと手洗いを済ませて座っていた。僕はそろそろ手遊びを始めようと思っていた。面白そうなことをしていれば保育士が声を掛けずとも子どもたちは自分自身で準備を早めてテーブルに座るだろう。さて、今日は何をしよう。天気は雨なので「雨のしょぼしょぼ」でもするか。

 僕は立ち上がって職員用のロッカーにある茶色のカラー軍手で作ったタヌ公のぬいぐるみを取り、席に戻ってタヌ公を子どもたちの前に差し出した。子どもたちの顔がほころぶのが見えた。手遊びの大好きな渡はもはや笑っている。「よーまってました!」の声が聞こえたような気がした。一息吸ってタヌ公を揺らしながら僕は歌い始めた。

「あめのしょぼしょぼふるばんに、タヌこうがとっくりさげ、さけかいに、」

唄い始めたと同時に子どもたちがタヌ公に合わせて一斉に頭を横に揺らしてリズムを取っている。ふと横を見るとトイレ前で「ふりちん」になっている幸夫、善、義樹も頭を横に揺らしている。おいおい、早くパンツぐらいはけば、と思ったが、リーちゃんは声を掛けることもなく笑ってる。

「さかやのかどっこで、さけいっしょうこぼし、うちにかえって、しからーれた、しからーれた。『おとーちゃん、おとーちゃん、さけこぼしてしもた!』『もういっかいかってこい!』」

親に叱られしょぼくれているタヌ公を見て子どもたちは笑った。トイレ前の面々も笑ってるし、ままごとコーナーの波、麦、知香、友子、達彦まで笑ってる。手洗いをしている薫、康江、千穂はわざわざ、振り向いて笑っている。あー手の石鹸、おちるよ!パズルを両手に持ってしまおうとしていた太郎はそのままでニヤニヤしている。準備のための片づけやトイレのスピードアップをはかるためが逆に手を止めてしまった。まあまあこんなこともあるさ、と思いつつタヌ公をもう一度お使いにやった。

「あめのしょぼしょぼふるばんに、たぬこうがとっくりさげ、さけかいに」

再びクラスの子どもたちの頭が左右に揺れ、ふりちん三人組に至っては振らなくてもいいのに腰まで振っている。

あらら、動かすのは腰じゃないよ、手だよ手!手を動かして!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2歳児の保育「三つ子の魂デシデシドン2」

2、待つわ

6月初め

いつものことだった。誰もいなくなった園庭で麦と波が砂場の横のテーブルでおままごとを続けていた。僕は少し離れた部屋の入口の前のテラスにある、下駄箱横のベンチに座ってそれを見ていた。

さっきまで2歳児クラスの子どもたちは園庭で遊んでいた。今日は大きいクラスは室内で制作活動をしていた。子どもの仕事は遊びだとよく言われる。遊びは子どもにとってしなければならないこと、する必要のあることという意味だと思う。子どもはいろいろなことを遊びで身につける。まずは自分で考える、自分で想像し、創造する。手先の小さな動きから体全体の大きな動きまで試行錯誤の上、身につける。仲間とともに考え、動き、また考える。本当なら木や水や草や土の豊富にあるところが一番なのだろうけど、都会の保育園では園内はもとより、周りにもそういう環境を用意することができない。代わりというわけではないが、おかみは保育園に子ども一人当たり一定の広さを持つ園庭を原則的には用意するように定めた。たいていの保育園はそこにブランコ、ジャングルジム、雲梯(うんてい)、砂場などを用意していた。自然の森に比べれば貧相というしかないが、それでも小さい子どもであれば砂場でままごとやら砂遊びやらをし、大きな子どもであれば基地を作ったり、自分たちでルールを作って遊んでいた。それこそが子どもたちにとって最上の学習活動であった。何より多少のことをしても、大人たちになんだかんだ言われることは室内よりはるかに少ない。お互いに気持ちにゆとりができる。それでも同じところにいれば飽きも来る。そんな時は僕たちは本当の自然、ささやかなものであるが園の外に散歩に出かけることもあった。

 

11時15分頃になってルーシーが「おへやにはいりたいひとー」と言いながら子どもたちの周りをまわっていくと遊びに飽きたり、おなかが何となくすいたり、また、それらのお友だちにまねっこをした子どもなどがルーシーの周りに集まってきた。

「みんな使ったおもちゃはかたづけた?」

と声をかけると砂場のほうから

「あさちゃん、おかたづけだよー!」

と武士の声が聞こえてきた。

名前を呼ばれた朝美がルーシーの顔を少し見上げた。ルーシーが少し頷くと朝美は走って戻っていって、おもちゃの入っているかごに自分が使っていたスコップを入れ、武士と一緒に走って戻ってきた。ルーシーは武士、朝美、瞳、あき、隆二を連れ部屋に入っていた。ルーシーと子どもたちはまずトイレに行って手を洗って給食の準備をするはずだ。園庭には11人の子どもたちが残っていた。先頭集団が部屋に入るとそれを見ていた薫、知香も部屋に入ろうとおもちゃを片付け始め、義樹は部屋の入口に行こうとしていた。今日は友子と太郎が欠席だった。リーちゃんが部屋に入ろうとしている子どもたちの他に3,4人連れて入るつもりなのだろう、誰とはなしに

「そろそろご飯だけど入りたい人いる?」

と声をかけていた。

「リーちゃーん、お部屋入っていい?」

薫が下駄箱の前で叫んでいた。

「おくつぬいでまっててー。」

とリーちゃんが叫び返した。

薫、知香、義樹が靴箱の横のベンチに並んで座って何やらお話をしながらくつをはきかえていた。リーちゃんはエプロンのポッケから赤やら青、緑、赤などのスズランテープで編んだロープで作った「電車」を取り出し園庭に座り込んで指で絵を描いていた渡に声を掛けた。

「リーちゃんでんしゃにのりませんかー。ごはんですよー。おへやはいりませんかー。」

渡が立ち上がり

「のるー。」

と言って、リーちゃんの持っているロープの輪の中に自分の身体をくぐらせて「電車に乗った。」なんだかうれしそうに笑っている。リーちゃんと渡は土管に向かいその中にいた康江と千穂にも声をかけた。

「どかんまえーどかんまえー、リーちゃんでんしゃにのりませんかー」

コンクリートでできているので正式名称はヒューム管という。土管は陶器のものをいうがドラえもんの影響で管状のものはみんな「どかん」と呼んでいる。康江と千穂はお互い顔をお見合わせて土管から一緒に出てきて

「のるー」「のるー」

と口々に叫んでリーちゃん電車に乗り込んだ。部屋のほうに行きかけていた善もわざわざ戻ってきて電車に乗り込んだ。

「しゅっしゅっぽっぽ、しゅっしゅっぽっぽ」

リーちゃんが軽快に声を出すとこどもたちもそれに合わせて

「しゅっしゅっぽっぽ、しゅっしゅっぽっぽ」

と言いながら入り口のほうに向かっていった。

「後、お願いしまーす。」

砂場に座っていた僕のほうに向かってそう言うと、リーちゃんは入っていった。

園庭にはあと4人子どもが残っていた。砂場のわきのテーブルで麦と波が型抜きを使ってお団子をたくさん並べて「パーティ」をやっていた。砂場では幸夫と達彦がブルトーザーとダンプで土木工事をしていた。

 子どもたちは砂場での土木工事が大好きだ。あれだけ好きなのにだんだん興味を失っていくようだ。将来の夢で「ブルトーザーやショベルカーのオペレーター」や「ダンプの運転手」なんて言うのは聞かない。業界でも若い人が集まらず苦労していた。僕が駆け出しのころからすでに人手不足が始まっており有名な「3K(きつい、汚い、危険)」と言われ始めていた。更には「5LDK(きつい、汚い、危険、給料安い、休日ない、乱暴で怒鳴る)」などと言う人もいたが僕に対して乱暴で怒鳴る人はいなかった。そのころ僕に仕事を教えてくれた人に「しげさん」という50から60歳ぐらいの職人さんがいた。いつもねじり鉢巻きをして、顏は赤銅色に日焼けをし、前歯はすっかり抜け、左の二の腕に自分で彫ったであろうと思しき「一心太助」という文字の刺青があった。しげさんに

「なんで『一心太助』なんですか?」

と聞いたがにっこり笑うばかりで教えてくれなかった。しげさんは

「いっぺんやってみろー、やんねえとわかんねぇべ」

と、新米の僕によく言った。

「いいんですか?」

と遠慮しながら聞くと

「いいからやってみろー、やってみっとわがっから。」

そう言って、背中を押してくれた。そのおかげで早めに一人前の「ふり」ができ、仕事も少しは楽しくなったんだと思う。僕も子どもたちに、いろいろなことをさせてあげているだろうか。危ないからとか、できないからと言ってやる気をそいでいないだろうか。

「おら、穴いっぺい掘ったど。地球の裏側まで掘ったど」

ともよく言っていた。しげさんに子どもたちの前で「ほんまもんの」穴掘りを披露してもらうのも面白いかもしれない。もっともこんな狭い砂場の砂なんぞ全部掘りあげてしまうだろうけど。

 

僕は砂場を形作っている丸太に座って少し様子を見ていた。さて、時間も時間だし、どちらから声を掛けるか。

僕は近いほうの幸夫と達彦に声を掛けた。

「たっちゃん、ゆきちゃん、みてごらん、みんなおへやにはいったよ。ごはんのじかんだよ。きょうのごはんはなんだろうね。」

「ごはん、なに」

応じたのは幸夫だった。

「おにくだよ。ゆきちゃんはすき?」

「うーん、わかんない。」

「おいしいよ、あけちゃんやとしこさんががいっしょうけんめいつくってくれるからね。」

幸夫は少し頷いてしょうがない、まあ行くかという風情で手にしたスコップとブルトーザー、ダンプを箱に片づけた。

「たっちゃんもいこっ、ゆきちゃん、いくって。」

幸夫が行くとわかって達彦も同じようにおもちゃを箱に入れた。

「じゃ、よーいどんんしよっか」

「うん、するー」

と幸夫。

僕は足で線を引いた。

「はい、ならんでならんで。いい?いちについてーーよーーいどん!」

幸夫がフライング気味というよりは完全なフライングで飛び出し、達彦もあとに続いた。僕は後ろから追いかけながら幸夫が下駄箱前あたりについたタイミングで

「ゴール!」

と言った。

「いっとー!」

幸夫が自慢げに口にした。達彦は順位よりは走り切ったという満足感があるようで穏やかな顔で幸夫を見ていた。二人は早速テラスに上がって靴を脱ぎ、部屋に入ろうとしていた。幸夫は脱いだ靴をしまっていたが、達彦はそのままだった。

「たっちゃん、くつしまって。わすれているよ。」

と声を掛けたが後の祭り、さっさと部屋に入ってしまった。

部屋の入口に向かってもう一度

「たっちゃーん、くつー!」

と声を掛けたが戻ってこなかった。園庭に子どもがいなければそのまま部屋に入って声もかけることができるが麦と波が残っているのに目を離すわけにもいかない。

毎度順調にいかないのがまだ園庭に残っている二人だった。幸夫や達彦に比べるとなかなか一筋縄ではいかない。口が達者なのだ。彼女たちのほうを見ながら達彦の靴を下駄箱にしまった。僕は下駄箱横のベンチに座って彼女たちを見ていた。声を掛けたところで容易に部屋には入ってこない。誰もいなくなったことをいつ気が付くのか、気が付いて部屋に入ってくるのか。いつもそんなことを思って彼女たちのことを見ていた。気が付いて慌てて入ることもあればいつまでも遊んでいることもある。今日はどっちだろう。

 

かつては時間になったら「ごはんですよーおかたづけだよー」と保育士が声をかけ、「おかたづけーおかたづけ―」と歌いながら片づけをみんなでして部屋に一斉に入っていた。当然まだまだ遊びが盛り上がっていて、部屋に入るのをしぶる子もいた。その子どもたちには言葉は悪いが「脅しすかし」みたいなこともして何とか部屋に入るよう説得を試みた。部屋の中ではさして広くもないところで手洗いやら着換えやらトイレやら、まだまだ2歳児、基本的生活習慣を習得の真っ最中、とても6人に1人の保育士の割合では追いつかない。フリー保育士や主任に助けを求めることになる。そこまでして一斉に部屋に入れる必要があるのか。まだ遊びたい子もいるだろうし、脅し、すかして、丸め込んで、保育士も気持ちは後ろ向き、子どもも納得いかず、いいことなしじゃないのか。これは何も園庭から部屋に入る時だけではない。室内で遊んでいるときもそうだ。保育士の号令の下、一斉に片づけをして準備をする。保育士はイライラ、子どもはオロオロ、そんなの全然楽しくないじゃないか。僕たちが思い描いたのは十分に遊んだという満足感を得て、自分から次の行動に移ってもらうことだった。どうしたらいいんだろうねという話を園長やモコさんと話をしていたときに園長が子どもの主体性の話をしてくれた。

今、主体的に活動できる子どもが減っているという危機感がいろいろな人にある。それは子どもの周りの環境が変わってきたからだという。人の面では、少子化によって子どもの数が減り、子どもの周りの大人が多くなっている。だから子どもが大人に何かにつけ意見をされることが多くなっている。物の面では、子どもが接する娯楽がテレビやゲームなど、子どもが「受け身」になるものの影響が大きくなっている。場所の面では、空き地など子どもが大人の眼を離れて遊ぶ場所もほとんどなくなってしまった。これでは子どもが自由に考え、行動できる機会がない。だから保育所保育指針や学習指導要領でも子どもたちの主体的な活動を保証するよう強調されているという。更に「子どもの主体性」についての研修で聞いた話をしてくれた。

その話をしてくれたある園の甲園長は「保育士が命ずるままに子どもを動かしたり、やってあげたりしてそこに子どもの主体性は生まれるのか、自発的な活動は芽生えるのか、子どもの身につくことになるのか。人は生まれながらにして能動的な生き物である。生き物であるから当然、主体的である。子どもは何もできないわけではない。保育者の役割は何もできないと大人が勝手に思い込んでいる子どもに教えたり与えたりするのではなく、子どもが本来持っている力を信じて引き出しそれを育むこと。」ではないのかと。

園長の話を聞いて僕たちのクラスで最初にやったことは、子どもたち全員に声を掛け、一斉に同じことをすることをやめることだった。子どもたちは言うまでもなくそれぞれ違う。それぞれにペースがある。できる範囲でそれらを尊重したい。このクラスは18人の定員で3人の保育士がいる。うまくすれば3グループには分けられる。その都度それぞれのペースに一番近いグループで行動できれば保育士からうるさく言われなくても子どもたちが自分で行動できるのではないか。こうして基本的な生活は概ね3グループの小集団に分け、行動することにした。

 子どもたちが主体的に動くためには大人の時間ではなく子どもの時間に合わせることが必要になる。大人の時間に比べれば子どもの時間はゆったり流れる。だから大人は「待つ」ということがとても大事になってくる。お集まり、排せつ、着脱、手洗い、片付け、給食やおやつの準備、などなど、全てのことについて、声がけを最低限にして煽ることのないように、時間の許す限り子どもたちが自分で行えるよう「待つ」ようにした。ただ2歳児は2歳児、生まれてから2年と数か月しかたっていない。保育園内の時間割という社会的な制度を理解し、主体的に動くことなどは当然にも無理なことではある。きりのいいところまでは遊ばせてもあげたい。でも時間もある。ぎりぎりまで待ってこれ以上はちょっとという時は、とりあえず無理強いしないように説得を試みる。これがなかなか大変ではあるのだけれど。

待つことは何も大人が待つだけではない。むしろ子どものほうが待つことは多い。そして2歳児クラスは待てることが「自律」というもののひとつの指標となる場合がある。

春先、クラスの環境を作る過程で行ったことのひとつが、流しの前に足形の紙を貼り付けることだった。流しに蛇口が3つあるのだが、1歳児クラスだと保育士が少しずつ流しに誘導していかないと、我先に流しに殺到し、場所の取り合いから噛みつきというパターンがとても多い。2歳児クラスでは最初こそ密集しないように人数を押さえながら誘導していくが基本的には自分で並ぶ。その際、列に並ぶ目印として床に貼られた足形を使う。子どもたちは興味津々で自分の足を足形に乗せ「待つ」ことを形から覚える。

既に待てる子どもたちもいた。給食やおやつの時、隆二、渡、瞳、武士、朝美、あき達は手洗いなどの準備を終え、いつも早くから座って待っている。待つのが苦にはならない。逆にいつまでも遊んで、準備の遅い子は待つのがあまり好きではないと自分で感じているのかもしれない。

 

「おもちゃかーして。」

朝のお部屋遊びの時、友子の声がした。ロッカーの前で友子が隆二に声を掛けていた。僕は図書コーナーで善と康江と千穂に「ゾウさんの雨降りさんぽ」を読んでいた。リーちゃんはトイレの前で全体を、ルーシーは波と達彦にパズルを教えていた。すると隆二が

「まっててね。」

と返した。隆二の手にはライダーのフィギュアが握られていた。それは隆二の私物だった。4月になると1歳児室から2歳児室に変わり担当保育士も変わる。3月末には新担任も発表し、新担任と一緒に過ごしたり、変わる先の部屋にも遊びに行くのだが、そうとは言ってもなかなか一朝一夕に慣れるものでもない。隆二は0歳児から保育園に通っているが、新しい担任や保育室に抵抗し、朝、保育園に行きたがらなかったらしい。そこで困り果てた隆二ママが隆二のお気に入りのライダーのフィギュアを心の支えとして同行させることにした。隆二に限らず、心の支えを持っている子どもは多い。薫の支えはアンパンマンの絵がついたポシェットだし、康江のそれはなんていうことのない赤系のチェックのハンドタオルだ。僕らの世代ではスヌーピーの友だちのライナスの毛布が有名だ。

隆二ママの話を聞いたのはリーちゃんだった。

「りゅうちゃんが朝ぐずってしょうがなかったらしくて、ライダーを持たしたら今度は離さなくなったんだって。持ったまま登園して、ママも持って帰ろうとしたんだけど、りゅうちゃんはやっぱり離さなくて。しょうがないからおともだちにも貸してあげてね、ということで持たすことにしたんだけど、いい?」

「ああーいいんじゃない、友だちと遊んでいるうちそっちのほうがよくなるだろうから。」

とルーシー。

結局、ルーシーの言った通り、すぐにその辺に置きっ放しになり、渡とブロックで遊んでいた。リーちゃんが拾って

「りゅうちゃん、ライダー、おたよりポケットから、りゅうちゃんのことみてるからね。」

と言うと、半分上の空で

「うん。」

と返事をした後、見向きもしなかった。そんなことが2,3日続いた後に、たぶん、触ってみたかったのだろう、隆二がライダーを手に持っている時に友子が声を掛けたのだ。隆二が

「まっててね。」

と言い終わるか終わらないうちに友子が手を腰に当てて、膝を折りながらリズムを取って

「いち にの さんぼの しいたけ でっこん ぼっこん ちゅうちゅ かまぼこ ですこん ぱっ。かーしーて。」

と言ったら、また隆二は

「まっててね」

すぐに友子もまた

「いち にの」

とリズムを取りながら数えだすと麦と薫が友子の後ろで真似をしだし、一緒に腰に手を当ててリズムを膝で取りながら

「さんぼの しいたけ でっこん ぼっこん ちゅうちゅう かまぼこ ですこん ぱっ かーしーて」

隆二も少し驚いたようで今度は小声で

「まっててね」

と言った。リーちゃんに言い含められているとはいえ、隆二にとっては心の支えだ。簡単に貸す気にもならなかったのだろう。すぐにそこらへんにおきっぱにする割には人に貸して、と言われると話は別らしい。友子は三度目を数え始めた。もちろん麦と薫も一緒だ。更に図書コーナーにいた康江と千穂が加わった。この二人、おとなしめの子どもだがどうやらダンスは好きらしい。

「いち にの さんぼの しいたけ でっこん ぼっこん ちゅうちゅ かまぼこ ですこん ぱっ。かーしーて。」

5人が同時に元気よく言えば大合唱になる。かくして『隆二、陥落』。心なしか涙目のような気がした。そばにいたリーちゃんもそれに気づいたのだろう。隆二に

「りゅうちゃん、かしてくれるんだ。たいせつなものありがとう。ともちゃんたち、ライダー、りゅうちゃんのたいせつなおともだちだから、なかよくね。あそびおわったら、りゅうちゃんにかえしてあげてね。」

多分、よく見たかっただけの友子はライダーを麦と、薫と三人でしげしげと見た後すぐに隆二に

「かえす」

と言ってすぐに返した。隆二は戸惑いながら

「ありがと」

と言って受け取った。たぶん、クラスで一番上手に「ありがとう」が言える。隆二にしてみたら軽く「まっててね」と言ったのに、大ごとになりびっくりしたのが本当のところだろう。友子にしてもバックダンサーがつくとは思ってなかったと思う。

そもそもこの『待ち方』は4月に入り、部屋や担任などの環境が変わって子どもたちが落ち着かず、ブロックや、ぬいぐるみ、ままごとなど人が使っているおもちゃを無理に取ること続いたことがあった。そこで寸劇でもやって無理に取らず、ちゃんと「かして」と言えるようにしよう。言われたほうもまだ使いたいのであれば「だめ」とか「いや」とかじゃなくて「まっててね」と言うことを伝えることにした。ただ、ただ単に「まとうね」と言ったところですぐに待てるかどうかわからない。そこで数を数えて、踊りながら待つことにした。数をわらべ歌で数えることをルーシーが提案し、踊り方はリーちゃんが腰に手をやって膝の屈伸をする踊りを考えた。これが子どもたちに受けた。リーちゃん、ルーシーが普段から子どもたちに笑顔で接して、丁寧に話を聞いてあげて、できることは見守り、できないことは手伝ってあげるというように親切にしてあげたからこそ子どもたちも寸劇の中身を理解し、踊って待つことができたのだろう。

 

「たまだ君、どうしたの?」

通りがかったモコさんが廊下からテラスに顔を出して言った。モコさんを正面から見るたびにそのベリーショートな髪形が若いころのキョンキョンだよなと思ってしまう。モコさんに「キョンキョンみたいで素敵ですね。」と言ってあげたい気もするが「しってるー。」とか「よくいわれるー。」とか言いながらどや顔を見せることがほぼ確定しているので、その際どのような顔をして、どのように返答すればよいのかわからないので言うことをためらっている。モコさんはほとんどの保育士がつけるエプロンをしない。

「エプロンしないんですか?」

と聞くと

「たまだ君もしてないじゃん。なんで?」

と逆に問われた。

「動きにくいし・・・。」

と答えると

「おんなじー。」

と答えた。服装はいつも水色や藤色、若草色などの淡い単色のポロシャツにストレートのブルージーンズ。確かに動きやすそうだ。

モコさんはたまたま通りがかったというわけではなく、例えば遊びから給食準備に移るときとか、活動と活動の合間にどうしても人手が必要になるときがある。それを見越して主任さんは動く。

「園庭の二人、もう少し見ているので、クラスの方、ちょっと見ててもらっていいですか?」

「うん、またあの二人?」

「そうそう」

「おとうさん、がんばって!」

「ありがとうございます。」

 

 麦と波は園庭に誰もいないのにまだ遊んでいる。大人の世界ではすでに「待てない」「待たない」社会になっている。「無駄」ということが悪者扱いされ「時間」を「無駄」にすることが罪になってしまった。本当は「無駄」が「遊び」として必要な時もあるんだけれど。その象徴は携帯電話かもしれない。今の携帯電話は何でもすぐに解決してくれる。検索すれば答えはすぐに出る。連絡しようとすれば誰とでもすぐにつながる。恋しい人ともだ。連絡が取れないとすぐにイライラしてしまう。

学生時代、学生寮に住んでいた。手紙が届くと事務室に詰めている当番が寮内放送をしてくれるのだが、女性から届くと「手紙」の前にわざわざ「お」をつけて「○○君にただいま『お手紙』が届きました。」と言ってくれる。そうすると寮生が猛ダッシュで事務室に駆け込み、その『お手紙』を満面の笑みで受け取るのだ。僕も学生時代、地元に彼女を残してきたくちだ。こちらから手紙を出した次の日から返事を待って、待ち焦がれて、待ちくたびれた頃、漸く『お手紙』が届くのだ。僕は幸いにもなかったが寮生の何人かはそんな宝物の『お手紙』の封をニコニコしながら切って、読み始めた瞬間、茫然自失となったり、涙ぐんだり、さらには急に走り出した者もいた。期待が莫大なだけに落胆の衝撃はさらに大きい。

 えらく待たせたこともある。休みに入って地元に帰るとき、地元の駅まで彼女が迎えに来てくれるという話になった。しかし運悪く、台風で電車が大幅に遅れてしまい約束の時間を3時間も遅れてしまった。さすがに待っていないだろうと思いつつ電車を降りて小走りに改札口を出て周囲を見渡すと、壁にもたれてうつむいている彼女が見えた。近づいて名前を呼ぶと彼女は少し疲れたような顔をしつつも微笑んでくれた。携帯電話のある今では考えられない話だ。

「わたしまーつーわ。」

そのころ街のいたるところで流れていた歌だ。

「わたしまーつーわ、いつまでもまーつーわ。」

と口ずさんだところで我に返った。時計を見るともうすぐ12時になろうとしている。

(うーん、いつまでも待てないなー。)

僕は二人に声をかけるため下駄箱の前から砂場のほうにゆっくりと向かっていった。園全体が給食に向かって動いていた。0,1歳クラスはすでに保育士がエプロンにマスク姿で動いている姿が見える。もうとっくに食べ始めているのだろう。大きいクラスでは窓越しに手洗いをしている子どもたちが見えた。何となくかすかな給食のにおいが漂い始めていた。

「むぎちゃん、なみちゃん、何をつくってるの。」

「ケーキとね、プリン。パーティやるんだ。」

麦が答えた。砂場の横にある円形のテーブルの上に砂で作ったプリンとケーキが結構な数、あった。プリンはコップに砂を詰めてひっくり返したもの、作り方は本物と一緒だ。ケーキは皿の上の砂山だ。波はまだまだ足りないという風に砂場の砂をコップに詰めてプリンを量産している。

僕は丸テーブルの椅子に座った。

「いつ、パーティははじまるの。」

「うーん、わかんない。」

そう言いつつ麦はケーキを食べていた。

「ひとつちょーうだい。」

「いいよ。」

僕は皿をもってプリンを一つ食べた。

「おいしいね。」

そういうと麦はにっこり笑った。波は相変わらず砂場に座ってコップに砂を詰め、立ち上がってテーブルの上に直接プリンを作っていた。もはや皿が足らなくなっていた。

「むーちゃん、なみちゃん、みんなごはんたべにいっちゃったよ、そろそろおへやにはいらない。」

「いやっ!」

波は目を合わせず、手も止めずそう言った。波がとりあえず「いやっ」というのはいつものことだった。麦はちらっと園庭のほうに目を向けた。麦の目からはだれもいない園庭が広がっているはずだ。

「あとでたべるからたまだくん、まもってて。」

「いいよ、まもってるから。」

僕らはよく子どもたちから、「まもってて」と頼まれる。子どもたちが、そのあと残したもので遊ぶことは少なく、「いいよ、いいよ」と適当に返事をして、放置し、いつの間にかなくなることも結構ある。でもたまにちゃんと覚えている子どももいたりして、「あれはどこ?」なんて聞かれて、あればよいが、なくなっていると、返答に困り、「どこにいったんだろうね。」と適当に返事することになってしまう。子どもの少し残念そうな顔を見ると、適当なことはせず、ちゃんと守ってあげようとその時は思うのだが・・・。

麦は自分の持っていたスコップをおもちゃのかごに入れ、部屋の方向に行こうとした。ようやく状況を理解したらしい。それはそれで素晴らしい。

「むーちゃん、なみちゃんをまってあげて。なみちゃん、むぎちゃんいくって。プリン、たまだくんがまもっててあげるからスコップおかたづけしていこっ」

「いやっ」

やれやれ。

「いいにおいするじゃん、きょうのきゅうしょく、にくだよ。」

応答なし。麦は暇つぶしにせっかく作って、僕が守るはずのプリンを崩し始めていた。打つ手がなくなると悪魔の囁きがすぐにやってくる。

「お部屋にはいんないと給食なくなるよ。」

「お部屋に入んない人は赤ちゃんクラスに行ってください。」

これが結構効き目がある。

「やだー」

「じゃーはいりましょ。」

なかなかやめられない。でも自分で考えて行動できる人になりましょ、そういう子どもを育てましょということからするとやっぱり違う。

「なみちゃん、よーいどんしよ。」

プリン崩しに飽きた麦が何となく波を誘うと

「いいよ」

とあっさり答え、スコップをかごにいれ

「たまだくん、よーどんして。」

とあっけらかんとして言った。次の一手を考えていた僕は

「あっ、えっ、あっ、いいよ。」

と答えにならない返答をし、とりあえず左足で線をかいた。麦と波が線に並び、いっちょ前に片手片足を前に後ろにしてスタートのポーズを取った。

「よーーーい、どん!」

僕も彼女たちの顔を見ながら並走した。麦も波もにっこにっこしながら、前髪をなびかせながら、おでこをすっかりさらしながら走っていた。たぶんおなかはぺっこぺっこなんだろうけど、なんだか元気だな。変な感心をしながらもこっちも元気になったような気分になって3人で園庭を走り抜けた。

「いっとー!」

麦が元気にいった。

(なにいってんの、どんじりだよ。)

と思ったがもちろん口には出さなかった。