4,はらぺこ2歳児
5月末
「手洗い忘れないでね。手洗い終わったらトイレね。」
と入り口わきの流しで、手を洗いながら、僕は子どもたちに声を掛けた。園庭から給食準備のため、部屋に戻った子どもたちは次々と手を「軽く」洗って自分のロッカーに行き、帽子を脱いでロッカーに入れ、素早く座って靴下を脱ぎ、ロッカーにほり込んで、トイレに向かった。僕も手洗いを済ませ、トイレの入り口に座って子どもたちの様子を見て
と少ししつこいなと思いながら、石鹸で手洗いするように声を掛けた。これでも声掛けは減ったほうだ。以前は子どもたちは部屋に入ってきてからテーブルに着くまで厳密に言うと3回手を洗う機会があった。部屋に入った時、トイレを終わった時、そして食事をする前。
ある日、子どもたちが寝静まって日誌をつけているとき、ルーシーが切り出した。
「外から部屋に入った後、3回も手洗いするのどう思う。」
「3回?」
僕が聞くと
「部屋に入って1回、トイレに行って1回、そのあと食事前だからまた手を洗う。」
リーちゃんが指を折りながら言った。続けて
「確かに、子どもらに全部促すのは大変。」
「でもどれも必要でしょ。習慣、身につけないと。」
「いちいち声掛けすると、ただでさえドタバタしてるのにもっとあおることにならない。」
とルーシー。
「どこかとばす?」
リーちゃんがルーシーと僕に目を向ける。
「とばせるとこあんの?」
「部屋から入ってきたら汚れてるし、ここはやっぱり必要かな。」
ルーシー。
「思いっきり砂遊びしてるし、草むしっとるし。」
「トイレもちょっとはずせない。」
リーちゃん。
「ま、昔は『吊り手水』いうて、軒からぶら下がった小さいタンクから水をちょっと出してぬらす程度だったけどね。水道もなかったし。」
「昔は、でしょ、だから感染症が流行ったんじゃないの?」
ルーシーが少しにらんで言った。
「仰る通りですが雑菌に強くなった。」
「トイレ行った後、また流しに行って手を洗うのをトイレで石鹸付けて、しっかり洗うことにする?」
とリーちゃん。
「そこしかないかな。」
ルーシー。
「じゃそこは、丁寧に見るということで。」
リーちゃん。
「了解」
と僕。
こうして3回の手洗いはトイレでしっかり洗うということで2回に決着したが、実際の子どもたちの手洗いはまだまだ不完全なことが多い。トイレ後、食事前の手洗いの習慣を身につけることと手洗いのスキルを上げることは別だ。手洗いの仕方まで丁寧に見ることはなかなか難しかった。しかし「清潔の自立」も2歳児クラスの目標だ。細かい手洗いの技術向上は日常の活動の中で時間を設けて行うことになった。
最初にトイレを済ませた瞳がさっさと席についた。いつも一番の瞳は3個あるテーブルの真ん中の一番前、つまり保育士の椅子の真ん前に陣取る。隆二、渡、武士、朝美。概ねこのメンバーがすることをして席にさっさと座って待っている。僕はこのメンバーで唯一オムツの渡の脱いだものをゴミ箱に捨てながら子どもたちの様子を見た。隆二と渡は仲良しでいつも一緒に座る。男の子二人に近づいて武士がその横に、朝美がまたその向かいに座る。瞳はまっすぐ前を見てじっとしている。隆二と渡は
「きょうりゅう、いいね。」
「うんそうだね。」
「なんのきょうりゅうがすき?」
「きょうりゅう」
「きょうりゅうじゃなくて、・・・」
とお話をしながら、武士は隆二と渡の話を聞きながら、朝美はテーブルを指でなぞって何か書きながら待っていた。
瞳たち第一グループの子どもたちが席についたところで、第二グループの子どもたちが園庭から室内にリーちゃんと入ってきた。千穂、康江、麦、善、知香、義樹だ。千穂と康江と善はすんなり帽子と靴下を片付けた後、トイレに向かったが、ほかの3人はロッカー前で座ったままボーっとしている。外遊びに疲れたか、何かが気になるのか。僕は流しのところで子どもの様子を見ながら、かごに入った子どもたちのおしぼりをぬらして一つずつ絞っていた。リーちゃんがロッカー前で座っている子どもたちに声を掛けた。
「みんな、だいじょうぶ?」
とりあえずその声に反応して、麦と知香は帽子をかぶったままのろのろと靴下を脱ぎ始めた。義樹はあい変わらず物思いにふけっている。リーちゃんは三人を見ながらトイレのほうに向かった。千穂はトイレから出てパンツをはこうとしていた。
「ちほちゃん、手、あわあわした?」
リーちゃんが聞くと、千穂ははっとしてパンツをあげながらトイレの手洗いに向かった。康江と善はトイレに座って用を足していた。リーちゃんはトイレの入り口のところに座り中の様子を窺っていた。
おしぼりをぬらし終わったところで園庭に残っていた子どもたちを見ていたルーシーの声が園庭に面したテラスにある下駄箱から聞こえてきた。
「ゆきちゃん、かおちゃん、いきまーす。」
ルーシーが言い終わらないうちに、幸夫と薫がどてどてと部屋に入ってきた。
「おててあらって、トイレにいっといで。おはなしはじめるよ。」
僕は濡れたおしぼりの入ったかごを持って、テーブルのほうに向かいながら二人に声を掛けた。二人とも園庭を走ってきたのか少し赤い顔をしていた。薫はこっくりとうなずき、幸夫は少し慌てたように靴下をぬいだ。
先に準備を済ませた子どもたちは席について待っていた。待っていてもいいと自分で思った子どもが先に入ってくる。つまり待てるということだ。瞳は手をテーブルの下に入れ、相変わらずじっと前を見つめていた。隆二と渡は何やらふざけあっているし、武士と朝美はふたりでお話をしている。千穂と善も席につき、康江も自分の丸テーブルに着いた。
僕はおしぼりの入ったかごを子どもたちに差し出した。おしぼりはそれぞれがよく見えるようにかごのふちにかけていた。子どもたちは一目で自分のものを取っていく。以前はおしぼりに書かれている名前をいちいち読んでいたが名前がついてないものもあり結構手間取った。リーちゃんやルーシーはそんな時においをかぐ。そしてあたりをつける。あたりをつけて本人に確認する。それはたいてい当たっていた。靴下もそうしていた。
「なんでわかるの」
あるとき聞いたら彼女たちは顔を見合わせ「へっ」ていう顔をした。そんな質問予想外という顔つきだった。
「柄とかで何となくあたりをつけて柔軟剤でおおよその見当はつくよ。」
「柔軟剤?」
それ以上は少し恥ずかしくて聞けなかったが・・・、そいつは知らなかった。存在さえ知らなかった。今はそんなものを使うんだ。うちは連れあいがエコ志向なので石鹸洗剤しか使わない。今は子どもたちに自分で取ってもらう。その方がはるかに早い。子どもたちがひととおり自分のおしぼりを取った後、かごをテーブル前のロッカーの上に置いた。次々に来るであろう子どもたちが取りやすいところのはずだ。
僕は中央のテーブルの前にある丸椅子に座った。瞳の目の前だ。瞳はようやく始まるかといった風情でまっすぐこちらに目を向ける。僕はポケットから小さなだるまを出して子どもたちに見せた。
「『おてぶし』するからね、よくみててね。」
わらべ歌を一節歌った後、モノがどちらの手にあるのかを当てる遊びだ。わらべ歌版「どーっちだ?」である。
「おてぶしてぶし、てぶしのなかに、へーびのなまやけ、かえるのさしみ、いっちょばこやるからまるめておくれ、いーや」
少しおどろおどろしい歌を歌い終わると同時に両こぶしを子どもたちにつきだした。反射的に「こっち、こっち」と指をさして言う子、きょろきょろ見比べる子ども、友だちにつられて指をさす子といろいろだが、さすがに「右」だの「左」と言う子はいなかった。左右はまだわからない。両腕を上下にしたり、両こぶしをグルグル回してちょっと間を取った後、手のひらを上に向けてこぶしを開くと右に載っていた。
「やったー」と叫ぶ子やら、ちょっと悔しそうにする子、左を差していたはずなのに喜んでいる子、様々だった。
「もういっかいやってー。」
のリクエストに応えもう一度歌いだした。
こんな時、つまりおやつ前や給食前にちょっとした手遊びや絵本を読んだりすることが保育園では多いが、導入部には定番があったりもする。「トントントントンひげじいさん」やら「はじまるよ、はじまるよ」などだ。僕は歌えなくもないがやはりちょっと恥ずかしい。歌ったとしてもジェスチャーを大げさにして照れ隠しをしてしまう。それも結構受けたりもするのだが、やはりわらべ歌が僕にとっては年相応だ。「おてぶし」などもそうだが意味を完全にわかっているわけではないが、そこは歌自体が持っている伝統の力に頼っている。保育の現場でもわらべ歌の持つ力は十分に認められており、その研修も人気だ。園長がその力を十分に理解していて園内研修で講師を呼んで何回か実施したので少し身につけることができた。
三回目のおてぶしをやっているときにルーシーがまだ園庭に残っていた友子、太郎、達彦を連れてお部屋に入ってきた。僕がおてぶしをし始めたところからお着換えが少しゆっくり目だった知香、麦、義樹はスピードが上がり、トイレを出てオムツやパンツをはいていた。その時、空いている部屋の入り口から
「給食、持ってきました。」
というフリー保育士のトッキー(時子さんでトッキー)の声がした。
「ありがとうございます。」
入り口の流しで手を洗っていたルーシーが応答した。
「次、なにする?」
僕は次のネタに移ろうとして子どもたちに聞いた。
「・・・」
反応がない。「わらべうたの手遊び」「えほん」「かみしばい」、皆が一番待ち望んでいるのはおそらく紙芝居なんだけれども今、準備している子どもたちも当然紙芝居は見たかった。ここで紙芝居なんぞに手を付けると大パニックになってしまう。
「『いちべえさん』でいいかな」
「いいよ」
と武士が元気な声で答え、ほかの子どもたちもうなずいてくれた。
「いちべえさんがいもほって、にいべえさんがにてたべて、さんべさんがさけのんで、よんべえさんがよっぱらって、ごうべえさんがごぼほって、ろくべいさんはろくでなし、しちべさんがしばられて、はちべえさんがはちにさされて、きゅうべさんがくすりをぬって、じゅうべえさんがじゅうばこしょって、あわわのあわわのあぷっ」
僕はこぶしを腰において威張ったように子どもたちをにらみつけた。にらめっこだ。子どもも同様に睨み返す。本来なら一対一で子どもとて妥協せず対決すべきもののようだが、相手が大勢ということもあり、歯を見せた子に
「わらっちゃまけだよ、わらわなかったひとのかちー」
と宣言した。
「じゃ、もう一回だよ。」
歌い始めたあたりでリーちゃんがトイレ前をルーシーに任せて、給食の準備を始めた。給食は二段のワゴンに乗せて給食室から運んでくる。ご飯の釜、おつゆのジャー、おかずの入ったトレイやボール、そしてごはん茶碗に汁椀、おかずを入れる皿と小皿そしてフォークとスプーン。これらをワゴンや遊ぶコーナーの間仕切りに使っている、横に置いたカラーボックスを台替わりにして取り分けていく。
頬を膨らませたまま、目玉を動かしたり、目を大きくひらいたりして子どもらを挑発し、それでも笑わなかった子どもたちに勝利宣言をして「いちべさん」を終わらせた。
トイレのほうに目をやると友子、太郎、達彦がまだ終わっていなかった。
僕はその子たちに向かって、
「絵本読んでるからね。」
と一声声を掛けた。見たかっただろうに、ちょっとごめん、先行ってるわ、というような感じでだ。
絵本のチョイスは季節に合わせたものとかその時々のテーマに沿ってという建前はあるものの、毎日のことなので保育士が気に入ったものとか、子どもたちが読んで欲しいものとかいろいろではある。一日の保育の中で、絵本が占める比重はとても大きい。朝のおやつの時、給食の時、午後のおやつの時、最低3回、一回1~2冊、多い時で一日5~6冊読むときもある。今日は大型絵本を園の図書コーナーから借りてきていたのでそれを読もうと思っていた。僕の完全な好みではあるが長年親しまれている絵本でもある。「でんしゃでごう」オレンジとグリーンのツートンカラーの電車が海から山へと季節を廻りながら行き来する絵本だ。表からは「海」発「山」行き、裏からは「山」発「海」行きになっている。四季折々の風景も素敵だが何よりもオレンジとグリーンの電車が子どものころ鉄道マニアだった僕の心をわしづかみにする。その絵本の大型本を購入したというのでイの一番に借りてきた。大型本というだけで子どもの興味は津々だった。おまけに少し横からにはなるけれど遅れて排泄を済ませている3人にも見えるはずだ。「デデコーンデデコーン。」僕は子どものころから電車の擬音はこれなんだけど誰に教わったのだろう。僕の擬音を覚えてくれる子どもたちはどれぐらいいるだろう。忘れるだろうね、やっぱり。
絵本を読み終わったところで友子が座り、リーちゃんのほうを見ると太郎と達彦はもう少し時間がかかりそうだった。
「たろうくん、たっちゃん、紙芝居始めるから早くおいで。」
とりわけ太郎のほうは紙芝居が大好きだ。紙芝居と聞いただけでスピードが倍になる
「まってー」
「少し待ってあげる?」
と子どもたちに聞くと
「いいよ」
と誰からということもなく声がかかった。
「ありがとう」
前の僕なら数を数えて煽ったかな、と思いながら待った。太郎は慌ててオムツをはきズボンをはいた。達彦も太郎がスピードアップしたのにつられてルーシーに手伝ってもらいながらズボンをはき終わった。太郎と達彦が座ったのを見てふたりに
「おともだちがまっててくれたよ、よかったね」
と声を掛けると太郎少しはにかんだが、達彦は無表情だった。
今日の紙芝居は「やさいなんかだいきらい」。ホールの紙芝居置き場からいくつか持ってきたうちのひとつだった。表紙の豪快に野菜をぶん投げている女の子の絵が気になって手に取ってしまった。絵本に比べると紙芝居は絵で見せるので、多少難しい内容でも子どもたちは一生懸命見ている。枚数もせいぜい20枚以下なので何とか飽きることもなく、少し難しいと思えば保育士が内容を補足し、子どもたちに質問しながら読み進めることもできる。テレビ的な姿かたちが馴染みやすいのかもしれない。娯楽のない昔、紙芝居を自転車に積んで水あめを売りながら子どもに紙芝居を見せる、子どもに大人気の商売があったと聞くが今もなお、保育園では「娯楽の王者」のひとつではあると思う。その中でもアンパンマンはこれはもう王者中の王者だ。ガチガチの鉄板ネタ。そして往々にして安易にこの鉄板に乗っかってしまう。困った時のアンパンマン。ちょっとは工夫しろよと自分ではつぶやきながらもついつい頼ってしまう。わかっちゃいるけどやめられないほど、子どもたちは熱心に見てくれる。一年目の全く腕のない時は頼り切っていた。
今日の紙芝居を手に取ったときは何となくだったが、今、はたと気が付いた。まさに食べたくないものがあるとテーブルの下に落とす輩が2名ほどこのクラスにいた。何か感じてくれればとあまり期待をせずに読み始める。「野菜嫌い」「腹痛」「便秘」「浣腸」紙芝居に出てくるこれらの言葉はまだはっきりとはわからないだろうな。二人のうちの一人はまさしく便秘なんだけどな。
紙芝居を読み終わって振り返ってみるとワゴンの上やロッカーの上にごはん、汁物、おかず、デザートそれぞれが載った皿が並べられていた。
「給食、いい?」
とリーちゃんとルーシー二人に聞くと
「いいよ。今日はね、アレルギー食はなし。」
とリーちゃんが答えた。アレルギー食についてはあってもなくても確認する。命に直結するからだ。
僕は立ち上がって空いているトレイにごはん、おつゆ、おかず、果物のおわんや皿を載せ子どもたちに見せた。
「今日の給食はごはん、おつゆ、焼いたお魚、サラダ、この緑の野菜、わかる?」
ブロッコリーを指してみんなに見えるように皿を傾けた。
「ぶろっこりん」
2,3人の子どもがバラバラに言った。
「せいかーい。こっちのきいろいのはサツマイモです。じゃあ、このみどりのくだものなーんだ。」
「きゅーい」
また数人の子どもたちが答えた。だれかは「きゅうり」という子もいた。
「きゅうりじゃないからね、きゅーいだよ。じゃ、くばるからね。」
リーちゃんとルーシーがそれぞれお盆にごはんやらおつゆをのせて子どもたちの前に置いて行った。子どもたちはそれぞれリーちゃんと、ルーシーの動きを眺めていたり、隣の友だちとキュウイを指して笑っていたり(「きゅうりきゅうり」と言っているのだろう)、ぶろっコリンをにらみつけたり(みどりはろくなもんじゃないと思っているに違いない)しながらみんなにすべてを配られるのを待っていた。
僕はトイレの入り口の横にある押入れの、わきにある物置に自分の弁当箱を取りに行った。弁当箱に白米しか入っていない。おかずは子どもたちと一緒のものを食べる。子どもたちの給食費は公費で賄われるが保育士は自己負担だ。お金を払って子どもたちの給食と一緒のものを作ってもらい、一緒のものを食べる。保育士も「同じ釜のめし」を食べる。
「みんな、給食あるかな。」
と子どもたちを見渡しながら聞いた。子どもたちは自分に配られたものを見るが返事はない。僕のあいまいな質問に戸惑っている。一つはある? 全部ある?テーブルの後ろに立っていたルーシーと配膳台の前に立っていたリーちゃんが同時に頷いた。
「ごめん、ごめん、わかりにくかったね。みんないったみたいだね。それじゃ食べようね。おへそをテーブルにくっつけて。せーの、おててをぱちっ、みんなでいっしょにいただきます。」
僕が手を合わせて 「お題目」を唱えるとそれに呼応して子どもたちも声を出した。
「いただきまーす!」
給食は保育園の一日の時間の流れの中で一番大きなイベントだ。午前中は給食の時間に向かって「登って」いき、午後はそこから午睡を経て「下って」いき、お迎えでゴールを迎える。一緒に「いただきます」を言うことはともかく、みんなで一緒にご飯を食べることは大切なことだと思う。体が満たされ、心が満たされ幸せな気持ちを共有する。同じ釜の飯を食べ、食べ物を分かち合うことによって人と人との気持ちがつながっていく。
但し、そうなるには当然食べることが、もしくは食べることによって「幸せな気持ち」にならなければならない。ところが給食の時間が苦痛だという子が案外多くいる。これは本人たちに確認したわけではないが、本やらテレビやらでいろいろな人が言っているのを見聞きしたことがある。その原因はほとんど「残さずに食べる」ことを強要されることへの恐怖とも言っていい嫌悪感だ。よく聞くのは小学校の給食の時、嫌いなものが食べられず、飲めず、昼休みも一人でにらめっこしていたというエピソードだ。自分自身の経験からもそういう友だちはいた。牛乳をひと瓶飲めず、昼休みまでにらめっこということまではなかったと思うが辛そうではあった。
僕自身も「完食」にこだわっていたことは否めない。出されたものは全部食べるということは戦中派の両親からたたき込まれた食のモラルだ。戦時中の話をされるとそれに抗うことは難しい。僕自身は鈍感だったのかスキキライはほとんどなかった。とんかつをかぶりついたときにいきなり襲ってくる脂身のぬるぬるした食感や、串カツの間にあるたっぷり油を吸った玉ねぎとか、カレーに入っていたでっかい人参の芯が煮えていないのとかを除けば。好き嫌いが理屈じゃないかもしれないと思った最初は自分の子どもがスイカとメロンが嫌いと言った時だ。にゅるっとした食感がいやらしい。よりによってスイカとメロンだ。子どもは大好きなはずだ、ありえない。まだ受け入れられず、自分の子育て中は子どもたちに完食を強要していた。その考えがまた少し変わったのは、保育園で働くようになり研修で味覚や口の中の触覚が敏感な子どもがいるということを聞いてからだ。好き嫌いは理屈ではないなと思えるようになった。とはいえ僕自身もまだまだ完食にこだわる考えを捨てきれないし、未だに保育園全般に完食を求める文化があることは否定はしない。そのことに困っている子どももたくさんいるだろう。
2歳児クラスは栄養士が示した量を保育士が盛り付け、子どもたちに配っていた。与えられたものはどこかよそよそしい。それぞれの子どもの食欲に見合ったものではないのでどうしても残す子どもが多かった。何かが残っているとどうしても完食を目指させてしまうのが保育士の性、「おいしいよ」「元気になるよ」「がんばって」と励ましているうちはいいが「たべないとおおきくなれないよ」とだんだん脅かしたりしてしまう。そのうちに時間切れで「今度からちゃんと食べようね」となる。ある子どもは何となくばつが悪そうに椅子から立ち上がり「おくち、ふいてね」ととどめのお小言なんかをもらったりする。別の子はやれやれ、今日もしのいだぜ的な感じで勢いよく立ち上がって行こうとして「いす、ちゃんといれてね。」とこれまた一言。保育士もやり方はともかく子どものためと思って全力で対応してもうまくいかず、疲労感は残ってしまう。実は保育士、意外というか当然というか、結構食べ物のスキキライの激しい人も多い。子どもの気持ちもよくわかっているが職業的使命か「心をおににして」子どもたちに話をしているらしい。リーちゃんは魚が食べれないし、ルーシーはピーマンだのきゅうりだのねぎだの青系野菜は得意ではない。かたや、食べられない物は食べられない、こなた、それはわかってるけどとにかくたべて。これでは両方疲れるばかり、楽しいはずの給食が消耗戦になってしまう。
嫌いなものを下に落とすのは実は達彦や義樹だ。武士は「食べられない」と言ってべそをかく。太郎や幸夫は保育士を呼んで何とかしのごうとする。いずれも食べなければいけないという前提の行為だ。それは保育士にしろ親にしろ有形無形の圧力をかけたせいでもある。親にしてみたら出されたものは全部食べてよ、世の中には食べられない子どももたくさんいるのよ、みたいな理屈を大上段に振りおろしてくる。でも食べられないものは食べられない。理屈じゃないんだ、とおそらく子どもは言いたいに違いない。もしかしたら親に向かって「あなたにもらった資質だ。」と叫びたいかもしれない。甲先生の園では給食も主体性を身につける機会ととらえて、子どもたちが給食のお当番さんに自分で食べられる量をもらうという。それが確かに理屈に合っている。多い、少ないという量の概念がわかってからのことになるだろうがいずれはこのクラスでもそっちの方向に行けばと思う。
配膳台のところでリーちゃんが、僕から見て左のテーブルの後ろのところ、麦と義樹の間でルーシーがご飯を食べていた。保育士も子どもたちと一緒に食べる。一応モデルとして食べる姿を見せるということが理由だが、そんなに意識することはない。やっぱりご飯はみんなで食べるほうがおいしい。「孤食」とかいう言葉があるが、なんて悲しいんだろうと思う。ずーっと昔から人は食べ物を分かちあい、共に食べることを生活の基本としていたはずだ。
子どもたちにはスプーンとフォークが配られていた。ほとんどの子どもは、スプーンを使って食べている。義樹がスプーンに魚をなかなか載せられないのをルーシーが見て、義樹のフォークを使って
「おさかなはこうやってフォークでちっくんだよ。」
といいながらフォークで焼魚を刺してやっていた。武士はごはんを山盛り、スプーンですくい、落ちそうになったので慌てて手で押さえスプーンと手を使って口に運んでいた。薫と太郎は左ききだ。みんな上からスプーンやフォークを握って食べている。それはそれで子どもらしくてかわいいのだけれどいずれはお箸を持つことを見据えて、親指と人差し指の間にスプーンやフォークを載せて使えるように声を掛けることになる。
「リーちゃーん。」
幸夫が前にいるリーちゃんの名前を呼んだ。
「たべれなーい。」
幸夫は近づいたリーちゃんにそう言った。皿には得意でない、不得意な、好きでない、嫌いな緑、ブロッコリンが残っていた。
「これだけじゃない、食べれるんじゃない。」
リーちゃんがそう言うと、幸夫は
「うーん」
と言いながら身をよじらせた。
「たべたら、かっこいいとリーちゃんはおもうなー。」
身をよじらせたままリーちゃんと、憎っきブロッコリンを交互に見ている。
「しょうがないね、じゃ、ちっちゃくちっちゃくしてあげるからなめるだけでもなめてみよっか。ももこちゃんもたべてたよ。」
リーちゃんはさっき読んだ紙芝居のももこちゃんの話をしながら、幸夫の返事も待たず幸夫のスプーンを使ってブロッコリンをスプーン半分の大きさに分けた。
スプーンを幸夫の目の前に持っていき
「どう、いける?」
と聞くと、幸夫は
「もっとちっちゃく。」
と答えた。リーちゃんはさらに半分にした。
「どう?いける?」
幸夫はそれには答えずペロッとなめてみた。
「・・・」
いつものいやな感じがなかったのかおかしいなというような表情に僕には見えた。そしてほんの少しだけどかじった。表情が少し明るくなり残りのブロッコリンを食べた。あまり期待をしていなかった分、リーちゃんは少し声を張り上げ
「すごいじゃない、ゆきちゃん、たべられたね。」
と言うと幸夫は少し誇らしげにリーちゃんに微笑み返して言った。。
「やさい、すなよりおいしい。」
リーちゃんはまさに絶句した。僕も驚いた。
幸夫は何かにつけ砂を舐める癖があった。一度オムツを換えている時、うんちに砂が混じっていることがあった。
「すみません、うんちに砂が混じってました。もしかしたら保育園で砂を食べているのを止められなかったかもしれません。」
とママに報告すると
「赤ちゃんの頃から砂を口にしてて、なかなかやめてくれないんです。」
と言っていた。幸夫が砂を口にするところを見つけると
「あんまりおいしくないでしょ。」
と言いながら口に入った砂をティッシュで取ることがしばしばあった。小さい子どもは口で物を知ることは発達上、よく知られることだ。幸夫も口でもって砂の味や形、歯ごたえなどを知ろうとしていたのだろう。その幸夫が砂と野菜を比較検討した結果、野菜は砂よりおいしいという結論に至った。実際幸夫はブロッコリーを野菜と総称して言っただけだが、せっかくだから話を大きくしよう。今後、砂を食べる幸夫の後輩たちに自信を持って僕は言うことだろう。
「野菜は砂よりおいしい!だから砂を食べるのであれば野菜を食べよう。」と。
もっとも、砂を好んで食べる子どももあまりいないとは思うが。
「ごちそうさましていいよ。」
とリーちゃんは幸夫に言った。これ以上勧めて食べられないとせっかくの成功体験がなくなると思ったのかそれ以上は勧めなかった。幸夫も少し安心したように、そして少しどや顔になって隣の渡のトレイを覗き込んだ。
幸夫がブロッコリーを食べられなかったのは単に緑色のせいで食べず嫌いになっていたのかもしれない。味が嫌だから食べられなかったわけではないようだ。その細部の要因まで保育士は正確にわかっているわけではない。ただどんな食材も完食はして欲しい。でも無理強いはできない。でも未知の味を知って「味の世界」を広げて欲しい。いろいろな葛藤の中で保育士は子どもたちに声を掛ける。子どもたちのためにする保育士の葛藤を一日の生活のなかで分かっているのは子どもたちだ。子どもたちはその姿を見て保育士を信頼し、例えば給食の場面で得意でない食材、未知の食材を食べるという壁を保育士とともにのりこえようとする姿がある。逆に言えば日常的に子どもたちにどれだけ寄り添っているかで子どもたちが保育士の言葉を受け入れようとする気持ちが変わる。大切なことは子どもたちが保育士の助けを借りながら自分たちでいろいろな壁を乗り越えるということだ。
好き嫌いの原因は多くは味と見た目だと思う。味については緑野菜のえぐみがよく言われる。毒を見分けるためにご先祖様が身につけた力という人もいる。見た目に関しては見慣れないもの、知らないものに対する恐怖でこれも身を守るための力。どうしようもないのかというとそんなことはないと思う。一つには信頼する人、仲間が食べていれば安心して食べることができるはず。そのうえでスプーン一杯から始めるなど、少しずつ慣らしていけば食べられるようになると思う。保育園の給食はこの条件を満たしている。小さいクラスの時から友だちと一緒に食べ続け、自分の苦手なものを友だちが食べるのを何度も目撃することだろう。やさしい保育士さんがいろいろと声を掛けてくれるだろう。そして幼児クラスになると好き嫌いは減る傾向にあるのが実感だ。結局、「食べさせられる」のではなく「自ら食べる」ということでないと身にはつかない。
紙芝居の「やさいなんかだいきらい」は嫌いなものを下に落とす達彦や義樹がターゲットだったが思いのほか幸夫に良い結果をもたらした。でもこれは本当にたまたまだ。ここに至るまでに保育士の地道な声がけがある。
僕から見て右のテーブルでリーちゃんが幸夫に声を掛けていた一方で左のテーブルではルーシーが千穂に声を掛けていた。
千穂はブドウを最初に食べ、ごはんやおかずに手を付けずに
「ブドウ、ブドウ」
とお代わりを要求しているらしい。
「ブドウ、好きなんだ、うんうん、ごはんとおかずきれいにしたら持ってきてあげるから。」
ルーシーが千穂の気持ちを受けた。ここでわがままを許してしまえばこの子の将来は、としつけのことを考えてしまって有無を言わさず「食べなさい」とぴしゃっと言ってしまう大人も多い。
「いやっ、ブドウ」
千穂はどちらかというとおとなしい子だけれど、一度「いや」となると結構頑固なところがある。ルーシーはたぶんそれを見越してる。
「あらあら、いやいや虫がとんできちゃったね。少しだけでもいいからごはんやおかずを食べたほうがいいと思うよ。」
「いやっ」
もちろんブドウを先に食べたところでという考えもあるだろうけれど、デザートはあとなんじゃないかとか、先に好きなものだけを食べておなか一杯になってはどうなんだろうとか、特に若い保育士さんは子どもの気持ちを考えつつ、世の中の習慣も考えつつ、こんなところでもいろいろと葛藤を抱える。
ルーシーはその頑固さにほとほと困ったという様子で立ち上がり、ワゴンにおいてあったお代わり用のブドウを一粒、皿にのせて持ってきた。
「ほら、ブドウあるから、少しはごはん、食べよ。ねっ」
千穂はブドウをちらりと見た後、コクッと頷いた。子どもたちにとって、とりわけまだことばが十分に発達していない子どもにとって聞くよりも見る、つまり耳からの情報よりも目からの情報のほうが理解しやすいということをルーシーはよく知っている。ものが目の前にあればもらえるという信頼が生まれる。
「ここに置いておくから、ごはんとおかず食べれるだけ食べてね。」
とルーシーはほっとしたように言った。「食べれるだけ食べてね」の意味をどこまで理解しているかわからないが千穂はごはんをスプーンで食べ始めた。基本的には食べる子なので、結局はごはんとおかずをあらかた食べ、満足そうにブドウを一つ口に頬張っていた。
後から考えれば保育士にとって「あれは何だったんだ」ということはよくあることだ。でも子どもにしてみれば必ず何らかの理由がある。そのことを常に念頭に入れておかないと子どもとの距離がどんどん離れ、子どもの気持ちを見失ってしまうことになりかねない。
保育士からすれば好き嫌いが多い子ども、食の細い子どもばかり気になってしまうが、もちろん給食大好きという子どもも当然いる。
「おかわりください!」
僕から見て右のテーブルに座っていた友子がサラダが入っていた皿を右手で指しだして大きな声で言った。配膳係のリーちゃんが
「サラダ?」
と聞くと友子は
「うん!」
と答えた。リーちゃんがサラダの入ったボールを持って友子のところに行き
「どのぐらい?」
と聞くと
「いーっぱい!」
と友子は嬉しそうに答え、リーちゃんも
「いーっぱいね。ブロッコリーは?」
と聞くと
「いるー!」
と元気に答えた。リーちゃんはトングで2,3度サラダを皿に入れ、最後に大きめのブロッコリーを
「はい、どうぞ。」
とニコニコしながら入れた。
「ありがと。」
友子は視線はサラダに、手はスプーンをつかんでまさに食べる直前に軽くリーちゃんにお礼を言った。
友子はほぼ毎日、主におかずのお代わりをする。だいたいの子どもはなにがしか残したままお代わりを申し出、僕たちに「もうすこしたべようね。」とか言われるが、友子はすべての皿をぴっかぴっかにしてから申し出る。一度栄養士のあけちゃんが子どもたちの食べ具合を見に来て、友子のパーフェクトな食べっぷりに感激し、「おかわり!」と言われるたびにおかずやら、ごはんやら、おつゆやらを山盛りに盛り付けていた。僕は内心、必要栄養量をはるかに超えてるんじゃないかと思ったが、あけちゃんはおかまいなしだった。どうやらこの時は栄養士ではなく子どもたちにおなか一杯食べさせることだけを考えているお母ちゃんだったようだ。食べ物に関しては「世界の子ども」のことを考えずにはいられないが、友子の食べっぷりの良さは周りの心をあっためてくれる。
そのあけちゃんだが、普段はおっとりしていて気のいいお母さんなのだが、給食を作っている時はまた別の雰囲気がある。僕がフリー保育士の時に何度か給食室の応援に入ったのだが、ある時、グレープフルーツのカットを頼まれ、グレープフルーツを洗おうとシンクに持っていったら
「そこはだめっ!」
と鋭い声が飛んできた。いつもは聞かない鋭い声だったので驚いて声のした方向を見ると、あけちゃんが僕に鋭い視線を投げかけていた。目が合うと一気に穏やかになって言った。
「そこは肉を処理するところだから、野菜や果物は洗えないの。こっちで洗って。」
と別のシンクを指さした。栄養士にとって食中毒は絶対的なタブーだ。食中毒だけではない。アレルギーの問題もある。まさしく子どもたちの命を預かっている。栄養士はそれらに気をつけながら一人で数人のパートさんを見ながら仕事をしなければならない。その時のあけちゃんの鋭い声と視線の中に、栄養士さんの緊張感を思い知った。
ご飯を食べ終わった子どもたちはおしぼりで口をふいて自分でロッカーの汚れ物の中におしぼりをしまい、パジャマに着替える。全員が全員とは言わないけれど多くの子どもが「くった、くった」という顔をして席を立っていく。何とかかんとか、やれやれという子どももいるにはいるけれど、いずれにしてもおなかを充たした子どもの姿を見ることは心が和む光景だ。そうか、そうか、よかったねと声を掛けたくなる。世界中の子どもたちが毎日このような気持ちになってほしいと願わずにはいられない。