1歳児の保育 ややこしない、ややこしない、ちょっと熱いだけだから

7、暮れ 正月 ゆき

「12月」と言う言葉を聞くと「冬」を急に感じるようになる。確かに11月よりは季節も進み気温も下がり、風は北寄りになり、少し強くもなる。ジャケットから、コートやジャンバーに羽織るものも厚手になり、体も冬仕様を要求するにはするが、「12月」という言葉そのもののインパクトはやはり大きいように思う。心も体も「冬」を感じるようになると僕たちは子どもの活動を冬向きのものにしたいなと思う。冬と言えばやっぱり雪だ。バンバン雪でも降ってくれれば、手っ取り早いが当地はそんなに雪が降る所でもない。となると子どもたちを空想の銀世界に誘うことになる。この時期、野ネズミの二人組も、ネズミの大家族も、だるまも、活発に活動してくれる。彼らの住む地域は豪雪地帯だ。見渡す限りの雪景色。子どもたちはもちろん、僕たちも別世界の彼らの活躍にウキウキする。雪だるまが活躍するものや、クリスマスをテーマにしたものなども数多い。子どもたちの心の世界はこの季節、真っ白い銀世界に覆われる。この地域も1年に1,2度は積雪を記録する。園庭に降りしきる雪を子どもたちも見ることはある。大きい子どもたちは歓声を上げることが多いが1歳児クラスの子どもたちは不思議そうな表情で見る子どもが多い。0歳児の時はともかく、生まれて初めてという子どもも多いはずだ。「ゆきやこんこん。あられやこんこん」と楽しく、うきうきとした感じがあるが、どちらかというと寒さが先に立つようで、園庭に出ようとしたらこそこそと部屋に入ろうとする子どもが何人かいた。雪を楽しむにはもう少し時間がいるかなという感じだった。

 

 「12月」は「発表会」のシーズンだ。この1歳児クラスは春先から出し物はほぼ決まっていた。くるみさんがみんなに見せたいといった「ミックスジュース」。春以来、何度も踊っているので、もはや練習の必要もない。全員に聞いたわけではないので断定はできないけれど、大方の子は嫌いではないと思う。発表会はお祭りみたいなものだ。心躍り、体弾ませ、日常の生活を彩る楽しい日だ。子どもたちが自分からノリノリにならないと意味はない。そういう意味でもたぶん大丈夫だ。さらに発表会は子どもたちの「今」を保護者に見てもらう機会だ。だから、踊るだけでは「芸がない」とくるみさんはいう。

「ステージに出ますー、果物をミキサーに入れますー、名前言いますー、あー、名前、うーん、名前かー。」

ここでくるみさんは少しうなった。

「実際、名前ってどうだっけ?」

くるみさんに尋ねると

「高月齢児は言えます。」

「どうする?『おなまえは?』って聞いて答えなかったら『緊張してるみたいですね。』でいく?」

「それだと『緊張してるみたいですね。』のオンパレードになるかもしれないですよ。そこまでして無理に名前言わなくてもいいような気がします。」

「でも名前は紹介したいなー。みんなにそれぞれ一瞬でもスポット当たるからなー。」

「普段のお集りの時はお名前を呼んで、子どもたちが手を挙げて返事をしているので、そっちのほうがいいのかなー。」

「じゃ、そうしようか。」

大人ですら特別な日の特別なことは緊張する。ましてや、だ。普段どおりが一番いい。

「順番はどうする?」

「最初に出ると、ステージ上で待たなくちゃならないので低月齢児はあとにします?」

「そうだね。ステージ脇に椅子でも置いて待っててもらおう。かおちゃん、ちよちゃん、こうちゃんは一番目でいけるかな、あとユリちゃん」

「ユリちゃんは2班のほうがいいと思います。いきなりだとちょっとびっくりするかも。ゆーくん、あやちゃんあたりもかな。誕生会の時は前に出たがらなかったからなー。さちくん、としちゃんは1班でいけるかな、タマちゃんが2班。それで、最後はともくん、まーくん、わきちゃん、よっちゃん。」

「それでいくか。くだものとかミキサーははどうする?」

「子どもたちに好きな果物聞いて、新聞紙丸めたやつに色、塗ってもらいましょう。ミキサーの代わりは、バケツか何かの入れ物に入れてもらうということで。」

「リンゴとか、ミカンだったらいいけど、スイカとか、ブドウだったらどうする?」

「そこはその時にですよ。なんとかなりますよ。」

「ほんとー。だいじょうぶ?」

制作に自信のないおっさんは疑り深いが、相棒が満面の笑みを浮かべ、力強くうなずいてみせるのですぐに大船に乗ったつもりになってしまった。

 練習は2回。ホールでステージに上がる練習をしたが、低月齢児の第3班がステージ脇で我慢できず第1班が出ると我も我もと出るので、それじゃあ最初に出て好きにしてもらおうということになった。当日はパートの渡辺さんがついてくれることになっている。発表会に限らず保育園の行事は常に「不測の事態」が起こる。備えは欠かせない。

 僕ら保育士は往々にして行事、とりわけ運動会や発表会で「ちゃんとする」ことを子どもたちに強いてきた。「こうして、あーして、そうやって。」「ちがう、ちがう、そうじゃない、もういっかい」なんか違うなとは思ってた。でも去年もこうだったし、おととしもあーだったし、ずーっとそうだったから。と、思ってきた。ある保育園の園長先生が行事のねらいついて、いくつか語る中で「今の発達を見せること」「その日のために特別なことをするのではなく、普段の生活、活動の様子がわかるようにすること」「子どもたちの主体性を尊重するとともに子どもたち自身がたのしむこと」などの言葉が僕の腑の中に落ちていた。実際は0,1歳児クラスは特別なことを見せることはできない。普段やっていることもたくさんの人の前でできるかどうかもわからない。でも積極的に子どもたちの主体性を尊重し、普段の生活行動を通して子どもたちの今の発達を見せようと意図することは当日、子どもたちが普段とは違う姿であったとしても保護者達には伝わるだろう。今年はそうしようねとくるみさんとは話していた。

 本番当日、年齢順に登場するので1歳児は0歳児の次に出た。くるみさんがステージ上から呼ぶと新第1班の友則、学、ワキ、良彦が勢いよく飛び出し、取りあえず前に並ぶことができた。くるみさんが名前を呼ぶと子どもたちは手を挙げて持っていた果物をくるみさんの持っていた籐のかごに入れた。果物はイチゴ、りんご、ぶどう、メロン、バナナの5種類。どうすんだと思っていたら、くるみさんは新聞紙を丸めて、赤、黄、青、緑のガムテープを巻きつけて、イチゴはマジックで黒の種を付けて、練習の前日にあっという間に作ってしまった。形は皆同じような感じだったが、それ、と言われれば、それ、に見えた。子どもたちの演技にステージ脇にいた僕は拍手喝采。第2班も勢いよく出たが、いつも元気のよい幸男が、ママを見つけたらしく、ママのほうに両手を差し出しべそをかき始めた。渡辺さんがその場で幸男をひざに置いて、なだめながらステージの端ににじり寄って行ってくれた。幸男は何となくべそをかきながらも渡辺さんの膝の上でおとなしくしていた。それを見て第3班は大丈夫かなと心配になり子どもたちの顔を見ると、豊の顔が引きつっており、これはどうかなと思った。が他の女子3人、ユリ、綾子、タマヨはいつもは引っ込み思案でどちらかと言うと大人の後ろにいるような子どもたちだったが、そこまで緊張しているようには見えなかった。くるみさんが第3班の子どもたちを呼ぶと、一応4人は勢いよく出ていき、僕も最後からついて出た。観客席を見るとパパママじいじにばあばあの顔がたくさん見え、どの顔もニコニコとフレンドリーなんだけど大人の僕でもシンパシーなど感じる余裕などなく、ただただ緊張の度合いが高まってくる。ましてや子どもたちは、と再び心配になったが、豊も少し顔を引きつらせながらも返事をしながら手を挙げ、果物をかごの中に入れた。実は一番心配していたユリと綾子は全く堂々として、名前を呼ばれるとまっすぐ手を挙げて、大きな声で返事をすることができた。ふたを開けてみればなんとかなるのが子どもの力だということを改めて感じた。

 踊りが始まってしまえば子どもたちの体は彼らの意志とは関係なく動き出してしまう。体が心を引っ張る。体が楽しみ、心も踊る。渡辺さんの膝の上にいたはずの幸男もいつの間にか立ち上がって踊り始めていた。

 

 0,1,2歳児は演技が終わるとステージから保護者に子どもを渡して、帰宅してもよいことになっている。兄姉のいる子どもは残っているが保護者と一緒にいるので僕たち3歳未満児の担任は大きい子のサポートについたり、会場係になる。僕はホールの後ろのほうで会場全体を見る係としてモコさんと一緒に3歳以上児の演技を見ていた。3歳児、4歳児と演技は進み5歳児は「ももたろう」だった。ちょうど桃太郎と猿、きじ、犬の仲間たちがステージ上で行進している時だろうか、前列の保護者の何人かが上を見上げていた。なんでだろうと何となく思ったとき、雪のようなものが落ちてくるのが見えた。何でここで雪?と思った瞬間、耳元で

「ちょっと、たまだくん、あれなに!」

と少し慌てたようなモコさんの声がした。

「雪が降る場面でもないし・・・」

と言うと

「なに言ってんの、梁の上、掃除した?」

と聞かれやっと合点がいった。ステージの上に構造の強化のためか4、50㎝角の梁が渡してある。その上は当然ながらいつも埃だらけで、何かの折に掃除をする。高さが3メートル近いのでいつも僕が6尺(約180㎝)の脚立を使って掃除をしていた。今回はクラスのことに気を取られ、すっかり掃除をすることを忘れてしまった。人の熱気、時折行った会場の換気、桃太郎とその仲間たちの行進の振動。そういったものが梁の上の埃を舞い上がらせたに違いない。今更どうにもならず、モコさんと二人、桃太郎と3匹の連れの上に時折ぼろぼろと落ちる「雪」を見ていた。

「季節的には合ってんだけどねー。」

ボソッと、モコさんは言った。子どもたちの演技に水を差したようで申し訳に様な気持ちになった。「雪」の降る中、桃太郎とその仲間たちは旗を掲げ、手を振り、足を挙げ、何より満面の笑みでステージ上をぐるぐると行進していた。おっさんのド忘れに伴う「ニセ雪」などさっさと溶かしてしまうほどの熱演ぶりに救われた気持ちにになった。思わず、ステージに向けて会釈をしたら

人の気持ちを知ってか知らずか

「おおげさな!」

と言ってモコさんが僕の背中を軽くはたいた。

 

年末から年始の休みは黄金週間、盆休みと並んで長いお休みになる。お便り帳には多くの家庭で子どもが夜更かしをして生活のバランスが崩れ、落ち着きをなくしていることを心配しているようだった。子どもたちが休み明けに、主に生活のリズムを狂わせて、保育園で落ち着かなかったり、トラブルが起こったりすることもある。ただ1歳児クラスは人生の中でも思春期と並んで「反抗期」と言われる時だ。休み明けに限らず、日常的に気分の波があり、落ち着かなく見えてしまう。そのことが人として発達の過程で必要なことか、それとも、他に原因があるのか、なかなか見分けはつきにくい。ただ、「落ち着かない」ことを否定的に見るのではなく一度受け入れ、声を掛けたり、時にはだっこしたりして、心穏やかになるよう援助している。「落ち着かない」ままでは何かを得ることは難しいのではないか、何かを得るにはやはり心穏やかになったほうがいいのではないか。そう思うからである。

休みの影響が少しあったかなと思ったのは綾子だ。もともと人見知りで保育士の陰に隠れている印象が強かった。そんな綾子も心配していた発表会で堂々の演技をしたので、一山超えたんじゃやないかと、くるみさんと話していたが休み明けはくるみさんにべったりだった。それでも2,3日でそれも解消した。クラス全体ではママパパが心配するほどの情緒の不安定もなく、概ねいつも通りの保育園生活をまた始めているように見えた。「私的」にやりたい放題やっていても「公的」にはそこそこつじつまを合わせてくる。なかなかやるじゃん!と成長を感じられるところでもある。

 

 休み明けに驚かされるのは誰か彼かが言葉の進歩が見られることだ。高月齢児は2歳を過ぎてそこそこ経っているので二語文は普通に話している。

 

タマヨ 「あやちゃん、てつだってー」

    「ちよちゃん、だいじょうぶー」

    

千代  「タマちゃん、いっしょにいこうね」

 

薫   「さちくん、まえみてないよー」

    「たーくん、かみきったー?」

 

綾子  「たーくん、いっしょにいこ」

 

幸男  「たーくん、ヤッホー」

 

学   「さーちゃん、こっちだよー」」

    「たーくん、こーひーどうぞ」  

   

ゆたか 「ゆーくん、しっしいった」

 

 遊んでいるときには独り言も言っているんだろうが、聞こえてくる言葉は圧倒的にお友だちや僕たちに話しかける言葉が多い。

 

浩司  「そと、さむいよー」

浩司に関しては、二語文の羅列らしき言葉が、延々と続く。ところが皆、断片的で、わかる言葉をつないで、意味を考えるのだが、しばしば時間がかかる。適切な応答をせずに黙っていると、浩司は突然話をやめ、明らかに機嫌を悪くし、プイっと行ってしまう。その後ろ姿を見ると「しっかりしてよ」と言われているようで、次は頑張ると思うのだが、また同じこと繰り返してしまう。あんなに一所懸命、話しているから、浩司の内面を知るうえで僕自身も興味津々なのだが未だ理解できていない。いつ失われるかわからない今だけの彼の心情なのにと焦りばかりが募る。

 

タマヨ 「これ、たまちゃんがつくったやつだよ」

    「よっちゃん、それ赤ちゃんのだからだめだよー」

 

綾子  「だって、こうちゃん、すきなんだもーん」

 

こうなってくるともはや普通の会話と何ら変わることがない。言葉が友だちや保育士を介して発達していることはとりも直さず、他人との関わりがますます増えていることを表している。それはもちろん穏やかなものではない時もある。依然として、実力を行使して自分の要求を通そうとする時もある。でも、確実に言葉を介しながら、解決とまではいかないけれど別の様子を見せてくれることが増えてきた。

 

 薫がバイキンマンのぬいぐるみを持っていると豊が近づいてきて「ゆーくんのー」と言って薫のことを押しながら無理やり取ろうとした。豊に限らずこのころの子どもたちは一度手放して別の遊びをしていたとしても前の遊びは自分の中では継続していると思っている子どもも多い。かたづけもせずに別の遊びをし始め、また前の遊びにいつの間にか戻っている場面に出くわすのはそういうことだ。薫はバイキンマンをしっかり抱えて豊のことをにらんでいた。拒まれた豊はもう一度薫に向かおうとしていた。近くにいたくるみさんがそれに気が付いて、豊に

「おもちゃをかしてほしいときは、なんていうの?」

「かーして」

「そうだよね。かおちゃんにいってごらん。」

くるみさんにそう言われ、豊は薫に向かって

「かーしーて」

と言うと、薫が

「まっててね」

と返した瞬間、豊が薫のほうを指を指して、べそをかきながらくるみさんのほうをむいた。

「だいじょうぶ、かおちゃん、かしてくれるから。」

と言うと薫は豊の顔をのぞき込んで

「かしてほしいの」

と言うと豊は、こっくりと頷いた。

「はいどうぞ」

薫がバイキンマンを差し出すと豊は片手で受け取りながら

「ありがと」

と小声で言った。

「ゆーくん、ありがとうって、いえたねー。かおちゃんもありがとね。」

とくるみさんは二人まとめて、ギュッと抱きしめながらそう言った。

 

 保育園は「みんなのもの」が多い所だ。みんな仲良く使わなければならない場面が多い。その一方でこれは自分の場所であったり自分のものであったりするものに心のよりどころを置いて自分自身をコントロールすることも必要だ。その一環として椅子に子どもたちが使う椅子にシンボルマークのシールを貼ってそれぞれの椅子を決めている。子どもたちは自分のシンボルマークをよく知っているので背もたれに貼ってあるマークを確認して座る。ところがワキは無頓着なんだか、悪戯心なのか、お友だちの椅子に座っていることがままある。

 ある日、ワキは知ってか知らずか薫の席に座っていた。

「ワキちゃん、どーけーてー。」

と言うがワキは知らんぷり。再度

「どーけーてー」

と薫が言うが、それでも知らんぷり。すると薫が

「じゃー、ワキちゃんのところにすわろー。」

と言ったらワキが

「だめー」

と言って自分のところに座った。ワキはやっぱりわざとだったんだと思うとともに薫はすごいと感心してしまった。最近では多少、同僚のおかげで昭和のおっさん的「どけろー」「やめろー」「あやまれー」みたいな高圧的な声掛けはしないようにはなってきたが2歳でもはやこのレベルとは、恐れ入る。

「かおちゃん、すごいね」

とくるみさんに話したときに

「でも、時々、なんだか、元気がない時もあるんですよね。」

とくるみさんは言った。確かに朝、ママとバイバイするとき等、少し名残が惜しいようで、くるみさんから離れないことがたまにあった。

「私たち、かおちゃんができるから、少し頼りすぎてるんじゃないかと思うときがあります。」

そう、くるみさんに言われ、僕も思い当たる節があった。子どもたちが小さい時は特に一番上の子どもに下の子の世話を頼んだり、何かにつけて最後にしたりしていたらしい。そのことが嫌だったと聞いたのはずいぶん大きくなってからだ。僕自身も年子の弟がいて、母親に「お兄ちゃんなんだから」としょっちゅう言われていた。薫もしっかりしているといってもまだ2歳だ。くるみさんが言うように「まだ2歳」と言うことは忘れずに、心にとめておこうと思った。

ワキはこの間は学のところに座っていた。学は椅子をがくがく押して「どけてー、どけてー」

と連呼していた。すると突然、ワキは立ち上がり、学に向かって

「ごめんねー」

と謝った。すると学は

「いいよー、ワキちゃん、あそこだよ。」

と指さしながらワキの椅子を教えてあげた。するとワキは

「ありがと」

と言ったのだ。なぜ、急にワキが学に謝ったのかはわからない。だが2人は双方とも低月齢児でもうすぐ誕生日を迎えるとはいえ、まだ1歳だ。言葉もまだあまり出ていなかった春先などは、多くの子どもたちがこんな時、ワンワンみたいにかぶりつき、ニャンニャンみたいにシュッとやっていた。それが1年もしないうちに自分たちでトラブルを解決してしまった。友だちのことをみていたか、大きい子の姿を真似したか、あるいは僕たち保育士のことを見ていたか。子どもたちの成長は大人の考えを軽々と越えていく。