5,初秋 コスモス
あれだけ上を向いていたヒマワリがすっかりその色を落し、下を向き、腰を曲げ、その姿を不憫に思った誰かが、園庭整備の時に抜いた後、しばらく色味のなくなった花壇に、気が付くとコスモスが咲き乱れている。園の花壇に秋口に咲く花がなかったのでパートの渡辺さんが
「秋と言えば『秋桜』でしょ。」
ということで種をまいてくれた。花びらがないと草むらに生えている雑草かと見間違えてしまうが、すこし目線をあげると、桃系や赤系の花が少なくとも10輪、いやそれ以上咲いている。背が高く、細いうえに花びらも体全体に比べれば小さいので、少しの風でもゆらゆらと揺れている。それが、暑い夏をやっとしのいだ子どもたちや僕たちに多少は過ごしやすくなった秋を感じさせてくれる。
僕が小さいころは工作の時などコスモスの花びらをよく作らされた覚えがある。折り紙を細長く何本か切って、先に切れ目を入れ角度を変えながら重ねて貼って最後に黄色の丸いのを中央に貼って出来上がり。そのころはまだまだ空き地や野原があってよく群生しているのを見かける、身近な植物だった。最近街中で見かけなくなった原因の一つにはそれらの土地が減ったからのような気がする。渡辺さんや僕やのび太たちが遊んだ空き地や野原は都会ではもうすっかりなくなってしまった。大人の指図を受けない子どもたちだけの世界。そこで子どもたちは他人とのやり取りを覚え、ルールを覚えた。もっと身近な道路でも遊んだ。今や土地は建物、道路は車に占拠されてしまった。一方、都市よりも少子化の進む地方では空き地があってもそこで遊ぶ子どもがいなくなったという。
そんな中、園庭は都市では数少ない子ども専用の空間だ。うちの園では子どもたちはそこで大人の干渉を受けず、自由に遊び、僕たち保育士はできるだけ口を出さずそれを見守っていくことにしている。当初、体育会系昭和のおっさんである僕は外に出ると部活の時の癖で、大声を出して「あれしない、これしない」となんだかんだ言いがちであったが、モコさんに
「たまだくーーん、声がでかいー。こどもが驚くー。注意しすぎー。できるだけ見ててあげて―。よっぽど言いたいことがあるんだったら、そばに寄ってそっと言ってあげて―。」
とよく言われた。「あれすんなー、これすんなー。こーせんかいー、しっかりせんかい!気が抜けるー!」と部活で先輩に怒られ続け、後輩に怒り続けた僕にとって一種のカルチャーショックだった。「戸外の活動で大声を出してはいけない、注意をしてはいけない」など、全く受け入れがたかったがさすがにモコさんに面と向かって逆らえず、我慢をしておとなしくしていたらそのうち大声を出して注意せずとも、少し我慢をし、用があれば近づいて言えば事足りることが分かった。「大声」は町内会の早朝ソフトボールの時に昭和のおっさん連中と一緒に出していざと言うときに備えている。
朝のおやつを食べ終わった後、僕は部屋の入り口の前で自分の帽子をかぶって黙って座った。保育士が「あーしろ、こーしろ」と言わなくても自分で動けるようにできるだけ声はかけないようにしていた。だからいろいろな場面で「待つ」ことになる。特に活動などの切り替わりの場面で「待つ」ことは多い。遊びから排泄、手洗い、おやつや給食、外に出るとき、入るとき等。時間の制約や安全のこともあるので全く声をかけないわけにはいかないが、声をかける際は子ども自身が「自ら」という余地を残した声掛けになる。「くるみさん、おいしそうなおやつ、準備しているよ。」「ほら、みてごらん、お友だちはお部屋に入って給食を食べるみたいだよ。」「一人で、おトイレいけるかな、かっこいいとこみたいなー。」など。自分の子どもに言ったような「はやくしないとメシ、ないぞ!」「てあらいしないと、てがくさってなくなるぞ。」などという乱暴なことを言ったことは真摯に反省している。その時は大人が怖くてするだろうけど長い目で考えれば人への信頼を失うきっかけになるだろうし、言われてしたとしても「した」ことにはならない。人は生まれながらにして主体的な生き物だ。自分で納得して行動することこそが、人と言える。
最初に寄ってきたのは薫だ。
「たーくん、てつだって。」
と靴下を持っている右手を差し出した。左手には帽子を持っている。
「いいよ。おすわりして。」
僕がそう言うと足を前に投げ出して座った。足の指さきに靴下をかぶせてあげた。
「はいてごらん。」
そう言うと薫は難なく両手で引っ張って靴下をはくことができた。靴下の先っぽににゃんこの目がついている。
「じょうず、はんたいもね。」
そう言いながら反対の足の指さきにも靴下をかぶせると同じようににゃんこの目が現れた。薫が靴下をはいている間に、幸男、豊、千代、ユリが周りに寄ってきて同じように足を前に投げ出して座った。豊が黙って靴下を差し出すので
「てつだって、だよ。」
と言うと、豊は
「てつだって。」
と僕に向かって言った。
「いいよ。」
と返答し、指先に靴下をかぶせた。同じように幸男、千代のお手伝いをした後
「てつだってください!」
と怒鳴るようにユリが言うので
「やさしくね。」
とユリに言うとユリは声を落して
「てつだってください。」
と言った。
「すごいね、ちゃんとやさしくいえたね。」
とユリに言ったがユリは当たり前と思ったのか表情を変えずに靴下を差し出した。あと一人はいける。1歳児の最低基準、保育士一人に子ども6人という数字が頭をよぎった。
「あと一人、誰かこれそう?」
ユリの指先に靴下をかぶせながら、まだ食べている子どもたちを見ていたくるみさんに聞くと
「タマちゃんが食べ終わってます。タマちゃん、そといく?」
とタマヨに聞くとタマヨはおしぼりで口をふきながら
「うん」
と答えた。
「タマちゃん、まっててあげてね。」
と靴下をはき終わった子どもたちに言うと
「いいよー。」
と薫が代表して答えてくれた。
タマヨが靴下をはき終わったので
「タマちゃん、いい?」
と聞くとタマヨはこっくりうなずき、なぜか豊が
「いいよー。」
と元気よく返事をした。部屋の扉をあけ、廊下からテラスに通じるサッシの引き戸を開けて、その場で子どもたちが出るのを僕は見ていた。子どもたちは次々と部屋からテラスに出てきて、靴箱から自分の靴を取ってベンチに座って靴を履き始めた。僕はひと先早く園庭に出て、子どもたちの様子を見ていた。靴箱の前で幸男が立ってベンチと靴箱を交互に見ていた。何してるんだろうと思ったら靴箱から誰かの靴を取って、隣のタマヨに何やら話しかけていた千代の前に靴を差し出した。靴を差し出されて、最初は怪訝そうな表情を浮かべていた千代は、それが自分のだとわかると少し微笑んで受け取った。靴を渡した幸男は席の空いているところに座って靴を履き始めた。千代がなぜ靴を取り忘れたのかわからないが、外に出るのがうれしくて張り切りすぎたのかもしれない。幸男はこの間も薫にエプロンを持って行ってあげていた。友だちのことをよく見てるんだなと改めて感心する。
子どもたちがテラスから次々に出てきた。僕は子どもたちを見ながら南の砂場方向に走ると、子どもたちもキャッキャと言いながらついてきた。砂場の前に来ると子どもたちに
「よーいどん、しよっ。」
と言いながら足で線を引いた。
「いい?いくよー。」
線を引いたからと言って子どもたちが並んで「位置について」をしているわけではなく、ごちゃごちゃと固まっている。その中でもいっちょ前に構えているのは薫だ。
「よーいどん!」
僕と薫が走り始めると、子どもたちは真似をして走り出した。走る格好はそこそこ様になってる。子どもたちは口を開けて、笑いながら走る。走れることがうれしい、走ること自体が楽しい。北側の3,4,5歳児室の前まで来ると子どもたちは
「もいっかい、もいっかい」
と僕に言った。僕たちはまた南側に走り、南側から北側にまた走った。そのうち
くるみさんと浩司、綾子、俊之、友則、学、が出てきた。くるみさんはCDラジカセを持っていた。
「よっちゃんは?」
良彦の姿が見えなかった。
「うんちです。渡辺さんに替えてもらってます。」
今日の朝のヘルプは渡辺さんだった。
「体操する?」
「はい、まーくんが、踊りたいって言うんで、たまに外でもいいかなと思って。」
「そうだね。」
学は踊り好きだ。踊りたいと少しぐずったのかもしれない。ラジカセをくるみさんがもっていたので、ランニングチームも走るのをやめて、くるみさんのまわりに寄ってきた。くるみさんがラジカセを地面に置いて鳴らし始めると、子どもたちはいっせいに踊り始めた。外で踊るのはまた室内とは違うようで、体をのびのびと動かしているように見えるから不思議だ。接触の心配なんかしなくてもいいからかもしれない。1歳児が踊っていると、若草色の帽子をかぶった2歳児が外に出てきて一緒に踊り始めた。さすがに2歳児は1歳児に比べて踊りはキレキレだ。先輩の踊りを見て、1歳児はまた、踊りがうまくなるだろう。
徐々にダンスに飽きた子どもたちは散り散りに遊び始めた。火曜と木曜は3,4,5歳児は室内で活動した後、外に出てくる。それまでは0,1,2歳児は園庭で遠慮なく遊べる。
渡辺さんが良彦を連れて出てきた。
「よっちゃん、でまーす。」
「ありがとうございます。これ部屋に持って行ってもらっていいですか。」
とくるみさんがラジカセを少し掲げて言った。
「いいよー。」
と言いながら渡辺さんはラジカセを受け取り
「おねがいしましまーす。」
と言って、部屋に入っていった。
「よっちゃん、いこか。」
とくるみさんが良彦に言うと良彦は砂場のほうに向かっていき、そのあとをくるみさんがついて行った。
園庭の東側に高さ1メートル、長さ2.5メートルほどのコンクリート製のヒューム管が置いてある。のび太たちが遊んでいた空き地に置かれていた「土管」と言われるものだ。土を焼いて作ったものを土管とか陶管、コンクリートのものをヒューム管という。下水道に使われるものだ。その中にござを敷いて薫と千代がままごとをしていた。園庭の中央では幸男と俊之がフラフープの輪の中に二人で入って電車ごっこをしていた。豊と浩司は向かい合ってサッカーボールをけりあっている。どれも大きい子どもの遊びでよく見かける。
南側に砂場があって、綾子、タマヨ、学、良彦、ユリがたぶんおままごとをしている。そのそばにくるみさんがいて、一緒に遊んでいた。砂場とヒューム管の間には公園にあるような普通の滑り台があり、園庭のところどころにハナミズキや、ナナカマドの木があった。ワキはすべり台下のちょっとした草むらで何やら探し、友則は園庭中央で豊と浩司のサッカーや2歳児の鬼ごっこを見ていた。僕はぶらぶらしながらヒューム管のそばに行ってみた。薫と千代はコップを持ち込んでお互いに
「はいどうぞ」
「ありがと」
「はいどうぞ」
「ありがと」
を繰り返しながら、青い一つのコップをやり取りしていた。そのうち千代が薫の持っていた赤いスコップを指さして
「かして」
と言ったので、薫は
「もってきてあげるー」
と言って、赤いスコップを握りしめたまま砂場のほうに走っていった。
園庭の中央にいる幸男と俊之はフラフープをその辺において、かんぽっくりを持ってきていた。できるのかなと思って少し見ていたが、二人とも乗らずに引きずって歩いていた、どうやら犬の散歩のようなことをしているようだ。
「さちくん、としちゃん、のらないの?」
と聞くと幸男が
「できないよー。」
と言って、また二人でかんぽっくりを引きずって行ってしまった。
豊と浩司のボールのけりあいは、必ずしもうまくはいってない。正確に相手のほうに蹴るのはやはり難しい。二人とも、あらぬ方向に行くボールを黙って追いかけ、元いた場所にボールを置いて、ボーンと蹴って、また相手があらぬ方向に行ったボールを取りに行くということを繰り返していた。
少数同士で遊んでいる1歳児に比べると、2歳児はより多くの人数で、鬼ごっこのようなものをしたり、ダイナミックに滑り台を滑ったり、ヒューム管の上に登ったりしていた。1歳児に比べれば体の動きはまるでちがい、1年の成長を感じる。2歳児は誰かが休みなのか13,4人で、担任のめぇーちゃん、ろくさん、るんるんが3人とも園庭に出て散らばり子どもたちの様子を見ていた。1歳児担任の僕らにとって、随分体の使い方がうまくなってけがが少なくなったとはいえ1歳児の動きをカバーするには園庭は少し広い。そんな時、2歳児クラスと連携することで子どもたちの動きをカバーすることができ、安全性はもちろん子どもたちの発達の様子についてもお互い知りえた情報を共有することができた。
事務所脇の出入り口から藤色の帽子をかぶった子どもたちが出てきた。一時保育の子どもたちだ。一人は担当のたにやん(谷川、35)に抱っこされていた。たにやんにだっこされている子どもは、今日、初めて来たか、そうでなくてもあまり慣れていない子のように見える。もはや頼るのはたにやんだけ、という心境だろう。他に1,2歳の子が3人ほどいる。仮に3歳以上児がいたときは、本人の希望にもよるが大きいクラスで遊ぶこともある。僕は保育士1年目が一時保育担当だった。その時コンビを組んだのが主任のモコさん。モコさんは主任と兼務だった。
「『一時保育』は園の顔よ。」
モコさんには最初にこう言われた。子育て支援の一つとして地域に開かれ、いろいろな子どもとその保護者と支援を通して顔を合わせる。地域に最も近い福祉施設としての保育園の窓口として、子育て家庭と地域を結ぶ役割があり、ひいては自園だけではなく保育園というものはどういうところなのかを、いずれ利用するかもしれない子育て家庭に紹介する役割もあるとのことだった。
一時保育の利用は様々だ。ちょっとした仕事だったり、急な用事だったり、育児のリフレッシュだったりする。だから仕方がないこととはいえ、子どもたちにとっては急に保育園に行くことが多い。事前に面接をして、少し部屋で遊んでもらうのだけれど、それこそアリバイ作りと言われても仕方がない。受け入れ時にいきなりおっさんが現れると親子ともども驚くかもしれないからという理由で事前面接は僕がするようにとモコさんに言われていた。その短い時間でどれだけなじんでもらうかということは大事なので、できるだけ穏やかな物言いに気を付け、子どもにも「おなまえは?」とか「すきなおもちゃは?」とか聞くのだけれど、1,2歳が多いので会話も全く弾まずその日を迎えることが多い。いざ、ふたを開けてみると、大泣きをして、保護者が後ろ髪をひかれるようにして行く場合もあるにはあるが、多少、ぐずぐずしても何とか耐える子どもが多かった。
面接時に「お子さんのお気に入りの、例えばぬいぐるみとか、タオルとかもってきてもいいですよ。」と伝えている。そういうものを持ってきている子どもたちはぬいぐるみを握りしめたり、タオルを口にくわえたりしてなんとか寂しさを耐える姿がけなげだった。一方でケロッとして、「いってらっしゃい」という子どももいるにはいて、それはそれで親のほうもちょっとは泣いてよ、みたいな雰囲気で、子どもはすでにおもちゃのほうに関心があるのに無理に「タッチ―」と親のほうから手をだし、子どものほうはしょうがないなとアリバイ的に手を出す強者もいた。
2歳の光江が初めてママにだっこされて来たときは、部屋に入ったときから不安げで部屋をきょろきょろ見まわしていた。単に2歳といっても保育園的には1歳児クラスと2歳児クラスの両方に2歳児はいる。光江は2歳児クラスの2歳、つまり今年度には3歳になる2歳児だ。
「おはようございます。」
とママも少し緊張しながら挨拶をしてくれた。
「おはようございます。」
「おはようございます。」
と僕とモコさんがそれぞれ挨拶をした。ママは、光江を抱っこしたままロッカーに着替えをしまったりして準備をしていた。準備が終わってママが振り向いたので近くにいた僕が
「みーちゃん、おいで」
と、両手を差し出した。「みーちゃん」という呼び方は面接のときに事前にママに聞いて行た。しかし光江はママの首根っこにしがみついて離れなかった。
「みー、ママいくからね。」
とママが少し手に力を入れ、体から光江を離し、首をかしげて光江の手も首から離して、光江を僕に預けた。
「じゃ、行ってきます。ミー、じゃーね、バイバイ。」
ママは右手を光江の体に触りながら、急いで出ていった。朝から慣れない準備で時間も押していたのだろう。光江と言えば僕の腕の中で、体をママのほうに向け、精一杯両手を伸ばし、泣きながら
「ママ―!ママ―!」
と叫んでいた。先に登園していた子どもたちも何事かと思ってこちらをみつめていた。ママが出て行った後も
「ママは?ママは?」
とぐずぐず泣きながら言っていた。
「ママ、おしごとにいったからね。いっしょにあそんでまってよ。」
それでもしばらくは
「ママは?ママは?」
と泣き続けるので
「おやつたべて、ごはんたべて、おひるねして、おやつたべたら、おむかえだよ。」
と言葉を替えて慰める。僕は体を揺らしながら、少し部屋をうろうろしながら光江が落ち着くのを待った。その間も窓の外を見て、花が咲いてる、鳥が飛んでる、人が通っている、部屋の中に天井からぶら下がっているオーナメントを見ながら、これはなに、あれはなに、と始終声を掛けていた。ぐずぐずしていたのが少し落ち着いたなと思ったので他の子どもたちが遊んでいる場所の隅のほうに座って膝の上に光江をのっけた。その間も他の子どもの登園は続き、モコさんが受けいれていた。その日は、初めての子どもは光江以外いなかったが、子どもが増えてくると、モコさんが大車輪の大活躍になる。僕はまだまだ役に立たなかったので、モコさんがそれぞれの子どもの様子を見ながらだっこしたり、気に入りそうなおもちゃをあてがって遊ばせていたりした。その日はそこまでいかなかったが、泣いている子どもが複数になると、抱っこしながらおんぶということもあった。一時保育は毎日登園する子どもは10人に満たないが、週に2,3日とか1週間に一度とか、本当にたまに、とかいろいろな年齢の子どもがいろいろな期間で来るので、受け入れ時は誰かを抱っこしていることが多い。一度、モコさんに
「なんで僕が一時保育なんでしょうかね。」
と聞いたことがある。こんな状況のクラスによく新人でおっさんの僕を配置したんだろうと思っていた。人事は園長の専権事項だが主任のモコさんなら少しは知っているかもしれないと思った。
「子育て経験があるからじゃない。」
「大丈夫ですかね。」
「大丈夫だよ、あやしたりしたことあるんでしょ。それにまじめにやってりゃ、子どものほうで助けてくれるよ。」
「そんなもんですかね。」
「そんなもんよ、子どもは大人が考えるより、ずっと柔軟性があるのよ。」
とモコさんの言葉を信じてやってみると確かに子どもたちはおっさんだからと言ってだめだということはなかった。
その日光江はほとんど僕のそばから離れなかった。
「ミーちゃん、ごめんね、たまだくんはちょっと、おやつのじゅんびをするからね。」
と言って光江をひざから降ろして立ち上がっても上着のすそをつかみ、ついてきた。結局その日はずっとそんな感じだった。その後、月曜から金曜まで毎日登園したが、どのぐらいだろう、2,3週間して同じ年齢の誠二が登園するようになり、仲良しになってからようやく離れるようになった。どうやら、僕はその頃の光江にとってお気に入りのぬいぐるみか、ハンドタオルか、ポシェットと一緒だったかもしれない。
園庭の西側の1歳児室や2歳児室の前あたりに2歳児担任のめぇーちゃんが車のタイヤを5つほど並べて置き、子どもたちが順番にわたって遊んでいた。2歳児に交って並んでいた、豊と千代が順番をめぐって押し合いをはじめ、千代が倒れて泣き始めた。北側の3歳以上児室の前で見ていた僕は「御用提灯」を下げ、「御用だ、御用だ」と言いながら豊のところに行こうとした時、子どもたちのそばにいた、めぇーちゃんが列の最後尾にいた2歳児の真琴に何かささやくと、真琴は豊のところに行き何か言っていた。めぇーちゃんは、千代を抱き起してたぶん「いたかったね。」とか「だいじょうぶだよ。」とか言ったんだと思う。その横でお話をしている真琴を豊はじっと見ていた。そのあと、豊は千代に近づき、頭をなでなでした。千代は相変わらずぐずぐずしていて、豊に頭を撫でられるままだった。真琴が豊に何を言ったのか気になったので、列に並びなおしている真琴に近づいたが、何となく野次馬のおっさん丸出しの自分の姿を2歳児に見せるのが恥ずかしくなり、未だにぐずぐずしている千代の背中をさすって、慰めているめぇーちゃんに、
「まこちゃん、なんて言ったの?」
「えーっ、たぶん、やりたかったんだよねとか、おくちでいおうねとか、ないてるよとかだと思う。」
もめ事を発見してしまうと、僕はどうしても、なんだなんだ、どうしたどうしたとなって出動してしまう。この間も良彦とワキがおもちゃの取り合いをしていたので、どれどれ、おっちゃんがと思っていたら、くるみさんが近くにいた、薫、千代、タマヨ、綾子に仲裁を頼んだようで、彼女たちがドタドタと良彦とワキに近づいて、口々に「かしてっていうんだよ」とか「もうひとつ、さがしにいこっ」などと二人に言っていた。彼女たちが仲裁をしている間、なぜか一緒にやってきた俊之がまるで「そうだ、そうだ」と言わんばかりに周りをうろうろしていた。今はまだもめ事を起こすことのほうが多い俊之もそういう場に居合わせて、少し大きいお姉さんたちの姿を見て何かを学ぶに違いない。
研修なんかでモコさんが「子どもを信じて。保育士がいきなり出て行って解決しないで」とよく言っている。僕の中ではどちらかというと3歳以上の大きい子にはそうしようという気持であったが、めえぇーちゃんにしろくるみさんにしろ躊躇なく1、2歳児にもそうしている。たぶん、0歳児にもそうするかもしれない。僕も俊之同様、同僚保育士さんの行いを見て学ばせてもらっている。
園庭の東側の事務所前あたりでたにやんの腕の中で泣きながら大暴れしている一時保育の子どもがいた。
「どうしたの?」
泣いて暴れている子どもを落ち着かせているたにやんのフォローに入って、他の一時保育の子どもたちを見るために僕は近寄った。
「自転車にまたがったんで危ないかなと思って、だっこしたら、こうなっちゃった。」
と子どもを抱きなおしながらたにやんは言った。1歳児らしいその子の体には3歳以上児が対象の三輪車は足もつかず、見た目は危なかったろう。たにやんは子どもに
「あー、かずくん、のりたかったんだよね、そうだよね。」
と言いながらたにやんは抱っこを続け、その子は少し収まってきたとはいえ依然としてたにやんの腕の中で泣きつつ、もがいていた。
「かず君って言うんだ、その子。」
「うん、和義君。」
「雪江さんは?」
一時保育の担任はたにやんと、雪江さん(53)の2人だ。
「ゼロちゃんが寝てるから部屋にいる。」
さっきまでたにやんの腕の中にいた子どもは近くで土いじりをしていた。
「和義君、いつも、こんな感じ?」
「止められるとこうなるときは多いかな。そうならないようにしているんだけどね。」
たにやんは話しながらもリズミカルに体を左右に動かしながら和義をあやしていた。和義もたにやんの気持ちを汲んでかすこし落ち着いたようだった。
2歳になったばかりの純一が一時保育に来たのはお母さんが純一の妹を出産して、いろいろと大変だったからだ。面接の日、お母さんに保育園を利用する理由を聞いた時、お母さんの産後の体調がすぐれないことと純一の、時折起こす癇癪をあげた。お母さんの腕の中にはまだ生まれて2か月しかたっていない小さな赤ちゃんがいた。
「普段はそれほど手がかかることもないんですが、時々癇癪を起して、それが何なのかわからない時があるんです。いくらなだめてもなかなか収まらず、どうしていいのかわからず、ちょっと疲れてしまって。」
加えて30台後半での出産後2か月ほどのお母さんの体調まだまだ復活途中だし、頼りのお父さんはやっぱり仕事が忙しく帰ってくるのは遅いし、ということだった。2か月の赤ちゃんを連れてお出かけするのは大変だし、それでも出かけて保育を頼まなければならないということは、よほど困っているということがすぐにうかがい知れる。面接時の純一は好奇心が旺盛なようで部屋をぐるりと見た後、遊んでいる子どもたちに近寄って、遊びを眺めていた。あまり人見知りはなさそうだった。面接が終わってお母さんが
「じゅんいち、かえるよ。」
と声を掛けると子どもたちの様子を見つつ、こちらにやってきて僕を目が合った。
「だー、これ!」
純一は僕を指さしながらこう言った。
「ちょおっとー。」
お母さんはあわてて純一をたしなめた。
「たまだくんだよ、よろしくね。」
と僕は純一に握手を求めた。指を指してくれなかったら、その言葉の意味は分からなかったかもしれない。その時は「だれーこれ?」か「なんだーこれ?」だと思った。純一は握手には応じずお母さんのほうに行った。
「それじゃあ、お願いします。」
と純一のお母さんは頭を下げながら戸に向かった。
「さようなら」
「さようなら、じゅんいちくん、ばいばい。」
と純一はモコさんと僕のあいさつにほぼ耳を貸さず、お母さんより先にドアを開け出ていった。
「じゅんいちまってー。」
とママは慌てて戸を閉めながら、純一を追いかけていった。
次の日から純一はやってきた。思った通り、人見知りもせず、お母さんとの別れ際もあっさりバイバイをして、むしろお母さんのほうが心配顔だった。純一は好奇心旺盛で、僕やモコさんに部屋にあるいろいろなもの、例えば天井からぶら下がっているオーナメントや純一の家にないようなおもちゃなどを指さして
「だー、これ?」「だーこれ?」
とひっきりなしに聞いていた。どうやら「なんだ、これ」が正解のようだった。僕はその都度わかりやすく答えたつもりだった。オーナメントは「トンボさんとちょうちょさんだよ。」と言い、おもちゃは具体的に遊び方を伝えた。だが壁に取り付けているホワイトボードを僕はあまり考えずに「ホワイトボード」と答えた。一拍置いて、純一はもう一度指さして
「だーこれ?」
と言った。僕は「失敗、失敗」と思いながら、3,4センチある丸い、赤い磁石をホワイトボードにつけて、「こうやってあそぶんだよ。」と伝えた。単にモノの名前を言ったところでわかるはずもなかった。
一通り「だ―これ」と言いながら疑問を解消すると、純一は「てっちゃん」らしく木製のレールをつなげ、機関車に貨車をいくつか連結させ熱心に遊んでいた。言葉数は少なかったが、こちらの言うことはよくわかっており、手のかからない穏やかな子どもだった。ところが、お母さんが迎えに来て帰るとき、時々「いやだアー」と言って大暴れするときがあった。最初に暴れたときは、お母さんは純一が帰りたくなくて暴れるのだと思い、「保育園が楽しくてよかった。」と思いながらも抱っこして駐車場まで行くのも大変なら、チャイルドシートに乗せるのも大変だったらしい。ある日のお迎えで赤ちゃんを連れてこない時があり、モコさんが聞いてみると赤ちゃんは乳児用のかごの中に寝せて後部座席の足元に置いてきたという。
「妹ちゃんを車に置いたままではよくはないので、一緒に連れてきてくださいね。」
とモコさんが伝えると
「また、純一が暴れたどうしましょう。」
と不安げにお母さんが言うので
「その時はお手伝いしますから。」
とモコさんが言うと少し安心したようだった。
「家でも何が気に入らないか、大暴れすることがあるんですよね。」
とボソッとお母さんは言ったが、僕たちはその時は
「そうなんですね。」
としか応えられなかった。
その後も時折、暴れることがあり、そんな時は赤ちゃんの寝ているかごを持って僕たちは駐車場について行った。お母さんは純一を抱っこしながら、純一の好きだというグミやら、トーマスやらを使って一生懸命あやし、どうにかこうにかチャイルドシートに座らせていた。
その日もおかあさんが友だちの遊ぶ姿に気を取られている純一に
「純一、ごあいさつして。行くよ。」
と言って純一から目を離さず、少し不安げにそろりとドアを開けて出ようとした。友だちから視線をお母さんに移した瞬間、純一はひざから崩れ落ち、大泣きを始めた。お母さんは「あー」という感じ落胆し、赤ちゃんの寝ているかごをその場において純一に近づいた。他の子どもたちの遊びを見ていた僕は「今日はだめだったかー。」と思っていたら、モコさんがお母さんが半分ほど開けた戸を閉めて、
「じゅんちゃん、じゅんちゃん、とびら、あけてくれる?」
と純一に声を掛けた。純一はなおも泣きわめいている。モコさんは暴れる純一を、よいこらしょっと抱っこして、戸に近づき
「じゅんちゃん、じゅんちゃん、と、あけてくれる?」
ともう一度言うと、閉じている戸に気が付いた純一はピタッと泣き止み、モコさんから降りようとした。モコさんが純一を下ろすと純一は戸をダーッと開けて出て行ってしまった。お母さんも慌ててかごを持つと
「ありがとうございます、さようなら。じゅんいちー、ストップ―。」
とバタバタと出て行った。
「戸だったんですか。」
モコさんに聞くと
「どうやら、そうだったらしいね。」
「よく気がつきましたね。」
「研修で、子どもの中にはこだわりの強い子もいる、ということを聞いたことがあったんだ。じゅんちゃん、普段はそんなこと、ほとんどないからわからなかったけど、ママが戸を開けるタイミングとじゅんちゃんが、崩れるタイミングがドンピシャでそうかなーって。」
「帰るときは自分で戸を開けて帰るというのがじゅんちゃんのルーティンだったんだ。」
この時モコさんからスポーツ選手の食事や着替えなどのいくつかのこだわりを教えてもらった。
翌日から純一は保育園では機嫌よく遊び,お迎えが来て、帰るときもおかあさんが純一に帰りのあいさつを促して
「さよおなら」
と僕たちに「お」を強調する子どもらしい挨拶をするのを見届けて
「じゅんいち、おねがい」
と純一に言うと、純一も「まかせんかい!」的な感じで戸をガバーッと開けて、こちらを振り返り、右手は戸の取っ手を持ち、左手を戸の外枠について、少しどや顔をしながらお母さんを待つようになった。
「かんしゃくを起こしたときに、純一のしたかったことを、いろいろ試してみるようになりました。それで機嫌が直るときもあれば、そうでない時もありますが、私があんまり慌てなくなりました。ありがとうございました。」
その後、お母さんも体調が徐々に回復していったと思うが、純一のためには保育園に行ってたほうが良いと思ったのか登園する回数を減らしながらも年度末までは通っていた。
たにやんが、腕の中ですっかり落ち着いた和義を
「さんりんしゃ、のろうね。」
と言いながら三輪車のサドルに降ろすと、和義は満足そうに両手でハンドルを握った。両足は地面につかず、なんだか体もくねくねして危なっかしいのは変わらないので、たにやんは三輪車の後ろにしゃがんでいた。
「最初から、こうしときゃあよかったんだけど」
たにやんはため息をつきながら言った。
「なかなか、うまくはいきまへんがな。」
使い慣れない方言を使って僕はたにやんに言った。
子どもの行動は「好き」だとか「やりたい」とか、とにかく子どもにとっての積極的な理由は必ずある。「なんとなくやりたい」ですらそうだ。僕たち大人は、「危ない」とか、「今はそれじゃない」とかの理由で子どもの意志に関わらず止めることがしばしばある。それに対して子どもは体を使って抵抗する。もちろん大人は緊急避難的に子どもの行動を止めなければならない時もあるだろうが事後、大暴れすれば、「緊急」に行ったことが「避難」につながらない。基本は子どもの意志を最大限、尊重すること。もし大人と気持ちが合わず、大人として言いたいことがあれば、労を惜しまず、なだめ、諭し、説得することが大切だと思う。また、大人が声を掛けても抵抗を辞めず、大人もどうしてよいのかわからない時は、少し時間をさかのぼってみるのも方法の一つだ。戸を開けたかったとか、自転車に乗りたかったとか、何かヒントが隠されている。あれじゃないの、これじゃないのと言っているうちに子どもの心に引っかかるものが出てくるかもしれない。ヒントに触れるだけでも子どもは大人が自分のことを察してくれたんだと思い、少しは落ち着くこともある。
もちろんこうするには心の余裕が必要だし、そのためにはフォローする人が必要だし、そのためには待遇改善は必須であるということは何度強調しても足りない。
ただ、家庭内の子育てをママ、場合によってはパパ一人で担っている、ワンオぺ育児となるとそんなことも言っていられない。シングル家庭は言うに及ばず、パートナーがいてもあてならない時は一人のひとが一切を背負ってしまい、余裕どころではなくなり、子どもと感情むき出しの対決となってしまう。だからこそ子育てを社会化し、何とかみんなで子育ての苦労を分かち合えたらいいのにと思う。苦労もみんなで背負えば本当に楽になる。そしてその一翼を保育園が担っているし、一時保育はその最前線にいる。
一時保育には様々な家庭環境の子どもが来る。
3歳の順二は母子家庭だった。保育園では元気があってやんちゃで部屋を走り回るので、何とか集中してできる遊びはないものかと、ブロックであったり、パズルであったり、工作であったりとモコさんがいろいろ工夫したが、なかなかはまるものがなく、ついつい僕が
「じゅんちゃん、はしらないで!」
と声に出して注意することもしばしばだった。ところがこんな順二もママの前ではおとなしかった。ママは貴金属かブランド品だかのお店の人で年は20代後半、クールな人で僕たちとは挨拶ぐらいしか言葉を交わさず、お迎えの時に順二の様子を伝えてもほとんど反応を示さなかった。ママがお迎えに来ると順二の表情はかわり、ママが
「かえるよ」
と言うと、本当にスゴスゴという感じで帰って行った。僕たちも家庭内で何かあるのかと疑問を感じないわけではなかったが、事の真偽は不明だった。ママもまだ若いし、シングルだし、じいちゃんばあちゃんの助けを受けているわけでもない。ママにもいろいろあるのだろうということは容易に想像できた。
2歳になったばかりの忠文はパパが送迎をしていた。ママは家にはいるが心身の病気らしく家事のほとんどをパパが担っていた。パパは保険会社の営業らしく、お迎えの6時になっても来ないことがしばしばだった。忠文はブロックや車のおもちゃで飽きもせずに一人で遊んでいる子どもで手もかからず、多少遅くなってもぐずりもせずに遊んでいた。逆にもっと、わがまま言ってもいいのにと思うくらいで、あまり考えたくもないがこの歳で親に気を使っているんじゃないかと思うくらいだった。
あるとき6時を過ぎて、いつものようにパパに電話をすると園から1時間以上はかかりそうな別の街にいた。
「すみません、すみません、これからすぐに行きますから。」
「すみません」が2度。多分、どうにもならなかったんだろう。この土地の人でもないようで地縁、血縁はなし。それだとこういう時に大変だ。ましてや男性はほぼ社縁しかないし、その社縁もプライベートには現代ではほぼ役に立たない。6時から7時までは事前登録制の延長保育の時間だ。園によっては8時とか9時とかまで行っている園もある。ただし、一時保育には延長保育の制度はない。
「たまだくん、あといいよ。延長の子と一緒に待っているから。」
僕はあがりの時間だった。
「すいません。よろしくお願いします。ただふみくん、じゃーね、ばいばい。」
モコさんの膝の上に座って絵本を読んでもらっていた忠文は表情を変えず、僕にバイバイをしてくれた。忠文を見たのはそれが最後だった。
次の日、モコさんに事の顛末を聞いた。
7時に延長保育も終わり、最終番の職員も帰り、モコさんと二人、事務室で、絵本を読んだりブロックをしたりして待つこと1時間、パパがようやく迎えに来たのが8時だった。パパは事務室の扉を開けるなり「遅くなりました。」と言いながら入ってきて、忠文に「ごめん、ごめん、おそくなって。」と声を掛けた。モコさんは「時間のほう、よろしくお願いしますね。」とだけ言ったそうだ。あまりにも恐縮していたので、それ以上は言えなかったらしい。玄関でモコさんが手伝って忠文が靴を履いている時、パパは天を仰いでため息をついていたという。
帰り際に、パパからパパのご両親にしばらく預けることにするという話があり、それきり忠文は来なくなった。天を仰いだ時にこれではいかんと思ったのかもしれない。
一時保育が最前線にいるとはいえできることには限度がある。一番必要だなと思うことは、会社やお店など働いている場所の子育てへの理解だと思う。共働き家庭が急激に増えていることを考えれば女性だけではなく男性の働き方も変えていかなければならない。それに伴って行政の例えば、お迎えをお願いできるサービス、休日や病気の時に子どもを預かってくれるサービスなども必要になってくるだろう。いずれにしろ社会全体のサポートは不可欠だと思う。
園庭の中央で2歳児が何人かタイヤを転がして遊んでいた。その中に友則も混じっていた。友則は2歳児のようにタイヤを立てることができず、タイヤを持つところから四苦八苦していた。顔をあげた友則と目が合った。すると友則は僕のところに走ってきて、何も言わず手を引っ張った。
「ともくん、タイヤたてるの?」
と聞いたが、返事もせずに手を引っ張る。僕は引っ張られるままに友則が立てようとしてできずにいたタイヤのそばに連れてこられた。それは普通乗用車用のタイヤで友則が遊ぶにはちょっと大きいような気がした。確か軽自動車用のタイヤがあったはずだと思い、あたりを見ると、確かに軽用のタイヤが転がっていた。そのタイヤをその場で立てて、
「ともくん、これでころがしな。さっきのはすこしおおきいから。」
というと友則は何も言わず、そのタイヤを転がし始めた。やれやれと思いながら後ずさりしてまた元の一時の子どもたちが遊んでいるあたりに下がっていると、友則は2,3回転、タイヤを転がしたが、また倒れた。タイヤが倒れてコロンコロン、コロンとタイヤが横になってバウンドしながら動きが止まるのを見てまた僕のところに走ってきた。
「たてるの?」
うんうんとうなずく友則。先に行く友則についていきタイヤを立てて
「これでいい?」
と聞くとまたしても何も言わず転がし始めたが、すぐにタイヤは倒れてコロンコロン、コロン。友則は僕のほうを振り返った。
「たてる?」
と聞くとまた、うんうん。友則自身で何とかできる方法はないものかと考えたが妙案が浮かばず
「はいよっ!」
と友則に渡すと、また転がしはじめたが、すぐにタイヤは蛇行し始め力つきて今度はバタッと倒れた。友則はそれを見てこちらに振り返りダーッとダッシュして僕を通り過ぎ砂場のほうに走っていった。タイヤがあまりに力尽きたような倒れ方をしたので、友則もあきらめたのかもしれない。
滑り台の前あたりで俊之が熱心に何かを並べていた。スコップ,バケツ、缶ぽっくり、ボール。いろいろなところから拾い集めて並べている。以前に「なにつくっているの?」と子どもに聞いたことがあった。その子どもは何も言わず、応えず遊び続けた。
「目的があってやってんじゃないよ。楽しいからやっている。それが遊びだよ。」
居合わせたモコさんにそう言われたことがあった。俊之はあたりをぐるりと見まわしていた。事務所前にフラフープが一つ落ちているのを見つけたらしくそちらのほうに走って行った。俊之の行方を追っていると後ろから
「たーくん」
と呼ぶ声がしたので振り向くと綾子が
「カシャッ」
と言ってエアカメラで撮ってくれた。
「あっ、ありがとう」
とちょっと慌てて言った。綾子も楽しいからやっているのだろうか。「なんで?」
と聞きたかったが、すぐに砂場のほうに走って行ってしまった。僕もそのあとを追って砂場のほうに向かった。砂場から、今度は浩司が手に何かを持ってやってきた。
「たーくん、あげる。」
皿に砂が盛られている。さすがに聞いた。
「これはなにかな?」
「かれーりゃいす。」
「たべていい?」
「いいよ。」
「いただきまーす。もぐもぐもぐ。」
派手に食べる真似をした。
「ごちそうさまでした。」
皿を返しながら言うと浩司はすこし笑みを浮かべ、砂場に戻っていった。浩司の真似をしてか、入れ違いにユリが皿を持ってやってきた。
「たーくん。」
ユリが皿を差し出した。平皿にはまだ赤みを帯びていないハナミズキの葉っぱが一枚。僕は受け取りながら
「これなーに?」
と聞くと
「さんまやきていしょく」
渋すぎないか。ママにでも「なんで?」と聞かなければならない。
左手のすべり台の下あたりで四つん這いになって何かを探していたワキがクリンとでんぐり返しをした。常に活動的でエネルギッシュな子どもなので、したくなったからしたのだろう。部屋でもよくでんぐり返しをするので今では驚かないが、最初に見たときはあまりにも見事だったのでびっくりした。最後のフィニッシュはドテ、バタという感じで大の字に寝転がっていたが回転するところは3歳以上児でも見たことはなかった。3歳以上児の担任だった時にマット運動もやったが、「やきいもごろごろ」とか「へび」とか「ハイハイ」とかをしたが「でんぐり返し」をしようとは思わなかった。ねらいが「マット運動を楽しむ」だったのでみんなができる技を選んだからだ。4,5歳児で跳び箱を5段飛ぶ子や、鉄棒で前回りをできる子どもがいたので、手本を見せれば前転もできたとは思う。
お母さんの求職活動が理由だったと思うが、一時保育に義春という3歳児が来た。それまでお母さんと離れたことがなかったらしく、部屋の隅でゴロゴロしくしくしていたので、「よしはるくん、この上でごろごろしてたら。」と言って
モコさんが押し入れから畳一畳分ぐらいの大きさの赤いマットを出した。
「なんで、マットなんですか?」
と後でモコさんに聞いたら
「床の上でごろごろすると、何となく痛そうで。」
ということだった。モコさんの「何となく」が「当たり」、それから、室内ではマットの上が彼の基地になった。室内で遊ぶ時はそこにおもちゃを持ってきて遊び、午睡はその上に布団を敷いて寝た。他の友だちが訪ねてきても拒むことなく、招き入れていた。
その日は人数が少なく4人だったと思う。モコさんが用事があり、事務室に行き、部屋には僕一人だった。僕は子ども用のロッカーの前で、ロッカーを背に立って部屋で遊んでいる子どもたちを見ていた。義春は赤いマットの上でピョンピョンとジャンプを繰り返していた。僕は日誌を見ようと子どもたちから目線を切ってロッカーの上にある日誌を手に取ってすぐに振り返った瞬間、義春がクリンと「前方宙返り」するのが視界にビョンと入ってきた。
「うそっ!」
「よしはるくん、いまのもういっかいやって。」
義春に何度かお願いしたが、義春はニコニコしながらその場でのジャンプを繰り返すばかりだった。
「義春君、今、『ゼンチュウ―』しましたー!」
と、戻ってきたモコさんに興奮して言うと
「ぜんちゅー、なにそれ?」
と冷静に返され
「クリンとまわるやつですー。」
「3歳児だもの、でんぐり返しぐらいできるんじゃない。」
「いやいや、ただの前転じゃなくて、体操選手がやっているみたいな、宙返りですよ。」
「えー、できるわけないじゃん。よしはるくん、たまだくんに見せたやつ、見せて。」
と、モコさんが言っても、義春はピョンピョン、はね続けていた。ジャンプもそこそこやっている。よくそんなにはね続けていられるな、とそれも感心した。
「えー、ほんとに『ゼンチュウ』したんですよー。」
「見間違いじゃないの。」
とあんまり相手にしてくれず、持ってきた書類をロッカーの上に置いて、ロッカー脇のフックにかけている給食用の淡い桃色のエプロンをつけながら
「たまだくん、給食取ってくるからね。たぶん、幻よ、さっきの。」
と言いながら出て行ってしまった。
もやもやした気分で一日を過ごした僕はお迎えの時にママに
「よしはるくん、前方宙返り、できます?」
と聞いたが
「ちゅうがえり?できないと思いますけど・・・。」
「今日、したとこ見たと思ったんですけど。」
「まさか。」
と言って、ハハハと笑われた。それ以降一回も義春のゼンチュウを見ることもなく、お母さんの仕事と義春が通う保育園も決まり、義春は2週間ほどで来なくなった。
5年前のことだけど今ではすっかり自信をなくし、やっぱり幻だったのかと思う。誰か目の前で、クリンと『ゼンチュウ』をしてくれれば、あれはやっぱり本当だったんだと思える。1歳児のワキにそれを望むのはすこしハードルが高すぎるが、3歳児になったワキならやってくれると密かに期待している。クリンとまわった後しっかり着地も決めて、両手広げて「10.00」も夢じゃない、と思う。
砂場に近づいて行くと1,2歳児の多くの子どもたちが集まっていた。砂場は園庭の南の端にあり広さは3メートル×5メートル。縁は丸太で囲まれている。向かって左の東側に60センチ×90センチの木製の角テーブルがあり、テーブルをはさんで長椅子が2脚、右側の西側に直径1メートルのプラ製の座席がついている丸テーブルがあった。砂場での砂遊びやおままごとは子どもたちの遊びの王道だ。とりわけ1,2,3歳児くらいまでは多くの子どもが砂場に集まる。まだ異年齢で交って遊ぶということはできないが、年少の子どもは年長の子どものすることをしっかり見ており、自分たちの遊びにどんどん取り込んでいる。一種の社交場と言えなくもない。
角テーブルの一方には綾子と友則が並んで座り、綾子がテーブルの上の砂の入ったバケツから平皿にスコップで砂を盛って
「はいどうぞ」
と友則にあげた。友則は黙って両手で受け取り、平皿に口元をを寄せてもぐもぐもぐと食べた後、皿を綾子に返した。綾子が
「おかわり?」
と聞くと友則は、うんうんと首を縦に振った。綾子は平皿に盛られていた砂を一度バケツに戻し、改めてスコップで砂を盛り
「はい、どうぞ」
と言って友則に渡していた。
砂場では薫と学が穴を一生懸命掘っていた。あんまり一心不乱なので聞いてみた。
「なにほってるの?」
「おいも」
こっちを見もせずに、手も止めずに掘っていた。そういえば先日、4,5歳児が芋ほり遠足に行った日に2,3歳児が事務所の前にある小さな畑で芋ほりをするのを1歳児は見学した。あらかた掘り終わり、2,3歳児がお芋をもって引き上げた後、学がおもむろにその辺に落ちていたスコップを拾って、そこら中デコボコになっている畑を掘り始めた。それをきっかけに皆、畑に入ったはいいがスコップは一つ、二つしかない。スコップがない子が、
「ないー!」
とべそをかき始めたのでくるみさんが2,3歳児の後を追っかけてスコップをもらってきた。
「すこっぷあるよー。」
そう言いながら子どもたちにスコップを配ってあげていた。子どもたちはそこら中適当に掘っていたが、そのうち学が
「あったー」
と言うのでくるみさんと見てみると赤茶色の大きなお芋のせなかが見えた。子どもたちも口々に「おいもさんだねー」「おおきいねー」と言っていた。
お宝を掘り当てた学はもちろん、薫もそのことが楽しかったに違いない。二匹目のドジョウ、もとい、お芋さんを狙って砂場を掘り続けている。
突然、滑り台の下のほうでワーだの、キャーだのと大騒ぎになっていた。砂場で遊んでいた子どもたちもなんだなんだという感じでそちらのほうへ集まった。僕も遅ればせながらそちらに行くと子どもたちの輪の真ん中にアマガエルが一匹いた。幾重にも子どもたちが取り巻き、子どもたちは顔をアマガエルに向けながらも腕を少し振って隣のお友だちと小競り合いをしながら場所の確保に努めていた。危険なにおいがプンプン匂ってきた。僕がふと顔をあげると僕と反対側にいたくるみんと目が合った。くるみんも同じ予感を持っているようだった。
「ちょっと、たらいに水、張って持ってくるから。」
くるみさんにそう言うと
「わかりましたー。」
と応えた。僕はすぐに小園庭に向かった。後ろからくるみさんの
「はいはいはい、みんな、すこしはなれてー。かえるさんがつぶれちゃうー。」
と子どもたちに言っているのが聞こえた。小園庭にあるプラ製直径70センチほどのたらいに小園庭内に立っている外流しで少し水を入れ、小走りにたらいを持ってきて
「チョーっと、ごめんなさいよー、カエルちゃんをいれるからねー。」
と言いながら子どもをかき分けて、子どもたちの真ん中にドンとたらいを置き
「ぴょんきちくーん、みずだよー。みんなでみるんだよー、おさないよー。」
と言ってアマガエルをたらいに入れてあげた。たらいのふちと言う明確な「線」ができたせいか押し合いはすこしなくなったような気がした。
「ぴょんきち?」
薫が不思議そうに聞いた。
「かえるくんのなまえだよ。ぴょんきちは。」
「ふーん。」
いまいち納得せず薫は視線をアマガエルに向けた。アマガエルは目の前に急にできた壁に何度かジャンプを繰り返し、何度かに一度は縁の上に登った。普段からダンゴムシやバッタなどに触ることにためらいのない幸男や俊之、薫、浩司は縁にアマガエルが飛び乗るたびに指で押し返していた。二人の真似をしてワキ、友則、学なども真似をして押し返そうと手を出していたが、手慣れた幸男や俊之に先を越され、3人の出した手を引っ込めるさまがいかにも「残念」と言う雰囲気がにじみ出ていて、少し切ない気持ちになった。かといって口に出して、子どもの世界に介入するのも野暮と言えば野暮なので遠目で見ていた。ふと顔をあげるとくるみさんが明らかに敵意を抱いているというか、恐れているというか、勘弁してくれと言うか、そんな表情で見ている。そうだ、彼女、背中のぬるぬるした爬虫類、両生類は苦手だったと気が付き
「ぴょんきち君、やっぱり、いやだ?」
と聞くと
「いくらぴょんきち君と言われても無理です。」
ときっぱり言った。くるみさんほどではなく、興味はあるけど近づくのはちょっとと言う子どもももちろんいる。豊、ユリ、綾子は後ろでアマガエルとお友だちの攻防を見ていた。そのうち千代が滑り台の下にいくらか生えている細長い雑草を10センチほど千切ってきてアマガエルの背中を撫で始めた。「捨てる神があれば拾う神あり」のたとえがあっているかどうかは怪しいが、くるみさんの受け入れられない背中のぬるぬるに千代が興味、関心を持ったらしい。千代の真似をして、たらいのまわりにいる子どもたちが一斉に雑草を取りにいった。まだ雑草はいっぱいあるのだけれど、取り遅れたタマヨが
「ないー」
と言ってべそをかいた。それに気づいた千代が
「かしてほしいの?」
と聞くと
「うん。」
とタマヨが応え、千代が自分の雑草をタマヨに与えて自分は又雑草を取りに行った。
「ちよちゃん、すごいね、かしてくれたんだね、ありがと。」
と言うと、千代はすこし微笑み、また背中を撫で始めた。
当のアマガエルはいきなり背中を触られ始めて驚いたのかさらに飛び跳ね、子どもたちが雑草を手にしているすきをついて縁に飛び乗った後、外に飛び出してひたすら園庭方向に逃げ出した。子どもたちは
「出たー!」と言ってアマガエルの後をついていき、アマガエルがへばって休んでいると「はよ、いかかんかい」的な感じで おしりをつついたりしていた。始めはてかてかと光沢を放つパステルカラーだったのに、いつの間にか砂まみれの土ガエルのようになってしまった。これはもはや救出せねばなるまいと思い、
「みなさーん、ぴょんきちくんもおうちにかえるじかんでーす。からだをあらっておうちにかえしてあげましょう。いいですかー。」
と聞くと口々に
「いいよー」
と応えてくれた。
僕は土まみれになったアマガエルを両手で包むように持って、まずはたらいに放ち、土が落ちるように右手で水を少し掛けてやった。そのあとたらいごと持って園を取り巻く柵に近づき、子どもたちにアマガエルを見せながら
「じゃ、ぴょんきちくん、ばいばい。」
と言うと子どもたちもそれに倣って口々に
「ばいばい。」
「ばいばい」
と言った。くるみさんも取りあえず、大人の対応で「ばいばい」はしていた。僕は柵の外にある園庭と歩道の間にある園の花壇にアマガエルを離してやった。
「さてと、このままいく?ちょっと多い?」
一斉に入れるとなると、結構バタバタしそうでくるみさんに聞いてみると
「部屋に入りたい子はこのまま入っていいんじゃないですか。」
「じゃ、いれっか。」
と応えるとくるみさんは
「ごはんのじかんだからおへやにはいりたいひと、はいるよー。あとかたづけ、してねー。」
と言うと一通り遊んで満足したのか皆、遊んでいたものを片付け、ぞろぞろとくるみさんの周りに集まってきた。結局全員がくるみさんの後について部屋のほうに向かって行った。僕も一番後ろからついて行くと、子どもたちの最後尾にいたタマヨが寄ってきて
「あーそと、おもしろかった。」
と僕に言った。
「なにがおもしろかった?」
と聞くと、タマヨはもう一度
「そと、おもしろかった。」
と言った。
「よかったね。」
とタマヨに言うと
「うん」
と嬉しそうに言って、小走りに友だちの後ろを追いかけていった。