1歳児の保育 ややこしない、ややこしない、ちょっと熱いだけだから

補、「1歳以上3歳未満児の保育に関わるねらい及び内容について」

保育所保育士指針から)

 

僕らが保育をする時に、クラス全体や子ども一人一人に対して何らかの意図をもって保育することが求めらる。特に0,1,2、歳児クラスは、子ども一人ひとりに具体的な指導計画を求められる。その時、主に参考にするのが「保育所保育指針」(以下「指針」)の「第1章 総則 1保育所保育に関する基本原則 (2)保育所の目標」と「第2章 保育の内容」だ。

 

保育所の目標」

保育所は、子どもが生涯にわたる人間形成にとって極めて重要な時期に、その生活時間の大半を過ごす場である。このため、保育所の保育は、子どもが現在を最も良く生き、望ましい未来をつくり出す力の基礎を培うために、次の目標を目指して行わなければならない。

 

(ア) 十分に養護の行き届いた環境の下に、くつろいだ雰囲気の中で子どもの様々な欲求を満たし、生命の保持及び情緒の安定を図ること。【養護】

(イ) 健康、安全など生活に必要な基本的な習慣や態度を養い、心身の健康の基礎を培うこと。【心身の健康に関する領域「健康」】

(ウ) 人との関わりの中で、人に対する愛情と信頼感、そして人権を大切にする心を育てるとともに、自主、自立及び協調の態度を養い、道徳性の芽生えを培うこと。【人との関わりに関する領域「人間関係」】

(エ) 生命、自然及び社会の事象についての興味や関心を育て、それらに対する豊かな心情や思考力の芽生えを培うこと。【身近な環境との関わりに関する領域「環境」】

(オ) 生活の中で、言葉への興味や関心を育て、話したり、聞いたり、相手の話を理解しようとするなど、言葉の豊かさを養うこと。【言葉の獲得に関する領域「言葉」】

(カ) 様々な体験を通して、豊かな感性や表現力を育み、創造性の芽生えを培うこと。【感性と表現に関する領域「表現」】

 

 

保育所での保育の特徴は「養護と教育」が一体的に行われることだという。養護とは「生命の保持」と「情緒の安定」、つまり心と体を守り育てながら教育的な営みをする。僕らは「教育」というと「先生が生徒に教科を教える」みたいなことをすぐ考えるが保育所での「教育」は親が子どもに生活や人としてのあり方を伝えることと同様だ。その教育的な営みは「健康」「人間関係」「環境」「言葉」「表現」の五つの領域に分けられている。 

「保育の目標」は0歳から6歳の共通の目標。乳幼児は人間の基礎を作る時。その時に生活の大半を送るのは保育所。子どもたちが人間として豊かに育っていく上で必要となる力の基礎となるもの培うために保育の中で取り組むべきもの。それを「保育の目標」として掲げている。

「保育の目標」は子どもたちの保育と同時に「保護者の支援」も目標とする。保護者支援は最近、よく強調されている。

 

保育の目標を具体的にしたものが「ねらい」。

 

「ねらい」

保育の目標をより具体化したものであり、子どもが保育所において、安定した生活を送り、充実した活動ができるように、保育を通じて育みたい資質・能力を、子どもの生活する姿から捉えたものである。

 

この定義は少し難しい。具体的にどんなものか見たほうがわかりやすい。「ねらいと内容」は発達過程によって「乳児保育」「1歳以上3歳未満」「3歳以上児」の3つに分けられている。ここでは「1歳以上3歳未満」の保育に関するねらいと内容を見てみる。

 

「健康」領域で見ると

① 明るく伸び伸びと生活し、自分から体を動かすことを楽しむ。

② 自分の体を十分に動かし、様々な動きをしようとする。

③ 健康、安全な生活に必要な習慣に気付き、自分でしてみようとする気持ちが育つ。

 

そして「内容」は

「内容」

「ねらい」を達成するために、子どもの生活やその状況に応じて保育士等が適切に行う事項と、保育士等が援助して子どもが環境に関わって経験する事項を示したものである。

 

 

「内容」の定義の前半部分「子どもの生活やその状況に応じて保育士等が適切に行う事項」は養護に関する部分、後半部分「保育士等が援助して子どもが環境に関わって経験する事項」が教育に関わる部分。

「1歳以上3歳未満の保育に関する」「内容」を対応する「ねらい」に沿って整理すると

 

健康

 

① 明るく伸び伸びと生活し、自分から体を動かすことを楽しむ。

・保育士等の愛情豊かな受容の下で、安定感をもって生活をする。

・食事や午睡、遊びと休息など、保育所における生活のリズムが形成される。

② 自分の体を十分に動かし、様々な動きをしようとする。

・走る、跳ぶ、登る、押す、引っ張るなど全身を使う遊びを楽しむ。

③ 健康、安全な生活に必要な習慣に気付き、自分でしてみようとする気持ちが育つ。

・様々な食品や調理形態に慣れ、ゆったりとした雰囲気の中で食事や間食を楽

しむ。

・身の回りを清潔に保つ心地よさを感じ、その習慣が少しずつ身に付く。

・保育士等の助けを借りながら、衣類の着脱を自分でしようとする。

・便器での排泄に慣れ、自分で排泄ができるようになる。

 

となる。「目標」→「ねらい」→「内容」と進むにつれ具体的になる。「目標」を具体的に説明したものを「ねらい」、「ねらい」を達成するために「内容」がある。

注意しなければならないのは、実際の保育においては、養護と教育が一体となって行われるのと同様、教育の中の5領域がばらばらにあるのではなくそれらも相互に影響しながら発達していくということ、年齢による到達点を示すものではないので、一人一人の子どもの姿をしっかりとみることは心に留めておかなければならない。

以前の保育所保育指針において「心情」「意欲」「態度」ということが強調されていたことがあった。今回の「指針」では1か所ぐらいしか見当たらないが

「指針」に記述されている子どもの心の動きはこれらを念頭に置くとより理解が深まる。

「心情」とは、自分の内側から出てくる興味・関心によって、「何?」 「えっ?」が起こり、次に「やりたい」「見たい」という「意欲」が出てきて、「やろう」と自分からはじめることが「態度」。

だから保育士はまずは子どもが「何?」「えっ?」という環境を作り、「やりたい」「見たい」という仕掛けを作って、「やろう」という気にさせる環境を作ることが仕事になる。かなり難しいけど。

 ところで「ねらい」の具体的な説明が始まる前に突然、一文が入る。

 

「健康な心と体を育て、自ら健康で安全な生活をつくり出す力を養う。」

 

「育みたい力」ということだが、「目標」をより生活実態に沿った形で具体的に表現している。

 

各領域の「ねらい」と「内容」の後に保育士が注意するべきこととして「内容の取扱い」が記されている。

「 内容の取扱い」については丁寧に読めば、その通りのことが記述されている。基本は「子どもに寄り添い、その成長発達に合わせて無理させず、子ども自ら行うように支援、援助する」である。

 

以下、各領域について「ねらい」と「内容」を整理して記述する。(但し、3歳以上の内容とねらいは、「この内容」に対して「このねらい」という具合に単純化はできない。年齢を重ねればそれだけ複雑になるということだ。)

 

人間関係

人との関わりの中で、人に対する愛情と信頼感、そして人権を大切にする心を育てるとともに、自主、自立及び協調の態度を養い、道徳性の芽生えを培うこと。(目標)

 

他の人々と親しみ、支え合って生活するために、自立心を育て、人と関わる力を養う。(育みたい力)

 

ねらい内容

  • 保育所での生活を楽しみ、身近な人と関わる心地よさを感じる。

・保育士等や周囲の子ども等との安定した関係の中で、共に過ごす心地よさを感じる。

・保育士等の受容的・応答的な関わりの中で、欲求を適切に満たし、安定感をもって過ごす。

 

② 周囲の子ども等への興味や関心が高まり、関わりをもとうとする。

・身の回りに様々な人がいることに気付き、徐々に他の子どもと関わりをもって遊ぶ。

・保育士等の仲立ちにより、他の子どもとの関わり方を少しずつ身につける。

 

保育所の生活の仕方に慣れ、きまりの大切さに気付く。

保育所の生活の仕方に慣れ、きまりがあることや、その大切さに気付く。

・生活や遊びの中で、年長児や保育士等の真似をしたり、ごっこ遊びを楽しんだりする。

 

環境

生命、自然及び社会の事象についての興味や関心を育て、それらに対する豊かな心情や思考力の芽生えを培うこと。(目標)

 

周囲の様々な環境に好奇心や探究心をもって関わり、それらを生活に取り入れていこうとする力を養う。(育みたい力)

 

ねらい内容

① 身近な環境に親しみ、触れ合う中で、様々なものに興味や関心をもつ。

・安全で活動しやすい環境での探索活動等を通して、見る、聞く、触れる、嗅ぐ、味わうなどの感覚の働きを豊かにする。

・玩具、絵本、遊具などに興味をもち、それらを使った遊びを楽しむ。

 

② 様々なものに関わる中で、発見を楽しんだり、考えたりしようとする。

・身の回りの物に触れる中で、形、色、大きさ、量などの物の性質や仕組みに気付く。

・自分の物と人の物の区別や、場所的感覚など、環境を捉える感覚が育つ。

 

③ 見る、聞く、触るなどの経験を通して、感覚の働きを豊かにする。

・身近な生き物に気付き、親しみをもつ。

・近隣の生活や季節の行事などに興味や関心をもつ。

 

言葉

生活の中で、言葉への興味や関心を育て、話したり、聞いたり、相手の話を理解しようとするなど、言葉の豊かさを養うこと。(目標)

 

経験したことや考えたことなどを自分なりの言葉で表現し、相手の話す言葉を聞こうとする意欲や態度を育て、言葉に対する感覚や言葉で表現する力を養う。(育みたい力)

 

ねらい内容

① 言葉遊びや言葉で表現する楽しさを感じる。

・保育士等の応答的な関わりや話しかけにより、自ら言葉を使おうとする。

・生活に必要な簡単な言葉に気付き、聞き分ける。

 

② 人の言葉や話などを聞き、自分でも思ったことを伝えようとする。

・親しみをもって日常の挨拶に応じる。

・絵本や紙芝居を楽しみ、簡単な言葉を繰り返したり、模倣をしたりして遊ぶ。

 

③ 絵本や物語等に親しむとともに、言葉のやり取りを通じて身近な人と気持ちを通わせる。

・保育士等とごっこ遊びをする中で、言葉のやり取りを楽しむ。

・保育士等を仲立ちとして、生活や遊びの中で友達との言葉のやり取りを楽しむ。

・保育士等や友達の言葉や話に興味や関心をもって、聞いたり、話したりする。

 

表現

様々な体験を通して、豊かな感性や表現力を育み、創造性の芽生えを培うこと。(目標)

 

感じたことや考えたことを自分なりに表現することを通して、豊かな感性や表現する力を養い、創造性を豊かにする。(育みたい力)

 

ねらい内容

① 身体の諸感覚の経験を豊かにし、様々な感覚を味わう。

・水、砂、土、紙、粘土など様々な素材に触れて楽しむ。

・音楽、リズムやそれに合わせた体の動きを楽しむ。

 

② 感じたことや考えたことなどを自分なりに表現しようとする。

・生活の中で様々な音、形、色、手触り、動き、味、香りなどに気付いたり、感じたりして楽しむ。

・歌を歌ったり、簡単な手遊びや全身を使う遊びを楽しんだりする。

 

③ 生活や遊びの様々な体験を通して、イメージや感性が豊かになる。

・保育士等からの話や、生活や遊びの中での出来事を通して、イメージを豊かにする。

・生活や遊びの中で、興味のあることや経験したことなどを自分なりに表現する。

 

 

1歳児の保育 ややこしない、ややこしない、ちょっと熱いだけだから

8,冬 来たりなば春

僕が現場の仕事をしているときは2月上旬から中旬にかけてが寒さの底だった。気温がマイナス4度になると水道が凍結するのだが、そんな予報が出ると、水道局の広報車が凍結防止のため水抜き栓を閉めるように呼びかけていた。この地域は水道管が凍結する可能性がある気候なので水道には必ず水抜き栓という装置がついている。水抜き栓を閉めると水道管の中の水が地中に排出されるので凍結の心配はなくなる。寒さの谷底をやり過ごし、2月の下旬から3月にかけて気温の少し緩む日と、まだ風が冷たく感じられる日が交互にやってくる。日本の三寒四温だ。梅や桃の花がぽつぽつと咲き始め、時折、冷たい風が吹いたりする。「はるよこい、はーやくこい、あるきはじめた」を歌う季節でもある。行きつ戻つしてゆっくりと春に向かい、やがて待ち望んだ桜の開花を合図に春爛漫を迎える。というのは一昔前の話になってしまい、昨今は明らかに平均気温が上がり、凍結ラインのマイナス4度になることも水道局の広報車が注意喚起をすることもなくなってしまった。それどころかいきなり暖かくなったり、急に温度が下がったりして、桜もいつ休眠打破していいのかわからずとんでもない時に開花してしまう。三寒四温という我々の祖先が愛でたであろう緩やかな季節の移ろいが他の季節同様、この季節でも失われようとしている。

 

1歳児担任の多くが頭を悩ませるものに「かみつき」がある。友だちといさかいを起こしたときに、かんだりする。言葉での表現がうまくないため、とよく言われる。それも原因の一つだとは思う。言葉での表現が上手になるにつれ、減ってくることは確かだ。ただ数は少なくなるがお話が上手な大きいクラスも皆無かといえばそんなことはない。さらに大人になってもタイソン、スアレスのようにボクシングやサッカーの試合中に相手にかみつく例もある。わんわん、にゃんにゃんの例を出すまでもなく本能に近い部分に起因しているかもしれない。ただ皆が皆、行為に及ぶというわけではない。

 

いさかいの原因の多くは「取り合い」だ。まずは「もの」

(名前は仮称)

三郎とゆかりが風船を取り合って、三郎がゆかりの手をぱくっ。(「ぼくのー!」)

洋一とじゅんがお皿を取りあって、取り返そうとしたじゅんの手をぱくっ。(「かしてくれてもいいじゃん!」)

「場所」もある。

部屋の中で体操をしているとき、体操に飽きたゆかりが振り返り、人の輪から抜けようとしたとき、真正面に相対した三枝子の手をわざわざ引っ張り、左手の小指をぱくっ。(「ちょっと、どいてよー!」)

園庭に出るために戸の前で子どもたちが待っているとき、明が一夫の右腕にぱくっ。(「ぼくが、いちばんさいしょだったー!」)

2歳児室の部屋に置いてある水槽の中のカメの「シーザー」を見るために明が水槽に近寄ったとき、すでに見ていた一夫が明の右腕をぱくり。(「みえないー!」)

原因がよくわからない時もある。

仲良く絵本を読んでいた洋一と明。突然、洋一が明の二の腕にぱくっ。(「めっちゃ、うまそうだな!」)

良子が座っていた春夫の頭をぱくっ。(「だって、すきなんだもーん!」)

 続けざまに起きる時もある。

おやつ前に明と一夫とあゆみがそろって流しで手を洗うところだった。蛇口は3つあり流しに向かって左から明、あゆみ、一夫の並びで、それぞれの蛇口の前にそれぞれが立ち、僕が泡石鹸を子どもたちの手にかけるところだった。突然後方から泣き声がしたので、泡石鹸のボトルを流しの棚に置いて振り返ると、洋一が右腕を抑えて泣いていた。

「ようちゃんどうしたの?」

と声をかけると洋一が流しのところまでやってきた。急いでシャツをめくるとその二の腕にくっきりと歯形がついている。遊びのコーナーのラティスの所に、輝彦がいて、こちらをにらんでいる。どうやら二人、トラブルになったようだ。棚にあった園のハンカチを濡らして洋一の腕を冷やした。そのままにしていると内出血が広がり患部がどすぐろくなり、必要以上に大けがに見え、子どもも親も驚いてしまう。何よりそうすることで痛みが和らぎ、子どもも落ち着く。冷やしながら、もみながら「いたかったね、だいじょうぶだから」と声をかけていたその時、1歳児室の戸を開けて主任のモコさんが部屋に入ってきた。目の前で洋一が泣いてる姿を見て

「どうしたの?」

と少し、驚いたようにモコさんは言った。事故、けがが起こったときは、主任か園長に時を置かずして報告し、情報を共有することになっていた。万が一にでも園の責任者が「知らなかった」ということをなくすためだ。この場合、落ち着いたころに、洋一を連れて事務室まで行って、園長か主任に患部を見せて報告する必要があったが、その手間がなくなった。

「ちょっと、トラブルがありまして。」

と、モコさんに洋一の腕を見せ事情を説明しようとしたその瞬間、流しで泣き声があがった。明だった。右隣の良子が左手に泡石鹸のボトルを持って明のほうを向いている。明のシャツの二の腕の部分が濡れているようだ。

「モコさん、ようちゃん、おねがいします。」

とハンカチをモコさんに渡して洋一を託して、明のシャツを急いでまくってみると、洋一と同じような歯形がくっきり、ハンカチを探すと、ない。しょうがない、シャツが濡れるかもしれないが直接、水で冷やすしかないと、「明君、ちょっとごめんね、冷やすからね」と言いながら流れっぱなしになっている水道の水に直接、二の腕をさらした。案の定、腕から跳ね返った水は肩のあたりのシャツを濡らしていた。その間も洋一と明は泣き続けている。洋一をかんだと思われる輝彦にはおやつの準備をしてくれていた、静さんが寄ってくれていた。あゆみにはトイレ前で排泄の手伝いをしていたくるみさんが、あゆみに近づいてあゆみの手から泡石鹸のボトルを取りながら

「つかいたかったんだ、あわわ。」

と、あゆみに声をかけるとあゆみはこっくりとうなずいた。

「おといれで、あわわしよっか。」

とくるみさんはあゆみに声をかけ、手をつないでトイレのほうに連れて行った。けがをしたほうを心身ともに手当てするのは言うまでもないことだが、友だちを傷つけたほうの心の手当ても怠ってはいけない。友だちを傷つけてしまったということに対して、子どもの成長に伴って保育士としてのアプローチはいろいろあるだろうけど、基本的には「おもわずしてしまった」ということを前提に子どもに向かうべきだ。「どうして」「なんで」とかつての僕は自分の子どもたちを頭から怒鳴りつけていたけれど、子どもからすれば、「思わず体が勝手に動いて」なのだろう。

 一人の子どもが続けてかまれてしまうこともある。午前中におもちゃをめぐって三郎が知子の親指噛んでしまった。そばにいたくるみさんが対応した。午後、僕は事務室に行く用事があり、戻ってきて扉を開けると流しで泣いている知子の二の腕をタオルで冷やすくるみさんと目が合った。くるみさんは涙ぐんでいた。すぐに事情は察した。知子が続けてかまれてしまい、申し訳なさでいっぱいだったんだろうと思う。

「かわる?」

そう尋ねると

「大丈夫です。」

とくるみさんは応え、

「いたかったね、ごめんね。ごめんね。」

と謝りながら、なおもぬれタオルで知子の二の腕をもんでいた。

 保育士は子どもたちが傷つけば、わがことのように思い、自分の責任だと思い込む。おっさんの僕ですら多少はそういう気持ちになるのだから、くるみさんのように若い保育士はなおのことだ。だからそうならないように僕たちはいろいろ話あってきた。

 原因の多くは取り合いなので、単純に言えば物の数を多くすればよい、ということになるが、そう簡単にならない。同じぬいぐるみを2個ぐらいだったらありだけど、4個とか6個とかそろえるのは無理だ。保育園もかつかつでやっている。ほかのものも同じだ。だから興味がありそうなもの、面白そうなものの種類を何とか増やしていこうとした。子どもの成長、発達も見据えて、環境を変えることも考えた。おままごとコーナー、楽器コーナー、絵本コーナー、ゆっくり休めるスペースなどを常設し、お絵かき、ぬりえ、粘土、スタンプ、などテーブルで行うものはその都度変えながら、遊びの環境を楽しいと思えるようにした。

いろいろな遊びのコーナーについては子どもたちが密にならず分散して遊べるようにするという場所の取り合い対策にもなった。また、手洗いとか、外に出る時とか、子どもが場所の取り合いをする場面を極力減らすため、少人数で次の行動に移るように心掛けた。そういった対策を行っても起きるときは起きてしまう。物が少ない、場所が狭いというのは実は二次的な理由だ。一番大きな理由は「気持ち」の問題だ。1歳児の心身の成長は著しい。立ち上がって、動き回れるようになって、言葉をしゃべり始める。個々の変化が約1年のうちで起きる。この時のことを僕たちは覚えていないが、第2次反抗期の時の苦しさは人に濃淡があるとはいえ、覚えがあるだろう。あの時も1歳児ほどではないにしろ、大人の過渡期として、心と体の成長があり、それに伴う心の中の波風があったはずだ。1歳児の心の中も、疾風怒濤のさなかにある。ちょっとしたことで悲しくなったり、寂しくなったり、怒ったり、苛立ったりすることもあるだろう。そして、それぞれに濃淡があり、それぞれに表現方法が違ってくる。だっこだっこと甘えたり、黙り込んだり、友だちに意地悪を言ったり、人のものを取ったり、遊びを邪魔したり、押したり、たたいたり、ひっかいたり、そしてかみついたり。いわば心の中な波風は、成長発達するうえでは避けれない。であるならば、できるだけ外的な環境を子どもにとって、不快な要素は避け、心地よいものにしなければならない。

 

「なかなか、おさまんないですね。」

9月のある日、子どもたちが午睡に入って、お茶を飲んでいるとき、くるみさんがぽつりと言った。7月、8月と件数が多くなり8月の末から9月にかけて連日ではないにしてもとびとびに複数件起こる日があった。

「プールとか、シャワーでかなりバタバタしてたから、7,8月は多くなっちゃんたのかなぁ。」

くるみさんがぼやき気味に言った。

「そうだね。2歳児担任とか0歳児担任とか、みんなに助けてもらったんだけどね。それでも肝心の僕らがどうだったんだか。落ち着いてなかったんだか。」

「今もまだそんな感じなのかな。」

少し二人で押し黙っていると、戸を開けて主任のモコさんが、顔を出した。

保護者に配るA3判の園だよりをくるみさんに渡しながら

「何そんな暗い顔してるの。」

と僕のほうを向いて言った。

「そら暗い顔にもなりますよ。なかなか、おさまんないんですよ、かみつき。」

「そっかー、結構、環境変えたり、出すおもちゃ変えたり、やってると思うけどね。」

「いい時はいいですけどね。突然、起こるのは止められないですね。」

「なかなか、たいへんだよね。今ちょっと。0歳児のほうがたいへんだしね。私もこっちになかなか来れないし。」

0歳児の高月齢児が皆、歩き始め、目が離せなくなっているし、離乳食も始まっている。いままで機会を見つけて僕たちのフォローをしてくれていた0歳児の担任が、今は自クラスで精一杯だ。主任のモコさんもフリーのやまちゃんも1歳児に張り付きというわけにはいかない。モコさんの主任としての仕事はあるし、やまちゃんは休みの職員の代替で忙しい。やっぱり人の目が多いほうが、未然に防げる確率は増える。今は未然に防げる回数が減ってしまったことも、件数が増えた原因だろう。

「でもね、そもそも子どもたちが口を出さなければいいのよ。実際これまでもそういうクラスはあったんだから。1歳児が必ずかむかというとそんなことはないのよ。だってかまない子もいるんだから。遊びに夢中、友だちといて楽しいー、と思っていれば、口は出さなくなるよ。それには、保育士さん!」

と言ってモコさんは僕の肩をポンとたたいて

「保育士さんが、楽しそうな顔をしてなきゃ!」

そう言い残して部屋を出て行ってしまった。僕とくるみさんはお互い顔を見合わせた。

「そう、言われてもねー。」

僕がそう言うと

「でも、そうだと思います。私たちが、不機嫌だったら、そこまでいかなくても暗い顔をしていたらクラス全体の雰囲気が良くないです。たーくんもできるだけ笑ってください。黙ってたら、怖いです。」

「はい。」

としか言えなかった。確かに若いころから「黙ってると怖い」と言われ続けていた。結局、子どもたちがかみつきに及ぶ大きな原因の一つは、大人の「気持ち」もある。そして、それは遊びの環境を変える時のように試行錯誤はいらない、迷いなくできることだった。

 

 収まる兆候が見えたのはこの話をした数日後だった。

 

一夫が良子にかみつくきっかけになったのは、良子が一夫や輝彦などと遊びたくておもちゃを取ったり、体に乗っかかったりしてしつこくからんだことだ。それを嫌がった一夫が6月のある日、思わず口を出してしまった。結局その日、一夫は続けて二度、良子の親指と、二の腕をかんでしまった。そもそもこの二人、似たところがあって、活発で行動的なので遊びも似てくる。7月のある日は、一夫と良子が二人で登っちゃいけない本棚に上ったとき、一緒に悪さをしているにもかかわらず、一夫が良子の右腕をかんだりしていた。それでも6月7月はその1回ずつだけだったが、8月の末から9月の頭にかけて、一夫の体調が悪かったのか、良子に続けて3度ほど口を出す時があった。3度目は一夫がテーブル付きの椅子に座っておやつを待っているときに良子が正面から抱き着き、それに驚いた一夫が思わず、ほっぺをかんでしまった。僕はその場面を子どもたちの手洗いの手伝いをしながら目撃したが、良子は親愛の情を示したのだとは思う。しかし良子は普段は荒っぽく一夫に接していたので、一夫がそれを親愛の情だと思うには唐突すぎたのだと思う。くるみさんに抱っこされて流しに来た良子のほっぺにはくっきりと跡があり、イケイケ系の恋する乙女は、思わぬ結末に号泣していた。かたや、突然の乙女の求愛を拒んだ彼は全く困惑しているように見えた。その1週間後、それまでお友だちに手は出しても口は出さなかった良子が初めて、それも一夫に、滑り台の階段で前にいる一夫の背中にぱくっ。太鼓の取り合いをして、二の腕にぱくっ。それ以降時折ほかのお友だちにも口を出すようになった。求愛を拒まれた腹いせではないだろうが、自分の要求を通すにはこれが良いと、学習してしまったのかもしれない。一夫のほうはというと親愛の情を受け止められなかったことを悪いなと思っていたかもしれない。あれだけ良子を攻撃していたにもかかわらず、良子に仕返しをすることもなく、ぴったりと口を出すこともなくなった。ここから、徐々にではあるがクラス全体のかみつきが収まる方向に向かっていった。

10月の末、アンパンマンのぬいぐるみをめぐって三郎とゆかりが取り合いになり、三郎が、ゆかりの顔をひっかいた。怒ったゆかりは三郎の右手の甲にかみついた。当然三郎は大泣き、それを見たゆかりも一緒に大泣きしていた。顔をひっかかれた痛みもあっただろうけれど、きっと噛んでしまった申し訳なさもあったに違いない。されたのだからやりかえした、みたいな相手の行為のせいにするのではなく自分の行為をこそ悔やんでいるように見えた。事実それ以降、ゆかりはかみつきをしなくなった。

そしてこの一月半ほど後、12月の初め、くるみさんの話では良子とじゅんが色水の入ったペットボトルをとりあって良子の口が開いて、今にもかまんとしたとき、良子が突然やめて、ペットボトルを持っていた手を離したらしい。

「そのあと、良子ちゃん、落ち込んでるようで、私には反省しているみたい見えました。」

ちょっと、理由はわからない。じゅんがさも恐怖におびえた顔をしていて良子がそれに気づいたのか。おとなしめのじゅんに悪いと思ったか、本当の所はどうだかわからない。ただそれ以降、良子もまた、全くかみつくことはなかった。結果、やはりあの時、反省していたのではないかと、僕たち二人の意見は一致した。こうして僕たちを悩ませていた「かみつき」問題は、ほぼなくなった。ただし、当然のことながらトラブル自体がなくなったわけではなく、多少手が出ることもあるにはあったが。

口を出すことの多かった一夫や良子で3,4か月、ゆかり、輝彦、三郎などは思い出したように口を出して、そのうちなくなった。例外は明で、一年中、口は開いていたが、実際にかみつくことは少なかった。一般的に子どもたちが「こと」を起こすときは、静かに、気づかれず、素早く行う。だから僕たちも止められないのだが、こと明については、「ゴジラ」や「歌舞伎役者」のように口を開け、首をひねったり上を向いたりして、威嚇したり、見得を切ったりした後、「こと」に及ぼうとする。だから相手の子どもたちも今では危険を察してさっさと逃げる。何なら、くるみさんには、例の「ゴジラ」のテーマが聞こえてくるらしい。「たららん、たららん」とテーマが聞こえてきて、明を探すと、明が首をもたげてひねっているらしい。そうすると、明に相対している子どもが、逃げ惑う群衆のように、明から逃げている。

「くるみさん、その話、ほんと?」

と聞くと真顔で

「ほんまですよ。」

と関西弁で言っていた。

 

 子どもたち同士がトラブルを起こして片方が傷ついてしまったときは傷ついたほう傷つけたほう双方の保護者に状況を説明することは忘れてはならない。

春先の懇談会で以下のような文章を出して事前に説明はしていた。

 

『1歳を過ぎた頃からかみつきやひっかきなどの行為が表れてきます。発達としてはとても大事な時期で、自己主張がだんだん強くなってくるのもこの時期です。しかしまだまだ自分の思いをうまく言葉で伝えることができずに、とっさに手や口が出てしまうことが多くあります。特におもちゃや場所のとりあいなどに見られることが多く、その子の思いを十分に受け止めたり、起こりやすい場面ではそばにつくなどして、できるだけ未然に防げるように配慮しています。

 かみつき、ひっかきが起こってしまった場合、かんだ(ひっかいた)場合、かまれた(ひっかかれた)場合、ともにその時の様子をお迎え時にお伝えします。その際基本的には『お友だちが…』とお名前を出さずにお話をしますが頻度や傷の状態によっては相手の名前を出してお話をしていきたいと考えています。』

 

基本的には保育園で起こったことなので全責任は保育園にあるという前提で、相手に悪印象を与えたくはないので、かんだ子どもの名前は伏せたい。しかし、子どもたちは2歳前後で、だれにされたのかを言えるので、黙ったままにするのもかえってどうなのかということもあり、また、保護者のほうからも、我が子が傷つけられることより、傷つけたことを謝らずそのままでいるほうが、いいとは思えないということを言う保護者も多かった。ただ、保護者同士が会えるかというとお迎えの時間がずれていて全く会えない保護者同士もいるので、実際は傷つけたほうの保護者には相手の名前を伝え、機会があったときにお話をしてください、といった形にしていた。本当に幸運だったのは、くるみさんが昨年から丁寧に保護者との関係を作っていたことと、保護者がすでに上の子どもを預けていて、1歳児の事情に詳しかった親が多かったということがある。さらに言うとママパパたちにはみんなで子どもたちを育てましょうという気持ちを感じた。僕はそのおこぼれをいただいたようなものだ。僕たちの拙い、しどろもどろの説明にも、

「はいわかりました。うちは大丈夫です。」

と言ってくれる保護者が多かった。しかし、それが普通ではない。保育士は、とりわけ若い人にとってはそこで保護者の厳しい態度に接すると、精神的に苦しいものを感じると思う。保護者にしてみれば、我が子が傷つけられているのであるから当然ではある。それを承知で言うのだけれど、僕たち保育士も保護者も、保育園と言わず、地域と言わず、国と言わず、全世界の子どもをみんなで育てましょうという感じだといいんだがなと思う。

 

 夕方、4時を過ぎるとぼちぼち、お迎えの時間だ。目ざとく、入ってくるママを見つけると、僕たちよりも早く、大きな声で

「おかえりなさい!」

と言ってくれるのはタマヨだ。タマヨはおおむね17時半ころに帰るので、全員というわけにはいかないが、それまでお迎えに来るママたちみんなに挨拶をしてくれる。

「ただ今、タマちゃん。」

ママたちがタマヨに挨拶を返すと、どこからともなく、ワキがママたちの所に走ってきて両手を挙げて、だっこをせがむ。

「ワキちゃん、ただいま。」

そういいながらママたちはにこにこしながらワキを抱っこしてくれる。こうして、ワキはお迎えに来たママたちみんなに抱っこされている。

 このクラスのママパパたちの気持ちを感じ取り、子どもたちも「世界の子どもになる」と言っているようだった。

 

「最後の計画ですね。良彦君どうします。」

大きなマグカップで、紅茶を飲みながらくるみさんは言った、テーバックはまだカップの中らしく、マグカップの取っ手にひも付きのタグが巻き付いてある。

「先月なんだっけ?」

僕に笑いかけているくるみさんのマグカップの二本の前歯が印象的なリスを、頬杖をついてぼんやり見ていた僕は尋ねた。

「『子どもの姿』が『友だちの間に強引に割り込んでしまう』『手洗いをしなかったり、オムツを換えるのを嫌がったり、生活の流れの理解が曖昧である。』です。」

唯我独尊、自由奔放、独立独歩をまさに今、体現している。ほかの子どもたちも、みな一応にこのような感じだったし、これがなければ、むしろ心配になる、と言いたいところだが実際は「おいおい、頼むからやんないでくれよ」「もういいから、やろうよ。」の連続だ。以前であれば友だちの間に強引に入ったり、友だちが使っていたおもちゃを取ったりしたら、即かみつき、ひっかきが起こる可能性が高かったが今はほぼない。もちろん良彦の月齢に近い早生まれチームは気に入らないことをされると怒声を浴びせ、押したり、時にはたたいたりもするが、少なくともかみつき、ひっかきはない。そのことだけでも「大人になったな」という気がする。高月齢のお姉さんたちに至っては、主に低月齢の友だちをなだめ、さとしている。

「よっちゃーん、だめだよー、それすやさんのだよー。」

「よっちゃーん、じゅんばんこだよー。こっちにならぶんだよー。」

 子どものこういった発達過程を僕たちが十分意識して、保育に当たっているかといえばそれは少し自信がない。現在の子どもの姿から先を見通して環境を整備して、来るべき子どもの姿を目指すことが求められているが、日々の保育に追われている現状では難しい。それを打開するには、まずクラス担任、できればもっと広く、3歳未満児担任に加え、主任、フリーなどが加わり、定期的に話し合いの時間が持てればよいと思う。複数の目と経験豊富な目が入れば、子ども一人一人の発達の様子や、これからの姿が予見できるからだ。そうした時に参考にしているのが厚労省が作っている保育所保育指針だ。だが、人によっては難解らしい。

「なんか、もっと簡単にならないですかね。」

とくるみさんは、個人指導計画を作るとき、保育所保育指針の冊子を開くたびにぼやく。

「字、多いですよね。」

「全部読むの大変ですよね。」

「できないですよね、ぜんぶ。」

そして、

「こんなにやることがあるのに、私たちの待遇はナニ!。」

という話になる。

 せめて「憲法」の各条ぐらいに短文でまとまっていれば読みやすいんだけど、実際は「憲法」の「前文」がたくさんある感じだ。「前文」も当時の制定者の気持ちがつまっていると思うが、「指針」もそれだけ思い入れがあるということだろう。名だたる専門家の先生たちが良かれと思い、あれもこれもと書き加えてくれたので、じっくり読めば、いいことも書いてあるし、勉強にもなるが、なにぶんにも若い、文章に慣れない人には重い感じがするらしい。新聞に毎日目を通すなんていう現代では珍しい習慣を持つおっさんからすると、こうした活字離れは残念ではある。

 保育所保育指針は、保育のプロたる保育士向けのものなのだが、育児をしているママパパ、ババジジ等の人たちにも目を向けてはどうだろう。「1、総則」の中の「養護」と「2.内容」は保護者の人が読めば現状でも子育ての参考になるものだとは思うが、さらに理解しやすいように語句の説明などを入れてわかりやすくしたらどうだろう。なんせ保育のプロたる保育士が「わかんない!」と言っている人もいるので。

 

「現状変わっていないから、そのままだね。」

「そうですね。『保育の内容』は『保育士の仲立ちで順番を守ろうとする』『保育士の声かけに応じて生活の流れを知ろうとする』ですか。とにかく声をかけていくということですね。」

「自分の思いもあるだろうけど、言葉の理解が進んでいるから、丁寧に話をしてあげることかな。」

子どもたちは行きつ戻りつしながら進む。保育士も子どもの行きつ戻りつを見守りながら状況に応じた声をかける。ちなみに「配慮事項」は

『本児の遊びたい気持ちを受け止めながら、丁寧にルールを伝えていく。』

『清潔にすることの大切さを伝えながら、手洗い排泄に誘い、生活の流れを伝える』

とした。

 

保育園では年が明けると餅つきや凧揚げ、コマ回し、福笑いなどの正月遊びを皮切りに節分や桃の節句などを毎月のように行事などを楽しむ。が、子どもによってはこんなもの、やらなくてもいいと思っているに違いないものもある。節分、豆まきだ。邪気を払い、無病息災を祈るものだが、重要な配役であるオニの登場により、年長クラスでも、泣き叫ぶ子どもは必ずいる。ましてや、1歳児クラスは全員が泣き叫ぶ。数人はことあるごとにその影におびえ、夢にまで出てくるという。オニは「邪気」の象徴なので、この行事においては必ず「払われる」。つまり、子どもたちを含め我々が勝利することになっているのだが、そこまで自分の力を信用していないのか1歳児は泣き叫ぶのである。

 

新人の時に3歳以上児の節分行事のオニ役を仰せつかった。僕が子育ての時は豆を買った時についてくる紙のお面をかぶって、子どもに豆を投げつけられ早々に退散した。しかしせっかく大役を仰せつかったからには少しオニらしいオニで行こうと準備をし、子どもたちが4歳児担任で節分行事担当のふきちゃん(富貴恵 28)から節分の由来などを聞いているホールの出入り口の陰で待っているとモコさんに、

「たまだくん、それなに!」

と言われた。

「いや、オニですけど。」

と言うと

「完全な不審者じゃない。」

黒いフードをかぶり、知り合いから借りた夜叉のお面をしていた。手には家にあずかっていた町内会のソフト用金属バット。

「それにオニが金属バット持ってる?持っているのは金棒でしょ、バットじゃないよ。」

「テレビでやってるみたいなオニで行こうかと思って。怖がらせてなんぼみたいな。」

「ちがう、ちがう。病気とか災害みたいな不幸に自分から立ち向かって幸せをつかむという姿勢が大切なんだから。オニは不幸の象徴なんだから、それで『オニはそと、ふくは内』だよ。必要以上にこわがらせることないからね。それにオニとて悪い人はいないということで、最後には仲直りするんだからね。」

「あれっ、それはきいてなかったなー。」

「言ってなかったっけ。ちなみにホールの床にビニールテープで線引いてるから、そこから子どものほうには行かないでね、安全地帯なんだから。近づくとパニックになる子も中にはいるから。今、事務室からお面持ってくるから、どっから持ってきたの、その夜叉、それこそオニじゃないじゃん。」

いや、夜叉はインドのオニで・・・と思ったが、火に油を注ぎそうでやめた。

モコさんの持ってきた「泣いた赤鬼」の主人公のような人の好さそうなオニのお面をかぶり、フードを脱いで、手ぶらでホールに行くと、一瞬子どもたちはひるんだが、ふきちゃんが

「オニさんがきたよー、はじめるよー、おにはーそと、ふくはーうち」

と大声で叫ぶと、子どもたちはアレルギーと誤飲対策のため、自分たちで作った古新聞を丸めてガムテープで巻いた、お手製の豆を投げてきた。投げているうちにこれは「たまだ」と気が付き、至近距離から思いっきり投げ始める子どももいた。紙とはいえ、集中砲火を浴びればそれなりに痛い。とはいえ早々に退散というわけにもいかず、両手を挙げ「ガオー」と言ったり、少し追いかけたり。やはり中には怖がって、線の後ろで、保育士の陰に隠れている子どもが5,6人はいた。疲れ知らずの子どもたちの攻撃は増すばかり、早く終わらないかなとふきちゃんのほうをチラチラ見ていたら漸くこちらを見てうなずいているので、その場に座り

「こうさんでーす。」

と言ったが、興奮を抑えきれない何人かの子どもがまだ投げつけてくるのでふきちゃんが

「おにさん、こうさんだって、おしまーい。」

と言いながら僕の前に立つとようやく終わった。そのあと、

「オニさんもあやまっているから、なかやよくしてね。」

とふきちゃんの仲立ちで子どもたちと仲直りをした後、なぜかふきちゃんは

「それではこんごのみなさんのしあわせをいのって、『いったんじめ』をしまーす。みんなー、よういはいい、いっかいだけパンね、よーお パン!」

と『いったん締め』をした。普段もやってると見え、子どもたちもじょうずに両手でパン!と打ち鳴らした後、拍手をした。一瞬、祭りを終えた若い衆に見えた。

 

 今年の1歳児クラスの節分も恐怖を植え付けないように3歳未満児クラスのオニ担当の新人で0歳児担任のめばえちゃんが「やあ、やあ、やあ」という感じでフレンドリーに保育室の戸から入ってきたが、ほぼ全員がとりあえず、泣いた。ただ大方の子どもはすぐに慣れ、手作り豆で、豆まきをするのだが、豊、綾子、ワキの3人は最後までくるみさんのそばから決して離れようとしなかった。

「だいじょうぶだから、あのオニ、めばえちゃんだから」

と正体を明かしても駄目だった。そもそも、この3人、いわゆる被り物はだめで、地域のマスコットキャラクターが体操や歌などの交流イベントのために来た時も、一瞬、姿を見ただけで、走って保育室に逃げて行ったし、人形劇団の着ぐるみの人たちが来た時など、雰囲気で分かったのかホールに行こうともしなかった。

 節分が終わった後、しばらくはオニの姿が見えるらしく、トイレに行こうとしなかったり、オニがいた付近にあるテーブルに座ろうとしなかったり、ホールに行こうとしなかった。

 ある日、俊之がワキに

「ワキちゃん、オニ、こわくないから、あれはとしちゃんがやってたんだから。だからこわくないから。」

と自分がオニだったとわざわざ嘘をついてなだめていた。しかしワキは

「オニ、こわいー、オニ、こわいー。」

というばかりだった。

「たーくーん、ワキちゃん、オニ、こわいんだってー。」

と僕を見て言った。

「ありがとう、としちゃん、こんど、オニになったときは、おめんをとって、ワキちゃんにあいさつしてあげて。そしたら、こわがらなくなるかもしんないから。」

と言うと

「わかったー。」

と言った。

俊之は今も「おひるねやんや」とか「ママはー」とか言ってごねたり、友だちとトラブって手が出たりもするが、お友だちのことに思いをはせることもできるようになったんだ、とそんな俊之を見てそう思った。

 

 俊之だけではなくほかの子どもたちも1歳児らしい、駄々こねや、友だちとのトラブルをしながらも、周りのお友だちに思いをはせたり、ルールを意識したりする場面がますます増えてきた。

 

千代はぬいぐるみや、ままごとのフライパン、太鼓など自分の好きなおもちゃを周りに並べてご機嫌に遊んでいるのはいいのだが、やはり、それらで遊びたいお友だちもいて、お友だちが

「かーしーて」

というのだが

「まっててねー。」

というばかり。僕やくるみさんが、

「ひとつぐらいかしてあげたら。」

というと、泣きながら

「いやだー」

と言い、ひとしきり泣いた後、お友だちの所におもちゃを持ってきてくれる。もっとも、お友だちの関心はよそに移っているので大して感謝もされないが、そこは我々保育士の出番で

「かしてくれたんだ、ありがとう。」

と友だちに成り代わり、感謝の言葉を口にする。

 逆にお友だちがおもちゃを貸してくれないと手を出したりする。僕らに「おともだち見てー。えんえんしてるよ。」と言われても、すごい顔でにらむ。泣いているお友だちを僕らが慰めていると、いつの間にかそばにやってきて、お友だちの頭をなでながら

「ごめんね。」

と謝ってくれる。

 お友だちに「パズルしよ」って誘われたんだけど「やんなーい」とつっけんどんに言うのだけれど、もう一度誘われて、しょうがないという風情でやり始めると友だちと大盛り上がりしていた。気分のむらはあっても収めるところに収められるようになっている。

 ユリはもともとは「室外に出る」「トイレで遊ぶ」「排泄後パンツをはかない」「テーブルの上に立つ」などの行為を繰り返し行い、僕たちが「しないんだよ」と言ってもなかなかやめなかった。遊びも一人で遊ぶか、お友だちに誘われるがままということが多かった。それが、最近では友だちに自分から声をかけ、薫や千代、タマヨたちとままごとなどができるようになった。学や良彦や0歳児に本を読んであげたり、手遊びもするようになった。唯我独尊的な行為がまったくなくなったわけではないが僕たちが「ユリちゃーん」と声をかけるとすぐにやめるようになった。成長して「大人」になったといえばそれはそうなんだけど、それでも「なんでだろうー」と考える。一つには言葉の理解と表出がうまくできるようになったからかなと思う。周りとうまくコミュニケーション取ることができるようになり、友だちと一緒に、困難をくぐり、自分に自信をつけたということかもしれない。そしてこれはほかの子どもたちにも言えるかもしれない。

豊と幸男はことあるごとに、もめて、お互い手を出していた。今も、もめる。だが手を出さなくなった。くるみさんが繰り返し、お互い、お口で言うようにと伝えていたからだ。力に頼らず上手にコミュニケーションをとって、話し合いで解決する大切さを改めてこの二人に教えてもらった。。

 保育士の影響と言えばこの二人、時折、気が向いたときに

「あおハートだよ。おかたづけだよ。」

と言ってくれる。朝のお片付けの時間が9時30分で、子どもたちがわかるようにと時計の文字盤の「6」の所に青色の折り紙をハートの形に切ったものを貼り付けていた。ちなみに「12」は赤だ。前期に僕らが繰り返し

「とけいみてー、あおはーとだよ、なにすんだっけー」と言っていた。後期には子どもたち自身が気づいてくれることを期待して、僕たち保育士が、黙ってお片付けを、ぼちぼち始めるようにしていたが、二人はそのことに気づいてくれていた。

あれやんない、これやんない、あれいやだ、これいやだと言い放ち、ぐずり、あんたら、まだまだ赤ちゃんかと思う場面がしばしばある一方で、0歳児に対しては兄貴風、姉貴風をバンバン吹かせている。

 朝や夕方、保育士の出勤と退勤の人数の都合で1歳児が0歳児室に行くことはよくあって、そんなとき、1歳児のお兄さん、お姉さんは0歳児のお世話をよくする。

「だれか、0さいじさんのおててあらうのてつだってくれるひと、いるー?」

と保育士の誰かが言うと

「としくん、つれてくー。」

と俊之。

豊は横になっている0歳児のほっぺをツンツンして、にっこにっこ。

学は0歳児が泣いてると、よく頭をなでて、慰めてくれる。

ユリは保育士に促されて、0歳児に

「じーじーばー」

と照れながら手遊びをしてあげていた。

良彦ですら、0歳児のわきに立って、いたわるそぶりを見せる。

1歳児たちは0歳児室に入るときに「シュワッチ」とか「トォー」とか言いながら正義の味方に「変身」するらしい。

綾子は相変わらず、ごはんやおやつにすぐに来ないで、ロッカーの前や遊びのコーナーで何かをするわけでもなくうろうろしている。さすがに前のようにパンツをはかないということはなくなったが、どうしてこうも席につかないのか不明だ。毎回、僕たちが

「あやちゃんどうするの、たべるの?」

と聞くと

「たべるよ。」

と2歳児らしからぬ口調で言う。口は相当達者なのだ。ある日、いつもと同じようにくるみさんが

「あやちゃん、ごはんだよ、たべるの?」

と聞くと

「た・べ・る」

と一音ずつ首を横にかしげながらそう言った。それが今はやりの、女子中高生の話し方のようで、くるみさんが僕のほうを見て、綾子を指さして口パクで

「じょしこうせい?」

と言ったのが可笑しくて、声をあげて笑ってしまった。綾子がようやく席に来て、

「あやちゃんの、いすはどこ?」

とくるみさんに聞いた。くるみさんは

「おともだちにきいてみたら、だれにきくの?」

と尋ねるとまたまた、一音一音区切りながら

「こ・う・じ」

と言った。くるみさんは今度は確信に満ちた口パクで

「じょしこうせい」

と言った。人見知りが激しく、被り物に弱く、何かが気になりうろうろしていることが多く、ままごと好きだが、口が達者で女子高生。この凹凸の激しさも1歳児クラスらしい。

 

子どもたちも個人的には唯我独尊、自由奔放、独立独歩を志向しながらも

大人や、友だちなど周囲との衝突によってなかなか自分の思いは遂げられず、心の中は疾風怒濤の状態が続いている。しかし、季節が行きつ戻りつし、三寒四温をへて、花咲き誇る春に向かうように、自分の思いを通しながらも周りとの折り合いのつけ方を少しずつ身に着け、心の中が疾風怒濤の嵐でも波風をしのぎ、心に平安をもたらす術を得ている。それには言葉の発達が大きな力になっている。子どもたちが喜怒哀楽などのもろもろの感情を言葉に当てはめることで自分の心をコントロールできるようになってきた。そして、僕たち保育士は子どもたちの感情などに沿う言葉を見つけることができるように援助してあげることが必要だ。もちろん、言葉の上手な子もいれば、そうでない子もいるし、言葉の理解、表出が難しい子どももいる。そのことを決して忘れず、子ども一人一人に寄り添うことが大切だと思う。

1歳をくぐり、年齢を経るうちに少しずつ疾風怒濤の嵐は多少は穏やかにはなるだろうが、また次の嵐は必ずやってくる。さらなる嵐の到来に備えて子どもたちは今を全力で生きていく。その道筋を整え、支援していくのが大人の務めだ。そして保育園で子どもたちが全力を出し切るための環境を整えるのが僕たち保育士の役割だと思う。

 

ある日の夕方、こどもたちは室内で遊んでいた。僕とくるみさんはロッカーの前で次の日の活動の打ち合わせを子どもの遊びを見ながらしていた。するとままごとコーナーのほうからユリがとことことやってきて

「よっちゃんにおされた。」

と僕たちに言った。かねてからユリについては友だちとの関わりの中で物の取り合い、場所の取り合いなどで自分の気持ちを言葉に出来ず、一種のパニック状態に陥る時もあったので、できるだけ自分の言葉で相手に言うように促していたが、基本、引っ込み思案なユリはなかなか直接言うことができなかった。さすがに今回は最年少の良彦だ。何とか言えるんじゃないかと思った。

「ユリちゃん、いやならいやだっていっていいんだよ。」

とくるみさんが言うと、ユリはこっくりとうなずいて、ままごとコーナーとは反対の部屋の戸のほうに行った。おいおいどこ行くんだ、良彦はままごとコーナーだぞと思ってユリを見てたら、ユリは戸をあけ放ち、息を大きく吸った後

お外に向かって体を前傾させながら

「しないで!」

と大声で言った。そして振り返って、僕らには目もくれず、またママごとコーナーに戻って行った。ユリの後を目で追いかけて、くるみさんを見ると、くるみさんと目が合った。くるみさんは手で口を押えて笑っていた。ユリにとっては「相手」は良彦にあらず、全世界が「相手」のようだ。ユリは丸テーブルに座り「カンパーイ」となぜか良彦と祝杯を挙げていた。

 

 

 

1歳児の保育 ややこしない、ややこしない、ちょっと熱いだけだから

7、暮れ 正月 ゆき

「12月」と言う言葉を聞くと「冬」を急に感じるようになる。確かに11月よりは季節も進み気温も下がり、風は北寄りになり、少し強くもなる。ジャケットから、コートやジャンバーに羽織るものも厚手になり、体も冬仕様を要求するにはするが、「12月」という言葉そのもののインパクトはやはり大きいように思う。心も体も「冬」を感じるようになると僕たちは子どもの活動を冬向きのものにしたいなと思う。冬と言えばやっぱり雪だ。バンバン雪でも降ってくれれば、手っ取り早いが当地はそんなに雪が降る所でもない。となると子どもたちを空想の銀世界に誘うことになる。この時期、野ネズミの二人組も、ネズミの大家族も、だるまも、活発に活動してくれる。彼らの住む地域は豪雪地帯だ。見渡す限りの雪景色。子どもたちはもちろん、僕たちも別世界の彼らの活躍にウキウキする。雪だるまが活躍するものや、クリスマスをテーマにしたものなども数多い。子どもたちの心の世界はこの季節、真っ白い銀世界に覆われる。この地域も1年に1,2度は積雪を記録する。園庭に降りしきる雪を子どもたちも見ることはある。大きい子どもたちは歓声を上げることが多いが1歳児クラスの子どもたちは不思議そうな表情で見る子どもが多い。0歳児の時はともかく、生まれて初めてという子どもも多いはずだ。「ゆきやこんこん。あられやこんこん」と楽しく、うきうきとした感じがあるが、どちらかというと寒さが先に立つようで、園庭に出ようとしたらこそこそと部屋に入ろうとする子どもが何人かいた。雪を楽しむにはもう少し時間がいるかなという感じだった。

 

 「12月」は「発表会」のシーズンだ。この1歳児クラスは春先から出し物はほぼ決まっていた。くるみさんがみんなに見せたいといった「ミックスジュース」。春以来、何度も踊っているので、もはや練習の必要もない。全員に聞いたわけではないので断定はできないけれど、大方の子は嫌いではないと思う。発表会はお祭りみたいなものだ。心躍り、体弾ませ、日常の生活を彩る楽しい日だ。子どもたちが自分からノリノリにならないと意味はない。そういう意味でもたぶん大丈夫だ。さらに発表会は子どもたちの「今」を保護者に見てもらう機会だ。だから、踊るだけでは「芸がない」とくるみさんはいう。

「ステージに出ますー、果物をミキサーに入れますー、名前言いますー、あー、名前、うーん、名前かー。」

ここでくるみさんは少しうなった。

「実際、名前ってどうだっけ?」

くるみさんに尋ねると

「高月齢児は言えます。」

「どうする?『おなまえは?』って聞いて答えなかったら『緊張してるみたいですね。』でいく?」

「それだと『緊張してるみたいですね。』のオンパレードになるかもしれないですよ。そこまでして無理に名前言わなくてもいいような気がします。」

「でも名前は紹介したいなー。みんなにそれぞれ一瞬でもスポット当たるからなー。」

「普段のお集りの時はお名前を呼んで、子どもたちが手を挙げて返事をしているので、そっちのほうがいいのかなー。」

「じゃ、そうしようか。」

大人ですら特別な日の特別なことは緊張する。ましてや、だ。普段どおりが一番いい。

「順番はどうする?」

「最初に出ると、ステージ上で待たなくちゃならないので低月齢児はあとにします?」

「そうだね。ステージ脇に椅子でも置いて待っててもらおう。かおちゃん、ちよちゃん、こうちゃんは一番目でいけるかな、あとユリちゃん」

「ユリちゃんは2班のほうがいいと思います。いきなりだとちょっとびっくりするかも。ゆーくん、あやちゃんあたりもかな。誕生会の時は前に出たがらなかったからなー。さちくん、としちゃんは1班でいけるかな、タマちゃんが2班。それで、最後はともくん、まーくん、わきちゃん、よっちゃん。」

「それでいくか。くだものとかミキサーははどうする?」

「子どもたちに好きな果物聞いて、新聞紙丸めたやつに色、塗ってもらいましょう。ミキサーの代わりは、バケツか何かの入れ物に入れてもらうということで。」

「リンゴとか、ミカンだったらいいけど、スイカとか、ブドウだったらどうする?」

「そこはその時にですよ。なんとかなりますよ。」

「ほんとー。だいじょうぶ?」

制作に自信のないおっさんは疑り深いが、相棒が満面の笑みを浮かべ、力強くうなずいてみせるのですぐに大船に乗ったつもりになってしまった。

 練習は2回。ホールでステージに上がる練習をしたが、低月齢児の第3班がステージ脇で我慢できず第1班が出ると我も我もと出るので、それじゃあ最初に出て好きにしてもらおうということになった。当日はパートの渡辺さんがついてくれることになっている。発表会に限らず保育園の行事は常に「不測の事態」が起こる。備えは欠かせない。

 僕ら保育士は往々にして行事、とりわけ運動会や発表会で「ちゃんとする」ことを子どもたちに強いてきた。「こうして、あーして、そうやって。」「ちがう、ちがう、そうじゃない、もういっかい」なんか違うなとは思ってた。でも去年もこうだったし、おととしもあーだったし、ずーっとそうだったから。と、思ってきた。ある保育園の園長先生が行事のねらいついて、いくつか語る中で「今の発達を見せること」「その日のために特別なことをするのではなく、普段の生活、活動の様子がわかるようにすること」「子どもたちの主体性を尊重するとともに子どもたち自身がたのしむこと」などの言葉が僕の腑の中に落ちていた。実際は0,1歳児クラスは特別なことを見せることはできない。普段やっていることもたくさんの人の前でできるかどうかもわからない。でも積極的に子どもたちの主体性を尊重し、普段の生活行動を通して子どもたちの今の発達を見せようと意図することは当日、子どもたちが普段とは違う姿であったとしても保護者達には伝わるだろう。今年はそうしようねとくるみさんとは話していた。

 本番当日、年齢順に登場するので1歳児は0歳児の次に出た。くるみさんがステージ上から呼ぶと新第1班の友則、学、ワキ、良彦が勢いよく飛び出し、取りあえず前に並ぶことができた。くるみさんが名前を呼ぶと子どもたちは手を挙げて持っていた果物をくるみさんの持っていた籐のかごに入れた。果物はイチゴ、りんご、ぶどう、メロン、バナナの5種類。どうすんだと思っていたら、くるみさんは新聞紙を丸めて、赤、黄、青、緑のガムテープを巻きつけて、イチゴはマジックで黒の種を付けて、練習の前日にあっという間に作ってしまった。形は皆同じような感じだったが、それ、と言われれば、それ、に見えた。子どもたちの演技にステージ脇にいた僕は拍手喝采。第2班も勢いよく出たが、いつも元気のよい幸男が、ママを見つけたらしく、ママのほうに両手を差し出しべそをかき始めた。渡辺さんがその場で幸男をひざに置いて、なだめながらステージの端ににじり寄って行ってくれた。幸男は何となくべそをかきながらも渡辺さんの膝の上でおとなしくしていた。それを見て第3班は大丈夫かなと心配になり子どもたちの顔を見ると、豊の顔が引きつっており、これはどうかなと思った。が他の女子3人、ユリ、綾子、タマヨはいつもは引っ込み思案でどちらかと言うと大人の後ろにいるような子どもたちだったが、そこまで緊張しているようには見えなかった。くるみさんが第3班の子どもたちを呼ぶと、一応4人は勢いよく出ていき、僕も最後からついて出た。観客席を見るとパパママじいじにばあばあの顔がたくさん見え、どの顔もニコニコとフレンドリーなんだけど大人の僕でもシンパシーなど感じる余裕などなく、ただただ緊張の度合いが高まってくる。ましてや子どもたちは、と再び心配になったが、豊も少し顔を引きつらせながらも返事をしながら手を挙げ、果物をかごの中に入れた。実は一番心配していたユリと綾子は全く堂々として、名前を呼ばれるとまっすぐ手を挙げて、大きな声で返事をすることができた。ふたを開けてみればなんとかなるのが子どもの力だということを改めて感じた。

 踊りが始まってしまえば子どもたちの体は彼らの意志とは関係なく動き出してしまう。体が心を引っ張る。体が楽しみ、心も踊る。渡辺さんの膝の上にいたはずの幸男もいつの間にか立ち上がって踊り始めていた。

 

 0,1,2歳児は演技が終わるとステージから保護者に子どもを渡して、帰宅してもよいことになっている。兄姉のいる子どもは残っているが保護者と一緒にいるので僕たち3歳未満児の担任は大きい子のサポートについたり、会場係になる。僕はホールの後ろのほうで会場全体を見る係としてモコさんと一緒に3歳以上児の演技を見ていた。3歳児、4歳児と演技は進み5歳児は「ももたろう」だった。ちょうど桃太郎と猿、きじ、犬の仲間たちがステージ上で行進している時だろうか、前列の保護者の何人かが上を見上げていた。なんでだろうと何となく思ったとき、雪のようなものが落ちてくるのが見えた。何でここで雪?と思った瞬間、耳元で

「ちょっと、たまだくん、あれなに!」

と少し慌てたようなモコさんの声がした。

「雪が降る場面でもないし・・・」

と言うと

「なに言ってんの、梁の上、掃除した?」

と聞かれやっと合点がいった。ステージの上に構造の強化のためか4、50㎝角の梁が渡してある。その上は当然ながらいつも埃だらけで、何かの折に掃除をする。高さが3メートル近いのでいつも僕が6尺(約180㎝)の脚立を使って掃除をしていた。今回はクラスのことに気を取られ、すっかり掃除をすることを忘れてしまった。人の熱気、時折行った会場の換気、桃太郎とその仲間たちの行進の振動。そういったものが梁の上の埃を舞い上がらせたに違いない。今更どうにもならず、モコさんと二人、桃太郎と3匹の連れの上に時折ぼろぼろと落ちる「雪」を見ていた。

「季節的には合ってんだけどねー。」

ボソッと、モコさんは言った。子どもたちの演技に水を差したようで申し訳に様な気持ちになった。「雪」の降る中、桃太郎とその仲間たちは旗を掲げ、手を振り、足を挙げ、何より満面の笑みでステージ上をぐるぐると行進していた。おっさんのド忘れに伴う「ニセ雪」などさっさと溶かしてしまうほどの熱演ぶりに救われた気持ちにになった。思わず、ステージに向けて会釈をしたら

人の気持ちを知ってか知らずか

「おおげさな!」

と言ってモコさんが僕の背中を軽くはたいた。

 

年末から年始の休みは黄金週間、盆休みと並んで長いお休みになる。お便り帳には多くの家庭で子どもが夜更かしをして生活のバランスが崩れ、落ち着きをなくしていることを心配しているようだった。子どもたちが休み明けに、主に生活のリズムを狂わせて、保育園で落ち着かなかったり、トラブルが起こったりすることもある。ただ1歳児クラスは人生の中でも思春期と並んで「反抗期」と言われる時だ。休み明けに限らず、日常的に気分の波があり、落ち着かなく見えてしまう。そのことが人として発達の過程で必要なことか、それとも、他に原因があるのか、なかなか見分けはつきにくい。ただ、「落ち着かない」ことを否定的に見るのではなく一度受け入れ、声を掛けたり、時にはだっこしたりして、心穏やかになるよう援助している。「落ち着かない」ままでは何かを得ることは難しいのではないか、何かを得るにはやはり心穏やかになったほうがいいのではないか。そう思うからである。

休みの影響が少しあったかなと思ったのは綾子だ。もともと人見知りで保育士の陰に隠れている印象が強かった。そんな綾子も心配していた発表会で堂々の演技をしたので、一山超えたんじゃやないかと、くるみさんと話していたが休み明けはくるみさんにべったりだった。それでも2,3日でそれも解消した。クラス全体ではママパパが心配するほどの情緒の不安定もなく、概ねいつも通りの保育園生活をまた始めているように見えた。「私的」にやりたい放題やっていても「公的」にはそこそこつじつまを合わせてくる。なかなかやるじゃん!と成長を感じられるところでもある。

 

 休み明けに驚かされるのは誰か彼かが言葉の進歩が見られることだ。高月齢児は2歳を過ぎてそこそこ経っているので二語文は普通に話している。

 

タマヨ 「あやちゃん、てつだってー」

    「ちよちゃん、だいじょうぶー」

    

千代  「タマちゃん、いっしょにいこうね」

 

薫   「さちくん、まえみてないよー」

    「たーくん、かみきったー?」

 

綾子  「たーくん、いっしょにいこ」

 

幸男  「たーくん、ヤッホー」

 

学   「さーちゃん、こっちだよー」」

    「たーくん、こーひーどうぞ」  

   

ゆたか 「ゆーくん、しっしいった」

 

 遊んでいるときには独り言も言っているんだろうが、聞こえてくる言葉は圧倒的にお友だちや僕たちに話しかける言葉が多い。

 

浩司  「そと、さむいよー」

浩司に関しては、二語文の羅列らしき言葉が、延々と続く。ところが皆、断片的で、わかる言葉をつないで、意味を考えるのだが、しばしば時間がかかる。適切な応答をせずに黙っていると、浩司は突然話をやめ、明らかに機嫌を悪くし、プイっと行ってしまう。その後ろ姿を見ると「しっかりしてよ」と言われているようで、次は頑張ると思うのだが、また同じこと繰り返してしまう。あんなに一所懸命、話しているから、浩司の内面を知るうえで僕自身も興味津々なのだが未だ理解できていない。いつ失われるかわからない今だけの彼の心情なのにと焦りばかりが募る。

 

タマヨ 「これ、たまちゃんがつくったやつだよ」

    「よっちゃん、それ赤ちゃんのだからだめだよー」

 

綾子  「だって、こうちゃん、すきなんだもーん」

 

こうなってくるともはや普通の会話と何ら変わることがない。言葉が友だちや保育士を介して発達していることはとりも直さず、他人との関わりがますます増えていることを表している。それはもちろん穏やかなものではない時もある。依然として、実力を行使して自分の要求を通そうとする時もある。でも、確実に言葉を介しながら、解決とまではいかないけれど別の様子を見せてくれることが増えてきた。

 

 薫がバイキンマンのぬいぐるみを持っていると豊が近づいてきて「ゆーくんのー」と言って薫のことを押しながら無理やり取ろうとした。豊に限らずこのころの子どもたちは一度手放して別の遊びをしていたとしても前の遊びは自分の中では継続していると思っている子どもも多い。かたづけもせずに別の遊びをし始め、また前の遊びにいつの間にか戻っている場面に出くわすのはそういうことだ。薫はバイキンマンをしっかり抱えて豊のことをにらんでいた。拒まれた豊はもう一度薫に向かおうとしていた。近くにいたくるみさんがそれに気が付いて、豊に

「おもちゃをかしてほしいときは、なんていうの?」

「かーして」

「そうだよね。かおちゃんにいってごらん。」

くるみさんにそう言われ、豊は薫に向かって

「かーしーて」

と言うと、薫が

「まっててね」

と返した瞬間、豊が薫のほうを指を指して、べそをかきながらくるみさんのほうをむいた。

「だいじょうぶ、かおちゃん、かしてくれるから。」

と言うと薫は豊の顔をのぞき込んで

「かしてほしいの」

と言うと豊は、こっくりと頷いた。

「はいどうぞ」

薫がバイキンマンを差し出すと豊は片手で受け取りながら

「ありがと」

と小声で言った。

「ゆーくん、ありがとうって、いえたねー。かおちゃんもありがとね。」

とくるみさんは二人まとめて、ギュッと抱きしめながらそう言った。

 

 保育園は「みんなのもの」が多い所だ。みんな仲良く使わなければならない場面が多い。その一方でこれは自分の場所であったり自分のものであったりするものに心のよりどころを置いて自分自身をコントロールすることも必要だ。その一環として椅子に子どもたちが使う椅子にシンボルマークのシールを貼ってそれぞれの椅子を決めている。子どもたちは自分のシンボルマークをよく知っているので背もたれに貼ってあるマークを確認して座る。ところがワキは無頓着なんだか、悪戯心なのか、お友だちの椅子に座っていることがままある。

 ある日、ワキは知ってか知らずか薫の席に座っていた。

「ワキちゃん、どーけーてー。」

と言うがワキは知らんぷり。再度

「どーけーてー」

と薫が言うが、それでも知らんぷり。すると薫が

「じゃー、ワキちゃんのところにすわろー。」

と言ったらワキが

「だめー」

と言って自分のところに座った。ワキはやっぱりわざとだったんだと思うとともに薫はすごいと感心してしまった。最近では多少、同僚のおかげで昭和のおっさん的「どけろー」「やめろー」「あやまれー」みたいな高圧的な声掛けはしないようにはなってきたが2歳でもはやこのレベルとは、恐れ入る。

「かおちゃん、すごいね」

とくるみさんに話したときに

「でも、時々、なんだか、元気がない時もあるんですよね。」

とくるみさんは言った。確かに朝、ママとバイバイするとき等、少し名残が惜しいようで、くるみさんから離れないことがたまにあった。

「私たち、かおちゃんができるから、少し頼りすぎてるんじゃないかと思うときがあります。」

そう、くるみさんに言われ、僕も思い当たる節があった。子どもたちが小さい時は特に一番上の子どもに下の子の世話を頼んだり、何かにつけて最後にしたりしていたらしい。そのことが嫌だったと聞いたのはずいぶん大きくなってからだ。僕自身も年子の弟がいて、母親に「お兄ちゃんなんだから」としょっちゅう言われていた。薫もしっかりしているといってもまだ2歳だ。くるみさんが言うように「まだ2歳」と言うことは忘れずに、心にとめておこうと思った。

ワキはこの間は学のところに座っていた。学は椅子をがくがく押して「どけてー、どけてー」

と連呼していた。すると突然、ワキは立ち上がり、学に向かって

「ごめんねー」

と謝った。すると学は

「いいよー、ワキちゃん、あそこだよ。」

と指さしながらワキの椅子を教えてあげた。するとワキは

「ありがと」

と言ったのだ。なぜ、急にワキが学に謝ったのかはわからない。だが2人は双方とも低月齢児でもうすぐ誕生日を迎えるとはいえ、まだ1歳だ。言葉もまだあまり出ていなかった春先などは、多くの子どもたちがこんな時、ワンワンみたいにかぶりつき、ニャンニャンみたいにシュッとやっていた。それが1年もしないうちに自分たちでトラブルを解決してしまった。友だちのことをみていたか、大きい子の姿を真似したか、あるいは僕たち保育士のことを見ていたか。子どもたちの成長は大人の考えを軽々と越えていく。

 

 

 

1歳児の保育 ややこしない、ややこしない、ちょっと熱いだけだから

6、秋 色づく

 秋は深まるにつれ赤みを帯びてくる。保育園のまわりでは「赤み」のスタートは金木犀だ。だいだい色の小さな花をつけるとあたりはその香りでいっぱいになる。ここまで香りで街を満たすものはない。かつては森や土のかおり、糞尿交じりの田畑のにおい、もっと言えば人の汗や体のにおい、それとともに人は生活していたと思うが、大気や水の汚染による悪臭の影響か、「におい」そのものが敬遠され、今や無臭が街の香りの標準になっている。金木犀の香りはその中で生き残っている数少ない自然の香りだ。金木犀の香りが満ちるころ、芸術、スポーツ、食欲の秋はたけなわになる。金木犀の香りは気候のしのぎやすさと、人のやる気の象徴だと思う。

 園庭のハナミズキが赤い実をつけると、紅葉が始まる。近くの小学校の桜もそれぞれの木が赤みを帯びる。春先のように一気呵成に花を咲かせ、それぞれの樹木がお互いを競うのではなく、三々五々色づき、葉を落としていく。若さは競えるが老いは競わない。花が皆、一様に桜色で同じように見えるのに対して紅葉はそれぞれの葉が赤系、茶系、黄系のグラデーションで、一つとして同じものはないように見える。他の樹木の紅葉の中でひときわ目立つのは近隣の所々の家の庭にあるもみじだ。色合いが赤茶のような、赤に気持ち黒を混ぜたような濃い目の色合いが、桜やハナミズキなど他の落葉樹の葉のグラデーションゆえの曖昧な色合いと一線を画して鮮烈な印象を受ける。他の木々が老いを迎える中、もみじだけは今が盛りだ。

ここのところ残暑が厳しく10月ころまで暖かい日が時折あり、晩秋になって急に気温が下がり、紅葉が一気に進む感がある。こういった気候変動の影響を受けず、いついかなる時も夜の天空を照らす名月は本来あるべき「中秋」はどこに行ったと探しているかもしれない。

 

「おつきさまは えーらいのー かがみのようになったーりー くーしのようになったりー はるなつあきふゆ にほんじゅうをてーらーす」

うちわの両面に青い色紙を貼り、その上に一面は黄色の折り紙を鏡のように丸く切った満月とそれを見上げる白うさぎを、片面にはくしのように切った三日月と同様に見上げる白うさぎを貼り付けたものを左右に揺らしながら、裏表を見せながら、くるみさんはその歌をリフレインして2度歌った。

「うさぎさん、おつきさまみてるねー。」

くるみさんの声に反応することもなく子どもたちは皆、真剣にうちわを見ている。

 

給食を三々五々終えた子どもたちを僕が口を拭き、汚れた上着と下着を脱がせロッカー前にいるくるみさんに送るとくるみさんはおトイレとお着替えを手伝う。お着替えの終わった子どもたちは流しの前に敷かれたじゅうたんの上で午睡前の時間を過ごす。みかんが入っていた丈夫な段ボール箱に薄い色紙を貼ったものに絵本をぎっしり詰め、移動図書館のようにちょっとした時間に絵本を手に取れるように用意していた。子どもたちは思い思いに本を取り眺めている。その間に僕たちは遊びのコーナーに子どもたちの布団を敷いて行く。あらかた敷いたところで保育士が子守唄代わりのわらべ歌を歌ったり絵本を読んであげたりしてなんとなく寝るための心の準備を促す。

 

くるみさんが次に取り出したのは「おやすみ、ぼく」。作者が世界中の「眠たい子」と「まだまだ眠りたくない子」と「眠りたくない子」に贈った本だ。

「おやすみあしさん」

くるみさんは1ページ目を読みながら一番左に座っていた豊の右足の向う脛あたりをさすった。豊はくすぐったそうに足を動かし、隣の浩司のほうを向いて

笑いかけた。浩司もそれに反応して首をすくめて笑った。

「おやすみ、ぼくの ひざさん」

くるみさんは同様に浩司の膝をなでた。浩司は くる、くる、きたーと言う感じで上半身をくねらせて笑った。もも、おなか、おしり、むね、ゆび、うで、くび、みみ、はな、くちと一つずつ子どもたちの体に触れながら読み進めていた。子どもたちは一様に体をよじらせ笑っていた。「くち」のところはくるみさんは順番の回ってきた俊之のほおをつんつんと右手の人差し指で触っていた。僕は食事をしたテーブルを拭き、椅子も一つずつ拭いた後、床に落ちたごみを拾い集めながら子どもたちの様子を見ていた。最初の「あし」から最後の「め」まで子どもたちの人数と同じく13こあった。しかし今日はすでに学が床に就いていた。朝が早く、体力もまだまだの学は給食中にこっくりすることが多かったので、概して他の子どもよりも一足早くご飯を食べることが多く、今日も先に食べ、一番最初に入眠していた。。

「おやすみ、ぼくの めさん」

くるみさんは今まで向いていた絵本のほうから子どもたちのほうに顔を見せ、すっかり目をつぶりながら

「もう、ゆめがみえてきた」

再び目をあけ

「おやすみ、おかあさん

もうちょっとだけ そばにいて

もうちょっと

もうちょっと

もうちょっと・・・」

絵本ではママがぼくのおでこにやさしくキスをしている。子どもたちはくるみんの声を聴きながらそのシーンを真剣に見ていた。

「おやすみ、ぼく

また あした」

一拍おいてくるみさんがゆっくりと絵本を閉じた。子どもたちの誰かがため息をついたような気がした。

「おふとんへどうぞ。」

子どもたちは、ゆっくり立ち上がって、それぞれの布団に向かった。

 多くの子は「眠たい子」だ。くるみさんの子守唄のような読み聞かせで体も心も布団に向かう。そういった子どもたちにつられて布団まで行ったはいいが、布団に入らず布団の上でお座りする子どももいる。友則や千代はしばらく布団に座っている。毎日というわけではないがこのふたりは「まだまだ眠りたくない子」

だ。少し前までワキもそうだったが近頃運動量が増えたせいかすぐに寝るようになった。一人、布団に行くのが一番最後で、布団に行っても立ったり座ったり落ち着かないのが俊之だ。くるみさんが

「としちゃん、おふとん、はいったら。」

と声を掛けると

「ねんね、やんや、ママはー。」

と少しべそをかきながら言った。俊之も時折「眠りたくない子」になる。

 くるみさんがそんな俊之の布団の横に寝転んで

「としちゃん、ごろんしよ」

「ねんねだよ」

と言いながら、背中とか、太ももとかをさすっていた。後片付けが終わった僕はさて誰をトントンしようかとあたりを見回した。実はモコさんから春先に

「子どもは自分で寝れるんだから、トントンしなくてもいいんじゃない。」

とは言われていた。

「それはそうだと思うんですけどね、『寝食をともにする』って言うじゃないですか。子どもたちと信頼関係を深めたいし、一時保育の時もトントンしてよかったように思うんですよ。しばらくいいですか。」

 そこまで粘る必要もなかったと思うのだが、基本的には共同生活するうえで『寝食をともにする』ことが大切じゃないかという思いがあった。親との実家での生活、学生の時の寮生活、そして連れ合いと子どもたちとの生活。自分だけの勝手な思い込みだろうとは思ったけれど、何となくそれできずなが深まったような気もする。根拠もエビデンスもない、ほんとに何となくだけれど。ましてやトントンが「寝ることをともにすること」になるのかどうなのかどうなのかも怪しいが。

 ユリとその隣の幸男がもぞもぞしていた。僕は二人の布団の間に正座をして

右手でユリを、左手で幸男のおなかあたりを布団の上からさすった。以前は添い寝をしていて時折寝てしまうこともあったがさほど支障もないと思っていた。しかし、先日くるみさんに

「たまだくん、今日、いびきすごかったですよ。そしたらモコさんが書類を持ってきたんです。でも何も言わずに出ていきました。私、なんかドキドキしちゃいました。」

と言われた。モコさんは「おっさん、疲れてるんだね」ということで見逃してくれたんだと思う。くるみさんは僕のことを起すか起こすまいか悩んでいたところにモコさんが来てますます動揺したのだろう。くるみさんに悪かったと思い、それ以降、寝ないように横になるのはやめにしていた。

子どもたちを寝かせるとき、自然と子守唄が心に浮かぶ。子どもの体をさする手の動きに合わせて歌が流れる。思わず歌詞が口についたり、少しハミングするときもある。

 

一時保育に来る子どもたちのなかには慣れない場所ですんなりと午睡ができない子どももいた。眠いのに寝られない。ぐずったり、大泣きをしたり。そんな時僕たちはおんぶをしたり、だっこをしたりして体をゆすりながら子守歌を歌った。モコさんは「江戸子守唄」、僕は「竹田の子守唄」。お互いそれしか知らない。もっとも「江戸子守唄」は冒頭の「ねんねんころりよ、おころりよ」の歌詞については知っている人も多く、日本で一番有名だとは思う。僕もそれぐらいは知っている。おっさんと子守唄なんてミスマッチもいいところだが「竹田の子守唄」は僕が小学生のころに「赤い鳥」というフォークグループが京都に伝わる子守唄をカバーしてヒットした。中学生の時にフォークソングが流行って、まわりの友だちがギターを弾きだし、僕も真似をしてギターを弾きだしたときに練習した曲の一つで、まさか子育てや、保育の仕事に生かせるとは当時は思っていなかった。忘れずにいた理由はその曲や歌詞のせつなさ、悲しさが感受性のまだ強かった少年タマダの心を捉えたからだ。

 

守(もり)もいやがる 盆からさきにゃ

雪もちらつくし 子も泣くし

 

 盆がきたとて なにうれしかろう

 かたびらはなし おびはなし

 

 この子はよう泣く 守をばいじる

 守もいちにち やせるやら

 

 はよもういきたや この在所をこえて

 向こうにみえるは 親のうち

 向こうにみえるは 親のうち

 

「盆から先は寒いし、盆が来てもうれしいことはないし、子どもは泣き止んでくれないし、早く親元に帰りたい」という、もともとは奉公に出された少女の辛さに耐えるための労働歌ではあるのでせつなさ、悲しさを帯びるのだと思う。僕やモコさんが子どもたちをおんぶしたり、だっこしたりして少し体をゆすりながら子守歌を口ずさむと、子どもたちはさほど時間を置かず寝息を立てた。少女たちが「この子はよう泣く」と嘆いたのは背中におわれている子どもが少女の気持ちに同調し、せつなくて、悲しかったからかもしれない。「子守なんぞ 誰でもできる」とばかり年端もいかない少女にさせていた当時の大人たちの姿が、保育士、介護士などの賃金を低く見積もっている人たちに重なる。(少年が子守をした場合もあるとは思うが当時子守は少女が担うことが多かったらしい。)

 

 幸男やユリはすぐに寝息を立て、僕は「まだまだ眠たくない子」の友則の横に座った。友則は一応布団にゴロゴロしていた。もう一人の「まだまだ眠たくない子」の千代は布団の上に座っている。

「ちよちゃん、ねんねしないの?」

僕が声を掛けると千代は少し僕の顔を見た後、首を横に振った。

「あれあれ。」

と僕は千代に言った。もうすぐくるみさんが俊之を寝かしつけて千代につくだろう。

 

 「今日は、朝、少しバタバタしたね。」

千代を寝かせた後、部屋の流しの前のテーブルに来たくるみさんに僕は言った。

「おもちゃ、パズルしか出てなくてさ、取り合いになっちゃったんだよね。」

遊びのコーナーの棚にはおままごとや、レール、レゴブロックなどがあるが、それ以外にテーブルにパズルやシール、お絵かき道具を置いたり、じゅうたんを敷いてBブロックや井型ブロックなどをローテーションで出してお部屋遊びが飽きないような工夫をしていた。

「月曜日は、やっぱり子どもたちも落ち着かないですよね。忘れずに対策をしないとだめですね。」

その通りだった。今日は僕が早番で、パズルを出したところで一番手の薫が登園し、そのままになってしまった。0歳児担任のめばえちゃん(めぐみ 21 新人だから「芽生え」)もいたんだが、彼女は新人で1歳児クラスの保育環境を僕の指示なしでできるわけがなかった。初めに僕が受け入れをしていたが、薫に続いて豊が来た途端にパズルの取り合いを始め、めばえちゃんが仲裁しているうちに、千代と俊之が登園して、同様に取り合いを始め、これはいかんと思い、めばえちゃんに受け入れをお願いして慌ててBブロックと井型ブロックを出した。今日は8時半までに11人が登園し、なんだか落ち着かない雰囲気になり、ブロックコーナーも不穏な空気になり始めたときにくるみさんが出勤してくれた。

「ワー、ワチャワチャですね。」

と部屋に入ってくるなりそう言うと、

「どうします、でます?」

と言ってくれた。

『渡りに船』とはこのことだなと思いながら

「いやー、頼みます。」

と僕がお願いすると、くるみさんは

「了解でーす。」

と言いながら背中のリュックをロッカーに入れ、その時少し遊びに飽きていた、薫、学、千代、ユリ、友則に声を掛けて園内さんぽに出かけた。もし大声で「いくよー」なんて言おうものなら我も我もと押し寄せただろうが、そのこと十二分に理解しているくるみさんは子どもたちの耳元でそっと声を掛けていた。

 曜日ごとに子どもたちの様子が極端に変わるということもないが、月曜だけは土日の家族の活動のためか、お疲れ気味で気持ちも落ち着かないのかと思うときがある。

 

ワチャワチャバタバタとしてしまうのは午前の活動を終えてトイレから手洗い、給食に至る流れの時も多い。最近は0歳児クラスの子どもたちの中で歩く子どもが増え、0歳児担任、看護師さんが手いっぱいになり、フリー保育士や主任もどこかで誰かが休んでいればそちらに入るということで、以前ほど1歳児クラスに応援に来てくれることも少なくなっている。とりあえず給食の準備だけは0歳児担任にお願いしている。

2歳児クラスより上は半年も過ぎればクラス内も落ち着いてくる。事故けがトラブルは数が減るし、子どもたちが主体的に動けるようにもなり日常生活習慣もついてくる。保育士も子ども一人ひとりを理解し、完全とはいわないが、それぞれに対してそこそこ適切な対応もできるようになる。ところが1歳児クラスは子どもが「へんに落ち着く」ことが逆に「どうか」ということがある。子どもたちが唯我独尊、自由奔放、独立独歩となり熱く自分を主張することが、主体性という人間の基礎を形作る発達過程の一部とされているからだ。しかし保育園は共同生活だ.それゆえ他人との争ごとは増える。大人や他の子どもたちとのせめぎあいと折り合いの毎日だ。そういう時期を潜り抜けて子ども同士や、親子や、保育士などの大人と子どもとのお互いの理解にいたるんだろう。そしてそれもまた発達過程の一つだ。この疾風怒濤の毎日をおくることこそ、とりわけ1歳児クラスの特徴と言える。そして月齢の差もそれに輪をかける。高月齢児から低月齢児に、唯我独尊、自由奔放、独立独歩のピークが人を替えて春先から1年にわたって続いて行く。それゆえ1歳児クラスは他のクラスに比べ年中「ホット」だと言える。

 

午前の活動の園庭遊びの後、なかなか部屋に入ろうとしなかったユリと俊之をすったもんだの挙句、何とか部屋に入れた。部屋に入った時、くるみさんはワキをおんぶしてトイレの前に、給食準備は静さんがしていた。まだ外で遊びたかった俊之はぐずぐずとして、そのうち

「ママ―」

と言いながら立ったまま、びぇーびぇーと泣き始めた。おなかがすくのか、寂しくなるのか、この時間によく泣いている。こうなると何を言っても動かない。

「ママねー、おむかえにくるからねー、ごはんたべてまってよねー」

などと言いながら、俊之の帽子を取り、

「としちゃん、あんよ。」

と靴下を触りながら言うと、俊之は片足ずつ上げる。足が上がったタイミングで靴下を脱がせた。ユリは帽子と靴下をロッカーに片づけてトイレのほうに行った。よしよし、今日のユリは順調だ。

「としちゃん、たんたんとぼうし、ロッカーにいれれる?」

と聞いたが、俊之はびぇーびぇー泣きながら首を振った。そりゃ、まあそうだわな、と思いながら

「としちゃん、すわってまってよか。」

と言いながら俊之の手を引いてテーブルに連れて行った。

給食の準備をしている静さんに

「としちゃん、お願いしていいですか。」

と頼むと静さんはニコニコ笑いながら

「いいですよー。としちゃん、もうすぐごはんだからね。」

と声を掛けてくれたが、相変わらず泣いていた。

 トイレ前の長椅子には薫、千代、浩司がパンツを履いていた。浩司が立ち上がりパンツを上にあげるとまたすぐに脱ぎ始めた。

「こうちゃん、どうしたの?」

くるみさんが声を掛けるが、浩司はそのままパンツを脱いで座って、パンツをポンと足でけり上げた。浩司がパンツを履いたり脱いだりするのはいつものことだ。理由はいまだに不明だ。その前を綾子がパンツを履かないままうろうろしている。

「あやちゃん、ぱんつは!」

綾子もくるみさんの声に反応することなく何が気になるのかおもちゃコーナーのほうをじっと見ている。近頃、パンツを履かずにうろうろする子どもが増えたように思える。日を替えて、薫、ユリ、ワキ、友則らが僕らの「パンツは?」「パンツはいて!」を聞かずにそのままでいる。自己主張の一つに「ノーパンでうろうろする」というオプションが子どもたちにはあるらしい。

「ワキちゃん、どうしたの?」

とくるみさんに聞くと

「おなかがすいたみたいで大泣きしてたんですよ。」

とくるみさんはこちらを向いて応えた。背中のワキは、機嫌を直したようでくるみさんのうなじの下あたりに頬を付けている。眠いのもあるかもしれない。

「うんちでたー」

トイレの中から元気のいい声が聞こえてきた。幸男だ。

「はーい」

くるみさんは返事をしてトイレに入っていった。

ロッカーの前にはタマヨと豊と学が座っていた。タマヨは脱いだ帽子を傍らに置き靴下をのんびり脱いでいる。豊は帽子を手にもってぶらぶらさせているし、学にいたっては何もしていない。

「ゆーくん、まなぶくん、おといれいこっ。」

と誘ってみたが豊は

「いやっ」

と言いながらべそをかいて抵抗する。学は僕をにらんで首を横に振る。総じてみんな聞きわけがないな、と思ってしまう。春先も多分こんな感じだったと思うが、言葉もあまり出ていないし、習慣もまだ身についていないからわからないんだろうなと思えたが、今は会話もそこそこできて、子どもたちもごはん前にトイレに行って、手を洗って、ということはわかっている。わかっていながら、自分のしたいことを優先する。

「なんで、いうこときけないの!」

そう思う瞬間だ。このあいだモコさんにぼやくと

「たまだくん、イヤイヤ期って知らないの?第一次反抗期。自分の子育てのときはどうだったの?」

イヤイヤ期自体知らないわけではなかったが、その渦中にいると「イヤイヤ期だからしょうがないよね」と言うことに恥ずかしながら考えが及ばない。

「あれー、どうだったっけ。」

自分の子育ての時はイヤイヤ期など知るはずもなく、まだ若かったし、子育ての半分は怒ることだと思っていた。怒ることもあまり苦ではなかった。あまり母親ほど「なじみのない」父親がたまに声を荒げれば多少は子ども怖がるし、それを「言うことを聞いた」と勘違いしていたんだと思う。常に子どものそばに居続けた連れ合いが確かに子どもたちの聞き分けのなさをぼやいていたと思うが「びしっと言うたれ、びしっと」みたいなことを偉そうに言った覚えがある。こうして子どもたちのイヤイヤにまともに向き合うと「びしっと言う」ことの無力さがよくわかる。子どもは勘が鋭い。中身のない言葉にはその時応じてもその場限りだ。

「待つか、選んでもらうか、でもこれと言ったものはないかな。日ごろからまじめに会話を重ねて、ここ一番気持ちを込めて話せば、しょうがないなとか思って話を聞いてくれるよ、子どもは大人よりあたま、柔らかいんだから。」

モコさんの言葉に従ってひざ詰めで子どもたちを説得するが、なかなか思うようにいかない。あんまり通じないので、昭和のおっさんとこの子どもたちが話している言葉は違う言語じゃないかと思うくらいだ。

 

ロッカーの前でズボンとパンツを脱ぎ棄てていた友則が僕のところに来た。見ると友則は赤ちゃんがよく着ているロンパースを着ている。パンツあたりのボタンが留まっていない。友則はロンパースのすそをもって上にあげた。そのままでいるとすそが便器に入って濡れてしまうので、僕らはいつもすそを肩に回してそこでボタンを留めていた。

「ボタンとめるの?」

と聞くと友則は

「うん」

と答えた。友則は時折ロンパースを着てきた。別に珍しいことではない。他の子も着てくる。綿だしちょっと長いのを我慢すればまだ十分に着られる。僕はロンパースのすそを肩のところで留めた。友則はその間、僕の顔をじっと見ていたが僕がボタンを留めるとトイレに入って行った。

豊はトイレに行くことを頑として拒み、それじゃ、パンツだけでも替えようと誘うが、それも泣いて抵抗する。泣いている豊のパンツのゴムを引っ張り、パンツの中身を見せ、

「ゆーくん!パンツのなかがたいへんなことになってるー!」

と大げさに驚くと、そのまっ黄っ黄の色に本人が驚き漸く納得した。

「トイレ、いっといで。」

というと豊は漸くトイレに向かった。

ロッカー前で座ってのんびり靴下を脱いでいたタマヨが流しのほうを向いて

「よっちゃんー、いたずらしちゃだめだよー」

というので後ろを振り返ると良彦が3つある蛇口を全部開けてじっと見ていた。

「よっちゃん、ひとつだけだよ、あけるのは。」

と言いながら僕は左の二つを閉めた。良彦は首を縦に振って、両手を一番右の蛇口にさらした。

「よっちゃん、せっけんつけてあげるから」

と言うと良彦は両手を僕に向けた。棚にあった液体せっけんのポンプを押して泡を良彦の手につけて

「よっちゃん、ゴシゴシだよ。」

と言い終わる前に良彦は水に手をさらした。良彦、ワキら低月齢児はいつも間に合わない。僕も少しはやり方を考えればいいものをついつい対応が遅れる。高月齢児は一応ゴシゴシすることは身についているから、同様の感覚でいてしまう。ハンドペーパーを渡しながら

「よっちゃん、てーぶるにすわっててね。」

と言うと、良彦は「うん」と言いながらテーブルのほうに向かった。

 

学は相変わらずぐずぐずしている。学は登園は早いし、体も細くていかにも体力がなさそうだ。眠気も人より早く来るのでいつも、早めにご飯を食べるようにしていた。

「まなぶくん、トイレどうする?ごはんたべてからいく?」

そう聞くと、僕のほうを上目遣いに見てこっくりうなずいた。

「そんじゃ、ぼうしとくつしたぬいで、おててあらおっか。」

そう言うと漸く手を動かし始めた。

「バチンバチン」と音がすると思ったら、良彦がおしぼりをテーブルに打ち付けている。

「よっちゃん、おしぼりバッチくなるからね。」

と言って配膳をしていた静さんが声を掛けたがやめない。

 トイレのほうで「ギャー」というくるみさんの声が聞こえた。静さんに

「ちょっと見てきます。」

と言ってトイレをのぞくと流しの前に幸男が立っており、あたりが水浸しになっている。

「どうしたの?」

くるみさん尋ねると

「蛇口を横にして水出したみたいで。」

幸男は水を出しながら左右に動く吐水口を横にしたのだろう。幸男は足元にたまった水を見ながら足踏みをして感触を楽しんでいるかに見える。もっともこれは幸男のせいではない。構造上の問題が一番大きい。どの方向に向けても吐水口から出る水はシンクに落ちなければならないが設計上、致し方ない部分があったのだろう。

「くるみさん、あとでかたづけよ、としちゃんたちがはらすかして泣いてるから。」

 僕はトイレの前で漸くパンツを取りかえ始めたタマヨと綾子、それに幸男のそばに立った。

「ワキちゃん、もらうから。先に食べてるからね。」

くるみさんにそう言うと

「はーい」

とくるみさんは返事をしながら背中からワキを降ろした。

「ワキちゃん、てってあらって」

と言いかけたが、降ろした瞬間ぐずぐずし始めたので、お手拭きで手を拭きゃいいか、と思い直し、

「ワキちゃん、ごはんだよ。」

と言って右手の人差し指を出すと、ぐずぐずしながらもワキはそれを握った。二人でテーブルに近づくとワキは手を離して自分でテーブルの端に置いてあるテーブル付きの椅子に座った。

俊之は相変わらず泣いており、それに影響されたのかパンツを履き終えた豊がテーブルのわきでおしぼりを片手に泣き、良彦は相変わらずおしぼりでテーブルをたたき、浩司がそれを真似していた。薫と千代、ユリもいたが三人は自分のエプロンをたたんだり広げたりしながら、少し退屈そうにしていた。

「しずかさん、ごはんたべられます?」

静さんに尋ねると

「うん、大丈夫、配ってるね。みんなエプロン配るからくびにかけてね。」

と静さんは子どもたちに順番にエプロンを配って行った。そのあとごはん、なめこのみそ汁、カジキのごまみそ焼きとちくわ入りおひたしとバナナの入ったお皿を手早く配った。テーブルに給食が並ぶと、漸く豊はべそをかきながらも椅子に座りエプロンを自分でかけ、同様に浩司、俊之、良彦、学、ワキもエプロンを自分でかけた。薫、千代、ユリはもとより準備万端だ。子どもたちの様子を見ながら、静さんがテーブルの前に座り、手を合わせて

「おててをぱちっ、おいしいきゅうしょく、いただきます。」

と「号砲」がうち鳴らされると子どもたちはいっせいにスプーン、フォークを手に持ち、給食を食べ始めた。俊彦、豊、ワキなどのグズグズめそめそ組もピタッと泣き止み、一心不乱に食べている。子どもたちがご飯を食べ始めると一気に部屋が落ち着いてくる。アー、ワキの手をおしぼりで拭くのを忘れた、豊もどうだっけと思いながら、

「ワキちゃん、ごめん、ちょっとてをふかせて。」

と言いながら前にあるワキのおしぼりで、手にあるスプーンを取りながらササっと手の平を拭いた。ワキは口をもぐもぐさせながら僕のされるがままになっていた。

「ゆーくん、てあらったっけ?」

と豊に聞くと、豊はごまみそ焼きをフォークで刺しながら、首を縦に振った。ホンマかいなと思いつつ、今泣いていた子が、もう笑ってる状態なので、まあまあ、腹いっぱい食べてくださいという気分で見ていた。

ふっと振り返ると、手洗い場のところに友則がいた。ズボンをちゃんとはいている。トイレ前には座っていなかったからロッカー前で自分で履いたんだろう。

「じぶんではけたんだね、すごいねー。おててあらってごはんだよ。」

と言っているさなかからズボンの前が濡れていく。ミステリーかとしばし呆然と見ていたが、収まった段階でズボンを下げ、ボタンの留めていないロンパースをめくってみると、パンツが上がりきらず、ちんちんの先っぽがパンツから1センチほど出ており、もう、尿はあらかた出たのだろう、しずくが一滴二滴と先っぽから零れ落ちていた。パンツを自分で履いたものの残念ながら上まで上げることができなかったようだ。

「ともくん、おしかったねー。」

トイレでしなかったんだと思いながら、友則にそう言ったが、彼には何が起こったかわからなかったようだ。1歳児は自己主張する。1歳児の体も本人の意思にかかわらず、まだまだ自己主張する。心も体も律するのはもう少し時間がいる。

 

 子どもたちが寝静まった後、流しの前のテーブルでコーヒーを飲みながら連絡帳を書いている時、次の連絡帳は誰かなと思いながら名前を見ると、良彦だった。

「最近、よしくん、ききわけ、なんかよくないなー。手洗い、トイレ、誘ってもいやいやだし、部屋に入ろうって言ってもいやいやだし。」

聞き分けの良くない子はたくさんいるが最近目立ってきたのが良彦だった。

「でもそれって、やっと自分を出せるようになったってことですよね。今まではどちらかと言うと言われるがままっていうのが多かった気がします。それに友だちとの関わりが増えてきたし、ことばもふえてきたと思いますよ。」

くるみさんが言ったことに思い当たる節はあった。

 この間もワキが持っていたアンパンマンの人形を

「かあして!」

と言いながら強引に取ろうとした。さすがにワキは手を離さず、逆に良彦の手を振りほどいて逃げていった。別の時は小園庭のあひるブランコをみんなが並んで待っている時、強引に横入りをし、千代に

「だめだよー」

と押され、倒れ、べそをかきながら

「ちよちゃんがー」

と指さしながら泣いていた。ルール無用の関わりだけど、子どもの関わりらしいと言えばらしい。

「でも、言葉はどんどん出てますよ。今日、滑り台のところでよっちゃんが滑ろうとしたら、下にまーくんがいて、まーくんに『どけて―』って言ってましたよ。」

「意味、わかってるじゃん、まだ石はたべようとするけどね。」

「石、食べたんですか。」

「食べようとしてた。『いし、たべないでね』って言ったら『はい』ってそこはやたら素直だった。」

「そういえば給食の時、『くーたん、みて―』って言いながらごはん食べてました。たぶんそう呼ばれたのは初めてだと思います。」

僕はまだ呼ばれてないが概ねくるみさんの名前がわかったことになる。人との関わりや、言葉について順調に身につけているといえる。他者とぶつかるのは順調の証だ。

 

 子どもたちは自分を出す、それは共同生活が基本の保育園では周りの友だちとの軋轢が増えることを意味する。1歳児クラスの軋轢は、押したり、叩いたり、引っかいたり、時にはかみついたりと、直接的だ。それに奇声をあげたり、泣いたりするのでやたら賑やかになる。が、子どもたちが言葉を獲得するにつれ、軋轢が劇的に減ることはないが賑やかな中にも和やかな場面も徐々に増えてくる。増える言葉の一つに「名前」がある。子どもたち、とりわけ高月齢の子どもたちはお友だちの名前をすっかり覚え、会話の中に友だちの名前が増えていく

薫「ゆーくん、おもちゃもってきてあげる。」「よっちゃん、すわっちゃだめだよー、あぶないよー。」

千代「ともくーん、こっちおいでー」

ユリ「まーくーん、すべりだいしよっ!」

タマヨ「あやちゃーん、てつだって!」「ちよちゃん、だいじょうぶ?」

綾子「ちよちゃん、たまちゃん、いっしょにいこっ」

幸男「あやちゃん、いっしょにあそぼー」

ほんと何でもない時にワキが「ゆーくん」と呼び、それに応じて「ワキちゃん」と豊が呼びお互いにっこり笑って顔をみあわせていた。たまにこういう場面を見かけるときがあり、本を読んでいる時、千代、タマヨ、綾子が顔を見合わせてにっこりしていたり、ままごとの時に豊と綾子が「ねー」と言いながら顔を見合わせていた。千代と浩司は直接抱き合って喜んでいる時があった。友だち同士幸せの時間を共有しているようで、こちらまで幸せな気分にさせられる。

子どもが使うには違和感があり、どうやら後ろにパパママを感じる言葉もある。

千代「そうなんだー」

タマヨ「いいから、いいから」

幸男「もうやだー」

 気を許してしまい思わず1歳児室で無音のおならをしてしまったことがある。すると後ろにいた浩司が「なんか、くさいー」と大きな声で叫んだ。それが連れ合いに言われているようで、いつものように「くさくない!」と言いかけたが、浩司は何も気づいていないようで、危うく墓穴を掘るところだった。でも自分の子どもたちには、おならをしたときは他人のせいにならないようにできるだけ自白するようには言っていたが、この時はどうしても自白できなかった。ごめんなさい。

抗議の声はいつも大きい。

タマヨ「どけてー!」

幸男「やめてー!」

友則「いたいー!

友則は普段「うん」とか「いや」とか単語一言を静かに話すのだが「いたい」だけは大きな声ではっきり言う。一度、園庭からお部屋に入るときに「いこっ」と言って手を握ったときに大声で「いたい!」と言われ、慌てて手を離して謝ったことがあった。大人にとって普通に握っても子どもにとっては痛い時もあるんだと反省した。

自己主張をしてるさなか、急にやさしくなったりもする。嵐になったり、晴れわったたり、心の中の天気はめまぐるしく変わっている。

薫、始めは物を取りあってもすぐに譲ってくれる。

豊、いきなり人のものをとろうとするがすんなり自分のものになると貸せる

俊之、おもちゃの取り合いで、相手を押したり、叩いたりするが、「としちゃんはやさしいから、きっと貸してくれるから」と言って10数えると、ほいと貸してくれる

ワキ、1歳児クラスでは友だちと張り合うが、0歳児クラスに行くと献身的に世話をする。

 この間、ワキが良彦が遊んでいたドキンちゃんのぬいぐるみを取ってしまい、良彦が泣いてしまった。その様子をくるみさんが見ていた。それに気づいたワキは慌ててドキンちゃんを良彦に渡し、くるみさんのほうを見ながら「よしよし」と良彦の頭をなでていた。くるみさんが「まったく」と言った表情で苦笑いをしている姿がまた面白かった。

高月齢児が友だちのお世話をする場面もよく見かけるようになる。

 ロッカーの壁に「靴下をはき、ぼうしをかぶり、上着を羽織り、くつを履く」と言う一連の外に行く準備をくるみさんがイラストにして貼っている。それを見ながら子どもたちは外に出たいがために意欲的に取り組んでいる。千代、タマヨ、綾子、薫たちはおおむね準備ができるのでなかなかできない他の子どもたちに「できる?」「手伝う?」と声を掛けてくれる。豊や浩司などは「てつだって」と頼むことができ、それはそれで感心するのだけれど、先日学が「できないから、てつだって」と彼女たちに言ったのには驚いた。それまでは靴下や帽子をぐずぐずしながら差し出すだけだったがその都度、くるみさんや僕が「てつだってだよ」と言っていたことが実を結んだのだけれど、「できないから」は一体どうした?一体どこで学んだ?とくるみさんと首をかしげるばかりだ。豊や浩司がたまに言っていたのを聞いていたかもしれない。こんなところから子どもたちの語彙や語法が増えていくんだろうと思う。

 そういえばユリはよく良彦、学、友則に絵本を読んであげている。もちろん字が読めるはずもないが、内容はマル覚えをしているのでちゃんと様になっている。「ユリ学校」の生徒たちは真剣にユリ先生のお話を聞いている。言葉のいろいろを学んでいるに違いない。できうるならば学んだ言葉を使い、学友と仲睦まじくし、おもちゃなどの取り合い等のトラブルは避けていただければ幸いです。

 

 午前の活動から給食までの喧騒がうそのように子どもたちは寝入っている。

くるみさんが

「たべます?」

と言って板チョコをポキッと折ってくれた。

「今日、外でとしちゃんとよっちゃんの友情を見たんですよ。」

くるみさんがそう言って二人の話を聞かせてくれた

 園庭で2歳児がフラフープを使ってボールを押したり、電車ごっこをして遊んでいた。その遊びをしたかったのだろう、3,4,5歳児室の前の物干しざおにかかっているフラフープを俊之と良彦が二人並んで見ていた。くるみさんは二人には少し取るのが難しかろうと思い、取ってあげようと一歩足を踏み出したところで俊之がフラフープの真下まで行って背伸びしながら、取ろうとしていた。くるみさんが様子を見ているとなんとかかんとか物干し竿からフラフープを外して取った俊之は見ていた良彦にそれをひょいと渡し、また物干しざおに戻って同じように背伸びしながら自分の分を取った。俊之が取り終わるのを待っていた良彦と二人でフラフープをもって園庭に駆け出して行ったそうだ。1歳児は自己主張をする。同時に友だちを思う気持ちもしっかり刻み込まれている。

1歳児の保育 ややこしない、ややこしない、ちょっと熱いだけだから

5,初秋 コスモス

 あれだけ上を向いていたヒマワリがすっかりその色を落し、下を向き、腰を曲げ、その姿を不憫に思った誰かが、園庭整備の時に抜いた後、しばらく色味のなくなった花壇に、気が付くとコスモスが咲き乱れている。園の花壇に秋口に咲く花がなかったのでパートの渡辺さんが

「秋と言えば『秋桜』でしょ。」

ということで種をまいてくれた。花びらがないと草むらに生えている雑草かと見間違えてしまうが、すこし目線をあげると、桃系や赤系の花が少なくとも10輪、いやそれ以上咲いている。背が高く、細いうえに花びらも体全体に比べれば小さいので、少しの風でもゆらゆらと揺れている。それが、暑い夏をやっとしのいだ子どもたちや僕たちに多少は過ごしやすくなった秋を感じさせてくれる。   

僕が小さいころは工作の時などコスモスの花びらをよく作らされた覚えがある。折り紙を細長く何本か切って、先に切れ目を入れ角度を変えながら重ねて貼って最後に黄色の丸いのを中央に貼って出来上がり。そのころはまだまだ空き地や野原があってよく群生しているのを見かける、身近な植物だった。最近街中で見かけなくなった原因の一つにはそれらの土地が減ったからのような気がする。渡辺さんや僕やのび太たちが遊んだ空き地や野原は都会ではもうすっかりなくなってしまった。大人の指図を受けない子どもたちだけの世界。そこで子どもたちは他人とのやり取りを覚え、ルールを覚えた。もっと身近な道路でも遊んだ。今や土地は建物、道路は車に占拠されてしまった。一方、都市よりも少子化の進む地方では空き地があってもそこで遊ぶ子どもがいなくなったという。

 そんな中、園庭は都市では数少ない子ども専用の空間だ。うちの園では子どもたちはそこで大人の干渉を受けず、自由に遊び、僕たち保育士はできるだけ口を出さずそれを見守っていくことにしている。当初、体育会系昭和のおっさんである僕は外に出ると部活の時の癖で、大声を出して「あれしない、これしない」となんだかんだ言いがちであったが、モコさんに

「たまだくーーん、声がでかいー。こどもが驚くー。注意しすぎー。できるだけ見ててあげて―。よっぽど言いたいことがあるんだったら、そばに寄ってそっと言ってあげて―。」

とよく言われた。「あれすんなー、これすんなー。こーせんかいー、しっかりせんかい!気が抜けるー!」と部活で先輩に怒られ続け、後輩に怒り続けた僕にとって一種のカルチャーショックだった。「戸外の活動で大声を出してはいけない、注意をしてはいけない」など、全く受け入れがたかったがさすがにモコさんに面と向かって逆らえず、我慢をしておとなしくしていたらそのうち大声を出して注意せずとも、少し我慢をし、用があれば近づいて言えば事足りることが分かった。「大声」は町内会の早朝ソフトボールの時に昭和のおっさん連中と一緒に出していざと言うときに備えている。

 

 朝のおやつを食べ終わった後、僕は部屋の入り口の前で自分の帽子をかぶって黙って座った。保育士が「あーしろ、こーしろ」と言わなくても自分で動けるようにできるだけ声はかけないようにしていた。だからいろいろな場面で「待つ」ことになる。特に活動などの切り替わりの場面で「待つ」ことは多い。遊びから排泄、手洗い、おやつや給食、外に出るとき、入るとき等。時間の制約や安全のこともあるので全く声をかけないわけにはいかないが、声をかける際は子ども自身が「自ら」という余地を残した声掛けになる。「くるみさん、おいしそうなおやつ、準備しているよ。」「ほら、みてごらん、お友だちはお部屋に入って給食を食べるみたいだよ。」「一人で、おトイレいけるかな、かっこいいとこみたいなー。」など。自分の子どもに言ったような「はやくしないとメシ、ないぞ!」「てあらいしないと、てがくさってなくなるぞ。」などという乱暴なことを言ったことは真摯に反省している。その時は大人が怖くてするだろうけど長い目で考えれば人への信頼を失うきっかけになるだろうし、言われてしたとしても「した」ことにはならない。人は生まれながらにして主体的な生き物だ。自分で納得して行動することこそが、人と言える。

 

最初に寄ってきたのは薫だ。

「たーくん、てつだって。」

と靴下を持っている右手を差し出した。左手には帽子を持っている。

「いいよ。おすわりして。」

僕がそう言うと足を前に投げ出して座った。足の指さきに靴下をかぶせてあげた。

「はいてごらん。」

そう言うと薫は難なく両手で引っ張って靴下をはくことができた。靴下の先っぽににゃんこの目がついている。

「じょうず、はんたいもね。」

そう言いながら反対の足の指さきにも靴下をかぶせると同じようににゃんこの目が現れた。薫が靴下をはいている間に、幸男、豊、千代、ユリが周りに寄ってきて同じように足を前に投げ出して座った。豊が黙って靴下を差し出すので

「てつだって、だよ。」

と言うと、豊は

「てつだって。」

と僕に向かって言った。

「いいよ。」

と返答し、指先に靴下をかぶせた。同じように幸男、千代のお手伝いをした後

「てつだってください!」

と怒鳴るようにユリが言うので

「やさしくね。」

とユリに言うとユリは声を落して

「てつだってください。」

と言った。

「すごいね、ちゃんとやさしくいえたね。」

とユリに言ったがユリは当たり前と思ったのか表情を変えずに靴下を差し出した。あと一人はいける。1歳児の最低基準、保育士一人に子ども6人という数字が頭をよぎった。

「あと一人、誰かこれそう?」

ユリの指先に靴下をかぶせながら、まだ食べている子どもたちを見ていたくるみさんに聞くと

「タマちゃんが食べ終わってます。タマちゃん、そといく?」

とタマヨに聞くとタマヨはおしぼりで口をふきながら

「うん」

と答えた。

「タマちゃん、まっててあげてね。」

と靴下をはき終わった子どもたちに言うと

「いいよー。」

と薫が代表して答えてくれた。

タマヨが靴下をはき終わったので

「タマちゃん、いい?」

と聞くとタマヨはこっくりうなずき、なぜか豊が

「いいよー。」

と元気よく返事をした。部屋の扉をあけ、廊下からテラスに通じるサッシの引き戸を開けて、その場で子どもたちが出るのを僕は見ていた。子どもたちは次々と部屋からテラスに出てきて、靴箱から自分の靴を取ってベンチに座って靴を履き始めた。僕はひと先早く園庭に出て、子どもたちの様子を見ていた。靴箱の前で幸男が立ってベンチと靴箱を交互に見ていた。何してるんだろうと思ったら靴箱から誰かの靴を取って、隣のタマヨに何やら話しかけていた千代の前に靴を差し出した。靴を差し出されて、最初は怪訝そうな表情を浮かべていた千代は、それが自分のだとわかると少し微笑んで受け取った。靴を渡した幸男は席の空いているところに座って靴を履き始めた。千代がなぜ靴を取り忘れたのかわからないが、外に出るのがうれしくて張り切りすぎたのかもしれない。幸男はこの間も薫にエプロンを持って行ってあげていた。友だちのことをよく見てるんだなと改めて感心する。

 子どもたちがテラスから次々に出てきた。僕は子どもたちを見ながら南の砂場方向に走ると、子どもたちもキャッキャと言いながらついてきた。砂場の前に来ると子どもたちに

「よーいどん、しよっ。」

と言いながら足で線を引いた。

「いい?いくよー。」

線を引いたからと言って子どもたちが並んで「位置について」をしているわけではなく、ごちゃごちゃと固まっている。その中でもいっちょ前に構えているのは薫だ。

「よーいどん!」

僕と薫が走り始めると、子どもたちは真似をして走り出した。走る格好はそこそこ様になってる。子どもたちは口を開けて、笑いながら走る。走れることがうれしい、走ること自体が楽しい。北側の3,4,5歳児室の前まで来ると子どもたちは

「もいっかい、もいっかい」

と僕に言った。僕たちはまた南側に走り、南側から北側にまた走った。そのうち

くるみさんと浩司、綾子、俊之、友則、学、が出てきた。くるみさんはCDラジカセを持っていた。

「よっちゃんは?」

良彦の姿が見えなかった。

「うんちです。渡辺さんに替えてもらってます。」

今日の朝のヘルプは渡辺さんだった。

「体操する?」

「はい、まーくんが、踊りたいって言うんで、たまに外でもいいかなと思って。」

「そうだね。」

学は踊り好きだ。踊りたいと少しぐずったのかもしれない。ラジカセをくるみさんがもっていたので、ランニングチームも走るのをやめて、くるみさんのまわりに寄ってきた。くるみさんがラジカセを地面に置いて鳴らし始めると、子どもたちはいっせいに踊り始めた。外で踊るのはまた室内とは違うようで、体をのびのびと動かしているように見えるから不思議だ。接触の心配なんかしなくてもいいからかもしれない。1歳児が踊っていると、若草色の帽子をかぶった2歳児が外に出てきて一緒に踊り始めた。さすがに2歳児は1歳児に比べて踊りはキレキレだ。先輩の踊りを見て、1歳児はまた、踊りがうまくなるだろう。

 徐々にダンスに飽きた子どもたちは散り散りに遊び始めた。火曜と木曜は3,4,5歳児は室内で活動した後、外に出てくる。それまでは0,1,2歳児は園庭で遠慮なく遊べる。

 渡辺さんが良彦を連れて出てきた。

「よっちゃん、でまーす。」

「ありがとうございます。これ部屋に持って行ってもらっていいですか。」

とくるみさんがラジカセを少し掲げて言った。

「いいよー。」

と言いながら渡辺さんはラジカセを受け取り

「おねがいしましまーす。」

と言って、部屋に入っていった。

「よっちゃん、いこか。」

とくるみさんが良彦に言うと良彦は砂場のほうに向かっていき、そのあとをくるみさんがついて行った。

 

 園庭の東側に高さ1メートル、長さ2.5メートルほどのコンクリート製のヒューム管が置いてある。のび太たちが遊んでいた空き地に置かれていた「土管」と言われるものだ。土を焼いて作ったものを土管とか陶管、コンクリートのものをヒューム管という。下水道に使われるものだ。その中にござを敷いて薫と千代がままごとをしていた。園庭の中央では幸男と俊之がフラフープの輪の中に二人で入って電車ごっこをしていた。豊と浩司は向かい合ってサッカーボールをけりあっている。どれも大きい子どもの遊びでよく見かける。

 南側に砂場があって、綾子、タマヨ、学、良彦、ユリがたぶんおままごとをしている。そのそばにくるみさんがいて、一緒に遊んでいた。砂場とヒューム管の間には公園にあるような普通の滑り台があり、園庭のところどころにハナミズキや、ナナカマドの木があった。ワキはすべり台下のちょっとした草むらで何やら探し、友則は園庭中央で豊と浩司のサッカーや2歳児の鬼ごっこを見ていた。僕はぶらぶらしながらヒューム管のそばに行ってみた。薫と千代はコップを持ち込んでお互いに

「はいどうぞ」

「ありがと」

「はいどうぞ」

「ありがと」

を繰り返しながら、青い一つのコップをやり取りしていた。そのうち千代が薫の持っていた赤いスコップを指さして

「かして」

と言ったので、薫は

「もってきてあげるー」

と言って、赤いスコップを握りしめたまま砂場のほうに走っていった。

 園庭の中央にいる幸男と俊之はフラフープをその辺において、かんぽっくりを持ってきていた。できるのかなと思って少し見ていたが、二人とも乗らずに引きずって歩いていた、どうやら犬の散歩のようなことをしているようだ。

「さちくん、としちゃん、のらないの?」

と聞くと幸男が

「できないよー。」

と言って、また二人でかんぽっくりを引きずって行ってしまった。

 豊と浩司のボールのけりあいは、必ずしもうまくはいってない。正確に相手のほうに蹴るのはやはり難しい。二人とも、あらぬ方向に行くボールを黙って追いかけ、元いた場所にボールを置いて、ボーンと蹴って、また相手があらぬ方向に行ったボールを取りに行くということを繰り返していた。

少数同士で遊んでいる1歳児に比べると、2歳児はより多くの人数で、鬼ごっこのようなものをしたり、ダイナミックに滑り台を滑ったり、ヒューム管の上に登ったりしていた。1歳児に比べれば体の動きはまるでちがい、1年の成長を感じる。2歳児は誰かが休みなのか13,4人で、担任のめぇーちゃん、ろくさん、るんるんが3人とも園庭に出て散らばり子どもたちの様子を見ていた。1歳児担任の僕らにとって、随分体の使い方がうまくなってけがが少なくなったとはいえ1歳児の動きをカバーするには園庭は少し広い。そんな時、2歳児クラスと連携することで子どもたちの動きをカバーすることができ、安全性はもちろん子どもたちの発達の様子についてもお互い知りえた情報を共有することができた。

 事務所脇の出入り口から藤色の帽子をかぶった子どもたちが出てきた。一時保育の子どもたちだ。一人は担当のたにやん(谷川、35)に抱っこされていた。たにやんにだっこされている子どもは、今日、初めて来たか、そうでなくてもあまり慣れていない子のように見える。もはや頼るのはたにやんだけ、という心境だろう。他に1,2歳の子が3人ほどいる。仮に3歳以上児がいたときは、本人の希望にもよるが大きいクラスで遊ぶこともある。僕は保育士1年目が一時保育担当だった。その時コンビを組んだのが主任のモコさん。モコさんは主任と兼務だった。

 

「『一時保育』は園の顔よ。」

モコさんには最初にこう言われた。子育て支援の一つとして地域に開かれ、いろいろな子どもとその保護者と支援を通して顔を合わせる。地域に最も近い福祉施設としての保育園の窓口として、子育て家庭と地域を結ぶ役割があり、ひいては自園だけではなく保育園というものはどういうところなのかを、いずれ利用するかもしれない子育て家庭に紹介する役割もあるとのことだった。

一時保育の利用は様々だ。ちょっとした仕事だったり、急な用事だったり、育児のリフレッシュだったりする。だから仕方がないこととはいえ、子どもたちにとっては急に保育園に行くことが多い。事前に面接をして、少し部屋で遊んでもらうのだけれど、それこそアリバイ作りと言われても仕方がない。受け入れ時にいきなりおっさんが現れると親子ともども驚くかもしれないからという理由で事前面接は僕がするようにとモコさんに言われていた。その短い時間でどれだけなじんでもらうかということは大事なので、できるだけ穏やかな物言いに気を付け、子どもにも「おなまえは?」とか「すきなおもちゃは?」とか聞くのだけれど、1,2歳が多いので会話も全く弾まずその日を迎えることが多い。いざ、ふたを開けてみると、大泣きをして、保護者が後ろ髪をひかれるようにして行く場合もあるにはあるが、多少、ぐずぐずしても何とか耐える子どもが多かった。

面接時に「お子さんのお気に入りの、例えばぬいぐるみとか、タオルとかもってきてもいいですよ。」と伝えている。そういうものを持ってきている子どもたちはぬいぐるみを握りしめたり、タオルを口にくわえたりしてなんとか寂しさを耐える姿がけなげだった。一方でケロッとして、「いってらっしゃい」という子どももいるにはいて、それはそれで親のほうもちょっとは泣いてよ、みたいな雰囲気で、子どもはすでにおもちゃのほうに関心があるのに無理に「タッチ―」と親のほうから手をだし、子どものほうはしょうがないなとアリバイ的に手を出す強者もいた。

 2歳の光江が初めてママにだっこされて来たときは、部屋に入ったときから不安げで部屋をきょろきょろ見まわしていた。単に2歳といっても保育園的には1歳児クラスと2歳児クラスの両方に2歳児はいる。光江は2歳児クラスの2歳、つまり今年度には3歳になる2歳児だ。

「おはようございます。」

とママも少し緊張しながら挨拶をしてくれた。

「おはようございます。」

「おはようございます。」

と僕とモコさんがそれぞれ挨拶をした。ママは、光江を抱っこしたままロッカーに着替えをしまったりして準備をしていた。準備が終わってママが振り向いたので近くにいた僕が

「みーちゃん、おいで」

と、両手を差し出した。「みーちゃん」という呼び方は面接のときに事前にママに聞いて行た。しかし光江はママの首根っこにしがみついて離れなかった。

「みー、ママいくからね。」

とママが少し手に力を入れ、体から光江を離し、首をかしげて光江の手も首から離して、光江を僕に預けた。

「じゃ、行ってきます。ミー、じゃーね、バイバイ。」

ママは右手を光江の体に触りながら、急いで出ていった。朝から慣れない準備で時間も押していたのだろう。光江と言えば僕の腕の中で、体をママのほうに向け、精一杯両手を伸ばし、泣きながら

「ママ―!ママ―!」

と叫んでいた。先に登園していた子どもたちも何事かと思ってこちらをみつめていた。ママが出て行った後も

「ママは?ママは?」

とぐずぐず泣きながら言っていた。

「ママ、おしごとにいったからね。いっしょにあそんでまってよ。」

それでもしばらくは

「ママは?ママは?」

と泣き続けるので

「おやつたべて、ごはんたべて、おひるねして、おやつたべたら、おむかえだよ。」

と言葉を替えて慰める。僕は体を揺らしながら、少し部屋をうろうろしながら光江が落ち着くのを待った。その間も窓の外を見て、花が咲いてる、鳥が飛んでる、人が通っている、部屋の中に天井からぶら下がっているオーナメントを見ながら、これはなに、あれはなに、と始終声を掛けていた。ぐずぐずしていたのが少し落ち着いたなと思ったので他の子どもたちが遊んでいる場所の隅のほうに座って膝の上に光江をのっけた。その間も他の子どもの登園は続き、モコさんが受けいれていた。その日は、初めての子どもは光江以外いなかったが、子どもが増えてくると、モコさんが大車輪の大活躍になる。僕はまだまだ役に立たなかったので、モコさんがそれぞれの子どもの様子を見ながらだっこしたり、気に入りそうなおもちゃをあてがって遊ばせていたりした。その日はそこまでいかなかったが、泣いている子どもが複数になると、抱っこしながらおんぶということもあった。一時保育は毎日登園する子どもは10人に満たないが、週に2,3日とか1週間に一度とか、本当にたまに、とかいろいろな年齢の子どもがいろいろな期間で来るので、受け入れ時は誰かを抱っこしていることが多い。一度、モコさんに

「なんで僕が一時保育なんでしょうかね。」

と聞いたことがある。こんな状況のクラスによく新人でおっさんの僕を配置したんだろうと思っていた。人事は園長の専権事項だが主任のモコさんなら少しは知っているかもしれないと思った。

「子育て経験があるからじゃない。」

「大丈夫ですかね。」

「大丈夫だよ、あやしたりしたことあるんでしょ。それにまじめにやってりゃ、子どものほうで助けてくれるよ。」

「そんなもんですかね。」

「そんなもんよ、子どもは大人が考えるより、ずっと柔軟性があるのよ。」

とモコさんの言葉を信じてやってみると確かに子どもたちはおっさんだからと言ってだめだということはなかった。

 その日光江はほとんど僕のそばから離れなかった。

「ミーちゃん、ごめんね、たまだくんはちょっと、おやつのじゅんびをするからね。」

と言って光江をひざから降ろして立ち上がっても上着のすそをつかみ、ついてきた。結局その日はずっとそんな感じだった。その後、月曜から金曜まで毎日登園したが、どのぐらいだろう、2,3週間して同じ年齢の誠二が登園するようになり、仲良しになってからようやく離れるようになった。どうやら、僕はその頃の光江にとってお気に入りのぬいぐるみか、ハンドタオルか、ポシェットと一緒だったかもしれない。

 

 園庭の西側の1歳児室や2歳児室の前あたりに2歳児担任のめぇーちゃんが車のタイヤを5つほど並べて置き、子どもたちが順番にわたって遊んでいた。2歳児に交って並んでいた、豊と千代が順番をめぐって押し合いをはじめ、千代が倒れて泣き始めた。北側の3歳以上児室の前で見ていた僕は「御用提灯」を下げ、「御用だ、御用だ」と言いながら豊のところに行こうとした時、子どもたちのそばにいた、めぇーちゃんが列の最後尾にいた2歳児の真琴に何かささやくと、真琴は豊のところに行き何か言っていた。めぇーちゃんは、千代を抱き起してたぶん「いたかったね。」とか「だいじょうぶだよ。」とか言ったんだと思う。その横でお話をしている真琴を豊はじっと見ていた。そのあと、豊は千代に近づき、頭をなでなでした。千代は相変わらずぐずぐずしていて、豊に頭を撫でられるままだった。真琴が豊に何を言ったのか気になったので、列に並びなおしている真琴に近づいたが、何となく野次馬のおっさん丸出しの自分の姿を2歳児に見せるのが恥ずかしくなり、未だにぐずぐずしている千代の背中をさすって、慰めているめぇーちゃんに、

「まこちゃん、なんて言ったの?」

「えーっ、たぶん、やりたかったんだよねとか、おくちでいおうねとか、ないてるよとかだと思う。」

もめ事を発見してしまうと、僕はどうしても、なんだなんだ、どうしたどうしたとなって出動してしまう。この間も良彦とワキがおもちゃの取り合いをしていたので、どれどれ、おっちゃんがと思っていたら、くるみさんが近くにいた、薫、千代、タマヨ、綾子に仲裁を頼んだようで、彼女たちがドタドタと良彦とワキに近づいて、口々に「かしてっていうんだよ」とか「もうひとつ、さがしにいこっ」などと二人に言っていた。彼女たちが仲裁をしている間、なぜか一緒にやってきた俊之がまるで「そうだ、そうだ」と言わんばかりに周りをうろうろしていた。今はまだもめ事を起こすことのほうが多い俊之もそういう場に居合わせて、少し大きいお姉さんたちの姿を見て何かを学ぶに違いない。

研修なんかでモコさんが「子どもを信じて。保育士がいきなり出て行って解決しないで」とよく言っている。僕の中ではどちらかというと3歳以上の大きい子にはそうしようという気持であったが、めえぇーちゃんにしろくるみさんにしろ躊躇なく1、2歳児にもそうしている。たぶん、0歳児にもそうするかもしれない。僕も俊之同様、同僚保育士さんの行いを見て学ばせてもらっている。

 

 園庭の東側の事務所前あたりでたにやんの腕の中で泣きながら大暴れしている一時保育の子どもがいた。

「どうしたの?」

泣いて暴れている子どもを落ち着かせているたにやんのフォローに入って、他の一時保育の子どもたちを見るために僕は近寄った。

「自転車にまたがったんで危ないかなと思って、だっこしたら、こうなっちゃった。」

と子どもを抱きなおしながらたにやんは言った。1歳児らしいその子の体には3歳以上児が対象の三輪車は足もつかず、見た目は危なかったろう。たにやんは子どもに

「あー、かずくん、のりたかったんだよね、そうだよね。」

と言いながらたにやんは抱っこを続け、その子は少し収まってきたとはいえ依然としてたにやんの腕の中で泣きつつ、もがいていた。

「かず君って言うんだ、その子。」

「うん、和義君。」

「雪江さんは?」

一時保育の担任はたにやんと、雪江さん(53)の2人だ。

「ゼロちゃんが寝てるから部屋にいる。」

さっきまでたにやんの腕の中にいた子どもは近くで土いじりをしていた。

「和義君、いつも、こんな感じ?」

「止められるとこうなるときは多いかな。そうならないようにしているんだけどね。」

たにやんは話しながらもリズミカルに体を左右に動かしながら和義をあやしていた。和義もたにやんの気持ちを汲んでかすこし落ち着いたようだった。

 

2歳になったばかりの純一が一時保育に来たのはお母さんが純一の妹を出産して、いろいろと大変だったからだ。面接の日、お母さんに保育園を利用する理由を聞いた時、お母さんの産後の体調がすぐれないことと純一の、時折起こす癇癪をあげた。お母さんの腕の中にはまだ生まれて2か月しかたっていない小さな赤ちゃんがいた。

「普段はそれほど手がかかることもないんですが、時々癇癪を起して、それが何なのかわからない時があるんです。いくらなだめてもなかなか収まらず、どうしていいのかわからず、ちょっと疲れてしまって。」

加えて30台後半での出産後2か月ほどのお母さんの体調まだまだ復活途中だし、頼りのお父さんはやっぱり仕事が忙しく帰ってくるのは遅いし、ということだった。2か月の赤ちゃんを連れてお出かけするのは大変だし、それでも出かけて保育を頼まなければならないということは、よほど困っているということがすぐにうかがい知れる。面接時の純一は好奇心が旺盛なようで部屋をぐるりと見た後、遊んでいる子どもたちに近寄って、遊びを眺めていた。あまり人見知りはなさそうだった。面接が終わってお母さんが

「じゅんいち、かえるよ。」

と声を掛けると子どもたちの様子を見つつ、こちらにやってきて僕を目が合った。

「だー、これ!」

純一は僕を指さしながらこう言った。

「ちょおっとー。」

お母さんはあわてて純一をたしなめた。

「たまだくんだよ、よろしくね。」

と僕は純一に握手を求めた。指を指してくれなかったら、その言葉の意味は分からなかったかもしれない。その時は「だれーこれ?」か「なんだーこれ?」だと思った。純一は握手には応じずお母さんのほうに行った。

「それじゃあ、お願いします。」

と純一のお母さんは頭を下げながら戸に向かった。

「さようなら」

「さようなら、じゅんいちくん、ばいばい。」

と純一はモコさんと僕のあいさつにほぼ耳を貸さず、お母さんより先にドアを開け出ていった。

「じゅんいちまってー。」

とママは慌てて戸を閉めながら、純一を追いかけていった。

次の日から純一はやってきた。思った通り、人見知りもせず、お母さんとの別れ際もあっさりバイバイをして、むしろお母さんのほうが心配顔だった。純一は好奇心旺盛で、僕やモコさんに部屋にあるいろいろなもの、例えば天井からぶら下がっているオーナメントや純一の家にないようなおもちゃなどを指さして

「だー、これ?」「だーこれ?」

とひっきりなしに聞いていた。どうやら「なんだ、これ」が正解のようだった。僕はその都度わかりやすく答えたつもりだった。オーナメントは「トンボさんとちょうちょさんだよ。」と言い、おもちゃは具体的に遊び方を伝えた。だが壁に取り付けているホワイトボードを僕はあまり考えずに「ホワイトボード」と答えた。一拍置いて、純一はもう一度指さして

「だーこれ?」

と言った。僕は「失敗、失敗」と思いながら、3,4センチある丸い、赤い磁石をホワイトボードにつけて、「こうやってあそぶんだよ。」と伝えた。単にモノの名前を言ったところでわかるはずもなかった。

 一通り「だ―これ」と言いながら疑問を解消すると、純一は「てっちゃん」らしく木製のレールをつなげ、機関車に貨車をいくつか連結させ熱心に遊んでいた。言葉数は少なかったが、こちらの言うことはよくわかっており、手のかからない穏やかな子どもだった。ところが、お母さんが迎えに来て帰るとき、時々「いやだアー」と言って大暴れするときがあった。最初に暴れたときは、お母さんは純一が帰りたくなくて暴れるのだと思い、「保育園が楽しくてよかった。」と思いながらも抱っこして駐車場まで行くのも大変なら、チャイルドシートに乗せるのも大変だったらしい。ある日のお迎えで赤ちゃんを連れてこない時があり、モコさんが聞いてみると赤ちゃんは乳児用のかごの中に寝せて後部座席の足元に置いてきたという。

「妹ちゃんを車に置いたままではよくはないので、一緒に連れてきてくださいね。」

とモコさんが伝えると

「また、純一が暴れたどうしましょう。」

と不安げにお母さんが言うので

「その時はお手伝いしますから。」

とモコさんが言うと少し安心したようだった。

「家でも何が気に入らないか、大暴れすることがあるんですよね。」

とボソッとお母さんは言ったが、僕たちはその時は

「そうなんですね。」

としか応えられなかった。

その後も時折、暴れることがあり、そんな時は赤ちゃんの寝ているかごを持って僕たちは駐車場について行った。お母さんは純一を抱っこしながら、純一の好きだというグミやら、トーマスやらを使って一生懸命あやし、どうにかこうにかチャイルドシートに座らせていた。

 その日もおかあさんが友だちの遊ぶ姿に気を取られている純一に

「純一、ごあいさつして。行くよ。」

と言って純一から目を離さず、少し不安げにそろりとドアを開けて出ようとした。友だちから視線をお母さんに移した瞬間、純一はひざから崩れ落ち、大泣きを始めた。お母さんは「あー」という感じ落胆し、赤ちゃんの寝ているかごをその場において純一に近づいた。他の子どもたちの遊びを見ていた僕は「今日はだめだったかー。」と思っていたら、モコさんがお母さんが半分ほど開けた戸を閉めて、

「じゅんちゃん、じゅんちゃん、とびら、あけてくれる?」

と純一に声を掛けた。純一はなおも泣きわめいている。モコさんは暴れる純一を、よいこらしょっと抱っこして、戸に近づき

「じゅんちゃん、じゅんちゃん、と、あけてくれる?」

ともう一度言うと、閉じている戸に気が付いた純一はピタッと泣き止み、モコさんから降りようとした。モコさんが純一を下ろすと純一は戸をダーッと開けて出て行ってしまった。お母さんも慌ててかごを持つと

「ありがとうございます、さようなら。じゅんいちー、ストップ―。」

とバタバタと出て行った。

「戸だったんですか。」

モコさんに聞くと

「どうやら、そうだったらしいね。」

「よく気がつきましたね。」

「研修で、子どもの中にはこだわりの強い子もいる、ということを聞いたことがあったんだ。じゅんちゃん、普段はそんなこと、ほとんどないからわからなかったけど、ママが戸を開けるタイミングとじゅんちゃんが、崩れるタイミングがドンピシャでそうかなーって。」

「帰るときは自分で戸を開けて帰るというのがじゅんちゃんのルーティンだったんだ。」

 この時モコさんからスポーツ選手の食事や着替えなどのいくつかのこだわりを教えてもらった。

 

 翌日から純一は保育園では機嫌よく遊び,お迎えが来て、帰るときもおかあさんが純一に帰りのあいさつを促して

「さよおなら」

と僕たちに「お」を強調する子どもらしい挨拶をするのを見届けて

「じゅんいち、おねがい」

と純一に言うと、純一も「まかせんかい!」的な感じで戸をガバーッと開けて、こちらを振り返り、右手は戸の取っ手を持ち、左手を戸の外枠について、少しどや顔をしながらお母さんを待つようになった。

「かんしゃくを起こしたときに、純一のしたかったことを、いろいろ試してみるようになりました。それで機嫌が直るときもあれば、そうでない時もありますが、私があんまり慌てなくなりました。ありがとうございました。」

 その後、お母さんも体調が徐々に回復していったと思うが、純一のためには保育園に行ってたほうが良いと思ったのか登園する回数を減らしながらも年度末までは通っていた。

 

 たにやんが、腕の中ですっかり落ち着いた和義を

「さんりんしゃ、のろうね。」

と言いながら三輪車のサドルに降ろすと、和義は満足そうに両手でハンドルを握った。両足は地面につかず、なんだか体もくねくねして危なっかしいのは変わらないので、たにやんは三輪車の後ろにしゃがんでいた。

「最初から、こうしときゃあよかったんだけど」

たにやんはため息をつきながら言った。

「なかなか、うまくはいきまへんがな。」

使い慣れない方言を使って僕はたにやんに言った。

 

 子どもの行動は「好き」だとか「やりたい」とか、とにかく子どもにとっての積極的な理由は必ずある。「なんとなくやりたい」ですらそうだ。僕たち大人は、「危ない」とか、「今はそれじゃない」とかの理由で子どもの意志に関わらず止めることがしばしばある。それに対して子どもは体を使って抵抗する。もちろん大人は緊急避難的に子どもの行動を止めなければならない時もあるだろうが事後、大暴れすれば、「緊急」に行ったことが「避難」につながらない。基本は子どもの意志を最大限、尊重すること。もし大人と気持ちが合わず、大人として言いたいことがあれば、労を惜しまず、なだめ、諭し、説得することが大切だと思う。また、大人が声を掛けても抵抗を辞めず、大人もどうしてよいのかわからない時は、少し時間をさかのぼってみるのも方法の一つだ。戸を開けたかったとか、自転車に乗りたかったとか、何かヒントが隠されている。あれじゃないの、これじゃないのと言っているうちに子どもの心に引っかかるものが出てくるかもしれない。ヒントに触れるだけでも子どもは大人が自分のことを察してくれたんだと思い、少しは落ち着くこともある。

もちろんこうするには心の余裕が必要だし、そのためにはフォローする人が必要だし、そのためには待遇改善は必須であるということは何度強調しても足りない。

 ただ、家庭内の子育てをママ、場合によってはパパ一人で担っている、ワンオぺ育児となるとそんなことも言っていられない。シングル家庭は言うに及ばず、パートナーがいてもあてならない時は一人のひとが一切を背負ってしまい、余裕どころではなくなり、子どもと感情むき出しの対決となってしまう。だからこそ子育てを社会化し、何とかみんなで子育ての苦労を分かち合えたらいいのにと思う。苦労もみんなで背負えば本当に楽になる。そしてその一翼を保育園が担っているし、一時保育はその最前線にいる。

一時保育には様々な家庭環境の子どもが来る。

 3歳の順二は母子家庭だった。保育園では元気があってやんちゃで部屋を走り回るので、何とか集中してできる遊びはないものかと、ブロックであったり、パズルであったり、工作であったりとモコさんがいろいろ工夫したが、なかなかはまるものがなく、ついつい僕が

「じゅんちゃん、はしらないで!」

と声に出して注意することもしばしばだった。ところがこんな順二もママの前ではおとなしかった。ママは貴金属かブランド品だかのお店の人で年は20代後半、クールな人で僕たちとは挨拶ぐらいしか言葉を交わさず、お迎えの時に順二の様子を伝えてもほとんど反応を示さなかった。ママがお迎えに来ると順二の表情はかわり、ママが

「かえるよ」

と言うと、本当にスゴスゴという感じで帰って行った。僕たちも家庭内で何かあるのかと疑問を感じないわけではなかったが、事の真偽は不明だった。ママもまだ若いし、シングルだし、じいちゃんばあちゃんの助けを受けているわけでもない。ママにもいろいろあるのだろうということは容易に想像できた。

2歳になったばかりの忠文はパパが送迎をしていた。ママは家にはいるが心身の病気らしく家事のほとんどをパパが担っていた。パパは保険会社の営業らしく、お迎えの6時になっても来ないことがしばしばだった。忠文はブロックや車のおもちゃで飽きもせずに一人で遊んでいる子どもで手もかからず、多少遅くなってもぐずりもせずに遊んでいた。逆にもっと、わがまま言ってもいいのにと思うくらいで、あまり考えたくもないがこの歳で親に気を使っているんじゃないかと思うくらいだった。

あるとき6時を過ぎて、いつものようにパパに電話をすると園から1時間以上はかかりそうな別の街にいた。

「すみません、すみません、これからすぐに行きますから。」

「すみません」が2度。多分、どうにもならなかったんだろう。この土地の人でもないようで地縁、血縁はなし。それだとこういう時に大変だ。ましてや男性はほぼ社縁しかないし、その社縁もプライベートには現代ではほぼ役に立たない。6時から7時までは事前登録制の延長保育の時間だ。園によっては8時とか9時とかまで行っている園もある。ただし、一時保育には延長保育の制度はない。

「たまだくん、あといいよ。延長の子と一緒に待っているから。」

僕はあがりの時間だった。

「すいません。よろしくお願いします。ただふみくん、じゃーね、ばいばい。」

モコさんの膝の上に座って絵本を読んでもらっていた忠文は表情を変えず、僕にバイバイをしてくれた。忠文を見たのはそれが最後だった。

 次の日、モコさんに事の顛末を聞いた。

 7時に延長保育も終わり、最終番の職員も帰り、モコさんと二人、事務室で、絵本を読んだりブロックをしたりして待つこと1時間、パパがようやく迎えに来たのが8時だった。パパは事務室の扉を開けるなり「遅くなりました。」と言いながら入ってきて、忠文に「ごめん、ごめん、おそくなって。」と声を掛けた。モコさんは「時間のほう、よろしくお願いしますね。」とだけ言ったそうだ。あまりにも恐縮していたので、それ以上は言えなかったらしい。玄関でモコさんが手伝って忠文が靴を履いている時、パパは天を仰いでため息をついていたという。

 帰り際に、パパからパパのご両親にしばらく預けることにするという話があり、それきり忠文は来なくなった。天を仰いだ時にこれではいかんと思ったのかもしれない。

 一時保育が最前線にいるとはいえできることには限度がある。一番必要だなと思うことは、会社やお店など働いている場所の子育てへの理解だと思う。共働き家庭が急激に増えていることを考えれば女性だけではなく男性の働き方も変えていかなければならない。それに伴って行政の例えば、お迎えをお願いできるサービス、休日や病気の時に子どもを預かってくれるサービスなども必要になってくるだろう。いずれにしろ社会全体のサポートは不可欠だと思う。

 

園庭の中央で2歳児が何人かタイヤを転がして遊んでいた。その中に友則も混じっていた。友則は2歳児のようにタイヤを立てることができず、タイヤを持つところから四苦八苦していた。顔をあげた友則と目が合った。すると友則は僕のところに走ってきて、何も言わず手を引っ張った。

「ともくん、タイヤたてるの?」

と聞いたが、返事もせずに手を引っ張る。僕は引っ張られるままに友則が立てようとしてできずにいたタイヤのそばに連れてこられた。それは普通乗用車用のタイヤで友則が遊ぶにはちょっと大きいような気がした。確か軽自動車用のタイヤがあったはずだと思い、あたりを見ると、確かに軽用のタイヤが転がっていた。そのタイヤをその場で立てて、

「ともくん、これでころがしな。さっきのはすこしおおきいから。」

というと友則は何も言わず、そのタイヤを転がし始めた。やれやれと思いながら後ずさりしてまた元の一時の子どもたちが遊んでいるあたりに下がっていると、友則は2,3回転、タイヤを転がしたが、また倒れた。タイヤが倒れてコロンコロン、コロンとタイヤが横になってバウンドしながら動きが止まるのを見てまた僕のところに走ってきた。

「たてるの?」

うんうんとうなずく友則。先に行く友則についていきタイヤを立てて

「これでいい?」

と聞くとまたしても何も言わず転がし始めたが、すぐにタイヤは倒れてコロンコロン、コロン。友則は僕のほうを振り返った。

「たてる?」

と聞くとまた、うんうん。友則自身で何とかできる方法はないものかと考えたが妙案が浮かばず

「はいよっ!」

と友則に渡すと、また転がしはじめたが、すぐにタイヤは蛇行し始め力つきて今度はバタッと倒れた。友則はそれを見てこちらに振り返りダーッとダッシュして僕を通り過ぎ砂場のほうに走っていった。タイヤがあまりに力尽きたような倒れ方をしたので、友則もあきらめたのかもしれない。

 滑り台の前あたりで俊之が熱心に何かを並べていた。スコップ,バケツ、缶ぽっくり、ボール。いろいろなところから拾い集めて並べている。以前に「なにつくっているの?」と子どもに聞いたことがあった。その子どもは何も言わず、応えず遊び続けた。

「目的があってやってんじゃないよ。楽しいからやっている。それが遊びだよ。」

居合わせたモコさんにそう言われたことがあった。俊之はあたりをぐるりと見まわしていた。事務所前にフラフープが一つ落ちているのを見つけたらしくそちらのほうに走って行った。俊之の行方を追っていると後ろから

「たーくん」

と呼ぶ声がしたので振り向くと綾子が

「カシャッ」

と言ってエアカメラで撮ってくれた。

「あっ、ありがとう」

とちょっと慌てて言った。綾子も楽しいからやっているのだろうか。「なんで?」

と聞きたかったが、すぐに砂場のほうに走って行ってしまった。僕もそのあとを追って砂場のほうに向かった。砂場から、今度は浩司が手に何かを持ってやってきた。

「たーくん、あげる。」

皿に砂が盛られている。さすがに聞いた。

「これはなにかな?」

「かれーりゃいす。」

「たべていい?」

「いいよ。」

「いただきまーす。もぐもぐもぐ。」

派手に食べる真似をした。

「ごちそうさまでした。」

皿を返しながら言うと浩司はすこし笑みを浮かべ、砂場に戻っていった。浩司の真似をしてか、入れ違いにユリが皿を持ってやってきた。

「たーくん。」

ユリが皿を差し出した。平皿にはまだ赤みを帯びていないハナミズキの葉っぱが一枚。僕は受け取りながら

「これなーに?」

と聞くと

「さんまやきていしょく」

渋すぎないか。ママにでも「なんで?」と聞かなければならない。

 

 左手のすべり台の下あたりで四つん這いになって何かを探していたワキがクリンとでんぐり返しをした。常に活動的でエネルギッシュな子どもなので、したくなったからしたのだろう。部屋でもよくでんぐり返しをするので今では驚かないが、最初に見たときはあまりにも見事だったのでびっくりした。最後のフィニッシュはドテ、バタという感じで大の字に寝転がっていたが回転するところは3歳以上児でも見たことはなかった。3歳以上児の担任だった時にマット運動もやったが、「やきいもごろごろ」とか「へび」とか「ハイハイ」とかをしたが「でんぐり返し」をしようとは思わなかった。ねらいが「マット運動を楽しむ」だったのでみんなができる技を選んだからだ。4,5歳児で跳び箱を5段飛ぶ子や、鉄棒で前回りをできる子どもがいたので、手本を見せれば前転もできたとは思う。

 

お母さんの求職活動が理由だったと思うが、一時保育に義春という3歳児が来た。それまでお母さんと離れたことがなかったらしく、部屋の隅でゴロゴロしくしくしていたので、「よしはるくん、この上でごろごろしてたら。」と言って

モコさんが押し入れから畳一畳分ぐらいの大きさの赤いマットを出した。

「なんで、マットなんですか?」

と後でモコさんに聞いたら

「床の上でごろごろすると、何となく痛そうで。」

ということだった。モコさんの「何となく」が「当たり」、それから、室内ではマットの上が彼の基地になった。室内で遊ぶ時はそこにおもちゃを持ってきて遊び、午睡はその上に布団を敷いて寝た。他の友だちが訪ねてきても拒むことなく、招き入れていた。

 その日は人数が少なく4人だったと思う。モコさんが用事があり、事務室に行き、部屋には僕一人だった。僕は子ども用のロッカーの前で、ロッカーを背に立って部屋で遊んでいる子どもたちを見ていた。義春は赤いマットの上でピョンピョンとジャンプを繰り返していた。僕は日誌を見ようと子どもたちから目線を切ってロッカーの上にある日誌を手に取ってすぐに振り返った瞬間、義春がクリンと「前方宙返り」するのが視界にビョンと入ってきた。

「うそっ!」

「よしはるくん、いまのもういっかいやって。」

義春に何度かお願いしたが、義春はニコニコしながらその場でのジャンプを繰り返すばかりだった。

「義春君、今、『ゼンチュウ―』しましたー!」

と、戻ってきたモコさんに興奮して言うと

「ぜんちゅー、なにそれ?」

と冷静に返され

「クリンとまわるやつですー。」

「3歳児だもの、でんぐり返しぐらいできるんじゃない。」

「いやいや、ただの前転じゃなくて、体操選手がやっているみたいな、宙返りですよ。」

「えー、できるわけないじゃん。よしはるくん、たまだくんに見せたやつ、見せて。」

と、モコさんが言っても、義春はピョンピョン、はね続けていた。ジャンプもそこそこやっている。よくそんなにはね続けていられるな、とそれも感心した。

「えー、ほんとに『ゼンチュウ』したんですよー。」

「見間違いじゃないの。」

とあんまり相手にしてくれず、持ってきた書類をロッカーの上に置いて、ロッカー脇のフックにかけている給食用の淡い桃色のエプロンをつけながら

「たまだくん、給食取ってくるからね。たぶん、幻よ、さっきの。」

と言いながら出て行ってしまった。

もやもやした気分で一日を過ごした僕はお迎えの時にママに

「よしはるくん、前方宙返り、できます?」

と聞いたが

「ちゅうがえり?できないと思いますけど・・・。」

「今日、したとこ見たと思ったんですけど。」

「まさか。」

と言って、ハハハと笑われた。それ以降一回も義春のゼンチュウを見ることもなく、お母さんの仕事と義春が通う保育園も決まり、義春は2週間ほどで来なくなった。

 5年前のことだけど今ではすっかり自信をなくし、やっぱり幻だったのかと思う。誰か目の前で、クリンと『ゼンチュウ』をしてくれれば、あれはやっぱり本当だったんだと思える。1歳児のワキにそれを望むのはすこしハードルが高すぎるが、3歳児になったワキならやってくれると密かに期待している。クリンとまわった後しっかり着地も決めて、両手広げて「10.00」も夢じゃない、と思う。

 

砂場に近づいて行くと1,2歳児の多くの子どもたちが集まっていた。砂場は園庭の南の端にあり広さは3メートル×5メートル。縁は丸太で囲まれている。向かって左の東側に60センチ×90センチの木製の角テーブルがあり、テーブルをはさんで長椅子が2脚、右側の西側に直径1メートルのプラ製の座席がついている丸テーブルがあった。砂場での砂遊びやおままごとは子どもたちの遊びの王道だ。とりわけ1,2,3歳児くらいまでは多くの子どもが砂場に集まる。まだ異年齢で交って遊ぶということはできないが、年少の子どもは年長の子どものすることをしっかり見ており、自分たちの遊びにどんどん取り込んでいる。一種の社交場と言えなくもない。

角テーブルの一方には綾子と友則が並んで座り、綾子がテーブルの上の砂の入ったバケツから平皿にスコップで砂を盛って

「はいどうぞ」

と友則にあげた。友則は黙って両手で受け取り、平皿に口元をを寄せてもぐもぐもぐと食べた後、皿を綾子に返した。綾子が

「おかわり?」

と聞くと友則は、うんうんと首を縦に振った。綾子は平皿に盛られていた砂を一度バケツに戻し、改めてスコップで砂を盛り

「はい、どうぞ」

と言って友則に渡していた。

 砂場では薫と学が穴を一生懸命掘っていた。あんまり一心不乱なので聞いてみた。

「なにほってるの?」

「おいも」

こっちを見もせずに、手も止めずに掘っていた。そういえば先日、4,5歳児が芋ほり遠足に行った日に2,3歳児が事務所の前にある小さな畑で芋ほりをするのを1歳児は見学した。あらかた掘り終わり、2,3歳児がお芋をもって引き上げた後、学がおもむろにその辺に落ちていたスコップを拾って、そこら中デコボコになっている畑を掘り始めた。それをきっかけに皆、畑に入ったはいいがスコップは一つ、二つしかない。スコップがない子が、

「ないー!」

とべそをかき始めたのでくるみさんが2,3歳児の後を追っかけてスコップをもらってきた。

「すこっぷあるよー。」

そう言いながら子どもたちにスコップを配ってあげていた。子どもたちはそこら中適当に掘っていたが、そのうち学が

「あったー」

と言うのでくるみさんと見てみると赤茶色の大きなお芋のせなかが見えた。子どもたちも口々に「おいもさんだねー」「おおきいねー」と言っていた。

 お宝を掘り当てた学はもちろん、薫もそのことが楽しかったに違いない。二匹目のドジョウ、もとい、お芋さんを狙って砂場を掘り続けている。

 突然、滑り台の下のほうでワーだの、キャーだのと大騒ぎになっていた。砂場で遊んでいた子どもたちもなんだなんだという感じでそちらのほうへ集まった。僕も遅ればせながらそちらに行くと子どもたちの輪の真ん中にアマガエルが一匹いた。幾重にも子どもたちが取り巻き、子どもたちは顔をアマガエルに向けながらも腕を少し振って隣のお友だちと小競り合いをしながら場所の確保に努めていた。危険なにおいがプンプン匂ってきた。僕がふと顔をあげると僕と反対側にいたくるみんと目が合った。くるみんも同じ予感を持っているようだった。

「ちょっと、たらいに水、張って持ってくるから。」

くるみさんにそう言うと

「わかりましたー。」

と応えた。僕はすぐに小園庭に向かった。後ろからくるみさんの

「はいはいはい、みんな、すこしはなれてー。かえるさんがつぶれちゃうー。」

と子どもたちに言っているのが聞こえた。小園庭にあるプラ製直径70センチほどのたらいに小園庭内に立っている外流しで少し水を入れ、小走りにたらいを持ってきて

「チョーっと、ごめんなさいよー、カエルちゃんをいれるからねー。」

と言いながら子どもをかき分けて、子どもたちの真ん中にドンとたらいを置き

「ぴょんきちくーん、みずだよー。みんなでみるんだよー、おさないよー。」

と言ってアマガエルをたらいに入れてあげた。たらいのふちと言う明確な「線」ができたせいか押し合いはすこしなくなったような気がした。

「ぴょんきち?」

薫が不思議そうに聞いた。

「かえるくんのなまえだよ。ぴょんきちは。」

「ふーん。」

いまいち納得せず薫は視線をアマガエルに向けた。アマガエルは目の前に急にできた壁に何度かジャンプを繰り返し、何度かに一度は縁の上に登った。普段からダンゴムシやバッタなどに触ることにためらいのない幸男や俊之、薫、浩司は縁にアマガエルが飛び乗るたびに指で押し返していた。二人の真似をしてワキ、友則、学なども真似をして押し返そうと手を出していたが、手慣れた幸男や俊之に先を越され、3人の出した手を引っ込めるさまがいかにも「残念」と言う雰囲気がにじみ出ていて、少し切ない気持ちになった。かといって口に出して、子どもの世界に介入するのも野暮と言えば野暮なので遠目で見ていた。ふと顔をあげるとくるみさんが明らかに敵意を抱いているというか、恐れているというか、勘弁してくれと言うか、そんな表情で見ている。そうだ、彼女、背中のぬるぬるした爬虫類、両生類は苦手だったと気が付き

「ぴょんきち君、やっぱり、いやだ?」

と聞くと

「いくらぴょんきち君と言われても無理です。」

ときっぱり言った。くるみさんほどではなく、興味はあるけど近づくのはちょっとと言う子どもももちろんいる。豊、ユリ、綾子は後ろでアマガエルとお友だちの攻防を見ていた。そのうち千代が滑り台の下にいくらか生えている細長い雑草を10センチほど千切ってきてアマガエルの背中を撫で始めた。「捨てる神があれば拾う神あり」のたとえがあっているかどうかは怪しいが、くるみさんの受け入れられない背中のぬるぬるに千代が興味、関心を持ったらしい。千代の真似をして、たらいのまわりにいる子どもたちが一斉に雑草を取りにいった。まだ雑草はいっぱいあるのだけれど、取り遅れたタマヨが

「ないー」

と言ってべそをかいた。それに気づいた千代が

「かしてほしいの?」

と聞くと

「うん。」

とタマヨが応え、千代が自分の雑草をタマヨに与えて自分は又雑草を取りに行った。

「ちよちゃん、すごいね、かしてくれたんだね、ありがと。」

と言うと、千代はすこし微笑み、また背中を撫で始めた。

 当のアマガエルはいきなり背中を触られ始めて驚いたのかさらに飛び跳ね、子どもたちが雑草を手にしているすきをついて縁に飛び乗った後、外に飛び出してひたすら園庭方向に逃げ出した。子どもたちは

「出たー!」と言ってアマガエルの後をついていき、アマガエルがへばって休んでいると「はよ、いかかんかい」的な感じで おしりをつついたりしていた。始めはてかてかと光沢を放つパステルカラーだったのに、いつの間にか砂まみれの土ガエルのようになってしまった。これはもはや救出せねばなるまいと思い、

「みなさーん、ぴょんきちくんもおうちにかえるじかんでーす。からだをあらっておうちにかえしてあげましょう。いいですかー。」

と聞くと口々に

「いいよー」

と応えてくれた。

僕は土まみれになったアマガエルを両手で包むように持って、まずはたらいに放ち、土が落ちるように右手で水を少し掛けてやった。そのあとたらいごと持って園を取り巻く柵に近づき、子どもたちにアマガエルを見せながら

「じゃ、ぴょんきちくん、ばいばい。」

と言うと子どもたちもそれに倣って口々に

「ばいばい。」

「ばいばい」

と言った。くるみさんも取りあえず、大人の対応で「ばいばい」はしていた。僕は柵の外にある園庭と歩道の間にある園の花壇にアマガエルを離してやった。

「さてと、このままいく?ちょっと多い?」

一斉に入れるとなると、結構バタバタしそうでくるみさんに聞いてみると

「部屋に入りたい子はこのまま入っていいんじゃないですか。」

「じゃ、いれっか。」

と応えるとくるみさんは

「ごはんのじかんだからおへやにはいりたいひと、はいるよー。あとかたづけ、してねー。」

と言うと一通り遊んで満足したのか皆、遊んでいたものを片付け、ぞろぞろとくるみさんの周りに集まってきた。結局全員がくるみさんの後について部屋のほうに向かって行った。僕も一番後ろからついて行くと、子どもたちの最後尾にいたタマヨが寄ってきて

「あーそと、おもしろかった。」

と僕に言った。

「なにがおもしろかった?」

と聞くと、タマヨはもう一度

「そと、おもしろかった。」

と言った。

「よかったね。」

とタマヨに言うと

「うん」

と嬉しそうに言って、小走りに友だちの後ろを追いかけていった。

1歳児の保育 ややこしない、ややこしない、ちょっと熱いだけだから

4,盛夏 ヒマワリ

梅雨の間にひそかに背を伸ばしていたヒマワリが、梅雨が終わるか終わらないかの時に大輪の花を咲かせる。夏に向けてよーいどんと声を発しているようだ。誰が植えたのかわからないが、毎年大人の背丈ぐらいのものが3輪ほど、南側の道路に面した園の花壇に、こぼれ種で外周にあるネット状の柵に絡まって咲いている薄い薄い、青紫の朝顔を従えるようにして咲く。ヒマワリがあって、朝顔があって、青い空があって、入道雲があって、夏休みがあって、とくれば、外で何をしようか、プールに行こうか、虫を取ろうか、スイカを食べようか,と僕らが子どものころは心ウキウキだった。それが今では、外気温が上がりすぎて外に出られない、危険な暑さだという。あれも、これもしたいのに何もできない。室内にいるしかない。とりわけ小学生たちはすることないから暇でしょうがない、夏がちっとも楽しくなってしまった。僕たち大人は楽しい夏を子どもたちにわたすことができなくなってしまった。本当に、今の子どもたちには申し訳なく思っている。もし子どもたちに地球温暖化対策で何をやっているの?と問われて、どう答えられるだろう。ごみの分別、節電、節水、公共交通機関の利用、エコバッグ。こんな小さいことで温暖化が止まるのかと思わないでもないけれど、毎年間違いなく温暖化は進んでいる。こんなにも大きな地球の、何万年か、何億年、そこそこ安定していた地球の気候が数年の間に激変していることを、一個人の僕が感じてしまうということは相当のことだと思う。今からでも遅くない、小さなことから一歩ずつである。

 

夏の盛りの活動はもっぱら水遊びだ。炎天下のもとで遊ぶことはもはや危険なので、大きなパラソルや、農業用の遮光ネットを使って園庭をできるだけ日陰にして、1歳児室の前の園庭に幼児用のプール2個を置く。子どもたちはシャツと紙おむつ、そして帽子をかぶって遊ぶ。水遊びの道具はじょうろ、コップ、水鉄砲、ペットボトルなどをかごに入れて用意している。

以前はプールの中にも入って遊んでいたが、感染性の胃腸炎が頻繁にはやるようになって、役所のほうから3歳未満児の場合、プールにおしりをつけるのは衛生上、よろしくないという通達がきた。酷暑の中、それでもプールに入れてあげたいと思う一方で僕が赤ん坊の時銭湯で、大きいほうを漏らし、「もの」をタオルに包んで何とかごまかした、という父親の話しや、僕が子育て中には、町に「流れるプール」と言うのがあって赤ん坊だった息子を抱っこして遊んだ後、更衣室でトレーニングパンツを脱がせたら、「もの」の残りがあり、人にばれないようにビニール袋に入れたことがあるというようなことを思い出し、おしりが衛生的でない可能性とともに、湯水の中に体を入れるとさらに「不潔」になる可能性も僕自身、否定はできず、残念ながら通達に従ってプールに入ることは断念した。もっとも、ワキなどは部屋の流しにも入ろうとするので、プールなどは当然、入って遊ぼうとする。時折、気が付いたら入っているときもあった。「ワキちゃん、そとであそぼうね。」と言いながらだっこして外に出すのだが、そりゃ、この暑さでは中にも入りたくなる。

浩司、豊、俊之はプールからジョウロに水を汲んで、3歳以上児室の前に並んでいる野菜を育てているプランターに水を繰り返しかけていた。野菜の育て方に明るくない僕も、これはやりすぎじゃないかと思った時にくるみさんが

「みずやりがかりのひとー!ぴーまんさん、とまとさんたちはおなかいっぱいらしいので、こっちのどんぐりさんにあげてくださーい。どんぐりさんものど、からからだからー!」

と言ってくれた。プランターの向こうの奥の2つはどんぐりだった。10㎝ほど育っており、芽が出たときにどんぐりの実って、りすとか熊の食べ物というだけでなく、種だったんだと再認識した。

 薫、タマヨ、綾子、幸男、友則は水鉄砲で遊んでいた。テラスの柵のところに僕がマジックで段ボールに3重丸を書いた的を作りそれをくるみさんがスズランテープで縛って、ぶら下げていた。子どもたちはプールで水を入れては、ギュッと押してシリンダーの水を吐き出させていた。水鉄砲の使い方を教えるとすぐにマスターすることができた。ワキと学と良彦はプールの周りにできた泥をスコップでぴちゃぴちゃしながらその感触を楽しみ、千代とユリはくるみさんに朝顔の花びらで色水を作ってもらい、それをペットボトルに移していた。

 水遊びも贅沢と言えば贅沢だ。学生のころ水不足になれば、プールの授業は真っ先になくなった。水が慢性的に不足しているところが世界中いたるところにある。子どもたちが泥遊びなどのため外流しを開けて頻繁に水をくもうとすることがしばしばある。日本はよく雨が降り水が豊富な印象だが、実際は国土も狭く、山も多いのですぐに海に流れてしまう。そこでダムを作らざるを得ないのだが、ダムも自然を壊してしまう。さらに町まで引っ張ってくるのにたくさんの人が汗を流している。僕はまさにそういう仕事をしていたので同僚のスコップやつるはしを使う姿が思い出され、どうしても無駄に使ってほしくないなと思ってしまう。「無駄遣い」はやめてほしいが経験としていくらかは遊ばせてあげたいので、たらいに水を汲んで「きょうはこれだけね」と量を決めて子どもに伝える。一緒に汗を流した同僚もやさしいから「なんぼでも使え」などと笑いながら言うとは思うけれど。

僕が少しふざけて、薫の頭にジョウロで水を掛けると、薫は喜んで

「たーくん、もっと」

と言いながら近づいてきた。それを見ていた豊、幸男、俊之、浩司、友則もみんな一斉ににやにやしながら近づいてきた。大して大きくもない子ども用のジョウロは、いちいちかけていたのではしょぼすぎるので、水をすくってはまさにぶちまけるという感じで子どもたちにかけていた。無駄遣いしているの自分じゃん、と思いながら、子どもたちが喜んで、「キャー」と言いながら一度は逃げ、また舞い戻ってくるとやめられず何度かかけていた。そうやってかけているうちに泥遊びをしていた学にもかかってしまった。すると学は

「めーめー、めーめー」

と大泣きしながら泥のついた人差し指と中指で目をこすり、ますます、激しく泣き始めた。すぐに僕は学に近寄って

「だいじょうぶ、だいじょうぶ」

と言いながら泥のついた手を目から離そうとしたが学もこの目の痛みを取らねばならんとばかりにますます激しくこすり、目の周りは泥だらけ。

「くるみさん!なんかタオルみたいなん、なーい?」

心配そうに他の子どもたちとこちらを見ていたくるみさんはすぐに自分の首に巻いていたタオルをよこしてくれた。

「いいの、これ?」

「大丈夫です、安物のフェイスタオルです。」

と言ってくれた。僕はタオルをプールの水に浸して友則の耳元で

「まーくーん、てって、きれいにしてあげるからねえー、だいじょうぶだからねー。」

と言いながらタオルを絞りながら学の手に水を落とし、まずは手の甲の泥を落とした。

「まーくーん、こんどはゆびのどろ、おとすからねー、みずかけるからねー。」

と耳元でささやいた。たぶん、学は暗闇の中で痛みと闘っている。何も見えない中、不安でいっぱいだろう。遠くのほうで聞こえる「おっさん救助隊」の声。それで安心したかどうかはわからないが、多少は泣き声もおさまってきて、しゃくりあげるぐらいになってきた。それとともに手の抵抗を緩めてくれたので手のひら側の泥も落とすことができた。次は目の周りの泥。一回泥のついたタオルをプールですすいで、さて目の周りをふくかと思って学を見ると、目をばっちり開けている。僕はぎょっとして、それでは目の周りの泥が目に入ると思い、少し慌てたがここは落ち着かねばと、にっこりして

「おー、まーくん、めのまわりをタオルでふいてあげるから、めーめーつぶって。」

と僕も目をつぶりながら言うと、学も目をつむってくれた。

「まーくーん、めーめーふくからねー、めーめーつぶっててねー。」

学はまた目を触ろうとした。

「あー、まーくん、さわらないでねー。」

と言いながら素早くタオルを学の目に当てた。学はタオルが邪魔になって目を拭けず、右手を下げてくれた。僕の話しを大体は察したのだろうけど、細かい部分はわからないと思う。とにかく早く泥を取り除こうとゆっくり、丁寧に少しきつめに目をふいた。それが痛かったらしく、学はぐずって、泣きかけた。

「まーくん、もうすぐもうすぐ。」

と言いながらタオルをどけると、多少は眉毛や頬のあたりに泥がついているもののあらかたは取れた。

「いーよ、まーくん、だいじょうぶ。」

そう言うと学はべそをかきつつも、スコップを持ってプールの水を外に出してまたすぐに泥づくりを始めた。

 

 それぞれがまた遊びに戻っていった。日陰とはいえ、やはり暑い。ぼちぼちシャワー浴びて部屋に戻るかと思い、いつも一緒に浴びている2歳児はそろそろシャワーを浴びるかな、と隣で遊んでいる2歳児のほうを見て、目の前のプールに視線を戻すと、千代がおもちゃとして使っていたプリンのカップに入った水をおいしそうにごくごく飲んでいた。一瞬ビールのCMのBGMがよぎった。そうだそうだ、水分補給をしないと思った瞬間、

「キャー、ちよちゃん、のまないでー!」

とくるみさんが叫んだ。千代は「なにがわるいねん?」的な感じできょとんとしている。くるみさんはすぐに千代に近寄って

「いま、おちゃあげるから、プールのおみずはのまないでね、ばっちーから。」

くるみさんがそう言うと、千代はこくんとうなずいた。

「ごめん、ごめん、あんまりおいしそうだったんで、つい見とれちゃった。」

僕は二つあるプールのうち、学の目をふいた、泥のついたくるみさんのタオルを洗ったほうのプールではないな、と少しホッとし、いやホッとしている場合ではないんだなどと考えながらくるみさんに謝った。

「ハハハ、みんなー、おちゃ、のむよー。」

くるみさんは苦笑いしながら子どもたちに麦茶の入ったコップを並べて入れてあるかごを持って、子どもたちにお茶を飲むように促した。

 

 2歳児室の前では2歳児が、4,5歳児室の前では3歳以上児がプールに入っていた。2歳児室の前に外流しがあり、お湯水混合栓1つと、水用の蛇口が2つ。お湯水混合栓にシャワーがついている。お湯も出て水だけのシャワーよりは快適だがもともと家庭の風呂用なので、ちゃちいといえばちゃちい。

「1歳児さん、シャワー浴びますよね。」

2歳児担任のるんるん(はるみ 22)が声を掛けてくれた。1歳児を担任2人でシャワーを浴びさせることはなかなか難しい。幅広く連携をとって手伝ってもらう。シャワーは2歳児担任に2歳児と一緒に浴びさせてもらう。1歳児担任Aは子どもたちのシャツとパンツを脱がせ、シャツは帽子にくるむ。帽子には名前が必ず書いてあるので誰のかがわかる。もう一人の1歳児担任Bは遊んでいる子どもたちをシャワーに誘う。子どもがシャワーを浴び終わると、1歳児担任Aはバスタオルで拭いてタオルをかけたまま1歳児室に送る。バスタオルはテラスにプラの板で作った名札をつけて並べて置いておく。1歳児室には0歳児担任かフリーか主任が待っていて子どもたちを着替えさせて、給食が始まるまで遊びのコーナーで遊んでいるのを見ていてくれる。そのうち子どもたちをシャワーに誘い終わった1歳児担任Bが部屋に戻って着替えを手伝う。子どもたちの着替えは事前にロッカーから出してわかりやすいようにかごに入れておく。実はシャワーは夏はプールに入る入らないにかかわらず全ての子どもたちが汗を落すために毎日浴びている。給食前の一大行事だ。

「2歳児はもう浴びる?」

くるみさんがるんるんに聞くと

「はい、これから。」

「じゃ、お願いするね。」

くるみさんはるんるんにそう答えると

「シャワ、シャワしたいひと、おもちゃ片づけてならんでねー。」

と子どもたちに言った。こういう時、一番に反応するのは、薫、タマヨ、綾子、豊、幸男あたり、後の子どもたちは僕たちが声を掛けながらぼちぼちと並ぶ。シャワーのところにはすのこが敷いてあってくるみさんが子どもたちの帽子とシャツとおむつを脱がせ、おむつは隅に寄せ帽子の中にシャツを入れ、テラスにならべて置いた。子どもたちはるんるんに次々にシャワーを浴びせてもらって、くるみさんがバスタオルでシャカシャカと拭いてタオルをかけたまま

「おへやに入ってね。」

と送り出す。部屋の前でモコさんやほかの手伝いの保育士が顔を出して手招きをして子どもたちを招き入れ、着替えさせてくれているはずだ。僕はまだ水遊びをしている子どもたちにシャワーをしているところを指さして、

「シャワシャワいっといで。」

と声を掛けた。そこそこ遊び疲れたり、飽きたりして遊びをやめるのだが、シャワー嫌いの学はやはり行こうとしない。たぶん、家で目にシャンプーかなにか入ったのかもしれない。あれは大人でも痛い。だから他の子は髪の毛も汗で汚れているので頭からシャワーをするが学の場合は体にしかかけない。さっき頭から水をかけたのは大失敗だった。

 漸く学を並ばせ、くるみさんと二人で子どもたちの服を脱がせていた時

「きゃー」と叫び声がした。誰かと思ったら、子どもたちにシャワーをかけていた。るんるんだった。

「どうしたー?」

とそちらのほうを見ると良彦がシャワーを浴びているところだった。

「よっちゃんがおしっこしました!」

「よっちゃん、おしっこ、でたの?」

と聞いてみたが良彦は事態をよく呑み込めていないのか、僕の顔を見るばかり。先日、大きいほうをトイレでしたとはいえ、あれはまぐれっぽい。まだまだ意識的にトイレで排尿は難しい。いつも無意識に出て、それをオムツが「黙って」受け止めている。

るんるん、シャワーでその辺、流しといて。基本、子どものおしっこ、汚くないっていう話だから。」

「ほんとですかー?」

あんたのいうことはちょっと・・・、的な感じでるんるんは応えた。

「静さんがそう言ってた。」

以前に看護師の静さんが「子どもというか、健康な人の尿は無菌。ただ、足なんか伝わると足の雑菌が混じって汚れることがある。」と言っていた。

「へーそーなんだー。」

と言いながらるんるんはシャワーであたりを流し

「よっちゃん、おちんちんばっちくなったから、きれいにしようね。」

と言いながらシャワーをやさしく当てた。

そこまでばっちくなったか、とは思ったが、子どもが後ろに並んでいたのでそれ以上は言わなかった。

「部屋に入るね。」

と僕はくるみさんに声を掛けて部屋に入った。部屋ではモコさんとやまちゃんが子どもたちの服を着させていた。

「モコさん、やまちゃん、ありがとうございます。」

二人にそう言うと、モコさんが

「配膳も私やるから。」

「了解です。今日はなんですかね。」

「カレー。」

「おー、カレー。子どもたち喜ぶな。」

「1歳児もそうなんだ。」

「そうなんですよ。」

カレーは保育園でも大人気だ。なんでこんなに人気があるのかわからないが、子どもたちはドカ食いする。水遊びをして体がいい具合に疲れて腹いっぱいにご飯を食べると寝るのは早い。あっという間に午睡に入る。シャワーから給食、怒涛のおかわりからあっという間の午睡。外での水遊びで疲れた体、満たされた食欲、そして冷房の効いた部屋に敷いてある布団。すべてが心地よい午睡へといざなってくれる。この心地よさを感じることが次の活動への意欲につながっていく。

 

子どもたちが身も心も満たされて静かさしか感じない午睡の時間だけれど1歳児クラスの子どもたちは心も体も急激に成長している。時には心が波立ち、訳が分からなくなるのも当たり前といえば当たり前だ。

朝、この時期になっても子どもたちの多くは部屋に抱っこで入ってくる。部屋に入ればママたちは子どもの体温を測り、着替えや、おむつを棚に入れ、汚れ物入れにコンビニ袋などをセットし、午前午後のおやつと給食時のおしぼりをかごに入れる。連絡帳もそれ用のかごに入れ、そして登園時間とお迎え予定時間を送迎表に書かなければならない。たくさんの仕事をしなければならないが子どもたちの中にはママから降りようとせず子どもを抱えたまま準備をするママも結構いる。

千代は毎日、ママの首根っこにしがみつき部屋に入ってくる。ママが僕たちに挨拶するときは千代は背中を向けているので、千代の顔をのぞき込んで

「ちよちゃん、おはよう。」

と挨拶すると

「おはよう」

と小声で言うときもあれば、顔をそむけてママの首に顔をうずめることもあった。

「ちよちゃん、おいで」

と僕たちが両腕を差し出しても応じず、更に力を込めてママの首にしがみついている。ママもあきらめて朝の準備をするのだが、春先には片手で千代を持っていてもすいすいと準備をしていたが、さすがに最近では千代も大きくなり、なんとかかんとかという感じになっている。ママがやっと準備を終え、

「ちよ、ママいってくるからね。」

と僕たちに渡そうとするが、とりあえず千代は抵抗する。今はもはやそれが「とりあえず」の行動だとママもわかっているので、遠慮なく僕たちに千代を預ける。千代も身をよじらせるが、僕たちがしっかりだっこしているので。最後の抵抗として

「たっちー」

とママに片手を伸ばすとママも千代の手に自分の手を軽く合わせ、時には少し握ったりして

「じゃ、いってくるからね。」

と千代に言い、僕たちに

「変わりありません。」

と言ってくれる。

「いってらっしゃい。」

とママに声を掛け、

「ママにバイバイしたら。」

と千代に言うと、千代も軽く手を振る。春先だとしばらくぐずったりして抱っこしながら落ち着くのを待つが、今では

「あそんでおいで」

と下におろすと、遊びのコーナーにすんなりと行って遊び始める。

 浩司、豊、俊之、友則、学、ワキ、良彦たちも基本的には抱っこで来る。浩司、豊、学にいたってはいまだにぐずることがある。

 先日の浩司はママからなかなか離れず、ママも困ってしまい、ママが首にしっかりと巻かれた浩司の手をつかむと、浩司も察したのかママから離れたけど、僕が受け取ろうとしたときにまた体をよじらせ、助けてくれとばかりにママのほうに手を伸ばし、おいおい、僕が君を誘拐しているみたいじゃん、と思いつつしっかりだっこしていると、浩司は伸ばした手でバイバイをして、今度は僕の首根っこにしっかり手をまわしてぐずぐずしていた。

「こうちゃん、おりてあそんだら」

と言っても

「やんや」

と言いながら、身をよじらせる。少し時間がたてば自分から

「おりる」

といって下りたり、友だちが登園してくるとそれをきっかけに下りたりする。

 豊は抱っこで来てママはすぐ降ろす。大きくはないががっちりして少し重いのだと思う。ママが準備をしている間ママの服をつかんでぐずぐずしている。ママが

「じゃ、ゆたか、いくからね。いってきます。」

と部屋を出ていくと以前は大泣きをしていた。泣いている子どもをそのままというわけにもいかないので僕はよく抱っこをした。重いのでくるみさんは抱っこできない。あるときくるみさんが豊に

「ねんねする?」

と聞くと

「うん」

とうなずくので、まったりコーナーに寝かせてバスタオルを掛けると本当に寝てしまったことがあった。あれ、寝不足?と思ってママに聞くと思い当たることはないという。豊なりの気分の替え方のように思う。今ではそこまで大泣きはしなくなったが、それでもママがいなくなるとべそをかく時があるが

「よこになってる?」

と聞くと

「よこになる」

と言い、少しごろごろすると、すぐに遊びに入ることも多くなった。

 いつもいつもというわけではないがたまに大泣きするのは学だ。そういう時はだいたいママに抱っこで連れてこられる時からしくしく泣いている。ママが準備を片手で終えて、ママが僕たちに学を託すときはそこまで抵抗はしない。ただママが行くときに、エンエエンと声をあげて泣く。ママはたぶん後ろ髪をひかれる思いだろう。ただ、体調が悪い時以外は抱っこしてあやしているうちに機嫌はおおむね直る。一日千秋の思いで仕事を終え、お迎えに来たママにできるだけ安心してもらえるように朝、別れてから機嫌を直すまでの過程については、少し詳しくお話をするようにしている。

 子どもたちにとって、ママと離れることは、わかっていても試練に変わりはない。2歳になったから、3歳になったからと言って受け入れられるものでもない。ただ、徐々に、いずれは迎えに来てくれるということがわかってきたので、いつまでも別れをぐずぐず引きずることはなくなっていく。逆に子どもたちが独り立ちすることが少し寂しいという親御さんもいることはいる。

 泣いたり、ぐずったりしながらママとの別れを超えていく子どもがいる一方で、すんなりとバイバイできる子どももいる。薫、タマヨ、ユリあたりはとことことママの後ろからついてきてママが準備しているのを、ママの肩や腕に手を掛けながら見て、ママが「じゃーね。」とか「いってきます」というとすんなりバイバイできる。その際、必ずすることが「タッチ―」である。多くの子どもが「タッチ―」をしてメリハリをつける。ママがいなくて寂しいとか、悲しいとかいう気持ちを手を合わせてママに預けて遊びに向かっている。ママはママで時間のある時はその掌の余韻を感じながら子どもたちが遊びに向かう姿を見ているし、バタバタと仕事に向かいながらもふとした時にその手に残る子どもたちの気持ちを感じることだろう。

 綾子の場合は園舎の入り口から1歳児室に入る前に3歳以上児室にいるカメに挨拶をして給食室に寄る。

「あらー、あやちゃん、おはよう。」

と給食室の職員に声を掛けられ満足して保育室に向かう。ママが急いでいるときもそこは譲らない。

「時間に余裕があるときはいいんだけど。」

とママはぼやくし、僕たちも最初はそこまでする意味が分からなかった。あるときモコさんとその話になったときにモコさんはスポーツ選手が試合前に決まったご飯を食べ、決まった側からユニフォームの袖を通し、挙句に会場に入る足まで決まっている。そうすることで心を落ち着かせているのだという話をしてくれた。その話を聞き、くるみさんと。それかー、と納得した。

 当園時のママパパとの別れ以外にも日常的に子どもたちは自分の感情の起伏を扱いかねている場面は多々あるし、それを自分でなんとかなだめすかそうとしている。

調子が悪い時、千代は泣きの一日を過ごす。朝、ママが部屋を出るとき、抱っこしている僕の腕から落ちそうになりながら腕を伸ばして「ママ―」と泣きながら絶叫し、遊んでいる時、豊か薫かにぶつかったといって座り込んで泣いていた。おやつの時、椅子に座ったのはいいが横向きに座っておやつを食べているので、僕が「ちよちゃん、まえむいてたべて。」と言ったら泣き始めた。しばらくして泣き止んだと思ったら今度は返事もしない。ちょっとしたことで泣き、機嫌が悪くなると言葉が全く出てこない。

 ユリはいやなこと、いやな気持になっても「イヤ」と言えず、ただ泣くばかり。こけては泣き、ものを取られては泣き、ぶつかっては泣く。こけたときはこけたまま、物を取られたときは手が取られたときのまま、ぶつかったときは痛いところを抑えたまま、もしくは倒れたまま。

「ユリちゃん、ちょっとだから大丈夫だよ。」と声を掛けても本人にとっては一大事なのだろう、ほんとにこの世の終わりを嘆き悲しむように泣く。

 千代にしろユリにしろ、泣くことで自分自身の手で沸騰する自分の気持ちを冷ましているのだろう。

薫、友則、ワキあたりは怖い、悲しい、しんどい時はもちろん理由が定かでないときも抱っこを求めることが多い。両手をいっぱいに伸ばし僕たちの顔をまっすぐ見上げ抱っこを求める。薫はしっかりと「だっこ」と言うが友則、ワキはジェスチャーだけだが、もちろんそれだけでも十分に気持ちは通じる。できうる限り僕たちはそれにこたえる。子どもたちは「安全基地」への避難を明確に求めているからだ。我々保育士は子どもの避難要請にはできるだけこたえなければならないと思っている。

 子どもたち全般に言えることだけど友だちにその矛先を向けるときがある。友だちの作ったものを壊したり、おもちゃを取ったり、更に友だちが物の取り合いで争っているときに横から参戦して三つ巴の戦いになるときもある。ただ度の子どもも基本的には人に興味があり、好きだから友だちのところに行くんだろうな、という気がする。子どもたちがえらいなと思うのは友だちが機嫌が悪い時に怪獣や恐竜になって、自分がいわれのない攻撃を受けても尾を引いて泥沼の内戦に陥ることは決してない。知らないうちに停戦するし、そのあとは何事もなかったように仲良く遊んでいるからだ。

 俊之と、豊は泣くときに「ママ―」と言うことが多い。一度僕は声のトーンをあげ、俊之に「たまだママですよー、ここにいますよー。」と慰めるつもりで言ったことがあったが、まさに油に火を注ぐことになった。彼らは真剣に「SOS」を発信しているのでそれを茶化すようなことはしてはいけないんだなと反省した。学がトイレが嫌だ、手洗いギが嫌だとぐずっている時、くるみさんが「もうすぐおむかえだからがんばろっ!」と言ったら急にしゃっきとなってスカスカとトイレに行き手洗いをしていた。子どもたちの心の中には明確にママの像があるんだなと改めて思った。

 タマヨと綾子はどちらかというとおっとりしていて、訳も分からず泣くところはあまり見かけないが、それでも口数が少なかったり、おやつや給食の時間になっても何か考え事をして動かないという時がある。おとなしいのでついつい見過ごしてしまい、派手にぐずっている子のほうを向いてしまいがちだ。でも外に出る表現の違いはあれども心の中は同様に波だっていることは気に留めてなければならないと思う。

 浩司は友だちがトイレに行ったり手を洗ったりテーブルに着いたりしても、基本的にマイペースを貫き、見かねた保育士が声を掛けてもグズグズ首を振って遊び続けたりする。でも必ずと言っていいほど自分で気持ちを切り替えるのかやることはやる。浩司は言葉の理解は十分だが、普段、言葉の表出はそれほど多くない。機嫌が悪いと黙って友だちのことをたたいたりする。ところが「イヤ」だけははっきり言う。この間も千代だったか綾子だったかにおもちゃを「かーしーて」と言われ、即座に「イヤッ」と言っていた。ある程度自分の気持ちがわかっているとはいえると思う。

先日、流しの前でくるみさんのズボンのすそをつかんでいた綾子がようやく気持ちを立て直したのか、くるみさんから離れて遊びのコーナーにとことこと向かう途中、一度くるみさんのほうを振り返った。遊びのコーナーにいた僕からは綾子の顔は見えなかったが、ちょっと不安になって振り返ったんだと思う。くるみさんは「大丈夫」と言わんばかりに綾子ににっこり微笑みかけていた。このようなことが毎日、何度か起こり、そのたびに僕たちは、とりあえず子どもたちのそばに立ったり座ったりして寄り添う。

自分の気持ちを整理するのに言葉は大切な道具だ。言葉の力なしに、自分の気持ちを整理することは難しい。言葉が発展途上の1歳児は本人も理解できない感情の渦に巻き込まれそこからうまく脱せずにもがいているに違いない。また、自分がこれしたいとかあれが好きとかいう気持ちとパパやママ、友だち、保育士がそれを妨げるように見える行動、言動とのはざまで、右往左往しているに違いない。そんな子どもたちに僕たちは「そうだよね」「したかったよね」「すきだもんね」などと声を掛け、気持ちを代弁し、背中をさすり、時にはだっこもする。子どもにもよるが大抵はそれで何となく落ち着き、自然に僕たちから離れていく。何をすればよいか最適解がはっきりとはわからないが子どもたちの不安、怒り、恐れなどの気持ちを尊重しながら、自ら立ち直れるよう支援する。

 

保育所において子どもたちをケアすることを「養護」という。「養護」とは厚労省が定めた「保育所保育指針」によれば「子どもの生命の保持及び情緒の安定を図るために保育士等が行う援助や関わり」でありその「ねらい」と「内容」は「生命の保持」と「情緒の安定」に分けて考えられている。「ねらい」とは子どもに身につけてほしいことを子どもの生活する姿からとらえたもの、「内容」は、「ねらい」を達成するために、子どもの生活やその状況に応じて保育士等が適切な援助を行うことだ。

 

保育所保育指針」では「ねらい」と「内容」を別々に記述しているが、わかりやすくするためにわかりやすいように並べ替えてみる。上段〇数字が「ねらい」、下段 )数字が内容である。

「生命の保持」

① 一人一人の子どもが、快適に生活できるようにする。

1) 一人一人の子どもの平常の健康状態や発育及び発達状態を的確に把握し、異常を感じる場合は、速やかに適切に対応する。

 

② 一人一人の子どもが、健康で安全に過ごせるようにする。

2) 家庭との連携を密にし、嘱託医等との連携を図りながら、子どもの疾病や事故防止に関する認識を深め、保健的で安全な保育環境の維持及び向上に努める。

 

③ 一人一人の子どもの生理的欲求が、十分に満たされるようにする。

3) 清潔で安全な環境を整え、適切な援助や応答的な関わりを通して子どもの生理的欲求を満たしていく。また、家庭と協力しながら、子どもの発達過程等に応じた適切な生活のリズムがつくられていくようにする。

 

④ 一人一人の子どもの健康増進が、積極的に図られるようにする。

4) 子どもの発達過程等に応じて、適度な運動と休息を取ることがで きるようにする。また、食事、排泄、衣類の着脱、身の回りを清潔にすることなどについて、子どもが意欲的に生活できるよう適切に援助する。

 

割と明快な「生命保持」に比べて「情緒の安定」は少しわかりにくい。

 

① 一人一人の子どもが、安定感をもって過ごせるようにする。

1) 一人一人の子どもの置かれている状態や発達過程などを的確に把握し、子どもの欲求を適切に満たしながら、応答的な触れ合いや言葉がけを行う。

 

② 一人一人の子どもが、自分の気持ちを安心して表すことができるようにする。

2) 一人一人の子どもの気持ちを受容し、共感しながら、子どもとの継続的な信頼関係を築いていく。

 

③ 一人一人の子どもが、周囲から主体として受け止められ、主体として育ち、自分を肯定する気持ちが育まれていくようにする。

3) 保育士等との信頼関係を基盤に、一人一人の子どもが主体的に活動し、自発性や探索意欲などを高めるとともに、自分への自信をもつことができるよう成長の過程を見守り、適切に働きかける。

 

④ 一人一人の子どもがくつろいで共に過ごし、心身の疲れが癒されるようにする。

4) 一人一人の子どもの生活のリズム、発達過程、保育時間などに応じて、活動内容のバランスや調和を図りながら、適切な食事や休息が取れるようにする。

 

 ①から③までは精神的なことについて、④は身体的なことについて「情緒の安定」のために必要なことである。

まとめると以下になる。

 

一人ひとりの子どもが 

・安定感を持つ。

・自分の気持ちを表す。

・周囲から主体として受け止められ、主体として育ち、自分を肯定する気持ちを持つ。

・主体的に活動し、自発性や探索意欲などを高めるとともに、自分への自信をもつ。

・くつろいで共に過ごし、心身の疲れが癒されるようにする。

と「情緒の安定」につながる。

そのために保育士等は

・子どもの欲求を適切に満たしながら、応答的な触れ合いや言葉がけを行う。

・子どもの気持ちを受容し共感しながら子どもとの信頼関係を築く。

・成長の過程を見守り、適切に働きかける。

・活動内容のバランスや調和を図りながら、適切な食事や休息が取れるようにする。

 

 さほど難しいことを言っているわけではない。むしろ人とかかわるときの基本的なことだ。いかなる人にもいかなる時も人と相対するときに忘れてはいけないこと、相手の「個人の人格と生命の尊厳を尊重する。」ということだ。

子どもにとって情緒が安定し、穏やかに過ごせれば成長するためにいろいろなことをまわりの環境から得やすくなる。それが子どもの将来の幸せにつながっていく。

 

今年の1歳児クラスの子どもたちは一度寝てしまうと、よほど具合が悪くない限りは途中で起きる子はいない。静かな寝息を立てている。

プール遊びで濡れた帽子と服を干しに行ったくるみさんが戻ってきてテーブルに座り、書類を見ながら言った。

「よっちゃんはどうします?」

くるみさんと、個人の指導計画の相談をして3日目でようやく最後の良彦までこぎつけた。保育園では2歳児までは月ごとに個人の指導計画を作らなければならない。全国共通の形式があるわけではないが、うちの園では「子どもの姿」「保育の内容」「援助と配慮」「評価反省」の4つの欄がある。子どもの普段の姿を見て、保育の内容を決め、そのための保育士の援助や保育環境に対する配慮を設定し、評価反省する。クラスによっては担任が分担して書いているところもあるが僕たちは二人で話し合って書くことにした。僕が1歳児担任が初めてで少し自信がなく、去年0歳児担任としてこの子どもたちを見てきたくるみさんに頼ったからだ。くるみさんにしてみれば頼られるのはちょっと、と思ったかもしれないが僕は結果的によかったと思っている。指導計画が滞りなく書けたこともよかったし、何より親子ほどの年の差がある二人に会話のきっかけができたことがよかった。これがなければ何の話をすればよかったのか、少し戸惑ったことだろう。

一言申し添えれば、昼休みは子どもから離れて休むのが原則だ。午睡を見ながら事務作業というのは立派な仕事だ。しかし、慢性的な人手不足だ。就労時間内はフルに子どもを見ていなくてはならない。それ以外にするべきことは多い。個人の指導計画、週、月、期の指導計画、個人の育ちの記録等々、簡単ではないものが目白押しだ。休憩時間を確保しながら、いかようにこれらの業務をこなしていけばよいのか。地域に密着した福祉施設として人権の擁護に勤めなければならないのに労働者の人権は一体どうなっているのか、若い後輩のために何かしなければと思ってはいるのだが、自分の力不足にがっかりしている。

 

「先月は何だっけ?」

「よしくん、言葉が少し出てきたので、保育内容が『自分のしてほしいこと、したいことを言葉で伝える。』で援助と配慮が『本児の思いを受け止めながら優しく言葉をかけたり、気持ちを代弁して子どもの発語を促していく。』です。もう一つはまだ歩行が完全でないので『歩いたり、走ったりすることを楽しむ。』『散歩に行ったり、園庭で走る機会を作る。』ですね。」

「少しは言葉、増えてんのかな。」

「少しは。」

「ほんと?こっちが言ってることはわかってるみたいだし、絵本は好きだよね。持ってきて,読めって、差し出すもんね。でも、ことば、ふえてるかなー。『うんち』ってホントに言った?」

「言いましたよ。私に向かってはっきりと」

いまいち信じれん。

「そうかー。あと『ワンワン』とか『ニャンニャン』はしょっちゅう言ってるけどその他は?」

「『ワンワンワン!』ですか ね。」

「えっ、『ワン』が一つ増えただけじゃん。」

「でも叫んでたんですよ、『ワンワンワーン!』って。すごくないですか?名詞じゃなくて、動詞ですよ。」

「そう言われればそうかなー。」

くるみさんの勢いに少し押された。

「そういや、『かして』って言ったことなかった?」

「ありました、ありました。ワキちゃんとアンパンマン取り合いして、引っ張り合いしながら『かして』って。結局ワキちゃんに負けて、泣いてましたけど。」

「大して物の名前は言わないのに、『うんち』とか『かして』とか。」

「それだけ、私たちが口にしてるってことじゃやないですか。」

「確かに。二人で『かしてだよ』って言う機会は多いかもしれない。でも、言えるようになったんだもんね。ま、言葉については先月と同じにして入れておく?」

「そうですね。あとは、やっぱり人とのかかわりですか?最近よしくん、『自分』が出てきておもちゃ取ったり、横入りしたりするんですよ。」

「『自分』が出てきたのはめでたいことじゃん。」

「そうですよね、はじめはされるがままでしたもんね。」

良彦は入園当時、食事も着替えも、排せつも手洗いも一人ではできなかった。1歳になったばかりだから当たり前と言えば当たり前だ。新入園児といういうことで僕らも一番配慮したといえばしたが、いつもマンツーマンで対応したわけではない。が、いつの間にかご飯を一人で食べ、トイレにも行くようになり、くるみさんによれば『うんち―』とアピールするという。手も洗えるが着替えはまだ少しハードルは高いようだ。これはひとえに良彦が友だちの様子を見て真似をして身につけた力だ。一番わかりやすかったのは食事だ。近くに座っている低月齢軍団の友則とワキは気持ちがいいほどむしゃむしゃ食べる。それも手づかみで。良彦も自分で手づかみで食べるようになり、ゆっくりではあるが完食する。皿をきれいにすることまで真似しているようだ。

 

「そうだ、今日やばいとこ見ちゃったんですよ。」

「えっ、やばいって、事件か?」

「そんなんじゃなくて、ほほえましいほうです。」

「やばい」、は今や「良い」ほうの最上級。

「ややこしいな、どんなん?」

「ワキちゃんと、よしくんが手をつないで、顔を見合わせてにっこりしてたんです。」

「なんなん?」

「私もわかんないです。先に手をつないでにっこりしたほうはワキちゃんですけどよしくんもにっこりしてました。前後のつながりはよくわかんないんだけど。よしくんが真似しただけかもしれません。」

「いやー、でもそれ、ワキちゃん、友だちに関心あるのはわかってたけど友好的なところは見なかったもんね。」

良彦よりひと月、生まれの早いワキはこれまで友だちをたたいたり、遊びを邪魔したりすることが多かった。でもそれは友だちに関心があることの裏返しでもあった。僕はどうしても昭和の体育会系おっさん体質をぬぐえず反射的に子どもたちのことをきつめに注意してしまうが、0歳児から見ているくるみさんは、ワキに「おともだちがかなしんでいるよ。」とたしなめ、「なかよくあそべば、たのしいよ。」と諭し、お友だちには「ワキちゃん、いっしょにあそびたかったんだとおもうよ。」とワキの気持ちを代弁していた。ここにきてワキも素直に「ともだちすき!」という気持ちが出せるようになったのかもしれない。ワキだけではない。ワキよりひと月月齢の高い学はごはんの後、その辺に落ちていたワキのよだれかけを拾って片づけてあげていたし、友則は学に手をつなごうと言わんばかりに手を差し出していた。もっともそれは日ごろ押したり叩いたりしあっている二人だったので学のほうがそういう気分になれなかったらしく露骨に嫌がっていた。ふられて少し呆然とした友則の様子がせつなかった。学にしろ友則にしろ自分のしたいこと、やりたいことをまわりを気にせず行っていた一方で、まわりのことも気にかけるようになってきた。人は一人で生きなければならないが、一人では生きていけない。ちっちゃくても子どもたちはよくわかっている。

 良彦の個人指導計画は言葉に関することのほかに、人とのかかわりに関すること、すなわち

子どもの姿「友だちの持っているものを取ってしまう。」

保育内容「保育者の仲立ちでがまんしたり、『かして』と言う。」

援助と配慮「本児の遊びたい気持ちを受け止めながら、丁寧にルールを伝えていく。」

を加えることにした。人との関わり自体はそれなりに進んでおり、『かして』も言えるようになっているのでもはやルールを知る段階に来てるんじゃないか。ということでこのような表現にしたが、ルールに関わらず遊びや生活面でも人との関わりの良さを良彦に伝えていこうということになった。

1歳から、2,3歳までイヤイヤ期とか反抗期とか言われる。歩行ができるようになり、行動範囲が広がると、心の中であれやりたい、これやりたいという気持ちが芽生えてくる。うまくいったり、いかなかったり、時には友だちを横目で見ながら、マネをしたり、ぶつかったり。大人には「イヤイヤ」だとか「反抗」だとか「あつかいづらい」とか「わがままだ」とか言われるが自分自身を見つける旅を始めた1歳児の姿は真摯で熱い。僕らは暑く燃えたぎる魂をそのままにして旅が続けられるように彼らの情緒の安定を図りながら、楽しくて体験の広がる活動などを考え、ともに遊び、喜びを分かち、子どもたちの心の中が嵐のように荒れたときは寄り添い、受け止め、背中を押し、ともに彼らの疾風怒涛の時を共に乗り切ろうと思っている。

 

 俊之がむくむくと起き上がり布団の上に座ってボーっとこちらを向いて座った。時計の針は15時10分ほど前。ぼちぼち子どもたちが起き始める。

「個人票、あと打っときます。」

くるみさんは午後の1歳児たちの熱い、ホットな時間に備えてか胡坐座で両手をあげ伸びをしたり、腰をひねったりしながら言った。

「あー、すんません、お願いします。どれっ。」

僕は立ち上がりながら応えた。同時に俊之も僕につられたのか、立ち上がった。

「としちゃん、さきにおトイレだよ。」

くるみさんにそう言われ、俊之はくるみさんのほうをじっと見て、納得したのかトイレのほうに向かった。向かったはいいが途中、豊の足に躓き、隣の綾子の布団に倒れこんだ。

「としちゃん、きをつけてね。」

俊之が起き上がった後、くるみんがそう声を掛けると、俊之はうなづいたが、すぐに綾子を蹴飛ばし、そのあとも友だちの布団をぐちゃぐちゃ踏んでトイレに向かっていった。他人に興味があるといっても、気を使うなどまだまだ先のこと、しゃべらない、動かない友だちは石ころと同じもののようだ。

1歳児の保育 ややこしない、ややこしない、ちょっと熱いだけだから

3,梅雨 紫陽花

空の青さと木々の緑が徐々にくすんでいき、何となく曇りが多くなり、雨の日が続き、梅雨へと入る。それからほどなくして街中でだんだんと紫陽花が咲き始める。思えば5月の初めにつつじや、あやめを見てからまとまった花を見掛なかったような気がする。たまにシャクナゲやユリはどこかの庭で見たことはあるが、一輪二輪だ。桜や木蓮は主に街路や公園で存在感を示すが、紫陽花は多くの家庭の庭で、色合いの薄いこの時期に「華」を添えている。どの紫陽花も青系、桃系、白系のグラデーションだが全く同じようなものがない。色合いが濃くて若々しい「華麗」さを感じるものがある一方で、くすんだ淡い感じのものもあり、何年も同じところで咲くことによって徐々に歳を重ね、色が落ちていく「加齢」さも感じる。またこの花は梅雨が明けても枯れ切らず、ほかの花々が潔く散っていくのとは違ってゆっくり朽ちていく。また枝を切っても切ってもまた伸びてきて元の通り花をつける。それらに命の粘りのようなものも感じる。

 

この時期、やはり比重からいえばお部屋で遊ぶことが多い。雨が降れば一日中、お部屋にいることになる。1歳児はホットだ。「あれもしたい!これもしたい!もっともっとしたい!」体に秘めるエネルギーは基本的に大して広くもない保育室に収まるものでもない。でも、「雨の日は、雨の日はしょうがない」、室内で遊ぶよりほかはない。

 

 今日の活動は小麦粉粘土を予定していた。常々、いろんなことを体験させてあげようと考えている。1歳児にとってはお絵かきだって、ただの新聞紙を丸めることだって新しい体験になる。むにゅむにゅした感触だったり、ちぎったり、のばしたり、主には手先の新しい経験として小麦粉粘土を選んだ。普通の粘土ではなく小麦粉にした理由は間違って口にしても、害にならないと考えたからだ。けれど、僕とくるみさんが紙皿と小麦粉粘土を子どもたちに配ろうとした時

「ああー。」

と、おやつの手伝いをしてくれていた看護師の静さんが声をあげた。

「ワキちゃんって小麦粉アレルギーだよね。」

と言った。僕とくるみさんはそれを聞いて同時に

「ああー」

と声をあげた。そうだった。すっかり忘れていた、というか気づかなかった。

「ワキちゃん隣でみてもらいます?」

くるみさんが言った。

「そうだね。」

子どもたちには小麦粉粘土をすると言ったので、少なくとも高月齢の子どもたちは関心は寄せている。ここで中止というのもちょっとな、という気がした。

「低月齢の子は皆、行くか、別の時に何かするとして。」

「そうですね、一人だけだとちょっと、ですね。一応隣に聞いてきます。」

くるみさんが隣の0歳児クラスでワキたちを見れるかどうか聞きに行くと、静さんが戻れば大丈夫だということだった。

 まだテーブル付き椅子に座っているワキ、友則、学、3人の低月齢児を椅子から降ろし、

「0さいさんのところにいきますよ!」

と声を掛け僕は部屋を出た。良彦は今日は休みだった。子どもたちはなぜ0歳児室に行くのかよくわからないだろうが、基本的に部屋の外に出ることは嫌いではないので、何とかついてきてくれた。もしかしたら俊之あたりが「おれも」と思っているかもしれない。後ろから静さんも「となりのおへやであそぼうね。」と促してくれた。少し申し訳ないなと思いながら0歳児室に入ると、0歳児担当のトムやハタ坊が

「いらっしゃい。」

と言ってくれて、おもちゃを出してくれていた。以前から0歳児の高月齢児と1歳児クラスの低月齢児とで活動することがあったし、何といってもついこの間まで過ごしていた部屋なので子どもたちに抵抗はない。月齢からいえば1歳児の低月齢児は0歳児の高月齢児のほうが発達という面から見れば近いといえば近い。

 部屋に戻るとくるみさんはすでに紙皿を配っていた。子どもたちは何が始まるのか期待しているようだった。くるみさんが一人ひとりに小麦粉粘土を市販のおむすびくらいの大きさにしたものをのせていった。するとその塊を見たとたん、ユリと豊とタマヨが席を立ち、おもちゃコーナーのほうに行ってしまった。ユリも豊も見慣れないものに対しては慎重だ。ダンゴムシもそうだし、園のお誕生会でホールに人が集まるときもしり込みする。それはそれでしょうがない。またの機会に経験してもらおう。意外だったのはタマヨでそんな感じもなかったが小麦粉粘土に関しては興味がわかなかったようだ。

 ほかの子どもたちもいきなり触る子どもはいなかった。

「みんな、いい?これをチギチギしてこうやって、おててでコロコロしてラーメンみたいなのをつくったり、おだんごにしたりしてごらん。おおきなのをモミモミするだけでもたのしいよ。」

くるみさんが前で、小麦粉粘土をちぎって、手のひらで伸ばしたり丸めたりして見本を見せると、ようやく子どもたちもまずはちぎり始めた。綾子、千代、薫は少しずつちぎっては指先で丸めて、小さな丸を何個も作っていた。浩司、幸男、俊之はパンをちぎるようにしてちぎったものを,またちぎり、どちらかというと手の感触自体を楽しんでいるようだった。たまたま男の子、女の子でちぎり方がわかれたが、座った席がたまたま男女に分かれてしまい、席の近い子同士がお互いを影響しあったようだった。それはそれで友だちを意識するんだという発見でもあった。だから、丸めたり、ちぎったりすることに飽きて、やめてしまう子どもがいると次々と他の子どもたちはやめてしまった。そんな中一番最後まで残っていたのは綾子だった、彼女はどんな遊びでもひとところで遊んでいることが多い。他の子どもたちが遊牧民のように移動しながら遊ぶのに対して綾子は定住民的だ。だからぱっと見た目は一人で遊んでいることが多いように見える。友だちの動きに左右されず集中して遊んでいるということだ。

俊之が立った時、くるみさんが

「としちゃん、おててあらおうね。」

と言って手洗い場に連れて行き手洗いを手伝った。

「手、汚れてる?」

と、くるみさんに聞くと

「なんか、小麦粉ついたままだと、ワキちゃんの口に入りそうで。いま、ふと思いました。」

確かにその可能性は0ではない。いまさらだが、くるみさんと手分けしてすでに遊びのコーナーで遊んでいた子どもたちを何とか連れ戻し、手をしっかり洗った。最後の綾子がテーブルを離れた後、僕は子どもたちが使い終わった小麦粉粘土をごみ袋に入れ、テーブルと床をぞうきんで二度拭いた。「アレルギー→死ぬかもしれん」と考えるとビビってしまい、だんだん拭く範囲が広くなった。それでも少し不安でいたが、子どもたちがそれぞれ遊び始め、隣に行った低月齢児を呼ぶ必要もあったので、かたづけは終わらせた。

 

遊びのコーナーは10畳ほどのスペースの北側に30センチ四方の空間が横3×縦3=9つある棚があり、そこにブロック、木のレールと列車、おもちゃの太鼓やピアノなどが入ってある。足元には2畳ほどの街の風景を模した敷物が敷いてあり、敷物の道路に車を走らすことができる。西側が押し入れで押し入れのわきに90センチ四方の格子の板(ラティス)を4枚箱型にとめて、中にクッションやぬいぐるみが置いてあり、子どもたちが「まったり」できる場所がある。その横には畳が2畳敷いてあり、そこでもゴロゴロすることができる。南側は冷蔵庫、流し、レンジまであるキッチンコーナーで壁には食材の絵を貼っている。東側に40センチ四方の空間が横3×縦2=6つある棚がありそこには鍋、皿、などの台所用品とプラ製の食材のおもちゃがあった。流しの前には直径60センチの丸テーブルが置かれている。ほかにも遊ぶ場所としては部屋の手洗い場の前あたりにじゅうたんを引いてそこに本を置いて絵本コーナーを造ったりもする。

自然の中では子どもは自分たちで遊ぶ。自然は偉大だ。子どもたちが遊びたいなと思える環境をそろえている。しかし室内の、何もないところで、だれもいないところではさすがの子どもたちもなかなか遊べない。おもちゃを置いたり、運動あそびをするためのマットや大型積み木を置いたり、保育者が遊んだりという、保育のための環境を用意する必要がある。

以前、僕たちの園では遊ぶときは保育士が、押入れから遊具を取り出し、子どもに与えていた。しかし、それでは子どもはすぐ飽きて、部屋を走り回ったり、けんかをしたり、部屋全体がざわつきの中にあった。保育士は何とか静かにさせようと、大声を張り上げ、そうして子どもはますます落ち着かなくなるということが日常茶飯事だった。僕たちが望んだのは子どもたちが、遊びに集中することだ。それでこそ楽しい。そこで園長が研修で知った「子どもの主体性を尊重する保育」を実践している保育園に研修に行き、そこの園長先生にも実際にお話を聞いて、その園で実践している保育室の環境づくりを僕らもやってみることにした。今までの何もない保育室に、棚やパーテーションを使ってスペースを区切る。そこにおもちゃを置いて、ままごと、絵本、ブロックなどの遊びのコーナーを作る。そして子どもたちが自分で好きなこと、好きなものを選んで遊ぶということにした。初めに3歳以上児のクラスから始め、手ごたえを感じて、今では全クラスに広がっている。これですべてが解決しているわけではなく、まだまだやるべきことはあった。子どもが楽しく遊ぶ、そのために最適な環境はどのようなものか、それがなかなか難しかった。子どもたちは日々成長発達する。「今」はこれでよくとも「明日」は適切かどうか、常に検証しなければならないし、そもそも「今」はこれでよいのか、保育士たちの日ごろの話し合いの中心的なテーマでもある。だが少なくとも、子どもの主体性を尊重し、自発的な遊びを行える環境をどう作るかという目標を、僕たち保育士が共通認識として持てたということは大きかった。話し合いの中で具体的なテーマが明確になったことで、もともとアイデア豊富な若い人が議論に積極的に加われるようになり、押し黙り気味で、主任やリーダーしか言葉を発しないクラス会議が活性化した。

 遊びは子どもにとって大切なことは言うまでもない。遊ぶことで、身体の成長であったり、社会的なルールであったり、コミュニケーションであったりを身に付けるという。その大前提は人に言われて遊ぶことではなく、自分から遊ぶということだ。そして保育士は、子どもたちの求めに応じて、援助したり、時には察して、環境を整えたりすることも必要になる。子どもは何といっても生まれてから数年しかたっていない。より長く人生を生きている、大人の適切な支援は必ず必要になる。

 

小麦粉粘土が終わり、子どもたちがみな遊びのコーナーで遊び始めた。学、友則、ワキはくるみさんが迎えに行った。

キッチンの前の丸テーブルには幸男とタマヨと部屋に戻ってきた学がいた。丸テーブルにくるみさんがペットボトルと色水でつくった、グレープジュース、メロンジュース、イチゴジュースが並べられていた。これから宴会が始まるらしい。畳のところでは浩司と俊之が猫のキャラクターのクッションをいくつか並べ、寝たり起きたりしていた。いまいち寝心地が良くないようだ。ユリと豊はレールを長くつなぐこと一生懸命だった。しばらく列車は出発しそうにない。

ロッカーの前あたりでくるみさんとワキと友則が0歳児室から借りてきたおおもちゃで遊んでいた。プラ製の筒状の上からガチャガチャぐらいの大きさの玉を入れるとくるくると筒の中でループ状になった道を通って落ちてくる。玉は5個あるので多くの子どもは、玉が下の出口から転がり落ちるとすぐに拾ってまた上から次々に入れる。本来は落ちてきたところで玉が止まるのだが、部品がなくなって止まらず、手で止めないとコロコロ転がっていく。だがワキと友則はなぜか落ちてきたら転がるのに任せ、あらぬ方向に転がるのを眺めて、ある程度転がったらワキが取りに行く。ワキが戻ってきて筒に入れようとする時、友則がそれを無理やり取ろうとする。それを振り切り、ワキが玉を入れる。というようなことを繰り返していた。そばにいたくるみさんが

「ともくん、ここにもたま、あるよ。」

と言うのだが、ワキの持っているものがいいらしい。ワキの振り切り方も断固として渡さない、気概にあふれていたので、くるみさんもトラブルになる前に、もう一つ、0歳児室から借りてきた、六角錐のような形をして各面に、蛇口をひねれば蛇口の音、ドアチャイムを押せばチャイムの音が鳴ったり、リモコンを押したり、電気コンセントを差したりできるおもちゃを、友則に近づけ、チャイムの音を鳴らすと、友則もそちらに興味を移したが、玉を拾いに行って戻ってきたワキも玉をぶん投げて、音を鳴らし始めた。幸い6面あるのでかぶることはなく、くるみさんも少し笑みを浮かべて二人を見ていた。

 僕は手洗い場の前で千代、薫、綾子に綾子が

「これよんでー。」

と思ったよりもはっきり言いながら持ってきた、「もこもこ」を読んでいた。

千代、薫、綾子は3人とも足を伸ばして並んで座っていた。真剣に絵本を見ながら「ぱく」とか「ぎらぎら」とか「パチン」とか、場面が急に変わるところでちょっと感じたドキドキ感をお互い確認するように顔を見合わせていた。子どもたちは印象的な「もこ」とか「ぱく」とか「ぱちん」とかの音しか出てこない絵本にくぎ付けになる。子どもたちにとって「音」と絵がぴったり合って、言葉の意味がよくわかるに違いない。このクラスはそういった言葉に満ちている。「しーしー」「あわわ」「にぎにぎ」「ちっくん」。こういう言葉は動きや感触を何となく想像できるらしく、子どもたちの言葉の理解にとても役に立っているようだ。薫や千代は随分言葉が増えている。彼女たちより少し月齢の低い幸男もかなり言葉は多い。クラス全体であまり言葉が飛び交っていないところで聞く言葉は印象的だ。0歳児クラスだと「ワンワン」「にゃんにゃん」などのものの名前が多いのだろうけど、1歳児クラスはやり取りの言葉が目立ってくる。まずは人の名前。「まーくん」「こうちゃん」「あやちゃん」「ちよちゃん」は耳にした。この間、ユリ、タマヨ、幸男が3人で「せーの、ゆーくーん」と豊を呼んでいたのにはびっくりした。「せーの」だって、すごい!と思った。

そして僕たちの名前も呼んでくれる。「くーみん」「たーくん」。最初に呼んでくれたのは、やはり薫だった。うれしくなって、自分の顔を指さして薫に「このひとだーれ。」と聞くと「たーくん」と答えてくれて、もう一回聞こうとしたがそれはさすがに自重した。他のクラスに行けば「たまだくん」「くるみさん」だが1歳児クラスでは「たーくん」「くーみん」だ。たまにお手伝いに5歳児が来て僕が1歳児に自分のことを「たーくん」と言っていると不思議そうな顔をして「たーくん?たまだくんでしょ。」と訂正してくれるが僕は半笑いで流してしまう。

 生活や遊びの場面のやり取りの言葉も増えてきた。

「はい、どうぞ」「まぜて」「いいよ」「かして」「も、いっかい」「どーけーて」「おいで」。

 ことばのない0歳児のころから、遊びの場面をはじめ、生活のいろいろな場面で保育士が丁寧に言葉を伝えながらルールを教えていたのだろう。その言葉を子どもたちはしっかり聞いている。あひるブランコで千代が「いちー、にー、さあーん、こーたいー。」と言ったり、午睡明けに友だちに「しーしー、いくよー」と言ったことも保育士の言葉をしっかり聞いていたからだと思う。ただし幸男がワキに「おすわり、めっ!」と言ったことはくるみさんも僕も身に覚えがないといえばない。

給食の時もよく言葉が出る。

「おかわり」「おいしい」「いたまーす(いただきます)」「ごっちゃまー」

「おつゆ、もっと」「スープちょうだい」「もっとちょうだい」「パンおかわり」

子どもたちの欲望に基づくこころの叫び見たいなのを感じて、案外言葉の始まりは食事の場面じゃないのかという気がしてくる。

そして、挨拶

「ばいばい」「かんぱーい」

「ばいばい」にしろ「かんぱい」にしろジェスチャアーがついているので比較的覚えやすくて、言いやすい言葉かもしれない。タマヨは浩司に「バイバイ」と言ったあと「タッチ―」と言って手のひらを合わせていた。人差し指を出して「もいっかい」もそうだ。ユリが「Vサイン」をして「にさい」と言っていた。

この間トイレで千代が「しーしーでたー」ユリが「うんちでたー」と言っていた。二人に限らず2歳前後の子は時折、2語文も出てくる。

 

先日、くるみさんが

「たまだくん!じけんです!」

と午睡時、お便り帳を書こうとしたときに、すこし興奮気味に言った。

「どないしてん?われわれ、またなんかやらかしてもうたか?」

「ちがうんです。よっちゃんがー!」

「よっちゃんがどないしたー?」

「よっちゃんが『うんちー』って言いましたー!」

「またー、よっちゃんは『ワンワン』しか聞いたことないで。」

「ほんとなんですー。」

「へー、すごいやないかい。」

「まだあるんですー。」

「なにがあんねん?」

「まーくんがー。」

「まーくんがどないしてん?」

「ちんちん指して『しー』言いました!」

「ちんちん指して『ちんちん』やのうて『しー』言うたんかー!わかっとるやないかー。」

「まだあるんですー。」

「まだあんのかいー!今度はだれやねん?」

「ともくんですー。」

「なにやってん?」

「トイレでうんちしましたー。」

「おしっこもせんうちに、うんちがさきかいなー」

「おしっこもしましたー。」

「両方できたんかいなー。」

「おしっこは便器からこぼしましたー。」

「ちょっと失敗かー。」

「でも、自分でぞうきんでふいてましたー。」

「自分の下の世話までやったんかいなー、それ、きせきやがな!」

言葉もあまり出ていない早生まれのちびっこたちが、思わぬところで成長を見せたりすることもあり、言葉が出ていないからといていってわからない、できないということは全くない。

 

畳のところでクッションを並べ替えたり、格子状の板のところで寝転んだりして遊んでいた浩司と俊之も別に話をしながら遊んでいるわけでもなかった。勝手にクッションを並べたり、時には友だちのことを真似したりして、結構、よろしくやっている。浩司も俊之も言葉が出ているほうではないが「わかっている。」基本的には言葉を発するよりは理解するほうがある程度先行していると思われる。

浩司は2歳になったばかりなのでもっとお話をしてもいいが、話よりも表情が豊かで愛想や愛嬌がある。言葉がなくても「わかってるな。」ということをよく感じる。流しでユリが水を出しっぱなしにしているときに僕の手を引っ張ってご注進におよんだし、おやつの時、薫が遊んでいてなかなかテーブルにつかなかったときに、薫のエプロンを持ってきて薫にあげて、テーブルにつくように促したりしていた。つい先日、給食の時、途中で進みが止まってきょろきょろし始めたので

「こうちゃん、はやくたべたら。」

と言ったら、口をめいっぱい開けた。口の中にはコンブがみえた。もぐもぐしててもなかなか呑み込めないというアピールだと思う。

「あっ」

と僕が絶句した後、浩司は「にかっ」と笑った。

 くるみさんが言うには、くるみさん手作りの1歳児クラス写真名鑑を俊之に見せて名前を聞いたところ、「くーみん」と「まーくん」だけ言えたらしい。それじゃ―ということで、僕もやってみた。僕の写真が出たとき

「このひとだーれ?」

と聞いたら、僕を指さした。

「おなまえは?」

と再度聞いたがやはり僕を指さした。彼にとって僕の名前はまだ必要でなかったらしい。

最近、綾子やユリなどの慎重派が目鼻のない顔や、虫を見て「こわいー」という言葉を発するようになった。子どもにとって「うれしい」、「たのしい」ではなく恐れや不安が先に立つんだなーと思った。

これから子どもたちは続々と言葉の表出が大幅に増えてくる2歳になっていく。僕たちはまだ話すこともできない0歳児のころから子どもたちに話しかけている。赤ちゃんをはじめ小さな子どもには大人は知らず知らずにわかりやすいと思える言葉で話している。子どもたちは家族や僕たち保育士、そして園の友だちたちの言葉に触れ、ますます使える言葉を増やし、言葉によるコミュニケーションが主なものになっていくことだろう。コミュニケーションで何より大切なのは相手に理解してほしい、相手を理解したいという「心持ち」だと思う。コミュニケーションの手段は言葉に限らない。言葉が不明瞭であったり、話せなかったりする場合もある。そんな時に「むりっ!」などと思わず、何とか分かり合える方法を諦めず探る意思の礎を子どもたちには持ってもらいたい。   

ある日の午睡の後、千代、綾子、タマヨが布団の上に集まって、絵本を見たり、突然「パタッ」と言いながら倒れたり、「おしまい」と言って絵本を閉じたりしながら、けらけらと笑っていた。そこまでお話をしてるわけでもなかったが、立派な「女子トーク」だった。多少言葉が通じなくてもコミュニケーションにとって心地よい時間や空間を共有しようとする気持ちが大切なんだなと思える瞬間だった。

 

10分から15分で遊びに飽きる子は飽き始めた。口火を切ったのは、体を動かすのが大好きな豊と幸男だ。なんだか二人で追いかけっこを始めた。さらに俊之、ワキ、友則あたりは基本的に室外に興味があるのでそわそわし始める。

「おへやでははしりません!」

といったところで根本的には活動エネルギーにみなぎっている1歳児を止めることはなかなかできない。概ね予想はしていた。

 

「たまだくん、明日どうします?また雨っぽいですよ。」

流しの前に机を置いて僕たちは午睡時に書きものをする。向かいに座っていたくるみさんが連絡帳を書いていた手を止めて僕に言った。昨日のことだ。昨日やっぱり雨で、お部屋で遊んでいたんだけれど、体を持て余し気味の豊や、幸男、俊之、ワキ、友則あたりがお部屋を走り始めた。僕たちは慌てて運動コーナーを造り始めたのだけれど、豊とワキが正面からぶつかり、二人とも大泣きを始めた。くるみさんは二人のおでこを冷やしながら、二人をなだめ、僕はとりあえず、折り畳みのトンネルと50㎝四方で高さ10センチのジャンピングマットを3つほど並べた。その泣き声に反応して部屋全体がそわそわし始め、そのうえ子どもたちは新し物好きだ。遊びのコーナーで遊んでいた子どもたちが一斉にトンネルに集まり、連休中の高速道路状態になり、慌てて僕がトンネルの入り口でけがのないよう、「じゅんばんこ、じゅんばんこ!」と一人ずつ進むよう声を掛けたが、我先にトンネルに進もうとする。入り口でもみ合っている浩司と千代を引き離して、一人ずつ入れると次の学からスムーズになった。やれやれ、と思って後ろを見ると、主任のモコさんが子どもたちを並ばせていた。僕の顔がひどかったんだと思う。モコさんが笑いながら

「おっちゃん、だいじょうぶ?」

と聞いた。ぼくは

「はぁー」

と応えるのが精いっぱいだった。

 モコさんは結構、園内をうろうろしている。活動中、子どもの様子はどうか、楽しそうか、保育士の数は足りてるか、安全は保たれているか、などなど。僕たち1歳児クラスは特に目をかけてくれている。おっさん保育士と若手では心もとないのは十分にわかる。子どもの泣き声が聞こえたので部屋をのぞいてみたら案の定だったということだ。モコさんは給食前まで部屋にいてくれ、おトイレや手洗いを手伝ってくれた後、部屋を出る際に、

「たまだくーん、最低五つか六つは考えてたほうがいいよ。活動。」

と言って出ていった。

 

「今日は、ごめんなー。なんか段取りがまずくて。豊くんとワキちゃん、たいしたことなくてよかったね。」

「ワキちゃんのおでこに少したんこぶできたぐらいでしたね。でもなんで砂糖水なんですか。」

 静さんがワキのおでこに砂糖水をぬって

「これで大丈夫!」

とワキに言っていた。そのあと、ワキはたまたま手についてたのが口に入ったに違いない、おでこを触ってその指をぺろぺろとなめていた。

「なんでかな、うちでも連れ合いがやってたけど。」

僕自身はおまじないのたぐいだと思っていたけれどれっきとしたプロがやったのだからなんか理由はあるはずだ。今度聞いてみようと思った。

「モコさんが5,6個活動、考えとけって言ってた。」

「活動は、小麦粉粘土しようと思ってたんですよ。そのあとですよね。」

「くるみさんの引き出しに何ある?」

「体操、運動遊び、紙芝居、わらべうた、園内さんぽ、あと、お絵かきとかシール貼りですか。」

「その順番でやっていく?粘土が一斉に終わることないから、飽きた子はコーナーで遊んでてもらうとして、今日みたいに落ち着きがなくなってきたらロッカー前あたりで体操して、その間に運動コーナー作っとくか?そのあと園内さんぽして、図書コーナーで絵本読むかしたら給食の準備ぐらいになるかな。今日誰か、来てくれるんでしょ?」

「となりから誰か来てくれると思います。」

「0歳?2歳?」

「0です。」

「粘土の準備する?」

「はい、お便り書いたら、します。」

「了解でーす。」

 

という昨日の反省を一応踏まえた入念?な打ち合わせを行った。打ち合わせ通り、くるみさんが幸男と豊、友則、ワキ、友則に声を掛け、ロッカーの前に移動した。僕も絵本に少し飽きてきていたような千代、薫、綾子に

「あれっ、なにかはじまるかもよ。」

と言って、くるみさんたちのほうに注意を促した。くるみさんがロッカーの上にあるラジカセのプレイボタンを押すと独特のイントロが流れ始めた。千代たちはすぐにそれと察して、絵本を箱の中に入れてくるみさんたちのほうへ行った。

「おはようさんのおおごえと♬」

流れてきたのは「ミックスジュース」だ。単純な振りと、五味太郎氏の「ぶちこんで」みたいなちょっと子どもの歌には見られない豪快な詩、テンポの良いメロディー、子どもたちがすぐにノリノリになる、このクラスでは一番人気の曲だ。

「あ・た・ま、かーた、お・な・か、あーし」

くるみさんが子どもたちのほうを向いて振りを教えながら踊っていると、遊びのコーナーから、次々と子どもたちがやってくる。

「だーかーら」

のところで腰に手を当ててひざを曲げてリズムをとるのだが、1歳児はまだ屈伸がうまくできない子どもが多く、ひざではなく上半身を前屈させる。さらに

「ミックスジュース、ミックスジュース、ミックスジュース」

は片足を半歩前にして、こぶしを作って両手を軽く曲げ「いや、いや」と腰を左右交互にねじる。それがリズムに乗れず、やたら早かったりする。その一連の動作が可愛らしく、くるみさんが

「発表会でみんなに見せたいですよね。」

と言う、一推しの踊りだった。

 全員が踊りだし、遊びのコーナーに子どもたちはいなくなった。おもちゃはそのままだ。丸テーブルは宴の後だし、クッションは散乱している。レールは続くよどこまでもだ。保育士は誰もがその散乱ぶりにため息をつくだろうし、僕もやれやれと思わないではない。ただ、わが身を振り返れば学生時代の下宿生活はひどいものだった。布団は万年布団だし、テーブルは連夜の宴の後がそのままだった。親が見たら卒倒しただろう。そんな僕も、一応かたづけぐらいはできるようになった。「今、しつけないと大変なことになる。」そんなことはない。そのうち1歳児も、後片付けぐらいはできるようになるだろう。それに1歳児はローテーションで遊ぶとも言われている。体操や運動遊びのさなかそれらに飽きてまた宴会をやり直したり、まったりしなおしたりすることもあるだろう。あまり、その都度片づけることに神経質になることもない。

僕はさっきまで小麦粉粘土をしていたスペースに配膳台の横に置いてあった太鼓橋を置き、押し入れからジャヤンピングマットを6つ、更に高さ15センチ幅15センチ長さ1メートルの樹脂製乳幼児用「平均台」を3つ並べた。

 「ミックスジュース」の後「エビカニクス」「ラーメン体操」「手のひらを太陽に」「はとぽっぽ」と続いた。このCD、実はくるみさんが子どもたちのお気に入りの体操をピックアップして作ったもので、いちいち選曲している間に子どもたちが飽きてしまわないようにという配慮だった。運動コーナーを段取りしてから、僕も体操に加わった。体力には自信のあるほうではあったが歳も歳だ。さすがにこの歳になると、無理はしないでおこう、今ある体力を維持していこう、と言う意識が先に立つ。その点これらの体操は今の僕にはちょうどいい。子どもたちも嬉しそうに体を動かしている。

 一通り終わると、学、ユリ、千代、綾子など体操と言うか踊り好きの子どもたちは皆人差し指を出して

「もいっかい、もいっかい。」

「もういっかいする?」

とくるみさんが聞くと子どもたちはうんうんとうなずき

「じゃーかけるよー。」

とくるみさんはそう言いながらプレイボタンを押した。

 そのほかの面々はちょっと振り返ると見えた運動コーナーに吸い寄せられていった。幸男、豊、ワキ、俊之は一斉に太鼓橋に登ろうとしたので

「はいはい、じゅんばんこ、じゅんばんこ。」

と言いながら、僕は片手で遮断機を作りながら、一人ずつ上らせていった。最初に登った幸男がUターンをして反対から登ろうとしたので、

「はいはい、ここはUターンは、ばつーだからね、もういっかいこっちきてね。」

と両手でバッテンを作りながら言うと幸男と豊はすぐに理解してくれて戻ってきてくれた。前の幸男と豊の姿を見てワキと俊之も悟ったようで登り終わったら戻ってきた。薫とタマヨは平均台を歩き、友則はジャンプマットでなぜかハイハイをしていた。

太鼓橋も平均台も僕は実はひやひやしていた。自分では勝手にサーキット運動のつもりだった。スタートはどこでもいいんだけれど、太鼓橋、平均台、ジャンプマットと子どもたちが順番に同じ方向で行う姿を頭で思い描いていた。子どもたちが正面から向き合うと、けがや、ひっかき、かみつきのリスクが高まる。そのために一方通行で行ってほしかったのだが、子どもたちに説明したわけでもないので、自分勝手な妄想に過ぎなかった。近々、みんなに説明しながらサーキット運動をする機会を作ったほうがいいようだ。

 

保育園というところは大金持ちと言うわけではないので飽きているからと言ってすぐにおもちゃを買ってもらえるわけでもない。同じおもちゃで、何回も何回も遊ばなければならない。それでもいつでも大丈夫かと言うとそんなことは決してない。そこは保育士が絶えず興味関心をそそるような環境を工夫しなければならないところだ。ままごとであれば、メニュー表を作ったり、色水ジュースを作ったり、テーブルクロスをかけたりエプロンを用意したり。まったりコーナーに天井から天蓋をつるしたり、牛乳の空き箱でソファを作ったり、手作りおもちゃを作ったり、運動コーナーを造ったり、お絵かきやシールコーナーを作ったり。

子どもたちは、「そこにあるもの」を使って本当に上手に遊ぶ。しかし、時として保育士としてそのままにしておくことはできないときもある。そんな時、くるみさんは、子どもたちの興味関心をそのままにいろいろと考えて子どもたちに声をかける。壁や扉をと叩く子どもがいれば、太鼓やタンバリンを用意しこれで音を鳴らしてとお願いし、テーブルやロッカーに登ろうとする子どもがいれば、大型積み木を用意して、登るのであればここにしてと諭し、流しの中に入る子どもがいれば人が入れるくらいの段ボール箱と洗面器を用意して、ここが風呂場だと教えている。

保育士が大変と言われることの一つに保育環境の準備をしなければならないことがある。基本、今の配置基準では勤務時間内は常に子どもとともにいる。そこから環境なり、手作りおもちゃなりを作っていかなければならない。くるみさんなんかは家でおもちゃを作ってくる。子どものためを思って行っていることを「そんなんたいへんだからやめたら。」とは言えない。事務時間も含め、主任さんやフリーさんにお願いしてほんの少しの時間、あがらせてもらえるぐらいしか今のところ手立てはない。

 

体操チームが運動コーナーや遊びのコーナーに合流してきた。そこで遊びに熱中できるのであれば次の予定の園内さんぽはなしになり、そのままおトイレに行ったり、手を洗ったりして給食準備になる。保育室の環境、とりわけ遊びのコーナーについて、主任のモコさんや他の保育士のアドバイスを受けながらくるみさんと話をして、工夫していく必要がある。雨の日に限らず、お部屋で子どもたちが充実して楽しく過ごせるようになれば、保育士が次は何をしようかとバタバタすることもなく、なにより遊びの幅が広がり、子どもたちの心と体の成長の助けになると思う。

ある日、モコさんに

「保育室もディズニーランドやUSJにも負けないワンダーランドにしたいですね。」

と言ったら

「たまだくーん、行ったことあんの?」

と聞かれた。

「いや、ないです。」

と少し恥ずかし気に答えたら

「そうだろうね。」

と言ってから少し押し黙っていた。モコさんのプライベートを知る由もないが、だれもがみんな楽しいと思い込むのは少し考えたほうが良いのかな、という教訓を得たような気がした。